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摩訶不思議食堂のほっこり飯  作者: 修羅観音


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第36話前編:阿倍野晴道の戦闘狂なほっこり飯

ゴオォォォン――と、凄まじい風切り音を響かせながら最高速度で網の目のように広がるレールを駆け抜ける、東海道新幹線。


阿倍野晴道、17歳の高校2年生。

晴道は京都へと向かう車内の座席に深く腰掛け、飛ぶように過ぎ去っていく窓の外の景色を眺めながら、抑えきれない興奮で終始意気揚々としていた。


晴道の実家は、東京の賑やかな片隅にひっそりと佇む「物の怪神社」という、一見すると少し風変わりな名前の神社である。

ここは一般の観光客が綺麗な御朱印や可愛いお守りを求めて大挙して押し寄せるような、きらびやかな観光神社ではない。

そこは知る人ぞ知る特殊な役目を持った歴史ある場所であったため、神職である彼の両親と祖父母は、普段は他所の大きな神社を手伝う助勤神職として実務をこなしながら、静かに暮らしている。


しかし、その阿倍野の家こそは、代々途絶えることなく凄まじい呪術を脈々と継承してきた特別な家系であった。

その珍しい苗字からも容易に分かる通り、平安時代の伝説的な陰陽師である安倍晴明に非常に深い縁があると言われていて、正統なる一族として裏の世界では古くから広く認識されて来たと、晴道は教えられていた。

そして、長い時代を経るうちに幽世の勢力図が変わり、阿倍野の一族はただの占術や祈祷を行うだけでなく、人々の平穏を脅かす凶悪な物の怪や邪悪な魔をその強大な力で容赦なく祓い清める、武闘派の『祓術師』の一族として現代にまでその血脈を確かに伝えていた。


そのような歴史ある一族の、現代における唯一無二の一人息子として生まれた晴道は、この度、自らの実力をさらに極限まで高めるための『武者修行』という大名目を掲げ、千年の魔都と呼ばれる京都の高等学校へと単身転校する事になったのである。


晴道の術者としての歩みは、幼い頃からすでに始まっていた。

まだ物心もつかない7歳の頃から、厳格な祖父母と両親が神社の奥の院で行う禍々しい異界の儀式を張り詰めた空気の中で見学し始め、五感のすべてで術の基礎を叩き込まれた。

その後、12歳で中学生になってからは、自ら本格的な術の修業を開始した晴道。


かねてから晴道は、親の目の届かない自由な場所で気ままな一人暮らしをしてみたいと強く願っており、また、本格的に自らの足で修行を初めて5年程が経ち、7歳の頃からの手伝いや見学を含めれば通算10年の長きにわたる修行の成果を、そろそろ周囲にまざまざと見せつけたいという強い思いを抱いていた。

そのため、自分の磨き上げてきた一族の術の力が、数多の怪異が蠢く最高峰の土地である京都でどれだけ通用するのか、現地の不届きな化け物どもにどれだけ己の実力を知らしめることが出来るかという野心に、その若い胸はドクドクと激しく高鳴っていた。


晴道にとっては、自分の誇り高き苗字とも共通する、あの偉大なる祖先・安倍晴明の深い縁の土地へと乗り込むのだから、それだけで自然とテンションが天をも突くほどに上がるのは当然のことであった。

幼少期から、経験豊かな祖父母からも「お前には一族の歴史を塗り替えるほどの凄まじい才能がある」と太鼓判を押されて育てられてきたため、晴道は自らの実力に対してどこまでも自信満々であり、これから始まる京都入りへのワクワクとした純粋な高揚感がどうしても止まらない。


晴道には、まだ本物の妖怪変化、あるいは凶悪な怪異や物の怪との命懸けの実戦というものは、これまでの人生で一度も経験がない。

しかし、千年の歴史の中で怨霊や妖異が幾度となく蠢いてきた京都という呪術の本場の土地柄を考えれば、これからは嫌と言う程に本物の化け物達と直接拳を交える体験をすることになると確信していた。

そして、その時こそ自分の内に秘められた圧倒的な力を存分に発揮し、敵を完膚なきまでに叩き潰せる最高の舞台が整ったと考えていたのである。


新幹線の微かな揺れに合わせて、晴道は手元のペットボトルの緑茶を一口飲み、喉を潤してから、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて独りごちた。

「最近は親父もおふくろも『もう高校生になったんだから少しは落ち着いた行動と心構えを身につけろ』って、顔を合わせるたびにだんだん口うるさくなってきたからなあ。ぶっちゃけ家を出て一人で暴れるには、今回の転校は丁度いいタイミングだよな」


晴道は窓ガラスに映る自分の自信に満ち溢れた顔を見つめ、さらにその拳をギチッと力強く握りしめた。


「京都という本場の土地で、目に見える最高の実績をドカンと作りゃ、東京にいる親父もおふくろも、じいちゃんもばあちゃんも、誰も文句を言えなくなって俺のことを心の底から見直して褒めるだろうよ。家に伝わる一族の術は座学も含めて全部完璧に習得したし、対物の怪用の実戦空手だって、道場で5年以上やってんだ。せっかく魔都に乗り込むんだから、その辺の雑魚妖怪じゃなくて、歴史に名を残すような最凶の大物を派手に狩りたいよな」


晴道はそう言って獰猛な肉食獣のように不敵に笑い、自らの拳に宿る目に見えない霊気の熱量を感じながら、圧倒的な自信にその全身を満ち溢れさせているのだった。


---


###〜お歯黒べったりの強烈な記憶と、魔都京都へ降り立つ一歩〜


そんな由緒正しき祓術師の家系の一人息子として生まれた晴道の胸の奥には、今でも目を閉じれば鮮明に蘇る、人生の方向性を決定づけた、あまりにも強烈な記憶が刻まれていた。


現代の裏社会において、彼の祖父母はまさに生ける伝説のような存在であり、かつて現世を震撼させた巨大で禍々しい物の怪や、凶悪な怪異が襲来した際、並み居る呪術師達の先頭に立ってその圧倒的な力で追い払ったという、輝かしい武勇伝を持っていた。

その類い稀なる功績が各方面から大減賛された結果、現代においては一介の神社でありながら、他所の名だたる大きな神社からも「是非とも力を貸してほしい」と直々に御声がかかる程の、裏の呪術界における確固たる絶対的な地位を築き上げていた。


そして何より、晴道がまだ小学生だった頃の、7歳くらいの年に体験したあの夜の出来事こそが、すべての始まりであった。

ある静まり返った夜のこと、やんちゃ盛りだった晴道は、誰もいない実家の神社の境内で、大人の女性にしては少し小柄な、夜闇に妖しく映える綺麗な花柄の着物を着た一人の女性の姿を見かけた。

その女性は頭に白い角隠しという格式高い被り物を被って美しく髪を結っており、本殿に向かって熱心に手を合わせ、何事かを一心に拝んでいるように見えた。


普段からわんぱくでやんちゃ坊主だった晴道は、夜の神社に一人でいるそのお姉さんを後ろからちょっと脅かしてやろうと思いつき、足音を殺してそろそろと背後へ近づいてから、

「わ!」

と、耳元で思いっきり大声を張り上げた。


すると、次の瞬間。


「――ゲラゲラゲラゲラッ!」

空間を切り裂くような、世にも不気味で甲高い女の笑い声が境内に響き渡り、振り返ったその女性の姿を見て、晴道は心臓が止まるほどの衝撃を受けて驚いた。


「わーっ!化け物だーーーっ!」


晴道は腰を抜かさんばかりに絶叫して悲鳴を上げた。

なんと、振り向いた女性の顔にはあるべきはずの目も鼻も一切存在せず、のっぺらぼうのようでありながら口だけが付いており、その裂けた口元にはお歯黒がべったりと漆黒に塗られた、読んで字の如く「お歯黒べったり」という凄まじいインパクトを持つ怪異だったのである。


すると、恐怖に震える晴道の叫び声を聞きつけた両親と祖父母が、武器を手にすぐさま境内の奥から疾風の如き速さで駆け付けた。


「我が神域で一族の者に手を出すか、不届き者が!」


祖父が怒号を上げると、シュパパパパパッ!――という鮮烈な効果音と共に、怪異の肉体を容赦なく縛り上げる特製の御札やら、一撃で魔を打ち砕く強力な破邪の術やらを、全員で文字通り思いっきりぶつけまくった。

さしものお歯黒べったりも、現代最高峰の祓術師達の容赦ない波状攻撃には耐えかねたようで、そそくさと幾重にも重なる影に紛れて神社から命からがら逃げて行った。


その時の幼い晴道は、恐ろしい怪異を圧倒的な力で撃退する家族の背中に激しい感銘を受けて震え、この瞬間から「俺もあんな風に、強くて格好良い術師としての道を歩むんだ!」と心に深く決意したという熱い思いが芽生えた。


そうして、この日を境にして神社の退屈だったはずの仕事や厳かな儀式、また、呪術や家に代々伝わる祓術師としての高度な技を真剣な目で見学し始め、中学生になると本格的に肉体と霊力を強化する修業を開始する。

更に、素手で物の怪と闘うように極秘裏に改良された、祓術師としての一撃必殺の空手を道場で習い始め、高校2年生となった今では黒帯の実力を有し、日々の鍛錬によって身長180㎝の、スマートかつ筋骨隆々としたアスリートの逞しい筋肉質な少年へと見事な成長を遂げていた。


短い髪をワイルドに調えられた精悍な顔立ちも、現代の女子高校生達から絶大な人気を誇るワイルド系のイケメンであり、さらに実戦空手を極めているがゆえに学校の男子からも一目置かれ、中学時代は少々乱暴者な一面もあったが、高校生になるにつれて実力に比例するように、それなりに落ち着いて来た晴道。

東京の学校の仲間達や女子生徒から、突然の転校を新天地への旅立ちとして涙ながらに名残しまれながらも、晴道は自らの力を試すべく、満を持して魔都・京都へ向けて旅立った。


そして……。


新幹線がブレーキの音を響かせながらプラットホームへと滑り込み、ついに約束の地である京都駅へと到着し、歴史ある京都の地へ力強く降り立った晴道。

晴道は身軽な大き目のリュック一つを背負って、ホームに降り立ち、古都の独特な霊気が混ざり合う空気を胸いっぱいに吸い込み、一つ大きく深呼吸する。


そして晴道は、ニヤリと不敵な主人公らしい笑みを浮かべると、拳を握りしめて力強く言い放った。

「よっしゃ、待ってろよ京都の化け物ども。こっからこの阿倍野晴道様の、誰もがひれ伏す最強の伝説が始まるぜ!」


晴道はどこまでも意気揚々として、これから住むことになる新居へ行くための路線バスに乗るため、巨大な京都駅のガラス張りの建物を抜け、大勢の観光客でごった返す駅前のバスターミナルに向かって、自信に満ちあふれた力強い足取りで堂々と歩き出すのであった。


---


###〜10畳の城と月曜日の高揚感、転校初日を待つ夜〜


京都駅前の巨大なバスターミナルに並ぶ無数の路線から目的のバスを見つけ出すと、晴道は大きなリュックを背負い直してステップを駆け上がり、勢いよく車内へと乗り込んだ。

プシューッと扉が閉まり、動き出したバスの車窓からは、古き良き木造の町家と近代的なビルが不思議に調和した古都の美しい街並みが次々と後ろへ流れていく。


東京とは明らかに違う独特の霊的な重みを含んだ空気を肌で感じながら、バスに揺られることしばらく、晴道は目的の高等学校の最寄りのバス停に到着し、力強い足取りで下車した。

そのまま真新しい校門をくぐって校舎へと足を踏み入れ、少し緊張した面持ちの教職員達が待つ職員室で「これからお世話になります、阿倍野晴道です!」と精悍な声で挨拶を交わす。


転入に伴う諸々の書類の手続きをテキパキと済ませた後、晴道は休む間もなく今度は現地の役所へと向かい、新生活に必要な各種手続きのために窓口をいくつも回った。

慣れない公的な手続きに追われながらも、全ての用事を無事に済ませて外に出た頃には、京都の空は綺麗な茜色に染まり、街頭にぽつぽつと灯りがともり始めるすっかり夕方になっていた。


この転校先の高等学校には、遠方からの学生のための寮が無いということもあり、晴道は学校のすぐ最寄りにある、あらかじめ手配していたマンションへと向かう。

そこは、京都の学生街の相場から見ても驚くほどに破格な、家賃が2万円台前半という信じられない安さでありながら、中に入ってみれば驚くほど綺麗で整った、洋室10畳程の広々としたワンルームマンションであった。


「お、想像してたより全然広くてめちゃくちゃ綺麗じゃん!」


コンパクトでありながら自炊をするには不自由しない台所も、清潔感のあるユニットバスも完備されており、男の一人暮らしを始めるには十分過ぎるほどの充実した設備である。

晴道は自分だけの新居のクオリティに心の底から大満足すると、東京の実家から郵送され、部屋の中にすでに運び込まれて置かれていた数個の大きな段ボール箱の荷解きに早速取り掛かった。

お気に入りの私服や学校の制服、空手の道着、そして一族の秘術が記された古い書物や呪具などを手際よく定位置へ収め、小一時間ほどで全ての荷解きを終える。


片付けを終えて、どっと腹が空いてきた晴道は、これからの毎日の活力となる夕飯を食べる場所を探すため、マンションの鍵をポケットに放り込んで、周辺の近所をのんびりと散策してみることにした。


大通りに出て少し歩いてみると、周囲には香ばしい匂いを漂わせるラーメン屋をはじめ、ボリューム満点の定食屋、お洒落な喫茶店や洋食屋、さらには日々の買い物に便利なスーパーマーケットまでが綺麗に揃っている。

さらに、大通りをそのまま真っ直ぐ東へ向かって25分から30分ほど歩いていけば、何でも揃う大きなショッピングモールもあるため、生活拠点としてはこれ以上ないなかなかの立地であった。


「よしよし、これなら飯にも日用品にも特に不便することはないな!」


周辺の素晴らしい環境をしっかりと把握して安心した晴道は、今夜の夕飯として一番最初に目を引いた近所のラーメン屋の暖簾をくぐり、威勢のいい声に迎えられた。

運ばれてきた熱々のラーメンをズズッ、ズズズッ!と豪快に音を立てて口に頬張り、濃厚なスープを飲み干して一日の疲れを吹き飛ばすと、大満足でマンションの部屋へと戻った。


シャワーを浴びてすっきりした晴道は、ふかふかの布団の中へと潜り込み、転校初日のことを思った。

いよいよ週明けの月曜日に、この見知らぬ新天地での、そして数多の怪異が蠢く最高峰の魔都市での新しい生活が本格的に始まるのだという事実に、胸の奥から止めどない高揚感がふつふつと湧き上がってくる。


ベッドの中で枕に頭を沈めながら、晴道はニヤリとワイルドな笑みを浮かべて天井を見つめた。

「さて、月曜の初登校はどんなスタートになるか、今からマジで楽しみだぜ。……あ、一族の術の修行も空手も大事だけど、転校先のクラスに東京の奴らには負けないくらいめちゃくちゃ可愛い子とかいるかなぁ」


まだ見ぬ新しい仲間達や、これから出会うであろう強大な物の怪達の存在に、そして年頃の男子らしい淡い期待に胸をワクワクと膨らませながら、晴道は心地よい疲労感に包まれて、深い眠りへと静かに落ちていくのであった。


---


###〜転校初日の豪快な自己紹介と、微積分を算数と呼ぶ残念美人の担任〜


週明けの月曜日、初夏の清々しい朝の太陽が新居の窓から差し込むと同時に、晴道は跳ね起きるようにしてベッドから飛び出した。

ビシッとシワ一つない新しい学校の制服に身を包み、鏡の前で短い髪をワイルドに整えると、抑えきれない高揚感を胸に抱いたままマンションを後にした。

通学路を行き交う新しい生徒達の波に混ざりながら校門をくぐり、まずは早めの時間帯に職員室へと顔を出して、緊張気味の教員達にハキハキと挨拶を済ませる。

転校初日のための諸々の書類確認や準備を完璧に終えると、いよいよこれから過ごすことになる新しい学び舎、そして新しいクラスの教室へと案内されることになった。


キーンコーンカーンコーン――と、朝の始まりを告げるチャイムの音が校内に鳴り響き、ざわざわとしていた廊下の雰囲気が一変する。

担任の教諭に促されて教室の前で待機していると、ガラガラッ――と重厚な木の扉が開け放たれる心地よい効果音が響き渡り、晴道は一歩を踏み出して新しいクラスへと足を踏み入れた。


東京からやってきた身長180㎝の筋骨隆々としたワイルド系のイケメンの登場に、それまで朝の雑談を楽しんでいた教室内の空気は一瞬にして静まり返り、全生徒の視線が教壇の晴道へと一斉に集中する。

晴道は不敵な笑みを浮かべながら教卓に歩み寄ると、チョークを手に取り、黒板に向かってコツコツコツッと小気味よい音を立てて力強く自身の名前を書きなぐった。


「東京の物の怪神社から転校してきました、阿倍野晴道です!実家は由緒正しい神社で、将来は家を継いで神職、つまり宮司になるために、その修行の一環として、この歴史ある京都の街にやってきました!趣味と実益を兼ねて、実戦空手をゴリゴリにやってます!あと、ついでに言っておくと、現在彼女募集中です!これからよろしくな!」


教壇の上からクラス全体を見渡しながら、晴道は実に元気で豪快な声を響かせて堂々と自己紹介の挨拶をブチかます。

そのあまりにも規格外で自信に満ちあふれた挨拶を聞いた瞬間、教室のあちこちで爆弾が弾けたような大きなざわめきが巻き起こった。


まず反応したのは、クラスの運動部に所属する男子生徒達であり、彼らは晴道の180㎝の恵まれた体格と、実戦空手という強力なワードを耳にするや否や、すぐさま我が部活への強烈な勧誘作戦を頭の中に思い浮かべて目をギラつかせ始めた。

それ以上に激しい反応を示したのは女子生徒達であり、東京から来たワイルド系の男前、背も高くてスタイル抜群のスポーツマンという最高の物件が現れたこともあって、瞬く間に教室内が色めき立ってその両目をハート形に輝かせ始めた。


