番外編 設定裏話集
本編読了後にお読みください。各話の元ネタと、本作独自の設定をまとめています。
第一話「火の番」
■サウィンの夜とは?
古代ケルトの祝祭「サムハイン」に由来するお祭りです。10月31日の夜から11月1日にかけて行われます。秋の収穫期の終わりと冬の始まりにあたり、現代のハロウィンの起源の一つとされています。アイルランド語の発音に近い表記が「サウィン」で、本作ではこちらを使っています。
後世の伝承では、この時期は人間の世界と異界との境界が薄くなり、死者や妖精など、人ならざるものが現れると考えられていました。
祖霊を迎えるために戸を開け放つ風習は、伝承にもあります。篝火で招かれざるものたちを引きつけ、村から遠ざけるという役割は、本作独自の設定です。
■エイダン憧れの「リャナンシー」
アイルランドの伝承に登場する妖精です。美しい女性の姿で人間の芸術家などに近づき、霊感や創作の才を与える存在として知られています。
ただし、その関係は必ずしも幸福なものではありません。エイダンが目撃したリャナンシーは、たいそう豊満な身体をしていたらしく、彼がおっぱい星人として覚醒する原因となりました。
……研究者としての将来が心配です。
■命を削るミューズ
リャナンシーは、芸術家にインスピレーションを与える一方、関わった人間の生命力を奪い、死へと導く存在として描かれることもあります。
創作の才を授ける美しい妖精でありながら、愛する者を破滅させるかもしれない存在。まさに、恐ろしくも切ない「運命の女」なのです。
なお、エイダンが彼女に求めているものが、芸術的インスピレーションなのか、それとも別の何かなのかについては……作中の本人にお尋ねください。
第二話「プーカ」
■霧の向こうの正体「プーカ」とは?
プーカ(pooka)とはアイルランドの伝承に登場する、変幻自在の妖精、あるいは精霊です。人間を惑わせたり、旅人に不思議な体験をさせたりする存在として知られています。
■姿を変える妖精
プーカは、黒い馬や犬、ヤギ、ウサギなど、さまざまな動物の姿で語られています。物語によっては、人間の姿を取ることもあるようです。
黒い毛並みと金色に光る目は、伝承に沿った特徴です。今回エイダンの前に現れたのは、人間ほどの大きさがある黒い兎。伝承に登場する姿の一つを、本作なりにアレンジしています。
■サウィンの夜とプーカ
プーカは、サウィンの時期と結びつけて語られることもある存在です。人間の言葉を操り、旅人を惑わせたり、馬の背に乗せて夜の闇を駆け抜けたりする物語も伝わっています。アイルランドには、ハロウィンの後にブラックベリーを食べてはいけない、という言い伝えがあります。ハロウィンの夜にプーカが来て、実を台無しにするから、とされていました。
本作のプーカも、人間を無理やり連れ去るのではなく、言葉巧みに相手の好奇心を刺激してきました。
もっとも、エイダンの場合は、相手に誘われる前から自分で首を突っ込んでいる気もしますが……。
第三話「バンシー」
■死を告げる泣き声「バンシー」とは?
バンシーは、アイルランドの伝承に登場する妖精の一種です。
その名は、アイルランド語の「bean sí(妖精の女)」に由来するとされています。
バンシーは、特定の家系の人間が亡くなる前に現れ、悲しげな泣き声や叫び声を上げる存在として知られています。その声を聞いた者は、近しい人の死が迫っていることを知るのです。
■死を招くのか、それとも悲しんでいるのか
バンシーは、死の訪れを告げる不吉な存在として恐れられてきました。
しかし、本作では少し違った解釈をしています。
「人が死ぬから、私は泣くの」
彼女の泣き声は、死を引き起こすものではありません。すでに失われた誰かを悼む行為として、本作では描きました。
もちろん、これは本作独自の解釈です。
■ちなみに
エイダンは後ろ姿をリャナンシーと取り違えましたが、バンシーとリャナンシーは別の存在です。リャナンシーは芸術家に霊感を与える妖精、バンシーは家系の死を嘆く妖精とされます。どちらもアイルランドの女の妖精ですが、役割は大きく違います。
第四話「エッハ・ウシュケ」
■水辺の馬「エッハ・ウシュケ」とは?
エッハ・ウシュケ(each-uisce)は、「水の馬」を意味する水の精霊で、アイルランドとスコットランドの伝承に登場します。馬の姿をとることが多く、ケルピーに似ていますが、はるかに凶悪だとされます。作中で馬が「海の向こうの親戚」と呼んだケルピーは、スコットランドの伝承に由来する名です。
■貼り付く皮
エッハ・ウシュケは、立派な馬や、ときには美しい男の姿に化けます。人が乗っても、陸の上にいるあいだは無事です。ところが水の気配に触れた途端、皮が貼り付いて離れなくなり、そのまま水底へ連れて行かれるといいます。ケルピーにも、乗った者が貼り付いて降りられなくなる話があります。
本作のエッハ・ウシュケは、広場に水そのものを連れてきています。エイダンが手を背中に回していたのは、そのためです。
■「肝臓だけが浮かぶ」
獲物を水底で食べ尽くし、肝臓だけが水面に浮かぶ、という伝承があります。
本作の馬は、「水に浸かった人間は、なかなかうまい。肝はよくないがな」と言いました。理由があるのか、ただの好みなのか。本人に聞くしかありません。聞けたら、の話ですが。
■ちなみに
アイルランドの水棲馬は、捕まえて海から遠ざけておけば、最高の乗馬になる、という話も伝わっています。
……ただし、エイダンには試してほしくありません。
魚と人間の違いが分からない馬、という描き方は、本作独自の解釈です。
第五話「夜明け」
■師匠のモデル「ドルイド」とは?
ドルイドは、古代ケルト社会で宗教儀礼や知識の伝承などを担った人々です。古代ローマの著述家カエサルは、修業に二十年ほど費やす者もいたと記しています。
語源には諸説あり、「知る」と「樫の木」に関連づける説が知られています。また、中世アイルランドの物語では、予言者や魔術師など、さまざまな姿で描かれました。ただし、こうした後世の描写が古代の実像をそのまま伝えているとは限りません。
■本作の老ドルイド
古代の実像には不明な点も多いため、本作では「サウィンの夜に篝火の番を預かる、村の儀式の守り手」として設定しました。
優秀で、怖くて、儀式の準備に追われて、傷んだキノコ料理にあたる、少々迂闊な人です。
■エイダンの、サウィンの夜を過ごした感想は?
「バンシーさんには、失礼なことをしました。反省しています。胸は関係ありません」




