第35話前編:妖怪博士の京都怪異紀行とほっこり飯
###〜情熱のペン先と、二つの世界を繋ぐ真眼〜
キャラクタービジネスを最前線で展開する大手の関連会社に入社して、早くも2年目を迎えていた井開都子。
彼女は今、京都の歴史と文化が息づく現世の街で、自身の魂を注ぎ込むにふさわしい画期的な仕事を手に入れていた。
それは、地元で根強い人気を誇る由緒正しい地域誌での、新感覚の「妖怪コーナー」の連載である。
都子が担当しているのは、古来より人々に恐れられ、あるいは親しまれてきた妖怪達を現代風にアレンジした、これまでにない全く新しいキャラクターデザイン。
そして、その怪異の歴史や隠された背景を、妖怪博士ならではの視点でディープに紐解く、読み応え抜群の特集記事の執筆であった。
彼女の生み出すデザインは、妖怪特有の不気味でおどろおどろしい伝承の本質をしっかりと捉えつつも、どこか憎めなくて愛らしい、絶妙な可愛らしさを完璧に兼ね備えている。
カタカタ、シャカシャカと、オフィスの静寂の中で彼女のペン先が現世と異界の境界線を軽快に飛び越えるたびに、真っ白な液晶タブレットの上には、命を吹き込まれたユニークな怪異達が生き生きと踊り出すのだ。
そんな大注目の連載を牽引する都子の風貌は、一見すると非常に愛らしい童顔の持ち主でありながら、その頭部はツンと短く切りそろえられたベリーショートヘアでまとめられており、周囲にひときわ活発で爽やかな印象を与えていた。
さらに、学生時代にこなしていた陸上競技のハードな練習と、現在も続けている趣味のボクシングの本格的なトレーニングの賜物により、その身体は女性の中ではすらりと背丈があって体格も良く、無駄のない引き締まった美しいプロポーションを誇っている。
シュッシュッと時折オフィスでも無意識に出てしまう鋭いシャドーボクシングのキレを見れば、彼女の内に秘められた圧倒的な身体能力の高さは一目瞭然であった。
いつも明るく元気で活発な彼女は、実は生まれながらにして、普通の人間には決して見えないはずの異界の住人――「怪異」がはっきりと観える特殊な眼を持っていた。
怪異の存在に怯えることなく、その本質を誰よりも深く理解し、妖怪や怪異と言った神秘的な世界に驚くほど詳しく、まさに太陽のような明るい「陽」のエネルギーと、夜の闇に潜む怪異たちの「陰」の世界を見事にその身に併せ持った、唯一無二の魅力的な女性なのである。
最近になって、その深い知識と才能がクライアントの目に留まり、幸運にも地域誌での妖怪コーナーの連載を任されることになった都子。
栄えある初めての記事は、路地裏で出会った唐笠お化けを題材にして、道具を大切にすることの大切さを説くコミカルでありながら真面目な内容が、見事に大好評を博した。
そして、興奮冷めやらぬ中で挑んだ2回目の連載では、都子がまだ幼い子供の頃に、実家で一緒に仲良くおままごとをして遊んだり、美味しい小豆ご飯や温かい御赤飯を笑顔で並んで食べて仲良く過ごしていた大切な怪異――都子が親しみを込めて「ワラシちゃん」と呼んでいた座敷童を題材に選んだ。
誌面に掲載された座敷童の、おかっぱ頭を揺らして、はにかむ可愛らしいキャラクターデザインと、都子の愛がこれでもかと詰まったノスタルジックな挿絵は、前号を遥かに凌駕するほどに世間の読者の間でさらに大好評となり、編集部には絶賛のハガキが山ほど届いていた。
週明けのオフィスで、その大ヒットした最新の地域誌のページをパラパラと捲りながら、隣の席の同僚であり、今や最高の相棒となった間宮豊美が、感心したように声をかけてきた。
「まあ、初回の唐笠お化けは、私から見たらちょっとリアルでキモ可愛い感じやったけど、この2回目の座敷童は文句なしで素直に可愛いね。読者のアンケートの反応もごっつええみたいやし、都子、これからはこういう万人受けする王道の可愛い路線でずっとやったらええんとちゃう?」
豊美の真っ当なアドバイスを聞いて、都子は嬉しそうにベリーショートの髪を揺らしながら、ガハハと快活に笑い飛ばした。
「アドバイスありがと、豊美!ワラシちゃんは、ほんまにダントツで可愛いもんね!でもな、私はあのフットワークがキレキレの唐笠さんも、一本足のバランスが最高に可愛いと思うんやけどなぁ。妖怪の魅力は、あの不気味さの裏にある愛嬌なんよ!」
都子が相変わらずの妖怪愛を炸裂させて熱弁を振るうと、豊美も、そして二人の様子を後ろから温かい目で見守っていたキャラクター開発部の美人課長も、同時に顔を見合わせてハァと深い溜息をついた。
「「はぁ……。この子の美的センスは、ほんまに相変わらずというか、どこかズレてるというか、分からんなぁ……」」
二人は口を揃えて呆れ返りながらも、その瞳の奥には都子の類稀なる才能に対する絶対的な信頼が宿っており、心から彼女の仕事を応援してくれていた。
周囲の温かい支えと、自分の大好きな怪異たちの素晴らしさが世間に伝わり始めているという最高の現実に、都子の胸の奥の創作意欲は、これまでにないほど激しく燃え上がっていた。
「よーし!この勢いに乗って、次の記事もしっかりと最高のものに仕上げてみせるで!」
都子は拳をグッと握りしめ、次なる怪異を紙面に生み出すために、さらなる情熱の炎を燃え上がらせるのであった。
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###〜異界に届いた真心の誌面と、応援する優しい怪異たち〜
都子が連載の第2回を大成功に導き、その興奮冷めやらぬまま早くも次の第3回に向けて凄まじい意欲を燃やしていた、まさにその同じ頃。
現世と異界の狭間に佇む『摩訶不思議食堂』の周囲には、今日も今日とて穏やかでどこか懐かしい、温かな空気がゆったりと満ちていた。
ガラガラガラ、と心地よい音を響かせて木造の引き戸が開くと、カツカツと軽快な足音を響かせながら、娑婆の街頭で最新の地域誌を購入してきた女鬼が姿を現した。
金髪のサイドテールを弾ませ、満足げな笑みを浮かべた彼女は、いつものお気に入りのカウンター席へと腰を下ろすなり、小脇に抱えていた冊子をパサッとお披露目するように大きく広げる。
その周りには、自分のことがどのように書かれているのかと胸をときめかせる座敷童や、いつものように元気いっぱいのえらいこっちゃ嬢をはじめ、地蔵店長や厨房の面々といったいつもの面々が興味津々で集まり、みんなで頭を突き合わせるようにして楽しんでそのページを読んでいた。
「初回の唐笠さんの特集も、道具を大切にするメッセージが利いてて良かったけど、今回の座敷童ちゃんの特集も、めちゃくちゃ良い記事に仕上がってんじゃん♪ほら見てよ、この優しくて温かい文章、読んでて心がほっこりしてくるよねぇ。それに、この添えられている挿絵のイラストも、座敷童ちゃんの特徴をバッチリ捉えてて本人にそっくりだし、やっぱ都子さんって本当に絵が上手いよねー♪」
女鬼が自分のことのように嬉しそうに声を弾ませて絶賛すると、誌面を覗き込んでいた座敷童は、少し照れくさそうにおかっぱ頭を揺らしながら、大きな瞳を細めてふんわりと笑う。
「うん、本当に素敵に描いてくれて嬉しいなぁ。都子ちゃんはね、まだ私の姿が見えるだけの小さなおてんば娘やった子供の頃から、地面に枝で私の絵をたくさん描いて見せてくれたりして、昔からずっとお絵描きが上手やったよ♪私が小豆ご飯を美味しそうに食べる姿を、こんなに細かく覚えてくれてたなんて、なんだか胸がいっぱいになってまうわぁ♪」
大切な友達の現世での大活躍を心から祝福する座敷童の言葉に、隣のえらいこっちゃ嬢が、待ってましたとばかりにピョンと飛び跳ねた。
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ!娑婆やと、この可愛らしい座敷童ちゃんのイラストが載った冊子が飛ぶように売れとるらしいで!今頃きっと、都子ねえちゃんのおる会社のオフィスに、読者の子供達とお母さん達からの感動のファンレターも、えらいこっちゃな物凄い勢いで大量に届いとること間違いなし!」
えらいこっちゃ嬢は自身のトレードマークであるセーラー服の袖を揺らしながら、小さな両腕をぶんぶんと激しく振り回して大はしゃぎする。
カウンターの奥からその様子を温かく見守っていた地蔵店長は、その石の質感を湛えた優しいお顔全体に深い笑みを浮かべると、胸の前でそっと大きな手を合わせた。
「ただ妖怪の姿を形にするだけでなく、記事の内容には、日本人が古来より育んできた『物を大切にする心』や『目に見えぬものへの畏敬』といった、人が生きていく上で大切な教えや戒めもしっかりと説いていらっしゃり、連載としてとても素晴らしゅう御座います。彼女の心の根底にある優しさが、現世の人々の心に深く届いているのでしょうねえ」
お地蔵さんのような極上の笑顔で、地蔵店長は都子のクリエイターとしての真摯な姿勢を深く讃える。
店長の言葉に、お茶を配っていた猫子も、長い尻尾を嬉しそうにパタパタと揺らしながら同意するように微笑んだ。
「ほんまにその通りですねぇ。都子さんが以前、この食堂で地蔵店長から直々に受け取らはった『善き縁を繋ぐ』という仏様の温かい教えが、彼女の真っ直ぐな心の中にちゃんと深く響いてはる証拠ですねえ。それが現世のお仕事という形で立派に花開いているのを見て、私らとしても、嬉しい事ですねえ」
その時、静かにお茶をすすっていた蛙仙人も、ふぉっふぉっと深い声を漏らして目を細めた。
「地蔵店長の深い教えを、ただ知識として覚えるだけでなく、日々の生活の中でしっかりと自らの頭で咀嚼し、自分の中に深く落とし込んだうえで、それを今度は現世の言葉に変えて人々に伝え、新たな善き縁を次々と紡いでいく……。若いのに大したもんじゃ、本当にええこっちゃなあ」
長年この世界を見つめてきた仙人ならではの、深い納得と感心の言葉が食堂の中に静かに染み渡っていく。
「二つの世界を正しく見通す真眼持ちの都子ねえちゃんは、ほんまにえらいやっちゃ!」
えらいこっちゃ嬢は再びテンションを上げ、その場でピョンピョンと足を踏み鳴らしながら、両腕をぶんぶんと激しく振って都子の才能を全力で讃え続けた。
そんな賑やかな様子を見つめながら、女鬼も満足そうに顎を引いて優しく微笑む。
「だねー。これだけスタートダッシュが良い感じできまったんだから、次の第3回の連載も今からめちゃくちゃ楽しみだし♪今度は一体どんな面白い妖怪を描いてくれるのかな♪」
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摩訶不思議食堂に集う、自分がかつて出会い、そして心を通わせた異界の面々が、こうして全員で揃って自分のことを熱く応援してくれているという心強い事実を、現世の都子は知ってか知らずか、彼女の魂は目に見えない温かな絆に導かれるようにして、すでに次なる一歩を力強く踏み出していた。
今日も現世のオフィスのデスクの上で、都子は次の第3回に向けて、京都の古い伝承が記された分厚い歴史資料や妖怪の専門書を机いっぱいに広げ、パラパラ、バサバサと熱心にページを読み漁っている。
「よし、次も絶対にみんなが驚くような、最高に面白い世界を描くで!」
みなぎる情熱をその両目に宿し、都子はやる気満々の笑顔を浮かべて、次なる怪異の謎を解き明かすために活発に動き出していた。
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##華金のひらめきと、決意の妖怪インタビュー
一任された大注目の連載第3回に向けて、金曜日の、いわゆる華金の午後のオフィスには、熱い熱気がこれでもかと立ち込めていた。
都子のデスクの上には、京都の古い地誌や絵巻物の写し、さらには分厚い妖怪事典がうずたかく積み上げられ、資料の山が築かれている。
「うーーーん……っ!」
都子は短い髪を両手で手荒にかきむしりながら、机に突っ伏して大きな唸り声を上げていた。
パラパラ、バサバサと熱心に資料のページを捲っては、フゥと深い溜息を吐き出し、また別の本を開いては頭を抱え込んで唸り続ける。
その凄まじい集中力と悩みの深さは、周囲の社員達が思わず声をかけるのを躊躇ってしまうほどの圧倒的なオーラを放っていた。
やがてオフィスに、一日の業務の終わりを告げる退職時間のチャイムが、ピンポーンパンポーンと爽やかに鳴り響いた。
定時を迎えた部署の面々は、一週間の労働の解放感に浸りながら、デスクの周りを片付けて、いそいそと帰り支度を始め出す。
しかし、都子だけはパソコンの画面と資料の山を交互に睨みつけたまま、全く帰ろうとする気配を見せず、相変わらずデスクの前で彫刻のように固まっていた。
そこへ、すっかり帰り支度を整えてカバンを肩にかけた豊美が、都子のデスクの横へとトコトコと歩み寄って声をかけた。
「御疲れ、都子。ってか、定時のチャイムが鳴ったっていうのに、まだ机にしがみついてうーんっと唸ってるし。そんなに良いアイデアが出えへんのなら、キリのええところで切り上げて、続きは来週の月曜日にしたら?」
豊美の現実的な言葉に、都子はハッと我に返ったように顔を上げると、少し疲れた目をしながらも、すぐにいつもの快活な笑顔を浮かべた。
「あ、うん、豊美もお疲れ様!そうなんやけどな、実はアイデアが出えへんのやなくて、その真逆なんよ!今回の第3回の連載で紹介したい魅力的な妖怪がちょっと多過ぎてさ、次は一体誰をメインに据えようか迷いに迷ってしもて……」
都子は再び机の上の資料を見つめ、嬉しくも贅沢な悩みに頭を抱えて声を低くした。
豊美は、そんな都子の贅沢すぎる悩みを聞いて、あきれたようにクスッと笑うと、自身の記憶にある鮮烈な光景を思い出しながらアドバイスを送る。
「贅沢な悩みやなぁ。それならさ、ついこの前の、あの稲荷神社で出会ったあの3人、口裂け女さんとか、のっぺらぼうさんとか、二口女さんとか、あの辺の有名な怪異をモティーフにして描いたらええんとちゃう?私らも実際にこの目で本物の姿を見たばっかりなんやし、記憶が新しいうちの方が絶対に描きやすいやろ」
「ああっ、それももちろん真っ先に考えたんよ!実際に会ったお姉さん達は、みんなごっつ魅力的やったしね!でもな、もしその路線で行くんやったら、あの3人はすごく仲良さそうやったし、絶対に3人を一度に同じ誌面に出演させたいって思ってしまうやん?ほら、一人の連載じゃなくて、3人の息の合った掛け合いを描いてこそ、あの怪異たちの本当の魅力が伝わると思うんよ!でもな、そやったら絶対に今までの1ページじゃスペースが全然収まらへんし……」
都子は熱弁を振るいながら、さらに大きな身振り手振りで悩みを爆発させた。
「あ、そっか。今回はページ数が増えるんやったね。でも、それでも足らへんの?」
