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摩訶不思議食堂のほっこり飯  作者: 修羅観音


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第35話後編:妖怪博士の京都怪異紀行とほっこり飯

##早朝の迷走と、漆黒のコートを纏う男


前夜は母親の雷にあいながらも、都子の胸の中で燃え盛る怪異への情熱の炎は、1ミリたりとも衰えることはなかった。


パッと小気味よく爽快に目が覚めた翌朝の日曜日。

まだ薄暗いカーテンの隙間から差し込む朝日の光を浴びながら、都子はいつもの時間に俊敏にベッドから跳ね起きた。


すぐさまトレーニングウェアに身を包んで外へと飛び出すと、ヒュゥゥと冷たい朝の風を切り裂きながら、ザッザッ、ザッザッ、と力強いピッチで早朝のロードワークをこなし、心地よい汗を大いに流した。

その後、自宅に戻ってシャワーを浴びてから、今日の長丁場に備えてボリューム満点の朝食をしっかりと胃袋に収める。

時計の針は、まだ人々が眠りについている時間を指しており、寝室で気持ちよさそうに就寝中の両親を起こしてしまわないよう、都子は足音を忍ばせて抜き足差し足で静かに玄関の扉を開け、外へと脱出した。


しかし、勢いよく我が家の門を飛び出したところで、都子はふと足を止め、自分の重大なポカに今更ながらに気づいてしまう。


「……あ、そういえば、怪異にインタビューすることばっかり頭に血が上ってて、今日はどこに行くか具体的な目的地を何も決めてへんかったわ」

都子は髪をポリポリと掻きながら、道端でうーんっと首をかしげて立ち尽くした。


昨日の羅生門の鬼のように、闇雲に歩いて都合よく大妖怪に出会えるわけもない。

そこで都子は、昨日仲良くなった、あの美しい稲荷神社の気狐であれば、京都の怪異について最新の動向や、何か面白い取材のヒントを新しく教えてもらえるかもしれないと閃く。

そうと決まれば行動は早く、都子はすぐさま最寄り駅へとダッシュし、ガタゴトと音を立てる電車に飛び乗って京都駅へと向かった。


---


キィィィンとブレーキ音を響かせて、早朝の京都駅へと到着したものの、あまりにも時間が早すぎた。

駅ビルの巨大なシャッターは軒並み固く閉ざされており、土日出勤がある眠気眼のサラリーマン達や、朝の散歩がてら集まる人達が利用する、モーニングメニューを提供している喫茶店くらいしか店舗が空いていない。

これでは、お狐様達が何よりも大好きなあの最高級の油揚げを手に入れることなど到底不可能である。


「あちゃあ、油揚げが買えへんのは大誤算やなぁ……。でも、手ぶらで行くわけにはいかへんし、どないしょ」


都子は仕方がなく、稲荷神社の近くにある24時間営業のコンビニエンスストアへと立ち寄ることにした。

棚を物色し、お狐様でも喜んでくれそうな和菓子の中から、もちもちとした白い大福を二つ購入し、それをお供え物の代わりにカバンに大切に仕舞い込んで、静まり返った稲荷神社へと足早に向かった。


朱色の鳥居の前で一礼してから中へ入って行き、昨日、気狐が静かにねぐらにしていたと思われる、境内の最も奥まった場所にある人気の無い御社へと都子は辿り着いた。

パンパン、と静寂に包まれた森の中に柏手の音を響かせ、正しい作法に則って二礼二拍手一礼をしてから、買ってきたばかりの大福の包みを木製の台へと、そっと置いてみる。

しかし、周囲の空気はしんと静まり返ったままで、まだお狐様は寝ているのか、それとも別の場所へお出かけ中でここにはいないのか、何の反応も妖気の揺らぎも返ってこない。


都子は「うーん、やっぱり怪異やからって、ずっと同じ場所にいてはるわけやないんやな。それにしても、この大福はどないしょ?置きっぱなしにして帰ったら、野良猫とか鴉がつつきに来て食べてまうし、かといって、私が今すぐ持って帰っても、後から入れ違いになって戻ってきはったら折角の御供えが台無しになってまうし……」と、祠の前で腕を組んでぶつくさと独り言を言いため込み始めた。


あれこれと頭を悩ませているうちに、都子はしびれを切らし、思わず静かな境内に向かって大きな声を張り上げてしまう。

「気狐さーーん!起きてはりますかーー!」


ビシィィィンと都子から放たれた叫び声が、朝の境内の木々に跳ね返って空しく響き渡る。

我に返った都子は、自分のあまりの軽率な行動にハッとして、すぐに自分の両手で口を覆い隠した。


「……って、叫んだところで、ここにいてはらへんのやったら、聞こえるわけないか。それに、もし気持ちよく寝てはるのに、私の大声のせいで無理やり起こしてしもたら、ものごっつ御機嫌斜めになって雷落とされてまうかな?」

都子は冷や汗をかきながら、自身の頭をガシガシと掻いて猛省してする。


すると……。

都子の背後から、突如として冷徹極まる低い足音と共に、全く予期せぬ方向から大人の男性の声が静かに響いてきた。


「……お嬢さん。ここらの近くにはビジネスホテルもありますし、静かに暮らしてはる住宅もありますさかい、こんな早朝から響き渡るけたたましい雄たけび上げはったら、御近所さんにこっぴどく叱られますえ」


「ひぇっ!?あ、す、すみません……!完全に私の不徳の致すところでございます……!」

都子は不意を突かれた驚きと、一般人に迷惑をかけてしまったという社会人としての猛烈な申し訳なさから、心臓をドクンと激しく弾ませながら、咄嗟にその場に深く頭を下げて謝罪した。


慌てて頭を上げ、都子の大きくて鋭い真眼の視界の中に飛び込んできたのは、あまりにも独特な冷たい雰囲気を全身から放つ一人の男の姿だった。


そこに立っていたのは、年齢はだいたい40代半ばから後半くらいの、大人の渋みをこれでもかと漂わせている男性。

驚くべきは、この清々しい日曜日の早朝の神社というシチュエーションにはおよそ似つかわしくない、仕立ての良い黒いコートに、漆黒の黒いシャツ、そして機能性の高そうな黒いカーゴパンツ姿という、全身のすべての衣服を、文字通り黒一色で完璧に統一している不気味な服装だった。


男は一切の感情を削ぎ落としたかのような無表情のまま、その底知れない冷徹な双眸で、都子の瞳を冷静沈着にじっと見つめていた。


---


##鳥居の下の黒き衣と、早朝に目覚める呪術の語らい


朝靄がうっすらと残る静寂の境内で、突然背後からかけてきた大人の男の落ち着いた声に、都子は心臓をドクンと大きく跳ね上がらせた。


「ええっと……お、お早う御座います!すみません、誰もいてはらへんと思って、いきなり大きな声で叫んじゃって……。ええっと、失礼ですが、この神社の御近所さんですか?」

都子は少しだけ頬を赤らめながら、恥ずかしそうに頭を掻きながら尋ねた。


漆黒の衣に身を包んだ男性は、都子の慌てた様子を見ても一切表情を崩さず、どこまでも冷静沈着な双眸で都子を見つめたまま、低く滑らかな声で淡々と語り始めた。


「いや、僕は御近所と言う程近くに住んではおりませんがね。ただ、休日の早朝は空気が澄んでいて大変に気持ちが良いものですから、こうしていつもこの辺りを気ままに散歩しとるんです」

男のまとう空気は冷徹でありながらも、その言葉遣いには京都らしい独特の柔らかな響きが混ざり合っている。


「あ、そうでしたか!確かに早朝の神社とかお寺って、凛としていてとても澄んだ空気が満ちてますもんね。私もロードワークの時とか、こういう朝の雰囲気がごっつ大好きなんです!」


都子がいつもの屈託のない満面の笑顔を咲かせると、男性は無言のまま、スッとその視線を社の台座へと静かに移した。

そこには、都子が先ほどコンビニエンスストアで急遽買い求めた、もちもちとした白い二つの大福が、ぽつんと寂しそうに並んで置かれている。


視線の意味を察した都子は、ハッとしてカバンを抱え直しながら慌てて言葉を付け足した。

「あ、これ、やっぱり置いて帰ったらあきませんよね!誰もいないからって置きっぱなしにしたら、後から野良猫とか鴉がやって来て、突っついて食い散らかして境内を汚してまうから。やっぱり一度御供えして拝んだ後は、ちゃんと私が持って帰らんと……」


都子が反省したように呟くと、黒一色の男性は小さく深く頷き、感情の読めない声で淡々と告げる。

「ええ、そうしはるんが宜しゅうおす。神聖な場所を汚さぬためにも、それが現世の正しい作法というものですさかい」


「そうですよね。それじゃあ、これは一回持って帰らんと……あ、でも、ちょっと待ってくださいね」


都子は大福の包みを一度手に取ると、社から少しだけ距離を置き、境内の入り口にそびえ立つ美しい朱色の鳥居がはっきりと綺麗に観える所までトトトッと軽いフットワークで出て行った。

そして、何かを探し求めるようにして、カサカサと音を立てる木々の梢の先にある鳥居の最上部を、その鋭い真眼を細めながらじっと見上げる。

全身を漆黒のコートで統一した男性は、そんな都子の奇妙で一風変わった一連の行動を、一切の物音を立てずに黙ったまま、まるでその本質を見極めるかのように、じっと観察し続けていた。


都子はしばらく鳥居の上を見つめていたが、やはりそこには何の妖気の揺らぎもないことを確認し、少しだけ肩を落として、後ろの男性に向き直った。

「あ、すみません、急に突拍子もない動きをしてしまって。実は、ここの稲荷神社に棲みついてはる素晴らしい御狐様がいてはるんですよ。そのお方の名前を気狐さんって言うんです。もしも、その御狐様、気狐さんって言うんですけど、気狐さんのお連れさんか何かの怪異が、あの鳥居の上に今もひっそりといてはるんやったら、この大福を置いておいたら、上から降りてきて美味しそうに食べはるかなあ、なんて勝手に思って見上げてたんです」


都子が照れくさそうにえへへと笑うと、その言葉を聞いた男性は、その瞬間だけ驚いたように、一瞬だけその両目を見開いた。

しかし、すぐさま何事もなかったかのように、いつもの氷のように冷徹な無表情へと戻る。


「ほう……いや、驚きましたな。まさか御嬢さんの口から、気狐さんのお連れさんという言葉が出てくるとは。ほんで、あそこの鳥居の上を熱心に見てはるという事は、もしかして、神域を護るおとろしさんとも、既にお会いになられましたかね?観察させてもらう限り、おたくは決して神社で悪さをするような不届きな御人には到底見えんのですが」

男性は黒いコートのポケットに両手を滑り込ませたまま、低い声で淡々と尋ねてきた。


その想定外すぎるセリフが男の口から飛び出した瞬間、都子は衝撃のあまりその場でガタッと激しく飛び上がり、持っていたカバンを落としそうになるほどに驚愕した。

「ええっ!?あの、失礼ですけど、あなた今、気狐さんと、おとろしさんの名前をはっきりと言わはりましたよね!?もしかして怪異のことを御存じなんですか!?」


都子が興奮のあまり身を乗り出すと、黒衣の男性は小さく息を吐き、静かに応える。

「ええ、まあ。そのお二方とは仲良うさせてもろてます。言うても、実際に関わるようになって深い縁ができたんは、本当につい最近の事ですがね」


「すごい!あの、もしよろしければ、どうやって出会って関わるようになったのか、その素晴らしいお話を私にもっと詳しく聞かせてもらえませんか!?あ、遅くなりましたが、私は井開都子と言います!地域誌の編集にも関わっていまして……あ、名刺!私はこういう者です!」

都子は目の前に突如として現れた、怪異の世界を深く知る重要人物の出現に、胸の鼓動をドクドクと激しく高鳴らせ、表情をころころと変えながら、カバンから立派な名刺を素早く取り出し、両手で丁寧に差し出した。


男性は、都子のその一切の裏表のない真っ直ぐな熱意を受け止めると、黒い手袋を外して、洗練された一流のビジネスマナー通りに、「井開都子」と書かれた名刺を丁寧に受け取った。

「これはこれは、ご丁寧にどうも。今日は生憎と休日なものですさかい、僕の方からは名刺をお渡し出来ませんが」


男性は名刺の文字を冷静に確認すると、コートから財布を取り出して名刺を入れる場所へと大切に仕舞い込み、淡々と静かに自己紹介を告げる。

「僕の事は、まあ……そうですね、肩書きを言うのも野暮ですし、便宜上『呪術師』とでも呼んでくれなはれ」


「え……?じゅ、呪術師、さん……!?」


都子は、そのあまりにも非現実的でありながら、男の放つ圧倒的なオーラと完璧に合致するその怪しげな響きに、大きな両目を限界まで見開いて驚いた。

そして、妖怪博士としての旺盛な好奇心が、その胸の中で一気に爆発する。


「もしかして呪術師さんって、あの古の時代から京都の闇を護り続けている本物の陰陽師の末裔の方ですか!?それとも、京都の全ての神社仏閣の神職の皆さんを裏から一手に束ねるくらいの、もの凄く高い実力を持った伝説の術者の方なんですか!?」


都子がその目を爛々と輝かせ、至近距離まで詰め寄ると、呪術師は都子の圧に少しだけ眉をひそめたようにも見えたが、それでいて少しだけ表情を和らげたようにも見えた。

「……食いつきが凄まじいですな」


「あ……!ご、ごめんなさい、つい怪異や呪術のお話になると頭に血が上って夢中になってまうもんで……!」

都子はハッと我に返り、自分が初対面の大人に対してあまりにも無礼に詰め寄っていたことに気づいて、顔を赤くしながら大慌てで両手を振って謝罪する。


呪術師はその都子の裏表のない純粋な様子を見て、その冷徹な口元をほんの僅かだけ和らげた。

「いえいえ、宜しゅうおす。それに、気狐さんとおとろしさんを御存じなんやさかい、少なくとも僕らの世界の技や術、そういった存在に対して、おたくには何の抵抗もなさそうで、話が早そうではありますな」


「はい!抵抗どころか、大好きで毎日調べてるくらいです!あの、呪術師さん、もし宜しければ、ほんの少しだけでもお時間を頂いて、その素晴らしいお話を伺えませんか!?あ、京都駅の早朝からやってる喫茶店なら、もうどこも開いてますよね?珈琲代とお菓子の代金は、インタビューの御礼として全部私が持ちますから、是非ともよろしくお願いします!」

都子はカバンを胸に抱きしめ、藁にもすがるような気持ちで、呪術師の前に向かってペコリと勢いよく頭を下げた。


都子のその熱烈な懇願に対し、呪術師はしばらく無言で都子を見つめていたが、やがて静かに両手を胸の前で合わせ、合掌してお辞儀をした。

「ふむ……。僕も丁度、今朝の散歩のコースの終着点に、駅前の喫茶店をきっちり入れてますさかいね。ほな、そこまで言ってくださるのなら、お言葉に甘えて珈琲を御馳走になります。有難う御座います」

そう言って礼を言う男の洗練された美しい動作には、一分の隙もなかった。


こうして、日曜日の清々しい朝の光が差し込み始めた京都の街頭で、ベリーショートヘアの活発な人間女性の井開都子と、全身を漆黒の衣で包んだ謎多き呪術師の二人は、並んで歩調を合わせ、早朝から賑やかな香りを漂わせている京都駅の喫茶店へと向かって、静かに足を進めるのであった。