「キャー!なあなあ、めちゃくちゃイケメンやない!?好みのタイプすぎるわ!」「しかも自分から彼女募集中って言ったで!誰かに取られる前に、ウチが一番に立候補しちゃおうかな!」などと、女子達の黄色い声が蜂の巣をつついたような騒ぎになって広がっていく。


そんな教室内の大盛り上がりな様子を前にして、教壇の横に立っていた担任の女性教諭が、眠たげな目を擦りながらヌボーっとした気の抜けた動作で前に出た。

彼女はどこか浮世離れした雰囲気を漂わせる、おっとりとした声音のまま口を開く。


「はいはい、みんなー。東京からごっつ男前の転校生がやってきて朝から騒ぎたくなるんも十分にわかるけどな、あんまり初日から質問攻めにしたりして、阿倍野くんを困らせんようになー。ほな、ホームルームはこれくらいにして、さっそく1時間目の算数からしっかり気合を入れて勉強しよしー」

担任の女性教諭は相変わらずヌボーっとした表情のまま、大人のはんなりとした京都弁でとんでもない言葉をサラリと言い放った。


その言葉を耳にした晴道は、思わずズッコケそうになりながらも、持ち前のノリの良さで笑顔を浮かべて教壇からツッコミを入れた。

「ちょっと待ってください先生!高校2年生なのに、算数って何ですか!?そこは普通、数学じゃないんすか!?」


晴道が絶妙なタイミングで笑いながら指摘すると、それを見たクラスのみんなも待ってましたとばかりに、ドッハハハハ!と教室内でどっと大きな笑いが起こった。

周囲の席の生徒達が笑いながら晴道に声をかける。

「あはは!阿倍野くん、ナイスツッコミやわ!」「そうそう、うちらの担任はいつもこういうズレた先生やねん、あまり深く突っ込まんといてあげて!」


クラス全員からのツッコミと笑いに包まれてもなお、担任の残念美人の女性教諭は一切動じることなく、フッと不敵な笑みを浮かべてその人差し指をピッと天に向けて立ててみせた。

「何を言うとるんですか、阿倍野くん。この世の学問においてね、微積分まではすべて算数の範疇なんですよ。要するに、電卓を使わんと頭の中の暗算だけでパパッと処理出来る分野は、高度な数学やなくて全部ただの算数、アンダスタン?」


担任はドヤ顔で人差し指を揺らしたかと思うと、そのまま教壇の荷物をまとめて歩き出した。

「ほな、転校生もツッコミのキレがええことがわかったし、1時間目からしっかり学べよー、少年少女共ー」

彼女はそれだけを言い残すと、やはりヌボーっとした独特のマイペースな空気感を纏ったまま、颯爽と教室を出ていってしまった。


「いやあ、本当に面白い学校に来ちまったな」

晴道はクラスの温かい空気に手応えを感じながら、背が高いという事もあり、指定された窓際の一番後ろの席に向かって歩いて行き、どっしりと腰を下ろした。


すると、席に座った瞬間に前後左右の席の生徒達から、親しみやすい声が次々と降ってきた。

「阿倍野くん、うちらの担任は顔だけは無駄に綺麗な残念美人やから、これからは何言われても気にせんといてな!」「自己紹介めっちゃ格好良かったで!でも、次の休み時間は女子からの質問攻めになるんは覚悟しといてや!」

等々、初対面のクラスメイト達からの好意的な言葉攻勢を受ける。


こうして、晴道は京都での新生活の滑り出しは上々であるという、確かな手ごたえを全身で感じていた。

1時間目の授業の準備をするためにリュックから教科書を取り出しながら、晴道は心の中で静かに自身のスタンスを再確認した。


(よしよし、掴みはバッチリだな。実家が神社だって事はみんなに普通に話したけど、ここからさらに家に伝わる本物の呪術とか、魔を祓う祓術師の家系なんだなんて詳細まで話しちまったら、せっかくの初日から重度の中二病扱いされて孤立しちまうかもしれねえからな。これについての裏の能力のことは、しばらくの間は内緒にして完全に伏せておくのが正解か。折角めちゃくちゃいいスタートを切れたんだからな、このまま学校生活を楽しまねえと損だぜ)


晴道はワイルドな笑みを心の内に隠し、これからの学園生活、そして京都の街に潜む恐ろしい物の怪達とのまだ見ぬ闘いに胸を躍らせながら、まずは1時間目の授業から真面目に受けることにした。


---


###〜廊下を駆ける恋の喧騒と、晴道の目を奪いし一瞬の残影〜


1時間目の授業が無事に終了したことを告げるチャイムが校内に鳴り響いた瞬間。

晴道が座る一番後ろの席の周りには、示し合わせたかのように数多くの女子生徒達がドッと津波のように押し寄せてきた。

「ねえねえ晴道くん!東京のどこから来たん?」「部活は何入るか決めてるん?」「好きな女の子のタイプはどんな感じ?」などと、女子高生達ならではの容赦のない凄まじい質問攻めの嵐が巻き起こる。


しかし、晴道は東京の学校でも常に中心にいた、いわゆる生粋のトップ陽キャっぷりを遺憾なく発揮し、その端正な顔立ちに爽やかなワイルドスマイルを浮かべながら、飛んでくる質問の数々を軽快なトークとノリの良さで難なく完璧にこなしていく。

そのあまりにも完璧で大人びたスマートな対応に、女子達の好感度はさらに天井知らずで跳ね上がり、次の休み時間、更にその次の休み時間が訪れる度に、変則的な質問攻めが繰り返されることとなったが、晴道はその賑やかな状況を退屈することなく存分に楽しんでいた。


そうして、濃密な時間の中で数学、現代文、古文、日本史という本日の4科目の授業がすべて滞りなく終わり、腹の虫が鳴る昼の時間を迎えた。

午前中だけで全ての授業が終了するという独自のカリキュラムを持つこの高等学校では、放課後となる昼を境にして、午後から部活動に励む生徒達が学食へ向かったり、あるいは美味しい昼食を求めて一度学校の外へ買い出しに出たりと、校内全体が一気に活気づいて賑やかになる。


4時間目の終了を告げるキーンコーンカーンコーンというチャイムの音が響き渡ると、晴道はすぐにクラスの女子達から「さあ晴道くん!うちらが最高の学食を隅々まで案内するで!」と腕を引かれ、半ば強引に教室から連れ出される形となった。

それを廊下の向こうから「おいおい、初日からいきなりハーレム状態とか、羨ましすぎるやん……」と、指をくわえて羨ましそうに眺めていた男子生徒達も、すぐに気を取り直すと、午後からの部活の激しい準備に取りかかるため、自分達の昼食を取りにそれぞれの目的地へと向かう。


晴道が女子達の先頭に立って教室の前の廊下へと一歩踏み出した、まさにその時。

行く手を遮るようにして、学年中でも一際目立つ可愛らしい3人娘がトトトッと目の前に近寄って来て、晴道一行は思わぬ形で足止めを喰らうこととなった。

その3人は、短い茶髪が実によく似合う活発そうな子、艶やかな黒髪ボブを揺らすおっとりした雰囲気の子、そして高めの位置で綺麗な金髪ポニーテールを結った華やかな子で、全員が今時の可愛い女子高生という感じの素晴らしい容姿をしている。


短い茶髪の子が、腕を組んで晴道の180㎝の長身を足元から頭のてっぺんまでまじまじと観察するように見つめると、興味深そうに口を開く。

「へぇ、君が今朝からうちらの学年中で大騒ぎになってる、噂のイケメン転校生やね。ふむふむ、実際に近くで見てみたら、確かに文句なしに格好ええわ」


茶髪の子が納得したように呟くと、その隣に並ぶ黒髪ボブの子も、金髪ポニーテールの子も、お互いの顔を見合わせながらうんうんと深く同意するように何度も頷く。


「お、なんだなんだ。やっぱ東京から新しい転校生が来たら、早速学年中の噂になっちまうもんなのかよ。なぁ、もしかして君ら3人も、俺の彼女に立候補しにきてくれたクチか?」

正面からの突然のストレートな称賛に対し、晴道はフッとワイルドな笑みを浮かべ、少し身を乗り出して軽いノリで返した。


晴道が楽しげに笑いながら問いかけると、黒髪ボブの子がその綺麗な目を少し細めて、クスリと笑った。

「うーん、立候補したいのは山々やけどねぇ。阿倍野くんはもの凄くイケメンやけど、その周りを見たら分かる通り、とにかくライバルがめちゃくちゃ多そうやからなぁ」


ボブの子がそう言って周囲を指差した瞬間、それまで晴道の周りをがっちりとガードするようにまとわりついていたクラスの女子達が、顔を真っ赤にして文句を言い始めた。

「あーっ!出たな!学年中のあらゆる情報に首を突っ込む、噂好き文芸部の3人娘!」「せっかくうちらが初日から晴道くんと仲良くお昼ご飯を食べようとしてるんやから、邪魔して取らんといてよ!」「そうやそうや!そっちの文芸部には、もうすでに別のイケメンがキープされてるやんか!」などと、廊下のあちこちからブーブーブーと激しい文句と抗議の声が飛び交い始める。


その取り巻き達の激しい剣幕に対して、金髪ポニーテールの子は全く動じる様子もなく、フフッと大人の余裕を漂わせながら楽しげに笑った。

「あはは、そんなに怒らんといて。うちらは別に、阿倍野くんをそっちから無理やり奪い取りに来たわけやないがな。ただ単に、東京からどんな面白い人が新しく来たんか、文芸部のリサーチとしてちょっと顔を見に来ただけや。ほな、目的は果たせたし、うちらはお腹空いたからお昼ご飯を食べに行くからね」


3人娘がクルリと背を向けて歩き出そうとするのを見て、晴道はさらに調子に乗るようにして、声を一段と大きくして笑いかけた。

「なんだよ、もう行っちゃうのか?折角だから何かの縁だし、みんなで一緒に賑やかに昼食会でもするか?俺としては、君達みたいな可愛い子はいつでも大歓迎だぜ?」


晴道がそう言ってウインクを飛ばすと、周囲にいた他の取り巻きの女子生徒達が一斉に「えーーー!?晴道くん、それは絶対にアカン!」「ただでさえ席が近い女子だけで争奪戦になってんのに、これ以上ライバルが増えるんは絶対に嫌や!」などと言い出し、廊下はまるでアイドルの出待ち現場のような凄まじい喧騒に包まれていく。


晴道は自分の存在が新天地でこれほどの大騒ぎを引き起こしているという現状に対し、男としての絶対的な優越感に浸りながら、その楽しげな喧騒を最高の気分で聞いていたのだが……。


その騒がしい廊下の向こうから、パタパタパタと、周囲の喧騒とは明らかに一線を画す、落ち着いた足音がこちらへと近づいて来る。

それは、一組の男女が並んで歩調を合わせ、晴道達のすぐ横の廊下を通り過ぎようとしていた音だった。


「……なんや、今日のお昼はやけに騒がしいなぁ」

並んで歩く男女のうち、女子生徒の方が、その賑やかな人だかりの様子を横目でチラリと見やりながら、はんなりとした独特の落ち着いた声音で小さく呟き、そのまま何気なく通り抜けていった。


その瞬間……。


「――ッ!?」


ドクン……!と、晴道の胸の奥にある術師としての、そして本能としての心臓の鼓動が、これまでにないほどに激しく、そして熱く跳ね上がった。

晴道はその二人から放たれた、現世の普通の人間とは明らかに異なる圧倒的な『何か』を感じ取り、まるで全身に雷が落ちたかのような強烈な衝撃を受け、一瞬にして歩いて行く二人、特に女子生徒の姿へと自分のすべての目を奪われてしまった。


それまでの女子達との楽しい会話も、廊下の喧騒も、すべての音が晴道の頭の中から一瞬で消え去り、視線の先を行くその女子生徒の後ろ姿だけが、彼の網膜に強烈な残影として焼き付いていく。

晴道は息を呑んだまま、ただただその場に立ち尽くし、彼女の去り行く背中を真っ直ぐに見つめ続けた。


---


###〜廊下を駆ける大和美人と、名家に蠢く気配の追跡劇〜


晴道の視線を一瞬にして釘付けにしたその女子生徒は、陽光を浴びてきらきらと光る、艶のある美しい黒髪を高い位置で一本のポニーテールに結わえていた。

その隙のない姿といい、歩く度に微かに香る清らかな空気といい、まさに現代に咲いた最高の大和美人と言うような息を呑むほどの美少女。

すれ違いざまに放たれた、現世の常人とは明らかに一線を画す濃密で研ぎ澄まされた気配に、晴道の祓術師としての本能が激しく警鐘を鳴らす。


去って行くその特別な美少女をこのまま絶対に見失うまいと、晴道はまさに教室の前から去ろうとしていた文芸部の3人娘に向かって、大慌てで鋭い声をかけた。

「おい、ちょっと待ってくれ!なあ、今そこを通り過ぎていった、あの黒髪ポニーテールの子って一体誰なんだ?何年の何ていう名前の奴だ?」


晴道がこれまでにないほど真剣な目をギラつかせて尋ねると、呼び止められた3人娘は意外そうな表情で立ち止まる。

まず最初に反応したのは、艶やかな黒髪ボブの子であった。


「え?ああ、今そこを通っていったポニーテールの子って、綱江ちゃんの事?」

ボブの子はそう言いながら、廊下の向こうへと歩みを進めている綱江と呼ばれた少女の背中の方を、不思議そうに見つめる。


すると、短い茶髪の子が晴道のそのあまりの食いつきっぷりに気づき、その口元にいたずらっぽい笑みを浮かべてニヤニヤとからかい始めた。

「あ、もしかして阿倍野くん、今すれ違った瞬間に、うちらのアイドル、綱江ちゃんに一目ぼれしてしもたん?東京の男の子は手が早くて情熱的やねぇ」


さらに、隣に立つ華やかな金髪ポニーテールの子も、同じように目を細めて楽しげにニヤニヤしながら、晴道に追い打ちをかけるように告げた。

「でもでも、残念でしたー!綱江ちゃんはね、もうすでに学年中が公認してるイケメンの彼氏持ちやから、そっちの恋の席は最初から完全に埋まってんで」


「え?彼氏?冗談だろ、隣を一緒に並んで歩いてる、見るからにひ弱そうなあいつのことか?」

晴道はフンと鼻を鳴らし、綱江のすぐ隣を穏やかな雰囲気で歩いている、一見するとどこにでもいそうな、やや小柄な少年の背中を、自らの実力への絶対の自信から少し睨むようにして見つめた。


術師としての荒々しい視線を向ける晴道に対し、黒髪ボブの子が人差し指をチッチッと横に振って、クスリと笑いながらその認識の甘さを訂正する。

「そうやで、付き合ってるのはあの子。女の子の方が渡辺綱江ちゃん、男の子の方が狐宮才狐君。でもね阿倍野くん、言っとくけど、才狐君のことはひ弱やないよ。確かに身長は170㎝無いくらいやから、男の子としてはそんなに背は高くないけど、服の下はもの凄く綺麗に引き締まった筋肉質で、ものごっつ格好ええ体をしてるんやで」


ボブの子がどこか誇らしげに語ると、短い茶髪の子も腕を組んで、晴道のワイルドな顔を覗き込むようにして言った。

「あー、もしかして阿倍野くん、その自慢の体格を武器にして、才狐君から綱江ちゃんを強引に奪い取るつもりなん?やめときやめとき、それは絶対に無駄やわ。ウチら文芸部だけやなくて、この学校のみんなであの微笑ましい二人を心の底から温かく応援してるんやからね」


すると、その会話を聞いていた晴道の周りの取り巻きになった女子生徒達も、文芸部の意見に同調するようにして口々に騒ぎ出し、教室内外の喧騒がさらに大きくなった。

「そやでそやで!あの二人は誰も入れへん特別な世界が出来上がってるから、うちらは遠くから眺めておくんが一番の癒やしなんや!」

「晴道くんはめちゃくちゃ格好ええけど、あの二人の絆に割り込むんは、流石に神様でも不可能やと思うわ!」


そんな女子達の必死の訴えを聞きながら、金髪ポニーテールの子がクスリと声を弾ませた。

「この男前な転校生が今朝ここにやって来るまで、才狐君の隠れた格好良さに気づいて密かにアプローチの機会を狙ってた女子連中が、よう言うてるわ。阿倍野君に鞍替えしたんがバレバレやで」


ポニテの子が楽しげに暴露すると、周りの女子達は一瞬にして顔を真っ赤にして、ブーブーと一斉に激しい抗議の声を上げ始めた。

「な、何言うてんのよ!あんたら文芸部かて、人の事言えへんくらい才狐君に興味津々やったやんか!」「第一、綱江ちゃんが本気でライバルになったら、うちらみたいな普通の女子は全員その瞬間に敗北確定やもん!勝ち目が一ミリもあらへん!」

廊下のあちこちから、女子高生達の賑やかな文句の声がガヤガヤと波のように広がっていく。


しかし、晴道はそんな周囲のすさまじい喧騒を完全に他所に、自身の口元を肉食獣のようにニヤリと大きく歪めて笑った。

(渡辺綱江に、狐宮才狐……。なるほどな、そういう名前か。女子どもは恋愛がどうのこうのと呑気に騒いでるが、俺の眼は誤魔化せねえぜ。あの渡辺って苗字の美少女から漂う、歴史ある強烈な武の気配。そして、その隣を歩く狐宮って奴の背中から微かに漏れ出してる、底の知れねえ妖しい霊力の揺らぎ……。あの二人は絶対にただの高校生じゃねえ。東京じゃお目にかかれなかった、本物の『怪の世界』の奴らだ!ついでに、綱江って子も俺の彼女にしてやる!)


