第13話 円転の理
そう言うと、自分の足にしがみついていた手を丁寧に払い、胸ポケットのハンカチーフで、汚い物を拭くようにズボンの裾を払う。
「今までお疲れ様でした。次回の選挙ではお互い、正々堂々と戦いましょう」
そう言うと、その場から立ち去る渡辺を見て、佐々木が、
「お、オマエがぁぁぁ!」
佐々木は、後ろを向いていた渡辺に襲い掛かる。
しかし、渡辺は、合気道の円転の理で受け流し、佐々木の手首を掌握すると、四方投げで吹き飛ばした。
後頭部を強かに打ち付けて、悶絶する佐々木を横目に、
「……お大事に」
と言って、何事もなかったように去って行った。
佐々木は、しばらく動けず、その場でジタバタしていたが、
「覚えてろよ、渡辺ぇ、ぜってぇ、許さねぇからな、クソがー!」
そう言って、佐々木は、痛んだ身体を引きづりながら、その場から逃げるように消えて行った。
その後、宗右衛門が、渡辺勝基に会派の代表を譲ったことは、政界の人間に知れ渡り、さらに、南雲英一郎に全面協力することを表明すると、風向きは大きく変わった。
与党、野党、国民の支持を受け、南雲は再び、首相として、その政権は、戦後最大の長期政権となるのであった。
南雲が、久遠の病室に初めて現れた当日、楓は病室で、久遠の幼い横顔を見ながら、ふと、時計を眺めていた。
すると、コンコンと、扉をノックする音がした。
「は、はい、どうぞ」
誰かが、見舞いに来たと思った楓は、突然、南雲が病室に入って来たことに、
「え!」
「あ、どうもー!」
南雲は、オタク丸出しの格好で、楓の前に立つと、開口一番、
「何時も、久遠君にはお世話になってます」
「へ?」
もう何が何だか分からない様子の楓は、頭の中が真っ白になっていた。
南雲は、お構いなしに紙袋から、可愛らしい女の子のフィギュアを取り出すと、
「これ、ニル・ヴァーナのマスコット・キャラクターの『シノン』ちゃんです。可愛いでしょう、お母さん」
誇らしげに見せる、そのマスコットには、楓も心当たりがある。
久遠が最近始めた、オンラインゲームのCMに登場する、キャラクターの女の子だ。
でも、それと、南雲の突然の来訪には、何の接点もなく、楓は困惑していた。
「あ、すいません、突然お邪魔して。自己紹介もしてませんでしたね、私は……」
「南雲英一郎さんですよね」
「ご存じなんですか?」
これほど有名な人物を、知らない者などいないと、楓は思った。
謙虚なのか、抜けてるのか、今までイメージしていた人物像とは、余りにもかけ離れていたため、ソックリさんが病室を間違えて、賑やかしに来たと思ったほどだ。
何とか、南雲の文脈を読み取り、久遠の事を知ってることは、理解した楓が、
「久遠とは、どういったご関係で?」
「はい。私も、ニル・ヴァーナというオンラインゲームを、夢中になってプレイしている人間の一人でして、ゲーム上では『ロイ』と名乗っています。久遠君には、最初の頃、ライセンスマッチという対戦で助けて頂き、それ以来の友人です、ははは」
そう言うと、南雲は無邪気に笑う。
楓は、まさか、久遠が遊んでいる仮想世界で、現実世界の首相と、友人関係を気付いているなど、まったく信じられず、その場で固まっていた。
「大丈夫ですか、お母さん?」
「は、はい。と、とても、驚いてしまって……」
頭が落ち着くまで時間が掛かったが、深呼吸をすると、最近のネット環境では、不特定多数の人間が、匿名で参加して、交流を深めていることぐらいは知っていた楓は、驚きながらも、納得することが出来た。
「それにしても、大変な身の上ということは、本当だったんですね」
久遠の姿を見て、先程までの、オチャラケた表情は消え、南雲は、真剣な眼差しを二人に向けた。
「ええ」
「……」
南雲は、久遠の、やせ細った腕や足を眺め、何やら考え込んでいた。
「この病室には、私と夫以外、あまり親族も会いに来ないんです。ですから、久し振りのお見舞いに、久遠も喜んでいますよ」
「え……」
久遠の瞼が、少し動くのを見て取ると、楓は、嬉しそうに南雲に話す。
「他の方は、会いに来られないんですか?」
「この状態の、この子を不憫に思って、なかなか、足を運ぶことが出来ないでしょうね。無理はないけど、でも……」




