第19話 間合いは、待ってくれない
新しい宿のベッドで目を覚ます。天井の木目が、昨日までの宿と少し違う。それだけのことに、まだ慣れていない自分に気づいた。
身支度をして部屋を出ると、廊下でちょうどミグレナと鉢合わせた。
「……おはようございます」
「ああ」
食堂でパンとスープを頼む。300リルほど。
【所持金】300リル
(……三食食うって決めた翌日に、もう財布が死にかけてるんだけど)
だが、飯を抜く選択肢は取らない。昨日決めたばかりのことを、二日目で早々に破るのは格好悪い。
「今日は依頼、受けるか」
掲示板を眺めながら聞かれる。
「昨日みたいな運搬、今日はないですね」
「毎日あるものではないと言われただろう」
「ですよねぇ……。じゃあ、昨日練習した槍も試したいですし、こっちにします」
肩は昨日よりかなりましだが、強く捻るとまだ少し痛む。無理をすればまた開くかもしれない。だから、いきなり無茶な相手は選ばない。ミグレナも、それを見越して低危険度の依頼を勧めているようだった。
ギルドの掲示板で、低危険度の討伐依頼を選ぶ。街道近くに出る、角を持った兎のような獣型の魔物――ワイルドホーンの討伐だという。
3頭以上討伐が条件で、依頼達成報酬が5,000リル。単独行動が基本で、大きさも中型犬より少し大きい程度。群れない分、対処しやすい相手らしい。今日の目当てにはちょうどいい。
依頼票を確認しながら聞かれる。
「これでいいか?」
「はい。ちょうど練習にもなりそうですし」
ミグレナとの共同受注として記録され、依頼報酬は二人で折半することにした。
現場へ向かう道すがら、昨日の練習を軽く思い返す。
(昨日よりはマシなはず)
根拠のない自信は持たないようにしている。だが、何もしていないよりはましだろう、という程度の期待はあった。
木立の向こうに、二頭のワイルドホーンがいた。茶色い毛並みに、頭から伸びる一本の角。互いに少し距離を取り、それぞれ別の場所を歩き回っている。見た目は大人しそうだが、油断はできない。
二頭とも、まだこちらには気づいていない。俺はまず、インベントリから短槍を取り出す。
握る位置は、思ったより自然に合った。槍先も大きく逸れない。構えるまでの時間も、昨日よりわずかに短い気がした。
(よし)
小さく手応えを感じる。地味な練習でも、ちゃんと体に残っているらしい。昨日の自分を思うと、それだけで少し嬉しかった。
ミグレナが一歩前へ出る。近い方の一頭がそちらへ顔を向けた。残った一頭が、俺へ角を向ける。
昨日覚えた間合いを頭に思い浮かべ、この距離まで詰めればいい、と踏み込む。
だが、相手は動く。近づいたと思えば横へずれ、詰めた分だけ下がる。距離が、まるで一定にならない。昨日の練習では、こんなことは一度も起きなかった。
「動いてるんですけど!」
「当たり前だろう」
「昨日、ここまで来れば届くって覚えたんですよ!」
「相手が同じ場所にいるとは限らない」
「正論すぎて、ぐうの音も出ない!」
当たり前のことを言われている気がして、余計に悔しい。いや、当たり前だった。
「それを昨日教えてほしかった!」
「聞かれなかった」
昨日の宿の話を思い出す。この人、なんでもそれで済ませる気がする。
視界の端では、ミグレナへ向かったもう一頭が、すでに地面へ倒れていた。早い。
無理に間合いを合わせようと突き出した一撃は、あっさり空を切った。逆に距離を詰められ、頭の角が脇腹すれすれを抜ける。
「――ッ」
横合いから、ミグレナの剣がすれ違いざまに獣の進路を逸らした。深追いはせず、あくまで俺を助ける最低限の一撃だった。
いったん距離を取り、乱れた呼吸を整える。肩の痛みも、じくりと戻ってきていた。