バチバチバチッ――!と、晴道の脳内で戦闘狂としての熱い火花が激しく飛び散り、全身の血が沸騰するような最高の興奮が突き抜けた。


「――悪い!みんな、せっかく案内してくれるって言った学食は、また今度の機会にしてくれ!俺、あいつらにちょっとばかり、言葉じゃ説明できねえくらいの凄まじい興味が沸いちまってよ。そんじゃ、お先!」


晴道は楽しげにそう言い放つと走り出し、

「ええっ!?あーっ!晴道くん待ってーーーっ!」

という、取り巻きの女子達の引き止める大絶叫の声を背中で完全に振り切った。


タッタッタッタッ――!と、床を力強く蹴り上げる鮮烈な足音を廊下に響かせ、晴道はすでに廊下から姿を消していた綱江と才狐の二人の気配を確実に捉え、その背後を猛烈なスピードで追いかけ、全力で走り出すのであった。


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###〜放課後の不敵な宣戦布告と、暴かれる術者のオーラ〜


昼下がりのまばゆい光が差し込む昇降口へと向かって、渡辺綱江と狐宮才狐の二人が並んで歩き、まさに学校の建物の外へと一歩踏み出そうとした、その瞬間。

背後から廊下を揺らすほどの力強い足音が迫り、それと同時に晴道がすべての遠慮を投げ捨てた大声を張り上げる。


「おい!待てよ、渡辺綱江――!」


その堂々たる呼びかけに、黒髪のポニーテールをしなやかに揺らしながら、綱江が驚いたように足を止めて後ろへと振り向いた。

晴道は長い脚を生かした大きな歩みで瞬く間に二人の目の前へと追いつくと、爽やかな笑顔を顔いっぱいに浮かべて挨拶を交わす。


「よう!隣のクラスだよな?俺は今日、東京の神社からこの学校に転校してきたばかりの阿倍野晴道だ。お前達の名前はな、さっき廊下にいた文芸部の可愛い3人娘の奴らからバッチリ教えてもらったんだぜ」


突然の接触に対しても、綱江は怯むことなく納得したような笑みを浮かべた。

「ああ、なるほどね。確かにあの子らは今朝から、もの凄く格好ええ転校生が来たって興味深々になって休み時間に大騒ぎしてた気がするわ。早速お昼に阿倍野君の様子を見に行ってたん、さっきちらっと見たで」


綱江は姿勢を軽く整えると、大人の礼儀正しさをもって綺麗にお辞儀をした。

「初めまして、2年の渡辺綱江です」


すると、その隣に静かに佇んでいたやや小柄な少年も一歩前に出て、その表情を一切変えることなく、どこまでも無表情のまま淡々とした落ち着いた声音で挨拶を口にした。

「狐宮才狐です、これから宜しく」


「おう、狐宮に綱江な!これからよろしく頼むぜ、綱江!――そんでさ、俺は遠回しな言い方をするのが大嫌いだから、最初から単刀直入に本音を言うぞ。お前、最高に俺の好みだから、今すぐ俺の彼女になれ!」

晴道が今朝の教壇での挨拶を超えるほどの豪快さで、あまりにも突拍子のない交際宣言を真正面からブチかました。


その衝撃的なセリフを耳にした瞬間、綱江は美しい目を丸くして完全にフリーズし、首をコテンと傾げる。

「……は?今、なんて言わはったん?」


綱江が本気で耳を疑っている横で、才狐は一切取り乱す様子もなく、ただ黙ってその底の知れない瞳の奥でジーっと晴道の全身を観察するように見つめ続けている。


晴道はそんな才狐の視線を鼻で笑い飛ばすと、自慢の体格を見せつけるようにして、才狐を上から見下ろした。

「あ、才狐だっけか、お前。俺は今、綱江に猛烈に用があるんだわ。お前みたいなちっこくてひ弱そうな男には一切用はねえから、そこらの雑草でも毟りながら一人で寂しく家に帰りな。俺はこれから、綱江と二人きりで記念すべき京都初の甘い初デートに出かけるからよ!」


晴道が自信満々に笑い飛ばした瞬間、それまで戸惑っていた綱江の表情が一変し、ムっとしてその美しい眉を不機嫌そうに思いっきり顰めた。

「ちょっと、阿倍野君!初対面でいきなり現れて、一体どういうつもりなん!?さっきから聞いていれば、才狐君に対してあまりにも失礼すぎるやろ!謝りよし!」


綱江が本気で怒って詰め寄るのを見て、晴道はますますそのワイルドな口元を愉快そうに歪めて笑う。

「お、なんだよ綱江、怒った顔もめちゃくちゃ可愛いじゃねえか。ますます俺の彼女に欲しくなってきたぜ」


二人の間で激しい火花が散る中、それまで静観していた才狐が、相変わらずマイペースに首を傾げながら綱江の方を振り返った。

「ええっと、綱江さんは阿倍野君と、これから二人でデートに行く約束でもしてはったん?」


「そんなわけないやん!ウチがこんな初対面から失礼過ぎる男と、デートの約束なんてしてへんのやから!そもそも、今日は学校が終わったら、放課後は二人で一緒に図書館に行って次のテストに向けて勉強するって約束してたやんか!ウチはね、才狐君と先に約束した大事なことを、後から来た人のせいで反故になんて絶対にせえへんよ!」


綱江が顔を真っ赤にして必死になって向きになって否定すると、才狐は小さく納得したように深く頷いた。


「そっか。ほな、予定通りに、一度お互いに家に帰って準備してから、いつもの図書館の前に集合しよか」

才狐はそう淡々と言うなり、晴道の威圧的な視線を完全にスルーして、そのまま大通りの方へとトトトッと歩き出し始めた。


綱江も才狐の後に続こうとして、最後に振り返って晴道に告げた。

「そういうわけやから、今日のところはさよなら、阿倍野君。後、君の彼女にはならへんから。」


綱江も一緒に歩き出したが、諦めるという言葉を知らない戦闘狂の晴道は、当然のように二人の真横へと割り込んで勝手について来る。

「なんだよ綱江、せっかくの放課後なのに図書館デートとか、お前ら最高に味気ねえ生活してんなぁ」


晴道がからかうように肩をすくめると、綱江はさらに顔を赤くして、ムキになって反論の声を上げた。

「ちょ、ちょっと!だからデートちゃうし!真面目に健全な勉強をするんやし!」


「デートじゃなかったら何だってんだよ。クラスの女子達もみんな言ってたぜ?お前ら二人、付き合ってんだろ?」


晴道がニヤニヤしながら核心を突くと、綱江はさらに耳の裏まで真っ赤に染め上げ、口をモゴモゴとさせて口ごもった。

「そ、そやから、ウチらはまだ、周囲が言うてるようなそういう特別な関係やないもん!あくまで同じ学び舎で健全な学業を共に修めようという、その……」


その綱江のあまりにも初々しくて分かりやすい反応を見た瞬間、晴道の脳内で勝利を確信したような笑みが弾けた。

「え?お前ら、実はまだ付き合ってねえの?正式な彼氏彼女じゃねえのか?」


「ま、まだ彼氏彼女やないもん、まだ……」

綱江は完全に真っ赤になって、自分の失言に気づいたように小さな声で口ごもってしまう。


すると晴道は、自らの内に秘められた圧倒的な野心をさらに剥き出しにして、大声を上げて笑った。

「へえ!文芸部3人娘だの周りのクラスの女子だのは、お前らがカレカノだとか勝手に盛り上がってたけど、当人同士の事実は全然違うんじゃねえかよ。あー、あれか。周囲だけが外側から勝手に盛り上がって、既成事実みたいにしてるだけか。じゃあ、俺にはチャンスしかねえじゃねえかよ。綱江、そんな奴じゃなくて、俺の彼女になれよ!」


「だから、何回言われても絶対にならんから!」

綱江は晴道のあまりのしつこさに、本気で呆れ果てて大きな溜息をついた。


すると、それまで陽キャとしての軽いノリを見せていた晴道が、突如としてその場の空気を一変させるような、冷徹で凶暴な術者としての眼光をその鋭い両目に宿らせた。

晴道は二人の行く手を阻むようにして前に立ちはだかると、その拳に微かに霊力を込めながら、確信に満ちた声で言い放った。

「そんな軟弱でちっこいのより、現代最高峰の祓術師の血を引く俺の方が、男としてお前に相応しいだろ?」


そして晴道は自身の全身から、東京での10年の修行で磨き上げてきた圧倒的な破邪の霊気を、周囲の空気が歪むほどの熱量でドカンと解放してみせた。

「男としても、拳を交える喧嘩の腕前も、そして異界の魔を祓う術者としてもさ――俺の方が圧倒的に強えって事、お前なら、俺がさっきから醸し出してるこの本物の気配で、一発でわかるんじゃねえのか?」


晴道がニヤリと好戦的に笑うと、それまで普通の女子高生として怒っていた綱江の雰囲気が、一瞬にして冷徹な武人のそれへと完全に切り替わった。


綱江は、晴道から放たれる濃密な霊気の揺らぎを正面から見据える。

「……なるほどね。朝から隣のクラスでずっと、現世の人間とは明らかに違う術者特有の鋭いオーラが出てたから不思議に思ってて、さっき廊下ですれ違った時に、ただならぬ気配を隠そうともしてへんかったから、阿倍野君で確定やって思ってたけど。やっぱり、阿倍野君も私らと同じ『こっち側』の世界の闇を知ってる人やったんやね」


綱江はそう言うと、静かに隣の才狐へと視線を送った。

才狐もまた、最初からすべてを見抜いていたかのように、その無表情のまま淡々とした平坦なトーンで言葉を重ねる。


「うん、今朝学校に来た瞬間から、隣のクラスに妙に気の強い術者らしき人が新しく入ってきたって思ってたけど、廊下で観た瞬間に、僕もすぐに分かったよ。やっぱり、阿倍野君やったんやね」


二人のその一切動じることのない堂々たる態度と、自分を最初から見抜いていたという事実を目の当たりにして、晴道はこれ以上ないほどの最高の興奮にその全身の血を激しく沸騰させた。

「へえ、そこまで俺の力が正確にわかってんなら、話がめちゃくちゃ早くて最高じゃねえかよ」


晴道は戦闘狂としての獰猛な笑みをその端正な顔立ちにクワッと浮かべ、これから始まるであろう本物の術者同士の激しい激突の予感に、その両目をギラギラとした狂気の輝きでニヤリと妖しく笑わせるのだった。


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###〜傲慢なる不戦勝の嘲笑と、静かに示される技の在り方〜


自身の全身から溢れ出る圧倒的な破邪の霊気をこれでもかと見せつけた晴道は、対峙する二人から放たれる気配の質を瞬時に値踏みし、その力の差は一目瞭然であると完全に確信していた。


東京での厳しい修行の日々と、一族の誇り高き血統から生み出される自らの絶対的な実力への過剰な自信に満ち溢れ、その精悍な顔立ちに歪んだ傲慢な笑みを浮かべて言い放つ。

「お前ら二人から漂う気配を五感で感じりゃ、どっちが格好良くて圧倒的に強いかなんて一発で分かるぜ。おい綱江、弱っちい男より、誰よりも強い男の方がいいに決まってるだろ?だからさ、まだ正式な彼氏がいねえっていう事実が分かったんだから、ここは大人しく俺を彼氏にしとけよ」

晴道が胸を張ってどこまでも尊大に言い寄る。


すると、視線を向けられた渡辺綱江は、ただただ開いた口が塞がらないといった様子で、本気で呆れ果てた溜息を深く吐き出した。

「はぁ……。そやからね、阿倍野君。ウチはさっきから何回も、あなたの彼女には絶対にならんって言うとるやろ。なんでそうやって自分の都合のええようにしか話を聞かへんのかなぁ」


しかし、綱江がどれだけ拒絶の言葉を突きつけても、戦闘狂である晴道の耳にはその声すら心地よい挑発にしか聞こえなかった。

晴道はさらにその距離を詰めると、隣に静かに立つ狐宮才狐をあからさまに見下ろしながら、ニヤニヤと好戦的な笑みをその口元に湛えた。


「頑なだな。じゃあさ、こうしようぜ。俺がこの手でお前の大好きな才狐を完璧にボコボコにして、俺の強さを特等席で見せつけてやったら、お前だって流石に俺のその圧倒的な実力に惚れるだろうよ。どうだ?男らしく才狐と今からここでタイマン張って、見事に勝った方とお前が正式に付き合うっていうのはよ。これならお前も文句ねえだろ?」


そのあまりにも時代錯誤で暴論極まる提案を耳にした瞬間、綱江は今度こそ本気で顔をしかめ、鋭い声で切り捨てた。


「何をさっきから一人で阿保な事ばっかり言ってんのよ。私達はこれから大事な勉強の約束があるから、もう行くよ。阿倍野君も、そんなところで無駄にイキがってんと、さっさと自分の家に帰って真面目に勉強しときよし」

綱江はそう言い放つと、晴道の存在を完全にシャットアウトするように才狐の細い手を優しく取り、今度こそこの場から立ち去ろうと力強く歩き出した。


「おい、待てよヘタレ!狐宮才狐!お前、男ならそこで女の後ろに隠れてねえで、今すぐ俺とここで闘えよ!男同士のプライドを懸けた喧嘩だぜ!術者としての高度な術比べでも、拳を直接ぶつけ合う泥臭い喧嘩でも、お前の好きなルールで相手してやるよ!それとも何だ、東京から本物の祓術師が来たと知って、恐怖のあまりに尻尾を巻いて逃げんのか?」

晴道は去り行く二人の背中に向かって、これでもかと辛辣な言葉の数々を投げつけて激しく挑発した。


遮るようにして立ちはだかる晴道のあまりに下劣な態度に、綱江はギュッと才狐の手を握りしめ、冷ややかな視線を背後に向けた。

「才狐君、あんな頭の沸いたおかしな奴の言うことなんて相手せんと放っとけばええからね。無視して早く行こ」


すると、それまでずっと無表情のまま沈黙を保っていた才狐が、不意にその場にピタッと足を止め、静かに振り返って晴道のギラついた両目を真っ直ぐに見つめ返した。

その瞳には、恐怖も怒りも一切存在せず、まるで鏡のように澄み切っている。

「僕と阿倍野君が、ここでわざわざ拳を交えて喧嘩をする明確な理由なんてどこにもないよ。そもそも、僕らに伝わる呪術も、己の肉体を鍛える体術も、誰かを傷つけたりするためではなく、喧嘩の道具やないって、僕は師匠からずっと厳しく教えられてるし、僕自身も本当にその通りやと思うてるからね」


才狐がどこまでも穏やかに、しかし一切のブレのない芯の通った声で告げると、それを聞いた晴道は盛大に鼻で笑い飛ばした。


「けッ!大層な御託を並べやがる、期待外れの腰抜け野郎だぜ!だったら聞くが、お前らのその御大層な力は、一体何の為にある闘うための技だってんだよ?敵を倒せねえ力なんてただの飾りに過ぎねえだろ。まあいいや。俺はこれから京都に長く住むんだからな。チャンスはこれからいくらでも、嫌ってほど作れるからよ!」

晴道はつまらなそうにペッと地面に唾を吐き捨てるようにして、才狐の態度を嘲笑った。


しかし、才狐はその晴道の荒々しい言葉に対しても、一切の動揺を見せることなく、その無表情のまま淡々とした静かなトーンで言葉を重ねた。

「なるほどね。僕らと阿倍野君では、その技を扱う上での、そもそも出発点が決定的にちゃうみたいやね」


「出発点だあ?何だよそれ、さっきから意味の分かんねえ言葉ばかり並べやがって」

晴道が少し苛立ったようにその太い眉を寄せ、首をかしげて睨みつける。


才狐は自らの胸の内に秘められた揺るぎない信念を示すように、真っ直ぐに晴道を見つめた。

「目の前の敵を打ち負かし、闘う為だけの破壊の技として力を行使しているのか。それとも、周囲のすべての事象との調和を取るために日々動いてて、その上でどうしても仕方のない最悪の場合にだけ、闘うための技として使わなあかん事もある、と言う在り方なのか。僕と阿倍野君の間には、そういった決定的な違いがあるっていうことや」


「はあ?何が最初の出発点だの調和だの在り方だよ!意味が全く分かんねえよ!」

晴道は才狐の深い言葉の真意を理解することができず、ただの負け惜しみだと受け取ってゲラゲラと大声を上げて笑った。


そんな晴道のあまりの理解力の無さに、綱江は完全に愛想を尽かしたように首を振り、才狐の腕を引いた。

「阿倍野君、才狐君の言うてることがこれっぽっちもわからんのやったら、もうこれ以上は何も言わんからええよ。行こ、才狐君。これ以上こんなところで時間を無駄にしてたら、せっかくの二人での楽しい勉強の時間がどんどん減ってまうわ」

綱江はそう言うと、今度こそ晴道の存在を完全に無視して、才狐と並んで学校の外と歩み去って行く。


「けっ!そんじゃあ、今回は戦う前から尻尾を巻いて逃げ出したお前の不戦敗、つまり俺の完全なる不戦勝だな!隣にいる強い女に護られて命拾いできて良かったなあ、狐宮才狐!じゃあな、一生そこらの物陰で震えてろ、ヘタレの負け犬が!」

晴道は勝ち誇ったようにゲラゲラと下品な笑い声を響かせ、去り行く才狐の背中に向かって、これでもかと容赦のない侮蔑の言葉をぶつけ続けた。


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二人と別れた後、京都の街並みを一人で歩きながら、晴道はその脳裏に焼き付いた黒髪の美少女の姿を思い返し、ニヤリとワイルドな笑みを、その端正な顔立ちに浮かべた。

「それにしても渡辺綱江か。あいつ近くで見たらマジでめっちゃ可愛いな。あの隣にいるちっこい才狐ってやつが最高に邪魔だけど、これから俺がこの京都の街で蠢く物の怪共を、片っ端からバッタバッタと派手に倒しまくって最強の実績を作りゃ、あいつだって自然と俺の男らしさに惚れるだろうよ。絶対に俺の力でひれ伏させて、最高の彼女にしてやるぜ!」


晴道は戦闘狂としての新たなる大いなる野心と、まだ見ぬ強敵達との闘いへの果てしない渇望にその胸をワクワクと激しく弾ませながら、夕焼けに染まる古都の道を、自信満々な足取りで新居への帰路に就くのであった。


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###〜四条寺町の不意な追跡劇と、立ちはだかる真眼の女性〜


学校から意気揚々と帰って来た晴道は、新居のワンルームマンションに到着するなり、窮屈な制服のボタンを乱暴に外して脱ぎ捨てた。

クローゼットからお気に入りの動きやすい私服のパーカーと、頑丈なポケットがいくつもついたカーゴパンツを取り出して素早く着替えると、早速この日は京都の街の地理を頭に叩き込むために散策へと出かけることにした。