豊美の言葉に、都子は大きく何度も頷いて言葉を続ける。
「そうなんよ!ありがたいことに、前回の座敷童ちゃんの大ヒットのおかげで、編集部から『次は見開きの一面、つまり2ページまで丸々使っていいですよ!』って言わせてもらえる事になって、その瞬間はすっごく喜んだんやったけどね!でも、いざ2ページ使えるってなったら、今度はその広さをどう活かすかで、贅沢な悩みどころが尽きひんようになってしもてなあ……」
都子は再びデスクに両肘をつき、深い底なし沼にハマったかのように頭を抱え続け、うずくまってしまった。
豊美は、どこまでも自分の理想の妖怪デザインを追求しようとする都子のクリエイターとしての頑固さに、ハァと小さな溜息をつく。
「相変わらず、妙なところにばっかり熱くこだわるんやな。そんなに机の上で一人で頭を抱えて悩んどるんやったら、いっそのこと他所のとこの記者とかライターさんみたいに、現地に赴いて本人達……いや、本妖怪達に直接『取材』でもしてきたらどう?なんてな、お化け相手に取材とかインタビューなんて、普通の人間ができるわけあらへんのやけど――」
豊美が冗談交じりに、からかうような軽い笑顔でそう言った、まさにその瞬間だった。
「――それや!!」
都子が弾かれたように、その大きな両目を限界までカッと輝かせて叫んだ。
陸上競技とボクシングで鍛え上げた見事な跳躍力で、椅子をガタガタッと激しく鳴らしながら勢いよく立ち上がる。
静まり返りつつあった夕方のオフィスに、都子の鼓膜を突き破らんばかりの大音量の叫び声が、ビシィィィンと凄まじい響きで鳴り渡った。
その突然の爆音に、すでに帰り支度をすべて終えて雑談をしていた部署のみんなも、一斉に何事が発生したのかと驚愕の表情を浮かべ、一斉に都子のデスクの方へと注目した。
豊美は至近距離でその強烈な大音量を浴び、心臓が飛び出るほどに飛び上がって驚くと、目を白黒させながら後退りした。
「な、なんやの、突然大きな声を張り上げて!びっくりして寿命が縮まるわ!」
「取材や!豊美、今ものごっつ素晴らしい大ヒントをくれたよ!机の上で古い本ばっかり読んで唸ってんと、実際に現地に行って怪異達の生の声をしっかり聴いて、その生き生きとした生の姿をこの真眼で観たら、より濃くて深い記事が書けるし、絶対に子供達が喜ぶ最高のデザインになる!よっしゃあ、決まりや!明日の土曜日は、朝から早速京都のあちこちへ取材に行くで!妖怪インタビューや!」
都子は拳を天高く突き上げ、みなぎる情熱を全身から放ちながら、明日への決意を完全に固めて張り切り出す。
あまりの行動の早さと突飛な発想に、豊美は引きつった笑顔を浮かべ、呆れ果てたように肩をすくめるしかなかった。
「あ、そう……。お化けにマイクを向けるなんて、世界中探してもあんた一人くらいやわ。まあ、せっかく掴んだチャンスなんやから、妖怪専門のデザイナーとして精々踏ん張りや。……あ、それで、今からウチと一週間の勤務をねぎらいに、駅前へ軽く飲みに行く?」
豊美が苦笑いしながら、週末のささやかな誘いを投げかける。
「ごめん豊美、せっかくの誘いやけど、明日の大仕事の備えて今夜はカメラの準備とかメモ帳の用意をして、お家でしっかり休むから今回はパス!ほな、また来週の月曜日にね!最高のヒントをくれて本当に有難うな!」
都子はバタバタともの凄いスピードで資料をカバンに詰め込み、自分の荷物をまとめると、風のように軽快なフットワークでオフィスを飛び出して行った。
残された豊美は、嵐のように去っていった都子の後ろ姿を見送る。
その呆れ果てた表情の裏には、不思議と嫌な気持ちは一切なく、むしろそのどこまでも真っ直ぐで不器用な情熱を、心のどこかで強く応援したくなるような、これまでに感じたことのない温かで不思議な感覚を覚えていた。
こうして、都子の真っ直ぐな心が、確実に周りの人間達の心をも動かし始めているのだった。
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##朝靄の京都駅と、犬神遣いの宮司との邂逅
オフィスを元気よく飛び出した都子は、溢れんばかりの熱い情熱を胸に抱いたまま、現世の賑やかな夜の街をすり抜けて真っ直ぐに自宅へと帰り着いた。
明日からの大仕事に向けて体力を万全にするため、帰り道にある、よく利用しているお気に入りの弁当屋へと立ち寄り、小さめの玄米と、ビタミンとタンパク質が豊富でヘルシーな野菜中心の鳥のもも肉弁当を手際よく買い求める。
我が家に帰ってからリビングに腰を下ろすと、買ってきたばかりの温かいお弁当をパクパク、モグモグと美味しそうに平らげ、冷たいお茶をゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。
食後はすぐに浴室へと向かって温かい湯船に浸かり、一日の疲れを綺麗に洗い流し、洗面台でシャカシャカと念入りに歯を磨く。
それから部屋に戻り、明日の妖怪インタビューに絶対に欠かせない新品の取材用のメモ帳やペン、カメラといった必要な準備をすべて万全に整えて、その夜は早めに布団へと潜り込んで泥のように深く就寝した。
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そして、待ちに待った翌日の土曜日。
静かな部屋に目覚まし時計の音が鳴り響くよりも前に、都子は素晴らしい充実感と共に早朝の澄んだ空気の中でパッと健やかに起床した。
すぐにトレーニングウェアに着替えて外へ飛び出すと、まだ朝靄の残る薄暗い京都の街並みを、ザッザッ、ザッザッ、と陸上競技仕込みの見事なピッチで力強く駆け抜けていく。
いつものロードワークのコースを走り終え、公園の広場でシュッシュッ、シュッシュッ、とキレのある本格的なボクシングのシャドーボクシングを数ラウンドこなして心地よい汗を流してから、自宅に戻ってさっぱりとシャワーを浴びた。
まだ両親が寝ている時間帯、朝食を軽めに済ませてカメラとメモ帳をカバンに詰め込むと、ベリーショートの髪を軽く整えた都子は、いよいよ前代未聞の怪異取材行脚に出かけるために、元気よく玄関の扉を開けた。
ただ、いくら真眼を持っているとはいえ、取材と言っても闇雲に広い京都の町を一日中歩き回っていては、肝心の怪異に遭遇できるかどうかは分からない。
それならば、まずは古くから伝わる有名な怪異スポットや、伝承の残る由緒正しい有名どころから順番に足で当たってみようかと思いつき、都子は交通の要所である京都駅に向かって歩き出した。
手始めに選んだ目的地は、ついこの前の土曜日に豊美の兄である豊彦との待ち合わせ場所にしたことで、あの口裂け女やのっぺらぼう、二口女といった美しい怪異たちと奇跡的な出会いを果たした、例の稲荷神社だ。
あそこなら確実に怪異たちの通り道になっているはずだと確信し、ガタゴトと早朝の電車に揺られて京都駅の広大なコンコースまでやって来た都子。
すると、週末の観光客で賑わい始めた改札を出たところで、突如として背後から、渋くてどこか温かみのある男性の声が優しくかかった。
「おや、そこのお嬢さん、お早うさんです。歩きながら急に声をかけてしもて、ちょっと失礼しまっせ」
「あ、はい。お早う御座います!えっと……私に何か御用ですか?」
都子は声をかけられた瞬間に、ボクサーの習性でスッと半身に構えながら振り返る。
すると、そこには怪しげな勧誘などではなく、犬を入れるためのお出かけ用籠を大事そうに両手で持った、40歳くらいの端正な顔立ちの、仕立ての良い藍色の作務衣を粋に着こなした男性が、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
作務衣の男性は都子の元気な挨拶に目を細めると、手に持っていた籠をゆっくりと見つめながら、楽しげにクスクスと笑声を漏らした。
「いや、用があるんは俺やないですけどね。どういうわけか、この籠の中にいる子がな、どうしてもあんたに会いたがっとるみたいで。少しだけ、この子に時間を分けてあげてくれませんやろか?」
そう言って男性がしゃがみ込み、籠をコンコースの地面にそっと置いて正面の小さな扉を開けると、その中から、モコモコとした茶色の毛並みを揺らした小さな生き物が姿を現した。
都子が以前、えらいこっちゃ嬢と初めて出会うきっかけとなった、あの愛らしい妖怪――すねこすりが、短い四肢をパタパタと動かしてトコトコと元気よくやって来たのだ。
すねこすりは都子の顔を見上げるなり、嬉しそうにキューキューと喉を鳴らし、都子の引き締まった長い脚のズボン越しに、これでもかとばかりに愛らしく身体を何度もすりすりとし始めた。
「あ、すねこすりや!また会えてごっつ嬉しいわぁ!確か、前に摩訶不思議食堂で女鬼さんが『京都のとある犬にまつわる由緒正しい神社に、ちゃんと泊めてもらってるから安心していいよ』って教えてくれはったけど……あの、もしかして、あなたがその、犬にまつわる神社の方ですか?」
都子はすねこすりを優しく撫でてやりながら、目の前の作務衣の男性を見上げて驚きの声を上げた。
男性は、都子のその鋭い察しの良さに驚いたように、一瞬だけ目を見開いたが、すぐに「がはは」と豪快に笑いながら頭を掻いた。
「なんや、お嬢さん、俺らの世界の事情を、よう知ってるやん。そや、俺は京都の奥にある犬上神社の、犬上玄蓮っちゅうもんでな、一応そこで宮司をしとるねん」
「やっぱりそうでしたか!そういう素晴らしい神社のお導きがあって、すねこすりを温かく泊めてあげてたんですね……あ、もしかして、あの人面犬さんの住処も、犬上さんの神社なんですか?」
都子が尋ねると、玄蓮が今度はけらけらと楽しそうに笑いだした。
「あははは!なんやお嬢さん、人面犬のことまで知ってたんかいな!いや、あいつはうちの神社に住み着いてはおらんよ。それにしてもあいつ、美人に『キャー!イケメン!』って言って貰おうと毎日毎日必死になっとるんやけど、まさかこんな素敵なお嬢ちゃんにまでちょっかいをかけてたってことか。神社に来よったらガツンとお説教しとかんとなぁ」
「ふふふ、でも実際に至近距離で見たら無駄に彫りが深くて、本当にイケメンやと思いますよ」
都子が屈託のない笑顔でそう褒めると、玄蓮は嬉しそうに何度も深く頷いた。
「あはは、そりゃあ良かった!あいつに直接その言葉を言ってやったら、嬉しさのあまりごっつ喜びよるし、今度あいつに会ったら、ぜひ面と向かってそう言ったってや。最高の薬になるわ」
「はい、今度会ったら絶対に伝えますね!あ、遅くなりましたが、私は都子と言います。井開都子です。井戸の『井』に、開くの『開』、そして京都の『都』に子供の『子』で、井開都子と書きます!」
都子は現世の社会人としてのマナーを思い出し、ハッとしてカバンから名刺入れを取り出そうとした。
すると、その名前を聞いた玄蓮は、名刺入れに伸ばしかけた手をピタリと止め、何かに気づいたように声を張り上げる。
「これは御丁寧にどうも、ほな、俺も神社の名刺を……って、ちょっと待ちぃな、井開都子って、どっかで見た事ある名前やな……。あ!もしかして、あの地域誌で、今ものごっつ話題になっとる、あの『妖怪コーナー』を書いてる井開都子さんかいな!?俺もな、第2回の座敷童ちゃんの記事まできっちり読んで、ごっつええ記事やと思うて大ファンなんよ!俺が出張で手伝いに行っとる神社の氏子さん達の間でも、初回の話は道具を大切にする事を伝える素晴らしい内容やからって、大評判なんや!」
「え、ええ!?宮司さん、私のあの連載を読んでくださってるんですか!?す、凄く嬉しいです!」
都子は予期せぬ現世での熱烈なファンとの遭遇に、その大きな両目をこれでもかとキラキラに輝かせて大感激した。
二人はその場でワイワイとはしゃぎながら、お互いの立派な名刺を両手で丁寧に交換し合う。
こうして、連載第3回の取材をスタートさせたばかりの都子は、すねこすりとの愛らしい再会を果たすと同時に、犬上神社の宮司にして、犬にまつわる古の高度な呪術や邪術を極めし犬神遣いである犬上玄蓮という、これ以上ないほどに心強い異能のスペシャリストとの、最高の「善き縁」を引き寄せたのであった。
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##旅立つ怪異の長旅と、公園の一触即発
二人がお互いに笑顔で丁寧な自己紹介を終えたところで、都子の足元を存分に堪能して満足したすねこすりは、自らトコトコとお出かけ用の籠の中へと大人しく戻っていった。
犬上神社の宮司である玄蓮は、慣れた手つきで籠の扉を閉めてパチンと鍵をかけると、再びその籠を自身の逞しい腕でしっかりと持ち上げる。
都子は、すねこすりが大人しく収まった籠を見つめながら、ふと思い至って妖怪博士としての深い知識を口にした。
「あの、もしかして宮司さん、これから新幹線か何かで岡山県の方へ行かれるんですか?確か、すねこすりという妖怪は、岡山の山道に現れて、歩行者の足にまとわりつく怪異だと、古い文献で読んだ事があるので」
玄蓮は都子のその博識ぶりに、今度こそ感心したように目を丸くして感嘆の声を漏らした。
「流石は妖怪コーナーの連載を持っとるプロのライターでデザイナーさんやね、ほんまによくご存じやわ。そやねん、最終的には、その伝承の通りに岡山にも行く予定なんやけどね。でもその前に、ちょいと四国にある犬にまつわる古い神社に立ち寄って大事な用事を済ませてから、それから岡山県に行って、現地にすねこすりを送り届けてから、京都へ帰って来る予定なんよ」
「そうでしたか。遠くまでの長旅、本当にお疲れ様です。では、道中お気をつけて行ってらっしゃいませ!すねこすりちゃんも元気でね!」
都子が優しく微笑みながらバイバイと手を振ると、籠の隙間からすねこすりも短い前足をパタパタと懸命に振る愛らしい仕草を見せて応えた。
「はは、すっかり相思相愛の仲良しやな。ほな、都子さんも、ええ週末を過ごしてや」
玄蓮は爽やかにそう言い残すと、籠を揺らしながら京都駅の切符売り場の方へと人混みをかき分けて歩いて行った。
朝一番から本物の怪異や、すばらしいファンと出会えて、今日の取材はものすごく幸先が良いぞと確信した都子は、そのまま足取りも軽く八条口方面の出口から京都駅の外へと元気よく飛び出した。
週末の瑞々しい朝の光を浴びながら駅前を歩いていると、都子は何やら大勢の観光客や地元の人々が、吸い寄せられるようにして同じ南東の方向へ向かってぞろぞろと歩いていくのをよく見かける事に気づいた。
その光景を眺めていた都子は、ハッと何かに気づいたように自分のスマートフォンの画面の文字を確認する。
「あ、そういえば、今日は21日、弘法さんの日やんか!」
