第13話 普通なのは、魔物が絡まない時だけ
翌朝。300リルで簡単な朝食を済ませてギルドへ向かうと、掲示板の前にミグレナの姿があった。
「来たか」
「……いると思いましたよ」
偶然、というより、なんとなくそんな気がしていた。報酬、距離、危険度、必要時間。いつもの順番で依頼票を見ていく。
「これなんか良さそうですね。距離も近いし、報酬も悪くない」
「……ん」
「聞いてます?」
返事はあったが、目線はまるで動いていない。ミグレナの視線は、俺が指差した依頼票ではなく、隣に貼られた別の一枚に吸い寄せられていた。
『周辺に魔物の痕跡あり』
「ちゃんと探してます? そこだけ読む速度違いません?」
「……なんの話だ」
「今、その一文しか読んでないですよね」
「そんなことはない」
視線はまだそこに固定されたままだった。依頼票にはほかにも、必要数や納品先など、いろいろな情報が書かれている。だがミグレナの目に入っているのは、そのうちのたった一行らしい。
結局、俺が選んだ薬草採取の依頼に、なんとか本人の確認を取り付ける。依頼票を持って受付へ向かい、二人で共同受注を済ませた。
森へ向かう道すがら、日差しは穏やかで、時折鳥の声が聞こえるだけの静かな道のりだった。俺は昨日の実験のことをまだ考えていた。
「昨日の埋まってた石なんですけど、掘り起こした後なら入ると思います?」
「まだ考えていたのか」
「気になるじゃないですか。大きさは同じなのに、片方だけ入らなかったんですよ。あれ絶対、何か理由があるはずなんです」
「随分楽しそうだな」
「え?」
「お前は、自分の予想が外れた時ほど楽しそうにする」
「なっ、なんだと……」
「見ていれば分かる。昨日も、死体が入った時より、石が入らなかった時の方が楽しそうだった」
言われてみれば、その通りだった。予想通りだった時より、なんで違うんだ、と考えている時の方が、頭がよく動く気がする。ミグレナが魔物の実物に惹かれるのと、方向は違っても、根っこは少し似ているのかもしれない。
森の縁、街道寄りの日当たりのいい斜面で、依頼対象の薬草によく似た葉が目に留まった。
「これも同じやつですかね」
伸ばしかけた手を、ミグレナが軽く止める。
「それは違う」
「似てますけど」
「潰すと臭いが強い。獣避けに使う草だ」
葉を一枚だけ千切り、指先で軽く潰してみる。
「うわ、くさっ」
鼻を刺すような臭いに、顔をしかめる。
「だから獣避けに使う。万能ではない。効く相手とそうでない相手がいる」
「これ、持って帰っても問題ないですか?」
「依頼品ではない。好きにしろ」
何かに使えそうな素材は、とりあえず拾っておく。今度は潰さず、茎のついた原形のまま数本採取する。
具体的にどう使うかはまだ決めていない。インベントリへしまうと、【獣避けに使う臭い草】と表示された。
せっかく森まで来たんだ。依頼分だけ拾って帰るのももったいない。
薬草は納品分とは別に見つけたものを追加で摘み、使えそうな草や木の実も目につくたびに拾っていく。形のいい枝や、何に使えるか分からない実まで、とりあえずインベントリへ放り込んだ。
「お前、それも持って帰るのか」
「何かに使えるかもしれないじゃないですか」
「その実は食えないぞ」
「食べるとは言ってませんよ」
「……そうか」
呆れたような声を背に、また足元へ目を向ける。
少し先、斜面の途中に見慣れない木の実がいくつか落ちていた。
「あれも拾っとくか」
一歩踏み出した、その瞬間だった。靴の下で、ざり、と土が崩れる。
「うおっ!?」
踏ん張る間もなく体が傾いた。
そのまま肩から斜面へ倒れ込み、草と土の上を二度、三度と転がっていく。
「ぐっ……!」
二、三メートルほど下まで落ちたところで、ようやく体が止まった。
「……いってぇ」
「大丈夫か」
上から声が飛んできたかと思うと、ミグレナがすぐに斜面を下りてくる。
幸い、斜面は草と柔らかい土が多く、途中に岩や太い木もなかった。服は土まみれになったが、腕を擦りむいた程度で済んでいる。
「これくらいなら平気ですよ」
「見せろ」
返事を待たず、ミグレナが俺の腕を取る。
傷口には土が入り込み、ところどころ血が滲んでいた。
