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3 初対面の親友①


「リヒテさまにお怪我がなくてよかった!」

 きゃるんきゃるんと場違いに明るくついでに髪の色も華やかな潤朱である少女の名前はシスクという。リヒテの連れだ。

 賊のアジトでできることはあらかた終えて、朝日の白む帰り道、シスクはリヒテの腕に自分の腕を絡めて離れなかった。他の捕われていた女性たちは憔悴し力なく歩を進めているのに、一人だけやたら元気だ。

 最初は賊を生かすために労を費やすことに反対したが、強硬にアークが主張すると折れて手伝ってくれたリヒテは疲れたように――後始末のせいではないだろう――腕を持ち上げる。意に介さずにこにこしたままシスクはぶら下がった。

「オレのセリフのはずなんだけどなそれ」

「わたくしはリヒテさまの護衛ですから、リヒテさまの御身を案じるのは当然のことです」

 と彼女は胸を張った。

「護衛が攫われて、護衛対象が護衛を助けに行ったの?」

 シスクを挟んで並んで歩くリヒテにアークが尋ねると、彼は肩を竦めた。

「そうなる」

「おかしくない?」

「どうして? 助けていただかないと護衛が続けられないじゃない」

 肩に頭を寄せて愛おしそうにすりすりする。

「ん~~~~」

 筋は通っている。通って、いる、か?

「言いくるめられてます、言いくるめられてますよー」

 女性たちのしんがりからスイージュが半笑いで声をかけてくる。

「恋人じゃないの?」

「恋人じゃねぇ。みればわかるだろ」

 面倒くさげな返事は照れているのではなさそうだ。見てわかりそうな関係は恋人しかない。見た感じだいぶお似合いのカップルだ。

「はい! わたくしはリヒテさまの護衛兼従者兼よとぅむぅ」

 絡めた腕を一本外して手を挙げ答える彼女の髪を後ろから手を回してリヒテが引っ張り、いきなり真上を向かされたシスクはそれに気分を害しもせず、

「舌を噛みましたリヒテさま」

「最後の言わなくていいっていつも言ってるよな」

「言いたいのです」

「やめろ」

「……なんか、複雑?」

リヒテは髪を引っ張っていた手を離して後ろ頭を乱す。

「詳しいことはこんなところ歩きながら話す内容じゃねぇから列車に戻ったら説明する……お前はそれまで黙ってろな。あともう離れろ重いし歩きづらい」

「はーい」

 言われた通り、シスクは一人で歩き始める。アークが避難したリヒテたちの元へ着いたときには既にシスクはハートマークを飛ばしてべったりだったので、まともに彼女が立っているのを初めて見た。

 背筋が伸びて左右に偏りがなく足音がしない。訓練をされている。護衛というのは冗談ではなさそうだ。だとすると、リヒテは護衛がつく、もしくはつけなければならない身分の人間だ。悪い家柄ではなさそうだと推していたが、アークが推し測った以上なのかもしれない。護衛を助けに行く護衛対象がどの程度の身分は、はかりかねる。

 会話が途切れて単調に歩くだけになると、段々眠気が襲ってきた。数時間しか寝てないのに一晩中動き回ったのだから緊張が緩めば健康な体が休息をとろうとするのはまっとうな現象だ。

 小さくあくびをして隣を窺う。リヒテは同じく眠そうであるのにシスクの瞳は爽やかな光を映して意気を反射している。

「眠くないの?」

「護衛だもの。寝ずの番も仕事のうちだから」

 健康を保つため毎日規則正しく生活していたので、アークは徹夜に耐える訓練だけはしたことがなかった。

 眠い。


          ✜


 スイージュに混合者(ミクラ)の男――名前は尋ねなかったし彼も名乗らなかった――にも看破されていたと聞いて唸ったのだが、どうやら自分は見る者が見ればマテラス帝室の血筋だとわかりやすいらしい、と知り、アークは髪を染めて装備に眼鏡を加えることを真剣に検討した。