---


##漆黒の呪術師が紡ぐ、食前の祈りと境界の真実


日曜日の朝を迎え、清々しい光に包まれながら、すでに独特の活気にあふれている京都駅。

駅構内に軒を連ねるお洒落な喫茶店は、早朝の早い時間帯であるにもかかわらず、これから古都の観光へと向かう旅行客や、日曜出勤前の現世の々でザワザワと大変な混雑を見せていた。

そんな中、運良くタイミングが重なった二人は、長蛇の列に巻き込まれることもなく、クラシック音楽が静かに流れる落ち着いた雰囲気の店内のテーブル席へとスムーズに入店する事が出来て、冷たいアイス珈琲を注文する。


しばらくすると、ガラスのグラスの中で氷がカラン、カランと涼しげな心地よい音を立てて、並々と注がれたアイス珈琲が運ばれてきた。

運んできてくれた給仕の店員に対し、二人は丁寧に頭を下げてお礼を言う。


珈琲を目の前にして、目の前に座る全体を黒一色で統一した男性が背筋を正し、静かにその両手を胸の前で綺麗に合わせる。

男は静かに目を閉じると、凛とした滑らかな京都弁で、朗々と一つの美しい言葉を唱え始めた。


「われここに食をうく、つつしみて天地の恵と人々の労を謝し奉る。」


その厳かな響きは、周囲の現世の雑音をすうっと掻き消してしまうかのような不思議な静寂を伴っている。

呪術師はその言葉を称えてから、さらに心を込めるようにして、最後に十回の念仏を静かに、そして淀みなく称えた。

すべての祈りを捧げ終えると、男はゆっくりとお辞儀をする。


「ほな、頂きます、有難う御座います」

呪術師は、目の前で一部始終をじっと見つめていた都子に対しても、大人の洗練された礼儀正しさで再度丁寧にお礼を言ってから、ストローに唇を寄せてアイス珈琲を一口飲む。


その一連の美しくもどこか神秘的な動作を特等席で目撃していた都子は、その胸の奥にある好奇心を抑えきれなくなり、身を乗り出すようにして声を弾ませた。

「今のは、何かの術とか技とか、そんな感じですか?もしかして、精神を統一して周囲の霊気を取り込んだり、邪悪なものを祓ったりする、特別な儀式なんですか?」


都子が目を輝かせて尋ねると、呪術師はグラスをそっとテーブルへと戻し、クスリとも笑わずに淡々とした平坦な声音で答える。

「これは術でも何でもおへん。浄土宗に古くから伝わる、食前の言葉というものです。僕は出家した正式な僧侶というわけではありませんが、日々の営みを御仏の教えと共に生きておりますので、何かを口にする前には、こうして必ず手を合わせるのが昔からの習慣になっておりましてな」


「なるほど、仏教の古いお教えだったんですね!あ、仏教と言えば、歴史の教科書なんかでも密教の加持祈祷とか、不思議な力のお話がたくさん出てくるじゃないですか。やっぱり仏教の教えの中にも、一般には隠されているような色んな種類の術があったりするんでしょうか?」


都子がさらに食いつくと、呪術師は冷徹な双眸を少しだけ細め、落ち着いた声で大人の分別を持って諭すように語りかける。


「その手の深いお話になりますと、僕のような在家の者ではなく、それこそ本職と言いますか、しかるべき寺院の徳高き僧侶の方から、直にお聞きになった方が、腑に落ちる答えが得られると思いますえ。それから、僕の本分である呪術のことにつきましても、おたくの作られるような公の雑誌に大々的に掲載出来るレベル、ほんの表層部分の歴史や、怪異との付き合い方における基本中の基本と言ったところまでしか、僕の立場からはおいそれとお伝えするわけにはいきませんさかいな」


「な、なるほど!言われてみれば確かにそうですよね。世間では『秘術』って言葉があるくらいですもんね。脈々と受け継がれてきた大切な教えが奥底に秘められているんやから、初対面の私なんかに、おいそれとは簡単に語れへんのは当然かぁ。でも、そうやって表に出ない技術があるっていうだけでも、なんだかもの凄く浪漫がありますよね!」


都子は少しだけ残念そうにしながらも、異界のプロフェッショナルが持つ、その徹底した守秘義務を護る格好良さに、再び目を輝かせる。

しかし、ふと何かに思い至ったように、その快活だった表情を少しだけ曇らせ、どこか悲しそうな顔になって声を低くした。

「あ、でも、ちょっとお聞きしてもいいですか?そういう特別な呪術の力を使って、悪い人を呪い殺してしもたり、あるいは人間を脅かすような妖怪とか怪異の皆さんを、容赦なく一方的に退治したり、消し去ったりもするんですか?」


都子の怪異を思いやる優しい心根を感じ取ったのか、呪術師はアイス珈琲を静かに見つめながら、少し声音を和らげて言葉を返した。

「……まあ、現世と異界の均衡が激しく崩れてしもうて、双方の命に関わるような最悪の事態になりますれば、場合によってはそうせざるを得ん苛烈な瞬間もあるかもしれませんな。ただ、そうした血生臭いやり取りというもんは日常的にあるわけやないし、伝説になるレベルの騒動は滅多にある事やおへんので、そこは誤解せんといておくれやす」


呪術師は一息つくと、現代の術者達が共有する業界の事情を、少しだけ明かすように語り続ける。

「今の時代、力を得て少しばかり血気盛んになった若い術者の中には、自分の実力を過信して、無害な怪異を相手に力試しをしたがる愚かな輩もいたりはしますがね。ですが大抵の場合、そういう分を弁えない暴走が起きる前に、彼らの師となる人生の経験豊かな方々が、厳しく拳を握って戒めてくれはるもんです。因果の報いは恐ろしいさかい、その恐ろしさを知ってる師匠達が、しっかりと事前に止めてくれはるのが常ですな」


「あ、それを聞いて本当に良かったです!もしも怪異の皆さんが、ただどこかで機嫌よく美味しい御飯を楽しく食べているだけやのに、『妖怪やから』っていう理由だけで、理不尽に人間からいきなり襲い掛かられたり、逆に何の罪もない人間に怪異が襲い掛かったり、そんな悲しい連鎖がそこら中で当たり前に起きているわけではないんですね。本当にホッとしました」

都子は胸に手を当て、最悪の衝突が日常的に起きているわけではない事を知って心底安心したようにホッとする。


「まあ、この広い京都の街ですから、過去の歴史を紐解けば、そういう理不尽な衝突の事例も全くなくはなさそうですがな。それでも、現代における絶対数としてはかなり少ないはずでっしゃろ。互いに住み分ける分別は、向こうの住人の方がよっぽど弁えてくれてはりますさかいに」

呪術師は淡々と、しかし確かな信頼を込めてそう締めくくった。


その頃、ここから離れた場所にある、とある鬼にまつわる神社の境内で、一人の愛らしい娘が突如として「はくしょんっ!」と、可愛らしいくしゃみをひとつ響かせていることなど、この二人は知る由もなかった。


---


##真実を紡ぐ架け橋と、北へ飛ぶ式札


運ばれてきた冷たいアイス珈琲を前にして、都子の口からは、昨日、京都の街で巻き起こった出来事や、あまりにも濃密で愛おしい怪異たちとの出会いの数々が、堰を切ったように次から次へと溢れ出していった。


東寺の古い敷地で出会った妖艶な赤い着物の猫又のこと、その魔所の近くで人間の老夫婦に化けて世にも美味しい餡子入りの鈴カステラを焼いていた小豆洗いと小豆婆のコンビのこと、そして先ほどこの稲荷神社で大騒動を巻き起こした鳥居の守護者であるおとろしと、気狐の威厳ある姿。

さらには、神社を出た直後に小さな手で衣服の袖をくいっくいっと引っ張られ、それが縁となって一瞬で友達になることができた愛らしい袖引き小僧のことまで、都子はまるで自分の家族のことを自慢するかのように、身振り手振りを交えながら実に嬉しそうに語り続けた。


「それでですね、その後に羅生門の鬼さんと袖引き小僧君と一緒に、この喫茶店にみんなで並んで入って、最高に濃厚なモンブランをハグハグって一緒に食べたんです!袖引き小僧君が洋菓子を美味しそうに食べてはる姿、もう本当に可愛らしくて素敵やったんですよ!」


都子が、その大きな瞳をらんらんと輝かせて熱弁を振るうのを、全身を黒一色で包み込んだ呪術師は、グラスを静かに傾けながら、どこか父親のような優しい雰囲気をその身に纏わせて静かに聞き入っていた。


話が一段落すると、都子は少しだけその声を落とし、かつて幼い頃に自分の心の支えとなってくれた大切な存在について、静かに語り始める。


「それから、私にとって絶対に忘れられへんのが、子供の頃にずっと一緒に遊んでくれた、私が『ワラシちゃん』って呼ぶようになった、座敷童の女の子なんです。長い時を経て、まさか摩訶不思議食堂で奇跡的な再会を果たせるなんて、夢にも思ってなくて……。あの時、ワラシちゃんが私のことをちゃんと覚えててくれたんやなって分かった瞬間は、もう胸がいっぱいになってしもて……」


過去の切なくも温かい記憶が脳裏に蘇ったのか、都子は一瞬だけその大きな両目をうるうると涙目になりそうに潤ませた。

しかし、すぐに涙を引っ込めると、パッと満面の明るい眼を輝かせて、本当に嬉しそうにその後の幸せな交流について言葉を続けた。


呪術師は都子の表情の変化をじっと見つめながら、彼女が生まれながらにして現世と異界の住人を等しく視認できる特別な『真眼』の持ち主であることを、完全に看破していた。

呪術師の顔は未だ冷徹な無表情のままであったが、その纏う空気からは、都子が語る怪異達との心温まる交流話に対して、どこか楽しそうに共感しているような、心地よい雰囲気が確かに醸し出されていた。


「――あ!ご、ごめんなさい!せっかく呪術師さんに色々インタビューさせてもらうつもりでここに来たのに、気づいたら私ばっかり自分の話をごっつ熱く語ってしもて……!」

一通りの凄まじい弾丸トークを終えた都子は、自分が初対面の相手を前にして完全に舞い上がっていたことにハッと気づき、顔をりんごのように少し赤く染めながら、恥ずかしそうに頭をボリボリと掻いて縮こまる。


すると、目の前の黒衣の男はアイス珈琲のグラスを静かにテーブルへと置くと、それまでの氷のような冷たさを微塵も感じさせないほどに、フッとその厳しい表情を優しく和らげた。

「いえいえ、気になさることはおへん。実に興味深く、かつ心が洗われるような素晴らしいお話を聞かせて頂き、有難う御座います。井開都子さん、あんさんは怪異と人間、二つの世界の間に立ち、双方の心を正しく繋ぐことの出来る、かけがえなき唯一無二の逸材ですなあ」


「わぁ……有難う御座います!呪術師さんにそんな風に言ってもらえるなんて、もの凄く励みになります!私は本当に怪異の皆さんのことが大好きですから、いつか絶対にそうなれるように、自分が担当させてもろてる雑誌の記事を通じて、人間の世界に向けて怪異達の真の声をしっかりと形にしてお届けしますから!そのためには、単なる噂話や古い文献だけに頼るんじゃなくて、ちゃんと本人、いえ、本怪異の皆さんとじっくりと膝を突き合わせて話をして、彼らの心の奥底にある真実の声を聞こうって、そう心に決めてインタビューするようにしたんです!」

都子は拳を小さく握りしめ、自身の創作にかける熱い情熱を真っ直ぐにぶつけるようにして笑った。


「それは本当に宜しゅうおす。異界の真実を自身の眼でしっかりと観て、怪異達の真実を自身の耳で正しく聞き、その真実の声をその手で現世へ伝える。素晴らしい心掛けに支えられし活動、陰ながら応援してまっせ。実は、僕も都子さんが一生懸命に書かれた、あの地域誌の妖怪コーナーは第1回も第2回も、隅々まで大変に興味深く読ませてもろてますからね。そやから、これからどんな風に形になるのか、次の3回目も今から本当に楽しみにしてますえ」


呪術師はそう言うと目を細め、都子と出会ってから初めて温かい笑みを、フッとその口元に浮かべて微笑んだ。

冷徹だと思っていた男の、初めての優しく美しい笑顔を間近で観た都子は、あまりの格好良さと嬉しさに胸をドクンと高鳴らせた。


「あ、有難う御座います!読者の方に直に応援してもらえるなんて、本当にクリエイター冥利に尽きます!まだ社外秘なので、次の3回目がどんな怪異のお話になるのかはここでは詳しく公開出来ませんけど、呪術師さんの期待を絶対に裏切らへんような、最高にええもんに仕上げてみせますから、楽しみに待っていてください!」

都子は目をこれ以上ないほどにキラキラと輝かせ、感謝の気持ちを込めてテーブルの上で勢いよく頭を下げた。


そうして、お互いの心が完全に通じ合った至福の時間も過ぎ、二人は喫茶店を出ると、朝の賑やかな光が満ち始めた京都駅の巨大な近未来的建物から一歩外のストリートへと出る。

ロータリーの喧騒が五感に伝わってくる中、呪術師は足を止め、黒いコートの襟を少しだけ正した。


「ほな、今朝は美味しい珈琲をすっかり御馳走になりましたさかいにね。その御礼と言ってはなんですが、僕が普段から仲良うさせてもらっとる、信頼できる方のところへ今から一緒にいきましょか」


男はそう言うなり、黒い手袋をはめた手で、スッと衣服の懐から長方形の白い薄紙で作られた、何やら怪しげな一呪の文様が描かれた御札らしき紙をスマートに取り出す。

そして、その紙を青空へ向けてスッと指先で軽く飛ばした。


シュパァァァン!――と、空間を引き裂くような鮮烈な効果音と共に、都子の目の前で信じられない現象が起きた。

呪術師の手から離れた長方形の御札は、空中で白い光の粒子を撒き散らしながら、瞬時に生きている本物の鳥の形へとその構造を変化させると、バサバサバサッと力強く羽ばたき、真っ直ぐ北の空の彼方を目指して物凄いスピードで飛んで行ったのである。


「う、うわあぁぁ!?すごいっ、今のは一体何ですか!?」


都子が、その前代未聞のリアルな呪術の光景に度肝を抜かれ、大きな両目を丸くして驚く。

すると、時間は1分も経たぬうちに北の空から、先ほどの白い鳥の影が再び風を切ってヒュンと戻ってくると、呪術師がスッと右の掌を前に出す。

白い鳥は音もなく正確にとまり、その掌に触れた瞬間、鳥の姿は一瞬でパッと霧のように消え去り、元の静かな長方形の御札へと完全に形を戻した。


「向こうの方も、快く歓迎してくれてはります。ほな、ここから少し歩いたところにある浄土宗のお寺さんへ行きましょか。おたくの作られる大事な雑誌の記事の参考になるような、歴史ある面白い話も色々と聞けるかと思いますさかい」

