第6話 初報酬、思ったより残らない
ギルドを出た頃には、空がすっかり橙色に染まっていた。
念のため、インベントリの所持金欄を確認してみる。
【所持金】4,500リル
これで今夜をどう乗り切るか、真剣に考える必要がありそうだった。
「……食事か、宿か、それとも装備か」
いや、そもそも4,500リルで何ができるのかすら分からない。まずは相場を知るところからだ。
三択のようで、実質は二択だった。まず食事と寝床を確保するまでは、装備は後回しだ。
腹はとっくに限界を訴えている。だが、屋根のない場所で夜を明かすのも御免だった。あの理不尽な死に方をした夜のことを思い出すだけで、もう二度と外で無防備に眠りたくない。
結論は、割とすぐに出た。
「4,500リルあるし、まあ何とかなるだろ」
大通りの屋台で、串焼きを一本買う。見たことのない肉と野菜だが、匂いは悪くない。
「これ、何の肉ですか?」
「山鳥だよ、兄さん。一本400リルだ」
所持金から、大銅貨を一枚取り出して渡す。
「まいどあり!」
店主が釣りとして返してくれた、銅貨一枚を受け取る。
「銅貨一枚は……100リルか」
差額から逆算して、また一つこの世界の貨幣感覚が身についた。異世界に来て初めて、自分の稼いだ金で何かを買った瞬間だった。
「……いただきます」
齧りついた瞬間、思わず声が漏れた。
「うまっ」
塩気の効いた肉汁と、香ばしい焦げ目。異世界の食文化を舐めていた。牛丼にも負けず劣らず、いや素直に美味い。もっとも、今の空腹を考えれば、多少のことは何を食べても美味く感じるのかもしれないが。
もう一本追加しようか迷ったが、財布の中身を思い出して踏みとどまる。ここで浮かれて散財するほど、今の俺は余裕のある身分じゃない。ぐっと堪えて、串を大事に食べ進めることにした。
串を片手に、通りの喧騒をぼんやり眺める。異世界に来て、まだ一日も経っていない。それなのに、この光景にはもう不思議と馴染み始めている自分がいた。
串を齧りながら、ふとインベントリを開く。
【石】
【木の実】
【石】
【枝】
【見知らぬ草】
……
【枯れ枝】
【枯れ枝】
【枯れ枝】
……
【木の実の殻(油入り)】
【木の実の殻】
【薬草の軟膏(簡易)】
【薬草】
【薬草】
【薬草】
……
【薬草の軟膏(簡易)】
……
【石】
【脂っぽい実】
……
「……増えたな」
薬草は依頼分と実験分を除いて十五本ほど。軟膏も、手作りとクラフトの二個。まだ困るほどじゃないが、雑多な拾い物まで含めると、ずいぶんごちゃごちゃしてきた。
まだ使い道が見えていないだけで、無駄なわけではない――そう思いたい。今のところ、インベントリの中身だけ見れば、完全にサバイバルクラフトゲーム初心者のそれだ。試しにクラフト欄も開いてみるが、登録されているのは【薬草の軟膏(簡易)】だけだった。
「まあ、いつか使うだろ、たぶん」
自分に言い聞かせながら、串を食べ終える。
安宿の受付で身分証を求められ、俺は今日ギルドでもらったばかりの登録証を首から外して差し出した。
「冒険者ギルドの登録証か。なら問題ない」
受付の老人は金属板を一瞥すると、あっさりそう言って頷いた。ギルド登録証が、この世界における最低限の身分証明として本当に機能するらしい。もらったばかりの登録証が、こんなに早く役立つとは思わなかった。
「素泊まり一泊で、2,500リル。朝までだ」
銀貨を三枚取り出して渡すと、大銅貨一枚が釣りとして返ってきた。釣りの大銅貨も、屋台でもらった銅貨と一緒にしまっておく。差し出された鍵と引き換えに、残金は銀貨一枚、大銅貨一枚、それに銅貨一枚。合わせて1,600リル。朝飯くらいは食えるだろうが、その先を考えるとかなり心細い額だった。
「……思ったより残らないな」
「あの、この辺りで新人向けの依頼って、他にも色々あるんですか」
「ギルドの掲示板を見ればわかるだろうよ。採取以外にも、雑用やら伝令やら、色々あるさ」
愛想はないが、答えてはくれる。
「……まあ、明日また稼げばいいか」
案内された部屋は、狭く、簡素なベッドがあるだけの空間だった。それでも、屋根と壁がある。それだけで、今日の俺には十分すぎるくらいだった。窓の隙間から、街の喧騒が遠く小さく聞こえてくる。
ベッドに腰掛け、自分の手のひらを見る。薬草を摘み続けた掌には、細かな擦り傷が幾つかできていた。26歳の体になっても、慣れない作業で手が荒れるのは変わらないらしい。
「……そういえば」
インベントリから、あの軟膏を取り出す。
【薬草の軟膏(簡易)】
初めて自分の手で作った、記念すべき第一号。使うのは少しもったいない気もしたが、こういうときに使わなければ意味がない。せっかく作ったものを、意味もなく後生大事に持ち続けるのも本末転倒だ。
指先に少量取り、掌の擦り傷へ塗ってみる。ひんやりとした感触と、薬草特有の青臭い匂いが広がった。殻の中には、まだ軟膏が残っている。
「……お」
じんわりと、傷の痛みが和らいでいく感覚がある。だが、劇的に何かが変わるわけではない。傷が瞬時に塞がるとか、疲労が全回復するとか、そういうゲームじみた効果はなかった。
しばらく様子を見てみる。もちろん傷が目に見えて塞がるようなことはない。それでも、ひりつくような痛みは少し和らいでいた。
「……まあ、そりゃそうだよな」
少し笑ってしまう。最初から万能薬みたいなものを期待していたわけではないが、心のどこかで、多少はそういう期待もあったのだと思う。ゲームの回復アイテムみたいな効果を、どこかで期待していたのかもしれない。
この程度の擦り傷なら、痛みを和らげるくらいの効果はあるらしい。大怪我や病気にどこまで通用するのかは分からないが、今日のような小さな傷には十分だった。派手さはないが、それでも「効いている」という実感は確かにあった。
軟膏一つに、ここまで安心することになるとは。
「効果は地味。でも、ちゃんと役に立つ、と」
残った軟膏を、殻ごとインベントリへ戻しておく。
派手な武器や魔法ではなく、こういう地道な積み重ねも、悪くない。
窓の外はすっかり暗くなっていた。硬貨は残りわずかで、明日にはまた仕事を探さなければならない。
【所持金】1,600リル
さっきまで気になっていた手のひらのひりつきも、だいぶましになっていた。
インベントリの中の石や枯れ枝を、もう一度眺める。何に使えるのか、まだ分からない。木の実も、拾ってからずっと出番を待ったままだ。だが、分からないからこそ、明日もまた試してみたくなる。焦って無理に用途をこじつける必要もない。使えるものがあれば、そのうち分かるだろう。
それより今は、明日の依頼をどうするかだ。今日と同じ採取にするか、それとも別の仕事に挑戦するか。宿の主人が言っていた通り、採取以外にも雑用や伝令なんかがあるらしい。
「……明日、ギルドで聞いてみるか」
今日と同じ採取でもいいし、別の仕事でもいい。ただ、どうせなら――まだやったことのないことを試してみたい。
そう考えながら、俺はベッドへ横になった。