「洗うぞ。放っておくと膿む」
腰の小袋から水筒と布を取り出すと、傷口に水を流して手早く汚れを落としていく。斜面を駆け下りてきた時もそうだったが、こういう時の動きにはまるで迷いがない。
「あ、ちょっと待ってください」
インベントリから、以前作った軟膏を取り出す。殻の中に、まだ少し残っていた。
「薬か?」
「自分で作った簡単な軟膏です」
少量を傷へ塗る。ひんやりとした感触が広がり、ヒリつきが少し和らいだ。
ミグレナはそれを確認すると、傷口に布を手早く巻いていく。
「随分、手際いいんですね」
「戦っていれば、これくらいは覚える」
結び目を作ると、何事もなかったように立ち上がった。特別なことをしたつもりはないらしい。俺にとっては、初めて見る一面だった。
俺も立ち上がり、服についた土を払いながら採取へ戻った。しばらくしたところで――
「……待て」
ミグレナの声色が変わった。地面の一点を見つめている。さっきまでの落ち着いた様子が嘘のようだった。
「足跡だ」
しゃがみ込み、地面に顔を近づけるようにして観察を始める。周囲の草の倒れ方、土の湿り具合まで、丁寧に確認していく。
「これ、グレイファングのやつですか」
「違う。もっと大きい。歩幅も深さも」
指先で輪郭をなぞりながら、独り言のように続ける。
「新しい。せいぜい半日といったところか」
「進行方向って分かるんですか?」
「草の倒れ方を見ればいい。……こっちだ」
倒れた草の先を、指先で追うようにたどっていく。
ミグレナが示したのは、森の奥ではなく、街道の方角だった。
「奥から、こっちへ向かってる、ってことですか?」
「断定はできない。一つの足跡だけで分かることは少ない」
そう前置きしながらも、しゃがんだまま動かない横顔には、いつもと違う真剣さがあった。普段の、興味本位で目を輝かせる様子とは、どこか質が違う。
「気になるところですけど、依頼中ですよね、俺たち」
「分かっている」
名残惜しそうな視線を足跡へ向けたまま、森の奥へ足を向けようとはしなかった。
「行かなくていいんですか?」
「納品物を持っている。無理はしない」
魔物のことになると際限がなくなるように見えて、優先順位そのものは、ちゃんと持っているらしい。
「痕跡見つけた時、依頼より魔物優先しそうになってましたよね」
「今回はしなかっただろう」
「今回は、ですよね」
「我慢しただろう」
「自分で我慢って言うのかよ……」
妙な返しだったが、なんとなく言いたいことは分かった気がした。
依頼分の薬草を集め終え、納品する。報酬3,500リルを折半し、俺の取り分は1,750リル。それほど大きな額ではなかったが、悪くはない。
「あの足跡のこと、ギルドに伝えなくていいんですか?」
「伝える。正式な報告にはならないだろうが、情報共有は大事だ」
受付へ向かうと、ミグレナは足跡の大きさと発見場所、新しさ、街道方向へ向かっていたらしいことを淡々と伝えた。受付職員は少し驚いた様子だったが、丁寧に記録を取ってくれた。
「調査依頼が出るかもしれませんね」
「出たら受ける」
即答だった。今度は依頼として正式に受けるつもりらしい。
(やっぱりそこは即答なんだな)
今回はあくまで我慢しただけで、興味そのものは何一つ薄れていないらしい。
「明日はどうする」
「また掲示板見て決めましょうか」
「なら、また明日」
ミグレナはそう言って、いつも通りあっさりと去っていく。
その背中を見送りながら、俺はさっきの足跡のことを、もう一度考えていた。
(……魔物が絡まなければ、本当に普通なんだよな)
まあ、その「絡まなければ」が、一番厄介なんだけど。
600リルで夕食を済ませ、いつもの宿へ戻る。素泊まり代の2,500リルを払い、インベントリの中身を確認する。今日採ったばかりの、あの獣避けの草が目に入った。潰した瞬間の、鼻を刺すような臭いを思い出す。
同時に、森の奥から街道側へ向かっていた、あの大きな足跡のことも頭をよぎった。まだ何者かも分からない。
手で潰して使うだけじゃ、近づかれてからでは遅い。もっと離れた場所から使えれば――。
(……投げて使えるようにしたら、面白いかもな)