近所のバス停から路線バスに飛び乗って、一度大きな京都駅まで戻って来ると、駅周辺にある近代的なショッピングモールを巡り、最新のガジェットが並ぶ大型家電量販店のエスカレーターを上がって各フロアを興味深く見て回った。

東京とは少し異なる古都ならではの賑わいを感じながら一通り散策を楽しんだ後、駅の地下街で価格が安くて味も確かなコーヒーチェーン店を見つけた。


「よし、これから京都駅の方へ遊びに来た時には、脚休めの場としてちょうどいいぜ。ここをヘビロテで使おうっと」

晴道は自分だけの便利な拠点を手に入れたような気分になり、満足げに冷たいコーヒーで喉を潤した。


そうして時計の針が回り、周囲の景色が綺麗な夕方に染まってきた頃、晴道は駅周辺を離れて、今度はひたすら北の方へと向かって歩き出した。

京都の流行の発信地でもある四条寺町の辺りに辿り着くと、さらに細い路地を縫うようにして北上していく。

古風な佇まいのセレクトショップや飲食店がひしめき合う通りを見渡しながら、晴道は「さてと、の晩飯は、この辺りにある美味そうな店で何か食うとするかね」と独りごちて周囲の看板を物色していた、その時だった。


前方の賑やかな通りの片隅に、周囲の人間とは明らかに異なる、妙に薄暗い存在感を放つ小柄な人影が、晴道の鋭い視界に飛び込んできた。

それは、浴衣のような古風な和服を身に纏った小さな少年であり、通りすがりのお洒落な女性の背後に音もなく近づいたかと思うと、その洋服の袖を小さな手でクイクイっと愛らしく引っ張っている。


突然の感触に驚いた女性が「あら?」と後ろを勢いよく振り向くが、そこには何も見えていないため、女性は首を傾げて「気のせいかしら」と不思議そうに立ち去っていく。

そんな人間の戸惑う様子をすぐ間近で見つめながら、和服の少年は、ただただ穏やかに楽しそうにクスクスと笑っていた。


その一連の光景を目撃した瞬間、晴道の端正な顔立ちが獰猛な肉食獣のようにニヤリと大きく歪んだ。

晴道の両目が、完璧な獲物を完全にロックオンした一級のハンターの眼へと切り替わる。

「――見ぃつけた。さっすが京都だぜ、こんな街中に普通に潜んでやがったか!」


晴道は自身の内に眠る強大な霊力を鼓舞するように、全身から一気に対物の怪用の鋭い破邪の気配をドカンと周囲に噴出させた。

その凄まじい霊気の波動に驚いたように、和服の少年がハッと息を呑んで振り返り、晴道のギラついた両目と真っ直ぐに視線が合う。

バチバチッ――!と、二人の間で目に見えない火花が散ったまさにその瞬間、晴道はアスファルトを力強く蹴り上げて全速力でダッシュを開始した。


「な、なんなん、あの危ない人はー!?」

驚愕した少年は、恐怖のあまりに小さな草履の音を響かせてそのまま路地裏の方へと猛スピードで走り去ろうとするが、晴道がそれを許すはずもない。


「おいおい、東京から来た本物の祓術師様がお相手してやるってんだ、おとなしく捕まりやがれ!逃がすかよ――ッ!」

晴道は疾走しながら懐から素早く一枚の白い御札を抜き取ると、狙いを定めて少年の背中に向かって思いっきり投げつけた。


シュパッ――バチイイィィィッ!


空間を切り裂いて飛んだ御札が、逃げる少年の右腕の袖へと容赦なく張り付き、激しい霊的スパークを引き起こして痛々しい爆破音を響かせる。

「痛ーーーっ!?なんでいきなりこんな酷いことするんよー!」


右腕を押さえて涙目で叫びながらも、大慌てでさらに細い住宅街の路地へと逃げ出す少年。

その必死の逃走劇を目の当たりにして、晴道はさらにそのワイルドな口元を愉悦に歪め、狂喜乱舞した。


「がっはっは!効いてる効いてる!逃がすかよ!これが俺の京都での、記念すべき華々しい妖怪退治デビューだ!」

晴道は嬉々とした声を響かせながら、少年の後ろ姿を執拗に追いかけていく。


途中の複雑に入り組んだ曲がり角で一瞬だけその姿を見失うものの、少年の腕にしっかりと貼り付けた特製の御札から放たれる霊力の残滓をレーダー代わりに感知し、晴道は迷うことなく京都の狭い町並みを全力で走り抜けていく。

タッタッタッタッと、激しい足音を響かせて角を曲がると、ようやく前方に必死に脚を動かして走る少年を再び目視で確認できるところまで追いついた。

少年は背後に迫る晴道の圧倒的な威圧感に怯え、さらに必死になって走って逃げていく。


「ちっ、小せえナリのくせに、随分とすばしっこいじゃねえか!くそ弱えくせに逃げ足だけは一丁前に速え奴だ!」


晴道は文句を垂れ流しながらも、持ち前の強靭な身体能力を生かしてどんどんその距離を縮めていく。

すると前方を走っていた少年は、路地の向こうから歩いてくるスタイルの良い一人の長身の女性の姿を発見するなり、その瞳に救いの光を灯した。


「た、助けてーーーっ!」


少年は悲痛な叫び声を上げながら猛ダッシュし、何事かと足を止めたその綺麗な女性の背後へと滑り込み、その衣服の陰へと必死に身を隠す。

それを見た晴道は、苦虫を噛み潰したような顔をして急ブレーキをかけた。


「な、あの野郎!自分の形勢が不利だと分かった途端、霊力のねえ一般人を盾にしやがったな!」

晴道は巻き込みを警戒して、一度その走行速度を落とした。


そして、いきなり背後に子供が飛び込んできて何事かと驚いた顔をしている女性に対し、晴道は正義の術者としての顔を崩さずに、大きな声で注意喚起を促しす。

「おい、そこのお姉さん!悪いことは言わねえから、今すぐそいつから離れてくれ!そいつは人間の子供のフリをしてるが、中身は人を傷つける、ものすごくやべえ化け物だ!」


しかし、注意されたはずの女性は、晴道の言葉に怯えるどころか、自身の背後に縮こまって震えている少年の姿を振り返った。

「え?あ、袖引き小僧君やん。そんなにガタガタ震えてどないしたんよ?」

女性は怯える少年に向かって、驚くほど優しく温かい声音で声をかけた。


袖引き小僧と言われた少年の怪異は、晴道の御札で焼かれた右腕をさすりながら、ぽろぽろと涙を流して必死に訴えた。

「うう、都子ねえちゃん……!あの怖いお兄さんが、オイラが普通に街を歩いて袖引っ張ってただけやのに、いきなりもの凄い力で襲い掛かって来たんや!」


その怪異の被害者面したセリフを耳にした瞬間、晴道はカチンときて、拳を握りしめてまくしたてる。

「てめえ!自分の罪を棚に上げて、一般の人間を盾にするとかどこまで卑怯な奴なんだ!人間の同情を誘おうたってそうはいかねえぞ、このまま一撃でぶちのめしてやる!」


すると袖引き小僧は、女性の服の裾をギュッと握りしめ、涙ながらに必死に助けを求めた。

「都子ねえちゃん、オイラのせいでこんな危ないことに巻き込んでしもて本当にごめん!でも、このままやとオイラ、あのお兄さんにボコボコにされて跡形もなく消されてまうよぉ!」


都子と呼ばれた長身の女性は、少年の必死の訴えを聞き届けると、その美しい眉をキリッとひそめ、鋭い眼差しで正面の晴道を真っ直ぐに見据えた。

「え!?そんな事されてんの!?ちょっと君、さっきから聞いていれば、こんなに小さくて無抵抗な子に乱暴していじめてるん!?」


向けられた強い視線に対し、晴道はあくまで一般人を護るための防衛反応だと思い込み、鼻で笑って懐から新しい御札を取り出す。

「お姉さん、騙されちゃダメだ!そいつは人間のガキの姿に巧妙に化けて、そうやってお姉さんを優しさにつけ込んで、たぶらかそうとしてるんだって!物の怪の生態を知らねえ一般人には分からねえだろうが、そいつは人を惑わす悪い物の怪なんだよ!俺が今すぐここで綺麗に退治してやるから、そこをどいてくれ!」


晴道が御札を投げつけようとした、まさにその時。

都子は少年の前に一歩踏み出すと、両手を大きく広げて晴道の攻撃軌道を完全に塞ぎ、凛とした毅然たる態度でその場に立ちはだかった。


「何が物の怪退治や!この袖引き小僧君はね、ただ袖を引いてるだけの、人間に危害なんか絶対に加えない怪異やないで!」


その都子の、怪異の存在を最初から当たり前のように知っているかのような、そして「怪異」という言葉を口にした力強い反論を聞いた瞬間、晴道は信じられないものを見たかのようにその動きを完全に止めた。


「――え?」


晴道は新しい御札を構えたまま、目の前の一般人のはずの女性から放たれた言葉の衝撃に、ただただ驚愕してその場に呆然と立ち尽くすのであった。


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###〜真眼の都子と同級生の介入、夕暮れに響く不協和音〜


目の前に毅然と立ちはだかる長身の女性から、現世の一般人なら逆立ちしても知るはずのない「袖引き小僧」という怪異の名称を言い当てられ、晴道は文字通り雷に打たれたかのようにその動きを完全に停止させた。

東京での10年の厳しい修行で培ってきた自負が、目の前の想定外の事態を前にして激しく揺らぎ、精悍な顔立ちに隠しきれない驚愕の色が浮かび上がる。


晴道は構えていた白い呪符を握り直すと、目の前の女性がただ者ではないことを察知し、その鋭い両目を細めて油断なく警戒の籠もった声を絞り出した。

「おい、お姉さん……。あんた、どう見ても呪術の訓練なんか受けてねえ普通の一般人だよな?俺がさっき放った呪符の霊気の残影があるから、普通の人間でも一時的に怪異の姿が目視できるようになるんは理屈としてわかるけどよ。なんで、そいつの正体を知ってるんだよ?一体何者だ?」


晴道が全身からピリピリとした殺気混じりのオーラを放って問い詰める中、都子は一切怯むことなく、その場にどっしりと佇んだまま凛とした声音と言い回しで言い放つ。

「何者って言われても、ただのキャラクターデザイナーなんやけどね。実はな、最近になって信頼できるプロの方々にきちんと教えてもろたんよ。どうやら私のこの眼って、この子達みたいな人に見えへん存在を観る事が出来る、ちょっと特殊な眼らしいんよね。そんでな、私の眼は誤魔化せへんで。この子が人間に危害を加えるような、そんな凶悪な怪異やないことくらい、一目見ればすぐに分かるし。それに何より私の大事な友達や!」


都子は晴道が右手に握りしめている禍々しい術力を帯びた新しい御札をキッと睨みつけると、大人の毅然とした態度で諭すように言葉を重ねた。

「ほら、そんな物騒なものを街中でこれ以上振り回さんとき。とりあえず、そのおどろおどろしい御札を今すぐポケットにしまってくれへん?何があったんか知らんけど、まずは、ちゃんと話し合いを。な?」


都子が真っ直ぐに晴道の暴走を止めようと説得を試みた、まさにその緊迫した瞬間だった。


「――あれ?そこで大騒ぎしてるん、もしかして阿倍野君?」


夕闇が迫る路地裏の向こうから、聞き覚えのある凛とした、しかしどこか呆れたような少女の声がハッキリと聞こえてきた。

晴道がハッとしてその声がした方向へと勢いよく振り向くと、そこには二人の同級生の姿があった。


綺麗な黒髪をポニーテールにした渡辺綱江は鮮やかな紅い作務衣に身を包み、その隣を歩く小柄な狐宮才狐は落ち着いた群青の作務衣姿を纏っており、二人とも勉強道具が入っているらしき頑丈な袈裟懸けタイプのショルダーバッグを肩から斜めに装着しているスタイルで、並んで歩いて来る。


思わぬ場所での級友との遭遇に、晴道は少し調子を狂わされながらも、いつものワイルドな笑みを取り繕って声をかけた。

「あ?お前ら、さっき言ってた図書館での勉強帰りかよ。こんなところで何してんだ?」


綱江はショルダーバッグの紐をぎゅっと握り直すと、作務衣の裾を揺らしながら不思議そうに首をかしげた。

「うん、一通り課題が終わったから、今から帰るところ。そんで阿倍野君こそ、ここで何してんの?そちらの綺麗な長身のお姉さんと……えっと、後ろにおるのは可愛い怪異の子やと思うけど、トラブルでも起こしてるん?」


「トラブルだと?人聞きの悪いことを言うなよ!お前らこっちの世界の住人なら、これを見たら一発で理解できるだろ?これは俺がこの歴史ある京都の街にやってきて、早速上げることになった記念すべき手柄第一号だ!」

晴道はここぞとばかりに自身の胸を張り、フフンッと鼻を鳴らして誇らしげに勝ち誇った笑みを浮かべてみせた。


その晴道のあまりにも自信に満ちあふれたドヤ顔に対して才狐が、相変わらず表情を一切変えない無表情のまま淡々と首をかしげた。

「手柄って、一体何の手柄なん?」


「決まってんだろ、一般の人間を惑わす邪悪な妖怪をぶちのめす妖怪退治だよ!」

晴道がこれでもかと大きな声を張り上げて呪符を掲げる。


すると、それを見ていた都子が、綱江と才狐の二人の服装や雰囲気がただ者ではないことに気づき、怪訝そうな顔をして尋ねてきた。

「あの、君達。もしかしてこの、街中で御札を振り回して大騒ぎしてる、乱暴そうなごつい少年のお友達か何かなん?」


都子からの素朴な質問に対して綱江は、晴道の方を冷ややかな一瞥で切り捨てると、一切の容赦なくはっきりと言い放った。

「いえ、お姉さん。友達なんかやありません。むしろ、ウチらは彼の傲慢な態度のせいで、今日の段階で彼のことが心の底から大嫌いになりました」


「な、なんでだよ綱江ぇーーーっ!何もそこまでストレートに嫌いだって言う事ねえだろ!」

初日から一目ぼれした女子に完全拒絶された晴道が、悲痛な叫び声を上げてガタガタと取り乱す。


すると綱江は呆れたような深い溜息を吐きながら、その理由を理路整然と突きつけた。

「なんで嫌われてへんと思えるんよ。今日の放課後、才狐君に対して、ひ弱だの何だのって失礼な事を散々言いまくった挙句、ウチの意見も聞かんと強引に自分の彼女にしようと迫ってきてさぁ。そんな無礼なことばっかりする人を、好きになる要素がどこにあるんよ」


「ちっ、相変わらず手厳しいな、綱江は!だったら丁度いいや、口で言っても伝わらねえなら、今この場で、俺が家に伝わる本物の呪術の強さを直接見せて実力を証明してやるよ!」

晴道は戦闘狂としての血を騒がせ、ニヤリと好戦的に笑いながら再び右手の御札をパッと構え直した。


しかし、その攻撃的な動作を都子の真眼が見逃すはずはなかった。

「あ、こら!また懲りずに御札を構えなおしてる!私がここにいる限り、この子にはこれ以上、絶対に手出しさせへんで!」

都子は叫ぶと同時に、背後に隠れていた袖引き小僧の小さな体を、自らの鍛えた両腕で母親のように優しく、そしてがっしりと抱きしめて庇う。


晴道は術を発動しようと足を踏み出しかけたが、さすがに都子という一般人を巻き込んでいるという最低限の自覚はあった。

さらに、四条寺町の賑やかな大通りに近いこの場所では、晴道の大声や術のスパーク音に引き寄せられた現世の一般の通行人達が、遠巻きに「なんだなんだ、あの若者達は。もしかして喧嘩か?」「警察呼んだ方がええんちゃうか?」と、怪訝で不穏な眼をこちらへと向け始めている。


「……ちぇっ。クソ、次から次へと邪魔が入りやがって!」


ここで騒ぎを大きくして警察沙汰にでもなれば、東京の両親や祖父母に大目玉を食らい、せっかくの武者修行が台無しになってしまう。

晴道はここは一旦引き下がるのが賢明であると冷静に判断し、構えていた呪符を渋々ポケットへと仕舞い込んだ。


「仕方ねえ、今回はお姉さんと同級生の顔に免じて、特別に見逃してやるよ。命拾いしたな、小僧の物の怪が!」

晴道は最後にそれだけを吐き捨てるようにして言い残すと、不機嫌そうに踵を返し、夕闇の街へと足早に立ち去っていった。


「あ、こら待ちなさい!傷つけた袖引き小僧君にちゃんと心の底から謝りよし!」

都子は去り行く晴道の背中に向かって毅然と叱りつけたが、晴道はその声を完全に無視してポケットに手を入れたまま歩き続け、やがて夜の京都の街の雑踏の中へとその姿が見えなくなった。


嵐のような少年が去って静けさが戻ると、才狐が、都子の腕の中で震えている少年の姿をじっと見つめながら、静かに口を開いた。

「あの、お姉さん。袖引き小僧って、確か怪異の袖引き小僧のことですよね。それで……その子の右腕にあるあの御札、ちょっと危ない状態になってますよ」


才狐が指差した先には、晴道が力任せに貼り付けたあの白い呪符が残っている。

それは、パチチチッ、バチッ――という不気味な効果音と共に、小さい火花のような、禍々しい電撃のようなものが少年の細い腕の上で今なお走り続けていた。


「うわっ、なにこれ!?衣服が焦げそうになってるやん!大丈夫!?」

都子は電撃のエフェクトを間近で見て驚き、我がことのように袖引き小僧を心配する。


抱きしめられた袖引き小僧は、痛みに耐えながらも、弱々しい声で都子を見上げた。

「うぅ……腕がずっとビリビリして痛いよぅ……。でも、都子ねえちゃん、さっきはあの怖い人からオイラを必死に守ってくれて本当に有難う。助けてくれて嬉しかった」

小さな怪異は健気にも都子に向かってペコリと小さく頭を下げて感謝を伝えた。


その健気な姿を見た綱江は、作務衣の袖を軽くまくり上げると、その美しい顔立ちに聖母のような優しい微笑みを浮かべる。

「その御札、放置してたら痛いままやろうから、早急に剥がして浄化してあげなあかんね」


すると、ちょうどすぐ近くに、街の喧騒から隔絶された静かなこじまりとした神社があるのを才狐が思い出して、提案した。

「この近くに小さな無人神社があるから、一旦そこに行って落ち着いて処置をしよか」


才狐の冷静な提案に全員が賛同して落ち着きを取り戻し、綱江と才狐、そして袖引き小僧を優しく支える都子の一行は、小さな怪異の傷を癒やすために、夕暮れ時の静かな神社に向かって一歩一歩とゆっくり歩き出し始めるのであった。