毎月21日は、東寺の愛称で古くから広く親しまれている世界遺産の教王護国寺において、境内に無数の賑やかな出店がズラリと並ぶ伝統的な縁日、弘法市が開かれており、数え切れないほどの多くの人々が訪れる特別な日なのだ。
もしかしたら、そんなお祭り騒ぎのような活気あふれる場所に赴けば、何か新しい記事のネタになる善き出会いがあったり、あるいは大勢の人ごみに紛れて、お化けや怪異達もこっそりとお買い物を楽しんでいるかもしれない。
そんな胸が躍るような期待を膨まされた都子は、カメラのストラップを首にかけ直し、目的地を東寺へ向かって見ることにした。
ところが、目的の東寺へと続く静かな路地裏の小さな公園の近くまでやって来た、まさにその時だった。
「ギャハハ!ほら、もっと暴れろや!」「ウケるわほんま!必死すぎてマジでウケるんやけど!」
何やら下品でゲラゲラと下俗に笑う若い男女の声が、周囲の静寂を切り裂くようにして聞こえて来た。
一体何事だろうと不審に思った都子は、持ち前の機敏なフットワークで路地の角からそっと顔を出して様子を伺ってみる。
そこには、見るも無惨な悪質な光景が広がっていた。
誰かが仕掛けた罠にかかってしまったのか、古びた籠の狭い網目から、一匹の小さくて可愛らしい子猫が脱出しようと、傷つきながらも必死に身体を動かして「ミャー!ミャー!」と悲痛な悲鳴を上げて鳴いている姿があったのだ。
切ない鳴き声を響かせて怯える子猫の姿を、面白おかしくゲラゲラと指を差して笑っているのは、胸元に派手な刺繍が入った御揃いのスカジャンを乱雑に着崩した、高校生くらいの少年二人と少女一人の3人組。
金髪の少女一人に、同じく派手な金髪の少年一人、いくつもピアスをした茶髪の少年一人の合計3人は、苦しむ動物を見て楽しんでいる最悪の不良だった。
さらに公園の奥に広がる芝生の上には、本来であれば絶対に乗り上げてはいけない歩行者専用の敷地であるにもかかわらず、大きな排気音を立てて暴走してきたのであろうオートバイが2台、傍らに我が物顔で乱暴にとめられている。
「あ、この尖った長い枝、サイズが丁度ええやんけ。籠の網目の穴にすっぽり入るし、これで奥まで思いっきり突っついたろ。もっとおもろい声で鳴けや」
金髪の少年がニヤニヤと下品な笑みを浮かべ、地面から拾い上げた鋭い木の棒を持って、籠の中で震える子猫の脇腹を目がけて容赦なく差し入れようとする。
その残虐な一歩を目撃した瞬間、都子の胸の奥から、激しい怒りの炎が一気に爆発した。
「何やってんの!今すぐやめなさい!!」
ドォォォンッ!と地面を力強く蹴り飛ばし、都子は陸上競技仕込みの凄まじいスピードで一目散に走り出し、木の棒を突き出しようとしていた不良たちの目の前へ割り込むと、子猫の入った籠を背中で庇うようにしてその場に仁王立ちで立ちはだかった。
突然目の前に現れた長身のベリーショート美女に、茶髪でピアスをした少年はチッと派手に舌打ちをして、都子の顔をギロリと睨みつけながら凄みのある声で脅してきた。
「ああ?なんやこの突然しゃしゃり出てきたブス。おれらの邪魔すんなやボケ、怪我したくなかったらはよ去ねや!」
「これは立派な動物虐待やで!寄ってたかって言葉も通じない小さな子猫をいじめて楽しむとか、あんたたち一体何考えてんの!人間として恥ずかしくないんか!警察呼ばれたくなかったら、そのバイクと一緒にさっさと家に帰りや!」
都子は一切怯むことなく、鋭い眼光で3人を一喝すると同時に、ボクシングの構えでファイティングポーズをガチッとその場できれいに取る。
顎を深く引き、拳を固く握りしめて隙のないガードを固める都子の姿に、不良たちもただ事ではない気配を感じ取り、小さな公園の空気は一瞬にして一触触発の緊迫した戦闘状態と化した。
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##断ち切られた木刀と、金色の瞳を持つ猫又の怒り
都子はこれまでの人生において、公式な試合のリングに上がった経験こそ一度もなかったが、日々のジムでの過酷極まる鍛錬により、その実力はプロボクサーのA級ライセンスを持つ本物の猛者とも互角以上に渡り合えるほどの、凄まじい領域にまで到達していた。
そのため、彼女がごく自然に身構えたその腰の据わった低い重心と、一切の隙がない完璧なファイティングポーズは、まさに本物のプロボクサーそのものの風格と威圧感を放っている。
対峙する不良の少年たちも、普段から街中で喧嘩や粗暴な行為を繰り返しているがゆえの経験か、目の前のベリーショートの美女が放つただ者ではない戦闘オーラから、彼女が本物の格闘技が骨の髄まで身に付いているのだと、本能的に直感して戦慄した。
金髪の少年は、都子の鋭いステップと冷徹な眼光に気圧され、思わず顔を引きつらせながら仲間へと叫ぶ。
「おい、ちょっと待てや、こいつ、ただの女やあらへんぞ!なんか格闘技をガチでやってるかもしれへんぞ!?」
その言葉を聞いた金髪の少女は、チッと忌々しそうに口を尖らせると、背後に乗り捨ててあった派手なカスタムバイクの荷台へと素早く手を伸ばした。
「そんなもん関係あらへんわ、ほな、これ使いや!」
彼女がシートの隙間から勢いよく引き抜いたのは、ずっしりとした重みのある硬そうな木刀。
金髪少女は、それをすぐさま金髪の少年の手へと放り投げて渡した。
不良達が武器を手にしていきり立っているその僅かな隙を、都子の優れた動体視力と俊敏なフットワークが見逃すはずはなかった。
都子はすぐさま身を翻すと、足元にあった罠の籠の留め金を素早く外して放り投げ、中に閉じ込められていた子猫を両腕で優しく包み込むようにして抱きかかえる。
そのまま子猫を安全な場所へ避難させるべく一気に走り出そうとしたが、先ほどまで黙っていたピアスだらけの茶髪の少年が、素早い動きで都子の行く手を塞ぐようにして大きく両手を広げて通せんぼし、あっという間に3人に囲まれてしまう。
「カッコつけてんちゃうぞコラ!喰らえぼけえ!」
木刀を両手で握りしめた金髪の少年が、狂気に目を血走らせながら、都子の脳めがけて容赦なくその凶刃を力任せに振り下ろした。
ブンッ、という激しい風切り音が静かな公園に鳴り響く。
都子は避けるスペースがないと瞬時に判断し、抱きかかえた小さな命を何としてでも守り抜くため、自身の顔の前に腕を上げてガードを固め、子猫を必死で腹の底に隠してガードした。
骨が砕けるほどの強烈な衝撃を覚悟した、まさにその次の瞬間……。
振り下ろされたはずの木刀の鋭い一撃は、なぜか都子の腕に触れる直前で、スカっと完全に手ごたえを失っていた。
それと同時に、カランカラン、カランカラン、と乾いた音を立てて、何かが地面の石畳の上を虚しく転がっていく音が響く。
都子が恐る恐る目を開けると、少年の両手に握られていたはずの木刀は、根本から少し先の部分が、刃物で一刀両断されたかのように綺麗に切断されており、切り離された先の残骸が公園の地面に落ちていたのだ。
一体何が起きたのか、一瞬の間に目の前で展開された異常事態に、意味不明で何事か全く分からないという感じで、都子と不良3人は完全に呆気にとられて、その場に立ち尽くした。
沈黙に包まれた公園の中で、都子の腕の中にいた子猫が、危機を脱した安心からか、ミャーと小さく鳴いて、地面におりたがっているようにジタバタと必死に動き始めた。
都子はハッと我に返ると、腕の力を緩めて優しく地面に下ろしてやりながら声をかける。
「ほら、今のうちに安全な場所へ逃げや!」
子猫を優しく逃がしてあげると、子猫はタタタッと小さな四肢を懸命に動かして一直線に走って行き、いつの間にそこにいたのか、木刀を持っていた金髪少年から少し離れた場所にいる人物の足元へと辿り着いた。
子猫が必死に走っていったその先には、燃えるような鮮やかな赤い着物を粋に着こなした長身の美女が一人。
艶やかな黒いボブカットの髪の間から、ピコピコと愛らしく動く三角形の猫耳をはやし、背後には不思議な形をした二又の猫の尻尾をゆらゆらと携えた、超が付くほどの圧倒的な着物美人が凛とした姿で立っている。
その美女は、自分の足元へと必死に駆け寄って来た小さな子猫を、長い指先でそっと拾い上げると、愛おしそうにその胸元で優しく抱いて「もう大丈夫やで」と何度も何度も毛並みを撫でていた。
その非現実的でありながら息を呑むほどに美しい光景を目撃し、唖然としていた金髪の少女は、引きつった声を絞り出した。
「……え、何あいつ?どっかのアニメのコスプレ?なんで猫の耳が動いてんのよ……」
金髪少女は怪異の放つ本物の妖気に気づくこともできず、ただただ呆気にとられて呟く。
しかし、妖怪の知識を誰よりも深く持つ都子は、その二又に分かれた立派な尻尾と、衣服から漂う圧倒的な境界の妖気を感じ取り、驚きにその大きな両眼を限界まで見開いた。
「あ、もしかして、あなたのそのお姿……猫又、本物の猫又さんですか!?」
都子の驚きに満ちた問いかけに対し、子猫を愛おしそうに抱いた長身の着物美人は、ふっとその美しい口元を和らげ、妖艶な笑みを浮かべた。
「ふふ、さすがは現世の妖怪博士ちゃんやねぇ。女鬼ちゃんから聞いた通りやな。ウチの事も、初対面で一目で猫又やと見破るとは、大した真眼の持ち主やわ」
猫又は優しく微笑み、都子の行動に感謝するような温かい眼差しを向けた。
しかし、その温和な空気は、次の瞬間に一瞬で凍りつくこととなった。
猫又の細められていた鋭い猫の目が、一転して冷酷な金色の瞳をらんらんとぎらつかせ、悪ガキ少年少女3人の姿を真っ正面から鋭く見据えると。
その底知れない捕食者のような圧倒的な眼光を浴びせられた不良3人は、背筋に強烈な悪寒が走り、金縛りに遭ったかのようにその場でピきりと全身を固まらせてしまう。
猫又は、先ほどまでの優しい大和撫子のような声とは打って変わって、地の底から響くような、低くどすの効いた凄まじい威圧感のある声でゆっくりと語りかけた。
「おい、ウチの大事な可愛いもんが、随分と世話になったのう、クソガキ共。こんな細い路地裏の公園に悪質な罠なんか仕掛けて捕まえて、あまつさえ、罪のない小さな命を木の棒で痛めつけようとは。きさんら、ほんまにええ度胸しとるやんけ」
一歩、また一歩と、赤い着物を揺らしながら近寄ってくる猫又の放つ絶対的な恐怖のオーラに、不良たちは声も出せない。
「きさんら、その格好からして暴走族やろ?そんで、自分らは喧嘩がめちゃくちゃ強いと思い込んどるみたいやし、毎日毎日喧嘩がしたくてしゃーない真っ盛りのお年頃なんやろ?ほら、そんなに暴れたいんやったら、今ここでウチがきさんらの気が済むまで、いくらでも相手になって喧嘩したるぞ?武器でもバイクでも何でも使って、かかってこいや、あ?」
猫又は、小さな子猫を左の肩に乗せ、空いた右手をスッと虚空へと高く掲げた。
すると、その美しく白い指先から、大木をも一瞬で引き裂くような、細く鋭い5本の猫の爪が、シャキィィィンと恐ろしい音を立てて長く伸び、朝の光を浴びてギラギラと冷たく光り輝いた。
先ほど少年が持っていた木刀を一瞬で真っ二つに切り裂いた正体が、この美しくも恐ろしい猫の爪の斬撃であったことを、その場で理解した少年少女達は、あまりの規格外の恐怖を前にして脳の思考が完全に停止する。
「ひ、ひえぇぇぇ!?」
3人は情けない悲鳴を同時に上げながら、真っ青に染まった顔でガタガタと全身を激しく震えあがらせ、その場から一歩も動くことが出来なくなっていた。
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##畏怖の鋭爪と、弘法市への誘い
恐怖のあまりガタガタと震えあがる少年少女に向かって、鮮やかな赤い着物を美しく揺らしながら、猫又はさらに威圧感を増してドスドスと一歩前へ進み出た。
圧倒的な捕食者の気配を間近に感じた悪ガキ3人は、まるで冷たい氷水を背中に流し込まれたかのように顔面を蒼白にさせ、引きつった悲鳴を喉に詰まらせながら揃って一歩後退りする。
緊迫した沈黙に耐えかねたのか、あろうことか金髪の少女が、保身のために震える声を絞り出して、見苦しい言い訳をしてしまう。
「あ、あの、その、まさかその子があなた様の飼い猫やって、ウチら本当に知らんくて……ほら、首輪も何もしてへんし、ただの小汚い野良猫かと思うて、ちょっとからかってただけで……」
その身勝手極まりない言い訳が、猫又の逆鱗に更に激しく触れることとなった。
「飼い猫やろうが野良猫やろうが、命ある生き物に対してそんな非道な事はそもそもやったらあかんやろが!このクソガキ共がぁ!!命の重さも分からんような半端者はウチがここで今すぐその腐り切った根性しゃーき上げたんぞゴルァア!!」
静かな公園の空気を激しく振動させるほどの、凄まじい地鳴りのような怒鳴り声がドゴォォォンと力強く響き渡る。
その人間離れした大音量とあまりの恐ろしさに完全に、精神を叩き折られた悪ガキ3人は、脳から直接「逆らえば殺される」という最悪の信号を受け取り、地面に激しく五体を投げ出した。
「ひいぃぃぃ!?ご、ごめんなさい、ごめんなさいー!!」
彼らは額を激しくアスファルトに打ち付け、ドスッドスッと物凄い勢いで土下座の姿勢をとる。
それからというもの、怒り心頭の猫又による、背筋が凍るような容赦のないお説教の大嵐が吹き荒れた。
罪のない子猫を罠にかけていじめた非道さだけでなく、自分たちの非を棚に上げて、止めに入った丸腰の都子に対して木刀という凶器を持って暴力を振るおうとした卑劣極まりない行為についても、猫又は鋭い爪をぎらつかせながら徹底的に叱りつけた。
完全に縮み上がった3人は、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、今度は都子と子猫の方へと向き直って必死に頭を地面にこすりつける。
「「「も、本当に申し訳ありませんでしたー!!」」」
「はぁ……。まあ、流石に本物の猫又さんから、ここまで徹底的に叱り飛ばされたら、骨の髄までしっかり反省するかな」
都子は構えていた拳をゆっくりと下ろし、呆れ返った様子でハァと大きなため息をついた。
都子のその言葉を聞いた悪ガキ3人は、許してもらえる好機とばかりに、涙目で何度も激しく頷く。
「「「はい!死ぬほど反省してます!もう二度と動物いじめも暴力もやりません!」」」
彼らはそう叫ぶなり、這うような勢いで立ち上がり、芝生の上に放置されていた派手な2台のバイクにそれぞれ大慌てで飛び乗ると、セルモーターをギャリギャリと爆音で回して一目散に公園を後にし、現世の喧騒へと逃げ去って行った。
「あ、しもたなぁ。公園の歩行者天国にバイクで無理やり乗り上げた不届きな行為についても、きっちり叱っとかなあかんかったのに。でもまあ、あの怯え方なら、もう二度とこんな悪い事はやらへんやろ」