呪術師は何事もなかったかのように、その御札を懐へと仕舞い込むと、長いコートの裾を美しく揺らしながら、アスファルトの道を颯爽と流れるような足取りで歩き出す。


「あ、はい!喜んで付いて行きます!あの、呪術師さん、今のって、もしかして古い陰陽道の文献に出てくる、式神とかいう伝令用の御札なんですか!?音も立てずに形が変わるなんて、本当に手品みたいで凄かったです!」

都子はあまりの興奮に胸を弾ませ、置いていかれまいと大慌てで呪術師の広い後ろ姿をぴったりと付いて行く。


呪術師は歩きながら前を見据えたまま、その術の基本的な仕組みについて静かに語りかけた。

「まあ、基本的には伝令用の御札のようなものと思うてもろて宜しゅうおす。あらかじめ術を施した伝令符に、僕の霊気の波長を込めておくことで、特定の相手へと瞬時に言葉を届けることができる通信技術のようなもんですわ」


「へぇぇ!通信の技術!現代のスマートフォンよりも、めちゃくちゃ未来的で面白いです!」

都子は歩きながらも、その言葉を一言も聞き漏らさないように、カバンから取り出したメモ帳へとペンを走らせ、興味深く熱心にメモを取りながら進んでいく。


すると、前を歩く呪術師は、ノートに夢中になって足元がお留守になっている都子の様子を察し、少しだけ声音を優しくして声をかけた。

「そんな風に歩きながらよそ見して文字を書いていたら、古い道の段差に躓きまっせ。危ないさかい、前をしっかり見て歩きはれ」


「あはは、すみません!つい夢中になっちゃって!」


二人はそんな穏やかで温かいやり取りを何度も交わしながら、木漏れ日の差し込む美しい古都の街並みを抜け、次なる異界の真実が眠る歴史ある寺院への道を、足調を合わせて歩いて行くのであった。


---


###〜美しく若き住職の導きと、真眼が捉えし術式の秘密〜


京都駅の喧騒から少し離れた、古き良き佇まいを残す街並みの一角に、その浄土宗寺院はひっそりと、しかし確かな厳かさを漂わせながら佇んでいた。


周囲の近代的な建物に溶け込むようにして現れた歴史ある山門の前に辿り着くと、漆黒のコートを纏った呪術師が歩調を緩め、神聖な結界へと足を踏み入れる前の礼儀として静かに深く一礼を捧げる。

都子も、その流れるような大人の洗練された所作に自然と習う形で、背筋を伸ばしたまま一礼を捧げ、ピンと張り詰めた厳かな空気が満ちる山門を静かにくぐり抜けた。


参道の石畳を進み、歴史の重みを感じさせる木造の建物の入り口前へと近付いたその時、二人の到着をあらかじめ完全に予見していたかのように、一人の女性僧侶が静かに姿を現す。

彼女は朝の柔らかな光に包まれながら、胸の前で綺麗に両手を合わせて笑顔で合掌し、深く丁寧なお辞儀で二人を温かく歓迎してくれた。

そのあまりにも浮世離れした、神聖で美しい佇まいを視界に捉えた瞬間、都子は衝撃のあまり思わず息を呑む。


「……綺麗」

都子の口から、心の底からの純粋な感嘆の呟きが小さく漏れ聞こえた。


綺麗に切り揃えられた艶やかな短い黒髪が実によく映える、浄土宗の僧侶が纏う格調高い伝統的な法衣と袈裟に身を包んだ若き女性僧侶は、見る者の魂を瞬時に吸い寄せ、日々の穢れをすべて優しく浄化してしまうのではないかと思わせるほどの、およそ現世のものとは思えない超絶美少女と見紛うばかりの凄まじい美貌を持っていた。


都子が、その菩薩のような圧倒的な美しさに我を忘れてうっとりと魅入っていると、隣の呪術師が静かに手を合わせ、いつもの落ち着いた低い声を響かせた。

「御住職、お早う御座います。朝の何かとお忙しい時間帯から、こうして突然押しかける形になりまして、誠に申し訳ありません」


呪術師が敬意を込めて合掌してお辞儀をすると、若き女性住職は、その美しい目元を和らげた。


「お早う御座います、呪術師さん。ようこそお参り下さいました。お二人の歩まれる道中に、一切の障りがなくて何よりで御座います」

住職は本物の菩薩のような慈愛に満ちた笑顔を浮かべ、再び優しく合掌してお辞儀を返してくれた。


その声の心地よさにハッと正気を取り戻した都子は、慌てて背筋を正し、胸の前で精一杯の敬意を込めて手を合わせる。

「初めまして!私は井開都子と申します。本日は突然の訪問にもかかわらず、お時間をいただき本当に有難う御座います。どうぞよろしくお願いします!」


都子が元気よく合掌してお辞儀をすると、女性住職はその清々しい挨拶に嬉しそうに目を細めた。

「初めまして、井開都子さん。私は当寺院の住職を務めさせて頂いております。よくお越しくださいましたね。外は朝の冷え込みがまだ残っておりますから、さあ、どうぞ中へとお入りください」


女性住職は菩薩笑顔のまま、再び丁寧な所作で合掌してお辞儀をして挨拶を交わすと、サァ…と衣の擦れる心地よい音を響かせながら、二人を優しく寺院の中へとほどこし、招き入れてくれた。


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案内された厳かな本堂へと一歩足を踏み入れると、そこにはお線香の清らかな香りが心地よく漂っており、都子は背筋が自然と伸びるような感覚を覚えた。

御本尊の前に進み出ると、女性住職による流れるような美しい読経の声が本堂の静寂の中に朗々と響き渡り、チーン…と澄んだおりんの音が優しく鼓膜を震わせる。

都子も呪術師と共に静かに目を閉じ、これまでの怪異達との出会いに感謝を捧げながら、心静かに御参りをする大切な時間を過ごした。


読経を終えた後、三人は本堂から落ち着いた雰囲気の客間へと移動し、住職が用意してくれた温かい御茶の時間が始まった。

トトト…と静かに湯呑みへ注がれたお茶は、驚くほど美しい緑色をしており、湯気と共に芳醇な香りが広がっていく。


「お二人はここへ来られる前に、京都駅の喫茶店へ立ち寄られて、既に珈琲を召し上がってこられたと伺いましたので、お腹が膨れてしまわぬよう、お茶の量は少なめにしておきましょうか。どうぞ、温かいうちにお召し上がりくださいまし」


女性住職の一歩先を行く細やかな心遣いや、客人に対する深い気配りの素晴らしさに、都子は胸の奥がじんわりと温かくなるほどの深い感銘を受けた。

お茶を一口すすり、その極上の味わいに心がホッと解きほぐれていく。


静かな客間に、湯呑みを置く小さな音がコトッと響いたその時、それまで静かに佇んでいた呪術師が、いつも通りの淡々としたトーンで住職に向かって静かに告げた。

「御住職。実は、先ほど駅前で僕が飛ばした伝令符なんですが、都子さんはそれを驚くほど正確に、最初から最後までしっかりと視認する事が出来てはりました」


その呪術師の言葉を耳にした瞬間、女性住職は少しだけその美しい双眸を見張り、すぐに深く納得したように優しく微笑んだ。

「左様でしたか。やはり、都子さんは生まれながらにして、真実の姿を見通すことのできる『真眼』をお持ちなのですね」


「え?真眼……ですか?」

都子はいきなり飛び出したその神秘的な単語に対し、湯呑みを持ったままその大きな両目を丸くして驚く。


「ええ。私達の使う伝令符というものは、本来であれば衆生の眼には決して触れないように、姿を完全に消して隠匿する事も出来るのです。今朝、呪術師さんは衆生には見えないように細工をして伝令符を飛ばされたのですが、都子さんはその光の軌跡も鳥の姿も、すべて残さず見ることが出来ました。つまりそれは、都子さんが現世の常識の枠を超えて、人間には決して見ることのできない高次な怪異や怪現象、そして私達が展開する複雑な術式そのものを、ありのままに観る事が出来る真実の眼をお持ちであるという、何よりの証拠であると言う事なのです」

女性住職は都子の困惑を優しく包み込むように、はんなりとした穏やかな声音で、その理由を分かりやすく紐解いてくれた。


住職の丁寧な解説の隣で、呪術師も静かにアイス珈琲の余韻を感じながら、淡々とした口調で言葉を重ねる。

「その素晴らしい眼を通して、実際に見たり聞いたりされた大切な異界の出来事を、歪めることなく文字にして現世の人々へと正しく伝えて下さるのが、この都子さんというお方なんですわ。そして先程、喫茶店でお話をしていた際、都子さんが仏教の歴史や術について本当に興味深々で楽しそうに僕の話を聞いてくれはりましてな。仏教の深い教えや歴史と言えば、僕なんかよりも、こちらの御住職が一番の専門家やさかいに、これは是非ともお引き合わせせねばと思うて、こうしてお連れしたんです」


呪術師のその粋な計らいと信頼に満ちた言葉を受け、女性住職は都子の真っ直ぐな瞳を正面から見つめ、菩薩のような慈愛の笑みを湛えた。

「左様でしたか。都子さん、そのような素晴らしい目的のために私の知識が必要なのであれば、私で宜しければ、お伝え出来る事のすべてをお伝えいたしましょう」


「うわぁぁ、有難う御座います!最高の記事にするために、是非ともたくさん勉強させてください!それでは、早速始めさせていただきます!」


住職のこの上ない快諾の言葉を聞いた都子は、一瞬で顔を輝かせると、カバンの中からメモ帳とペンをシャキッと素早く取り出した。

その大きな両目をこれまでにないほど爛々と輝かせながら、都子は古き寺院に眠る新たな智慧の言葉を書き留めるべく、全力の熱量で身を乗り出すのであった。


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###〜お茶室の仏法談義と、大福が紡ぐ新たなる怪異の予感〜


厳かな客間に温かいお茶の香りが漂う中、都子と女性住職による、現世の境界を越えた深く濃密な対話が始まった。


女性住職からは、仏教が古来より人々の心に寄り添ってきた基本的な成り立ちや、因果応報の仕組み、そして日々の暮らしの中に溶け込んでいる仏様の慈悲についての有り難いお話が、はんなりとした美しい言葉で分かりやすく語られていく。

都子はその一言一言に感銘を受けながら、負けじと自身がこれまで猛烈に勉強して蒐集してきた妖怪や怪異にまつわる知識を熱っぽく披露した。


「そういえば、宇治拾遺物語とかの古い説話集にも、夜の京都の街を異形の群れが練り歩く『百鬼夜行』のお話がたくさん出てきますよね。現世の普通の人間が運悪く怪異達の行列に遭遇してしもうても、一心不乱に尊い御経を唱え続けておれば、仏様の強大な御加護によってその身が包まれて怪異達に気づかれんようになり、巻き込まれずに命を救われるって言われてるんです。仏教の力って、昔から怪異を調伏するだけやなくて、そんな風に人々の身を護る絶対的な盾の役割も果たしてたんやなって、私、もの凄く感動したんです!」


都子が身乗り出してそう語ると、女性住職は驚いたようにその美しい目を輝かせ、菩薩のような極上の笑顔を深くする。


「都子さんは、本当に古い文献を隅々までよく読み解いておられるのですね。仰る通り、御経とは仏様の尊い教えであり、心を込めて称えることで、衆生の心の中にある恐れや、外から迫る邪悪な妖気を退ける清らかな結界となるのですよ」


そんな風に、お互いの持つ知識と信仰心が美しく共鳴し合うような、実に楽しくて充実した時間はあっという間に過ぎ去っていく。

女性住職への密度の高い素晴らしいインタビューが終わる頃には、都子のノートはびっしりと文字で埋め尽くされており、その表情はまるで宝物を見つけた好奇心旺盛な少女のように、両の目をキラキラと輝かせた最高の笑顔になっていた。


そうして丁度良い頃合いとなり、名残惜しくも別れの時がやって来た。

客間を後にして美しい参道を通り、格式高い山門のところまで女性住職に優しく見送られながら進んでいく。

門の前で足を止め、呪術師と都子は改めて今日のお礼を伝えるために、女性住職に向かって丁寧に挨拶をしようと手を合わせた。


するとその瞬間、都子は自分のカバンの底に、先ほどコンビニエンスストアで急遽買い求めたあの白い包みが眠っていることを唐突に思い出し、ハッと息を呑んだ。

「あ、しもた!私、さっき油揚げの代わりに買うた、もちもちの大福が二つあること、今の今まですっかり忘れてしもてたわぁ!せっかくあんなに素晴らしい極上のお茶の時間をいただいたんやから、お茶請けとしてお茶室で御二人に食べて貰えばよかったのに、本当に勿体無いことしてしもたわぁ……」


都子がカバンを押さえながら本気で悔しそうに声を上げると、それを見た女性住職はフフッと愛らしい声で笑い、優しく微笑みかけた。

「大福ですか。それは誠に美味しそうなお供え物ですね。それでしたら都子さん、その大福を、ここからそう遠くない場所にいる、甘い大福が何よりも大好物な方へ御贈りしては如何でしょうか?」


女性住職のその謎めいた提案を聞いて、隣にいた漆黒の衣の呪術師は、なるほどと深く得心したようにその顎に手を当てる。


「ああ、確かにそれは宜しゅうおす。あの方のところへ行く際に、お土産として豆大福なんかを持っていったら、いっつも子供みたいにもの凄く喜んでくれはりますからなあ」


呪術師がどこか親しみを込めた声音でそう呟くのを聞き、都子は不思議そうにその首をコテンと横にかしげた。


「え?呪術師さんの知り合いに、そんなに大福が好きな怪異がいるんですか?ええっと、二口女さんですか?頭の後ろに大きなもう一つの口があって、そこからお団子や大福を器用に放り込んでバクバク食べるっていう姿が、絵付で紹介してる妖怪本も仰山ありますし」


妖怪博士としての推測を口にする都子に対し、呪術師はコートのポケットに両手を滑り込ませると、フッとその口元を和らげた。


「二口さんも、確かに大福は好物や言うてはりますがね、今回はそのお方とはまた別の方ですわ。まあ、言葉で色々と説明するよりも、実際にその目で直接見て貰う方が圧倒的に早いでっしゃろ。これから僕がそこまで案内しまっせ。ほな、御住職、朝早くから大変お世話になりました。素晴らしいお話を聞かせて頂き、ほんに有難う御座います」


呪術師は丁寧な動作で胸の前で合掌してお辞儀をしてから、これからの新たな出会いに向けて、長いコートの裾を揺らしながら颯爽と力強い足取りで歩き出す。

都子も置いていかれまいと、大慌てで住職に向かって頭を下げた。


「御住職さん、本当に有難う御座います!最高の記事に仕上げますので!ほな、またよろしくお願いします!」


都子が元気よく挨拶して呪術師の後を小走りで付いて行くと、山門に佇む女性住職は、その美しい法衣を風に揺らしながら静かに手を合わせた。


「はい、こちらこそお参り下さいまして、誠に有難う御座います。都子さんの紡ぐ言葉が、多くの人々の心を照らす光となりますように。道中どうぞお気をつけて下さいまし」

住職は温かい菩薩笑顔で合掌とお辞儀をして、去り行く二人をいつまでも温かく見送ってくれた。


都子は前を行く呪術師の頼もしい黒い背中を真っ直ぐに見つめながら、カバンの中の大福をそっと確かめ、次は一体どんな素晴らしい怪異との出会いが自分を待ち受けているのだろうかと、胸の鼓動をワクワクと高鳴らせながら楽しそうに歩みを進めていくのであった。


