表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/35

エピローグ/復楽園《ふくらくえん》

 ……自分が新たな神となり、もうじき一年が経とうとしている。


 ルシフェルは青いケシの花園を歩みつつ、ひとつきり()()と息を吐いた。永遠の幸福に包まれながら、いまだに昔を思い出すことがある。


 今はみな、自分のことを慕ってくれる。

 生まれながらの天使たちも、人間から転生をとげた天使たちも。


『魔王として生きて、みずから最大の苦しみを味わった方』と。

『それ故に、誰よりも慈愛に満ちた方』と。

 本当に、新しいこの世界に必要なのは、そのような愛の神だった。


(……けれど、何となく違う気がする)

 自分には、新たな神としてまだ何かが足りないような……どうしてかそんな気がしてしまう。


 そうしてラファエルをはじめ、『笑い方の変わってしまった』ふるくからの天使もいて……。こちらを見つめる微笑みに、涙なしに泣き出すような、痛みと哀しさも混じっていて。それが何故なのか、自分にはまるで分からなくて。


 青いケシの花を見つめて、もうひとつ固く息を吐く。考えても考えても、向けられる淋しい笑顔のが分からない……、


「にーいさんっ! え、何なに? 何そんな難しい顔してんのさ?」


 いきなり目の前に降り立って、ミカエルが満面の笑みで問いかける。その勢いに気おされて、こちらも気弱に微笑んだ。


「……いや、見回り……」

「えーぇ? そんなん他の天使に頼みゃあ良いのに! ユダが言ってたよ、『ルシフェルはどこに行ったのかなあ』って! へへへ、ラブラブだねえ!」

「…………ユダは、今何をしている?」

「新しいうぶ仕立ててる! イエスも手伝ってあげてるよ。でもユダめっちゃ不器用だから、さっきから何べんも指を針で刺しちゃって……」

「えぇ!? 大変だ、すぐ様子を見に行かないと! ああ、でもまだ見回りが……っ!」


 思いきり噴き出したミカエルが、愛妻家の兄の肩をばんばん叩く。


「大丈夫、ぼくが代わりにやっとくって! だから早いとこ行ってあげ……」


 言いかけたミカエルが、ふいに大きく首をかしげた。あまりにも今さらに浮かんだ疑問を、くちびるをとがらして問いかける。


「……ねえ、でもさ、こういうのって『近親相姦』? って言うんじゃないの?」

「天界に生きるわたしたちに、そういう禁忌タブーはないだろう。そもそも『血がつながっている』訳でもないし、『遺伝子上の問題』とやらもありえない」


 ルシフェルがすごくまじめに答えを返す。微妙な表情の弟に、思わず言ってやりたくなる。


(そもそもお前、わたしの堕天前にあれほど『兄さんと恋仲になりたい』と……)そう言いかけて、それはずいぶん昔の話、と今の話題をふってみる。


「というか、ミカエル? お前とイエスだってそういう……」

「あぁあ! そういや兄さん『妖精』のうわさ知ってるかい!? ほら、このごろ天界に綺麗なちっちゃい生き物が現れたって話!」


 あからさまに話題を変えられ、苦笑しながら首をふる。どうもミカエルはイエスとの関係を話の種にされるのが、いまだにくすぐったいらしい。


「聞いた覚えがないな、『妖精』とはいったい何だ?」

「えー、何かね、昔はいなかった生き物がふよふよ飛んでるんだって。姿はまんま妖精みたいなんだけど、一年前にいなくなった堕天使たちに、なんか顔立ちが似てるって……」


 ルシフェルがふっと黙り込む。兄の反応に気づかぬままに、ミカエルが軽く言葉を重ねてゆく。


「ぼくも昨日、ここらで初めて見たんだけどさ。そのうちの一匹は、ベリアルそっくりだったなあ」

「……あの名を呼ぶのは止めてくれ。あいつは酷い奴だった。名を聞くだけでむしが走る」


 切り捨てるような兄の言葉に、ミカエルが金の目を見開いた。


 ……ミカエルは、ベリアルにまつわる悲惨な出来事を、ほとんど知らない。何も伝えていないからだ。ユダのあのことも『流産』だとしか言っていない。


 嫌だった。

 今永遠の幸福の中で、その名を再び耳にするのはおぞ気の立つほど嫌だった。


 ミカエルが、不思議そうに二三度金の目をまたたく。それからふうっと、ほろ苦い微笑をほおに浮かべた。


「ひどい名前だよね、『ベリアル』って」

「……え?」

「ねえ、ひどい名だと思わない? だって『無価値』って意味なんだから……」


 ルシフェルは黙ってまばたいた。弟が何が言いたいのか分からない。ミカエルはどこかやるせないを浮かべて、肩をすくめて言葉を重ねる。


「……ベリアルはね、自分の名前、ものすごく嫌いだったんだって。いつかあいつは言ってたよ、『僕はこの名前の通り、何ひとつ価値のない、意味のない存在なんだろうか。誰かに名を呼ばれるたびに、そう考えてしまうんです』って……」


