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摩訶不思議食堂のほっこり飯  作者: 修羅観音


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第32話後半:少年少女と怪異暮らしとほっこり飯

##朝焼けの油揚げ、そして大天狐の物産展巡り


チュンチュン、チュン。

まだ夜の冷気が微かに残る翌朝、東の空が白み始めた早朝に、才狐はいつものように健やかに目を覚ました。

失われた心の代わりに、呪術師としての厳格な規律を身に宿す彼は、朝の気だるさに甘えることなく、すぐさま布団を畳んで身支度を整える。


清々しい朝の空気が満ちる境内へと進み出ると、竹箒を手にして、落ちた葉や塵をサッサッと滑らかな手つきで掃き清めていく。

神聖な本殿の周囲もお清めの塩と水できっちりと整え、静謐な神域の美しさを元通りに保ってから、才狐は自宅の建物へと戻り、手際よく朝食の準備に取り掛かった。


土曜日の今日の朝食は、こんがりと香ばしく焼いた大好物の油揚げと、ふっくらと湯気を立てて輝く炊き立ての御飯、そして出汁の香りが鼻腔をくすぐる温かい味噌汁という、素朴ながらも完璧な和食の献立。

お盆の上に綺麗に準備が調ったちょうどその時、廊下の奥から眠たげな目を擦りながら、妖古がふらりと台所に顔を出した。


「お早う御座います、妖古さん」

才狐は姿勢を正して挨拶を交わした。


「お早うさん、才狐。ふむ、今日も今日とて、実に食欲をそそる見事な朝食じゃのう。朝から最高の匂いじゃて♪」

妖古は嬉しそうに目を細めて微笑み、才狐の向かいの席へと腰掛けた。


いつものように、神職としての感謝を捧げるべく、二人は声を揃えて神社の食前の祝詞を厳かに唱え上げる。

静かな部屋に流れる清らかな唱和を終え、綺麗に手を合わせて「頂きます」をしてから、温かい朝食に箸を伸ばした。


---


二人が静かに箸を動かす中、妖古はお椀を持ち上げながら、ふと思いついたように問いかけてきた。

「そうじゃ、ぬし。今日は学校も休みじゃろうが、この後の予定は何か特に入っとらんかったかの?」


才狐は御飯を咀嚼して飲み込んでから、淡々とした抑揚のない声で答える。

「はい。今日は特に個人的な予定はありませんし、他の神社や同業者からの助勤の要請も、今日のところは一切入っていませんね。一日中、空いています」


「そうかそうか、それは丁度ええのう、絶好の機会じゃて」

妖古は満足そうに何度も頷くと、その瞳に悪戯っぽい光を灯してコロコロと愉快そうに笑う。


「ほな、朝飯が綺麗に終わったら、すぐに綱江に連絡をとってみよし。もし綱江の方も今日一日予定が無いというんやったら、二人でまた新しき『御近所付き合い』の一環として、どこぞへ行って来るとよかろう。おつかいという名目が無くともな、今回も流れに身を任せてみりゃ、自ずと面白い縁に辿り着くじゃろうて」

妖古はそう言いながら、大皿に乗った狐色に輝く油揚げを、器用に箸でひょいと摘み上げて口へと運んだ。


「畏まりました。そのようにします。ところで妖古さんは、今日はどうなさるんですか?」

才狐が不思議そうに無表情のまま尋ねると、妖古は口の中のジューシーな油揚げをゴクンと綺麗に飲み込んでから、満面の笑みを浮かべて胸を張る。

「我はな、ここから少し南の方にある大きなショッピングモールの催事場で、今日から美味い揚げ物の物産展がやっとるらしいから、そっちに朝から遊びに行くつもりじゃ。全国の美味い揚げ物が集まっとるらしいからな、揚げ出汁豆腐の美味い店があるかのう、今から楽しみじゃて!」

大天狐らしからぬ非常に世俗的で食いしん坊な今日の予定を語り、妖古はカカカッと楽しげに笑い声を響かせた。


「わかりました。では、食後に片付けをしてから、綱江さんに一度連絡をしてみます」

才狐は納得したように短く答え、温かい味噌汁をズズッと静かにすすって、残りの朝食を綺麗に平らげていった。


こうして賑やかな朝食を終え、台所の後片付けも協力して手早く済ませた後、妖古は待ちきれないとばかりに上質な着物の袖を翻し、早々に現世のショッピングモールに向けて意気揚々と外出して行った。