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###〜紫の淵に宿る古き付喪神と、摩訶不思議食堂の甘い記憶〜


黒一色の衣服に身を包んだ呪術師は、まるですべての路地裏の構造を完全に把握しているかのように、一切の迷いのない確かな歩みで京都の街を進んでいった。

現世の賑やかな大通りから一歩奥へ入った場所に、古くからその地に鎮座する、とある鏡にまつわる由緒正しい神社がひっそりと姿を現した。

呪術師は鳥居の前でピシッと足を止めると、神域への敬意を込めて深く一礼を捧げ、都子もそれに倣って静かに頭を下げてから、その結界の向こう側へと足を踏み入れていく。


境内は驚くほど静まり返っており、二人は参拝客が集まるきらびやかな本堂の前を、まるで最初から目指す場所が異界の深淵であるかのように、何のためらいもなく通り過ぎていった。

そして、さらにその奥にある、うっそうとした樹木が生い茂り、木漏れ日すらも届かないほどの奥まった静寂のエリアへと進んでいく。

都子が周囲の漂う濃密な霊気に胸を踊らせながら遅れず付いて行くと、そこにはまるで時の流れから取り残されたかのように、小さな社がひっそりと佇んでいた。


呪術師はその社の前に静かに立つと、黒い手袋をはめた右手をスッと木製の扉の前へ翳す。

衣服の袖が風もないのに微かに揺れたかと思うと、呪術師は静かに、しかし有無を言わせぬ絶対的な威厳を込めて一言を放った。


「――『開(かい)』」


パシィィィン――!と、空間に目に見えない透明な障壁が弾け飛ぶような、鮮烈な効果音が境内に響き渡る。

すると、固く閉ざされていた社の扉がギィィ…と音を立ててゆっくりと左右に開き、その暗闇の中から、手足が生えた世にも奇妙な造形の怪異が姿を現す。

それは、艶やかな紫の淵で彩られた立派な古鏡であり、驚くべきことにその鏡面の中央には、生きている人間のものと変わらない大きな目と、親しみやすそうな口がパチッと浮かび上がっていた。


鏡の怪異は、自身の身体から伸びる細い手足を器用に動かして社の縁側へと這い出てくると、底抜けに明るい笑顔を浮かべて気さくに挨拶してきた。

「お早うさんやのう、呪術師はん。もう昼頃やけどのう」


その姿を正面から捉えた瞬間、都子の胸の中にある妖怪博士としての膨大な知識が瞬時に火花を散らし、驚きと歓喜のあまりにその場を激しく踏みしめた。

「あ、初めまして!あの、もしかしてあなたは、鏡の中に異界の景色や真実の姿を映し出すという、あの雲外鏡さんですか!?ええ!?まさか京都のこんなに静かな神社の中に、本物の雲外鏡さんがずーっと隠れて棲みついはったんやなんて知らんかった!」


都子が大きな両目をらんらんと輝かせて大興奮で詰め寄ると、鏡の怪異は自分の正体を瞬時に見破られたことに驚きながらも、その鏡面いっぱいに愉快そうな表情を浮かべた。


「なんやなんや、そっちの活発そうな御嬢ちゃんはワイの事を知っとるんかいのう、嬉しいのう。普段の娑婆の人間は、ワイのこの手足の生えた姿を不意に観たら、大抵は『お化け鏡が出たぁ!』とか言うて情けない悲鳴を上げて逃げ出しよるんやけどのう、わーっはっはっは!」

雲外鏡は社の縁の上で手足をバタバタと揺らしながら、境内全体に響き渡るような声で豪快に笑い声を上げた。


「知ってるも何も、妖怪が好きな人間にとっては絶対に外されへん、もの凄く有名な付喪神やないですか!確か、江戸時代の有名な絵師である鳥山石燕の『百器徒然袋』にも、その立派な姿がばっちり描かれてはる由緒正しい付喪神でしたよね?それに、最近は現世の妖怪をテーマにしたテレビアニメの最新シリーズにも大活躍のキャラクターとして何度も登場した、子供たちからも大人気の超有名怪異ですよ!」


都子が溢れんばかりの知識を早口で熱っぽくぶつけると、雲外鏡は大きな目をパチクリとさせて驚き、その後にますます上機嫌になって口元を大きく歪めた。


「へぇぇ!ワイは娑婆のそんなテレビアニメのキャラクターにまで抜擢されとんのかいのう。そりゃあ有名にもなりよるでのう。でも、その割にはワイのこの社の前の御供えもんが、ちっとも増えへんのが不思議でならんのう。しかしまあ、そんなにワイが現世で有名なんやったら、今から墨と筆でも用意して、ファンにせがまれた時のために格好ええサインの練習でもしとかなあかんかいのう」

鏡の怪異はそう言って、再び「わーっはっはっは」と楽しそうに豪快に笑い飛ばした。


「あ、そうだ、お供え物!ええっと、これ、さっき近くのコンビニで買った和菓子なんですけど、もし宜しければ如何でしょうか?」


都子は思い出したようにカバンの中から、まだひんやりと冷たいもちもちの白い大福を二つ丁寧に取り出して、雲外鏡の目の前へとそっと差し出してみた。

すると雲外鏡は、その鏡面の中に大福の姿を映し出すと、大喜びの声を上げた。


「おおお!一目見ただけでも生地がもっちもちやとわかる、実に見事な大福やのう!これを全部ワイにくれるんかいな、そりゃほんに有難うやのう、遠慮なく頂きますのう!」

雲外鏡は細い手で恭しく都子から大福を受け取ると、鏡面にある口を大きく開けて、むしゃむしゃ、もぐもぐと実に美味そうに勢いよく食べ始めた。


「わぁ、本当に大福が大好きなんやね、雲外鏡さんって!専門店のものじゃなくてコンビニの大福になってしもたけど、そんなに気に入ってもらえて本当に良かったです!」


都子がその愛らしい食べっぷりを見て満面の笑顔を浮かべると、雲外鏡は口の周りに白い粉を少しだけ付けながら、満足そうに鼻を鳴らした。


「最近の現世のコンビニスイーツっちゅうもんは、本当に侮れへんからのう。ワイらのような古い住人でも、一口食べたら腰を抜かすほど美味い技術で作られとるんやのう。それにな、最近は近所のスーパーで売ってるような安もん呼ばわりされとる和菓子とかスイーツ類のクオリティも、昔に比べてもの凄くレベルが上がっとるからのう」

陽気な鏡の付喪神はすっかり御機嫌になり、現世の最新の食文化への賛辞を惜しみなく語りながら、一つ目の大福をあっという間に胃袋へと収めていく。


「へぇ、雲外鏡さんって、人間の世界の最新スイーツ事情にめちゃくちゃ詳しいんですね!やっぱりその不思議な鏡を通して、街の様子や現世のトレンドの情報を色々と仕入れていらっしゃるんですか?」


都子が興味津々で尋ねると、雲外鏡は手についた粉をペロリと舐めながら、嬉しそうに裏話を明かしてくれた。


「それがのう、ワイが自分で鏡を覗く間もなく、こうしていつも結界を気にかけてくれとる呪術師はんもそやし、仲良うしてくれてる娑婆の人らが色々と美味いお土産をここに直接買うて来てくれてのう。それに、えらいこっちゃんっちゅう可愛らしい女の子がおるんやけど、その子がこっちへ遊びに来る時はいつも『これ、えらいこっちゃなレベルで美味しかったから食べよし!』っちゅうて、よう美味いスイーツのお土産をくれるからのう、それでスイーツ情報が入って来るんやのう、わーはっはっは!」


雲外鏡が御満悦の様子で語るその名前に、都子はハッとしてその胸を躍らせた。


「ええっ!?えらいこっちゃんも、雲外鏡さんの御友達やったんや!それじゃあ、えらいこっちゃんと一緒に、ここで並んで美味しいスイーツを食べたりもするんですか?」


都子が目をこれ以上ないほどに輝かせると、雲外鏡は嬉しそうな記憶を思い返すように大きく頷く。


「そやのう、こないだみんなで一緒に摩訶不思議食堂に集まってのう。えらいこっちゃんと、それから女鬼ちゃんって言うものごっつスタイルが良くて綺麗な別嬪さんも一緒に並んで、これまた超美人なパン屋のダークエルフはんが焼いてくれた特製の手作りカスタードシュークリームをみんなで一緒に食べたのう。あの絶品なシュー生地の中に詰まってた濃厚なクリームは、まさに逸品中の逸品やったのう!」

雲外鏡はカスタードクリームの甘美な味わいを思い出したのか、嬉しそうに再び豪快に笑い声を上げながら、都子が差し出した二つ目の大福も綺麗にペロリと平らげてしまった。


大好きな摩訶不思議食堂の面々と、目の前の雲外鏡という立派な妖怪が、そんな風に美味しい甘味を通じて温かい絆で結ばれているという生の話を聞き、都子はノートに猛烈なスピードで文字を書き留めながら、その両目を爛々と輝かせて聞き入っている。

静寂に包まれた小さな社の前で、現世のクリエイターである都子と、古き付喪神が笑顔で心を通わせているその微笑ましいやり取りのすべてを、隣に立つ漆黒の衣を纏った呪術師は、終始フッと優しい微笑みをその冷徹な口元に浮かべながら、どこまでも温かく見守り続けていた。


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###〜偶然の再会と、二条城へ向かう異形の足跡〜


静かな境内に佇む小さな社の前で、都子は雲外鏡からこれ以上ないほどに貴重な話をたくさん聞き出すことに成功していた。

人間の目には恐ろしく映るはずの怪異達が、実は現世の美味しい甘味を心から愛し、楽しんでいるという意外な事実を知ったことは、妖怪博士である都子にとって、今後の連載の視点を大きく広げる素晴らしい収穫となった。


じっくりと書き留めたメモ帳を大切そうに鞄へと収めると、太陽が真上に昇りつつある丁度良い時間になったこともあり、都子は名残惜しそうにしながらも、雲外鏡に感謝を込めて別れを告げた。

「雲外鏡さん、本当に有難う御座いました!これからの連載、絶対に素晴らしいものにしますからね!」


「わーっはっは、楽しみにしてるでのう、御嬢ちゃん!」

そんな元気な声に送られながら神社を後にした都子は、浄土宗寺院の女性住職に続き、本日二度目の素晴らしい出会いを取り持ってくれたお礼にと、漆黒の衣を纏った呪術師に「是非、私に昼食を御馳走させてください!」と強く申し出た。


二人は一旦、賑やかな雰囲気に包まれる京都駅の付近へと戻り、地元の人々にも愛されているパスタの美味しいお洒落な喫茶店へと足を運んだ。

お昼時ということもあり、店内は香ばしいにんにくやトマトソースの香りが漂っており、運ばれてきた茹でたての絶品パスタをハグハグと美味しそうに口に運ぶ。

呪術師はここでも食べる前に静かに手を合わせて感謝を捧げており、その隙のない美しい所作に都子は改めて深い感銘を受けていた。


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楽しい食事の時間が過ぎ、喫茶店の扉を開けて表の通りへと出ると、初夏の心地よい風が二人の頬を優しく撫でた。


呪術師は足を止め、都子の方に向き直ると、大人の洗練された丁寧さで改めて頭を下げた。

「都子さん、改めてお昼を御馳走様です、本当に有難う御座います。大変に美味しいお食事でしたわ」


「いえいえ!こちらこそ、素晴らしいお寺を護られる凄い御住職さんや、雲外鏡さんのところに連れて行っていただいたんですから、これくらい当然ですよ!」


都子が満面の笑顔で応えていると、背後の雑踏の中から、周囲の空気を一瞬で震わせるような凄まじく太く豪快な笑い声が突如として響き渡った。

「おお、なんや、珍しい組み合わせで歩いとるやんけ!」


その地響きのような声に驚いた都子と、表情一つ変えない呪術師が声の方をパッと見ると、そこには人混みの中でも一際目立つ圧倒的な巨躯を持った大柄の男性が、顔全体に豪快な笑顔を浮かべながらこちらへとドスドスと近づいて来る姿があった。


「あ、羅生門さん、こんにちは!」

都子は、昨日助けてもらった頼もしい味方の登場に、思わずパッと表情を輝かせて大きな声を上げた。


呪術師もその人物の姿を認めると、胸の前でスッと手を合わせて丁寧な挨拶を交わす。

「これはこれは、羅生門さん、こんにちは。今日もお元気そうで何よりです」


羅生門の鬼は、筋肉ではち切れんばかりの胸板を揺らしながら二人の前に立つと、楽しげに喉を鳴らして笑った。

「おう、こんにちはやで。なんや、都子ちゃんは今日は呪術師殿に取材をしとったんかいな。昨日に続いて今日も熱心に京都の街を駆け回るとは、本当に感心な御嬢ちゃんやな」


「はい!色々と言葉では言い尽くせないくらい貴重な御話を呪術師さんから頂けまして、その上、もの凄くお綺麗な浄土宗の御住職や、あの有名な雲外鏡さんを直接紹介して下さいました!……って、あれ?もしかして、羅生門さんと呪術師さんって、お友達だったんですか!?」


都子が驚きのあまり目を丸くして二人の顔を交互に見つめると、羅生門の鬼は太い腕を誇らしげに組んでがっははと笑う。

「おう、こっちの世界の古い付き合いでな、仕事でも私生活でも呪術師殿には、よう世話になっとるで。そうか、今日はあの御住職と雲外鏡に会わせてもろたんか。それは本当に良かったのう、御住職と雲外鏡の話は、絶対に記事の役に立つさかいな」


「はい!本当に最高のお話が聞けました!そうそう、雲外鏡さんってば、私がコンビニで急遽買ったもちもちの大福を、もの凄く美味しそうに食べてくれはったんですよ!」


都子が嬉しそうに報告すると、羅生門の鬼はさらに目を細めて豪快に笑い飛ばす。


「おお、あいつに大福を御馳走したんか!そりゃあもう、あいつのことやからごっつ喜んどったやろ!あいつは見た目に反してかなりの甘党でな、大福だけやなくて練り羊羹も大好きやし、洋菓子も出されたら皿まで舐める勢いでペロリと平らげるで!」


「やっぱりそうなんですね!今日色んなお話を聞いて分かったんですけど、怪異の皆さんって、私たちが思っている以上にスイーツが大好きなんですね!」


都子が楽しそうに笑うと、羅生門の鬼も深く頷きながら、どこか遠い目をしながら語りかけた。


「がっはっは!そやなあ、俺も和菓子も洋菓子も大好きやからな。昔の古い時代やったら、鬼が甘いものを食うなんて到底許されへん雰囲気やったが、こうして誰の目を気にすることもなく、気兼ねなく美味い菓子を食えるようになって、本当にええ時代になったもんやとしみじみ思うわ」