都子は去っていった暴走族の後ろ姿を見送って苦笑いすると、バイクの重たいタイヤで無残に荒らされてボコボコになってしまった地面を修復するため、近くの物置小屋の壁に立てかけてあったグラウンド用の大きな木のトンボを手に取った。
シャッ、シャッ、と陸上競技の部活動時代を思い出すような手慣れた見事な手つきでトンボを動かし、デコボコになった黒い土の地面を、プロの職人のように綺麗に平らな状態へと整えていく。
都子が気持ちの良い汗を流しながら作業をすべて終えて振り返ると、赤い着物の猫又は、いつの間にか鋭い指先の爪を綺麗にしまい、頭の猫耳と背後の二又の尻尾も、現世の人間には見えないようにすうっと引っ込めて元の美しい姿に戻っていた。
そして、足元でミャーミャーと嬉しそうに甘える子猫に向かってしゃがみ込み、「もう怖いアホ共はいなくなったから安心しぃや」と、何やら楽しげに内緒話を語りかけるようにして話をして教えていた。
子猫が満足したように茂みの奥へと元気に駆けていくのを見届けると、都子はトンボを元の場所へ戻し、凛とした立ち姿の猫又に向かってゆっくりと近づいていく。
「あの、先ほどは木刀を爪撃で見事に切り落としてくれはりましたよね。助けて下さって、本当に有難う御座います」
都子は背筋をピシッと伸ばし、現世の礼儀正しい社会人として、そして怪異への深い敬意を込めて深く頭を下げた。
都子のその真っ直ぐな謝意を受け、猫又はその妖艶な口元をふんわりと和らげ、どこまでも優しく微笑んだ。
「いやいや、頭を上げておくれやす、お嬢ちゃん。そもそもウチの大事な仲間である子を、我が身を盾にしてまで真っ先に助けてくれたんは、他でもない御嬢ちゃんの方やんか。本当に有難うなあ。御嬢ちゃんのその勇敢で優しい心根のおかげで、あの子も怪我一つなく無事でいられて何よりやわ」
猫又は赤い袖を上品に揺らしながら、都子を満足そうに見つめると、さらにその金色の瞳を優しく輝かせた。
「せっかくの素晴らしい出会いやし、ウチの可愛い仲間を救ってくれた御礼を是非ともさせてえな。ちょうど今日は21日やから、東寺の境内で賑やかな弘法さんが盛大に開かれとるし、ウチが屋台の美味いもんを何でも好きなだけ御馳走させてもらうで」
猫又はそう言って、都子の手を引くようにして楽しげな足取りで歩き出す。
「わぁ、本当ですか!?有難う御座います!それでは、お言葉に甘えて、美味しいお祭りの屋台飯に付いて行かせてもらいます!」
都子は最高の笑顔を浮かべ、カメラをカバンに仕舞い直すと、第3回の連載に向けた最高の取材の機会と、新しい怪異との素晴らしい出会いに胸を躍らせながら、赤い着物の背中を追って元気よく付いて行くのであった。
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##魔所に佇む怪異の屋台と、小豆が紡ぐほっこりカステラ
先ほどまでの騒がしさが嘘のように静まり返った公園を後にし、都子と猫又は、細い路地裏を小走りのような軽快なフットワークで通り抜けていく。
そのまま視界がパッと開けた大きな大宮通の横断歩道を渡ると、そこには朝からの熱気に包まれた世界遺産・東寺の広大な境内が目の前に広がっていた。
弘法市の特別な日である21日の境内は、色とりどりの暖簾を掲げた無数の屋台がズラリと軒を連ね、全国から集まった大勢の観光客や地元の人々でザワザワ、ガヤガヤと信じられないほどの賑わいを見せている。
そんな活気あふれる喧騒の中を、長身の猫又と都子は並んで歩き、神聖な境内の少し奥まった方向へと進んでいく。
都子は歩きながら、周囲の地形や古い木々の配置を真眼で観察し、ふと脳内にある京都の古い伝承の引き出しを開けて、隣を歩く猫又へと目を輝かせながら尋ねた。
「あの、猫又さん。確か古い文献によると、ここ東寺の東北角の敷地には、かつて『猫の曲がり』と呼ばれている不思議な場所があって、そこには非常にディープな猫又伝説が残されていましたよね。お寺の辻の形状が猫の尻尾のように曲がっているからそう呼ばれたとか、色々な説がありますけど……。ということは、もしかして猫又さんは、その伝説に登場する由緒正しい東寺の猫又さんと言う事ですか?」
都子のあまりにも専門的で淀みのない質問を聞いた猫又は、驚きを通り越して嬉しそうにその美しいお顔を綻ばせると、鈴を転がすような声でコロコロと楽しげに笑い声を上げた。
「ふふ、いやはや、ほんまによう知ってるやんか。御嬢ちゃんのその妖怪博士っぷりには、ウチも本当に驚かされてばかりやわ。その通りや、ウチは昔からこの東寺の『猫の曲がり』の闇に棲みついておる、本物の猫又や。昔はな、この辺りは強い妖気が渦巻く恐ろしい『魔所』として、現世の人間どもからは夜な夜なひどく忌み嫌われて、近寄られもしなかった場所なんやけどねぇ。でも、時代の流れというのは摩訶不思議なもんで、現代においては、そんな古い歴史を正しく知るもんも、もうほとんどおらへんのちゃうやろか」
猫又は少しだけ懐かしむように目を細めながら、かつて魔所と呼ばれた境内の薄暗い一角へと都子を優しく誘う。
賑やかな大通りの屋台街から少し外れた、かつて魔所と呼ばれていたその静かな木陰のエリアまでやって来ると、驚いたことに、そこにもひっそりと一軒の古風な屋台がポツンと店を構えていた。
その屋台の年季の入った赤提灯には、力強い筆文字で「餡子入り鈴カステラ」とはっきりと書かれており、周囲には小豆をじっくりと炊き上げた時の、何とも言えず甘くて香ばしい極上の香りがふんわりと漂っている。
都子はその周囲の空間だけ、現世の喧騒から切り離されたかのような不思議に濃密な妖気が漂っていることにすぐさま気がついた。
都子はハッと息を呑むと、屋台の構造と漂う気配を凝視しながら、弾んだ声で鋭く指摘した。
「魔所に温かい屋台があるなんて……あ!もしかしてここって、現世の人間用やなくて、怪異御用達の場所、あるいは怪異そのものが直々に営業している特別な屋台ってことですか!?」
都子のその天才的な察しの良さに、猫又は我が意を得たりとばかりに、パチンと艶やかに指先を鳴らして微笑んだ。
「大正解や。やっぱり御嬢ちゃんの眼は真実を観る真眼やねえ。ほな、ウチを助けてくれた最高の御礼や。ここの屋台特製、めちゃくちゃ美味しい餡子入り鈴カステラ、ウチの奢りやから好きなだけお腹いっぱいに食べて行きよし」
猫又はそう言って、着物の袖から現代的なスマートフォンを流れるような動作で取り出すと、屋台のカウンターの端に置かれた「御勘定」と書かれた最新のQRコードへと迷いなく翳した。
都子は猫又のどこまでも粋な計らいに、満面の笑みを浮かべて元気よく頭を下げた。
「わぁ、有難う御座います、お言葉に甘えて御馳走様です!ほな、私はこちらの持ち歩きにもぴったりな、可愛い3つ入りを頂きますね。今日はお天気もええし、この後の大事な連載の取材で京都の街をまだまだたくさん歩き回る予定ですから、あんまり食べ過ぎてお腹が苦しくなって動けんようになったらあかんので、このサイズが私にとっては今一番丁度ええサイズなんです!」
都子が楽しそうに笑いながら注文を伝えると、猫又の持ったスマートフォンから、ピピッ、と小気味よい「毎度ありー」と言うどこか聞き覚えのある電子音が境内に爽快に鳴り響いた。
すると、屋台のカウンターの奥で忙しそうに立ち働いていた、現世のどこにでもいるような、仲の良さそうなお爺さんとお婆さんらしき優しげな二人が、顔を見合わせてにっこりと微笑む。
二人は手際よく焼き台から焼き上がったばかりの、特製の温かい餡子をたっぷりと中に閉じ込めた黄金色のカステラをコロンと取り出すと、丁寧に油紙の袋へと収めてくれた。
「はい、お待たせしました。焼き立て熱々の3つ入った鈴カステラ、どうぞ召し上がってくださいな」
お婆さんから、その温かい紙袋を手渡された都子は、袋から立ち上る、へその奥がキュッとなるほどに芳醇な小豆の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
都子はその圧倒的な小豆の香りの質の高さと、屋台の奥に佇む二人の人間の皮を被った怪異達の真の姿を真眼でしっかりと見通し、その大きな両目をこれ以上ないほどに限界まで輝かせた。
「この尋常じゃないほどに素晴らしい餡子の香り、そしてこの空間の妖気の波長……あ!もしかしてあなた方って、小豆洗いさんと、それに小豆婆さんですか!?」
都子が興奮のあまり身を乗り出して尋ねると、人間の爺さんの姿に化けていた老人は、驚いたように一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにカカカと豪快に笑い声を上げる。
小豆洗いは、化けていた頭をポリポリと掻きながら、都子に向かって楽しそうに白い歯を見せて笑った。
「ははは!いやあ、参ったなぁ、一瞬であっさりとばれてもうたかいな。そや、小豆洗いと小豆婆さんやで。今日はこうして現世の弘法市で商売をするために、人間の爺さんと婆さんの格好に化けてるけどな。儂とは一回、摩訶不思議食堂で会うてるとはいえ、まさかこの姿でも御嬢ちゃんに、儂らの正体を見破られる日が来るとは思わなんだわ」
すると、その隣で優しく微笑んでいた小豆婆さんも、着物の袖で口元を隠しながら、都子のベリーショートの髪や健康的な姿を愛おしそうに見つめてクスクスと笑声を響かせる。
「ふふふ、本当に小豆洗いさんの言う通りやねぇ。でも、この真っ直ぐで気持ちのええ御嬢ちゃんが、小豆洗いさんと、吹き消し婆さんが『ものごっつ可愛らしくて妖怪愛の深い、素晴らしい御嬢ちゃんがおるんや』って嬉しそうに言うてはった、あの噂の都子ちゃんやね。お顔を見たらすぐに分かったわぁ。ほんまに、お話に聞いていた通りの温かくて優しい御祖母ちゃんっ子って感じが、全身から溢れ出てて素敵わあ」
「吹き消し婆さんや小豆洗いさんともお友達やったんですね!怪異の世界の繋がりって本当にすごくて素敵やなぁ……。あ、焼き立ての鈴カステラ、本当に有難う御座います、早速頂きます!」
都子は嬉しそうに声を弾ませると、紙袋の中からまだ火傷しそうなほどに温かい、コロンと丸い鈴カステラを指先で1つつまみ上げ、大きなお口を開けてパクッと一口で豪快に頬張った。
サクッ、ふわぁ、と口の中で香ばしい生地が心地よい効果音を立てて弾けると、中から丁寧に練り上げられた極上の餡子の贅沢な甘みが、口いっぱいに優しく広がっていく。
その餡子は、ほんのりとした上品な甘さで全くしつこくなく、小豆本来の豊かな風味がこれでもかと活かされた、まさに五臓六腑にしみわたるような、およそ現世の技術では到底辿り着けないほどにとても美味しい餡子入り鈴カステラであった。
あまりの美味しさと温かさに、都子は胸の奥からじわぁっと「ほっこり」とした温かい幸福感に包まれ、これ以上ないほどの極上の笑顔を咲かせる。
都子のその裏表のない見事な食べっぷりと最高の笑顔を真っ正面から見た小豆洗いは、我が事のように嬉しそうに胸を張り、顔のシワを深くしてワハハと満足そうに笑った。
「ガハハ!それだけ勢いよく、美味そうに食べてくれたら、儂らとしても職人冥利に尽きるってもんやで!ええ食べっぷりで、本当にええ顔をして食べはる。やっぱり儂らの小豆を使ったお菓子は、あんたみたいに物凄く美味しそうに食べてくれる人に食べてもらうのが、一番作り甲斐があるってもんやわ」
「本当に美味しいです!疲れが一気に吹き飛びました!」
都子はカステラをモグモグと噛み締めながら、隣で満足そうに微笑む長身の猫又や、温かい目で見守ってくれる小豆洗い、小豆婆さんたちに囲まれながら、現世の喧騒を忘れて、まるで夢の中にいるかのような至福の時間を心の底から味わうのであった。
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##羅城門の残り香と、次なる取材への跳躍
最高の焼き立てカステラを頬張り、怪異たちとの楽しい談笑のひとときを心ゆくまで終えた後のこと。
ふと小豆婆さんが、都子の首から下げられた現世の立派なカメラや、手に持った新品のメモ帳に目を留め、「今日は東寺の弘法市をのんびり地元観光でもしてるんかね?」と優しく問いかけてきた。
その問いかけに対し、都子は髪を誇らしげに揺らし、待ってましたとばかりに胸を張って満面の笑みを浮かべる。
「実は私、少し前から京都の地域誌で新しく出来た妖怪コーナーの連載を担当させてもろてまして、今日は観光も兼ねて、そのための記念すべき第3回の取材活動の真っ最中なんですよ!」
「へぇ、現世の人間でありながら、ウチら怪異を真っ正面から取材するんかいな。それはまた、何とも新しくておもろい試みを始めはったんやねぇ」
猫又は長い煙管をくゆらせるような妖艶な仕草で、都子の溢れんばかりの情熱的な瞳を見つめてコロコロと楽しげに笑う。
「そうなんですよ!記念すべき連載の第1回は、あの唐笠お化けさんと、第2回は私が子供の頃に一緒にたくさん遊んだワラシちゃん……座敷童ちゃんを題材にして大満足の記事を書いたんやけど、次は誰をメインに据えようかなって、昨日までオフィスのデスクでうーんっと悩み倒してて。今朝、駅で会ったすねこすりちゃんは、宮司さんと一緒に岡山へ帰ってしもたし、もしよろしければ、ここにいらっしゃる猫又さんと小豆洗いさん、小豆婆さんの御三方を、次の回に見開き2ページで大々的に登場してもろてもいいですか!?」
都子は鼻をフンスと鳴らしながら、本物の怪異たちに向けて直々に熱烈な出演打診を切り出した。
都子のその勢いに圧倒されながらも、猫又は細長い金色の瞳をさらに妖しく輝かせ、ニヤリと意味深な笑みをその美しい顔に浮かべた。
「ウチらのことを描いてくれるっちゅうのは、それはそれでおもろそうやし、大変に光栄な話やけどねぇ。でも、せっかく真眼を持って京都の街を歩き回っとるんやから、もっとあちこちの歴史ある場所を見て回ってから決めても遅うないんとちゃう?そやなあ、せっかくの機会やし、ウチから一つごっつええヒントをあげよか。ここから少し西へ進んだ場所に、『羅城門跡地』と呼ばれる古い歴史の残る場所があるって言うたら、妖怪博士の御嬢ちゃんなら、何が言いたいか、すぐにピンとくるんとちゃう?」
「え?あ、そういえば確かに、この東寺から九条通を西へ進んだら、平安京の正門だった羅城門の……あ!」
猫又が紡いだその歴史的な地名を聞いた瞬間、都子の脳裏に稲妻のような強烈な閃きがズバァンと走り抜けた。
羅城門。
それは、古くから異界との境界として数々の恐ろしい伝承が残る場所であり、かつて平安の世、ここを根城に夜な夜な不気味な暗雲を呼び寄せ、恐ろしい鬼が住み着いて都を恐怖に陥れたという、伝説の舞台そのものである。
