第8話 依頼選びも、意外と奥が深い
冒険者ギルドを出た足で、まずは飯にありつくことにした。
大通りの適当な店で、パンとスープの定食を頼む。値段は600リル。焼きたてのパンと、野菜の煮込まれたスープ。空腹に染み渡る味に、思わず息が漏れた。
【所持金】5,000リル
朝を抜いて、午前中は工事現場で働き、そのあとクラフトまで試していたのだ。腹が減っていて当然だった。
今夜の宿代くらいは、もう手元にある。ここへ来る途中、武器屋の店先で目に入った短剣は20,000リルだった。その数字を思うと、まともな鉄製の武器はまだ随分遠い。
「……まあ、もう一件くらいやっておくか」
誰かに急かされたわけでもない、自分の判断だった。昨日までは、ただ生き延びるだけで精一杯だったのに、今日はもう、次にいくら稼ぐかまで考えている。
ギルドへ戻り、掲示板の前に立つ。
「倉庫の整理、2,500リル。半日、屋内作業」
「川辺の砂鉄拾い、3,000リル。川まで少し距離あり」
「伝令、農場まで、2,500リル。荷物の配達と受領確認まで」
他にも何枚か依頼票が貼られていたが、新人が受けられそうなものは限られている。見比べていると、少し離れた場所に、腰へ剣を下げた女が立っているのが目に入った。何枚も並ぶ依頼票の中から、一枚だけをじっと見つめている。
『森周辺、魔物の痕跡あり』
視線が、その一文からまるで動かない。険しい顔つきというわけでもないのに、やけに真剣な空気だけが伝わってくる。
(……なんだ、あの人。そこだけ読む時間長くないか?)
だが、話しかける理由もない。俺は自分の依頼選びへ意識を戻す。
「あの、薬草採取ってまた受けられますか?」
「今日はもう別の方が受けてしまってて、今出ている分はそれで終わりですね」
なるほど、同じ稼ぎ方を毎回繰り返せるわけではないらしい。昨日と同じ選択肢が、今日も当たり前に存在するとは限らない。楽な仕事から埋まっていくのは、どこの世界でも同じらしかった。
残った三枚を見比べる。どれも一長一短に見えるが、依頼票に書かれている情報だけでは決め手に欠けた。
「ここで考えてても仕方ないし、ちょっとだけ聞いてみるか」
依頼票を手に、受付のカウンターへ向かった。
「農場までって、ここからどれくらいですか?」
「歩いて一時間くらいですね」
「道は安全ですか?」
「森沿いを通りますが、普段は比較的穏やかですよ」
「荷物以外に必要な物はありますか?」
「特には。一か所だけ分岐がありますので、そこだけ気をつけてください」
聞いた内容を頭の中で整理する。少なくとも、依頼票だけを眺めていた時よりは、ずっと仕事の中身が見えてきた。
「……ずいぶん細かく確認するんですね」
受付の女性が、少し苦笑しながらそう言った。
「知らない仕事なのに、条件も聞かずに受ける方が怖くないですか?」
そう返すと、女性は少し意外そうな顔をしてから、納得したように頷いた。
倉庫整理は安全だが報酬が控えめ、砂鉄拾いは移動と採取に時間がかかる。伝令は往復二時間ほどで、道も比較的穏やか。三つを並べてみれば、悪くない選択に思えた。
ゲームならクエスト画面に難易度くらい出るものだが、この依頼票には最低限のことしか書かれていない。報酬だけ見ても、割のいい仕事かどうかは分からない。自分で聞いて埋めるしかない。
「これにします」
伝令の依頼票を差し出す。受注欄に署名すると、受付から布に包まれた小さな荷物を渡された。持ち上げると、ことりと中で小さな音が鳴る。依頼票には「壊れ物注意」とある。
「割ったら弁償ですか?」
「故意や、明らかな不注意でなければ大丈夫ですよ」
その一言に、少しだけ肩の力が抜けた。壊したら即ペナルティ、なんてゲームみたいな扱いではないらしい。
ギルドを出て、教えられた通りに街道を進む。人通りが減ったところで、手の中の荷物を見下ろした。
ギルド内では人目もあるので、普通に抱えたまま出てきた。だが、往来を歩くうちに、ふと引っかかるものがあった。
「……これ、持って歩く必要ないよな」
インベントリへ収納してみる。すっと収まった。工事現場で資材を運んだ時と同じ感覚だ。
「こういう時のためのインベントリだ」
ついでに、インベントリの中身を確認する。自分の手とクラフトで作った【木製短槍(簡易)】が二本、並んでいた。一本を取り出し、手に持つ。もう一本は予備としてそのまま残しておく。
「……まあ、持ってるに越したことはないか」
まだ槍の扱いなんて習っていない。構えたところで様になるはずもない。鉄の穂先もない、ただの木の棒だ。それでも、何も持たずに歩くよりはましだった。
道の両側には畑が広がっていた。青々とした葉が整然と並び、牛によく似た、角の形だけ微妙に違う生き物が、のんびりと畑の脇を歩いている。遠くで、誰かが家畜に声をかける呑気な声が聞こえてくる。
異世界に来てから、こういう何気ない生活風景を眺める余裕はあまりなかった。転移してすぐ死んで、神様と揉めて、能力をもらって、またこの世界に放り込まれて。気づけば街とギルドと依頼のことばかり考えていた。
「……こういうのを、想像してたんだよな」
全裸で森に放り出されて即死する未来ではなく、こういう、のどかな街道を歩く未来を。
森の縁を歩くこの道は、今のところ静かなものだった。街の喧騒が遠ざかり、周囲に木々が増えていく。時折、鳥の声や、風に揺れる葉音が聞こえるだけだ。
しばらく歩くと、街道が二手に分かれる場所に差し掛かった。
「これが言ってた分岐か」
教えられた通り、小道の方へ足を向ける。聞いていた情報と、目の前の景色が一致している。それだけで、少しだけ安心できた。
依頼品はインベントリの中。手には自分で作った短槍。行き先も、道も、危険度も事前に確認した。
昨日までの自分を思えば、少しは冒険者らしくなってきた……と思いたい。
木漏れ日の差し込む小道を、虫の羽音と葉擦れの音を聞きながら進んでいく。
受付では、比較的穏やかな道だと言っていた。
だから、最初は風だと思った。
ガサッ。
右手の茂みが、もう一度揺れた。
今度は、明らかに風じゃない。
俺は足を止め、手にしていた短槍を握り直した。
「……比較的、穏やかじゃなかったのかよ」




