第15話 同じ手は、三度も通じない
昨夜、600リルで夕食を済ませ、いつもの宿へ戻った。素泊まり代の2,500リルを払うと、
【所持金】3,550リル
翌朝、300リルで朝食を済ませてギルドへ向かう。
その日は朝から、一人で細かい依頼をいくつか片づけていた。商店の荷運び、倉庫への届け物、最後は隣町行きの荷馬車への積み込み。派手さはないが、こういう仕事でも数をこなせば金にはなる。合わせて2,900リルほどになった。依頼主にサインをもらい、そのままギルドへ戻って報告を済ませる。
「確認しました。報酬です」
受け取った硬貨をインベントリへしまう。
【所持金】6,150リル
これなら、多少は買い物できそうだ。そんなことを考えながら掲示板の方へ歩いていくと、見覚えのある背中があった。
「あれ、今日は一人なんですね」
「お前もな」
「俺だって、一人で仕事くらいしますよ」
「そうか」
「なんですか、その反応」
ミグレナは特に説明もせず、依頼票の束をぱらぱらとめくっている。まだ正式なパーティーというわけではない。ただ、ここ数日、似た時間に顔を合わせることが増えていた。
「そういえば」
昨日のグレイファング三頭のことを思い出す。臭い玉一つでどうにか切り抜けたが、もしあれが通じなければ、頼れるのはあの木製短槍一本だけだった。
「さすがに、ちゃんとした武器くらい持った方がいいですかね?」
「むしろ、今まで木槍一本で済ませていたのがおかしい」
「今まで逃げる前提だったんですよ」
「この先も、ずっと逃げるだけのつもりか?」
「そこなんですよね」
実際、何を買えばいいのかすら分かっていなかった。
「何を選べばいいのか、俺、全然分からなくて」
「行くぞ」
ミグレナはそのまま武器屋の方へ歩き出す。
少なくとも、買ったあと無収入で夜を迎えるつもりはない。先に午後の依頼を確認し、短時間で終わる仕事が残っていることを確かめてから、俺は慌ててその後を追った。
武器屋の店先で、陳列された品を見比べる。剣、槍、短剣。
「剣とかどうですかね」
「使ったことは?」
「……ないです」
「ならやめておけ」
棚を眺めていると、ミグレナが迷いなく一本を手に取った。俺の身長よりわずかに短い程度の槍だった。
「これにしろ」
「長い槍の方が、間合いは稼げるんじゃないですか?」
「長すぎる槍は素人には扱いきれない。取り回しを崩す方が早い。短剣は懐に入られる前提の武器だ。今のお前には向かない」
「盾は?」
「今のお前には要らない。まず槍そのものに慣れろ。盾まで持てば、両手の自由がさらに減る」
「でも、物を出す時は?」
「一瞬なら片手を離せる。両手が塞がっていたら、それもできない」
言われて初めて気づいた。この人は、俺が収納から物を取り出すことまで考えて勧めているらしい。以前、木の短槍一本で獣から逃げたことも覚えているのだろう。
(今の所持金からすると、どれも高い。でも、次にまた魔物と鉢合わせして、武器がない方がよっぽど高くつく)
結局、装飾のない中古の短槍を選んだ。値段は5,000リル。思ったより高いと感じたが、今の所持金なら手が届かない額ではなかった。
【所持金】1,150リル
武器屋を出たあと、午後から受けたのは近隣の獣避け設置を手伝う依頼だった。
ハルムの周辺、農地の外れ。畑沿いに疎らな林が続き、その先で牧草地に変わる。これまで歩いてきた森沿いとは、だいぶ違う景色だった。
低危険度、ミグレナとの同行。報酬は依頼総額3,000リル、折半で俺の取り分は1,500リル。杭を打ち、匂いのする薬剤を塗った縄を張るだけの単純な作業らしい。
牧草地の柵沿いを歩きながら、杭の間隔や縄の張り方について、ミグレナから簡単な説明を受ける。単純な作業のはずだった。
異変は、畑まであと少しという場所で起きた。
「――三頭」
ミグレナの声に緊張が混じる。木立の隙間から、猪に似た体格の獣が三頭、姿を見せた。
「タスクボアか」
二頭が左右へ分かれるようにミグレナへ向かい、もう一頭が回り込むように俺の側へ来てしまった。逃げる間もなかった。
「下がれ! そいつだけ凌げ! すぐ行く!」