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###〜神社の結界に蠢く怒りの火花と、真眼が遮る一触即発の喧嘩闘劇〜


夕闇が静かに京都の街を包み込む中、都子を先頭にした一行は、小さな神社へと向かって足調を合わせてゆっくりと歩きながら、お互いの緊張を解きほぐすように自己紹介を交わし始めた。


都子はカバンの中から自身の職業が刷られた名刺をスマートに数枚取り出すと、それを才狐と綱江の二人へと丁寧に手渡しながら、人懐っこいはんなりとした笑顔を浮かべて声を上げる。

「私は都子、間宮都子や。普段はキャラクターデザイナーとして働いてるんやけど、ひょんなことから、こちらの世界の怪異の皆さんと深い縁ができてな、こうして時々お話しさせてもろてるんよ」


手渡された名刺を無表情のまま受け取り、そこに書かれた文字をじっと見つめていた才狐は、その細い目を微かに見開くと、相変わらずの淡々とした平坦な声音で言葉を返す。

「狐宮才狐です。……あ、間宮都子さんって、もしかして地域誌の妖怪コーナーで、もの凄く面白いお話を書いてはる先生ですよね。僕、あの記事で怪異について勉強させてもろてます」


その才狐の言葉を聞いた瞬間、隣を歩いていた綱江の美しい瞳がパッと信じられないほどに輝き、満面の微笑みを浮かべながら、その場で都子に向かって深く丁寧にお辞儀をした。

「私は渡辺綱江です!あの素晴らしい妖怪コーナーの連載が始まってからというもの、私も欠かさず買って読んでるんですよ!まさかこんな形で、あの素敵な記事を執筆されている先生ご本人に直接お会いできるなんて、本当に光栄です!」


「いやぁ、先生やなんて、そんな大層なもんちゃうよ。でも、そんな風に若い子達に読んでもらえてるなんて、もの凄く嬉しいわぁ」


都子が照れくさそうに頭を掻く中、綱江は都子の腕の中で未だに身体を小さく震わせている和服の怪異へと視線を移し、その綺麗な顔をさらに柔らかく綻ばせて優しく語りかけた。

「これから宜しくね、袖引き小僧君。もうあの怖いお兄さんはここにはおらんから、何も心配せんで大丈夫やからね」


その綱江の聖母のような温かい言葉に続くようにして、才狐もまた、その無表情の中に確かな優しさを滲ませながら静かに声をかけた。

「宜しく。本当に災難やったね、大変やったね」


二人の若き術者達からの心優しい歓迎の言葉を受け、それまで晴道の恐怖に怯えきって涙目を浮かべていた袖引き小僧の顔に、フワッと温かい柔らかな笑顔がやっと戻る。

「うん……オイラは袖引き小僧。二人とも、さっきはオイラを、あの危ないお兄さんから助けてくれて、ほんまにありがとう。よろしくね」


そんな風に、人と怪異が心を通わせながら目的の小さな神社の敷地へと徐々に近づいてきた、まさにその時。

それまで穏やかな足取りで都子と並んで歩いていた才狐と綱江の二人が、突如として、その身体の全神経を研ぎ澄まされた刃のように鋭く尖らせ、戦闘警戒態勢へと瞬時に入った。


都子はそのあまりにも一瞬で切り替わった二人のピリピリとした張り詰めたただならぬ様子を間近で見て、何が起こったのかと胸騒ぎを覚えた。

「え、二人共、一体どないしたん?」

都子は尋ねながら、腕の中の袖引き小僧の小さな体を守るようにして、さらにぎゅっと力強く抱きしめる。


才狐は神社の敷地全体から周囲の空間へと漏れ出している目に見えない霊気の歪みを、その鋭い感性で正確に感じ取り、厳しい表情のまま呟いた。

「周囲の空間に、現世の普通の人間達の侵入を完全に拒むための、特殊で強力な人避けの結界が張られてます。これだけの強固な結界が今この瞬間に発動しているということは、間違いなくこの中で、何かただ事ではない危険な事態が起こってるみたいです」


才狐がそう言って、恐る恐る静かに境内の様子を覗こうとした、次の瞬間……。


「「あ!」」


才狐と綱江の二人が同時に驚愕の声を叫び、示し合わせたかのような完璧な連動で、正面にそびえ立つ鳥居の奥へと飛び込むようにして一気にくぐり抜ける。

都子もまた、そのただならぬ不穏な雰囲気に背中を押されるようにして、必死に胸の中の袖引き小僧を大きな体で庇うようにしながら、二人の後を追うようにして一目散に神社の境内へと飛び込んだ。


そして……。


鳥居の中を勢いよくくぐり抜けると、そこには常夜の闇が広がる静かな境内の中で、まさに大乱闘寸前、一触即発の光景が広がっていた。


神社の中では、おでこに真っ赤な怒りマークの青筋を何本もピキピキと立てた巨大な一本足の唐笠お化けが一体。

そして、どこか愛嬌のある緩くて可愛らしい顔立ちをしているにもかかわらず、その顔中に怒りマークの青筋をこれでもかと立てて全身に激しい業火を纏っている鳥のような怪異。

この二体の怪異が、あの戦闘狂の少年・晴道と激しく火花を散らして対峙していた。


境内の中心で拳を固めて獰猛に笑う級友の姿を認めるや否や、綱江は信じられないといった様子で声を荒らげた。

「阿倍野君!?今度はこんな神聖な場所で何をしてるんよ!」


背後からの鋭い叫び声に気づいた晴道は、鬱陶しそうに振り返ると、フンと鼻を鳴らして邪険に手を振った。

「おいおい、何だよお前ら!俺の後をついて来たのかよ!ここからは本物の危険な化け物どもとのガチの合戦の場だ!お前らみたいな戦闘力のない雑魚じゃ足手まといになって危ねえから、すっこんでそこらの物陰にでも隠れてろ!」

晴道はしっしっと犬を追っ払うかのように、手で払う動作をして二人を危険な戦場から追い出そうとした。


しかし、才狐はその晴道の傲慢な言葉を完全にシャットアウトし、対峙する二体の怪異達のあまりの激昂ぶりに静かに目を向けた。

「唐笠さんと、ぶらり火さんがここまで本気で怒ってはるっていうことは……もしかして、阿倍野君って、現世にいる怪異に対して、見境なく片っ端から喧嘩を売って回ってるん?」


才狐が不思議そうに首をかしげてその核心を突くと、その言葉が隣の綱江の胸の奥に深く突き刺さった。

かつての綱江自身もまた、怪異という存在は全て例外なく人間を害する絶対悪であり、妖怪や怪異の類を見つければ問答無用で即成敗するべきだという極端な思想に囚われていた過去があったのだ。

そのため、まるで昔の未熟な自分を正面から言い当てられたような痛烈な気がして、思わずフイっと気まずそうに顔を背けてしまう。


すると、才狐達の声に気づいた唐笠お化けが、一本足で器用にピョンピョンと境内の地面を叩いてフットワークをきかせながら、大きな舌をペロリと出して声を張り上げた。

「おうおう!才狐に綱江に、都子と袖引き小僧までおるやんけ!なんや、お前らこんな夜中に揃いも揃って、この礼儀知らずのクソガキを知っとんのけ!?」


ぶらり火と呼ばれた火を纏った鳥のような怪異も、その緩い顔を怒りで真っ赤に染め上げながら、翼を激しく羽ばたかせてまくしたてる。

「こやつは本当に無礼な若造なのですのよ!ワタシらがこの静かな境内で、今夜の楽しい夜の談笑をのんびりと楽しんどるところに、何の前触れもなくいきなり問答無用で喧嘩を吹っ掛けてきやがったのですのよ!いきなり背後から禍々しい御札を何枚も投げつけてきやがったんですのよー!」

ぶらり火は怒り心頭のあまりに、その全身の業火を激しく燃え上がらせ、口からゴオォォッと激しく炎の息を吐き出して見せた。


それを見た晴道は、待ってましたとばかりにその精悍な顔立ちに獰猛な笑みを浮かべ、再び新しい呪符をその指の間に挟み込む。

「あ、火を吹きやがった!ついに凶悪な化け物としての本性を表しやがったな!情けねえ緩い顔をしてやがるが、騙されねえぞ!」

晴道は御札を構えながら、同時に対物の怪用の実戦空手の鋭いステップの構えをもガチッと固めた。


「どこまでも無礼な事ばかり言いやがるクソ若造ですのよ!今すぐその生意気なツラをボコボコにしゃーきあげますのよー!」

ぶらり火のおでこの青筋がさらに倍増し、周囲の気温が急上昇する。


唐笠お化けも一本足のバネをギリギリと収縮させながら、大声を上げてフットワークをさらに加速させた。

「よくも俺どんらの語らいを邪魔しよったな!傘キック百叩きの刑じゃボッケェー!」


「ハッ、やってみろクソ雑魚が!一撃で塵にしてやるよ!」


晴道は叫ぶと同時に一歩を踏み出し、唐笠お化けの脳天に向けて、自慢の強烈な右の回し蹴りをブンッと凄まじい風切り音と共に放った。

しかし、唐笠お化けは伊達に長く現世を渡り歩いているわけではない。

一本足で器用にバシッとその回し蹴りの衝撃を受け流して捌くと、そのままぴょんっと後方へと大きく跳んで間合いを取った。


「やりよったな、このクソガキが!本気で俺どんを怒らせたからには、もう容赦せんど!跡形もなくしゃーきあげたるわいボケエー!」

唐笠お化けは怒り心頭のあまりに巨大な目を血走らせ、再び強烈な一撃を叩き込もうと構えなおす。


その一触即発の、命懸けの激突が再び始まろうとしたその瞬間、都子が両者の間に文字通り割って入った。

「ちょっと!みんな、ええ加減にやめよし!頼むから一旦落ち着きいや!」


都子が大声を張り上げて両手を広げると、晴道は信じられないものを見るかのように口をとがらせて不満を露わにした。

「なんだよ、またさっきのお姉さんかよ!なんで行く先々に現れては俺の妖怪退治の邪魔ばかりしやがるんだよ!」


「とにかく!事情は後で聞くさかい、みんな一旦矛を収めよし!」


都子が毅然と言い放つと同時に、才狐と綱江の二人もまた、背後の袖引き小僧を大きな体で庇うようにしながら、怪異達と晴道の間にがっしりと肉体の壁を作るようにして入り込む。

調和を重んじる若き術者達の絶対的な介入により、境内に満ち満ちていた凄まじい殺気と炎の熱量がようやく静まり返り、一触即発の場はなんとか静寂を取り戻すのであった。


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###〜黒歴史を映す鏡と、夕暮れの境内に灯る調和の光〜


才狐と綱江、そして都子という複数の強力な介入者によって完全に退路を断たれ、これ以上の戦闘継続は周囲の人間の目を集めるだけだと悟った晴道は、つまらなそうに大きく肩をすくめた。

「チッ、どいつもこいつも寄ってたかって邪魔ばっかりしやがって。せっかくの本物の妖怪退治だってのに、完全に興が覚めちまったぜ」


晴道は吐き捨てるようにそう言うと、指の間に挟んでいた禍々しい霊気の御札を乱暴にポケットへと突っ込む。

そして、チッと大きな舌打ちを響かせてそのまま神社の出口に向かってさっさと立ち去ってしまった。


「あ、ちょっと待ちよし、阿倍野君!自分がどれだけ理不尽なことをしたか、ちゃんと分かっているん!?」

そのあまりにも身勝手で反省の色が全く見られない後ろ姿に向かって、綱江は我慢がならないといった様子で声を張り上げて叱りつけた。


しかし、戦闘狂の少年はその綱江の鋭い叱責の声すら完全に無視して歩き続け、夜の帳が下りつつある京都の繁華街の方へと、あっという間にその姿を消して見えなくなった。


嵐のような少年が去ってようやく静寂を取り戻した境内で、都子はホッと大きな溜息をつき、抱きしめていた袖引き小僧の頭を優しく撫でながら場を和ませる。

「まあ、あんなに血気盛んで話の通じひん乱暴な子なら、今はさっさと自分の家に帰ってくれた方が、ここら一帯が静かになってええと思うよ。……それで、唐笠お化けさんにぶらり火さん、一体あの子と何があって、こんな大騒ぎになってたんですか?」


都子が尋ねると、怒りマークの青筋を立てていた二体の怪異は、ようやくその張り詰めた殺気を緩めて交互に事情を語り始めた。


聞けば、今夜は一段と夜風が心地よかったこともあり、二体でこの静かな神社の境内に集まってのんびりと過ごそうという話になり、お互いに楽しく談笑を交わしていたらしい。

そこへ何の前触れもなく、いきなり現れた晴道が「化け物め、成敗してやる!」と大声を上げ、問答無用で殺傷能力の高い御札を投げつけてきたり、容赦のない実戦空手の鋭い技を繰り出してきたりしたのだという。


事の顛末をすべて詳しく聞いた都子は、あまりにも理不尽な晴道の暴挙に対して、自身の両頬をプクッと膨らませてプンスカと激しく怒り始めた。

「なんちゅう理不尽な事をする子なんやろ、あの子は!さっきの路地裏でもな、ただ袖を引っ張ってるだけの袖引き小僧君に対しても、いきなり問答無用で危ない御札を投げつけて大怪我させようとしてたんやで!」


都子のその言葉を聞いた瞬間、一本足で佇んでいた唐笠お化けの巨大な眼が、再び怒りでギリギリと大きく見開かれた。

「なんやとぅ!?あのクソボケナス、俺どんらだけやなくて、無抵抗な袖引き小僧にまで、そんな悪どいちょっかいを出しよったんか!今度あの生意気なツラを見つけたら、俺どん特製の傘キックで徹底的にしゃーきあげなあかんのう!」

唐笠お化けが一本足でジタバタと地響きを立ててプンスカ怒ると、ぶらり火もその緩い顔を燃え上がらせて激しく同意した。


そんな怪異達の怒りを受け止めながら、綱江はハッと思い出したように、都子の腕の中にいる小さな少年へと優しく微笑みかけながら近づいた。

「あ、そうやわ、何よりも先に袖引き小僧君に張り付けられたままの、あの危ない御札を早く剥がしてあげなあかんね。痛いかもしれへんけれど、ちょっとだけ右腕を見せてくれる?」


綱江がしゃがみ込んで優しく語りかけると、袖引き小僧は恐る恐る、未だにパチチッ、バチッ――と小さな火花のような不気味な電撃が走り続けている右腕の袖を差し出した。

その痛々しい術の痕跡をすぐ間近で丁寧に観察していた才狐が、自身のショルダーバッグから一枚の特殊な符を取り出しながら、静かに手順を説明し始める。


「これだけ強力に拒絶の術式が組まれていると、力任せに剥がしたら、霊体ごと引き裂かれて激痛が走ってしまうからね。まずは僕のこの術式を一時的に遮断する特殊な御札を上から貼り付けて、全体の流れを完全に止めてから、丁寧に剥がせば痛みも全くなく綺麗に剥がせるから、大丈夫やで」


才狐はその言葉通り、手元の中和用の御札を、バチバチと鳴る晴道の呪符の上へとピタリと正確に重ねて貼り付ける。

すると、それまで激しく明滅していた嫌な電撃のエフェクトが、すうっと嘘のように静まり返って完全に活動を停止した。


それを見届けたぶらり火が、その愛嬌のある緩い顔を少し得意げに震わせながら、二人の前へと誇らしげに躍り出た。

「よしよし、術式の流れが完全に止まりましたのよ、後はこのワタシにすべてをお任せするのですのよ!」


ぶらり火がそう言うと同時に、その尖った口元からフーーーッ――と、優しくて暖かい清らかな火の息を御札に向かって優しく吹きかけた。

すると、あんなに頑固に少年の衣服にこびり付いていた晴道の呪符は、衣服を一切傷つけることなく、見る見るうちに小さくパチパチと綺麗に燃えていき、やがて夜風に溶けるようにして跡形もなく完全に消え去ってなくなった。


右腕を縛り付けていた激しい痛みと不快な電撃から完全に解放された袖引き小僧は、自身の腕を何度も動かして確認すると、その顔に今日一番の弾けるような笑顔を咲かせた。

「わぁ、ほんまに痛いのが全部消えた!才狐にいちゃんに綱江ねえちゃん都子ねえちゃん、それに唐笠さんとぶらり火さんも、みんな本当に有難う!おかげで怪我が治って、本当に助かったで!」


小さな怪異が嬉しそうに飛び跳ねるのを見て、都子もようやく心の底から安心したように胸を撫でおろした。

しかし、都子は去り行った晴道のあまりにも独善的で危険な戦闘狂っぷりを思い返し、再びフンスと鼻の穴を大きく膨らませて憤慨の声を漏らす。

「それにしても、本当にどこまでも人の話を聞かへん乱暴な子やで、あの子は。あんな調子で京都の街をのそのそ歩き回られたら、例えば伏見の稲荷神社とかの境内で、気狐さんが美味しそうに大好物の油揚げを食べてはるところにまで、いきなり『化け物め!』って大声を上げて御札を投げつけたりするんとちゃうやろか?ほんま、想像しただけでも怪しからんで!」