 列車に戻って数時間睡眠をとってから、改めてアークはリヒテたちと自己紹介をした。女たちを助けて戻った礼に提供された、特一等室の絨毯に集まって座ってのことだ。

「あなたは十六年前、病で国を出たアクロノクト殿下の皇女、アーキタイプクルチェ姫殿下だろう?」

 自分をどのように語るか迷っていたところ、出し抜けにそう言われた。

「うん」

 その通りであり、訂正するところがないので他に返事のしようがなく、そのまま首肯をした。

 リヒテはアークの反応にばつが悪い顔をして、

「暴くような言い方をしてすまない。最初に確認しておきたくて」

「えーと。なんでわかるの? 本名なんて滅多に使わないのに。父さんまで」

 その返答の前に彼は居住まいを正す。床に親指の先をあてて頭を下げる。

「ここからはオレの紹介になります。オレはサスラ王国の第一王位継承者、リヒテ・スライ。このようなところでお目にかかれて光栄です、アーク姫」

「うん?」

「言われてみればイツェン王に似てます。前髪の一房が薄くてメッシュになってるのが特徴的なんですよねスライ王家の血筋は」

 スイージュが頬に手を当てる。リヒテは彼女に向き直った。

「あなたは聖湖の神殿の聖女、《血塗れ(ブラッディ・)聖女(ザ・ハート)》でいらっしゃいますね? 先だっては無礼な物言いを繰り返して申し訳ありません。あまり余裕がなかったものですから」

「はい。わたしとこれからも話をしたいなら無礼なほうに戻してください。そういう態度の変えられ方は嫌いです」

 こういうとき相手に懐っこいような笑みを与えるのはスイージュの恫喝である。彼女は、嫌なものをそれは嫌いだ、とはっきり表示する。人付き合いの中でそういった感情を常に周囲に受け入れさせるのは自分が嫌われる要因に容易くなりうるが、彼女が基本的に心から嫌がっているのが『崇め奉られること』。常人が嘯いていたら鼻つまみものだが、歩く御神体である神殿の聖女が嫌がるならそれなりの事情があるのだろうと察せられる。アークも遠慮して敬い、崇め畏まるのは厳しく禁じられた。

「容赦がない」

 リヒテは首を動かしてあぐらをかいた足首に両手を置く。

「親父が言ってた通りだ。慈悲深く容赦がない。堅苦しいのはオレも好きじゃねぇから楽で助かるけどな」

「これが即位式での初対面なら別でしたけどね。急に『お前と親しくなったつもりはない』という振る舞いになられるのってとっても傷つくんですよ」

「ならお言葉に甘えて今後よしなに。――もう一人の連れは《地平粛清(レベル・ホライズン)》なんだな?」

 リヴィスは損壊した列車の瓦礫を片付けたり倒れた三等車から荷物を運び出したりする手伝いをしていてここにはいない。一度顔を見せ、崩れていた二等車最後尾にいた客は隙間に入り込んでいてほぼ怪我がなかったと報告して、なぜか首をひねってからまた作業に戻っていった。手を出したからには列車が動くまでは手伝うようだ。

「そーです。察しがいいですね」

「《血塗れ聖女》と一緒にいる『リヴィス』が偶然《地平粛清》と同名だと思うほど鈍くねぇな。

 ……姫?」

「彼女にも普通でいいですよ」

「どうしたんだ? さっきから狸の寝言聞いたような顔して黙っているが」

「自分の人生を振り返って世界について考えてる」

 無感動に頷く。生きている世界が自分だけ違う。家柄がいいのではと推測していたが王子様だとは思わなかった。しかもスイージュが即座に納得して彼の父親イツェン国王を語る。サスラは聖湖で漁業をするから神殿の聖女が知っていても驚くことではなくむしろ『普通』である。

 『そういうのが普通』が自分の前に現れるのは、普通ではない。

スイージュがまばたきをして、

「そうでした、この子一回おいていっちゃうとついてこられない子なんでした。リヒテ、順番通りに、丁寧に話してあげてください」

 肩を傾けて、その反対に首を傾げる。

「順番って、どこを始めにすればいい? というか、本人、色々と自分のこと知らねぇんじゃないかこれ」

「わたしの聞いている彼女の自己認識は『田舎で育った野良皇女かっこ知名度低いかっこ閉じ』です」

「マジか」

 と眉をしかめるリヒテ。

「かっこの説明まで足してくれてありがとう。……あたし有名人なの?」

「嘘だろ。アクロノクト殿下の姫だぞ?」

「わたしもここ二十年近く自分の家で寝てたので情勢には疎くなっているんですが、世間的に彼女の扱いはどうなんです?」

「どうって、呪病を患って帝位継承権を辞そうと国を出たアクロノクト皇太子殿下には姫がいて、名前はアーキタイプクルチェ、年は現在十代半ばって程度のことが知れてるくらいだけど」

