第18話 突けばいい、ってものでもないらしい
翌朝、宿を出ようとして、俺は自分の腹の虫に気づいた。
(……待て)
(俺、命懸けで魔物と戦ってるのに、飯まで削る必要あるか?)
思い返せば、ここ数日、まともに三食食べた記憶がない。昨日だって朝食は食べたが、その後は討伐へ出て、昼をまともに食べていない。腹が減れば力も入らないし、頭も回らない。
「……今日から、ちゃんと食おう」
屋台でパンとスープを買う。合わせて300リルほど。
【所持金】1,050リル
久しぶりにゆっくり食べた朝飯が、じんわりと染みた。
食べ終えてギルド前へ向かうと、ミグレナがいた。
「昨日の話なんですけど」
「槍か」
「見てもらえるって話、覚えてます?」
「ああ」
あっさり了承され、そのまま近くの空き地へ移動する。歩きながら、俺は少しだけ気を大きくしていた。ゲームでも槍は何度も使ったことがある武器だ。多少は感覚が生きるだろう、と。
「じゃあ、まあ、突けばいいんですよね」
短槍を構え、それらしく突いてみせる。
「遅い」
「一発目ですけど!?」
「足が止まっている」
「あ、はい」
「肩に力が入りすぎだ」
「はい……」
「戻すのが遅い。距離も近い」
「待って。そんなにダメ?」
「まだある」
「あるんだ……」
立て続けに指摘されて、逆に感心してしまう。ここまで見えるものなのか。
「じゃあ、どうやるんです?」
ミグレナが短槍を受け取り、一度だけ構えてみせる。
派手さはない。踏み込みは小さく、槍先はぶれず、突いた直後にはもう元の位置へ戻っている。それだけのことなのに、明らかに何かが違った。
「かっけぇ……」
「突いただけだ」
「俺もさっきそれやったつもりなんですけど?」
同じ動作のはずなのに、まるで別物に見えた。
「まず、距離を覚えろ」
力任せに突く前に、自分の槍がどこまで届くか、どこからなら相手に届くか、体で覚える方が先らしい。
地面に木の枝で線を引き、目印にする。
俺はこの距離なら届くだろうと踏み込む。届かない。
一歩詰める。今度は近すぎて、逆に懐へ入られる位置になる。
「……槍、思ったよりめんどくさいですね」
「武器に謝れ」
「槍って謝られる側なんですか?」
何度か繰り返すうち、少しずつ「届く」と「届かない」の境目が、ぼんやり見えてくる気がした。
「肩を庇っているな」
指摘されて気づく。無意識に、痛む側をかばう動きになっていたらしい。
「まだ完治してないんで」
「無理はするな」
少しだけ休みを挟みながら、練習を続けた。ゲームなら数値で表示されそうな距離感を、体で拾っていく作業は、地味だが嫌いじゃなかった。
休憩がてら、インベントリからの持ち出し方も試してみることにした。
どうせ実戦で使う動きなら、出すところから練習した方がいい。昨日、投擲石を投げた直後、空いた手へ短槍を取り出した時のことを思い出す。あの時はたまたま上手くいっただけで、意識してやろうとすると全然勝手が違った。
短槍を収納する。取り出す。構える。突く。
握る位置が微妙にずれる。出した瞬間、槍先が変な方向を向く。構え直すのに、余計な時間がかかる。
「何をしている?」
「出すところから練習してます」
「普通はそこから練習しない」
「俺の場合、そこも武器なんですよ」
ミグレナは少し考えるような顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
「そういえば」
休憩中、ふと思いついて聞いてみる。
「タスクボア相手なら、どこ狙うのがいいんです?」
ミグレナの目が光った気がした。
「狙う場所なら、いくつかある。正面からなら牙の下から胸元。横へ回れたなら、前脚の付け根より少し後ろだ。そこは比較的、深く刃が入りやすい」
「なるほど」
「ただし、首の可動域や牙の付き方で正面からの狙いやすさは変わる。突進する時の姿勢にも癖があるし、肩周りの筋肉の付き方にも個体差がある。横から狙う場合も――」
「急に喋りますね」
「聞いたのはお前だ」
そのまま説明は続く。牙の生え変わり時期による強度の違いという話まで出てきたあたりで、俺はさすがに口を挟んだ。
「いや、絶対途中から趣味入ってますよね?」
「重要だ」
「……もう槍の話じゃなくなってません?」
「重要だ」
「楽しそうだなぁ……」
否定はしないらしい。むしろ、なぜ今気づいたんだという顔をされた。
訓練を終える頃には、腹が盛大に鳴っていた。今日はちゃんと昼を食べる。ミグレナと連れ立って近くの食堂へ入り、豆と野菜を煮込んだスープにパンをつけてもらった。合わせて450リルほど。
