第三話
その夜。
【カルム】の空は、不気味なくらい静かだった。
宿の窓から見える二つの月。
風に揺れる街灯。
遠くで鳴る弦楽器の音。
ニュイはベッドに座りながら、本を開いていた。
でもページはほとんど進んでいない。
昼間の青い光が、頭から離れなかった。
“蒼骨竜”。
ただの噂だと思っていた。
けれどあの光を見た瞬間、
胸の奥が妙にざわついた。
まるで何かに呼ばれているみたいに。
「なぁ」
向かいのベッドから声がする。
クラウィスだった。
窓枠に座りながら、
缶酒を片手に夜空を見ている。
「お前、今日ちょっと変だった」
“……そう?”
「青い光見た時」
ニュイは少し黙る。
誤魔化そうかと思った。
でも。
“……嫌な感じがした”
クラウィスは笑わなかった。
冗談にも流さない。
その代わり、
静かに続きを待っている。
“なんか”
ニュイは自分の手を見る。
“あれ、普通の魔力じゃない気がする”
風が吹く。
カーテンが揺れる。
クラウィスは少しだけ目を細めた。
「じゃあ尚更行かなきゃな」
“なんでそうなるの”
「気になるだろ」
“死ぬよ”
「その時は頼むわ、大魔術師」
“誰が”
でも少しだけ、
笑ってしまった。
その時だった。
──コン、コン。
窓を叩く音。
二人が同時に振り向く。
そこには、
昼間市場で見た老人が立っていた。
いつの間に登ってきたのか。
三階だ。
普通じゃない。
「入っていいか」
低い声。
クラウィスは剣へ手を伸ばしかける。
でも老人はそれを見て、
静かに首を振った。
「敵じゃない」
ニュイは少し警戒しながらも、
窓を開けた。
老人は部屋へ入る。
雨の匂いがした。
砂漠の国なのに。
「お前達、蒼骨竜を追っているな」
“……だったら?”
老人はニュイを見る。
その片目だけで、
何かを見透かすように。
「特にお前だ、黒髪の魔術師」
空気が張り詰める。
「蒼骨竜は“魔力”を喰う」
ニュイの指先が止まる。
「普通の人間なら近づくだけで済む。だが」
老人は静かに続けた。
「強い魔力を持つ者は、呼ばれる」
沈黙。
遠くで風が鳴っている。
クラウィスが口を開く。
「……つまり?」
「この娘は既に目をつけられている」
その瞬間。
ニュイの胸の奥が、
小さく冷えた。
昼間感じた違和感。
あれは気のせいじゃなかった。
“……なんで分かるの”
老人はゆっくり外套をずらす。
その胸元には、
青い爪痕みたいな傷が残っていた。
「昔、俺も会った」
低い声。
「そして仲間を全員失った」
部屋が静まり返る。
クラウィスだけが、
妙に落ち着いた顔をしていた。
「じゃあアンタは」
「逃げろと言いに来た」
老人は真っ直ぐニュイを見る。
「蒼骨竜は災害だ。勝てる相手じゃない」
その時。
クラウィスが小さく笑った。
「でも」
老人が睨む。
クラウィスは窓の外を見ながら言う。
「そういう話聞くと、余計会いたくなるんだよな」
“馬鹿”
即答だった。
でも。
ニュイは否定できなかった。
怖い。
本当に危険だ。
なのに胸のどこかで、
自分も同じことを思ってしまっている。
“見てみたい”
その感情に気づいた瞬間、
ニュイは少しだけぞっとした。
老人は長く息を吐く。
「……お前達、似てるな」
“どこが”
「危険なものに惹かれる目をしてる」
その言葉に、
二人は同時に黙った。
夜風が部屋へ吹き込む。
遠い峡谷の方角。
また一瞬だけ、
青い光が空を染めた気がした。




