第25話 拾ったキューブは、桁がおかしい
ハルムへ戻る頃には、日はすっかり傾いていた。
肩と腰には、まだ鈍い痛みが残っている。ミグレナも、いつもより口数が少ない。連戦の疲れは、彼女にも確かにあるらしい。街道を歩きながら、二人とも無言の時間が長かった。
ギルドの扉を開ける。見慣れたはずの光景が、今日はやけに落ち着いて見えた。
「戻りました」
「お帰りなさい。依頼の方はどうでしたか?」
「光ゴケ、必要数揃ってます」
採取袋から取り出し、カウンターへ並べる。受付が数を数え、頷いた。
「確認しました。Dランク依頼、達成です」
報酬は24,000リル。折半して、俺の取り分は12,000リル。
(これで、とりあえず依頼そのものは成功か)
小さな達成感が、じわりと胸に広がる。正式パーティーとして初めて受けたDランク依頼を、ちゃんと終わらせられた。
「それと、報告したいことがいくつか」
「はい」
受付はまだ、いつもの事務的な笑顔を保っていた。
「進んだ先で、床が抜けまして」
「はい? 床が?」
「はい。その下に、部屋がありました。人の手で作られた感じの、古い部屋です。誰も入った跡がなくて」
受付は、半信半疑という顔をしていた。ただの採取依頼の報告にしては、話の規模がおかしい。
「あと、石でできた人型の……何かがいました。斬っても崩れても、床から光が走って、また元通りになるんです」
「……魔物、ですか?」
「分かりません。ミグレナさんも、知っている魔物の動きじゃないと」
受付の表情が、目に見えて変わっていく。愛想笑いが、少しずつ消えていった。
「少々お待ちを」
呼ばれて出てきたのは、鑑定担当らしき年配の男だった。詳しく話を聞かれ、俺はインベントリから結晶片を取り出す。
男の目つきが、露骨に変わった。手のひらの上で結晶片を傾け、光にかざしながら、何度も角度を変えて確認している。
「……これは、想像より質のいい魔力結晶ですね。純度も硬度もかなり高い。魔道具の素材として需要があります」
「あの、この結晶……全部売らずに、三分の一くらい残してもいいですか?」
「何に使う」
「加工したら何ができるのか、一度自分で試してみたくて」
何が作れるかも、うまく加工できるのかも、正直まだ分かっていない。
「用途は?」
「分からないから、試したいんです」
「三分の一か」
ミグレナが短く繰り返す。
「残りは売るんだな」
「はい」
「それで査定額に問題がないなら構わない」
共同の成果だ。勝手に全部を差し出すわけにも、勝手に全部残すわけにもいかない。頷き合って、鑑定担当へ向き直る。
「では、残りの分だけを買い取り対象として計算します」
男が奥へ確認に行っている間に、別の職員が地図を広げていた。
「床が抜けた場所、詳しくお聞きしてもいいですか」
通ってきた分岐や、マーキング杭を置いた位置を思い出しながら答える。職員はそれを地図へ書き込みながら、時折短く相槌を打った。
「後日、調査を入れることになると思います。しばらくは、あの区画への注意喚起も必要でしょうね」
ギルドが単なる査定で終わらせる話じゃなくなっていることが、その動き方だけで伝わってきた。
しばらくして、鑑定担当が戻ってくる。
「依頼報酬、結晶の買い取り、未確認区画の発見報奨まで合わせますと、お二人で40万リルになります」
「……桁、合ってます?」
「合っています」
先ほどの12,000リルも込みで、俺の取り分は20万リル。今朝までの400リルを思うと、感覚がついていかない。
「宿代と飯代に怯えなくていい……」
声が震えた。実感が追いつかないまま、インベントリを開いて所持金を確認する。
【所持金】200,400リル
働かなくていいわけじゃない。だが、当分は数字を気にせず飯が食える。この世界に来た初日に、宿代を払って残金を気にしていた頃からすれば、随分遠くまで来たものだ。