【所持金】600リル
「飯食うだけで金が減る……」
「当たり前だ」
「この世界、現実が強いな……」
二人でテーブル席につき、スープにつけたパンを齧る。依頼でも戦闘でもない理由で、こうして一緒に飯を食うのは、思えば初めてだった。会話らしい会話をするわけでもなく、ただ黙々と食べているだけなのに、不思議と気まずくはなかった。
「そういえば、飯代より宿代の方がきついんですよね」
何気なくこぼすと、ミグレナが少し眉を寄せた。
「ん? まだあの宿に泊まっているのか?」
「……まだ?」
聞けば、俺が泊まっている宿は、短期滞在者向けの割高な宿らしい。長くいる冒険者は、別の宿を使うことが多いという。
「それ、もっと早く教えてくださいよ!」
「聞かれなかった」
「この人、正論で殴ってくる……」
悔しいが、反論できない。聞かなかった俺も悪い。それでも納得はいかなかった。
「私が泊まっている宿なら、空きがあるかもしれない」
「長期滞在用?」
「ああ。長くいる冒険者はそっちを使うことが多い」
これまで毎晩2,500リル払っていたことを思うと、目眩がしそうだった。
「同じ宿か……」
「何か問題があるのか」
「いや、朝の集合が楽になるなと思って」
「そうだな」
「そこは即答なんですね」
ミグレナは特に気にした様子もなく、次の話へ進んでいた。
午後、生活費の足しにと依頼を一件受けた。店の在庫を倉庫へ運び込むだけの仕事だ。木箱が十数個あり、本来なら何往復かする量だったが、インベントリを使えば数分で終わる。報酬は2,300リル。
【所持金】2,900リル
(……待てよ)
木箱十数個を入れても、特に問題はなかった。もっと大量の荷物でも、いけるんじゃないか。
(魔物と命懸けで戦って数千リル。運ぶだけなら危険もほぼなしで2,300リル……運搬だけしてた方が稼げるんじゃないか?)
報告のついでに、受付の女性へ聞いてみる。
「こういう運搬の仕事って、もっと大口のはないんですか?」
「大口ですか? 大商会同士の取引や、都市間の大量輸送なら存在しますけど、ああいうのは掲示板には出ません。長年付き合いのある運送業者か、信用のある方への直接契約がほとんどですね」
(なるほど、世の中そんなに甘くはないと)
「便利な収納を持っているのは分かっています。でも、大口の荷物となると話は別なんですよ。商人にとっては財産そのものですから、登録して間もない方へ全部預けるわけにはいきません」
(そりゃそうか。昨日今日現れた男に店の財産全部渡す商人がいたら、そっちの方が怖い)
「じゃあ、今日みたいな仕事を何件も受けるのは?」
「依頼があればできますよ。ただ、市内の荷運びなんて毎日都合よく何件も出るものではありません。荷物が動く時にしか仕事はありませんから」
運べる量と、預けてもらえる信用は、まったく別の話らしい。それに、荷物の重さは消せても、目的地まで歩く時間まで消えるわけじゃない。
(今すぐ大金持ち、ってわけにはいかないか。でも、信用さえ積めば使える稼ぎ方ではありそうだ)
「まあ、今は目の前の生活費か」
その足で、これまでの宿を引き払い、ミグレナの泊まる宿へ移った。
「荷物は?」
「これで全部です」
荷物は全部インベントリに入っている。両手は空いたままだ。宿の主人が一瞬怪訝な顔をしたが、それ以上は何も聞かれなかった。
新しい宿は、一泊1,700リル。
【所持金】1,200リル
部屋は少し狭く、設備も簡素だったが、長く過ごすには十分だった。
「安くなったのに、別に困らないな……」
これまでの2,500リルは、いったい何に対する上乗せだったんだろうと、今更ながら思う。
夕飯もちゃんと食べる。600リルほどの、少し肉が多めの定食を頼んだ。
【所持金】600リル
(飯を削るんじゃない。ちゃんと食って、それでも残るくらい稼げばいい)
節約のために腹を減らして戦うなんて、本末転倒だ。稼ぎ方を工夫すればいい話であって、我慢するところを間違えていた。
新しい部屋のベッドに横になる。
槍の練習をして、飯を食って、仕事をして、ついでに宿まで変わった。
(会社員の頃より、忙しくなってないか、俺……)
腹は満たされた。肩の傷も、昨日よりはましだ。槍はまだ全然使えない。宿代は下がった。
異世界生活は、もっと自由なものだと思っていたのだが。
「財布だけは――まあ、見なかったことにしよう」