 弟の言葉が()()()と胸に突き通る。


 知らなかった。あれほどまでに憎んでいた相手のことを――わたしは何ひとつ、知らなかった。思わず胸を押さえると、心の内にベリアルの面影が浮かぶ。


 彼は記憶に染みついた、みにくい笑顔はしていなかった。淋しそうに微笑しながら、こちらをじっと見つめていた。


「皆がみんな、堕ちるにはいろんな理由があったんだ。……きっと」


 いつになく神妙な顔でそう言って、ミカエルが急にやんちゃに笑ってみせる。


「ねえ、それよりさ、早くユダのとこ行ってやりなよ! いくら新しい神様だからって、おなかのおっきい奥さんをほったらかしたらいかんでしょー? ねえ『お父さん』!」

「……お前だって、『お父さん』だろ?」

「…………は?」


 あたたかい声で返されて、ミカエルがぽかんと大きく口を開けた。その顔がぽうっと赤くなり、どんどん崩れてにやけてくる。


「…………は? え? いやいや、冗談だよね? やだよ兄さん、ひとのこと変に嬉しがらせてさ……」

「冗談どころか……昨日イエスが言ってたぞ。お前との赤ちゃ、」

「ええーちょっともうっ! 何でそんな大事なこと、ぼくより先に兄さんに言っちゃってんのかなーっ! イエスーっ! おめでとーっ! ありがとうーーっっ!」


 六枚の羽をばあっと広げ、ミカエルがすごい勢いで飛び去った。飛びながらも何やかんや騒いでいて、ルシフェルは思わず苦笑する。その苦笑が、少しずつほおから抜けてゆく。


 真顔になったルシフェルが、ゆっくり、静かにうつむいた。


「……ベリアル……」

 さっきまでとは違った思いで、その名を口にする。


『害されたのだ』と、思っていた。

 ユダばかり、わたしばかりが、あまりに酷い目に遭わされたのだと。


 それでも――ベリアル。

 お前は、本当は、わたしの思っていたよりずっと。


 いや、お前だけではない。きっと他の全ての堕天使たちも、それぞれに色々な、淋しい切ない想いを抱えて。


「……そのお前たちを、わたしはずっと『悪しき者ども』と頭から決めつけ、さげすんで……」


 胸が痛い。

 自分に足りなかったのは()()なのだと、今さらになって気がついた。


 けがれきったと、思っていた。最後の審判のまぎわに、堕天使たちの全てに真っ黒な殺意を抱いて。その後に清い心へ立ち返って。


 それで良いのだと思っていた。いや、実際にそこで『神になる条件』は満たされたのだろう。けれど、自分は、本当は。


「……何も分かっていなかった……」


 地獄の堕天使たちの中で、自分ひとりが正しいと。その思いこみに芯までおぼれ、理解しようともせずに、馬鹿にし続け、蔑み続けて。


 ――どれほど、彼らを傷つけたのか。


 ああ、そうか。

 そもそも、全てわたしを神とするための、芝居だったというのなら……、


「……あの堕天使たちも……芝居のために仕立てられ、知らずに『悪役』を演じていて……!」


 そうして、名ばかりの『愛の神』のわたしのために……彼らは最期まで『悪役』のまま、魂までも消え失せて……!


 痛くて熱い胸が痛い、声も出せない、涙も出ない……かがみ込む神の首すじに、ふっと何かが口づける。


(…………ユダ?)

 そう思ってふり返ると、いつかルシフェルの周りには小さな光が群れていた。ぼんやりと灯る昼間のあかり、虫の羽のある小さな姿。


 ――妖精だ。皆がみんな、見覚えのある顔をしている。そうして、目の前のとびきり美しい妖精が……ベリアルそっくりの妖精が、幸せそうに笑ってみせた。その笑みは何だかあまりにあどけなく、あまりにも素直に美しく……。


「……そうか。そうか……お前たちは、妖精に転生したのだな……!」


『魂までも失せるが良い』との神の言葉も、あれもまた芝居だったのだ。


 彼らもまた、救われたのだ。

 それぞれの哀しみで歪んでしまった魂は、こういう形で報われたのだ。


「……ごめん。ごめんよ……」


 ――ありがとう。


 心の底から湧き出た言葉に、妖精たちがさわさわ笑う。甘いゆるしの舞のように、ひらひら神の周りを飛んで、やがてどこへともなく飛び去った。


 胸の痛みが小さくなって、でもまだ消えずに残っている。これは自分への罰だ、きちんと受けてつぐなおう……。


 ルシフェルは彼らの後ろ姿を見送って、ずっと少しだけ鼻をすする。そのとたんすぐ後ろで声がした。


「――何だ、ルシフェル泣いておるのか?」

 ぎくりとして振り返ると、先代の神がこちらを見上げて笑っていた。


「こんなところで何をしておる、おものユダをほうっておいて?」


(ミカエルとおんなじこと言うんだな)