都子が本気で怒りながらそう口にした、まさにその瞬間。

それまで晴道の行動を厳しく非難していたはずの綱江が、なぜか突如として耳の裏まで真っ赤に染め上げ、言葉を失ったように両手で自身の顔を覆って激しく取り乱し始めた。


都子はそのあまりにも急激で奇妙な綱江の変化を目の当たりにして、不思議そうに首をかしげながら顔を覗き込む。

「え、ちょっと綱江ちゃん、一体全体どないしたんよ?急に顔を真っ赤にして、どこか具合でも悪くなってしもたん?」


都子が心配そうに尋ねると、綱江は両手で顔を覆ったまま、指の隙間から恥ずかしさで死んでしまいそうなほどにか細い声を絞り出すようにして、ポツリと白状した。

「……あの、都子さん。誠に言い出しにくいことなんやけど……それ、私が少し前に、気狐さんに向かって実際にやってしもたことです……」


「えぇっ!?ちょっと、ほんまに綱江ちゃんが!?なんでまたそんな、あの子みたいな無鉄砲な事を気狐さんにやってしもたんよ……」

綱江からのまさかの衝撃的な告白に、都子は驚きのあまりにその綺麗な両目を限界まで丸くして絶叫した。


綱江は顔を覆った手の隙間から涙目を覗かせながら、恥ずかしすぎる自身の過去の過ちを深く懺悔するようにして、うつむいたまま消え入りそうな声で言葉を続ける。

「いや、その、あの頃の私は、ほんまに……。ほんのちょっと前の私って、怪異という存在のすべてを絶対的な悪やと思い込んでいて、本当に今の阿倍野君と全く同じような、独善的で最悪な感じやったんです。今こうして客観的にあの子の暴走を見せつけられると、当時の自分の行いが恥ずかし過ぎる黒歴史を見せつけられてるみたいで、穴があったら入りたいわ……」


綱江がその場にしゃがみ込み激しく落ち込んでいると、それを見ていた唐笠お化けが、ケラケラと豪快に笑い飛ばしながらその大きな長い舌を揺らした。

「がっはっは!綱江、そんなに昔の事をいつまでも気にして落ち込まんでもええがな!お前はあの後、自分の未熟さをちゃんと心から反省してな、今ではこうして俺どんら怪異の仲間達とも、もの凄くええ感じに笑顔で交流しとるがな!」


唐笠お化けからの温かいフォローを受け、綱江は少しだけ顔を上げると、隣に立つ少年の姿を見つめて小さく苦笑いを浮かべた。

「それはまあ、才狐君や、怪異の皆さんが私の頑な心を優しく解きほぐしてくださった御蔭様なんですけど……。でもね、唐笠さん。あの時は、私もあなたのことを完全に悪い妖怪やと勘違いして、容赦なく強力な御札を何枚も投げつけましたよね……。」


綱江が申し訳なさそうに振り返ると、唐笠お化けは一本足で器用にステップを踏みながら、気にするなと言わんばかりに豪快に笑った。

「おう、あの時はな、あの3人の娘っ子がワシのことをいきなり蹴り飛ばしよって、怒ったワシから、綱江があの子らを守ろうとして必死に立ち向かったっちゅう事情があったからのう。まあ、その後こうして才狐を交えてちゃんと仲直りしたんやさかい、今更気にせんときや!」


神社を優しく包み込む怪異達と若き術者達のそんな温かい和解のやり取りを傍らでじっと見つめながら、都子は自身の胸の奥で、先ほど立ち去っていったあの戦闘狂の少年のことを静かに思い返していた。


(あの阿倍野君という少年も、今はまだ自分の力に溺れて周囲を傷つけてばかりやけど……いつか綱江ちゃん達のように、怪異の本当の心に気づいて、大騒ぎを起こさず乱暴な性格が綺麗に治ればえんやけどなあ……)


都子は夜空に輝く美しい月を見上げながら、新天地での生活を始めたばかりの不器用な少年が、いつかこの京都の街で本当の「調和」の在り方に気づく日が来ることを、少し年上の人生の先輩として密かに優しく心配するのであった。


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###〜振られ続ける日常と、華金に駆ける妖怪退治の熱情〜


千年の魔都と呼ばれる京都に鳴り物入りで乗り込んできてから、まだ僅か数日。

晴道としては、自慢の霊力と実戦空手の技をフルに活かして、一気に3体の怪異を派手に叩き潰して、東京の実家に最高の手柄として自慢できるはずだった。

しかし、まさか同じ高等学校の隣のクラスに、自分と同じような異能を操る才狐と綱江の二人が潜んでおり、おまけに怪異の姿を正確に捉える不思議な真眼を持った妙な大人の女性にまで、正面から邪魔をされるとは夢にも思っていなかった。

おかげで、目の前まで追い詰めていた、せっかくの3体の妖怪をすべて綺麗に取り逃すという最悪の結末を迎えてしまう。


新居への帰り道で、晴道はポケットに手を突っ込んだまま少々ふてくされて唇を尖らせていた。

「チッ、どいつもこいつも京都の奴らは余計な邪魔ばかりしやがって。まあでも仕方ねえ。せっかくここまで出て来たんだし、なんか美味い飯でも食って帰るか」


晴道はすっかり冷え切った夜風を浴びながら、仕方なくこの日は帰り道に見つけたガッツリ系の肉の店へと立ち寄ることにした。

ジュウジュウと凄まじい音を立てて油を跳ね上げる特大のステーキと山盛りの白米を、苛立ちをぶつけるかのように猛烈な勢いで胃袋の中へと平らげ、まずは肉の活力で最低限の機嫌を取り戻した。


その後、夜遅くに新居のマンションへと帰宅してから、昼間の鬱憤を晴らすように自室で空手の型の稽古をして汗を流してから、少々激しい筋力トレーニングをストイックにこなし、シャワーを浴びて入浴を済ませてすっきりとする。

筋肉を丁寧にほぐし終えると、翌日の授業に必要な教科書をリュックへと詰め込んでしっかりと準備を終え、東京にいる頃よりも少し早い時間帯にベッドへと潜り込んで静かに就寝した。


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そして翌日、平穏な朝の光と共に新しい学校での2回目の授業が始まった。


キーンコーンカーンコーン――と、全ての授業の終了を告げる放課後のチャイムが鳴り響いた瞬間、晴道はすぐさま隣のクラスの教室へと足を運び、綱江のところへと一直線に向かって行く。

「よお綱江!昨日は色々あったけどさ、やっぱりお前は俺の隣にいるのが一番お似合いだって!だから俺と付き合えよ!」


晴道は昨日と変わらぬワイルドな笑顔で豪快にアプローチを試みるが、向けられた綱江は教科書をカバンに仕舞いながら、冷ややかな一瞥をくれて一言の元に言い放った。


「だから、ウチはあなたの彼女には絶対にお付き合いせえへんってば。何回言われたら理解できるんよ」

綱江の返答はまさに一丁両断そのものであり、それ以上の会話を一切拒絶するかのようにツンとそっぽを向いてしまい、晴道にとっては全く取り付く島が無い状態だった。


また、この学校では隣のクラス同士で体育の授業が合同で行われるカリキュラムになっていた。

男子更衣室の湿った空気の中、晴道が何気なく隣で制服から体操着へと着替えていた才狐の体つきを、ふと間近で観た瞬間、その眼が驚きで僅かに見開かれる。

一見すると小柄で物静かな少年だと思っていた才狐の制服の下には、長年の凄まじい修練によって一切の無駄なく限界まで引き締まった、見事なまでに美しいシックスパックの筋肉質な肉体が隠されていたのである。

晴道はそれを見て、昨日の放課後に廊下でクラスの女子達が「才狐くんはもの凄く格好ええ体をしてるんやで」と熱弁していた噂が、完全に本当だった事を知る。


ガヤガヤと賑やかな体育の授業がすべて終わると、晴道はクラスの女子達にその更衣室での驚きを話しつつ、ニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべて冗談交じりに話しかけた。

「なあお前ら、さっき合同体育の更衣室で狐宮の奴の体をチラッと見たんだけどさ、あいつ確かにちっこいくせに、予想以上にゴリゴリの筋肉質だったわ。ってかさ、男子更衣室の中なんて見えないはずなのに、なんで女子のお前らがそんな才狐の引き締まった体つきの詳細まで知ってんだよ?まさかお前ら、あいつのことを陰でこっそり盗撮でもしてんのか?」


晴道がからかうように首をかしげると、周りの女子達は一斉に顔を真っ赤にして、手をブンブンと振りながら否定の声を上げる。

「な、何言うてんのよ晴道くん!盗撮なんてそんな犯罪みたいな不届きなことするわけないやんか!」「そうそう!体育の授業の走った後とか、部活の合間とかに、暑そうにシャツをパタパタ仰いだりした時とか、時々服の隙間から綺麗な腹筋がチラッと観えたりするやん!うちらはそれを偶然見かけてるだけや!」

等々、女子高生達のリアルで賑やかな言い訳の話をしたりする。


そんな日常を送る中、この週は大きな怪異の襲撃事件も起こらず、何も問題なく至って平和に時間が過ぎ去っていった。


そうして京都の生活に少しずつ馴染み始めた晴道は、毎日午後になって放課後を迎える度に、懲りずに綱江の元へと行っては爽快なまでに断られ続ける日々を繰り返していた。

しかし、ただフラれるだけで終わるような殊勝な男ではない。

振られたその後は、一人で情報収集を兼ねて京都の古き良き町へと元気いっぱいに繰り出したり、新生活の軍資金を自ら稼ぐために日雇いバイトに登録したりと活発に動いていた晴道。

放課後の時間を利用してガテン系のきつい日雇いバイトをこなし、自慢の体力を活かしてテキパキと日給を稼ぎながら、仕事の合間や移動の最中にも、この古都の暗がりに潜む怪異達の不穏な様子を鋭い術者の目で油断なく探り続けていた。


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それから数日が経って迎えた週末。

現世の高校生達が待ちに待った金曜日の放課後、いわゆる華金の日のこと。

この日は学校の全ての授業が終わると、晴道は相変わらず隣のクラスの綱江の元へ行って盛大に振られ、さらに才狐への「俺と今すぐここでタイマンだ!勝負しろ!」という闘いの申し出も「ごめん、やる意味があらへんから」と淡々と断られてしまう。


だが、今日の晴道はいつもと違ってどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。

なぜなら、この日は日雇いのアルバイトの予定が一切入っていないため、誰にも邪魔されることなく自由に動ける最高の時間がたっぷりと残されていたからである。


「よし、誰の目も気にしなくていい華金の夜だ。今夜こそ、京都の本当の妖怪退治ツアーへ繰り出すとするか!」

晴道は一人で嬉々として、カバンを新居に放り込むとすぐさま夜の街へと出かけて行った。


服装はいつものお気に入りである動きやすい私服のパーカーに、多くの呪具を収納できるカーゴパンツ姿。

上着の胸ポケットの懐には、東京の実家から厳重に持参した一撃必殺の強力な破邪の呪符を何枚も静かに忍ばせている。

夜の帳が完全に下りた京都の街路灯の下を、晴道は自らの実力への絶対の自信をみなぎらせ、意気揚々と胸を張って歩いていく。


晴道は薄暗い路地の奥を見つめながら、その端正な顔立ちに獰猛で不敵な笑みを浮かべて独りごちた。

「明日は学校も完全に休みだからな。門限を気にする必要もねえし、今日は朝が来るまでとことん遅くまでこの魔都を探索してみるかな。さあ、次はどんな骨のある化け物が俺の前に現れるか、今からマジで楽しみだぜ」


晴道は戦闘狂としての熱い血をその全身に激しく滾らせながら、怨霊や妖怪がいかにも蠢いていそうな京都の歴史ある薄暗いスポットを、一歩一歩と楽しげに練り歩く事にするのだった。


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###〜二条の臨時労働と、神泉苑の鳥居に佇む不敵な二人〜


週末の心地よい解放感が街全体を包み込み始めた金曜日の午後、晴道は新生活の拠点であるマンションの自室で動きやすい私服に着替えると、京都の町を気の向くままに散策しようと意気揚々と自宅の玄関の扉を開けて外へと出た。

現世の高校生達が放課後の自由を謳歌し始める時間帯、彼もまた魔都の空気を肌で感じながら未知の強敵を探し出そうと胸を躍らせていたのだが、マンションの敷地を出た瞬間にポケットの中でスマートフォンが小気味よい電子音を響かせて激しく鳴り響く。

画面を確認してみると、あらかじめ登録しておいた日雇いのアルバイトアプリから、至急で現場に出られる頼もしい人材を大募集しているという臨時案件の通知がリアルタイムで届いていた。


詳細を確認すると、勤務地は二条駅のすぐ辺りにある大型の商業施設内でのハードな力仕事の内容であり、どうやら本日のシフトに急な欠員が出てしまい、現場が完全に回らなくなって大慌てで人員を補填しているとの事であった。

時計の針を見れば、まだ13時になる少し前で、時間的にも体力的にも有り余るほどの余裕があり、なによりあの二条駅の周辺エリアであれば、作業が終わった後の食事処にも絶対に不自由しない事、そして何より週末の小遣いとなる嬉しい臨時収入が手に入るという最高の条件が重なっていた。


「お、二条駅の商業施設で力仕事か!ちょうど体力を持て余してたところだし、飯のついでにサクッと稼いでくるか!」


晴道は迷うことなくアプリの「出勤可能」のボタンをタップして行く旨を伝えると、人手不足に喘いでいた現場の運営元からすぐに大歓迎の旨を伝える丁寧な返信が届き、彼はそのまま目の前のバス停へとやってきた路線バスに勢いよく乗り込んだ。

街並みを窓の外に眺めながらバスに揺られることしばらく、目的地である二条駅のバス停で颯爽と下車した晴道は、すぐさま指定された商業施設の搬入口へと向かい、そのまま現場のスタッフ達と合流して即座に割り振られた仕事を完璧にこなしていった。


現場は大量の重量物や重い建築資材をひたすら運ぶ過酷な環境であったが、鍛え上げてきた晴道の筋肉質な肉体は、一般の作業員達とは比べ物にならないほどの圧倒的なパワーを発揮し、現場でこれでもかと重宝がられることとなった。

「いやあ、君のおかげで本当に助かったで!動きもキレキレで力も強いし、是非とも、また次もうちの現場をお願いしたいでな!」


作業が一段落した際、晴道の凄まじい仕事ぶりに感銘を受けた現場主任の男性から満面の笑みでそう声をかけられると、晴道は白い歯を覗かせて不敵に笑った。

「おう、任せてください!平日の学校が終わった放課後の時間帯か、土日ならいつでもガッツリ動けますんで、人手が足りなくなったら遠慮なくいつでも呼んで下さいよ!」

晴道はそう笑って応じ、現場の大人達との良好な関係を築き上げた。


こうして13時30分から18時30分までの5時間、途中で休憩を挟みつつみっちりと働き、この日の分の頑張った貴重な労働報酬も後日まとめて口座へ振り込まれる事になって、晴道は財布が潤う満足感から最高に上機嫌な状態で仕事場から外の賑やかな通りへと出た。

すっかり周囲の空気が心地よい夜の帳に包まれ始める中、頑張った自分へのご褒美として、折角だからこの二条近辺にある美味そうな食事処をのんびりと探索しながら歩いて、どこかめぼしいところで美味い夕飯にしようと、晴道は元気よく歩き出す。


カツカツカツと、カーゴパンツのポケットに手を突っ込みながら、広々とした御池通を東に向かって、立ち並ぶ飲食店の看板をキョロキョロと楽しそうに眺めながら歩いていると、突如として周囲の現世の喧騒を遮るかのような、世にも奇妙で美しい音が晴道の鼓膜を震わせた。


ピーーヒョロロロオォォォ……――と、どこか物悲しくも魂を強烈に揺さぶるような、古風な笛の音色がどこからともなく夜風に乗って聞こえて来て、晴道が東へ歩みを進めて行くにつれて、その音の大きさは段々と近づいて来る。


(おいおい、なんだこの音……?祭りの練習にしちゃあ、妙に霊的な圧力が混ざり合ってやがるな)

晴道は祓術師としての鋭い本能がピリピリと警鐘を鳴らすのを感じ、その音の発生源を突き止めるべく、自然と歩調を早めていった。

そして、その美しい音色が最も大きく響き渡る歴史ある神聖な場所へと辿り着き、ふと、その音色の聞こえてくる上空の方を驚きと共に見上げると、そこは京都の由緒正き名所である「神泉苑」の鳥居の前であった。


視線をさらに上へと移した瞬間、晴道の両目が驚愕で僅かに見開かれた。


なんと、その巨大な赤塗りの鳥居の最上部というあり得ない高所に、夜闇に紛れるようにして人影が二人分、静かに並んで腰掛けていたのである。

いや、一般の人間が命綱もなしに、そんな神聖で危険な鳥居の上に優雅に鎮座している様から見て、そしてその肉体から隠しきれずに周囲の空間へ漏れ出している常軌を逸した濃密な妖気の波動から考えても、どう見ても人間の類などではないことは、術者でなくとも一目瞭然であった。

しかし、晴道はここでいきなり正体を露わにして騒ぎを起こすようなヘマはせず、まずは敵の出方を探るため、一般の観光客が夜の神泉苑に御参りに来た風を装って、何食わぬ顔をしてそのまま静かに一歩を踏み出し、鳥居の真下をくぐり抜けた。

晴道の大きな身体が鳥居の下を通過したまさにその瞬間、それまで境内に響き渡っていた美しい笛の音色がピタッと完全に止み、その不気味な静寂の中で、鳥居の上に座る二人の異形は動じることなく、現れた晴道の様子を上からジーっと不気味に見つめている。


周囲の空気が凍りつくような沈黙の中、晴道は鳥居をくぐって少し歩いたところの安全な境内の中心で、くるっと勢いよく振り返り、重力を無視して鎮座する鳥居の上の二人を堂々と見上げた。

そして晴道は、自身のパーカーの懐にそっと手を伸ばしながら、その精悍な顔立ちにハンターのようなニヤリとした獰猛な笑みを浮かべた。


「なあ、あんたら。そんな神聖な神社の鳥居の上に堂々と座って、夜の街を見下ろしてるなんてさ、なかなか面白れえじゃねえか。ずいぶんといい度胸してんなぁ」


晴道が挑発するように大声を張り上げ、上空の二人の顔を夜闇の常夜灯の明かりを頼りにつぶさに観察すると、そこにいたのは想像を絶する圧倒的なビジュアルを持った驚くべき二体の存在であった。


