第13話 あなたを愛することはない(アッシュフォード男爵視点)
「私があなたを、愛することはありません」
結婚式を終えた夜。
薄い夜着を身に纏って、ベッドの端に腰掛ける新妻の口から出たのは、そんな言葉だった。
妻との結婚は、お互いの家と私の都合にのみ終始していた。貴族の結婚とはそういうものだし、令嬢はそれを受け入れるように育てられる。
「結婚は……すでに成立している」
「はい。私はあなたの子供をひとり、産まねばなりません。ですが、それ以外のことは、私に望まないで下さい。私には他に愛する人がいます」
屈辱を感じなかったと言えば、嘘になる。私との子供を産むことは、彼女にとって『苦痛に耐えて、仕方なく受け入れること』なのだ。
「初夜の前から不貞を隠そうともしない妻の産んだ子供を、当家の跡取りにしろと?」
「私が身の清い乙女であることはアッシュフォード家の医師が確認しています。妊娠が確定するまで、私を閉じ込めて見張ればいいわ」
どこか投げやりな言葉とは裏腹に、妻の瞳は強い意志を宿していた。
交渉の余地も、歩み寄りの可能性も、カケラすら見つけられないまま、いくつかの夜を事務的に越えて妻は妊娠した。
そうして生まれたのが、私にそっくりなメイベルだ。
家令から出産の報告を受け、『旦那様にそっくりな女の子です』という言葉を聞き、肩の荷が降りるのを感じた。
これで貴族の跡取りの義務は果たしたのだ。大手を振って仕事に打ち込める。
私は思う存分、書類の海に沈んだ。
その後の六年間はあっという間に過ぎた。妻とは最低限の社交は共にしたが、言葉を交わすことはほとんどなく、屋敷で顔を合わせることもなかった。
元々私たちが夫婦になど、なれるはずがなかったのだ。そのための努力もせずに、家畜の交配のようにただ子供を作っただけだ。
だが、貴族の結婚などそんなものだろう? 私の両親もそうだった。
ゴシップ誌に有名な仮面夫婦として取り上げられたりもしたが、興味もないので目を通すことすらしていない。
そのうちに、妻から離婚の申し立てがあるのだろう。そうしたら粛々と受け入れれば万事が解決する。
――私は都合よく、そう考えていた。
ところがある日、その手紙が届いた。
――西区八番街 子供特別警ら隊員 エルシャ・グリーンフィールズ
「なんだ? この差出人のふざけた肩書きは……」
「西区で試験的に導入されたようです。市民との交流や、親しみやすさをアピールする狙いがあると報告されています」
補佐官が感情の乗らない声で答える。
「本当に子供なのか? 私に何の用があるんだ?」
「局長から指示が出ています。出頭し、話を聞いて来るように、と……」
「はっ? なぜそんな指示が……?」
「おそらく、視察の意味合いかと思われます」
「子供のごっこ遊びに付き合えと?」
投げ捨てたくなった手紙に目を通す。文面も形式も、驚くほどしっかりしたものだった。まあ、本人が書いたものとは限らないのだが……。
「確かに……面白い試みではある……。わかった。出頭する旨の返事を書いておいてくれ」
補佐官へ指示を出して、私は自分の作業へと没頭した。
* * *
「ご足労、感謝します、閣下。西区八番街所属、子供特別警ら隊員のエルシャ・グリーンフィールズです」
私を出迎えたのは、警ら隊の制服をキリリと着て、背筋を伸ばして敬礼する……幼女だった。
「本日は、メイベル・アッシュフォードさんからの申告により、閣下のお話を伺います。お掛け下さい」
椅子を指し示し、自分もクッションを二枚重ねた椅子に、うんしょうんしょとよじ登った。……二枚重ねても高さが足りていない。
その幼い様子と口から出る卒のない言葉に、違和感ばかりが募る。
「あ、ああ……。君は、メイベルと友だちなのか?」
つい、子供に話しかける口調になる。
「友だちではありません。特別警ら隊員として依頼を受けました」
「……わかった。話を聞こう」
「まずは、こちらをご覧下さい。敢えて、メイベルさんの言葉そのままに書いてあります」
二枚の手書きの紙を渡された。決して達筆ではないが、丁寧に書かれた文字が並んでいる。
【メイベル・アッシュフォード嬢の証言①】
――あの人たちは、わたしの本当のおとうさまとおかあさまじゃないと思うの
――わたしは、たぶん、拐われたか、買われた子供なの
――本当の、おとうさまとおかあさまを、探してほしいの
内心の動揺を隠して、書類を机にパサリと置く。
