第16話 使えそうなものは、とりあえず入れておく
目が覚めると、まず肩が軽く疼いた。
昨日の傷はまだ完全には塞がっていない。だが、命に関わるような痛みではない。
巻かれた布を少しずらし、インベントリから以前作った軟膏を取り出す。殻の底には、まだ少しだけ残っていた。
傷口へ薄く塗ると、ひんやりとした感触が広がり、疼きがわずかに和らいだ。治るわけじゃないが、ないよりはずっといい。
昨日、初めて自分の手で魔物を倒した。だというのに、視界の端に光の演出も出なければ、体の奥から力が漲る感覚もない。
(……少なくとも、一頭倒しただけで目に見える変化はなかった、ってことか)
当たり前だ、と自分で自分に突っ込む。分かっていたことのはずなのに、心のどこかで少し期待していたらしい。
ベッドに腰掛けたまま、昨日のことを頭の中で整理する。
槍はまだ全然扱えていない。最初の突きは外した。石が効いたのは、ほとんど偶然だった。だが、その偶然のあと、相手はこちらの投げる動きを覚えた。こちらもインベントリで手札を切り替えた。最後は、相手自身の勢いまで利用して、ようやく倒せた。
どれか一つが特別優れていたわけじゃない。組み合わせが、たまたま噛み合っただけだ。
「……次も同じようにうまくいくとは限らないよな」
だとすれば、と考える。槍の練習はもちろん必要だ。それとは別に、使える物の種類を増やしておいた方が、自分には向いているんじゃないか。
石を何個も持てば勝てる、という単純な話でもないだろう。昨日だって、石は二回投げただけで警戒された。同じ手札ばかり増やしても、そのうち読まれる。必要なのは、投げられる物、音が出る物、匂いのある物、足を取れる物――使い道の違う手札だ。
もっとも、何が本当に役立つのかは、まだ何も分かっていない。完璧な装備リストなんて、この段階で作れるはずもない。とりあえず、目についた物を拾ってみる。それくらいから始めるしかなさそうだった。
着替えながら、もう一度肩の傷を確かめる。動かすとまだ鈍く痛むが、腕を上げ下げする分には支障がない。今日のところは、それで十分だった。
宿を出る前に、300リルで簡単な朝食を済ませる。
【所持金】50リル
「槍、高かったな……」
今日稼げなかったら、宿代すら怪しい。
ギルドに着くと、いつもの場所にミグレナがいた。
「何を見ている」
声をかけられて顔を上げる。どうやら俺は、掲示板を見るでもなく、入口脇に積まれた空箱や麻袋を眺めていたらしい。
「使えそうな物です」
「依頼ではなく?」
「昨日の反省ですよ」
「石を集めるのか?」
「石だけじゃないですよ。戦力を探してます」
「……空箱も?」
「使えるかもしれないでしょう」
「そうか」
「そこはもう少し疑ってくださいよ」
ミグレナは特に茶化す様子もなく、ふうん、とだけ言った。反応が薄いのか、真面目に聞いているのか判断がつかない。
「ナオキさん、ちょうどいいところに」
受付の女性に呼ばれる。
「実は、冒険者ランクの件でお伝えしたいことがありまして。これまでの依頼実績、報告の正確さ、危険が発生した際の対応などを踏まえて、FランクからEランクへ昇格していただけることになりました」
「試験とかはないんですか?」
「FからEはありませんよ。積み重ねの信用です」
あっさりしたものだった。頭のどこかで、昇格試験だの記念クエストだのを勝手に想像していた自分が、少しだけ気恥ずかしい。
「昨日のタスクボアの件も、多少は材料になっています。ただ、それだけでというわけではありません」
念を押すように言われる。採取、雑用、伝令、案内、報告――積み重ねてきた地味な仕事の方が、むしろ土台らしい。
「真面目にコツコツやってきた方は、ちゃんと見ていますから」
受付の言葉に、少しだけ胸の奥がくすぐったくなった。派手な成果より、地道な積み重ねが評価される仕組みがあるのは、悪くない話だった。
これまで使っていた登録証と引き換えに、新しい金属製のタグを受け取った。名前の横に刻まれているのは、今までのFではなくE。
「Eランクからは、低危険度の魔物討伐依頼も受けられるようになります」
その一言で、掲示板の見え方が少し変わった。昨日までは自分に関係のない紙切れだった一角が、急に選択肢として目に入ってくる。討伐の欄に見覚えのある文字があった。
『タスクボア討伐』
「受けるか?」
隣からミグレナが聞いてくる。
「……いや、先に準備します」
「慎重だな」
「昨日肩を牙で掠められた人間に言います?」
その日の午前は、使えそうな物を少し集めることにした。
手頃な石。丈夫そうな木片。縄の切れ端。古びた布。空の小袋。どれも道端や店の廃材から拾えるような、金のかからない物ばかりだ。八百屋の裏で余った木箱の板をもらい、鍛冶屋の前では「捨てる物だから持っていっていい」と言われた短い縄をもらった。屋台で余っていた小さな空き瓶も、店主に頼んで一つ譲ってもらった。集めた物は、片っ端からインベントリへ放り込んでいった。