そしてその鬼は、源氏の武士である源頼光や、その臣下である渡辺綱をはじめとした頼光四天王と凄まじい死闘を繰り広げ、その腕を切り落とされたという、あまりにも高名な、あの伝説の巨大な鬼。
「もしかして……あの伝説の羅生門の鬼が、今でもあの跡地の周辺に潜んでいるんですか!?ああ、そういえば摩訶不思議食堂で会った、あの女鬼ちゃんも立派な鬼の怪異なんやから、きっと何かつながりのあるお仲間が、今でもそこにいてはるに違いないわ!」
都子は未知の強大な怪異の存在を察知し、恐怖するどころか、まるで好敵手を目の前にしたプロボクサーのように、その両目をこれでもかとキラキラに輝かせて興奮を爆発させた。
「猫又さん、最高の情報を本当に有難う御座います!次の記事の方向性が一気に見えてきました、早速その跡地へ向かってみます!カステラも最高に美味しかったです、御馳走様でした!また絶対にここへ会いに来ますから、それじゃあまた!」
都子は油紙の袋に残されていた最後の一個の鈴カステラを愛おしそうに口へと放り込み、その極上の甘みを舌の上でしっかりと味わって食べるや否や、カメラをしっかりと握りしめて、西の羅城門跡地が眠る方向へと向かって、陸上競技仕込みの見事なハイペースで颯爽と歩き始めた。
「はいよ、怪我だけはせんように、十分に気をつけてなー!」
赤い着物の袖を大きく揺らしながら猫又は、風のように去っていく都子の後ろ姿を、どこまでも優しく手を振って見送る。
すると、美味しい香りにつられたのか、先程助けた子猫がやって来て、猫又が子猫を抱き上げて肩の上に乗せてあげると、都子への感謝を伝えるように「にゃー」と可愛らしい声を響かせて鳴いていた。
それを見届けていた小豆洗いが、カカカと愉快そうに笑い声を上げた。
「いやはや、本当に嵐のように元気な子やなぁ。あの何事にも物怖じせんと真っ直ぐに突き進んでいく活発なところは、いっつも元気いっぱいなえらいこっちゃんを思い出すのう」
老怪異がそう言って目を細めた直後、屋台の極上の香りに引き寄せられた現世の観光客の家族連れが「すみません、カステラください!」とやって来たため、小豆洗いは手際よく「はいよ!毎度いらっしゃい!」と威勢の良い声で、人間の爺さんとしての接し方を始め、小豆婆さんと共に大忙しで接客を始めるのだった。
残された猫又は、都子が力強く踏み出していった西の空の彼方を見つめながら、煙管をそっと懐へと仕舞い込んだ。
「ふふ、ほんまやねぇ。さてさて、あの豪快な羅生門はんは、あんなに真っ直ぐで面白いお嬢ちゃんを目の前にして、一体どんな驚いた顔をしはるやろか。今からちょっと見物やわぁ」
猫又はそう呟くと、コロコロと鈴を転がすような妖艶な笑い声を境内の木陰に響かせ、都子がこれから巻き起こすであろう次なる異界の奇跡を楽しみにしながら、そっと夜の闇へとその身を溶かしていくのであった。
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##立ち塞がる不穏な結界と、背後に現れた巨躯の大男
猫又から授かった魅力的な歴史のヒントを胸に抱き、都子は九条通に沿ってぐんぐんと西へ向かって歩き続け、ついに目的の場所である羅城門跡地へとやって来た。
現在は小さな児童公園の片隅にひっそりと佇むその場所で、かつて平安京の栄華を象徴していた正門跡を示す古びた石碑を見つけると、都子はすかさず首に下げたカメラを構えてパシャパシャと様々な角度から写真を撮り、持参したメモ帳へと伝承の記録を熱心に書き留めていく。
しかし、期待に胸を膨らませて周囲の空間を真眼でどれだけ注意深く見回してみても、それらしき強大な鬼の姿や妖気の残滓は見当たらず、辺りにはのどかな静寂が広がっているだけだった。
「まあ、考えてみたら、猫又さんかてあちこち自由に動き回ってはった感じやし、あの小豆洗いさんも小豆婆さんも、川にとどまって小豆を洗うてるわけやなくて、現世の弘法市で楽しそうに屋台営業したりしてはるもんね。怪異やからって、ずーっと同じ場所に四六時中縛り付けられているわけやないもんな」
都子は一人で深く納得すると、流石に伝説の鬼もここにずっと年中無休で住んでいるわけでもないのかと思い直し、カメラをカバンに収めながら、とりあえず次の取材目的地をどうしようかとあれこれ考え始めるのだった。
時計の針がカチッと進み、お腹の虫がグーと鳴る丁度昼食の時間となったため、都子は具体的な作戦を練り直すべく一旦は賑やかな京都駅へと戻って来た。
その際に駅の近くの稲荷神社の前を通りかかった都子は、朱色の美しい鳥居を見つめながら、ある素敵な名案を思いつく。
「あ、そうや!今日はまだお狐様にご挨拶をしてへんかったわ。よし、お昼ご飯を食べ終えたら、猫又さんとの御縁を下さったお礼も兼ねて、美味しい油揚げをたくさん御供えにここへ戻って来よう!」
そう心に決めた都子は、そのまま京都駅ビルの中へと入り、中に入っているお洒落な喫茶店へと足を運んで、サンドイッチと冷たいアイス珈琲の軽食を美味しそうにパクパクと食べて腹を満たした。
一息ついた後、お会計を済ませて駅ビルを出た都子は、すぐ駅南にある大型のショッピングモールへと立ち寄り、食品売り場で大ぶりで実に見事なキツネ色の油揚げを奮発して買い求めると、それを大切にカバンに仕舞って、いよいよ先ほどの稲荷神社へと向かって歩みを進めた。
ところが、目的の稲荷神社のすぐ近くまでやって来ると、都子の全身の肌にゾクゾクッと奇妙な激しい悪寒が走り抜けた。
さらに都子の目には、周囲を歩いている他の大勢の観光客や地元の人々が、何故かこの稲荷神社の存在そのものが見えていないかのように、一様に視線を逸らして不自然なほどに素通りしていく奇妙な光景が映し出される。
駅のすぐ近くで、世界遺産の東寺からも非常に近い立地であるため、弘法市のついでに立ち寄るにはこれ以上ないほどうってつけの由緒正しい神社であるはずなのに、誰も見向きもしないのはどう考えても異常だ。
都子は不思議に思いながらも、とりあえずお供えをするために一歩踏み出して朱色の鳥居をくぐろうとしたが、その瞬間……。
都子の脳裏に何故か「これ以上は中に入ってはいけない」という強烈な危険信号がビシビシと走り、金縛りに遭ったかのように足がピタリと止まって前へと進まなくなってしまう。
神社仏閣への参拝が大好きで、街のいたるところにある小さなお地蔵さんを見つけては足を止め、優しく手を合わせて拝む習慣がしっかりと身についている都子にとって、このように神社が自分を拒絶してくるような恐ろしい感覚は生まれて初めての経験である。
これは何か普通ではないおかしい事態が起きているという、鋭い直感が警報を鳴らし働く。
そうして、都子が立ちすくんでいると……。
「――なんや、御嬢ちゃん。そんなところで怪訝な顔して突っ立って、一体どないしたんや。大丈夫け?」
突如として、都子の頭上から、地鳴りのように低く太い地響きのような大男の声が降ってきた。
あまりの至近距離からの気配の出現に、都子は心臓をドクンと激しく弾ませ、ボクサーの防衛本能でサッと顎を引いて身を翻しながら勢いよく後ろを振り向くと。
そこに立っていた人物の、あまりの圧倒的なビジュアルを前にして、都子は思わず息を呑んだ。
振り返った都子の視線の先にいたのは、長ズボンのポケットに両手を無造作に突っ込んだままで、大木のように太い筋肉質な腕を剥き出しにし、着ているTシャツがはちきれんばかりなごつい鋼鉄の如き筋肉の塊という表現がぴったりの凄まじい胸板を持つ、身長がゆうに2メートルを超える規格外の超大男。
その男の背後からは、現世の人間を遥かに超越した、嵐のように凄まじい「陰」の妖気がゴォォォと音を立てて渦巻いており、都子は目の前の大男の正体が、ただの人間ではないことに瞬時に気がついた。
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##稲荷神社の不穏な結界と、闇に轟く羅生門の笑声
あまりにも規格外な大男の威圧感と、その背後から立ち上る濃厚な妖気の渦に完全に圧倒されながらも、都子はゴクリと固唾を呑んで、カバンの中の油揚げの袋をそっと守るように抱え直した。
「あ、いえ、その……不審者とかそういうのやなくて、お昼ご飯を食べた後に、ここのお狐様に美味しい油揚げを御供えしようと思ったんですけど……。なぜか急に鳥居の前で足が動かんようになってしもて」
想定外の事態に、妖怪博士としての冷静さを一瞬失った都子は、大きな男の胸板を見上げたまま、珍しく細い声を震わせて口ごもっている。
すると、2メートルを超える巨躯の大男は、都子のカバンから漂う油揚げの香ばしい匂いに鼻をピクつかせると、岩を打ち鳴らすような地鳴りのごとき声で、がっはははと豪快に笑い飛ばした。
「おう、そりゃあなんとも殊勝な心掛けやんけ、御嬢ちゃん!ちょうど今はな、この境内の奥に本物の気狐もおるから、そんな美味そうなもんを持ってきたって知ったら、あいつはごっつ喜びよるで!」
「え?」
あまりにもフランクで温かみのある関西弁の響きに、都子は驚きのあまりその大きな両目をぱちくりとさせて呆然と立ち尽くした。
大男はポケットに手を突っ込んだまま、鳥居の奥に広がる目に見えない怪異の波動を鋭い眼光で睨みつけると、感心したように都子を見て不敵な笑みを浮かべた。
「それにしても……へえ、現世の普通の人間には見えん強力な結界が、これほどガッチリ張られてんのに、その異変を本能的に認識出来て、無理に入ろうとせんと、かといって立ち去ろうとはせえへんで踏みとどまれる程、御嬢ちゃんはなかなかに肝が据わっとるとはのう。気に入ったで、その度胸!よっしゃ、そこまでして油揚げを御供えしたかったら、俺の背中から絶対に離れんとぴったり着いといで!」
男はそう言い放つと、常人なら精神をへし折られるほどの不穏な結界の障壁を、まるで目に見えない蜘蛛の巣でも払うかの如く、何事も無いように凄まじい風格で颯爽と朱色の鳥居をくぐり抜けて行く。
都子もその圧倒的な背中に導かれるようにして、遅れてなるものかと、慌てて後ろにぴったりと着いて境内へと足を踏み入れた。
一歩鳥居の内側へと潜り込んだその瞬間、周囲の空気がキィィィンと耳鳴りを伴って一変し、都子の目の前には、この世のものとは思えない異様な光景が広がっていた。
外は大勢の参拝客でごった返す真昼間の、しかも最高の観光日和である土曜日の神社だというのに、結界の内部には現世の観光客の姿など一人もおらず、しんと静まり返った不気味な空間が広がっている。
そして、境内の石畳の上で腰を抜かし、涙目で情けない悲鳴を上げながら尻餅をついているのは、なんと先ほど公園で猫又に散々叱り飛ばされたはずの、あの御揃いのスカジャンを着た悪ガキ3人組であった。
そんな彼らの退路を断つようにして、鳥居の幅くらいはありそうな、おぞましい長髪を四方に振り乱した巨大な顔だけの怪異が、地面すれすれに不気味に浮かびながら、外へ出られないように通せんぼして壁の如く立ちはだかっている。
ズズズ……と低い呪詛のような音を響かせる顔の怪異。
更にその奥には、悪ガキ3人組を挟み撃ちにするようにして、ふよふよと空中に浮いている、雪のように白くて綺麗な毛並みを携えた、神聖な狐の怪異が、その額辺りに怒りマークの青筋を何本もバリバリと立てて激しく威嚇していた。
「――シューッ!キシャァァァ!」「ウウゥゥ……!」
まさに一触触発の恐ろしい雰囲気が境内に張り詰める中、新参者の足音を察知した顔の怪異と狐の怪異が、「なんや、誰や、この神聖な結界を破って入ってきた不届き者は!?」と、警戒の眼光を剥き出しにして一斉に大男と都子の方を振り返った。
しかし、怪異達の姿を認めるや否や、男は「おうおう、我を忘れてえらい熱心にやっとんのう!」と豪快に笑いながら、まるで近所の知り合いにでも会ったかのように片手をひょいと上げて気さくに挨拶した。
すると、その瞬間、境内の空気が一気に弛緩した。
「ええっ!?羅生門の兄貴ぃ!?」
鳥居を塞いでいた髪の長い大顔のお化けは、顔いっぱいに広がっていた怒りマークの青筋がみるみるうちに綺麗に消え去り、顎が外れんばかりの驚愕の表情へと変化した。
「ら、羅生門はん!?なんでここに!?」
さらに、向こう側でふよふよと浮いていた白い狐の怪異も、その神聖な耳をピクピクと激しく動かしながら、驚きの声を上げて空中を激しく上下に揺れる。
「え、えええっ!?羅生門って……今、羅生門の兄貴って言いました!?ということは、あなたは平安時代に京都の街で縦横無尽に活躍したという、あの歴史の教科書にも載っている程の伝説の鬼で、さっき猫又さんが言ってた羅城門の跡地に住み着いてたって言う、あの本物の羅生門の鬼ですか!?!?」
都子は今朝からの怒涛の怪異連鎖に、本日一番の驚きの声を上げてその場に飛び上がった。
自らの正体を完璧に言い当てられた大男は、その丸太のような太い腕で自身の頭をごしごしと掻きむしりながら、境内全体が震えるほどの凄まじい爆音で再び笑い声を響かせた。
「がっはははは!いやあ、あの平安の時代は若気の至りで、ちょっと調子乗って都で暴れ回っとっただけなんやけどな!現代の若い御嬢ちゃんにまで、そんな風に『活躍』って大層な言葉で言って貰えるんは、悪鬼と呼ばれた身としても、なんか妙に嬉しいのう!」
伝説の大妖怪は豪快に笑いながら、都子のあまりの裏表のないリアクションに、すっかり上機嫌になる。
しかし、羅生門の鬼はすぐにその鋭い視線を、境内の片隅でガタガタと腰を抜かしている3人の悪ガキと、その近くに無造作にとめられている彼らの派手なオートバイへと向ける。
そして、バイクのステップの隙間に、ポイ捨てされたばかりの煙草の吸殻がいくつも落ちているのを見つけると、鬼はハァと深い不快感の入り混じったため息をつき、苦笑いを浮かべた。
「ほんで、一体何事かと思えば、どうせまたどっかの悪ガキ共が神聖な稲荷の神社にバイクで乱暴に乗り込んできて、境内で煙草ふかしたり悪さしよって神域を汚しよったさかい、ただいまお狐様達から大激怒の御説教を食らっとる最中かいな。ほんまに、娑婆のガキはどこに行っても懲りひんのう」
鬼のその呆れ声を聞いた瞬間、恐怖で涙目になっていた悪ガキ3人組は、救世主が現れたとばかりに必死の手つきで都子たちに向かって縋り付くように叫んだ。
「あ、あぁっ!さっきの公園のボクサーのお姉さん!それになんか服がはち切れそうなめちゃくちゃ強そうな大男の人!た、頼むからウチらを助けて下さい!この世のものとは思えんキモい生首の化け物と、空飛ぶ化け物狐に今にも呪い殺されそうで襲われてるんです!」
必死の形相で助けを求める不良達であったが、そのあまりにも失礼極まりない言い草に、鳥居を塞いでいた大顔の怪異がギリィと歯ぎしりをした。