メイベルの言葉だという、その文字の羅列が、娘の声として聞こえることはない。
なぜなら、私は咄嗟に思い浮かべられるほど、娘の声を聞いたことがないからだ。
『本当のおとうさま』という文字の、ザラザラとした手触りがひどく不快だった。
「……子供の妄言だ。メイベルは私と妻の実子だ」
「はい……。わたしの出来る範囲で調べ、夫人の実子であることは確認しました。そして、メイベルさんは閣下にとてもよく似ています」
そう……。私や周囲が、妻に強要した結婚や出産を象徴するように、娘は私によく似ている。
「では……なぜ、メイベルさんは、ご両親を“本物ではない”と思ったのでしょう?」
「家族の問題に踏み込み過ぎだ。それは警ら隊の管轄ではないだろう?」
「はい。ですが、聞かせて下さい。閣下は、子供が両親のことを“あの人たち”と呼ぶことについて、どう思われますか?」
乾いた笑いが漏れる。
娘は……。メイベルは、私たち夫婦のことを、本気で他人だと……、そう考えているのだろう。
「では……次の、二枚目をご覧下さい。こちらはメイベルさんが“本当の両親を探しに行きたい”と訴えた……そのあとの言葉です」
【メイベル・アッシュフォード嬢の証言②】
―― 家族って、いっしょにしょくじをするんでしょう? 絵本で見たわ
――手をつないであるいたり、わるいことをしたら、しかられたりするんでしょう?
――そういうの、いいなぁって、思ったの
脳天を打ちのめされた気分だった。子供の口調そのままの文字が、罪から目を逸らすことを許さない。
メイベルは、親も、家族も知らないのだ。絵本の中にそれを見つけて、探しに行こうとしていた。
「ハハッ……。思い出したよ。私も、子供の頃に……同じようなことを感じていた……」
ひとりの食事は味気なかった。雷の鳴った夜は部屋の広さが心細かった。絵本の中の家族が笑い合っているのを見るのが辛かった。
「だが……貴族とは、そうやって育つのが当たり前だ」
「閣下は……。誰かが決めた“当たり前”をメイベルさんに渡すのですか? 自分も我慢したのだから、メイベルさんも同じ想いをするべきだと?」
思い返してみれば確かに――。確かに私はそう思っていた。私だって愛された覚えなどない。だから私も、愛する必要はないと。
貴族は“家のため”という言葉で、子供を道具として育てる。裕福な暮らしで縛りつけて、逃げ道を塞ぐ。
使い勝手の良い道具に育った者だけが、次に道具を使う側へ回れるのだ。
大人になった私は……道具を使う側になった……。
ようやく、傷つかずに済むと思った。逃げ切れた……報われたと思っていた。
子供を道具として使って、自分と家の利益を得る……。そんな歪んだ行いを、“報われること”だと認識していたのだ。
「メイベルさんが大人になったら、あなたの奥様のように、自分と家の都合の良い相手に嫁がせるのですか?」
このまま、あと十年もすれば、私はメイベルの婚約者を決めただろう。それは、おそらくメイベルの望む相手では……なかっただろう。
そしてメイベルは言うのだろうか。夫となった男に、「あなたを愛することはない」と……。
「まるで……呪いだな。不幸の鎖が、連なるようだ……」
「閣下。その鎖を、あなたが断ち切ることはできませんか?」
「今さら……。やり直せると言うのか?」
「まずは、メイベルさんの名前を呼ぶところからはじめてみませんか? そして、一緒に食事をして下さい。閣下が望んでいた食卓を、メイベルさんと作ってみて下さい」
「まだ……間に合うだろうか?」
そんな……都合の良いことが許されるのだろうか。
「それは、閣下しだいです。メイベルさんは、本当のお父さまとお母さまを、求めているだけですから」
西区八番街所属、子供特別警ら隊員……エルシャ・グリーンフィールズ。
彼女は去年の社交界を騒がせたグリーンウッド伯爵家の、元総領娘だ。
そうか……。だからこの子は、メイベルを見過ごせなかったのだ。
「君は……。今は幸せなのだな……」
私の言葉に、彼女は驚いたように目を見開いた。そして瞬時に、私が彼女の出自や事情を知っていると気づいた。恐ろしいほどに聡い娘だ。
「はい。だから……。あなた方には間に合って欲しいと思っています」
この子は……、間に合わなかったのだ。だから家族を捨てた。
“それは閣下しだいです”。先ほどの言葉を、もう一度、言われた気がした。
読んでいただきありがとうございます。
次話の後日談で、メイベル編はおしまいです。




