第28話 霧の夜
感想のお返事ができなくて、申し訳ありません。ついうっかりネタバレしてしまう作者なもので笑 全て目を通しています。とても励まされています。
誤字報告も、ありがとうございます。とても助かっています!
《ダグラス》
王都の秋は、霧と共に深まってゆく。白く煙る街並みを、足早に帰宅を急ぐ人影が通り過ぎる。霧は低く、重く垂れ込める。
人の気配の消えた郵便局のロビーで、壁一面に並ぶ、人待ち顔の小さな箱の列。真鍮の扉は、匿名の契約者のみが持つ鍵で開く仕組みだ。
指定の私書箱が見える位置で息を潜める。指先が冷えているのに、吐く息は熱い。
壁の柱時計が、やけに大きな音を立てて時を刻んでいる。
ときおり外を走る馬車の車輪が石畳を鳴らし、その振動が床を伝ってくるが、すぐにまた静寂が戻る。私書箱の列は無言のまま、真鍮の扉だけが鈍く光っている。
指先の感覚が薄れ、外套のポケットに入れた手をそっと握り直す。吐いた息が白くほどけ、ゆっくりと消える。
どれくらい、そうしていただろう。
遠くでドアが軋む音がした。
コツコツと足音が響き、霧の冷気を纏ったひとりの男が現れた。猫背で痩せた肩。神経質そうな薄い唇。
男は周囲を一瞥すると、慣れた動作で鍵を差し込んだ。
――カチリ
金属音が、やけに大きく響く。
男が箱を開き、ポケットから封筒を取り出した。見覚えのある、あの封筒だ。
「……おい、その封筒を渡してもらおうか」
声は、自分でも驚くほど低かった。
男の肩がびくりと震わせて、その後ゆっくりと振り返えった。
「おやおや、霧を払う騎士殿ではないですか。初めまして……ですね」
「霧の爆弾魔だな? 何か申し開きはあるか?」
男は一瞬だけ黙り、口元が歪めた。
「申し開き?」
くつくつ、と笑う。湿り気を帯びた、嫌な笑い方だ。
「妻も息子も守れなかった騎士様が、何を偉そうに……」
ギリギリと奥歯を噛み締める。まだだ……まだ、やつは名乗っていない。
「今でも覚えていますよ。あの記事の全文を」
男の目に嗜虐の色が浮かぶ。俺を傷つけるためなら、地獄に堕ちてもいい。そんな素ぶりだ。なぜ、こんなにも憎まれているのか。
「――“もう二度と、お前の好きにはさせない。俺が全て暴いてみせる。すぐにブタ箱に放り込んでやるから、首を洗って待っていろ”」
男は、わざとらしく声色を低くして、なぞるように言った。
「……でしたかな?」
口元を歪めて、また笑う。
「吠えていましたねぇ。騎士殿は自信家であらせられる」
視界が赤く染まった。
風の音のような耳鳴りと心臓の音で、男の声が聞こえなくなる。
動かない小さな手
血に濡れた床板
砕け散った陶器の破片
転がったままの、片方だけの靴
男の唇だけが、ゆっくりと動いている。
「養い子が出来たそうで……。今更、幸せになるおつもりで? 死んだ家族は浮かばれませんなぁ!」
いつ距離を詰めたのか、覚えていない。襟を掴み、壁に叩きつける。
「もう一度言ってみろ」
男はくつくつと、楽しげに笑う。
「何度でも言いましょう! 自業自得ですよ、騎士殿!」
「あなた様は、自分の発言で家族を殺した!」
「それなのにたった五年で全てを忘れて、養い子と家族ごっこですか?」
――ねぇ、ダグラス。あなたの好きな豆のスープを作ったの。
――今日は早く帰って来てね。ハリーが少し歩けるようになったのよ。
――ふふ、私の騎士様、寝癖がついているわ。
忘れたことなど、一日たりともありはしない。寝顔しか見られない忙しい日々の中、その閉じた小さな瞼にキスをした。
柔らかい頬、俺の指をキュッと握った小さな……小さな手。
あの日、全てが爆音の中に消えた。
「あなたの、その絶望に歪んだ顔が見たかったんですよ! 夜通し丹精込めて爆弾を作った甲斐がありましたよ、家族殺しの騎士殿!」
「俺の妻と息子を殺したのは貴様だろう!」
ただ、潰せばいい。
息が止まるまで叩きつければいい。
戻れないのなら、取り戻せないならば、
握りつぶしてやればいい。
指先に、骨ばった感触が伝わる。この首をへし折るなど……簡単なことだ。
* * *
「アォーーーーーン」
「アォーーーーーン」
王都に二つに重なる遠吠えが響いた。
裏路地の木箱の陰で、痩せた犬が顔を上げた。パン屋の裏口で丸まっていた老犬が、むくりと起き上がる。公園の噴水脇でうたた寝していた若い犬が、耳をぴんと立てた。
『子犬が泣いているよ』
『助けに行かなきゃ』
二つの遠吠えに応える声が、街のあちこちから上がった。
霧の王都を、犬たちが走り出した。
ガス灯の下を横切り、生垣を飛び越え、荷馬車の車輪の下をすり抜け、煙突掃除の少年を追い越して。
石畳に爪が打ちつけられる、乾いたリズムが重なる。
「なんだ……?」
帰宅途中の紳士が足を止めた。
「犬が、走っている?」
通りという通りを、影が流れていく。
肉屋の主人が店先に出て、帽子を押さえながら目を見張る。酒場の扉が開き、酔客がふらりと顔を出す。
「おい、見ろよ……」
霧の中、犬たちは立ち止まらない。同じ方向へと駆けていく。
ウェリントン橋へ。
川沿いの遊歩道へ。
ガス灯の光がにじむ、その中心には大きな帽子を胸に抱えた、小さな影が立っていた。
「皆さんに……お願いがあります」
幼い声は、涙をこらえるように震えていた。
「お父さんを……わたしのお父さんを探して!」
その声を聞いた犬たちは、一斉に遠吠えをはじめた。
次々に帽子の匂いを嗅いで、低く唸ってまた走り出す。一匹、二匹と、闇に散っていく。
最後に残った黒い、大きな犬が立ち上がる。小さな影をその背に乗せて。
「わたしたちも……行きましょう、ヘンリー!」
エルシャとヘンリー、そして王都中の犬たちが、ダグラスを探すために……ダグラスを止めるために。
霧の王都を駆け抜けていく。
読んでいただき、ありがとうございます。
次話が、終話になります。明日の夜の、皆さんがのんびりしている時間帯に投稿しますね。
終話→番外編→後日談、あと3話で完結です。最後まで、よろしくお願いします。