「誰がキモイ生首やっちゅうねん!クソガキ共の分際で、わいの自慢の美しい長い黒髪を侮辱するとは、ほんまにええ度胸しとるやんけ!このクソガキどもがぁ!!」
顔の怪異が恐ろしい形相で再び3人組をギロリと睨みつけると、悪ガキたちは「ひぇぇぇ!?ごめんなさい!」と情けない悲鳴を上げて再び互いに抱き合って縮み上がる。
彼らの醜態を冷ややかに見つめていた羅生門の鬼は、自身の逞しい胸板をポンと叩きながら、意地悪そうな笑顔を浮かべる。
「おいおい、強そうな『人』って、さっきから君らは俺の事を人間扱いして救いを求めとるけどな……。あいにく大ハズレ、残念ながら俺は人間やないでな。どっちかって言うと、今君らが腰抜かして死ぬほど怖がってるそいつらサイドの、怪異側のもんなんやけどなあ」
鬼はそう言って、再び頭をポリポリと掻きながら、助ける気など毛頭ないといった様子で楽しそうに笑うだけだった。
そんな怪異達の恐ろしいやり取りや、不良たちの哀れな自業自得の光景が目の前で繰り広げられる中。
真眼を持つ都子は、恐怖など一ミリも感じていない様子で、鳥居を大胆に塞ぐ髪の長い大顔の怪異の迫力あるディテールと、空中に優雅にふよふよと浮いている白くて綺麗な毛並みを携えた気狐の、あまりの神秘的な美しさに心を奪われていた。
「わぁ……!なんて素晴らしい質感の長い髪なんやろ!それに、あのお狐様の毛並みの白さ、イラストに描いたら絶対に映えるに決まってるわぁ!」
都子は早くもカバンに手を突っ込んで、中にあるメモ帳とペンを握りしめ、その両目をこれまでにないほどギラギラと輝かせ始めていた。
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##神域を汚す悪態と、怒りのおとろしドロップアタック
目の前に繰り広げられる本物の怪異たちの圧倒的な存在感を前にして、都子は恐怖を抱くどころか、その大きな両目をらんらんとキラキラさせながら喜びを隠しきれずに一歩前へ踏み出していった。
カバンの中にあるメモ帳を今すぐにでも広げたい衝動をグッと堪えながら、浮かび上がる異形の姿をまじまじと見つめて大きな声を上げる。
「あの、もしかしてあなた方は、古い絵巻物にも描かれている由緒正しき、おとろしさんと、そして高名な妖狐さんですよね?うわあ、本物の姿をこんなに間近で生で観たのは私、生まれて初めてです!」
都子が満面の笑みを浮かべて屈託のない声を響かせると、神社の境内で死を覚悟して震えていたスカジャンの悪ガキ3人が「え?」と間抜けた声を漏らし、目の前の美女の、あまりの異常な反応の良さに完全に呆けてしまう。
すると、『おとろし』と呼ばれた、鳥居の幅ほどもある巨大な髪の長い顔の怪異は、一瞬で正体を見抜く都子の卓越した妖怪知識に大いに自尊心をくすぐられたのか、不気味な顔面を少しだけ上へと向けた。
「なんや、この御嬢ちゃん。わいらの正体を一目で言い当てるとは、なかなかによう知っとるやんけ。そや、わいこそは古来より神社仏閣の鳥居に棲みついて不届き者を監視しとる、おとろしっちゅうもんや」
巨大な顔の怪異は胸を張るように、ふふんっと鼻を鳴らし、その長い黒髪を誇らしげにザワザワと波立たせる。
その奥で、優雅に空中にふよふよと浮いていた白い狐の怪異も、都子の混じり気のない賞賛の眼差しを浴びて、その立派な尾を嬉しそうにゆらりと揺らした。
「そうどす、よう分からはりましたな。ワタイはその妖狐の仲間の中でも、特に神聖な霊力を持つ『気狐』言うんどすけどね。現代の人間は、ワタイらの存在を忘れてしもたと思っておしたけど、あんたみたいな信心深くて聡明な御嬢ちゃんに名前を呼んでもらえるなんて、ほんまに嬉しいおすわ♪」
気狐もまた、誇らしげに、ふふんっとその白い胸を張り、額の青筋を少しだけ和らげて都子に対して丁寧に挨拶を返した。
都子はおとろしと気狐の言葉に何度も深く頷くと、一転して、足元に散らばる大量の煙草の吸殻と、無残に芝生を削り取っている2台のバイクのタイヤ痕を鋭い眼光で睨みつけた。
「おとろしさん、気狐さん、お話の途中で申し訳ないんですけど……。つまりこの状況って、そこの悪ガキ3人組が、性懲りもなくバイクの爆音を響かせて、この神聖な神社に無理やり乗り上げた挙句、あろうことか境内で煙草のポイ捨てを平気でしたことに御怒りなんですよね?そりゃあもう、どう考えてもこの子らが百パー悪いです!弁解の余地なんて一ミリもあらせんわ!」
都子は鋭い指差しで、びしっと不良たちを容赦なく言い放つ。
その冷徹な言葉を聞いた金髪の少女は、今度こそ本当に見捨てられたと悟り、涙目で顔をぐしゃぐしゃにしながら驚き叫んだ。
「ええ!?さ、さっきの公園のお姉さん、た、助けてくれへんの!?ウチら本当に化け物に殺されそうになってんのやで!?」
「何言うてんの!助けるわけないやろ!そもそもな、おとろしさんっていうのは、神社で悪さしたり、不届きな悪戯をするような罰当たりな人間の前に突如として現れて、その大きな身体で威嚇して神域を護って下さる大変に有り難い存在なんやで!それに、ここは由緒正しい稲荷神社、御狐様縁の神聖な神社や。気狐さんにとっては、自分達が大切に守り続けているお家であり居場所なんやから、そんな大切な場所を土足で踏み荒らされて汚されたら、怒るに決まってるやん!」
都子は地面に落ちているクシャクシャになった煙草の吸殻をびしっと指差して、彼らの浅はかな非行をこれでもかと大声で叱りつける。
その都子の理路整然とした熱い妖怪愛と正義感に満ちた言葉に、おとろしは大きな目をらんらんと輝かせ、深く感銘を受けたように声を震わせた。
「おおっ!ほんまによう知っとるやんけ、御嬢ちゃん!神社を護るわいらの役目をそこまで完璧に理解してくれとるなんて、わい、あんたのことが一発でごっつ気に入ったで!」
おとろしは都子を大絶賛すると、すぐにその視線をガタガタと震える悪ガキ3人組の方へと厳しく向き直る。
「おいコラ、そこの悪ガキ共!聞いたか今の姉ちゃんの有り難いお言葉を!わいがこうしてわざわざ鳥居の上から地面に降りて来たっちゅうことは、おどれらがここでとんでもない悪さをして、神様を冒涜したっちゅう決定的な証拠なんじゃ!そんな事もわからん阿保共には、わいの超重量級の顔面ドロップくらわしたんぞゴラァ!」
おとろしは大きな顔を器用にぴょんぴょんと跳ねさせ、一度は消えかかっていた顔面に、再び怒りマークの青筋をバリバリと浮かび上がらせて猛り狂った。
空中に浮く気狐もまた、その神聖な白い毛並みを逆立たせながら、おとろしの怒りに勢いよく乗っかるようにして声を荒らげる。
「全くどす!折角、今日は東寺さんの縁日やからって、おとろしはんがここにわざわざ遊びに来てくれはって、ワタイと一緒に楽しゅう過ごしてたっちゅうのに!あろうことかバイクの泥を神聖な場所に撒き散らして、タイヤ痕を擦り付けよってからに!しかも、悪態付きながら煙草のポイ捨てとか、本当にバチが当たりまっせ!今すぐ頭の上に本物の雷落しりまっせー!」
気狐が激怒すると、その美しい身体の周りから、バチバチ、バチバチと、青白い強烈な霊気の火花が音を立てて激しく放たれようとした。
後ろで静観していた羅生門の鬼は、その激しい怒りの理由を聞いて、やれやれといった様子で大きな頭を掻き、ため息を交えて苦笑いした。
「悪態つきながらって……君ら、なんかあって機嫌損ねたからって、神聖な場所で八つ当たりしとんのかいな。もう高校生くらいやろうに、君らは。もうちょい物事の分別っちゅうもんを持ちや、ほんまに情けないのう」
大妖怪としての威厳を漂わせながら、羅生門の鬼も呆れたように笑いながら軽い御説教を投げかける。
その会話を横で聞いていた都子は、少しだけ不思議に思って首を傾けた。
「悪態って……この子ら、一体ここで何て言うて怒られたん?」
都子から鋭い視線を向けられた金髪の少年は、気狐の放つバチバチとした霊気の恐怖に耐えかねて、震える声を絞り出した。
「……だって、さっき、あの公園で、あのクソ偉そうな化け猫が俺らのことを散々コケにしやがって。めっちゃ怖かったけど……。それがムカついたから、ここでバイクぶん回して憂さ晴らしして何が悪いんや……」
その往生際の悪いセリフを聞いた瞬間、都子の顔から完全に笑顔が消え去り、ジト目になって深い溜息をついた。
「はぁ……。猫又さんに命の尊さをあんなに本気で叱られた事に、心の中で逆恨みして不貞腐れてたんかいな。さっき公園の地面で大泣きしながら『ほんまに反省した』って土下座しとったんは、一体どこのどいつやねん。全然懲りてへんやん、あんたら……」
都子は彼らのあまりの精神的な幼さと、反省の色のなさに心の底から完全に呆れ返ってしまった。
すると、その「猫又」という怪異の名前を耳にしたおとろしが、その巨大な顔面を驚愕に大きく引きつらせた。
「な、お前ら、まさかあの京都の魔所、東寺の一角を統べる、あの恐ろしい猫又姐さんに向かってもそんな阿保な事しよったんけ!?あかん、こりゃあかんわ、姐さんを怒らせてタダで済むと思うなよ!こりゃあもう生ぬるい説教じゃあかんわ、わいの顔面スペシャルドロップアタックじゃボッケエェー!!」
おとろしは叫ぶなり、その長い髪をバサバサと激しく振り乱しながら、驚異的な跳躍力で一気に対空へと舞い上がり、朱色の鳥居の上へと移動した。
そのまま鳥居の上で、その巨大な顔面をぴょんぴょんと器用に跳ねさせながら、今にも悪ガキ3人組の脳天めがけて質量を伴った恐怖の一撃を叩き落とそうと狙いを定める。
頭上から迫るおとろしの規格外の質量と、気狐のバチバチと鳴り響く雷の霊気を目の前にして、悪ガキ3人組は、もはや逃げ場がないことを完全に悟った。
彼らは再び激しく地面に五体を投げ出し、アスファルトにおでこを何度もドスドスとぶつけるようにして、全力の勢いよく土下座を繰り返す。
「ひいぃぃぃ!ご、ごめんなさいー!!ほんまに、今度こそほんまに骨の髄まで反省して、もう二度とバイクの乗り入れもポイ捨てもしませんー!!助けてくれー!!」
そんな彼らの涙目での見苦しい絶叫を冷ややかな目で見下ろしながら、都子はくそでか溜息をつく。
「うーん……。言葉でどれだけ優しく叱ってもこれやし、この子らは一度、この本物の怪異の皆さんの手によって、本気で痛い目を見た方が今後の人生のためにもええような気がしてきたわ……」
都子は拳を握る気すら失せるほどに、彼らの救いようのない罰当たりな行動に対して、完全に呆れかえっていたのであった。
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##神域の和解と、油揚げが紡ぐ掃除の条件
おとろしが鳥居の上でぴょんぴょんと跳ね、気狐がバチバチと青白い霊気を放とうとし、悪ガキ3人組が泣き叫んで土下座する中、緊プレッシャーが最高潮に達した、まさにその瞬間。
激しい怒りに震えていた気狐が、突如としてその神聖な耳をピクリと動かし、白い鼻をクンクンと熱心に鳴らし始めた。
「おやおや、これはまあ……なんとも香ばしくて芳醇な、素晴らしい油揚げの香りどすなあ」
気狐は先ほどまでの恐ろしい般若のような形相から一転して、ふんわりと狐の顔をほころばせ、芳しい香りのする方へと視線を向ける。
都子はハッとして、自分のカバンの中に大切に仕舞われていたショッピングモールの袋を思い出し、それを丁寧に外へと取り出した。
「あ、これ、実は神社の神様やお狐様に御供えしようと思って、さっき駅の南のショッピングモールで買って持って来たんです。本当はお供え物って、そのまま置いて帰ったら鳥や野良の動物に散らかされて食べられてしまうから、一度神前に御供えして手を合わせた後は、自分で持ち帰って、お家でおやつにするつもりやったんですけど……」
都子が袋の包みをそっと開いて、黄金色に輝く大ぶりの油揚げを見せると、境内には大豆の豊かな香りがふわりと広がっていく。
気狐はその神聖な白い毛並みを嬉しそうに波立たせると、ふよふよと宙を浮きながら都子のすぐ目の前まで大喜びで近づいて来た。
「現世の人間でありながら、ちゃんと神社に正しい作法で御供えもん持って神様を拝みに来はるとは、ほんまに感心なことどす!嬉しおすなあ!」
気狐は都子の気が利く優しい心根に大感激しながら、その温かい油揚げの袋を両の前足で恭しく受け取った。
その様子を横で腕組みしながら眺めていた巨躯の羅生門の鬼が、がははと喉を鳴らして笑い、おとろしと気狐に向かって大木のような腕をひらひらと振る。
「おうおう、美味そうなご馳走が手に入って良かったのう。ほな、こいつらにはここでたっぷりと精神的な説教を食らわしたったら、後は境内の汚したところを全部きれいに掃除させて、今回のところは肉体的な物理攻撃だけは勘弁したったらどや?」
羅生門の鬼のそのフランクな提案を受け、鳥居の上で今にも飛び降りそうになっていたおとろしは、バサバサと長い黒髪を揺らしながらゆっくりと鳥居から降りてきた。
地面に這いつくばってガタガタと震えている3人の悪ガキの目の前へと、その畳一枚分ほどもありそうな巨大な顔をぬっと突き出して、これでもかと怖がらせる。
ヒィィッ、と不良たちが息を詰まらせる中、おとろしは地響きのような低い声で彼らを厳しく叱りつけた。
「お前ら、羅生門の兄貴と、そこの気が利く御嬢ちゃんに免じて、きっちり汚したところ掃除しよったら勘弁したるさかい、二度とアホな事しなや!」
最大級の恐怖から首の皮一枚で繋がった3人の悪ガキ共は、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、何度も何度も激しく額を地面に打ち付けて謝り倒した。
「「「はいー!申し訳ありませんでしたー!!!」」」
彼らは壊れたおもちゃのように、声を揃えて狂ったように絶叫しながら謝罪を繰り返す。
お供えの油揚げを大切そうに抱えた気狐は、都子の方を振り返ると、先ほどまでの恐ろしい霊気を完全に消し去り、ニコニコとしたこれ以上ないほどに愛くるしい極上の笑顔を見せた。
「油揚げ、ありがとさんどす♪ほな、おとろしはんと一緒に頂きまっさかい♪」
お狐様はさっきまでの表情から一変、実にはんなりとした愛くるしい笑顔を見せるのだった。
「はい、気に入ってくれて何よりです」
都子も自分の持ってきたお供えがこれほど喜ばれたことに、髪を揺らしながら満面の笑顔を見せる。
そして都子は、未だに地面にへばりついている不良3人組を見下ろすと、鋭い眼光をパッと剥き出しにして、再びビシっと冷徹な声で叱りつけた。
「あんたら、ちゃんとこの人ら・・・この怪異達の言う事聞いて、二度と怒らせるような事せんときや!」
都子のその恐ろしいほどの迫力に、3人の悪ガキ共は完全に戦意を喪失し、素直に何度も頭を下げる。
「「「は、はいー!」」」