叫びながら、ミグレナはすでに自分の相手へ踏み込んでいた。二頭ならミグレナで足りる。だが三頭同時に俺まで庇う余裕はないらしい。
残されたのは、俺と、一頭の獣だった。心臓が痛いくらいに鳴っている。逃げたい気持ちを抑え込み、槍を握り直す。
ゲームで見た構えを真似て、短槍を両手で持つが、足がすくむ。買ったばかりの武器を持っただけで、強くなったわけじゃない。
獣が距離を詰めてくる。突き出した槍は、あっさり空を切った。
「――ッ」
すれ違いざま、牙が肩を掠め、鋭い痛みが走る。
(死にたくない。まじで怖い)
インベントリの臭い玉が頭をよぎる。だが、こんな距離で割れば自分も臭いを食らうし、そもそもタスクボアに効くかも分からない。今使う道具じゃない。
槍を左手だけで持ち直し、右手で足元の石を拾い上げる。投げる。距離が近かったこともあり、ほとんど偶然に近い形で命中した。獣がわずかに怯み、その隙に両手を槍へ戻す。
もう一度、と足元へ視線を落とす。
(……待て。いちいち拾わなくてもいいだろ)
槍を右手だけで支え、左手でインベントリを探る。石を選び、取り出す。片手がふさがったままの一瞬が、思ったより長く感じた。投げる。今度は綺麗には当たらず、かすめる程度だった。だが、獣は嫌がる素振りを見せた。石そのものを警戒し始めている。
三度目。石を持った瞬間、獣が先に身を低くした。
(……投げる前から見てる?)
腕を振る動きより先に、動いている。ゲームの敵じゃない。同じことを繰り返したせいで、こいつも俺を見て、覚えたらしい。
(だったら――)
石を持った手を、投げる時と同じようにわずかに引く。
獣が先に横へ跳んだ。
今回は投げない。跳んだ先――着地する場所が読めた。
石をインベントリへ戻し、空いた左手を槍へ添える。すぐに両手で握り直す。
獣が着地する。一瞬、体が止まった。
次の瞬間、こちらへ向き直り、そのまま踏み込んでくる。
俺は両手で握った槍を低く突き出した。狙った急所へ完璧に突き入れたわけじゃない。前へ出た獣自身の勢いが、そのまま槍先へ乗った。
衝撃で体が持っていかれそうになり、両足を踏ん張って必死に槍を支える。
槍先が、深く胸元へ入った。獣が短く鳴き、数歩もがいたあと、その場へ崩れ落ちる。
しばらく、動けなかった。息が上がっている。膝が笑っているのが、自分でも分かった。
「肩を見せろ」
振り返ると、すでにミグレナが隣に立っていた。自分の相手は二頭とも、すでに片付けたらしい。
「魔物の方は見なくていいんですか?」
「後だ」
服の肩口をずらすと、いつもの手早さで傷口を洗われ、布を巻かれる。
「深い傷ではないようだ」
「運がよかったです」
「それだけでもない」
短く返され、少しだけ肩の力が抜けた。深呼吸を一つして、ようやく手の震えが収まってくる。
手当てが終わると、自分が倒した獣に近づく。まだ実感が薄い。触れて収納を意識すると、すっとその場から消えた。初めて自分で倒した一頭を、自分で収納した。
「初めてか」
「初めてですよ」
「悪くなかった」
思っていたより、あっさりした評価だった。
「褒めるところありました?」
「相手の反応が変わったのに気づいた。それで十分だ」
「そういうところ、ちゃんと見てるんですね」
「見ていなければ、指示も出せない」
槍の腕を褒められたわけではない。だが、妙に嬉しかった。
ギルドへ戻り、獣避け設置の完了と、予定外の遭遇について報告する。依頼報酬1,500リルに加え、俺が倒したタスクボアは素材として引き取ってもらえることになった。買取額は800リル。金額は大きくないが、自分の手で倒した魔物が、初めて自分の稼ぎになった。ミグレナが倒した二頭は、彼女側で別に処理された。
夕食と宿代を払うと、
【所持金】350リル
帰り道、インベントリのことを考える。運ぶために使うものだと思っていたが、戦っている最中に中身を切り替えるだけでも、選択肢は変わる。石一つ出すのにも、今日は意外と忙しかった。もっと使える物を用意しておけば、次はもう少し楽になるかもしれない。
「……今度から、使えそうなものはもう少し入れとくか」
肩の傷はまだ疼いている。怖さも、まだ消えていない。だが、次は何を使おうかと、少しだけ考え始めている自分がいた。