ついでに獣避けの草も何本か摘んでおく。素材はもう揃っていた。
【臭い玉(簡易)を製作しますか?】
頷くと、二、三秒で一つできあがった。一度作り方を確立してしまえば、準備は早い。
「そんなに持つ必要があるのか?」
「あなたは剣一本でどうにかできるでしょうけど、俺は無理なんですよ」
「そうか」
「納得早いな」
「お前の考え方だ。否定する理由がない」
「ミグレナさんは、荷物とか持たないんですか?」
「剣と、携行品、最低限の応急処置くらいだ」
「身軽ですね」
「お前ほど道具について考える必要がない、というだけだ」
嫌味には聞こえなかった。事実として、そうなんだろう。
拾った石を並べていると、大きさも形もばらばらなことに気づく。昨日、握った瞬間に投げにくいと感じた物もあった。
(同じ大きさ、同じ握り心地の石を揃えておけば、毎回違う石を投げるより扱いやすいんじゃないか)
手頃な石を一つ選び、別の石で角を軽く欠く。尖った部分を落とし、手に収まる形へ整えていく。大した技術はいらない、単純な作業だった。
《新しいレシピを登録しました》
【投擲石(簡易)】
「これで当たるようになるわけじゃないですけど」
少なくとも、次はどの石を投げても同じ感覚で握れる。それだけでも意味はあるはずだった。
同じ種類の石を選び、クラフトで一つずつ同じ規格に整えていく。一個につき数秒。何個か作ってからインベントリを確認すると、今回作った投擲石は一つの項目にまとまっていた。
午後、次に受ける依頼を探していると、受付の女性から声をかけられた。
「ナオキさんなら、この依頼と相性がいいかもしれません」
農場まで大量の資材を運ぶ依頼。なんと報酬4,000リル。
(4,000!?)
これなら今日はちゃんと宿に泊まれる。
ミグレナも同じ方面へ行く用事があるらしく、途中まで一緒に行くことになった。
低危険度の仕事にしては、これまで受けてきた依頼よりも高い。理由は、積み上げられた荷物を見ればすぐに分かった。
「……これ、全部ですか?」
受付の女性が頷く。
「普通なら荷車で何往復かする量なんですが、ナオキさんなら運べますよね?」
(まあ、ギルドにはもう知られてる。仕事に使うなら、こういう依頼を勧められることもあるか)
肥料の入った大袋に、木材、農具、それから何に使うのか分からない重そうな箱まである。
「普通なら荷車を使って何往復かする量だな」
ミグレナが言う。
なるほど。危険ではないが、普通にやればかなりの重労働らしい。この報酬額にも納得がいった。
「まあ、俺にはあまり関係ないですけど」
一つずつインベントリへ入れていく。袋が消え、木材が消え、箱まで消える。少しして、山になっていた荷物が綺麗になくなった。
「終わりました」
「……そうだったな」
「なんですか、その顔」
「普通なら、ここからが仕事だからな」
「俺の場合、歩くのが仕事ですね」
農場までの道のりは、拍子抜けするほど楽だった。目的地に着いてから荷物を降ろしていくと、依頼主の農夫が目を丸くしていた。
「もう全部運んだのか? 荷車は?」
「使ってません」
農夫が俺の後ろを覗き込む。
「じゃあ、どうやって……」
「収納です」
「収納?」
答えながら、少しだけ迷う。だが、ここまで荷物を運んできて隠し通す方が難しい。
「まあ、そういう力があるんです」
「……便利なもんだな」
農夫はしばらく俺と積み上がった資材を見比べたあと、深く考えるのを諦めたように頷いた。普通なら半日がかりの仕事でも、俺にとってはほとんど移動時間だけで済んだ。
(……やっぱり、使い方次第なんだよな)
インベントリそのものが強いというより、何を入れて、どこで使うか。戦っている時は忙しくて不便もあったのに、運搬ではこれ以上なく便利だ。同じ能力でも、場面が変われば価値もまるで違う。
ギルドへ戻り、報告を済ませ、報酬の4,000リルを受け取る。夕食と宿代を差し引いて、
【所持金】950リル
(増えはしたが、結構カツカツだな……)
帰る前に、もう一度だけ掲示板へ目を向けた。
『タスクボア討伐』
朝と同じ依頼票が、まだそこに残っている。
「受けるか?」
朝なら、迷わず断っていた。昨日の肩の痛みもまだ残っているし、槍だってまともに扱えない。新しく作った投擲石も、実戦ではまだ確かめていない。だが、今朝とは少しだけ違う。
「……明日、まだ残ってたら」
「探すのはもういいのか?」
「何をです?」
「使えそうな物だ」
「まあ、いいものを見つけたら」
「なら私も見る」
「なんでですか……ちょっと恥ずかしいんですけど」
「お前が何を拾うのか、少し気になる」
「……まあ、昨日よりはマシか」
明日は、逃げるためではなく。
初めて、自分から魔物を攻略しに行くことになるかもしれなかった。