彼らはまるで怯える子犬のように大人しくなり、神域の土の上でひたすらペコペコと素直に土下座を続けるのであった。
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##涙の境内清掃と、古き祠に響く怪異の警鐘
気狐とおとろしの凄まじい怒りの洗礼を受け、これ以上ないほどに恐怖のどん底に叩き落とされた悪ガキ3人組。
彼らが完全に白旗を上げてお仕置きを喰らう流れになったところで、都子はしっかりと冷徹で鋭い眼光を彼らに向けた。
一通り徹底的に叱り終えて、彼らの戦意が完全にゼロになったのを見届けると、都子は羅生門の鬼と共に、ガタガタと生まれたての小鹿のように震え続ける悪ガキ3人組の襟首を掴むようにして引き連れ、境内から離れた場所の隅にひっそりと佇む社務所へと連行していった。
社務所の引き戸を開けると、中から怪訝な顔をした神社のスタッフや白い袴を穿いた神職が姿を現した。
都子は冷静沈着な態度に戻り、この3人の少年少女が、神聖な境内に爆音を響かせてバイクで無理やり乗り上げ、タイヤで荒らしただけでなく、神職の目を盗んで悪態を吐きながら煙草のポイ捨てを繰り返していたという非道な一部始終を、理路整然と事細かに神社のスタッフたちに説明する。
その間、都子の背後には、はち切れんばかりの筋肉の塊の胸板を持つ、2メートル超えの羅生門の鬼が、言い訳無用と言わんばかりに無言のまま恐ろしい威圧感を放って仁王立ちしていた。
その尋常ではない空気に呑まれ、さらに自分たちの犯した罰当たりな悪行がすべて白日の下に晒されたことで、悪ガキ3人組は今度こそ完全に言い訳の余地を無くした。
彼らは大粒の涙をボロボロと流し、鼻水をすすりながら、神社のスタッフや神職に向かって何度も何度も深く頭を下げて必死に謝罪する。
「「「本当に、本当に申し訳ありませんでした!もう二度とこんなアホな事はしません!」」」
彼らの猛省の態度を見た神職達は、物置の奥から大きな竹箒や塵取りといった掃除道具一式をゴトゴトと厳かに貸し出した。
そして、神社のスタッフや神職が後ろから鋭い目で見張って監督する形をとり、3人が責任を持って自分たちの汚した境内を、隅々まで徹底的に大掃除をすることで、この大騒動はひとまずの落としどころを迎えて落ち着くこととなった。
また、未成年と言う事もあり、羅生門の鬼が煙草とライターを回収して、娑婆で生きるなら娑婆の法律を守るようにと軽く御説教をして、3人は素直に聞いており、すっかり大人しくなっていた。
一方その頃、先ほどまで激怒していた気狐とおとろしは、一般の参拝客が滅多に足を踏み入れることのない、境内の一番奥まった木々の奥にひっそりと佇む、人気が無い御狐様の古い祠へと一足先に戻っていた。
都子は、頼もしい羅生門の鬼の大きな背中に案内されるようにして、静かな祠の方向へとゆっくり向かう。
ザッ、ザッ、と静かな木漏れ日の差し込む砂利道を歩き、うっそうとした緑の敷地を進んでいく。
辿り着いた祠の前では、おとろしと気狐が、先ほど都子から手渡されたばかりの、黄金色に輝く最高級の油揚げを仲良く二等分に分け合い、お互いに顔を見合わせながら、おやつとしてハグハグ、モグモグと実においしそうに口に運んで頂いている最中であった。
「おとろしさん、気狐さん、あの3人組は神職の皆さんからも、たっぷりとお説教を食らって、今は心を入れ替えて涙目で必死に境内のゴミ拾いや竹箒での掃除を始めましたよ。これでもう二度と、この神聖な場所を汚すような罰当たりな真似はせえへんと思います」
都子は祠の前にそっと歩み寄ると、偉大な怪異達の姿を見つめ、先ほど社務所で決まった彼らの処遇等、無事に3人が掃除を始めた事を優しく報告した。
都子の実直で丁寧な報告を聞いた気狐は、口元の油揚げの衣をペロリと小さな舌で上品に舐め取ると、その神聖な白い耳をパタパタと嬉しそうに揺らす。
「それはそれは、ようござんした。御嬢さんがびしっと言って諭してくれたおかげで、ワタイらの胸のつかえもすっかり綺麗に取れましたわぁ。それにしても、この油揚げ、お豆の味がしっかり残ってて香ばしくて、ほんまに美味しくてありがとさんどす♪」
気狐は先ほどまでの激しい怒りの形相から一変、はんなりとした極上の京都弁を響かせ、都子に対してニコニコと、これ以上ないほどに上機嫌で愛くるしい笑顔を見せていた。
その隣で、巨大な顔の長い黒髪をゆらゆらと心地よさそうに揺らしていたおとろしも、油揚げを一口で豪快に丸呑みすると、満足そうにその大きな目を細める。
「おおきになぁ、御嬢ちゃん!この油揚げ、外の皮がカリッとしとるし中はジューシーで、ものごっつ美味いやんけ!わい、こんなに心のこもった美味いお供えを貰ったんは本当に久しぶりやわ。あんたのおかげで、わいもすっかり腹が満たされて大満足や!」
怪異達の嬉しそうな笑顔を見て、都子の胸の奥にある妖怪博士としての熱い魂が、再びメラメラと音を立てて激しく燃え上がり始めた。
都子はこれこそが天から与えられた絶好のチャンスだと確信し、カバンから新品のメモ帳とペンをシャキッと取り出し、らんらんと輝く大きな瞳を二人に向ける。
「お口に合って本当に良かったです!あの、実は私、キャラクタービジネスの会社で働いて、地域誌の妖怪コーナーの連載を担当させて貰っておりまして。もしよろしければ、次の第3回の記事のために、是非ともお二人に詳しくインタビューをさせてもらえませんか?」
「わいらにインタビューやて?まあ、こんなに美味い油揚げを御馳走してくれた恩人の頼みやし、わいに答えられる事なら何でも喜んで答えるけどなあ。そやのう、もし記事を書くんやったら、さっきのバカどもみたいに、神社で悪さしたり、神聖な場所を汚すようなそういう不届きなことを絶対にせんようにっちゅう、人間としての正しい教えの記事を大きく書いてくれたら、わいらとしても非常に有難いところやから、そういう話なら出来るでな」
おとろしは黒髪をバサバサと誇らしげに揺らすと、ふふんっと胸を逸らすようにして鼻を高く鳴らし、自らの護法としての役目を熱く語った。
すると、空中に優雅に浮く気狐も、その真っ白な美しい尾をゆらゆらと揺らしながら、少し真剣な眼差しになって都子のメモ帳を見つめた。
「そうどすねえ。ワタイから現世の人間の子供達に向けて、どうしても伝えておきたいのは、未だに学校なんかで、面白半分の冗談半分で、お狐様を呼び出す『こっくりさん』を、あかんやり方や危ない手順でやってまう無知な子もおるさかいね。あれは一歩間違えれば、低級な悪霊を呼び寄せて自らの身を滅ぼす、大変に恐ろしい行為なんどすえ。そういう危険な事は絶対にせんようにって、都子ちゃんがイラスト付きで誌面で強く注意勧告してくれたら、現世の子らも少しはマシになってくれるかもしれんから、そういう事ならいくらでも答えられますかねえ」
怪異たちが語る、現代社会の人間に対する切実な警告と深い慈愛の言葉を聞き、都子は身体中の細胞が歓喜で震えるのを感じ、その大きな瞳を限界まで輝かせた。
「おとろしさん、気狐さん、有難う御座います!まさに、そういう現代の人間が忘れかけている生きた教えこそ、読者に一番届けたい内容なんです!是非そのお話について、もっともっと詳しく私に聞かせて貰えませんか?」
そうして、うっそうとした木々が囲む静かな祠の前で、前代未聞の熱い妖怪インタビューが始まった。
都子はおとろしから、鳥居に宿る護法としての役割や、神社で悪さをしないようにという歴史ある深い話を。
そして気狐からは、霊的な境界の仕組みとこっくりさんを絶対にやってはいけないという恐ろしい禁忌についての話を、一言も漏らさぬように猛烈なスピードでメモ帳へと書き留めていった。
こうして、生の怪異と触れ合い、その熱い想いと言葉を直接受け止めることで、次の第3回の連載記事に必要な、これ以上ないほどに濃密で完璧なストーリーの骨子が、この瞬間に美しく決定したのである。
その祠の傍らで、丸太のように太い腕を誇らしげに組む羅生門の鬼が、現世の人間と異界の怪異が、こうして油揚げをきっかけに深く心を通わせ、素晴らしい作品を生み出そうとしているその奇跡のような光景を、フッと優しい微笑みを浮かべながら、どこまでも微笑ましく見守っていた。
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###〜鳥居の外の小さな手と、喫茶店への賑やかな足取り〜
古き良き神域の奥に佇む祠の前で、おとろしと気狐という怪異から、現代の人間に対する切実な警告と素晴らしい教えが詰まった、最高のインタビューを無事に終えた都子。
彼女は「本当に貴重なお話をたくさん聞かせていただき、有難う御座いました!」と、大切な現世のメモ帳をカバンへと優しく仕舞いながら、異界の友人達に対し、丁寧に頭を下げて挨拶を交わした。
そのまま、本日一番の大きな収穫を抱えて、ホクホクとしたこれ以上ないほどに満足げな大笑みを浮かべ、案内役を務めてくれた頼もしい羅生門の鬼と一緒に、静かな稲荷神社の鳥居をくぐって現世の境界へと出て行く。
都子の、その裏表のない純粋な喜びが全身から溢れ出ているような輝かしい横顔を見て、隣を歩く丸太のように太い筋肉質な腕を持った羅生門の鬼も、その強面のお顔をふんわりと和らげて優しく微笑んだ。
「がっはは、ものごっつ上機嫌やな、御嬢ちゃん。そんなに両の目をキラキラさせて喜んで、素晴らしいインタビューが出来たみたいで何よりやで」
羅生門の鬼が楽しげに喉を鳴らして笑うと、都子は元気いっぱいに、鬼の大きな胸板を見上げて声を弾ませる。
「はい!もう本当に最高の内容が聞けました!でも、これも全部全部、羅生門の鬼さんが私を、あの結界の中に連れて行ってくださって、おとろしさんと気狐さんと会わせて下さって、お話がスムーズに進むように間を取り持って下さったからです!本当に有難う御座います!ああっ、こんなに素晴らしい恩人を前にして、私、何かとびきり素敵な御礼をせなあかんよね!ええっと、何が良いかなぁ……」
都子は嬉しさのあまりに胸を躍らせ、お礼の品をどうしようかとその愛らしい童顔の表情をころころと目まぐるしく変化させていく。
すると、まさにその時。
クイッ、クイッ――と、都子が着ている上着の袖の端っこを、誰かが下の方から優しく引っ張るような、ささやかな抵抗が腕に伝わってきた。
「ん?なにかな?」
都子が不思議に思って後ろを振り向くと、そこには賑やかな街並みを背景にして、ちょこんと佇む小柄な浴衣姿の少年が、都子の袖を小さな手で健気に引っ張っていた。
バチッ!と、その瞬間に都子の真眼と、少年の大きな瞳が、真っ正面から力強く視線を交差させる。
都子は少年の姿を凝視すると、現世の普通の子供とは明らかに違う、その可愛らしい耳の先端が少しだけ動物のようにツンと尖っているように見えて、さらにその肌の色も人間のそれとは明らかに違う、どこか神秘的な淡い色彩を帯びていることに気がつく。
その特徴的なビジュアルと、自分の衣服の袖を引っ張るという独特のアクションが重なり、都子の脳内にある妖怪博士としての知識が、ハッと瞬時にある怪異に辿り着く。
「ええっと……こんにちは。可愛い男の子、私に何か用かな?」
都子は、少年の目の高さに合わせるように少しだけ腰を落とし、怖がらせないようにどこまでも優しく語り掛けた。
すると浴衣姿の少年は、自分の行動に対して目の前の長身の女性が、怯むことなく真っ直ぐに見つめ返してきたことに、驚きのあまりその大きな眼を丸く見開いて驚いた。
「ええっ!?お姉さん、もしかしてオイラの事がはっきりと観えるん!?」
「え?あ、うん、バッチリ見えるよ。姿も浴衣の柄も、全部綺麗に見えてるし。……ええっとね、もしかしてやけど、こうして私の袖を、くいっくいっと引っ張って引き留めてるって事は、君の正体は、あの有名な『袖引き小僧』君とちゃう?」
都子は新しく出会った目の前の愛らしい妖怪少年の存在に、再びその大きな両目をらんらんと少年のように輝かせた。
袖引き小僧と呼ばれた少年は、自らの隠された妖怪としての名前を一発で正確に言い当てられたことに、さらにその丸い目を開いて飛び上がるほどに驚いた。
「えええーー!?オイラの名前も正体も全部知ってるんや!お姉さん、一体何者なん!?」
その様子を、後ろで腕組みしながら眺めていた羅生門の鬼は、自分の小さな知り合いのあまりの驚きっぷりに、震えるほどの笑い声を響かせた。
「がっはっはっは!袖引き小僧、お前もこの御嬢ちゃんの鋭い真眼の前に、一発で正体がバレしとるやんけ!相変わらずこの子の妖怪博士っぷりは、容赦がのうて最高におもろいわ!」
羅生門の鬼が豪快に笑うと、袖引き小僧は声の主を見上げて、その親しみやすい顔にホッとしたような笑顔を浮かべた。
「あ、羅生門の兄貴さん、こんにちは!今日はこっちの神社に来てはったんですね!」
小さな妖怪少年は、大先輩である鬼に向かって、ペコリと丁寧な動作で笑って挨拶を交わす。
「おう、今日は午前中だけ人間の雑踏に混ざって力仕事して給料もろてな。それが終わって、午後から猫又のところに用事があって寄ってから、なんや、ここの神社におとろしと気狐がおるって気配がしたから、ちょっと顔を出して楽しんどったんよ」
羅生門の鬼が、丸太のような腕を揺らしながらそう説明すると、袖引き小僧はなるほどねぇと納得したように頭を揺らした。
「そっか〜。オイラも毎月21日の弘法さんの日は、お祭りの賑やかな雰囲気が大好きで、よく東寺の周辺へ遊びに行くんやけど、今日はちょうど羅生門の兄貴さんとは入れ違いやったみたいですね」
袖引き小僧は少しだけ残念そうにしながらも、嬉しそうに無邪気に笑う。
「どうやらそうみたいやな。ほんでな、用事を済ませてこの神社に来たら、ちょうどこの真眼持ちの御嬢ちゃんがここに居合わせてたんよ。さっきまで不届きなガキ共と、ひと騒動あったんやけど、それも綺麗に片付いたから、こうして一緒に出て来たってわけや」
羅生門の鬼が、これまでの大騒動の経緯を大雑把に説明すると、それを聞いていた都子は、早くも新しい創作意欲を爆発させ、袖引き小僧の目の前へと一歩踏み出した。
「あのね!もしよかったら、袖引き小僧君、あなたの普段の暮らしのことや、どうして袖を引っ張るのかっていう不思議な理由について、私に色々と楽しいお話を聞かせてもらえないかな?」
都子はメモ帳を再びカバンから引き抜きそうな勢いで、その両目を爛々と輝かせて熱烈なアプローチを開始する。
「オイラの話なんか聞きたいの?オイラはただ、こうして人の袖を引っ張って遊んでるだけやのに?」
袖引き小僧は都子の凄まじい熱量に圧倒され、可愛い首をコテンと横にかしげて不思議そうに呟いた。
すると、羅生門の鬼が都子の肩をポンと叩きながら、少年に向かって優しく笑いかけた。
