第2話 神様、仕事が雑すぎる
気づくと、真っ白な空間に立っていた。
床も壁も天井もない。ただひたすら白い、何もない場所。さっきまでの、月明かりに照らされた森とはまるで違う。
「……あれ、俺、生きてる……?」
恐る恐る自分の体を見下ろす。傷ひとつない。痛みもない。それどころか、まだ服もない。
「……おいおい、そこは持ち越すのかよ」
全裸のまま、真っ白な空間に立ち尽くしている。死んだ時の格好だけは、律儀に引き継がれたらしい。
「せめてそこだけリセットしてくれてもよくないか……?」
とりあえず、誰が見ているかも分からないので前だけは隠しておく。
白い空間に向かって一人で叫んでいると、目の前の空間がふわりと歪み、光の中から人影が現れた。
白い髪、白いローブ、整いすぎた顔立ち。いかにも「それっぽい」神々しさをまとった存在。威厳たっぷりの佇まいだった。後光まで差している気がするが、これは演出なのか本物なのか判断がつかない。
『ようこそ。私は、あなたが先ほど送られた世界を含む、いくつかの世界を管理する者――まあ、いわゆる神様というやつです』
「……神様」
その一言で、頭の中の引き出しが勝手に開く。死後の世界。神様。異世界転生。散々読んできたラノベの導入そのものだ。
だが、俺はそう簡単にテンションを上げるタイプではない。
「いや、待て。俺、死んだの?」
神様は、ほんの一瞬だけ目を泳がせた。
『……はい。あなたは、亡くなりました』
脳裏に、月明かりの下で自分を見下ろしていた漆黒の巨躯がよみがえる。
「ああ……やっぱり俺、死んだのか」
妙に納得している自分がいた。あんな理不尽な化け物に遭遇して、無事で済むわけがない。
「でも、あんなの普通に無理だろ。装備も何もなかったんだぞ。しかも全裸で」
『……本当に、申し訳ございません』
神様は美しい所作で、深々と頭を下げた。神様が頭を下げる光景というのは、なかなか見られるものではない。少しだけ、溜飲が下がる気がした。少しだけだが。
『実は、今回の件は――私の手違いでして』
「……手違い?」
サラリーマン生活で散々目にしてきた「すみません、実は手違いでして」という報告を思い出す。あの報告を受けるといつも胃が痛くなったものだが、今回はどうやら自分自身がその手違いの被害者らしい。
『本来、あの世界へ転移させる予定だったのは……あなたではなく、別の方だったのです』
「……は?」
『転移対象の確認・照合作業を誤りまして……本来の方ではなく、あなたを転移対象として処理してしまいました』
「……つまり俺、他の奴と間違えられて死んだの?」
『……はい』
ここまで来て、俺の中で何かがぷつりと切れる音がした。
「ふざけんなーーーっ!!」
白い空間に、声が吸い込まれていく。反響のない声は、やけに頼りなく感じられた。
「俺、普通に生きてたんだぞ! 仕事終わって、飯食って、風呂入って、これからゲームやろうとしてたんだぞ! 積んでたラノベも読みたかったし、楽しみにしてたゲームだって結局一秒も遊べなかったんだぞ! それを、手違いで殺されたって、そんな理不尽あるかよ!」
言い始めたら止まらなかった。38年分の人生を「人違いでした」で片づけられて、納得できるわけがない。
「明日は休みで、久しぶりにゆっくり寝るつもりだったし、冷蔵庫にはコンビニで買った限定のプリンだって入ってたんだぞ! あれ、生クリームかけて食べようと思ってたのに!」
『……プリン』
神様が、なぜかそこだけ神妙な顔で復唱する。
「そう、プリンだよ! プリン! 人が積み上げてきた、ささやかな楽しみの数々を、お前の手違い一つで全部台無しにしやがって!」
ゲームもラノベも、休日もプリンも、全部まとめてなくなった。他人から見ればどうでもいいことでも、俺にとってはちゃんと楽しみにしていた人生の一部だ。
『……返す言葉もありません』
「で、俺が転移させられた場所も、あんな化け物がいるような危険な場所だったわけだけど。それも手違いなのか?」
『……そちらについても、本来お送りする予定の座標とは異なる地点へ、誤って転移させてしまったようでして』
「人違いだけじゃなくて、場所まで間違えたのかよ」
『……はい』
「原因は分かってるのか? なんであんな場所に、あんなでかい化け物がいたんだよ」
『それについては……現在、調査中です』
「お前、神様だろ。原因分かってないの?」
『現在、調査中です』
「上司を呼べ! 上司を!」
人を間違え、場所も間違え、化け物については調査中。まさか本当に口に出す日が来るとは思わなかった。
『誤解のないように申し上げますと、あなたの肉体と魂の状態については正確に把握しております。肉体は完全に死亡していますが、魂に損傷はありません。転生そのものに問題はない状態です』
「……そこまで分かるのか」
『魂の状態を見極めるのは、神としての基本業務ですから。転生に関しては十分な知識と経験があります』
「変なとこだけ自信満々だな……」
『ふふん。私は神ですから』
「だったら転移もちゃんとやれよ!」
神様はもう一度、深く頭を下げた。
『重ねてお詫び申し上げます。お詫びの印として、もう一度、命を差し上げたいと思っています。あなたが先ほど送られた、剣と魔法が存在する異世界に、今度こそきちんとした形で転生していただきます。新しい肉体は、26歳。若く健康な体をご用意いたします』
「26歳……なんで26歳なんだ?」
『若すぎても色々と不便でしょうし、30代では若返った実感が薄いかと思いまして』
「妙なところだけ配慮が細かいな」
38から26。12年分若返る。悪い話ではない。というか、普通ならかなり魅力的な条件だ。
「待て。元の世界には戻れないのか?」
『申し訳ありません。一度完全に死亡した魂を、元の世界へ戻すこと自体が世界の規則上不可能なのです。そのため、元の世界で蘇生させることはできません』
少し考えて、俺は尋ねる。
「断ったら、どうなるんだ?」
『次の転生の機会が来るまで、この空間でお待ちいただくことになります』
「どれくらい?」
『それは何とも』
どれくらい待つかも分からないなら、答えは決まっている。死んだことにはまだ納得していない。けど、もう一度生きられるという話まで蹴るほど意地を張る気もなかった。
『さらに、あなたには特別な力を一つ授けようと考えています』
「特別な、力……」
思わず反応してしまった自分に、ちょっと悔しくなる。ここまで生きてきて、こういう決めのシーンで胸が高鳴るのを完全に抑え込める人間には、まだなれていないらしい。
「何でも、いいのか?」
『私に可能な範囲であれば』
最強の剣。無限の魔力。不死身の肉体。ゲームなら誰もが一度は夢見るような単語が、頭の中を次々によぎる。装備なし・スキルなしであんな化け物に殺された身としては、まず戦闘力を求めるのが自然だろう。
最強の剣をもらって、何でも一撃で倒せるようになる。それは確かに楽だろう。
でも、それじゃあゲームを攻略しているというより、最初からクリア済みのデータを渡されるようなものだ。
どうせもう一度あの世界で生きることになるなら、自分で試行錯誤できる方がいい。
だったら――。
「――なあ、神様」
『はい』
「ゲームみたいな能力って、作れる?」
神様は、綺麗な顔のまま、数秒間固まった。
『……はい?』