伝説の鬼は、そう言って優しく微笑んだ直後、何やら面白いことを思いついたように、その鋭い目をニヤリと悪戯っぽく輝かせた。

「そや、都子ちゃん。丁度ええわ。今から時間があるなら、俺以外の、別の場所に棲んどる鬼の仲間にも取材に行くか?」


「ええっ!?羅生門さんとはまた別の、本物の鬼さんですか!?行きます、是非とも行かせてください!」

都子は新しい取材対象の出現に、一瞬で胸の鼓動をワクワクと高鳴らせ、その両目を爛々と輝かせて身を乗り出した。


「ほな、決まりやな!取材先はここから二条城の辺りまで行くことになるけど、呪術師殿も一緒にどや?久々にみんなで顔を合わせるんも悪うないやろ」


羅生門の鬼が楽しげに誘うと、黒一色の呪術師は少しだけ顎をさすり、冷静な声の中に懐かしさを滲ませて応じた。

「二条城辺りの鬼、ですか。そやったら、あそこで静かに暮らしてはる、あの方でっしゃろな。確かに最近は僕も色々と忙しくて会えてへんかったさかい、久々に会わせてもらいましょか。都子さんの取材の付き添いとして、ご一緒させて頂きます」


こうして、新たなる怪異の予感にテンションが最高潮に跳ね上がる都子と、高度な異能を涼しい顔で駆る漆黒の呪術師、そして街ゆく人々が思わず二度見するほどの大柄な鬼が一体という、前代未聞の奇妙な組み合わせの三人組が結成された。


彼らは連れ立って京都駅のホームへと向かい、ガタゴトと小気味よい音を立てて走る電車へと乗り込む。

車内でも都子が熱心に怪異の質問をし、羅生門の鬼が豪快に答え、呪術師がそれを冷静に補足するという賑やかな時間が流れる中、列車は目的地の二条駅へと滑り込み、三人は勢いよくそのホームへと降り立ったのだった。


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###〜神泉苑に響く古の調べと、名笛『葉二』を抱く鬼〜


ガタゴトと小気味よい響きを残して走り去る電車の音を背に受けながら、3人は二条駅の改札を抜け、歴史の面影が色濃く残る二条城の辺りをのんびりと散策し始めた。

日曜日の昼下がり、観光客達が賑やかに行き交う城の周囲を巡りながら、羅生門の鬼は鋭い視線を巡らせて、目的の人物の気配を探っていた。

しかし、かつて大きな門があった周辺をいくら見渡しても、それらしき独特の力強い妖気の揺らぎは一向に感じられない。


「うーん、おっかしいなあ。今日は二条城の敷地内にもおらんようやし、朱雀門跡の周辺にも、あいつの気配はさっぱり漂っとらんようやな。ってことは……そうか、あいつの好みを考えたら、今は神泉苑の辺りにでもおるんかな」

羅生門の鬼がそう独りごちると、進路をクルリと変えて南へ向かって大きな足取りで歩き出し、うっそうとした緑に囲まれた神泉苑の方向へと二人を先導していった。


静かな住宅街を抜け、神泉苑の敷地が近づいてきた、まさにその時だった。

どこからともなく、雑音をすべて優しく押し流してしまうかのような、この世のものとは思えないほどに美しく澄み渡った、悲しくも厳かな笛の音色が風に乗ってピーヒョロロ……と、優雅に聞こえてきた。

そのあまりにも完璧な指使いから生み出される音色に、都子は歩きながらも思わず耳を奪われ、胸の鼓動をトクンと跳ね上がらせる。


羅生門の鬼はニヤリと不敵な笑みを浮かべると、そのまま迷うことなく南へ向かって歩いて行った。

御池通に面した方の、南からの入り口にある立派な石の鳥居の前に辿り着くと、鬼はピタッと足を止め、その巨大な顔を上へと向けた。

都子と呪術師もそれに倣って石の鳥居を見上げると、そこには、人間には決して見えないはずの、息を呑むほどに絵になる長身の何者かが、鳥居の最上部に座して静かに笛を吹いていた。


その人物は、古風でありながらも、どこか洗練された灰色の着物を粋に纏っており、肩まで綺麗に伸びた美しい黒髪を、後ろの方で一つに束ねていた。

大人の渋い感じをこれでもかと漂わせる端正な顔立ちをしたその怪異は、目を静かに閉じたまま、愛おしそうに一本の古びた竹笛を奏でている。

その圧倒的な絵画のような光景を見上げて、羅生門の鬼は、がははと喉を鳴らし、笑いながら片手を大きく上げて気さくに挨拶をした。


「おう!朱雀門、ここにおったんけ!今日はそんなところで、一人で気取って風流に笛なんか吹いとんのやね!」


その地響きのような豪快な声が響き渡ると、朱雀門と呼ばれた灰色の着物の男性は、スッと静かに目を開けた。

そして、名残惜しそうに唇から竹笛を引き離して吹くのをやめると、鳥居の下の巨躯を見下ろして、どこか呆れたような、しかし親しみのある声で挨拶を返してきた。

「……遠くからでも、相変わらず地響きみたいにごつい声で目立つやっちゃな、羅生門は。お前が歩いてくるだけで、地面が揺れとるんやないかと思うたわ」


「がっはっは!何を言うとるんや。俺と朱雀門の本来の背丈なんて、実際はそんなに変わらんのに。そっちかて、今ここで娑婆の人間にも見えるように姿を現したら、そこら中で大騒ぎになって目立ちよるがな!それはそうと、珈琲飲みに行こうや!」


羅生門の鬼がそう言って楽しげに笑う中、その横で二人の会話を聞いていた都子の脳内にある、妖怪博士としての膨大な知識の引き出しがガタガタと音を立てて一気に開き、大きな両目をこれ以上ないほどに爛々と輝かせた。


「あの!失礼ですけど、朱雀門って……もしかして、平安時代の古い説話集に出てくる、あの伝説の『朱雀門の鬼』さんですか!?っていうことは、今、持っていらっしゃるその素晴らしい笛は、かつて名手・源博雅と音色を交わし合ったと言われている、天下無双の名笛『葉二(はふたつ)』ですよね!?」


都子が我を忘れて目を輝かせ、大興奮で詰め寄ると、鳥居の上の朱雀門の鬼は、その大人の渋い顔立ちのまま大きな目をパチクリとさせて驚き、都子の姿をジーっと興味深そうに見つめてきた。

「なんやなんや、こんな若い御嬢ちゃんやのに、儂の正体のことだけでなく、この大切な笛の秘められた真の名前まで正確に知っとるんかいな。これは驚いたな……」


「あ!申し訳ありません、急に取り乱してしまって!私はこういう怪異の歴史が本当に大好きで調べている者です!井開都子と言います、どうぞよろしくお願いします!」

都子はハッと我に返り、社会人としてのプロの顔に戻ると、カバンから現世の立派な名刺を素早く取り出し、敬意を込めて両手で真っ直ぐに差し出した。


「これはこれは、なんとも御丁寧に。現世の習わしというやつやな」

朱雀門の鬼はそう言ってフッと微笑むと、鳥居の上の高い場所から、重力を感じさせないほどにふわりと風に乗って静かに地上へと降りてきて、都子の名刺を長身を屈めながら丁寧に受け取った。


名刺の文字をまじまじと眺めた後、朱雀門の鬼は隣に静かに佇む黒一色の男に視線を移す。

「呪術師殿も御一緒かいな。もしかして、この井開都子というお嬢ちゃんは、呪術師殿がどこからか連れてこられたお連れさんか何かなんか?」


尋ねられた呪術師は、黒いコートのポケットから手を抜いて胸の前でスッと合掌し、淡々とした冷静なトーンで挨拶を返した。

「御無沙汰しとります、朱雀門さん。相変わらず素晴らしい笛の音色ですな。都子さんとは、僕も今日の早朝に神社で偶然知り合ったばっかりです。そんで都子さんは、雑誌で『こっち側』のことを正しく伝える連載を持っておられる、立派な先生なんですわ」


「そうやったんか。羅生門と呪術師殿が人間の女性を連れて歩いとるから、何事かと思うたわ。ほんで、珈琲やったな。ちょうどええ時間、娑婆の感覚やとおやつの時間やし、これからみんなでどこかへ珈琲でも飲みに行くんやったか。儂もお前さんらの顔を久々に見たら、娑婆の美味い珈琲が飲みたくなってきたわ」

朱雀門の鬼は名笛を大切そうに着物の懐へと仕舞い込むと、フッと優しい微笑みを浮かべた。

「あ、そうや。街中へ繰り出すんやったら、衆生にも儂の姿がお化けに見えんように、普通の人間としての姿に見えるようにしとかんとな」


そう言うなり、朱雀門の鬼は一瞬にして妖気の波長を現世のそれへと完璧に同調させ、周囲の人間から見れば「体格の良い大柄な男性」にしか見えないように見事な変化を施した。


こうして、最新の取材にテンションが上がる井開都子と、高度な術を操る呪術師という二人の人間、それに歴史ある風格を漂わせる二体の偉大な鬼は、並んで歩調を合わせ、二条駅のすぐ近くにある、静かでゆったりと寛げるお洒落な喫茶店を目指して、賑やかな足取りで歩き出すのであった。


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###〜平安の夜を彩る風流な調べと、鬼たちが語る千年の反省記〜


二条駅のすぐ近くにある、珈琲の香ばしい薫りが漂う広々とした喫茶店に滑り込んだ4人は、店内の奥に位置する落ち着いた4人掛けのテーブル席へと腰を下ろした。

座り順は、都子と黒一色の呪術師が並んで腰掛け、都子のちょうど正面にあたる向かい側の席には朱雀門の鬼が座り、そのすぐ隣の席には羅生門の鬼がどっしりと陣取る形となった。


カラン、カラン――と、ガラスのグラスの中で涼しげな氷の音を響かせながら、並々と注がれた冷たいアイス珈琲が4人の前に手際よく運ばれてくる。

「有難う御座います」とみんなで声を揃えて店員に丁寧にお礼を言い、それぞれが喉を潤したところで、都子は待ってましたとばかりに鞄からお馴染みのメモ帳とペンをシャキッと取り出した。


その異様なほどの素早さと気迫を目の当たりにした朱雀門の鬼は、束ねた髪を少し揺らしながら、端正な顔立ちに困ったような苦笑いを浮かべて自身の頭をポリポリと掻く。

「いやはや、本当に凄まじいほどに取材熱心な御嬢さんやね。若者が自らの仕事に対してそれだけ熱心に取り組むというのは、社会にとっても実に結構な事やと思うよ。でもなあ、儂のような古い時代の鬼に、おたくの作る大事な雑誌で読者が喜ぶような話って、一体何があるかなあ?」


朱雀門の鬼が少し謙遜するように問いかけると、都子はその大きな瞳を輝かせ、身を乗り出して熱弁を振るい始めた。

「沢山、もう数え切れないくらい沢山ありますよ!例えば、あの平安時代の名手である源博雅と言う人物と、朱雀門の夜闇の中で言葉も交わさずに音楽だけで心を通わせ、名笛を交換したっていうロマン溢れるやり取りとか!それに、その気の遠くなるような大昔の時代から、千年以上もの間、激動の京の街をずーっと静かに見守られて来たその視点からのお話とか!」


熱烈なアプローチを受けた朱雀門の鬼は、遠い昔の美しい夜空を思い出すかのように、ふっと視線を優しく泳がせて楽しげに喉を鳴らした。

「ははは、源博雅か……なんとも懐かしい名前を聞いたものや。あの男の奏でる笛の音は、本当に濁りがなくて美しかった。……あ、それとな、一つだけ誤解を解いておくと、儂は決して千年の間、京の街を健気に見守ってたわけやないで。ただ単に、その時々の気分に合わせて、自分が気に入った場所を好き放題にふらふらと歩き回ったりしとっただけやさかいにね」


朱雀門の鬼がそう言って悪戯っぽく笑うと、今度は視線を隣の巨躯へと滑らせ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「もしも、娑婆の人間が大喜びしそうな、派手で面白い話が聞きたいんやったら、儂のような大人しい鬼よりも、羅生門の方が語れる物語は多いんとちゃうか?」


話を振られた羅生門の鬼は、はち切れんばかりの筋肉を震わせながら、がっはっはっはと大きな声を響かせて豪快に笑い飛ばした。

「そりゃまあそうやけどな!俺はそれこそ平安の時代に都の暗闇で大暴れまわってたもんな。酒呑童子とか茨木童子とか、あいつらと一緒に当時やってた無茶苦茶な悪行をそのまま真面目に取材されたら、バトルもんの小説や漫画が何冊か余裕で書けそうなくらい、血生臭くて派手なエピソードならいくらでも転がっとるからのう!」


鬼の口から飛び出した、酒呑や茨木という伝説の大妖怪たちの生々しい名前に胸を躍らせながらも、都子はしっかりとペンを持ったまま、朱雀門の鬼へと真摯な眼差しを向けた。


「羅生門さんの話は、冒険活劇の題材になりそうで、とても興味深いです!対照的に朱雀門の鬼さんは、芸術や音楽の方面に深く名高い、とても風流で高雅な鬼だと現代の本にもはっきり書いてありました。やはり、当時の都で暴れ回っていた他の武闘派の鬼の皆さんとは、最初から全く違う路線の生き方をされていたんですか?」


都子が興味津々で尋ねると、朱雀門の鬼は灰色の着物の袖を軽く整えながら、少しだけ不思議そうに首をかしげた。


「ああ、なるほどね。確かに現代の本には、儂のことがそういう大人しい芸術家みたいな書かれ方しとるみたいやな。儂も、興味本位で現世の図書館でその手の本を読んだ事あるで。でもなあ、それも少しばかり人間たちの偏見が入っとる気がするよ。だって羅生門かて、大昔は宮中の宝物であった『玄象(げんじょう)の琵琶』を見事に奏でとったほどの、もの凄く風流で音楽の才能に溢れた鬼なんやけどな」


「あ!羅生門の鬼さんが勝手に持ち出して、夜の楼門の上で見事にかき鳴らしたという、あの伝説の『玄象の琵琶』ですね!」


都子がその歴史的な事実を完璧に言い当てて目を輝かせると、羅生門の鬼は嬉しそうに胸を張った。


「おっ、都子ちゃん、あの琵琶の話までばっちり知っとんのかいな!流石は真眼を持つ現世の妖怪博士、本当に大した知識量やな!」

羅生門の鬼が豪快に笑う横で、朱雀門の鬼はフゥと小さな溜息を吐きながら、少しだけ苦笑いを浮かべた。


「そやのに、あの時代の鬼は、女鬼ちゃんが……あ、女鬼ちゃんって言う恐ろしく強い美人鬼がいてはるんやけど、その子が額に青筋を何本も立てて大激怒するくらい、都で次から次へと阿保みたいなやらかしを繰り返しよったからね。そのせいで、人間に姿を見せて暴れとるところばかりが後世でクローズアップされとるがな、羅生門も、酒呑らも。本当はみんな、音楽を愛でたり、そういった繊細な一面もあったんやけどねえ」


朱雀門の鬼のその言葉を聞いた瞬間、隣の羅生門の鬼はそれまでの豪快な態度を一変させ、バツが悪そうにポリポリと大きな手で頭を掻き始める。

「いやはや、ほんまにその通り過ぎて返す言葉があらへんわ……。今思えば、当時の俺らが派手に暴れたせいで、女鬼ちゃんの裏方としての仕事を余計に増やしてしもた事と、女鬼ちゃんがほんまにブチギレてまう手前くらいまで、阿保な大騒ぎをやらかしてしもたことについては、千年以上経った今でも反省しきりやで。全部丸く収めてくれた女鬼ちゃんには、ほんまに頭が上がらへん」