「この御嬢ちゃん、現世の立派な雑誌で本物の妖怪の連載コーナーを持っとる有名人なんよ。ほら、この前、行きつけの摩訶不思議食堂で、えらいこっちゃんと女鬼ちゃんが『えらいこっちゃなごっつええ本が売られとった!』って大はしゃぎで買うて来てくれた、あの話題の雑誌あるやん?まさにあれを書いてる作者の先生なんや」
「ああっ!!そっか、あの座敷童ちゃんがめちゃくちゃ可愛く描かれてた、あの雑誌の作者さんやったんやね!オイラも食堂でみんなと一緒に読ませてもらったからよく覚えてるよ!でも、オイラが話せるような大層な歴史のことなんて、何かあるかなぁ?」
袖引き小僧は憧れのクリエイターの正体を知って再び驚きながらも、自分に何ができるだろうかと困ったように首をかしげる。
「いっぱいあるで!その可愛い浴衣の着こなしも、袖を引く時のその健気な手の動きも、現世の読者にとってはもの凄く魅力的で、絶対にたくさんの人が喜ぶ最高に素敵な記事になるんよ!」
都子は一ミリも引くことなく、その目を一層ギラギラと輝かせて熱弁を振るう。
「あっはっは!こりゃあアカン、この御嬢ちゃん、完全に新しい妖怪に食いついてしもて離れる気があらへんやんけ!ほな、丁度おやつのええ時間やし、京都駅にある喫茶店にでもみんなで入ろか。袖引き小僧、お前も久々に、こっちの甘くて美味しい洋菓子が食いたいやろ?」
羅生門の鬼が豪快に笑いながら、この賑やかな即席の取材チームに向けて最高の提案を投げかけた。
「えっ、ほんまに!?わーい、京都駅の喫茶店のケーキ、オイラ大好きなんよ!お姉さん、羅生門の兄貴さん、有難う御座いますー!」
袖引き小僧は洋菓子の魅力に大喜びし、その場でピョンピョンと小さな足取りで跳ね回って歓喜した。
こうして、瑞々しい午後の光が降り注ぐ京都の街頭で、ベリーショートが活発な一人の人間女性と、はち切れんばかりの肉体を持つ最強の鬼一体、そしておやつを心待ちにする可愛い妖怪少年一体が、奇妙でありながらも最高に温かい絆で結ばれ、仲良く並んで京都駅の喫茶店へと向かって賑やかに歩いて行くのであった。
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###〜至福のモンブランと、二つの世界を結ぶ帰路〜
カランコロン、とレトロで心地よいドアベルの音を響かせて、3人は京都駅ビルの一角にある、落ち着いた雰囲気の喫茶店へと足を踏み入れた。
店に入る直前、袖引き小僧は現世の一般の人間たちに怪しまれないよう、不思議な妖力を使って尖った耳や独特の肌の色を綺麗に隠し、どこにでもいるような極めて平凡で可愛らしい人間の子供の姿へと、見事に化けてみせていた。
案内されたテーブル席につくや否や、都子は財布をしっかりと握りしめて胸を張る。
「ここは絶対に私が全部出しますから、お二人とも一切遠慮せんと好きなものを頼んでくださいね!羅生門の鬼さんへの今日の御礼と、袖引き小僧君への貴重なインタビューの先払いの御礼なんですから、会計は絶対に譲りませんよ!」
都子がそう力強く言い張るため、羅生門の鬼もがっははと笑って、その好意に甘えることにした。
そうして運ばれてきたのは、ガラスのグラスでカランと涼しげな氷の音を立てる冷たいアイス珈琲2つに、袖引き小僧が注文したオレンジジュースと、栗の王様とも言える濃厚なマロンクリームが美しく渦を巻く、見るからに美味しそうな特製のモンブランである。
「うわぁ、ごっつ美味しそう!いただきまーす!」
袖引き小僧は小さなフォークを器用に使い、モンブランをパクリと口に運ぶと、モグモグと嬉しそうに頬を落として相好を崩した。
都子も冷たいアイス珈琲をゴクリと喉を鳴らして飲み、ひんやりとした至福の喉越しに、ふぅと息を吐き出す。
おやつの時間を大いに楽しみながら、都子の熱烈なインタビューの質問が本格的にスタートした。
都子はペンを走らせながら、自身の深い知識を次々と披露していく。
「袖引き小僧君の伝承といえば、一般的には埼玉県の古いお話や、関東の静かな夜道で通りすがりの人の袖を、くいっくいっと引いて驚かせるっていう可愛い悪戯が有名やんね。でもな、実はここ西日本の地域にやって来ると、単なる悪戯っ子な妖怪の枠を飛び越えて、旅人の安全を守ったり土地の境界を司る『袖取り神』っていう、非常に神聖な土地神様としての属性も深く加わっているんよ。私はその陰と陽の二面性がもの凄く魅力的やと思って、ずっと調べてみたかったんや!」
都子が淀みなく語るそのディープな解説を聞いて、袖引き小僧はオレンジジュースのストローを咥えたまま、驚きのあまりその大きな両目をこれでもかと限界まで丸く見開いた。
「えええーーっ!?お姉ちゃん、オイラ自身も忘れかけてたような、埼玉県の古い伝承のことを知ってるだけでもすごいのに、西日本での袖取り神の神聖な神様の歴史まで知ってるん!?現代の人間の中に、そこまでオイラの歴史を正しく深く愛して知ってくれてる人がおるなんて……なんだか恥ずかしいけど、ものすごーく楽しくて嬉しいわぁ!」
小さな妖怪少年は、自分の存在の根本を理解してもらえた喜びから、その可愛い顔を真っ赤に染めて心底嬉しそうに声を弾ませる。
そんな二人の賑やかで温かいやり取りを羅生門の鬼は太い腕を組みながら、フッと優しい微笑みを浮かべてどこまでも微笑ましく見守り続けていた。
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そうして、笑い声と驚きに満ちた喫茶店での楽しい時間もあっという間に過ぎ去り、美味しいおやつと濃密なインタビューの充実した時間は終わりを迎えた。
全員がお腹も心もこれ以上ないほどに大満足して、夕方の心地よい風が吹き始めた喫茶店の外へと笑顔で出て来る。
袖引き小僧は都子の前で立ち止まると、人間の子供の姿のまま、ペコリと実に丁寧な動作で深くお辞儀をした。
「お姉ちゃん、今日の美味しいケーキとオレンジジュース、本当に御馳走様でした!オイラのお話をたくさん優しく聞いてくれて、本当に有難う!」
「ふふふ、こちらこそ、現世の古い文献だけじゃ絶対に分からへんような、本当に貴重で生き生きとしたお話を聞かせてくれて有難う!これだけディープなエピソードが集まったら、次の連載の第3回どころか、その次の第4回まで含めた、2か月分の素晴らしいお話がばっちり書けるで!」
都子はメモ帳を大切そうにカバンに仕舞いながら、快活な大喜びの笑顔を咲かせた。
「うん!オイラも雑誌にお姉ちゃんが描いてくれるオイラの活躍の話、今からもの凄く楽しみにしてるで!それじゃあねー!羅生門の兄貴さんも、また今度遊んでなー!」
袖引き小僧はそう言って、小さな可愛い手をパタパタと大きく振り返りながら、現世の人混みの隙間へと軽快にステップを踏んで去って行った。
「おう、車と変な人間に気をつけて帰るんやぞ、ほなまたなー!」
羅生門の鬼も、その大きな手のひらをひらひらと振って、小さな仲間の後ろ姿を優しく見送った。
袖引き小僧の姿が見えなくなると、羅生門の鬼は自身の首をゴキゴキと鳴らしながら、東寺のある方向を見つめてニヤリと不敵に笑った。
「ほな、俺は折角ここまで出て来たわけやし、そろそろ東寺の魔所で小豆洗いと小豆婆のコンビも、今日の弘法市の屋台を閉めて片付けを始める頃合いやでな。これからあっちへ戻って、猫又と小豆コンビと、どっか美味い飯でも食いに行くでな!」
「わぁ、それは絶対に賑やかで楽しい宴会になりますね!ほな、私は大急ぎで家に帰って早速、今日聞いた素晴らしいインタビューの内容を熱いうちに頭の中で纏めて、次の連載の仕事に取り掛かります!羅生門の鬼さん、今日は本当に有難う御座いました!」
都子は背筋をピシッと伸ばし、感謝の気持ちをこれでもかと込めて深く丁寧にお辞儀をした。
「がっはは!俺も娑婆のガキに説教したり、美味い珈琲が飲めて最高に楽しめたでな。あんたの次の連載記事、楽しみにしとるわ。ほな、またな、妖怪博士の御嬢ちゃん!」
羅生門の鬼はそう言って、頼もしい背中を揺らしながら、再び現世と異界の境界が混ざり合う東寺の方向を目指してドスドスと力強い足取りで歩いて行った。
最高の取材成果と、京都の街で紡がれた素晴らしい怪異たちとの温かい出会いに、都子の胸の奥はこれまでにないほどほくほくほっこりとした温かい気持ちで満たされていた。
「よしっ、最高の記事に仕上げるで!」
都子は溢れんばかりの創作意欲をその両目に宿し、輝くような満面の笑顔のまま改札口を軽やかな足取りで通り過ぎて電車に乗り込み、ガタゴトと心地よい音を立てて走り出した夕暮れの電車に揺られ、我が家へと元気に帰って行くのであった。
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##自宅の叩き台と、夜の情熱を阻む母親の雷
ガタゴトと心地よい音を立てて走る電車に揺られる都子。
自宅の最寄り駅で下車した都子は、夜の帳が静かに下り始めた夜道を軽快に歩き、我が家へと帰ってきた。
扉を開けて玄関へと一歩足を踏み入れると、家の中からは出汁の利いた、何とも香ばしくて優しい夕飯の香りがふんわりと漂ってくる。
ちょうど同じようなタイミングで両親も帰宅しており、台所からはトントンと小気味よい包丁の音が優しく響いていた。
都子もすぐに自分のカバンを置くと、お気に入りのエプロンをきゅっと腰で締め、元気よく台所へ向かう。
「ただいま!私も何か手伝うで!」
家族揃って和気あいあいと夕食の準備を進めていく時間は、都子にとって何よりの癒やしであった。
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家族で賑やかに囲む食卓で、美味しい夕飯をパクパクとお腹いっぱい食べた後、都子は浴室へと向かい、温かい湯船にザブァと浸かって一日の心地よい疲れを綺麗に洗い流していく。
入浴を終えて、諸々の夜の用事をすべて済ませてお気に入りの部屋着に着替えると、都子は自室のデスクの前へと腰を下ろした。
そして、カバンからメモ帳を丁寧に取り出し、ようやく待ちに待った雑誌に掲載する次なる記事の具体的な骨組みを、じっくりと組み立て始める。
会社が一任してくれた大切な地域誌の連載ということもあり、コンプライアンスや社会人としての厳格な守秘義務といった大人のルールは、当然ながら徹底しなければならない。
雑誌の最新の情報が世に出る前に、外部へ漏れてしまうようなことは絶対にあってはならないため、個人の自宅のデスクで出来ることというのはどうしても限られている。
しかし、今日という最高の取材行脚で仕入れてきた生きたインタビューの叩き台だけは、記憶が鮮明なうちに完璧に練っておこうと、都子は意気揚々とペンを握りしめた。
おとろしや気狐、そして帰り際に出会った袖引き小僧から聞いてきたばかりの濃密な情報を何度も熱心に読み返し、キャラクターデザインのラフスケッチをカリカリ、サラサラと白い紙の上へと走らせていく。
その創作作業はあまりにも楽しく、都子は時間を忘れてすっかり仕事に深くふけっていた。
カリカリ、カリカリとペンを動かし、今日出会った魅力的な怪異たちの生き生きとした笑顔や格好良い姿を思い出しているうちに、都子の胸の奥から一つの熱い感情がふつふつと激しく湧き上がってくる。
それは、もっともっと色々な未知の怪異と出会いたい、現世と異界の狭間で巻き起こる不思議な怪異譚を自分自身のこの真眼で体験したいという、抑えきれないクリエイターとしての純粋な欲求や熱の再燃であった。
机の上の資料を見つめるうちに、明日まで待てないという熱い思いが都子の身体中を駆け巡り、今すぐにも京都の夜の町へ繰り出そうという衝動がみるみるうちに強くなってくる。
「――いっそのこと、もう今から街に飛び出して行こかな!夜はまさに、怪異達の本番であり最高の活動時間やんか!」
都子はそう独りごちると、居ても立ってもいられなくなり、置いてあったカバンをガシッと力強く掴んで、部屋の扉をバッと勢いよく開けて出て行こうとした。
その時、廊下にバタバタという都子の慌ただしい足音が大きく響き渡る。
一階の居間では、今日一日を終えた父親がテレビのニュース番組を見ながら、母親と一緒に温かいお茶をズズッと飲んでゆっくりとくつろいでいるところだった。
静かな家の中に、都子のただ事ではない物音にいち早く気付いた母親が、廊下へと不審そうにパッと顔を出した。
母親は、カバンをしっかりと肩にかけて玄関へ向かおうとしている愛娘の姿を見て、目を丸くしながら不思議そうに尋ねてきた。
「あれ、都子、こんな夜遅くにカバンなんか抱えてどこ行くん?もしかして、駅前のコンビニにでも行って、夜食でも買いに行くんかね?」
母親からの真っ当な質問に対し、都子は一切の悪びれもない真っ直ぐな目で、自身の大きな拳をグッと握りしめて言い放った。
「ううん、ちょっと今から京都の街まで、本物の怪異に会いに行ってくるわ!」
その突拍子もないセリフを聞いた瞬間、母親の優しい顔がガラリと一変し、廊下にパシィィィンと強烈な雷を落とすような怒鳴り声が響き渡った。
「あんたは何を夜中にとち狂った阿保な事言うとるん!こんな時間にお化け探しなんて行くの許すわけないやろ!さっさと自分の部屋に戻って寝よし!」
母親の容赦のない大激怒の叱責が、都子の脳頭にビシッと飛んでくる。
「だって〜!夜の方が絶対に珍しい妖怪達がたくさん活動してて、面白いインタビューがいっぱい出来るんやもん!」
都子はカバンを抱え直しながら、子供のようにジタバタと足を床に踏み鳴らして、だってだって、と駄々をこねる。
しかし、母親はそんな娘の子供っぽい言い訳を、ハァと深い溜息で遮ると、両手を腰に当てて呆れ果てたような眼差しを向けた。
「だってやないの!ほんまに、あんたって子は昔から格闘技や陸上に夢中になった時もそうやったけど、ええ大人になって立派な社会人になっても、中身がちっとも変わらん、おてんばなやっちゃなあ……」
母親の言葉の裏には、夜道を行こうとする娘の身を本気で心配する深い愛情が、これでもかと詰まっていた。
「ぶー!!」
都子は大きな不満の声を上げ、頬をこれでもかとリスのようにぷっくりと膨らませながらも、母親の絶対的な正論には逆らうことができず、渋々と自分の部屋へとトボトボと戻って、カバンをドサリと机の上に置いた。
夜の街への大冒険を泣く泣く諦めた都子は、洗面台に向かってシャカシャカ、ゴシゴシと力強く歯を磨いて口をゆすぐと、諦めてパッと部屋の電気を消して布団の中へと潜り込んだ。
悔しさで布団をぎゅっと被りながらも、都子は暗闇の中でその大きな両目を爛々と輝かせ、明日の朝は絶対に早朝から京都の町に一番乗りで飛び出して、最高に面白い怪異探しに出かけようと、心の中で固く固く決意しているのだった。




