第4話 今度こそ、ちゃんと異世界
光が消える。
恐る恐る、目を開けた。
「……ある」
服が、ある。
「服がある……!」
全裸で死んで、全裸で神様と対面して、ずっと続いていた羞恥心との戦いが、ようやく終わりを迎えた瞬間だった。着ているのは飾り気のない麻のシャツとズボンだが、この際デザインなど贅沢は言わない。
次に、周囲を見回す。
夜の森ではなかった。明るい日差し。整えられた街道。遠くに、城壁らしきものと建物の屋根が見える。空気は澄んでいて、どこかで鳥の鳴く声がした。
「……神様、やればできるじゃん」
これまでとの落差に、苦笑まじりの声が漏れた。少なくとも今回は、開始三分で巨大な化け物に殺される心配はなさそうだった。
自分の体にも軽く目をやる。腕、足。心なしか体が軽い。
「12歳若返る……か」
感慨深げに呟いてみたものの、正直そこまでの実感はない。それより、今この状況の方がずっと気になる。指を軽く握ったり開いたりしてみるが、劇的な違いは感じられない。多少身軽になった程度で、超人的な力が漲っている、というわけでもなさそうだった。
「今度こそ、本当に来たんだな」
誰もいない街道で、俺は一人で頷いた。
落ち着いたところで、さっそく試してみたいことがあった。
「――ゲームシステム、オープン」
口に出した瞬間、視界の端に半透明の表示が浮かび上がった。
【インベントリ】
【クラフト】
【???】
【所持金】0
「おお……! マジで出た!」
ここまでかけて手に入れたものが、本当に目の前にあるという実感が、じわじわと湧いてくる。
インベントリの表示に触れてみると、当然、中身は空っぽだった。クラフトの一覧にも何もない。
「……なるほど。本当にゼロからってわけか。よし、まずは――」
浮かれたのも束の間、俺は自分の状況を思い出す。
「現在位置の確認だな」
喜ぶのは後回しにして、俺は表示を消し、改めて周囲を確認する。
「マップとか出ないよな、さすがに」
試しに「マップ」と念じてみるが、何も反応はない。
「……さすがに、そこまで親切じゃないか」
道端に転がっている石が目に留まる。拾い上げ、インベントリへ入れてみる。
すっと抵抗なく収納された。
「……お、普通に入る」
石が入るなら、と近くに落ちていた小さな木の実も拾って入れてみる。こちらも問題なく収納された。
どうせなら、と俺はクラフトの欄を開いてみる。
何も表示されない。
【登録レシピ:0】
「……あれ、出ないのか」
石が入ったなら、これで何かレシピの一つも出るかと思ったが、そう甘くはないらしい。
「素材を拾っただけじゃ、何も出ないってことか……?」
理由はさっぱり分からない。何か足りないのか、それとも別のやり方があるのか。
「レシピってどうやって増えるんだ、これ」
考えたところで答えは出ない。ゲームシステムを持ってるのは俺だけだ。世界そのものまでゲームになったわけじゃない。
何がクラフトの条件になるのか、早く試したい衝動に駆られるが、今はそれどころではない。
ふと、さっきの表示が頭をよぎる。
「そういや、【所持金】0って出てたな……」
ゲームシステムはある。しかし財布はない。当然、金もない。表示された数字を、今さらのように実感する。
「ゲームシステムはある。でも金はない、と」
考えてみれば、食料も宿もない。この世界の常識も分からない。ゲームなら初期装備くらい支給されるものだが、そういう甘えは通用しないらしい。
「まぁ、ゲームでも最初はこんなもんか」
どうせ収納できるなら、と石もそのままインベントリに残しておくことにした。持っていても重さを感じないなら、今のところ捨てる理由もない。
歩き出してすぐ、また目についた。
道端に落ちている、さっきの石より一回り大きな石。反射的に拾ってインベントリへ入れる。
少し先には、手頃な太さの枝。これも収納。
膝丈ほどの見覚えのない草が茂っているのに気づき、しゃがんで数本引き抜いてこれも収納。
「……いや、待て。何やってるんだ俺。街へ向かうんじゃなかったのか」
我に返って、自分の行動に少し呆れる。だが、止まらなかった。