羅生門の鬼が神妙な顔をして当時の失敗を語っていると、ふと何かを思いついたようにニヤニヤとした意地の悪い笑みを浮かべ、朱雀門の鬼の肩を小突いた。

「あ、そや。俺の過去のやらかした昔話よりも、朱雀門が人間相手にやらかした、あの有名な『双六(すごろく)』の話をしたったらどや?そっちの方が絶対に盛り上がるで!」


「おいおい、羅生門、ここでその昔話を引っ張り出すんかいな……」

朱雀門の鬼は、自分が平安時代の稀代の文人である紀長谷雄(きのはせお)に双六の勝負でボロ負けした過去を指摘され、渋い顔で苦笑いした。


すると、都子はその有名な説話の裏話が聞けるかもしれないと確信し、その目をこれ以上ないほどにキラキラと輝かせた。

「あ!確かその双六の勝負の賭けに負けたお礼として、朱雀門の鬼さんが、この世のものとは思えないほどに美しい絶世の女性を、紀長谷雄さんの元へと直接紹介して差し上げたんですよね!本には書かれていない、その時の二人の実際の会話や、語られていない当時の真実のやり取りを、是非とも詳しく詳しく聞きたいです!」


身を乗り出してメモ帳を差し出す都子の凄まじい熱意に対し、朱雀門の鬼は少しだけ困ったように微笑みながら、優しく首を振った。

「う〜ん、その話はねえ……今となっては、あやつの名誉にも色々と関わってくるからなあ。あまり現世でベラベラと明かすのは粋やおへん。ここは大人しく、儂と人とを繋いでくれた、この大切な笛のお話にしとこか」


朱雀門の鬼はそう言って着物の懐から愛おしそうに名笛『葉二』を取り出すと、当時の博雅との美しい月夜の記憶を優しく懐かしみながら、静かに、そして豊かに語り始める。

その現世のクリエイターと古き鬼が紡ぎ出す素晴らしい歴史の語らいを、隣に座る黒一色の呪術師と、腕を組んだ羅生門の鬼の二人は、冷たいアイス珈琲を口に含みながら、どこまでも温かく微笑ましく眺めているのだった。


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###〜夜闇を駆ける魔改造牛車と、御札ボードの追走劇〜


平安の月夜を想起させるような朱雀門の鬼の雅な語り口、そして時折挟まれる羅生門の鬼の豪快な武勇伝や、呪術師の冷静で奥深い補足。

それらが美しく絡み合う濃密な時間は瞬く間に過ぎ去り、喫茶店の大きな窓の外には、いつの間にか茜色の夕焼けを通り越して、深い藍色の夜の帳が静かに下り始めていた。

街の灯りがぽつぽつと輝き出す、ちょうどお腹の虫が鳴る夕飯の時間である。


都子は「今日一番の最高の体験でした!」と心からの充足感をみなぎらせ、取材費という名目で4人分の珈琲代をまとめてスマートに会計を済ませた。

店を出ると、涼やかな夜風が通りを吹き抜けていく。呪術師と二体の鬼がそれぞれの丁寧さでお礼を述べる中、都子は深々と頭を下げた。

「長々と引き留めてしもて、本当に申し訳ありませんでした!本には絶対に載ってへんような、それこそオフレコというか、記事には書けないような裏側の貴重な歴史までたくさん御話頂けて、もう言葉にできひんくらい感激です!本当に有難う御座います」


頭を上げる都子に対し、束ねた髪を夜風に揺らした朱雀門の鬼が、大人の余裕を漂わせながら優しく微笑みかけた。

「いやいや、儂も久々に美味い珈琲を囲めて、本当に楽しかったよ。街の様子もすっかり暗くなったし、そろそろみんな晩飯の時間やろうから、今日の熱心な取材はこれでおしまいかな」


すると、その言葉を合図にするかのように、隣の羅生門の鬼がその大きな身体を揺らし、ニヤリと楽しげな笑みを浮かべてひとつの提案を投げかけた。

「おう、最高のタイミングやな!腹も減ってきたことやし、都子ちゃん、これからみんなで一緒に『摩訶不思議食堂』へ行くか?あそこなら美味い酒も飯も揃っとるからな!」


その魅力的な提案に、黒一色の呪術師も静かに手を合わせ、賛同の意を示す。

「それは実によろしゅうおすな。鬼の皆さんが普段どんな食べ物を好んでおられるのか、それを同じ食卓で一緒に囲んで食べるというのも、都子さんにとっても素晴らしい経験になると思いますえ」


「ええっ!?摩訶不思議食堂で鬼の皆さんと晩餐会ですか!?それはもう、私にとっては願ってもないことです!是非とも御一緒させてください!」

都子は新しいお楽しみの予感に、その大きな瞳をらんらんと輝かせて快諾した。


「がっはっは!ほな、今夜の飯の行き先は決まりやな!そしたら朱雀門、悪いんやけど、ここから食堂までの御迎えの連絡を呼ぶ係はあんたに任せたで。宜しゅうな!」


羅生門の鬼が大きな手で相棒の肩を叩いて豪快に笑うと、朱雀門の鬼は少しだけ呆れたように息を吐きながらも、その口元にはどこか楽しげな色を滲ませていた。


「やれやれ、相変わらず人使いの荒いやっちゃな、羅生門は。まあ、みんなで美味い飯を食うためやし、ええけどな。ほな、衆生に怪しまれんように、少し人気のない静かなところへ移動しよか」


一行は再び、夜の静寂に包まれた神泉苑の境内へと戻ってきた。

日が完全に暮れて、周囲には人影が一切ない。


その静まり返った池のほとりで、朱雀門の鬼は灰色の着物の懐から愛おしそうに名笛『葉二』を取り出す。

それを唇へとそっと寄せると、現世の人間の耳には決して聞こえることのない、特殊な霊的波長を放つ美しい音色をピーヒョロロ……と静かに奏で始めた。


音色が夜の虚空へと溶け込んでいって間もなくのこと。

遙か彼方の夜空から、パチパチと真っ赤に燃え盛る怪しげな炎のような何かが、物凄いスピードでこちらへと近づいて来て、それはあれよあれよと言う間に高度を下げ、凄まじい風を巻き起こしながら、一行の目の前の地面へと音もなくダイナミックに停車する。

そこに現れたのは、美しく妖しく発光する「方輪車」が運転席に座る、現代の技術と異界の妖力が融合した驚異の魔改造牛車であった。


「皆さんこんばんはー!呼び出し受けてすっ飛んできましたえ、お待っとさんですー♪」

方輪車は運転席の窓からひょっこりと顔を出すと、現世のドライバーさながらに白い手をぶんぶんと振って、弾けるような笑顔で挨拶をくれた。


バシュッと小気味よい音を立てて客席の自動扉が開くと、中から小柄な女の子が身を乗り出し、両腕をこれでもかと大きくぶんぶんと振って元気いっぱいに声をかけてきた。

「御疲れちゃんのこんばんは!えらいこっちゃな賑やか会食のはじまり!」


そのお馴染みの愛らしい姿を観た瞬間、都子はパッと表情を明るくした。

「あ、えらいこっちゃん、方輪車さん!こんばんは!迎えに来てくれて有難う御座います!」


えらいこっちゃ嬢は、表情そのものはいつも通りのクリッとした丸い目に台形の口という独特の造形ながらも、体全体から上機嫌なオーラをこれでもかと放っている。

そして、「えらいこっちゃな上物買えた!」と、彼女は奥の座席へとトトトッと詰めていきながら、車内の片隅に置かれた、何やら色々な買い物帰りと思われる大きな荷物を誇らしげに指し示した。

「朱雀門さんも、羅生門さんも、えらいこっちゃな大好物がぎっしり詰まっとる!」と言って、早く乗れ乗れとばかりに小さな手で一行を温かく手招きする。


「こんばんは、えらいこっちゃん。いつも気の利いたお土産を本当に有難うな。ほな、今夜はお言葉に甘えて邪魔するで。宜しゅうな、方輪車ちゃん」

朱雀門の鬼は端正な顔立ちを和らげ、長身を屈めながら慣れた動作で笑顔で乗り込んでいく。


続いて、羅生門の鬼もその巨躯を車内へと滑り込ませた。

「こんばんはやで、えらいこっちゃん、方輪車ちゃん!相変わらずええ車やな。ほな、都子ちゃんもおいない。遠慮せんと早く中に入りや」


羅生門の鬼に手招きされて都子も車内へと入ると、中は体格の良い鬼が二人と、えらいこっちゃ嬢、そして大量の荷物があることから、流石に4人が乗ると空間はいっぱいになり、これ以上の同乗は難しそうな状態になる。


扉の外に残された呪術師を見つめ、都子が「あれ?呪術師さんは……」と声をかけようとすると、呪術師は黒いコートの襟をスッと正し、静かな声で告げた。

「ほな、僕はこれに乗って付いて行きますさかい、心配せんといておくれやす」


呪術師がそう言って懐から一枚の白い御札を取り出す。

それを地面に向かってスッと放った瞬間、御札は眩い光を放ちながら、現世のスケートボードのような洗練された細長い形へと一瞬で変形した。

呪術師はその上にスッと何の淀みもなく立ち、美しい体幹を保ってみせる。


「わ、凄い!本当に何でも術で形を変えられるんですね!」


都子がその鮮やかな術式に目を輝かせていると、牛車の壁面から、何やら「御勘定」と墨で書かれた不思議な木の腕が、ニューーっと生き物のように伸びて都子の目の前へと突き出された。

都子はこのやり取りを既に経験しているため、もはや驚くこともなく、手慣れた手つきでカバンからお財布携帯を取り出す。

札の裏側にある電子決済用のQRコードにスマートフォンをピッと翳すと、車内に「毎度ありー♪」という間抜けで愛らしい電子音が小気味よく鳴り響いた。


さらに都子は、「これ、さっきの喫茶店で見つけて美味しそうやったから」と言って、手の平の上に喫茶店で購入しておいた特製の豆菓子を一袋、そっと乗せてあげた。

すると、木の腕は親指をグッと立てて大満足した様子を見せてから、宝物を仕舞うようにニューっと壁の奥へと引っ込んで行った。


その都子の現世と異界が混ざり合ったスマートな対応を見ていた羅生門の鬼は、堪えきれずに大爆笑した。

「ははは!都子ちゃん、もう完全にこっちの乗り物のシステムに馴染んどるやんけ!手慣れたもんやな、最高やわ!」


運転席の方輪車も、バックミラー越しに楽しげに声を弾ませる。

「ふふふ、ほんまに♪貴重な豆菓子のお心遣いまで、有難う御座いますー♪ほな、お腹を空かせた皆さんのために、安全運転で出発しまっせー!」

ガシャーンと小気味よい音を立てて扉が閉まり、魔改造牛車はゆっくりと神泉苑の境内から発進した。


やがて夜の京都の街頭へと躍り出てぐんぐんと加速していく牛車の窓から、都子は外の景色を眺めていた。

夜風を切り裂きながら、先ほど地面に広げた御札のボードに衣をなびかせて軽やかに乗り、涼しい顔で牛車にぴったりと並走して着いて来る呪術師の姿がそこにある。


その非現実的で浪漫溢れる光景に、都子はこれ以上ないほどにその大きな眼をキラキラと輝かせ、二体の鬼はそんな彼女の純粋な反応を、どこまでも愛おしそうに微笑ましく眺めながら、今夜の宴が待つ「摩訶不思議食堂」を目指して夜の闇を駆け抜けて行くのであった。


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###〜暖簾の向こうのジューシーな熱気と、全席満員の焼肉晩餐会〜


夜風を切り裂いて京都の街を快走していた魔改造牛車は、やがて優しく温かな光が漏れ出す「摩訶不思議食堂」と書かれた古風な看板が掲げられている、綺麗な木造の建物の前へと静かに滑り込み、一分の狂いもなく安全に停車した。


プシューッと心地よい音を立てて客席の自動扉が開くと、まずえらいこっちゃ嬢が、その小さな体を弾ませて、ぴょんっと器用にステップを踏みながら外へと降りて行く。

続いて羅生門の鬼が、えらいこっちゃ嬢達の買い込んできた大量の食材が詰まった大きな荷物を両手に軽々と持って降り立ち、そのすぐ後ろから朱雀門の鬼が優雅に降りて、最後に都子も異界のドライブの余韻に胸を躍らせながら、一歩一歩踏みしめるようにして地面に降り立った。


「ほな、ウチは裏の駐車場に車をきっちり止めてから、すぐに正面の入り口へ向かいますさかいにー♪」

運転席から窓の外へ顔を出した方輪車が爽快な声を響かせ、牛車をゆっくりと専用の駐車場へと向かった。


一方、牛車のすぐ後ろをスケートボードのように軽快に追走してきた漆黒の衣の呪術師は、建物の前で御札ボードからスッと静かに地面へと降り立つ。

男がその指先を木製のボードに向けてスッと翳すと、次の瞬間、ボードは眩い光の粒子を放ちながら一瞬にして縮み、元の長方形の薄白い御札へと吸い込まれるように形を変えて呪術師の手に綺麗に収まった。


その一部始終をすぐ間近で凝視していた都子は、再び目撃した本物の陰陽の術の鮮やかさに、心の底から感嘆の吐息を漏らす。

「す、凄い、ほんまにこういう手品とは違う本物の技が存在するんや……。格好良すぎて鳥肌が立ってしもたわ……」


都子がその大きな両目をキラキラと輝かせて感動していると、えらいこっちゃ嬢がお店の頑丈な引き戸をガラガラと音を立てて一気に開けて中へと入って行く。


「えらいこっちゃな焼肉晩餐会!お腹ペコペコでえらいこっちゃな御一行様のご到着!」


えらいこっちゃ嬢は元気いっぱいの声を店内に響かせながら、そのまま愛らしい足取りで厨房の方へと突撃していった。

ちょうど裏手から戻ってきた方輪車も入り口で合流し、呪術師や鬼達、そして都子も含めた全員が賑やかに中へと足を踏み入れると、食堂の奥からは一際華やかで眩いオーラが放たれた。


そこに佇んでいたのは、長い金髪をサイドテールに結い上げた、現世のどんなモデルをも遥かに凌駕する超絶美少女の姿をした鬼、女鬼(じょき)であった。

女鬼はやってきた一行の姿を認めると、その長い脚を優しく揺らしながら、美しい手をひらひらと振って挨拶し、満面の笑顔でお出迎えをしてくれる。


「こんばんはのおつー♪みんな、今夜のための特別な食材の買出しと、ここまでのはるばるの運搬、本当にありがとねー♪」


女鬼がパチッと愛らしくウインクを飛ばすと、その極上の美貌に都子が再びうっとりしてしまい、到着した一行もそれぞれの声色で、実家に帰ってきたかのような安心感の漂う挨拶を返した。


見渡せば、店内の各テーブルには大型の本格的な焼肉の器具がズラリと用意されており、すでに炭火のパチパチという心地よい音と共に、いつでも極上の肉を焼くことができる準備が万端に整えられている。

テーブルの脇には、蛙仙人が手塩にかけて育てた、瑞々しい採れたての新鮮な野菜たちが綺麗に盛られており、さらに猫子やわんぞう、凜華やラビといったお馴染みの厨房仲間達も、割烹着で今夜のための様々な食材の準備を完了させていた。