ひとりは、見る者を威圧するような彫りの深い端正な顔立ちをした男性であり、艶のある漆黒の黒髪を後ろに一つに逞しく束ねている、異様なまでの体躯を誇る大柄な男。

その男は鳥居の上に器用に胡坐をかいているが、その並外れた骨格から察するに、もしもその場に立ち上がれば身長は2メートルを軽く超えそうな、山をも引き裂くような圧倒的威圧感を持った体躯の持ち主。


そして、その男のすぐ隣に寄り添うようにして座るもう一人は、この世のあらゆる美を凝縮したかのような、世にも美しき顔立ちをした女性。

それは、燃え盛る火炎のような美しい紅葉色の長い髪を後ろで綺麗に束ね、その白い肌によく映える美麗なる細やかな紅葉柄が全体にあしらわれた高級な紅葉色の着物を完璧に着こなす、まさに絶世の美女。


晴道は二人の人間離れした美しい容姿と、そこから放たれる凄まじい地響きのような霊圧を正面から受け止めながらも、自らの十年の修行の成果を過信し、その場から一歩も退くことなく不敵に笑って戦いの構えをとった。

「なあ、あんたらってそんなに仲良く並んでさ、もしかして夫婦か何かなのか?それとも今時のカレカノってやつか?……そもそもさ、あんたらって――本物の人間か?」


晴道が敵意溢れる獰猛な笑みを剥き出しにして尋ねると、鳥居の上で不敵に佇んでいた黒髪の大柄な男性の方が、やれやれと肩をすくめた。

男は晴道の実戦空手の鋭い構えと、その瞳の奥に宿る剥き出しの殺気を見据えると、出会い頭のその生意気な態度に対して、どこか呆れたような深い溜息を重重しく吐き出す。


「ほう、儂らが見えるんか。それにしても……やれやれ、近頃の若い術者というのは、出会い頭に、やけに喧嘩腰で礼儀というものを知らんようやな、坊主。仮にや、儂らが現世の普通の人間やのうて、お前の言う通りの本物の化け物やったら、お前はここから一体どないするつもりや?」


男のその地鳴りのような低い問いかけに対し、晴道は待ってましたとばかりに、その口元をクワッと三日月のように大きく歪めて大声を上げて笑った。

「ハッ、そんなの決まってんじゃねえかよ!」


晴道は叫ぶと同時に、パーカーの懐から強力な破邪の御札をシュパッ!と凄まじい速度で取り出して、夜闇の境内に向かって堂々と掲げてみせた。

「この現代最高峰の祓術師である阿倍野晴道様が、その小汚い正体を暴いて今すぐ跡形もなく退治してやるんだよ!」


晴道は全身の霊力を一気に爆発させて凄まじい破邪のオーラを立ち昇らせ、神泉苑の静かな境内の中で、大物怪異二体を相手に容赦のない戦闘態勢へと突入した。


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###〜京都駅の稲荷神社の助勤と、羅生門の鬼からの誘い〜


御池通に面した神泉苑の鳥居の下で、晴道が新たなる大物怪異を前にして凄まじい戦闘の火花を散らそうとしていた、まさにその頃。


時を同じくして、京都駅のすぐ近くに厳かに鎮座する、とある由緒正しい稲荷神社の境内では、才狐と綱江の二人が本日の大きなお役目を無事に終えた清々しい空気に包まれていた。

事の始まりは、才狐の偉大なる師匠であり、怪異の世界で畏怖される天狐の妖古から「気狐の奴らがよう立ち寄って寛いでおるあの稲荷神社でな、ちょいと人手が足りんらしいさかい、手伝いに行って来よし。綱江も可愛い巫女の仕事をしておいで。二人分の助勤の話は、我がきっちり通してあるさかいの」と、直々に放課後の仕事を指示されたことであった。

師匠からの頼みとあっては断る理由もなく、二人は放課後の時間を丸々使って、この稲荷神社での神聖な助勤の手伝いを見事にこなした。


全ての仕事を無事にやり遂げ、夕闇が静かに下りる境内の中、綱江は女性用の更衣室へと入ると、先ほどまで身に纏っていた純白の小袖と緋袴の巫女服を丁寧に脱ぎ、いつもの動きやすい紅い作務衣へと着替えを進めていた。

衣類を整えながら、綱江の脳裏には、出発前に師匠の妖古から「せっかくの金曜日なんや、神社の仕事が綺麗に終わったら、その後は二人で仲良く華金のデートでもしておいない。京都駅の周辺やったら、華金ということもあってどこも凄まじい混雑はしておろうけど、美味い飯を食うところなんて探せばたんとあるやろて」と、扇子で口元を隠しながらコロコロと悪戯っぽく笑いながら言われた言葉が、鮮明に蘇ってくる。


出会ってから色々な出来事を共に体験し、物静かな少年である才狐のことが気になっていた綱江。

妖古に言われた事を思い出すだけで、みるみるうちに自分の両頬がリンゴのように真っ赤に染まっていくのを感じた。


「もう、妖古さんからあんな風にからかうように言われたら、嫌でも才狐君のことを意識してまうやんか……。妖古さんって絶対に、私が才狐君に対して抱いてるこの特別な気持ちに、全部気づいてて面白がってはるよね」


更衣室の中で一人、恥ずかしさに胸をときめかせながらも、綱江はフゥと息を吐いて気を取り直すと、お気に入りの作務衣に袖を通して着替えを終える。

そして、いつも愛用している袈裟懸けタイプのショルダーバッグを肩から斜めに装着して、留め具をカチッという小気味よい効果音と共にがっしりとはめ、静かに更衣室の扉を開けて後にした。

肌寒い夜風が吹く神社の事務所棟の外へと足を踏み出すと、そこには一足先に着替えを終えて静かに待っていた群青の作務衣姿の才狐の姿があり、二人は合流してから、夕飯を求めて賑やかな京都駅の方向へと向かって並んで歩き始めた。


すると、駅へと続く薄暗い大通りの向こう側から、周囲の自動車の走行音を掻き消すほど豪快に響き渡る笑い声が、突如として二人の耳へと届く。

「おうおう、そこの仲睦まじい御二人さん!もしかして今から二人きりで楽しい華金デートへお出かけか?結構なこっちゃ、若いっていうのは本当に微笑ましいのう!」


二人が空間を震わせるほどの凄まじい声がした方へとパッと視線を向けると、そこには常夜灯の明かりを浴びて堂々と立つ、現世の人間とは明らかに異なる存在がいた。

そこにいたのは、身長2メートルを優に超え、鋼のように強靭な筋肉質の肉体を誇る高名な大怪異・羅生門の鬼であり、その巨体を揺らしながら豪快に手を振って、こちらへと親しげに近づいて来る。

突然の頼もしい怪異の登場に対し、才狐と綱江の二人は全く怯むことなく、その場に立ち止まると「「羅生門さん、こんばんは」」と、声を揃えて礼儀正しく綺麗にお辞儀をして挨拶を交わした。


「おう、こんばんは!俺はこれからな、ちょいと鬼仲間同士で集まって、美味い飯でも食いに行こうと思っとるんや。ほんで、君ら二人はこんな華金の夜に、わざわざ京都駅の近くまで二人きりで飯を食いに来たんけ?」

羅生門の鬼はガハハと頭を掻きながら、その巨大な鋭い眼を細めて二人に尋ねた。


鬼からの素朴な問いかけに対し、才狐はその表情を一切変えることなく、いつもの無表情のまま淡々とした平坦な声音で丁寧に答える。

「いえ、実は妖古さんからの指示で、こちらの稲荷神社の助勤として仕事に来てたんです。それで、さっき仕事が終わったところで、この辺りで美味しい夕飯でも食べてから帰って来たらどうや、と、出発前に妖古さんから直々に提案されまして、今からお店を探そうとしていたところなんです」


才狐のその生真面目な説明を聞いた瞬間、羅生門の鬼はその鋭い牙を覗かせながら、からかうようにして豪快に大声を上げて笑った。

「なるほどな!妖古殿の粋な計らいっちゅうわけか!ほんで何や、そのまま二人で朝帰りってところまでがセットの予定なんけ?」


「な、何言うてるんですか羅生門さん!朝帰りなんて絶対にしませんよ!晩御飯を一緒に食べたら、夜が更ける前にちゃんとそれぞれの家に帰ります!」

鬼のあまりにもストレートで破天荒な冗談に対し、綱江は一瞬にして顔をちょっと赤くして、ムキになって激しく反論の声を上げた。


羅生門の鬼はそんな彼女の反応をますます面白がり、大きな手で自分の膝を叩いた。

「がっはっは!こりゃあ随分と健全なカップルやのう、素晴らしいことや!」


「だ、だから、ウチらはまだ周囲が言うてるようなカップルちゃいますって……」

綱江は真っ赤になった顔を隠すように小さく呟きながらも、隣に立つ才狐の様子を、長い睫毛の隙間からちらりと盗み見るようにして観たが、才狐は相変わらずマイペースに佇んでいるだけだった。


すると、二人の初々しい様子に上機嫌になった羅生門の鬼が、自身の大きく逞しい胸をドンッと大きな音を立てて力強く叩きながら、最高の提案を持ちかけてきた。

「がっはっは、ほんまに見ていて初々しいのう、君らは。あ、そや。もしもまだ今夜の飯を食う具体的な場所が決まってへんのやったら、これから俺について来るか?俺はな、これから神泉苑の境内で、先に来とる他の鬼仲間と待ち合わせをしとるんやけど、二条辺りも探せば美味い飯屋はそれこそ仰山あるでな。勿論、二人は財布の心配は一ミリもせんでええぞ!」


羅生門の鬼が太っ腹に全額奢りだと宣言すると、才狐はその底の知れない瞳を僅かに和らげ、綱江の方を振り返った。

「それは本当に助かります、有難う御座います。綱江さんは、それでええかな?」


才狐から優しく意見を求められた綱江は、恥ずかしさを抑えながらも、嬉しそうに何度も深く頷いた。

「うん、そやね。羅生門さんが、これから会いに行かはるというその大切な鬼仲間の皆さんが、一体どなたなのかも個人的にもの凄く気になるし。ほな、羅生門さん、今夜は美味しいご飯お世話になります、有難う御座います」


才狐と綱江は、羅生門の鬼の温かい厚意に対して、二人揃って再び丁寧にお辞儀をして感謝の意を伝えた。


「よっしゃ、決まりやな!ほな、ここから電車に乗って一気に二条駅まで移動するさかい、お財布携帯か交通系のICカードを改札用にしっかり用意しときや。俺もな、あそこで待っとるあいつらに、君らみたいな若くて優秀な術者を会わせるんが今からめちゃくちゃ楽しみやで!」


羅生門の鬼はそう言って豪快に笑いながら、二人を先導する形で京都駅の改札口に向かって、その大きな身体で悠々と力強い足取りで歩き始め、才狐と綱江もその鬼の背中を追うようにして、華金の賑やかな夜の街へと一歩を踏み出すのであった。


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###〜朱雀門の鬼との邂逅と、美しき鬼女に敷かれた戦闘狂〜


一行はガタゴトと心地よい音を立てて揺れる電車を乗り継いで目的の二条駅までやって来ると、賑やかな駅の改札を抜けて、そのまま広々とした御池通を東へ向かって仲良く並んで歩いていた。

しかし、駅から離れて東へと進んでいくにつれて、周囲の空気がじわりと重みを変え、ただならぬ禍々しい気配をその鋭い肌でビンビンと感じ始め、才狐と綱江の二人は自然と身構えて極限の警戒態勢を取りながら歩みを進める。


そんな若き二人のただならぬ緊張感を隣で見ていた羅生門の鬼は、ガハハと豪快に巨体を揺らしながら楽しげに笑った。

「なんや、あいつら。こんな街中でわざわざ一般の人間を入れんように人避けの結界なんか張ってまで、中でなんかおもろい事やっとんのう」


羅生門の鬼の呑気な言葉とは裏腹に、目的の神泉苑へと一歩一歩近づいていくにつれて、段々と周囲の空間を不気味に歪ませるほどの強烈な気配がさらに濃くなっていく。

明らかに強力な結界が張られている事、それも並大抵の術者では破るどころか触れることすら叶わない程のレベルであるという事実に、才狐と綱江の背中には冷たい緊迫の汗が走り抜ける。


だが、そんな二人の緊迫した様子を他所に、羅生門の鬼は鳥居の前までやって来ると、ゆっくりと顔を上げて鳥居を見上げ、そこに何事もないかのように鎮座している一人の男の姿を見てニカッと笑った。

「おう、待たせたのう、朱雀門。ほんで何や、中にいる紅葉(もみじ)のねえやんは、御機嫌斜めなんけ?」


朱雀門と呼ばれたその大柄な男が、鳥居の上から羅生門の鬼の言葉に答えるように、静かにその端正な顔立ちの目を伏せた。

「いや、むしろ儂らの予想よりもお早い到着や、羅生門。」


男はそう淡々と言うなり、鳥居の最上部から地面に向かって、優に2メートルを軽く超えるその筋骨隆々な巨体からは想像もつかないほどの圧倒的な身軽さで、トッ――と風の音すら立てずに完全な無音のまま優雅に降り立ってみせた。


その超人的な身のこなしに二人が息を呑む中、羅生門の鬼が大きな手で男の肩をポンと叩きながら二人に声をかけた。

「才狐、綱江、俺の大事な鬼仲間を紹介するでな。この鳥居から降りてきた男こそは、かの高名な朱雀門の鬼や。京都の歴史を古くから学んどる二人、特に綱江の家系やったら、名前くらいはよう知っとるやろ」


紹介された綱江は、目の前に現れた伝説の存在を前にして驚きを隠せず、慌てて背筋をピンと伸ばした。

「あ、あなたが、あの朱雀門の……初めまして、渡辺綱江です!」

綱江はそう言って、深く丁寧にお辞儀をして誠心誠意の挨拶を交わした。


その綱江の挨拶に続くようにして、隣に立つ才狐もまた、静かにお辞儀をした。

「初めまして、狐宮才狐です。天狐の妖古さんの弟子をやらせてもらっています」


二人の丁寧な挨拶を聞いた朱雀門の鬼は、その端正な顔立ちの口元をフッと優しく微笑ませ、大人の余裕を持って静かに語りかけた。

「儂は朱雀門の鬼や。そうか、君が最近になって羅生門や女鬼ちゃん、橋姫までもが楽しそうに話てた、あの渡辺の家の綱江か。そんで、そっちが噂の妖古殿の弟子とな。こうして直接会えるとは、儂としても非常に光栄や。宜しくな、綱江、才狐」


鬼の優しい歓迎の言葉に二人がホッと胸を撫でおろしたのも束の間、羅生門の鬼がさらに楽しそうに境内の奥を指差した。

「そんじゃ、挨拶も済んだことやし、二人とも遠慮せんと中に入って来てええぞ」


羅生門の鬼はそう言いながら、堂々と神泉苑の鳥居をくぐり抜けて中へと進んでいったが、その大きな足元で、地面にうつぶせになって情けなくべったりと倒れている一人の高校生を一瞥した。

その高校生は、地面に顔を押し付けられたまま苦しそうに声を絞り出している。

「ど、どけよ〜!離せってんだよ、この化け物め……!」


地面に這いつくばって情けない声を上げている哀れな少年の背中の上に、まるで特等席の椅子代わりにでもするかのように、優雅にどっしりと座っている、紅葉色の美しい長い髪を持つ長身の着物美人を観て、羅生門の鬼は腹を抱えて大笑いし始めた。

「がっはっは!久しぶりの再会やっちゅうのに、おもろい事やっとるやんけ!なんや、若いもん相手にお仕置き中かいな、相変わらず手厳しいのう、紅葉!」


羅生門の鬼から紅葉と呼ばれたその絶世の着物美人は、自分の下に敷いている少年がどれだけ暴れても一ミリも動じることなく、美しい声音で応じた。

「喧嘩売って来たのはこやつじゃ。我は夜の静かな神泉苑で優雅に朱雀門の笛を聞いておったというのに、突如として呪符を構えたかと思うたら、馬鹿の一つ覚えみたいに投げてきよって、無礼極まりない突撃をしてきたからな。我はただ、不届き者に少しばかり説教してやったに過ぎぬ。それはそうと、久しぶりじゃな、羅生門」


鳥居の奥で繰り広げられているそのあまりにも規格外でシュールな光景を目の当たりにして、後ろからついて来た才狐と綱江の二人は、開いた口が塞がらないといった様子で同時に声を漏らした。

「「あ」」


そして、その絶世の美しき長身の鬼女の臀部の下で、文字通り完全に尻に敷かれてジタバタと情けなくもがいている同級生の哀れすぎる姿を観た瞬間。

綱江はその両目を限界まで大きく見開いて、境内に響き渡るような驚愕の声を上げた。


「阿倍野君!?そこで何やってんのよっ!?」


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###〜美しき鬼女に敷かれた戦闘狂と、過去の鏡に映る黒歴史〜


東京での厳しい鍛錬によって自らの強さを誰よりも過信していた晴道であったが、今まさに自分の上に座り込んでいる美女から放たれる地響きのような霊圧の恐ろしさを、身を以て嫌というほど理解させられていた。

地面にべったりと押し付けられ、絶世の着物美人の臀部の下で完全に身動きが取れなくなっている晴道は、苦し紛れに顔を歪めて必死にうつ伏せになりながら、突如として境内に現れた見知った同級生達の姿と、彼らを連れてきた規格外の体躯を誇る大柄な男の姿を観て、驚愕のあまりにその目を激しく見開く。


「な、なんでお前らがこんな危ねえ夜の境内にいるんだよ!駄目だ、お前ら今すぐそこから離れろ!冗談抜きでお前らみたいな戦闘力のない雑魚じゃ、逆立ちしたって絶対に相手にならねえ!こいつ、見た目は綺麗だけど中身は滅茶苦茶強えんだよ!」

晴道は押し潰された胸の奥からゼェゼェと荒い息を吐き出しながら、必死に声を張り上げて叫ぶ。


全力で仲間達を逃がそうとする晴道のその悲痛な絶叫を聞いた瞬間。

隣に立っていた羅生門の鬼は、思わず自身の巨大な頭をポリポリと掻きながら、その強面の顔にどこか同情するような苦笑いを浮かべた。

「なんやこの坊主、あろうことか才狐と綱江の二人のことを指して雑魚って言いよったか?俺から見ればな、そこに這いつくばっとるお前なんかより、才狐と綱江の方が強いはずやけどなあ」