考えてみれば、ゲームをやっていた頃から変わらない癖だった。フィールドに落ちている採取物は、使い道が分からなくても、とりあえず拾っておく。あとで「あの時拾っておけばよかった」となるのが、何より嫌なタイプだった。
「今の俺、リアルにそれをやってるんだよな……」
重さも感じないし、今のところ拒否される気配もない。容量ゲージらしき表示も見当たらない。
「……このまま本当に上限がなかったら、控えめに言って最高なんだけどな」
これまで散々「持てる数が少なくて泣く泣く売った」だの「あの素材を残しておけばよかった」だのを経験してきた身としては、そうであってほしいと本気で思う。
調子に乗って、道中で目についた石や枝や草を、片っ端から拾ってはインベントリへ放り込んでいく。ちぎれた蔓、色の違う小石、ちょっと変わった形の木の実。使い道なんて、この際考えない。
ただ、インベントリの中身を確認して、俺は少しだけ違和感を覚えた。
【石】
【木の実】
【石】
【枝】
【見知らぬ草】
……
……同じ「石」のはずなのに、一つ一つ別々に並んでいる。まとまる気配がない。
「あれ、これスタックしないのか」
まだ上限らしきものが見当たらないと喜んだ直後だけに、地味にがっかりする発見だった。
「見た目が違うから、別扱いなのか……? それとも、そういう仕様なのか」
考えても分かるはずもない。
「まあ、今はまだ数も少ないし、いいか」
インベントリを閉じ、今度こそ寄り道を切り上げて街へ向かう。
歩くこと、しばらく。
街の全貌が見えてきた瞬間、俺は思わず足を止めた。
石造りの城壁。木組みの家々。門の前には槍を持った衛兵が立ち、荷馬車が列を作って出入りしている。行き交う人々の服装は、現代日本のそれとはまるで違う。露店から漂う、香辛料らしき匂い。誰かが呼び込みをする声。荷車の車輪が石畳を鳴らす音。
「……本当に、異世界なんだ」
ラノベで何度も読んできた光景のはずなのに、実際に目の当たりにすると、言葉が詰まった。
門にたどり着くと、衛兵の一人が声をかけてくる。
「見ない顔だな。どこから来た」
「ええと……少し遠くから。この街に来るのは初めてです」
嘘はつかない。ただ、必要なところだけをぼかす。
「初めてか。ここはハルムだ。まあ、迷ったら誰にでも聞け」
ハルム。それが、この街の名前らしい。頭の中に刻みつけておく。
(言葉、通じるんだな)
神様の転生処理か何かは知らないが、その辺りはちゃんとしているらしい。あれだけ手違いを連発しておいて、地味なところだけ妙にしっかりしているのが、逆に腹立たしくもある。
「身元を証明するものは?」
「持っていないんです。こういう場合、どうすれば?」
開き直って正直に聞いてみる。下手に取り繕うより、よほど楽だった。
「よくある話だ。身分証がないなら、冒険者ギルドへ行け。あそこなら身元不明でも仕事に就ける」
「――冒険者ギルド」
その単語を聞いた瞬間、身を乗り出していた。
「何ランクから始まるんですか?」
「……ランク?」
アイテムを作る前に、不審者がクラフトされていたようだ。
「いや、ほら。最初はFとかEとか……」
「そんなもん、直接行って聞けばいいだろうが。ギルドは大通り沿いにある」
「……ですよね」
浮かれすぎたのを取り繕うように会釈し、俺は逃げるようにその場を離れた。
やがて、木製の看板が見えてくる。剣と盾が交差した意匠。中からは、鎧姿の男や、腰に短剣を差した女など、いかにも「それらしい」人々の話し声が漏れていた。
「本物だ……」
落ち着け、と自分に言い聞かせるが、口元が緩んでいるのが自分でも分かった。
扉の前で、俺は一つ息を吐く。
「……さて。まずは、この世界で生きていく方法を覚えないとな」
持っているのは、よく分からないゲームシステムと、金になるかも分からない石や枝や草の山。
「ゲーム序盤のインベントリみたいだ……」
しかも一つ一つバラバラに並んでいるあたり、ちょっとしたゴミ拾いの成果にしか見えない。
「まあいい。中身はどうあれ、ゼロよりはマシだ」
俺は扉に手をかけ、押し開けた。