 簡単にではあるが、アークの素性のすべてが集約されている。おそるおそる問いかける。

「それって一般常識?」

「いや、連邦各国の上層部が知ってるくらいじゃねぇかな。たまにマテラスの大使が城に来るとアクロノクト皇太子殿下の現状について親父が訊くんだが、姫の話はたまに出る」

 他国の者までが自分を知っている。うなだれて、絨毯に手をつく。

「……父さんって……マテラスとは……縁が、切れて……」

「切れてるわけないだろ。現役の皇太子だぜ」

「父さん、あたしが生まれてこの方、マテラスには帰ったことないはずなんだけど」

「帝室が殿下をどんな風に扱おうとしてるのかはまでは知らねぇけど。だけど殿下の後に別の皇子の立太子礼は行われてないから身分は皇太子のままだな。太子が廃されるときは必ず別の皇子か皇女が立太子するのが慣例だから」

「うそー。父さんが皇太子皇太子って、じいちゃんそれあたしが生まれる前の話でしょーやだなあ的なあれだと思ってたのにー。だって父さんは帝室とは縁が切れてるってずっと言ってたし」

「じいちゃん?」

「……。元、近衛騎士軍大将……ハイカイ……あたしの剣のお師匠でもある……」

「言っていいか?」

「ん……」

「そいつじゃねーかな。アクロノクト殿下の現状報告、本国にしてるの」

「あたしも今そう思った……やだー、まだ父さんが皇太子のままなのじいちゃんの願望だと思ってたー。

 ……えっ、でもあたしに帝位の継承権はないよね?」

 リヒテは呆れかえって姿勢を崩す。

「なんでないと思う? 皇太子の姫に。ついでに言うならあなたの継承権は二位だ」

 めまいがした。

「マテラスの皇帝って男しかなれないんじゃないの? そう聞いたことがあるよ」

 しかしそれを聞かせてきたのは父なので、意図的にそう教えたのだということは察した。

「性別は関係なく『帝位継承権を持っている者が父親であること』がマテラスの帝位につく条件です。髪と瞳の色が〈皇黒〉であること、と言い換えても意味は同じです。帝室の血族は父親からの遺伝情報に〈皇黒〉が載っていると必ずそれが顕性なので。非常に明確な血統の証明です。妃の不倫の露見がとてもシビアです」

 見守っていたスイージュが講義のように指を回す。

「現代の継承の順番としましては現帝が指名して議会の承認を得ない限りは自動的に生まれの長幼順、母親の地位と男子であることが優先されます。

他にもややこしい決まりがありますけど、アクロノクトが皇太子に在位しているのなら、当代の皇帝に皇太子のさらに次を指名する権利はありませんのであなたは第二帝位継承者です。