羅生門の鬼が呆れたようにつぶやくと、晴道はさらに焦りを含んだ目で、その2メートルを優に超える筋肉質な男の体躯を見上げて怒鳴り散らした。

「お、おい!そこのおっさんも呑気に笑ってねえで早く逃げろ!あんたは確かに身体もでかくて筋肉もめっちゃすげえけど、人間ごときじゃ、この化け物には絶対にかなわねえって!」


人間の心配をする、晴道のそのあまりにも見当違いな必死の忠告に対し、羅生門の鬼は今度こそ腹を抱えてガハハと豪快に大声を上げて笑い飛ばした。

「がっはっは!いやいや、心配してくれてありがたいがな、坊主。まあでも、俺はそもそも人間ちゃうぞ」

羅生門の鬼はそう言うなり、自身のどっしりとした額のあたりから、現世の鬼の証明である鋭くて頑丈な角をニョキッと生やして見せた。


そのあまりにも衝撃的な怪異の変貌を目の当たりにした晴道は、地面に顔を伏せたまま、顎が外れんばかりに驚愕して絶叫する。

「な、なあああーーーっ!?鬼が、鬼がさらに増えたァーーーっ!全然気配しなかったのに、このおっさんも鬼とか反則だろぉーーー!!」


そんな晴道の大パニックな大騒ぎを他所に、隣に立っていた綱江は、先程、羅生門の鬼が放ったある決定的な言葉の響きが、どうしても頭から離れなかった。

綱江は少し緊張した面持ちで、恐る恐る羅生門の鬼の横顔を見上げた。

「あの、羅生門さん。今、彼の上に座ってはる高貴な着物姿の彼女の事を、『紅葉』って呼ばはりました?」


「おう、そうや。正真正銘、紅葉やで。綱江やったら、その名前を聞いただけで一発で分かったよな。流石は由緒正しき鬼切神社の娘や」


羅生門の鬼が豪快に笑って綱江の知識の深さを褒め称えると、綱江は目の前に佇む伝説の大妖怪の存在に完全に息を呑み、すぐさま居住まいを正した。

そして、綱江は紅い作務衣の裾を綺麗に整えると、晴道を尻に敷いている着物美人に向かって、敬意を込めて深く丁寧にお辞儀をして挨拶をした。


「あの、お初にお目にかかります。もしかして、信州の戸隠山に古くから伝わる、あの伝説の鬼女紅葉(きじょもみじ)さんではありませんか?あの、突然の不躾な挨拶で失礼いたします。私は渡辺綱江と申します。京都の鬼切神社の娘で、普段は神職を助ける巫女をしています」


名門の娘としての完璧な礼儀作法をもって挨拶する綱江に対し、晴道の背中の上で優雅に座っていた鬼女紅葉は、その世にも美しき顔立ちにフワッと妖艶な微笑みを浮かべた。

「いかにも。現世にその名を残す、我こそは鬼女紅葉じゃ。わざわざ丁寧な挨拶、善き心がけじゃ。宜しゅうな、綱江。そうか、そなたがあの歴史ある渡辺の家の娘か」


鬼女紅葉が美しく目を細めると、隣にいた羅生門の鬼がすかさず言葉を挟む。

「直系ではないらしいがな。ほんで、こっちにいる美少年が、才狐や」


羅生門の鬼がそう言って群青の作務衣を着た才狐を紹介すると、才狐もまた一歩前に出て、いつも通り無表情のまま丁寧にお辞儀をして挨拶をした。

「狐宮才狐です。天狐の妖古さんの弟子をやらせてもらっています。宜しくお願いします」


「ほう、そなたが、かの偉大なる妖古殿の直々の弟子とな。そういえば以前、宇治の橋姫がメッセージのやり取りで楽しそうに言うておった、あの噂の優秀な弟子か。お主のような若き才能と出会えて嬉しく思うぞ。宜しゅうな、才狐」


鬼女紅葉が才狐の正体を知って優しく微笑む中、自分だけが会話の蚊帳の外に置かれ、未だに臀部の下で押し潰されている晴道は、ついにその理不尽な状況に対して地べたからの大ツッコミを炸裂させた。

「いや、お前ら何呑気に京都の観光気分で自己紹介合戦してやがる!?え、何だこれ、どういう状況なんだよ!?同級生がなんで本物の鬼どもと知り合いみたいになってんだ!?」


晴道がパニックになりながらジタバタとジタバタともがいて暴れるが、その背中の上に乗る鬼女紅葉は、一切その腰を浮かすことなく呆れた溜息を重重しく吐き出す。

「じたばたするでない、この往生際の悪い戯けが」


そんなあまりにも情けない同級生の姿を間近で観察していた綱江は、点と線がすべて綺麗に繋がったような顔をして、鬼女紅葉とその後ろに佇む朱雀門の鬼に向かって尋ねた。

「あの、紅葉さん。その無様に敷かれてる人は、私と才狐君の学校の同級生で阿倍野晴道君って言うんです。それで大方、今回のこの大騒ぎも、阿倍野君が夜の境内で大人しく過ごしてはった紅葉さんと朱雀門さんに、いきなり見境なく喧嘩を売って、その結果、実力差がありすぎてあっさり返り討ちにしはった、と言う認識であってますか?」


綱江が呆れ顔で尋ねると、鬼女紅葉は我が意を得たりとばかりに声を立てて笑った。

「ようわかっておるではないか、綱江。まさにそなたが言うた通りの顛末じゃ」


「ほんまに、阿倍野君は見境なく怪異に喧嘩売るんやね。」


才狐が淡々としたトーンで本質を突くと、それを聞いた綱江は、突然深い自己嫌悪の波に襲われ、言葉に詰まってしまう。


「全くもう……。でもまあ私も、ほんの少し前までは、怪異を見つければ問答無用で滅するべきやと思い込んでいて、完全にこんな感じやったと思うと、今の阿倍野君に偉そうに強く言えへんのやけど。でも、なんかこう、当時の自分の黒歴史を見せつけられてるみたいで、もの凄くモヤモヤする……」

綱江はそう言って、自身の未熟だった過去を思い返しながら、複雑な感情のままハァと大きなため息をついた。


しかし、このまま同級生が伝説の鬼女の尻に敷かれ続けているのも教育上よろしくないため、綱江は気持ちを切り替えると、床の晴道に向かって厳しい視線を向けた。

「阿倍野君、とにかく自分がどれだけ無礼なことをしたか理解しよし。そんで、今すぐ喧嘩を売ってしまったことについてきちんと頭を下げて謝って、二度とこんな不届きな狼藉はせえへんと心から約束して、御赦しを懇願したらどうなん?」


綱江が助け舟のつもりで説得するが、阿倍野一族としての無駄なプライドが邪魔をする晴道は、未だに地べたに這いつくばりながら意地を張る。

「な、なんで俺がこんな化け物ども相手に頭下げなきゃならねんだよ!?俺はただ、正義の祓術師として妖怪を退治しようとしただけで……」


「いきなり事情も聞かずに喧嘩を売ったんやから、どう考えても明らかに阿倍野君の方が全面的に悪いやん。往生際が悪いよ」


才狐がその平坦な声音のまま一切の容赦なくバッサリと言い放つと、その才狐の言葉に同意するように、鬼女紅葉の美しい瞳の奥に冷徹な光が宿った。

「全くじゃ。反省の色のない愚者には、言葉ではなく肉体で分からせるのが一番の薬。では、これ以上口答えできぬよう、まずはここで徹底的にフルボッコにしてやるとするか」


鬼女紅葉はそう言うなり、晴道の短い髪の毛を上からがっしりと大きな手で鷲掴みにし、そのまま地面に叩きつけようと力を込めようとする。

伝説の鬼女の本物の殺気と、頭皮を引き裂かんばかりの凄まじい怪力を至近距離で浴びた晴道は、今度こそ本気で自分の命の危機を察知し、すべてのプライドを投げ打って大慌てで叫び声を上げた。


「あ、や、やめろ!分かった、もう分かったから!俺が悪かった!俺が完全に悪うございました!いきなり事情も知らずに喧嘩売って本当にすみませんでした!ちゃんと心の底から謝るから、お願いだからその手を離してどいてくれーーーっ!」

ようやく、晴道がなりふり構わずに必死になって御赦しを懇願し始めた。


すると、それを見ていた羅生門の鬼が、笑いながら間に入ってとりなす。

「なあ紅葉、流石にこの坊主も、これだけの圧倒的な実力差を骨の髄まで思い知ったやろうから、その辺で勘弁して放したったらどや?」


さらに、後ろで静かに見守っていた朱雀門の鬼も、その2メートルを超える巨体を少し揺らしながら、穏やかな声で紅葉を宥めた。

「そうやな。折角、久しぶりの鬼仲間同士での楽しい会食の前に、わざわざ神聖な境内で血なまぐさい事せんでも良かろうに。興が削がれるわ」


二人の高名な鬼達からの宥めを受け、鬼女紅葉は「フン」と鼻を鳴らすと、晴道の頭を掴んでいた手をようやく離した。

「仕方のない跳ねっ返りの若造じゃ。晴道と言うたか、坊主。これに懲りたら、二度とその程度の未熟な力で一人前に粋がって、こちらの世界の者に、やたらと見境なく喧嘩を売るでないぞ」


鬼女紅葉はそう冷ややかに告げると、やっと晴道の背中の上からスッと優雅に立ち上がって、哀れな戦闘狂の少年をその肉体から完全に開放してやった。

晴道の上が軽くなり、鬼女紅葉が境内に堂々と立ち上がると、その背丈は現世の女性としては高い180㎝弱程の素晴らしい長身であり、着物の袖口からチラリと観えるしなやかな白い腕は、無駄な脂肪が一切なく、実に見事な筋肉で引き締まっているのが見て取れた。


その完璧に鍛え上げられた鬼女の肉美を間近で観察した羅生門の鬼は、腕を組んで感心したように笑う。

「ガハハ、紅葉は相変わらず、どこから見ても惚れ惚れするような、ええ体しとるのう」


羅生門の鬼が正直な感想を述べると、鬼女紅葉は乱れた着物の袖をパタパタと手際よく直しながら、少し呆れたように目を細めた。

「やれやれ、現代の娑婆では、そういう殿方の発言はセクハラと言うのであろう?まぁ、我はそんなつまらぬ事は一ミリも気にせぬがな。それに、我の引き締まり方など、あの恐るべき肉体を持つ女鬼ちゃんには遠く及ばぬわ」


鬼達がそんな異次元の会話を交わす中、ようやく臀部の重圧から解放された晴道は、全身の骨が軋む痛みに耐えながら、もそもそと犬のように情けなく地面を這って立ち上がった。


「た、助かった……。マジで死ぬかと思ったぜ……」


晴道は服についた砂埃を手で激しく払い落としながら、ようやく手に入れた自由の身に、胸の奥からホッと安堵の大きな一息を深くつくのであった。


---


###〜鬼達の華麗なるお好み焼き会食と、神泉苑に現れた銀髪の予言〜


地面に這いつくばった状態から、ようやく鬼女紅葉の臀部の重圧を解かれ、晴道は全身の関節をミシミシと鳴らしながら、情けなくもそもそと四つん這いになって何とか立ち上がろうとした。

その泥だらけで満身創痍な哀れすぎる姿を見かねて、才狐と、呆れ顔ながらもどこか同情の眼差しを向ける綱江の二人が、左右からそっと優しく腕を差し伸べて立ち上がるのを手伝ってあげる。


長身を二人に支えられながら、晴道が「痛タタ……マジで腰の骨が砕けるかと思ったぜ」とボヤいていた、まさにその時。


ピリリリリッ、ピリリリリッ!と、夜の静まり返った境内に、突如として場違いなほどに軽快な最新の電子音が鳴り響いた。

その音の発生源は鬼女紅葉の懐からであり、美しい鬼女は着物の合わせから現世の人間と何ら変わらない最新型のスマートフォンを滑らかに取り出すと、液晶画面をタップして耳元へと当てた。


「うむ、紅葉じゃ。……何?今からお好み焼きだと?――分かった、すぐにそちらへ向かうとする」


鬼女紅葉は何やら短い会話を交わしてから、カチッと通話を切ってスマートフォンを器用に懐へと仕舞い込んだ。

そして、不思議そうに見つめる羅生門の鬼達を振り返り告げる。

「今のは橋姫からの連絡じゃ。今夜は熱々のお好み焼きが食べたい気分だと言うて、駄々をこねておる」


「ガハハ!橋姫がわざわざお好み焼きをリクエストしてくるなんて、これまた珍しいこともあるもんやな!それやったら、ここから歩いてすぐの堀川通辺りに、鬼の儂らでも大満足できる美味いお好み焼き屋があるでな、今夜はそこにみんなで行こか……お」


羅生門の鬼が嬉しそうにそう提案した瞬間、ふと何かの強力な霊気の揺らぎに気づいたかのように言葉を止め、その鋭い眼を細めた。

すると、隣に佇んでいた朱雀門の鬼が体をゆったりと反転させ、夜の闇を見つめた。


「どうやら、この子らに御迎えが来てくれとるようやな。ほな、儂らは橋姫と合流するとするか」

朱雀門の鬼はそう言うなり、御池通を東に向かってスタスタと静かに歩き出し始めた。


「ではな、才狐、綱江。そして阿倍野の晴道よ、その程度の未熟な腕前で満足せず、これからはもっと真剣に術の修行に精進すべし」

鬼女紅葉はそう言って、その美しい長い指先でひらひらと手を振ってみせると、先行する朱雀門の鬼の後ろを静かに付いて行く。


残された羅生門の鬼も、巨体を揺らしながら親しげに笑う。

「才狐、綱江、楽しみにしとった会食は、また今度の機会にな!これから、そのボロボロになっとる晴道のことを、色々と案内したってや」

羅生門の鬼はそう笑ってから、すでに夜の闇に消えかけている二体の鬼の背中を追って、大きな足音を響かせながら勢いよく歩き出していった。


嵐のように現れては、お好み焼きを食べに去っていった規格外の鬼達の後ろ姿を唖然と見送りながら、綱江はショルダーバッグの紐を握り直して首をかしげた。

「あ、はい、それじゃあまた……って、羅生門さんが言うてはった案内って、一体なんのことなんやろ?」


すると、隣でようやく自立できた晴道が、服についた泥を激しく払い落としながら、深いため息を一つ吐き出す。

「何にしても、あいつらが去ってくれて助かったぜ、マジで一瞬だけ死ぬかと思った……。っていうかさ、京都の鬼どもって、どいつもこいつも異常なくらい強すぎだろ……」


「京都の鬼って、京都に限らずどこの鬼も強いと思うんやけどなあ。それと、紅葉さんは生まれこそ京都やけど、信州の戸隠山、現代やと長野県にもの凄く深い縁がある最高峰の有名な鬼やからね。菩提寺だって、長野市の鬼無里にあるんやで。阿倍野君も術者やったら、そういった全国の怪異の歴史的な背景とかは勉強してへんの?」


綱江が不思議そうに綺麗な首をかしげて尋ねると、晴道は少しバツが悪そうにそっぽを向いて口をとがらせた。

「あ、あのな、座学の勉強だって一応は最低限やってるけどさ、俺は別に鬼専門の祓術師ってわけじゃねえんだよ」


すると、晴道のその言葉を聞いた才狐が、純粋な疑問を投げかけた。

「阿倍野君の家系って、何かの特定の怪異の専門というわけやないの?」


「おうよ!うちの阿倍野の家はな、物の怪全般、どんな怪異であっても完璧に相手に出来る万能の祓術師なんだぜ?怨霊だろうが妖怪だろうが、何でも来いだ!」

晴道は、ここぞとばかりにグッとパーカーの袖を腕まくりして、自慢のたくましい力こぶを出してみせた。


しかし、その男らしいアピールに対しても、綱江は一切表情を崩さずに冷ややかに突っ込む。

「そういう大きな口を叩く割には、さっきは紅葉さんに、手も足も出ずにあっさり負けて命乞いしてたやん。読んで字の如く尻に敷かれるって言うの、初めて見たわ」


「あ、あれはあいつらの力が規格外すぎるんだよ!不意打ちみたいなもんだ!次に闘う時は、絶対に負けねえぞ!」


晴道が悔しそうに不貞腐れて拳を握りしめると、綱江はこれ以上ないほどに呆れ返る。


「いや、不意打ちしたんは阿倍野君やんか……はぁ……。あれだけの目に遭わされたっていうのに、本当に全然懲りてへんやん……って、え?」


綱江が言葉を交わしている最中、突如として、背後の暗闇から刺すような奇妙な視線を感じ取り、その言葉をピタッと止めた。

異変に気づいた3人の高校生が同時に身構え、そのただならぬ冷たい視線を感じる先をじっと観てみると、そこには静寂に包まれた境内の片隅に、小柄な少女が一人だけでぽつんと立ち尽くしていた。


その場所にいたのは、夜風に美しくなびく銀髪の長い髪を持ち、現世の人間とは明らかに異なるまん丸目をしており、台形の形をした独特な口の開き方をしていて、頭には黒いベレー帽を被り、下半身はズボンタイプの黒いセーラー服を完璧に着用している、一見すると小柄な女の子であった。

その独特すぎる奇妙なビジュアルと、底の知れない圧倒的な存在感。


この少女の友人である才狐と綱江の二人は、視線の正体を知った途端、同時に「「あ。」」と驚き混じりの声を上げる。


しかし、そんな二人の緊迫した反応とは裏腹に、オカルト知識の浅い晴道は、ただの迷子の子供だと思い込んで首をかしげた。

「あ?何だこいつ、こんな夜遅くに。神社の子供か?」


3人がそれぞれ見守る中、その銀髪の少女は、感情の読めないまん丸目をさらに大きく見開く。

そして、古都の夜の静寂を切り裂くかのように、突然その台形の口から、世にも不気味で重々しい一言をぽつりと呟いた。


「――えらいこっちゃ」


少女から放たれたそのあまりにも唐突で、そして決定的な破滅の予感を含んだ短いセリフが、神泉苑の境内に不気味なエコーとなって響き渡った。



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