手元に残った結晶は、まだ十分な量があった。何に使えるかは分からないが、しばらくは試すのに困らなさそうだった。
「あと、これも」
インベントリから、あのキューブを取り出す。
カウンターの上に置かれた立方体を見て、鑑定担当の空気が、明らかに変わった。手袋越しに、慎重な手つきで持ち上げる。
「……この加工精度は、私の知る現代の技術では再現が難しい。古代遺物の可能性があります」
「古代遺物?」
「可能性が高い、というだけです。どの文明のものか、用途が何かまでは、こちらでは判断できません」
しばらく調べたあと、男は静かに言った。
「正確な値段は付けられません。市場に出た例が少なすぎるんです。ただ、過去の類似品からすると、1,000万リル級になる可能性はあります。本当の価値を知りたいなら、王都の専門機関か競売へ持ち込む必要があるでしょう」
「……はい?」
(今朝まで全財産400リルだった人間に聞かせる数字じゃない)
(これ、売れば……)
頭の隅を、その一言がよぎる。今の所持金でも当面は困らない。用途も正体も分からないままの物を手放していいのか、迷いが先に立った。
「どうします……?」
「お前は?」
「今の稼ぎだけでも、しばらくは十分やっていけますし。正体も分からないまま手放すのは、もったいないですね」
「私も同意見だ。もう一度出会える保証もない」
二人とも、すでに十分すぎる額を手にしている。無理に急いで手放す理由は、どこにもなかった。
「一度手放したら、二度と戻ってこないですし」
それに、と思う。ゲームなら序盤で手放した用途不明のレアアイテムほど、後になって欲しくなるものだ。判断の材料の一つには、なった。
二人の意見は、あっさり一致した。
「とっておこう」
「賛成です」
キューブは、引き続き俺のインベントリで保管することになった。二人の共同資産だ。
「――もう少し詳しく見るなら、魔力そのものを細かく見られる者が必要ですね」
「そんな人、いるんですか」
「職員ではありませんが、こういう時に協力を頼んでいる冒険者がいます」
鑑定担当がそう言うと、しばらくして、一人の女性がギルドへ入ってきた。
肩の少し下まで伸びた青灰色の髪を、片側で緩くまとめている。丸い眼鏡の奥の目は柔らかい。
丈の長い上着に、腰にはいくつかの小袋。魔法使いというより、野外での調査に慣れた研究者、という印象の服装だった。
手のひらの上には、淡い光を帯びた魔力の粒がいくつも浮かんでいた。それぞれが別々の軌道を描きながら、ゆっくりと回っている。一つとして動きに乱れがない。
「ネリオラさん、急にすみません」
「いえいえ~。今日は近くにいましたから」
(……すごい)
器用さの次元が違う。ミグレナも、剣とは違う感心の目でそれを見ていた。
軽く一礼して名乗る。柔らかい声だった。
「初めまして。鑑定の手伝いを頼まれました、ネリオラです」
ネリオラがキューブへ手をかざす。
浮かんでいた魔力の粒が軌道を変え、立方体の周囲へ散っていった。表面を探るように動く光を、ネリオラの目がじっと追っている。
沈黙が続いた。誰も口を挟めない空気だった。
「――これ、私にも分かりません」
言い切ったあと、彼女は少し嬉しそうに笑った。
「面白いものを見せてもらいました」
そう言うと、キューブへ顔を近づけ、こつん、と額を当てた。
「……何してるんです?」
「これで、魔力の流れが直接感じ取れるんです。私なりの方法で」
「そういうものなんですか?」
「普通の人は、しないでしょうねぇ」
鑑定担当もミグレナも、揃って微妙な顔をしている。少なくとも、一般的なやり方ではなさそうだった。
ネリオラは額を離すと、キューブをもう一度いろんな角度から眺めた。手のひらの光もまだ消えていない。それから、床が抜けたという話にまで興味を示し始めた。
「その部屋、他には何かありました? 通路の構造は?」
分からなかったはずなのに、その顔はどこか楽しそうだった。




