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電書第3巻(完結)配信中 ドアマット幼女は屋根裏部屋から虐待を叫ぶ  作者: はなまる
第二章

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第27話 遠吠え

《エルシャ》


「ダメです! 危険過ぎます。エルシャとビリーくんは、高速馬車で八番街の詰所へ向かって下さい。応援要請をして、そのまま待機です」


 エバンスお父様が言いました。大人として、私の後見人として、真っ当な判断です。けれど、ここはわたしも譲れません。


「お父さんを探しに行きます。ヘンリーなら、ダグラスお父さんの匂いを覚えていると思うんです」


「いけません。子供の時間はおしまいです。さあ、馬車に乗って! ビリーくんもですよ!」


 有無を言わさず、馬車へと乗せられてしまいました。エバンスお父様は、頑固なところがあります。そして今日のお父様は迫力もありました。


 高速馬車が走りはじめてすぐに、座席にある警ら隊の長帽子が目に入りました。


「これは?」


「あ、ああ。ダグラスさんの長帽子だって。退職届と一緒に押し付けられたって、エバンスさんが言ってた」


 これを置いて行った……。警ら隊の長帽子は『正義』の象徴です。警棒が『勇気』、そして銀笛が『信頼』。この三つが警ら隊員の誇りです。


 お父さんは『正義』を置いて行ってしまった……。


「御者さん、止めて下さい。わたしとヘンリーは降ります」


「エルシャ、無理だよ。危険だ! 子供の出る幕じゃない。探偵ごっこは終わりだよ!」


 ビリーくんが言いました。


「そうですね。探偵ごっこは終わりです」


 探偵帽子を脱いで、ビリーくんに渡しました。代わりに、お父さんの長帽子を被ります。視界がほとんど塞がってしまいました。

 ――大きくて、重い……正義の重さです。後ろへ傾けて、どうにか視界を確保します。


「これでわたしは、警ら隊員です」


 キリッと表情を引き締めて敬礼します。お父さんの制服も羽織ります。うっ、重いし上着だけなのに引きずってしまいそう。


「そんな泣きそうな顔をしないで下さい。わたしは大丈夫ですよ。ヘンリーがいますから」


 笑って馬車を降ります。


「応援要請、頼んでも良いですか? 使いっ走りばかりですみませんけど」


「やるよ……。そのくらいやるよ! その代わり、約束しろよ、絶対に……無事に帰るって!」


 ビリーくんが、馬車の窓から顔を出して叫ぶように言いました。何だかすごく巻き込んでしまいました。


 川べりの人気のない遊歩道です。日が暮れて、冷たい風が川面から吹き上げてきます。


「ヘンリー、一緒に……お願いしますね。みんなを呼びましょう」


   * * *


《ビリー》


「……くそっ」


 馬車が走り出して、十秒も経たないうちに、胸の奥がひっくり返った。


「止めて下さい!」


 御者が驚いて手綱を引く。


「すぐ戻ります! ちょっと待ってて!」


 返事も聞かずに飛び降りた。


 川べりへ向かう道は、もう夕焼けの色を失っていた。

 晩秋の雲が低く垂れこめ、空は重たい灰色だ。月も星も、見えない。


 川から冷たい風が吹き上げて、霧がゆっくりと遊歩道を這い、石畳を濡らしている。


 ぽっ、とガス灯が灯った。その橙色の光が霧に滲み、輪になって揺れている。


 ウェリントン橋の下を流れる川は、黒く沈んでいる。水音だけが、遠くで低く響く。


 ——いた。


 遊歩道の中央に、小さな影。


 エルシャが立っている。

 お父さんの制服を羽織り、長帽子を被ったまま。ヘンリーがその隣に寄り添っている。


 風が一瞬、止んだ。


「エルシャ……」


 そう声をかけようとした、そのとき。


 エルシャが、空を見上げてゆっくりと息を吸った。胸いっぱいに、夜を吸い込むみたいに。


「アォーーーーーン!」


 エルシャの口から出たのは、確かに遠吠えだった。犬や、狼が夜にやるやつだ。仲間との連絡手段だって聞いたことがある。

 その、遠吠えを……、エルシャがやっている。ヘンリーが、隣で同じように顔を空に向けた。


「アォーーーーーン!」


 川面が震えた気がした。

 ガス灯の炎が、揺れた。


 二つの声は絡み合い、霧の奥へと突き抜けていく。ぞくり、と腕に鳥肌が立つ。


「な、なんでエルシャが……あんな……」


 遠くで、応える声がする。


 ひとつ。

 またひとつ。

 そして、いくつも。


 四方八方から、犬の遠吠えが返ってくる。それからすぐに、霧の向こうで影が動いた。

 石畳を走る足音が集まって来る。橋の向こうからも、路地裏からも、河岸からも。


 犬たちが、どんどん集まって来る。そして、エルシャを守るように寄り添った。

 それは確かに異様だし、怖いなと思っても不思議じゃない光景だった。


 でも犬たちの、その目は——子犬を守る群れの、優しく強い眼差しだった。


   * * *


《ある老犬の呟き》


 ある日、老犬のもとに、人間の子供がやって来た。幼い声の、舌っ足らずな犬語で話しかけて来る。


 何やら頼みごとがあるらしい。


『弾け飛んで、火を連れてきます』『破片が飛び散って、建物を吹き飛ばします』


 物騒なことを、しきりに訴える。


 臭い瓶の匂いを嗅がせて、その匂いがしたら、危険だから近寄らずに知らせて欲しいそうだ。


『わうっ!』


 その人間の子供の、下手くそな犬語を聞いていると、胸の奥が、ふっと温かくなった。


 どこかで、似た響きの声を聞いた気がする。森だったか、風の強い丘だったか。崖の下の、洞窟の寝ぐらだったか。


 いや、そんなはずはない。


 老犬はこの街の裏路地で生まれ、この石畳の匂いしか知らないはずだ。

 それなのになぜか懐かしい。寄り添って、温めてやりたい。その声をずっと聞いていたい。

 何も思い出せない。思い出せないのに離れがたい。ただただ、幸せでいて欲しい。


 ああ、と老犬は小さく息を吐いた。


 この子供は――群れの子犬だ。この街の大きな群れの子犬なのだ。慈しみ、育てればいい。

 老犬は微睡みに身を任せる。風の匂いの奥に、懐かしい気配が混じった。老犬はクゥーンと小さく鳴いた。


『いつか、きっと、また会える』


 前世か、その前か。それとももっと昔か。あの峰で交わした子犬ショーンとの約束が、ようやく守られたのだ。

 それならば、駆けつけよう。子犬ショーンの魂を持つあの娘のために走ろう。そんなことは、お安い御用だ。


 老犬は耳だけをそば立てて、浅い眠りへと落ちていった。



読んでいただき、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
最後の老犬の部分に異世界観が溢れていました。 凄いです。この後どうなるのか本当に楽しみです。
頑張れ!
 悲しい激情に呑まれた闇の一匹狼と化しつつある恩人を暴走から救いだすために、仲間に望みを託し、ある動物達の言葉を駆使する奮闘……視点変更したうえでの心揺さぶる回想含め、熱い場面ですね。
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