その完璧な布陣を確認した羅生門の鬼は、両手に抱えていた大きな袋をさらに高く持ち上げ、がっははと喉を鳴らした。

「こんばんはー!ほな、えらいこっちゃんと方輪車ちゃんが娑婆の市場で目利きして買うて来てくれた最高の食材は、そのまま厨房のまな板の方に持って行けばええかな!」


羅生門の鬼が大きな足取りで厨房へ向かうと、摩訶不思議食堂が世界に誇る自慢のプロの料理人達も、待ってましたとばかりに腕をまくった。


「「「「有難う御座いますー♪」」」」


料理人たちは嬉しそうな声を響かせながら、極上の肉や上質な食材を最も美味しい厚さに切り分けたり、秘伝のタレを絡める仕上げに取り掛かるため、羅生門の鬼と一緒に奥の調理場へと活気よく入って行く。


こうして、人と怪異、そして古の鬼達が不思議に交じり合う特別な食堂の中で、今夜の最高の宴のための全ての準備が美しく調うこととなった。

器具から立ち上るほのかな熱気が店内の温度を心地よく引き上げる中、各テーブルにみんながそれぞれの定位置へと腰を下ろし、誰からともなく一斉に胸の前で深く合掌する。


店の中央では、この温かな空間の主である地蔵店長が、その慈愛に満ちたお地蔵さんそっくりの優しい笑顔を浮かべて静かに手を合わせた。

それを今夜の始まりを告げる神聖な合図にして、全員の心がひとつに重なる。

そして。


「「「われここに食をうく、つつしみて天地の恵みを思いその労を謝し奉る」」」


呪術師が喫茶店で称えたあの美しい食前の言葉が、今度は店内の全ての怪異たちの声と美しく重なり合い、厳かに響き渡った。

言葉を称え終えると、子供も大人も鬼も怪異も関係なく、全員が揃って元気いっぱいに「頂きます!」の声を唱和し、ジューシーな肉の焼ける香ばしい煙に包まれながら、最高に楽しい会食の時間が幕を開けた。


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###〜魔滅の大豆と千年の因縁、笑顔弾ける焼肉晩餐会〜


店主である地蔵店長による温かな合掌を合図にして、摩訶不思議食堂の店内には、一斉に賑やかな歓声と網の上で肉が爆ぜる心地よい音が響き渡った。

各テーブルに据えられた大型のロースターからは、ジュージュー、パチパチと、これ以上ないほどに食欲をそそる香ばしい音と真っ白な煙が立ち上っていく。


網の上では、厨房の料理人達が絶妙な厚さに切り分けた、えらいこっちゃ嬢と方輪車が娑婆の市場で厳選して買い込んできた上等な最高級の肉が、滴る良質な脂を炎に変えながら、見事に焼き上げられていく。

それと同時に、摩訶不思議食堂の料理人である蛙仙人が深い愛情を込めて秘境の菜園で育て上げた、生命力に満ちあふれた新鮮野菜の数々も、網の上でじわじわと滋味深い湯気を出していた。


さらに今夜の宴席には、大柄な鬼達の好みに合わせて、食堂の料理人達が腕によりをかけた特製の大豆料理の数々がずらりと並べられていた。

一般的に鬼は豪快に肉を喰らうイメージが強いが、実は大豆をはじめとする豆類も大好物なのである。

テーブルの上には、じっくりと時間をかけてふっくらと茹で上げられた大豆と、鮮やかな細切りの人参を特製のドレッシングで和え、シャキシャキの新鮮な葉物野菜の上に美しく盛り合わせた色鮮やかなサラダなどが並び、人と怪異の垣根を越えてみんなの舌を大いに楽しませ、その腹を幸せに満たしていく。


小皿に取り分けた大豆のサラダを美味しそうに口に運びながら、都子はふと、自身の胸にある妖怪博士としての知識を思い出し、正面の鬼達に向かって楽しげに笑いかけた。

「鬼の皆さんって、節分の豆まきの風習のせいで、世間一般の人間からはどうしても『大豆のことが大嫌いで苦手』って誤解されがちですけど、本当はぶつけられるという暴力的な行為そのものが嫌なだけで、食べ物としての大豆のことは、むしろ皆さんもの凄くお好きなんですよね」


都子がクスリと笑いながら裏事情を明かすと、その正面にどっしりと座る羅生門の鬼は大きな胸板を叩き、店内の天井が震えるほどの声を響かせた。

「がっはっは!やっぱその辺の深い事情までちゃんと知っとったか、都子ちゃんは!流石は真眼の持ち主、本当に話が早くて最高やわ!そやそや、俺ら鬼の一族かて、大豆は滋養強壮にええから昔から大好物なんや。最も、一定以上の大鬼クラスになると、そこらの人間が必死の形相で豆をぶつけてきよっても、全部片手でひょいひょいと受け止めて、そのままおやつ代わりに美味しく食うだけなんやけどな!」


鬼が豪快に笑い飛ばすと、その隣で上品に大豆を食べていた女鬼も、その美しい瞳を悪戯っぽく輝かせて言葉を重ねる。

「そもそも、人間達が使う『豆』っていう言葉は『魔の目(魔目)』に通じていて、その弱点を射抜くことで『魔を滅する』っていう、人間側の強いゲン担ぎの意味が込められた言葉なんだよねー。あーしも大豆を使ったヘルシー料理は大好きだし、もし人間が、あーしらに向かって豆を投げてきてくれたとしたら、美味しいおやつを向こうからタダで恵んでくれるようなもんだから、やったラッキー!くらいにしか思わないよ♪」


女鬼が可愛らしくウインクしながら笑う中、その向かい側で静かに網の上の肉を見つめていた灰色の着物の朱雀門の鬼が静かに、そして深く語り始めた。

「ふむ……まあ、当時の娑婆の人間達が、そうやって必死になって鬼を滅する方法をあれこれ編み出したり、豆まきのような知恵を必死になって考え出すに至ったのは、当時の都で強大だった儂ら鬼という存在に抗うための攻略の希望を、衆生が少しでも心の拠り所として持ちたかったという現れなんかもしれんなぁ」

朱雀門の鬼は、どこか千年の歴史を懐かしむような目をしながら、綺麗に焼き上がったジューシーな肉を箸で一つ口へと運び、美味しそうに咀嚼する。


すると、その言葉に触発されたように、羅生門の鬼がトングを片手に持ちながら、少しだけ神妙に、しかし楽しげに自身の大きな顎をさすった。

「それについては、かつて俺らが平安の都で、夜な夜なやりたい放題暴れまわって、衆生の度肝を抜いたんも、大きな要因かもしれんなぁ。実際問題、あの時代に俺らがあそこまで派手に暴れまわったからこそ、それに対抗するために源頼光と四天王みたいな、歴史に名を残すレベルの鬼特攻武士が次から次へと世に出て来たっていうてもええくらいやからのう!」


羅生門の鬼が過去の無茶を笑い飛ばすと、隣の女鬼がすかさず呆れたようにその白い頬を膨らませた。

「もう、羅生門さん達があの頃に好き勝手やらかしたからじゃん!自業自得だよー!」


「いやあ、なんぼ千年以上経って頭を冷やして考えても、若気の至りっちゅうんか、大暴走の時代については、女鬼ちゃんに面目ないと言うほかないわ……。おっ、それはそうと、この肉も最高に美味いけど、蛙仙人が育てたこの野菜もごっつ美味いで!特にこの網の上でじっくり焼いた玉ねぎの、じゅわっと溢れる自然な甘みがたまらんくらいクセになるでな!」

羅生門の鬼はバツが悪そうに笑いながら頭を掻き、すぐに話題を変えるようにして、焼き上がった大きな玉ねぎを豪快に口へと放り込んで大絶賛した。


それを見た朱雀門の鬼も、上品に微笑みながら肉を網の上でひっくり返した。

「ははは、儂はあの騒動の時代も、お前さん達とは違って大人しく笛を吹いとって本当に良かったで。お、この肉、ほんに素晴らしい柔らかさやな、甘辛い特製のタレの絡み具合も絶妙やわ」


「そうそう、豆と言えば、橋姫かて豆餅が大好物やもんな。もし鬼の一族が本当に豆のことが嫌いやったら、あいつがあんなにほっこりした幸せそうな顔をして豆餅をバクバク食うわけあらへんやろ」


羅生門の鬼が、更に豆にまつわる新しい怪異のエピソードを引っ張り出すと、それを聞いた都子の真眼が一瞬にしてきらりと鋭く輝く。

「えっ!?橋姫って、確かあの古の伝説に出てくる、激しい嫉妬の情念のあまりに恐ろしい鬼女へと変貌を遂げたという、あの宇治の橋姫の橋姫ですか!?」


都子が身を乗り出すと、羅生門の鬼は我が深く頷いた。

「そやそや、激しい情念の末に鬼女とも言われた、あの有名な橋姫や!あいつ、今でも美味い豆餅を前にすると本当に可愛い顔して喜ぶんやぞ」


「あはは♪都子さんのその凄まじい食いつきっぷり、もう本当に最高!あーし、都子さんのその溢れる熱意と知識の深さが気に入っちゃったから、いっそのこと、もう都子さんのことを幽世の広報担当として、正式にスカウトしよっかな♪」


女鬼が楽しげに声を上げて笑うと、朱雀門の鬼もその提案に深く同意するように優しく微笑んだ。


「おや、それは本当に名案やね。この御嬢ちゃんは、娑婆の人間界と幽世の異界の境界を、正しく理解して言葉で橋渡し出来る素晴らしい真眼と心を持ってるからな」


「ええっ!?そ、そんな世界を跨ぐような大きな大役、普通のデザイナーの私には恐れ多いですよ!」

大妖怪たちから直々に絶賛され、都子は顔を真っ赤にしながら慌てて両手を振って恐縮する。


すると、その都子の隣でマイペースに箸を進めていた黒一色の呪術師が、静かに湯気の立つ茄子を口に運びながら、落ち着いた声でその会話に混ざってきた。


「御謙遜を。僕もそれはごっつええ人選やと思いまっせ。都子さんなら間違いなく適任や。……ほう、この網の上でトロトロに焼けた茄子も、ええ具合に味が染みていて、大変美味ですなあ」

呪術師は茄子を丁寧に味わい、そのクオリティの高さを静かに称賛する。


すると斜め向かいに座るえらいこっちゃ嬢も、網の上から綺麗に焼き上がった緑色の野菜を小さな箸で器用に摘み上げ、その台形の口を大きく開けた。

「ピーマンも、シャキシャキしてえらいこっちゃな歯ごたえ、最高に美味しい美味野菜!」

えらいこっちゃ嬢は本当に嬉しそうにピーマンを咀嚼し、その美味しさに体全体を小刻みに揺らして喜んだ。


ふと周囲を見渡せば、自分たちのテーブルだけでなく、店内の他のすべてのテーブルでも、お馴染みの常連客なる様々な姿形をした怪異達が、お互いに冷たいお酒のグラスを酌み交わしながら、楽しそうに今夜の最高の焼肉と美味しい料理を心から楽しんでいる。

人と怪異が当たり前のように同じ空間で笑い合い、美味しいご飯を共有しているという、この奇跡のような優しい光景。


そんな賑やかな店内の様子を、共に食を頂く席に座り静かに見つめていた店主の地蔵店長は、自身のために焼かれたホクホクの人参を優しく口に運ぶと、その顔がこれ以上ないほどに穏やかなお地蔵さん笑顔になる。


地蔵店長は

「今夜も皆さん、本当に賑やかで楽しく、宜しゅう御座いますねえ」

と、温かい心の底からの呟きを漏らしながら、この宴をどこまでも優しく、そして温かく見守り続けているのであった。


---


###〜千年の絆を潤す美酒と、机上に広がる新たなる夜の始まり〜


ジュージュウと網の上で弾ける肉の幸せな音と、常連客達の賑やかな笑い声に包まれていた摩訶不思議食堂の焼肉晩餐会も、やがて宴の終わりを告げる穏やかな時間へと向かっていく。


全ての皿が綺麗に空になり、腹も心もこれ以上ないほどの幸福感で満たされた頃、店主である地蔵店長の優しい眼差しを合図に、座席にいた全員が再び胸の前でそっと両手を合わせて合掌した。

店内に満ちていた賑やかな雑音がすうっと引き、今度は感謝に満ちた食後の言葉が全員の口から厳かに唱和される。


「「「われここに食を終わりて心ゆたかに力身に充つ。願わくはこの心身を捧げて己が業にいそしみ、誓って恩に報い奉らん。」」」


その尊い言葉を称え終えると、人と怪異、そして偉大な鬼たちは揃って「御馳走様でした」と頭を下げ、今夜の素晴らしい会食は一度賑やかにお開きとなった。

しかし、ここで誰もがすぐに席を立つわけではないのが、この食堂の温かい日常であった。

金髪サイドテールの女鬼を筆頭に、巨躯を誇る羅生門の鬼、灰色の着物を粋に纏った朱雀門の鬼、漆黒の衣に身を包んだ呪術師、そして都子も一緒になって、手際よく空いたお皿やロースターの片づけを笑顔で手伝い始める。


カチャン、コトッ、と食器が片付いて卓上が綺麗に整うと、羅生門の鬼と朱雀門の鬼の二体は、互いの顔を見合わせて楽しげに笑い合った。

「朱雀門、お前とこんなに腹いっぱい肉を喰うたんも久々やな。どや、せっかくの機会やし、これから極上の地酒、一緒に酌み交わさへんか?」


羅生門の鬼が豪快に誘うと、朱雀門の鬼も待ってましたとばかりに、その端正な顔立ちを和らげる。

「それは素晴らしいお誘いやね。儂も久々に、羅生門と美味い酒を飲みたいと思うとったんよ」


二体の鬼が腰を据えて久々の酒盛りを始めることが決まると、それを見ていた女鬼が着物の下に隠れている長い脚を軽快に揺らしながら、嬉しそうに二人の間へと割って入った。

「あはは♪伝説の鬼二人が並んでお酒飲むなんて最高じゃん!よーし、今夜は特別に、あーしが隣でお酌したげるね♪」


女鬼がウインクをしながらトトトッと徳利を準備し、食堂の看板娘であるえらいこっちゃ嬢も、いつも通りの丸い目と台形の口を上機嫌に震わせながらその楽しげな宴の傍らに残ることとなった。


夜の深い時間へと続いていく鬼達の賑やかな酒盛りを見届けながら、都子と呪術師の二人は、地蔵店長をはじめとする食堂の仲間たちへ今日一日の素晴らしいお世話になったお礼を深く伝えた後、名残惜しくも温かく送られながら皆と別れた。


お店の外に出ると、そこにはすでに駐車を終えて待機していた方輪車の魔改造牛車が、パチパチと怪しげな炎の尾を引いて静かに待っていた。

二人が牛車に乗り込むと、バシューッと自動扉が閉まり、牛車は夜の幽世の境界線を越えて、再び静まり返った現世の京都の街へと滑るように戻って行った。


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やがて、夜風を切り裂いて走っていた牛車が、再び全ての始まりの場所である神泉苑の鳥居の前まで戻って来ると、車体は音もなく安全に停車する。