 内心でぽつりつぶやいて、ルシフェルが神に笑いかける。


「いや、見回り……」

 言いかけておいて、思い直して言葉を変えた。


「……散歩です」

「散歩とな? そんなことしとらんと、早くユダのところへ帰ってやれば良かろうに!」


 神が新婚の息子をからかって、からからと嬉しそうに笑う。……今や全ての秘密を捨てて、目の前のサルシェンは乙女の姿の子どものようだ。その笑顔を見ている内に、ルシフェルはふっと前からの考えを口にする。


「母様……あなた様はそろそろ『ふたり身』になるおつもりは?」

「……っふ、ふたりみ……っ!」


 サルシェンがきゃしゃな肩を跳ね上げて、白いほおに血をのぼせる。くちびるを()()ととがらして、すねたそぶりで腕を組む。


「……わらわには夫など創れない。お前もちゃんと知っておろう」


 ほおを赤くしてつぶやく顔が、やっぱりしみじみ淋しそうで。


(……母様、『神と結ばれるのは神』という法などありません。現にわたしとユダだって……)


 言おうとして、何やかんやと理由をつけてごまかされそうで、ルシフェルはそっと口をつぐむ。


 母様。あなたが『神は神としか結ばれぬもの』と、ご自分を縛っておいでなら。わたしとユダとの紡ぐ命が、神のわたしの力を継いで、神に等しい者ならば。


「……母様、生まれてくるわたしの子は、きっとあなたを好きになります。ユダももちろん、あなたのことが大好きですよ」


 遠回しな言い方に、母神はきょとんとした顔をする。それからさあっと、おやつを落とした童女こどものような、くしゃくしゃの泣きべその顔になる。……言葉の裏側の『皮肉』を考えてしまったらしい。


『あんな目にわされたユダが、お前を好きなはずないだろう』――。


 自分が内心でそう呪っているとでも、勘違いしてしまったのか。幼女を思わせる笑顔の裏で、サルシェンはまだ色々のことを深く悔やんでいるらしい。


「……そんな意味で言ったのではありませんよ、母様」


 やわく微笑してささやいて、母神のほおへ口づける。そっと目を拭ったサルシェンが、あまりにも分かりやすく話題を変える。


「……ああ、そうだルシフェル! さっきミカエルがここに来てはいなんだか? 何だかわあわあ騒ぎながら飛んでったやつ、あれはミカエルだったような……」

「あ、それ絶対にミカエルですね。ついさっき『おめでた』のこと、口にしちゃったものですから……」

「おめでた? い、イエスがか!? そうか、イエスとミカエルの……っ!」


 サルシェンがぱっと弾けるような笑顔になって、わくわく両の手を握りしめる。


「――そうか、それでミカエルはあんなにおかしゅうなっていたのか! ようし、それならばあいつらを存分にからかいに……いやいや、お祝いを言いにいってやろうぞっ!」


 初代の神は十二枚の翼を広げ、ミカエルのもとへ飛び去った。


 花園にひとり残されて、ひとつため息がのどをこぼれる。ため息のゆくえを追うように、花の咲く地面に目を落とす。


 ……花咲く地面の底の底には『幸せの裏側』がひそんでいる。いまだ地獄にいる『悪役』たちは、永遠に舞台を出られずに、苦痛の海でおぼれている。


「……救うことが、出来るだろうか」

(いつか、全ての魂を)


 胸の内でつぶやいて、右の手でそっとこぶしを握る。その目の前がふうっとかすんで、不浄な霧が現れた。霧はふらふらと震え、歪み、懸命に何かの形をとろうとする。


 堕天前、あれほど憎んでいた『不浄なもの』。

 その霧に、ルシフェルはそっと手を伸ばす。大きな手のひらで、霧に触れ――優しいしぐさで、ぜてやる。


 殺す気などない。ただ、ただ、触れて、撫ぜてみたかった。


 霧は戸惑ったように揺らめいて、やがて自然に、満ちたりたように消えてゆく。ルシフェルの目に、そのさまは少し悲しく見えた。


 今は全てが美しく目に映る。

 綺麗なものも、きたないものも。

 善なるものも、不浄なものも……。


 ああ、これきり見回りはやめにしよう。

 ユダのところへ、皆のところへ、すぐに帰ろう。


 ルシフェルは内心でつぶやいて、青い花を一輪つみとる。花を手に十二枚の翼を広げ、大空へ白く飛び立った。


 ……妖精になったベリアルが、夢見るように微笑みながら、新たな神のあまけるのを眺めていた。


 そのいちご色のつぶらな瞳が、だんだん、潤んでにじんできた。……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