ちなみに、あなたの子は、あなたの夫が継承権を持つ者でなければ継承権を持ちません。そのときはまたややこしい順番のきまりで次代が決定します」

「詳しいね」

「長生きしてますから。マテラスは聖湖に接している中でも古い国で、付き合いも初代からですし」

 動悸がして目の前で白い粒が点滅する。皇太子の娘。第二帝位継承者。

アークは次の次のマテラス皇帝になる。と、決まっている――。

「あたしはサメリュメの自治区のど田舎育ちで、マテラスに入国したのは今回の旅が初めてだし、最短距離で聖湖を目指したから帝都にも行ったことがないんだけど」

「これから行きますよ。皇帝のところにも顔を出しに行きます。それ目的で帝都に寄る道を選びました。帝宮に姫がお戻りです」

「行かない」

「連れて行きます」

 『泣き叫んでも覆さない』微笑で言い渡され、アークは顔を両手で覆って絨毯の上に倒れた。

「昨日の今日で、魔法使と第二帝位継承者になった。夢だ」

「どっちもずっとあなたでしたよ。世界は何一つ変わっていません。

お茶にしましょうか」

「そうだな。喉が渇いた。シスク!」

「はい」

 壁に面した机でずっと書き物をしていたシスクは呼ばれるとすぐにペンをおいて部屋を出て行く。スイージュが立った。

「手伝いましょう」

 お茶が運ばれてくるまでの間、アークは微動だにせず絨毯に転がっていた。

「嬉しくはないのか? 連邦盟主である帝国の次々代の皇帝になるんだぞ? 人によっては喉から手が出るほど欲しい地位だ」

 即答する。

「いらないそんな地位。マテラスのことよく知りもしないのに。あたしはマテラスに愛国心とか――それ以前に帰属意識も持ってない。自分たちの王様がそんなのじゃ、国民のほうだって困るでしょ。」

 戻ってきたスイージュに砂糖とミルクをどばどば入れられた紅茶を飲まされて、しかしそれで少し落ち着いて、頭痛を感じながらため息をつく。

「マテラスは現在、基本は民主主義の議会政治なので、勅令勅命がまったく出せないわけではありませんが、口を出すことがなければ皇帝のやることは上がってきた書類に淡々と御璽を捺すだけですから難しくありませんよ。祭祀祭礼の類いは覚えればいいことです」

 と、スイージュ。両足を伸ばして座った膝にソーサーを置いて、カップの取手に右手を、左手を反対側に添えて紅茶を口にしている姿は見た目の年相応の仕種らしく可愛らしい。これは自分がこうしたら可愛いとわかってやっているのだと何とはなしに思う。

「そういう問題じゃないんだよ」

「嫌なら身分を捨てることです。それで継承権はなくなります」

「じゃあそうする」

 リヒテが、何かを言いかけて口を開いて、言うのをやめたようだった。アークが見ていたので渋い表情になる。

「なんでもない」

 こんなとき突っ込んでいきそうなスイージュは目を閉じてカップに口をつけている。

 なんだろう?

「ところで、リヒテがシスクとどんな関係かまだ聞いてないよ。恋人じゃないって言ってたけど……」

「あ」

 スイージュがアークの前に左手を伸ばす。

「その話をするのは待ってください」

「なんで?」

「なんででも。わたしが言うのだから必要だと理解なさい」

「アークは魔法使だろう?」

 訝しげに、リヒテ。まるで魔法使じゃないのがおかしいとでもいうように。

 そこに井戸端会議で困ったおばさんのような身振りで頬に手を添えるスイージュである。

「魔法使ですよ。けれど、自分が魔法使であることを昨日まで知らないでいたんです。魔法は危なっかしいながら使えていたのが、魔法使だと自覚してスランプに陥ってしまいました。そして、第5要素は視えないときました」

 リヒテは口元に手をやって唸る。

「可哀想になってきたな」

「ええ、惨憺たるものです」

「なんだよーなにー」

 深い同情を見せられて、いじける。確かに、ちょっと、知らないことが多すぎたし、勝手な思い込みをしていたせいで余計な衝撃を受けたりはしたけれど、哀れまれていい気分はしない。

一方で、そこまでのことなのかと思うとまた別の意味で消沈する。知らなければならなかったのに知らなかった。できなければならないのにできない。誰かのせいにしたくても――主に師ハイカイと父のせいなのであるが、現在ここで求められているものが不足しているのは自分の責任だ。自分の不足というものは自分の落ち度なのであり、改めなければならない。

 取り返さなければならない。埋めなければならない。当たり前のことだ。当たり前のことは、当たり前にならなければいけない。

「ああ……、覚えるから、教えて。必要なことはみんな覚えるからさ」

「もちろん。そのつもりで弟子にしたのですから。必要なことはみんな教えましょう」

 空になったカップをソーサーに載せて敷布に置く。その微笑みはお師匠様というよりはやはり『お姉ちゃん』で、妹を可愛らしく思ってくれているようだ。

 小さな手が、アークの二の腕を撫でる。


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