(違う)
昨日覚えたのは、自分の槍が届く距離だ。なら、俺がその距離を追いかける必要はない。相手が、そこへ入ってくる瞬間を見ればいい。
短槍を構え、追わずに待つ。
ワイルドホーンが、こちらの様子を窺うように距離を詰めてくる。
(まだ)
(まだ)
一歩。もう一歩。
我慢比べのような時間が、やけに長く感じられる。自分の間合いへ入った瞬間、短槍を突き出した。
浅い。急所には程遠い。だが、確かに刃が入り、獣の動きが目に見えて鈍った。
「――今のは」
「悪くない」
ミグレナが横から一言だけ告げると、動きの止まった獣へ、迷いなく剣を振り下ろした。
最後の一頭も、地に伏した。
「昨日よりはましだ」
「それ、褒めてます?」
「昨日よりは」
「基準が低い!」
文句を言いつつも、悪い気はしなかった。動いている相手に、一回はちゃんと届いた。それだけで、今日は十分だった。
倒れた二頭をインベントリへ収納する。取り出す動作も、収納する動作も、少しずつ体に馴染んできている気がした。完璧にはほど遠いが、昨日より確実に一歩は進んでいる。
その後、一頭を見つけて依頼条件の三頭を満たした。
帰路でもさらに三頭を見つけた。肩は痛むが悪化していない。肩の具合を確認すると、ミグレナから『無理なら止める』と言われたが、もう少しだけ実戦で間合いを確かめておきたかった。
一頭ごとに条件は少しずつ違う。距離、地形、相手の動き方――同じ戦い方が、そのまま通用するとは限らない。
追加で見つけた最初の一頭には、また槍を突くタイミングが早すぎて、傷が浅かった。
次の一頭では逆に待ちすぎて、突進を食らいそうになった。だが、最後の一頭を相手にした頃には、最初ほど無闇に距離を追いかけなくなっていた。
ワイルドホーンを順番にインベントリへ放り込んでいく。全てミグレナに助けてもらいながらの戦いだったが、そのうち二頭は最後まで自分の槍で仕留めることができた。残りはミグレナが倒した。
ハルムへ戻り、ギルドへ報告する。
死体は六頭分まとめてインベントリで運んできた。取り出しながら、誰がどれを仕留めたのか説明する。依頼報酬5,000リルを折半して、2,500リル。素材買取は一頭につき500リルで、自分が仕留めた二頭分で1,000リル。合わせて3,500リル。
【所持金】3,800リル
「Eランク相当の討伐、これで二件目ですね」
受付の言葉に、少しだけ実感が湧いた。まだ二件だが、ゼロと二では大違いだ。
「共同受注も増えてきましたね」
受付の女性が、記録を見ながら何気なく付け加えた。
昼はしっかり食べる。450リルほど。
【所持金】3,350リル
夕方には宿へ戻り、夕食も済ませた。600リルほどの、野菜多めの定食だった。
【所持金】2,750リル
宿代1,700リルを払う。
【所持金】1,050リル
(……食った)
(泊まった)
(なのに、昨日より金がある)
三食きっちり食べて、宿にもちゃんと泊まって、財布が増えていたのは、この世界に来て初めてだった。飯を削るんじゃなく、ちゃんと稼げばいい。昨日決めたことが、今日ようやく形になった。
部屋へ戻り、疲れた体をベッドへ沈める。昼間ギルドで見た依頼を思い出す。まとまった報酬、それなりの日数。今の自分たちには、まだ早いかもしれない。
(いつかはああいう依頼も受けられるようになるんだろうか)
低危険度のEランク依頼くらいなら、二人でそれなりに安定してこなせる。そんな手応えだけは、今日の分だけ確かに増えていた。
明日も一人で同じことができるとは思わない。ミグレナがいたから、危険な部分は任せられた。だが、昨日より確実に一歩は進んでいる。
そんなことを考えながら、目を閉じた。