扉が開き、夜の冷たい空気に触れながら牛車を降りた都子と呪術師は、運転席の方輪車に向かって丁寧に頭を下げた。


「方輪車さん、夜遅くまで送り届けてくれて、本当に有難う御座いました!」

都子が手を振ると、運転席から顔を出した方輪車は「ふふふ、ほんまに良い一日でしたねぇ♪ほな、道中お気をつけて帰っておくれやすー♪」と満面の笑顔で白い手を大きく振り返り、夜の闇の彼方へと軽快に走り去って行った。


燃え盛る炎の光が完全に見えなくなると、都子は隣に立つ黒衣の男に向き直り、今日一番の感謝の気持ちを込めて深々と頭を下げてお礼を言う。

「呪術師さん、今朝の突然の出会いから始まって、お寺の御住職や雲外鏡さん、そして朱雀門の鬼さんまで紹介してくださって、今日は本当に有難う御座います!私にとって、これ以上ないほどに、とても素晴らしい、浪漫に満ちあふれる一日になりました!」


都子の真っ直ぐな熱意を受け止めた呪術師は、コートのポケットからスッと大きな手を出すと、胸の前でいつものように静かに合掌して丁寧にお辞儀を返した。

「いやいや、こちらこそ。都子さんの、その純粋な怪異への愛に触れることができて、僕にとっても、大変に楽しゅう御座いました、有難う御座います。おたくの紡ぐ言葉が、きっと現世と幽世の未来を明るく照らすはずやと思うとります。新しい記事の執筆、心から応援してまっせ。ほな、僕はこれで失礼しますわ」


呪術師はフッと大人の優しい微笑みをその冷徹な口元に浮かべると、再び黒い手袋をした手をコートのポケットにしっかりと入れ、夜の街灯が照らすアスファルトの道を、颯爽と流れるような足取りで歩き去って行った。


その後ろ姿を頼もしそうに見送った後、都子は神泉苑の最寄りのバス停へと軽くダッシュし、ちょうど滑り込んできた自宅へと向かう最終間近のバスへと乗り込む。

夜の静かな京都の街並みを窓越しに眺めながら、ガタゴトと揺られることしばらく、バスが自宅の最寄りのバス停に到着すると、都子は勢いよくステップを降りて、無事に我が家へと帰宅を果たした。


ガラガラと玄関の扉を開け、「ただいま!」と家の中へ声をかけると、居間のソファで夫婦揃って仲良くテレビのバラエティ番組を見てくつろいでいた母親が、廊下へとパッと顔を出す。

「御帰り、都子。随分と遅かったやないの。お化け探しは満足いくまで出来たんかね?」


母親が少し呆れながらも温かい目で迎えてくれると、都子はカバンの中から、喫茶店で購入して鞄の中に大切に仕舞い込んでおいた豆菓子を取り出す。

「ただいま、お母さん!ふふ、もっとすごい人達と怪異達とご飯食べて来たし、取材もいっぱいして来たで!ほんで、これ、今日も一日頑張った二人への、私からのささやかな御土産!」


手渡された袋を受け取り、その中身を確認した母親は、一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、すぐに嬉しそうな笑顔を咲かせた。

「あら、これって、あの喫茶店で売ってる美味しい豆菓子やんか。そんなところまでわざわざ足を伸ばして行ってきたん?なんにせよ、大好物やから本当に有難うねえ。これで今夜のお父さんの、最高にええ晩酌のおつまみが出来たわぁ」


母親が嬉しそうに袋を胸に抱えて笑うのを見て、都子はカバンをしっかりと持ち直した。

「うん!喜んでもらえて良かったわぁ!ほな、私はこれから大急ぎでお風呂に入ってから、今日仕入れた最高のネタが熱いうちに仕事に取り掛かるからね!」


都子がそう言って浴室へと向かってバタバタと元気よく廊下を走っていく後ろ姿を見送りながら、母親は我が子のその充実感に満ちあふれた表情を思い返し、心底安心したように優しく微笑んだ。


「ええ顔して、ほんまに……。今日はこの子にとって、よっぽどええ事があったんやろな」

母親は愛おしそうにそう呟くと、娘が買ってきてくれたお土産を手に持って、温かいお茶の香りが漂うリビングへゆっくりと戻っていくのであった。


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###〜深夜に躍るクリエイティブの筆先と、両親が寄せる密かなる恋の心配〜


我が家に戻った都子は、すぐさま洗面所へと向かい、手早く入浴を済ませて一日の心地よい汗と疲れを綺麗に洗い流す。

湯上がりの肌に心地よいお気に入りの部屋着に着替えると、バタバタと自室へ戻ってデスクの前に座り、ノートPCの電源を勢いよく立ち上げた。

パチパチパチ、とキーボードを叩く軽快な音が、静まり返った夜の部屋に小気味よく響き渡る。


今日一日、京都の街で必死に書き留めてきたメモ帳の濃密な内容を何度も熱心に読み返しながら、都子の頭の中では、雑誌に掲載する大切な記事の骨組みが、驚くほどのスピードで完璧に完成へと向かっていった。


都は、記念すべき連載の第3回は、昨日出会った、あの威厳あるおとろしと気狐にインタビューした神聖な内容にすることに決めていた。

それだけに留まらず、都子のクリエイティブな脳内には、それ以降の次なる連載のアイデアまでもが、まるであふれ出す泉のようにどんどんと具体的に出来上がっていく。

第3回の次は、通りすがりの人の袖を引く、あの愛らしい袖引き小僧の男の子のエピソード、さらにその次は、紫の淵の美しい古鏡から手足を生やした、あの雲外鏡のユニークな大福のお話、そしてその次には、千年の歴史を誇る偉大な鬼たちにまつわる話等々、最高の構成が次々と頭に浮かんでは形を成していく。


「よし、この勢いのままキャラクターのイメージも形にしておこ!」


都子はノートPCの横にスケッチブックをバッと広げると、鉛筆を握りしめてイラストのラフスケッチをサラサラ、カリカリと猛烈な勢いで描き始めた。

おとろしが鳥居の上で不敵に佇む姿や、気狐が美しい狐火を操る格好良い構図など、脳裏に焼き付いた怪異達の生き生きとした姿を再現する手が止まらない。

シャカシャカ、カリカリと鉛筆の音が響く中、気が付けば時計の針は深夜を回りそうになっており、都子は「あぁ、もうこんな時間かぁ!もっと描きたいのに!」と名残惜しそうにしながらも、明日の本業の仕事に支障を出さないために、この日は後ろ髪を引かれる思いで布団へと潜り込んで就寝した。


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そして、眩しい朝の太陽が東の空から顔を出した、翌日の月曜日。

都子はいつものように早朝の厳しいロードワークを颯爽と終えてシャワーを浴び、すっきりと身支度を整えて一階のダイニングへと向かった。

家族全員で囲む賑やかな朝食の席でも、昨日仕入れた最高のネタのおかげで都子の顔からは終始笑顔が絶えることがなく、本当に楽しそうにトーストを頬張っている。


その様子を見ていた母親は、思わず笑みをこぼしながら優しい声をかけた。

「ふふ、都子、月曜日の朝からそんなに楽しそうにして。本当に今の仕事が楽しくて仕方がないんやねえ、それは親としてもええこっちゃと思うわ。今日も一日会社の仕事、元気に頑張っといでや」


向かい側に座る父親も、コーヒーカップを置きながら、娘の頑張りを頼もしそうに見つめて優しく微笑む。

「仕事に熱心なのは本当に感心やし、お父さんも応援しとるよ。でもな、何事もほどほどにしとくのが一番やからね。本人が夢中になって体を気遣わんうちに、体の中で知らんうちに疲労がどんどんたまってしもて、ある日突然バタンと倒れるっちゅう事もあるんやさかい、体調管理だけはくれぐれも気をつけるんやぞ」


「うん、二人とも有難う!体力には陸上とボクシングで鍛えた絶対の自信があるから大丈夫!ほな、行ってきます!」

都子は二人の温かい言葉に元気よく応えると、皿に残っていた最後のパンの欠片をパクッと大きなお口に頬り込んでカバンを掴み、弾かれるようにして我が家を勢いよく飛び出していった。


バタン、と元気よく玄関の扉が閉まる音を聞きながら、母親は窓の外を見送ってクスリと笑う。

「はい、行ってらっしゃい……。ふふ、それにしても、本当に今は仕事一筋、お化け一筋みたいやね、あの子。あんな調子やったら、当分の間は家に彼氏なんて絶対に連れて来そうにないねえ」


母親が少し困ったように呟くと、父親はトーストにジャムを塗りながら、どこか複雑な父親としての心境を覗かせて苦笑いを浮かべる。

「いやあ、ほんまにな。親馬鹿や思われるかもしれんけど、都子は父親から見ても十分に美人で、性格も真っ直ぐで本当にええ子やと思うんやけどなあ。なんであれだけ魅力的なのに、現実の世界では彼氏いない歴イコール年齢なんていう寂しい状態になっとるんやろか?」


その父親の素朴な疑問に対し、母親はハァと呆れたような、しかしどこか楽しそうな苦笑いを浮かべてキッチンへと向かった。

「そんなん、決まってるやんか。あの子の眼には今、普通の男の人の姿やなくて、お化けしか見えてへんからやろ。ほんま、普通の人間やのうて、普通の人の眼には見えへん怪しげなお化けばっかりを追いかけて見てるんやから、男の人がアプローチする隙なんて、これっぽっちもあらへんわ」


両親はそれぞれ会社に行くための準備をしながらも、我が娘のあまりにも偏りすぎた情熱に対して、「そろそろ良い彼氏でも出来ひんかなあ……」と、年頃の娘を持つ人間の親らしい温かな心配を、微笑ましくもしみじみと寄せ合っていた。


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###〜デスクに咲く怪異の笑顔と、豊美を驚かす濃密な週末の成果〜


週末の夢のような大冒険から一夜が明け、新たな一週間が始まる月曜日の朝。


都子はいつも通りの爽快な足取りで会社へと出社し、挨拶と朝礼を終えると、すぐさま自身のデスクへと向かって本日の業務に取り掛かった。

午前中のルーティンワークを驚異的な集中力とスピードでテキパキと片付け、いよいよ地域誌の妖怪連載コーナーのための本格的なクリエイティブ作業へと突入する。

昨日、頭の中に完璧に出来上がった構成案を元に、ペンタブレットを握る手にぐっと力を込め、液晶画面の上へと迷いなく線を走らせていった。


そして、社内にそろそろ腹の虫が鳴り始める昼休みが近づいてきた頃のこと。

都子が画面に向かって凄まじい熱量で作業に没頭していると、すぐ後ろの通路をたまたま通りかかった同僚の豊美が、ふと足を止めて都子のデスクを背後から覗き込んできた。

豊美の目に飛び込んできたのは、都子が液晶画面いっぱいに描き上げていた、実に見事な二体の怪異のカラーイラストだった。


豊美はフムと顎に手を当て、画面の右側に描かれた美しい存在を指差して率直なツッコミを入れる。

「あ、その画面の右側に描かれてる真っ白な狐のキャラクター、もふもふしていてもの凄く可愛いねえ。でもさあ、その可愛い狐のすぐ真横に描かれてる、髪の毛がボサボサで顔だけがドカンと浮いてる不気味な生首のキャラクターは、流石にいらんのとちゃう?怖すぎて読者の子供たちが泣いてまうよ」


その豊美の直球すぎる勘違いの発言を耳にした瞬間、都子はクルリと椅子を回転させて後ろを振り向き、顔全体にこれ以上ないほどの満面の笑みをパッと咲かせて全力で説明を始めた。

「豊美、それは誤解やで!この画面の右側の神々しくて白いお狐様は『気狐(きこ)』さんっていう素晴らしい上位の御狐様でね、そんで豊美が生首やと勘違いしとるこっちの毛むくじゃらの顔だけの怪異は、鳥居の上から神社で悪い事する人を叱ってくれる『おとろし』さんっていう、神社を健気に護るものごっつ格好良い怪異なんよ!」


都子が身振り手振りを交えて熱っぽく語るのを目の当たりにして、豊美は眉をひそめ、ますますわけが分からないといった様子でうーんっと首をかしげる。

「はあ、きこ、おとろし……?ごめん、ウチには妖怪の専門的な名前はようわからんけどさあ……その可愛いお狐様だけのイラストにした方が絶対に読者ウケもええやん。なんでその、おどろおどろしい生首みたいな怪異も、わざわざセットにして同じ画面に並べて描いとるんよ?」


豊美からの至極真っ当な質問に対し、都子はフンスと鼻の穴を大きく膨らませて胸を強く張った。

「そやから、生首ちゃうってば!この二体の怪異が同じ画面の中にセットで仲良く並んで描かれてるんはね、私が京都の稲荷神社の奥で、気狐さんとおとろしさんの御二方に、同時にじっくりとインタビューしてきたからやねん!」


「はあぁっ!?あんた、先週ウチが冗談半分で言ったこと真に受けて、ほんまに本物の妖怪相手に直でインタビューしに行ってたんかいな!?」

豊美は、まさか都子が本当に現世の境界線を越えて怪異への取材を成功させてきたとは思ってもみなかったため、オフィスの中で驚きのあまりに両目を丸くして激しくのけ反った。


「うん!もう本当にめちゃくちゃ新鮮で、これまでの人生で一番って言えるくらい濃密な最高の体験が山ほど出来たで!これも全部、先週の金曜日に『直に聞いてみたらええやん』って背中を押してくれた、豊美の大切な助言のおかげやわ、本当に有難うな!お礼と言ってはなんやけど、今日のランチの代は私が全部おごらせてもらうわ!」

都子はフンスと誇らしげに鼻を鳴らし、感謝の気持ちを込めて自身の財布を取り出してポンと叩いてみせる。


「あ、それはごっつ御馳走様です、有難う。都子にお昼を奢って貰えるんは有難いね。でも、あんたって子はほんまに、冗談みたいな話を一瞬で現実にして、インタビューまで取り付けてくるんやから、呆れんのを通り越して感心してまうわぁ」

豊美は都子の常人離れした行動力に、心の底から呆れ果てて溜息を吐きながらも、美味しい昼食をタダで奢ってもらえるという幸運に対しては、嬉しそうに素直に感謝の言葉を述べた。


「ふふん、私にとっては、もうこれ以上ないくらいの、最高に浪漫溢れる素晴らしい週末やったで!よっしゃ、この最高のモチベーションのまま、気狐さんとおとろしさんのイラストは、今日の就業時間中に完璧に仕上げてみせるでー!」

都子は両拳をグッと握りしめ、創作への凄まじい熱量をみなぎらせて再び液晶画面へと向き直り、ペンを力強く走らせ始めた。


「はいはい、ウチは美味しいご飯を期待してるさかい、その意気でしっかりやりよし」

豊美は都子の後ろ姿を見つめながら、クスリと優しい笑みを浮かべ、自分のデスクへと足取り軽く戻っていった。


オフィスには、カチカチ、サラサラと、ペンタブレットが奏でる心地よいクリエイティブな音が静かに響き渡る。

都子は画面の中の気狐とおとろしの生き生きとした笑顔を描き進めながら、これからこの手で現世へと紡ぎ出していく、愛おしい怪異達との数々の素晴らしい怪異譚の未来に、その胸の鼓動をどこまでもワクワクと大きく弾ませ続けているのであった。


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