静まり返った自宅の居間に一人残された才狐は、座布団の上に静かに腰を下ろすと、上着のポケットから使い慣れたスマートフォンをスッと取り出す。

液晶画面を点灯させ、昨夜の賑やかな長旅の余韻が残る中、少しだけ距離の縮まったクラスメイトの少女へ向けて、生真面目な手つきでメッセージを送り始めるのであった。


---


##朝の作務衣と、ポケットの中のピコン音


同じ頃、まだ朝霧の残る清々しい早朝に、綱江もまた軽やかに起床していた。

彼女は手早く身支度を整えると、自宅のすぐ近くに住まう祖父母の家の隣に佇む、自身の実家である神社へと小走りで向かう。


「おじいちゃん、おばあちゃん、おはよ!」

爽やかな声で祖父母に朝の挨拶を交わした綱江は、すぐに竹箒を手に取り、二人と共に息を合わせて境内と本殿の隅々まで丁寧に掃き清めていく。

サッサッと小気味よい音が静かな神域に響き渡り、清らかな朝のお清めを終えた彼女は、清々しい充実感を胸に抱きながら再び自宅の建物へと戻っていった。


自宅に戻った綱江は、動きやすく身慣れた紺色の作務衣へと着替えてから、台所に立って手早く家族分の朝食を作り始める。

ちょうど温かい湯気が立ち上る朝食が調った頃、この日は休日であるにもかかわらず、急な用事で会社に顔を出すことになっていた両親も次々と起きてきた。


「お、美味そうな匂いやな。いつも有難う、綱江」

「お早う、綱江。お母さんも手伝えなくてごめんねえ」

そんな言葉を交わしながら、3人は食卓を囲んで賑やかに一緒に朝食を取り、和やかな家族の時間を楽しむ。


やがて全員が食べ終わり、綱江がシンクで食器の片付けをテキパキと終わらせたその時、作務衣のポケットに仕舞い込んでいたスマートフォンが、ピコンッと軽快なメッセージの受信音を鳴り響かせた。


珈琲を飲んでいた母親が、待ってましたと言わんばかりに目を輝かせ、その綺麗な顔にニヤニヤとした笑みを浮かべる。

「あらあら〜?朝早くから、噂の彼氏さんからメッセージが届いたんやないの?」


「なっ……!そやから、才狐君はまだ彼氏ちゃうし!それに、今の音が才狐君からのメッセージとは決まってへんやんか!」

綱江は慌てて否定しながら、ズボンのポケットからスマートフォンを引っ張り出して液晶画面を開いた。

しかし、画面に表示された送り主の名前と通知の文面を目にした瞬間、彼女は思わず驚きに目を丸く見開き、隠しきれない喜びで頬を少しだけ緩めて嬉しそうな表情になってしまう。


そんな娘のあからさまな反応と変化を、鋭い母親の目が逃すはずはなかった。

母親は珈琲カップを片手に、さらに意地悪く「ほら、やっぱりお母さんの言う通りやったやん」とニヤニヤ笑顔を深めてからかってくる。


「もうっ!お母さんはほんまにいらんことばっかり言うんやから!」

綱江は真っ赤になった顔を隠すように叫ぶと、そそくさと台所を飛び出し、廊下を駆けて自室の扉へと滑り込むようにして戻っていった。


ふぅっと一息ついてベッドに腰掛け、改めてスマートフォンの画面に目を落とすと、そこには才狐からの生真面目なメッセージが綴られている。

『妖古さんから、綱江さんと一緒に色々見て回るように言われたんやけど、綱江さんに用事があったら、後日にします』


その簡素で淡々とした文面から、妖古に言われて自分を誘ってくれたのだという背景がハッキリと伝わってきて、綱江の胸は小さく高鳴った。

(用事なんて、あるわけないやん……!)


綱江は嬉しさを誤魔化すように、すぐさま画面をタップして『今日は予定ないから行けます。すぐにそっちに向かいます』と、少しだけ焦ってタイポしそうになりながらも、素早く返信のメッセージを送信する。

すると、向こう側もスマートフォンを握っていたのか、すぐに『わかりました。お待ちしております。動きやすい服装がいいと思います』と、才狐らしい丁寧で簡潔な返信が返ってきた。


画面を見つめる綱江の心なしか少しだけテンションが上がり、その瞳にはワクワクとした楽しげな光が灯っていた。

「よし、待たせたら悪いし、すぐに行こ!」


彼女は着替える手間を省き、今着ている紺色の作務衣姿のままで行くことを決め、黒髪ポニーテールを揺らしながら、お守りや呪符の入った袈裟懸けバッグの金具をカチッと小気味よい音を立てて締めて、護身用にすぐに取り出せる御札を懐にも忍ばせ、準備を万端に整えた。

玄関へと向かい、お気に入りのスニーカーに素早く足を滑り込ませて靴紐をしっかりと結ぶ。


「お父さん、お母さん、ちょっとお出かけしてくるで!」


リビングに向かって元気よく声をかけ、扉を開けて爽やかな青空の下へと飛び出した綱江は、胸のときめきを隠せない足取りで、少年が待つ御狐神社を目指して力強く歩みを進めていくのであった。


---


##交通系の定期入れと、渡辺の因縁の予感


綱江はバスに揺られて移動し、新緑が朝日に眩しく映える御狐神社の最寄りのバス停で下車した。

少し早足で参道の入り口へと歩みを進め、神聖な空気が満ちる鳥居の前できちんと背筋を伸ばして丁寧な一礼を捧げる。


それから清々しい境内を通り抜け、本殿の前で二礼に拍手一礼をしてから、敷地内に隣接する才狐の自宅の玄関前に立つと、少しだけ胸を高鳴らせながらインターホンのベルをピンポーンと鳴らす。

すると、間もなくして扉が静かに開き、爽やかなシャツの上に上着を羽織り、機能性の高そうなカーゴパンツ姿になった才狐が姿を現した。


「お早う、綱江さん。朝早くから、わざわざ来てくれて有難う」

才狐はいつもと変わらぬ、ピクリとも感情の読めない端正な無表情のまま、静かに声をかけてきた。


「お早う、才狐君。急な連絡やったからびっくりしたけど、今日はお招き有難うね」

紺色の作務衣姿の綱江は、満面の笑顔で朝の挨拶を返す。


するとそこへ、神社の境内の方からどっどっと、重厚で大柄な男性の影が、のしのしと歩いて来るのが見えた。

その大きな手には、何やら1リットルくらいの容量の瓶が数本入っているとおぼしき、上等で非常に丈夫な仕立ての布袋が大事そうに握られている。


「あれは……羅生門さんや。何か持ってきはったみたいやし、一度あっちに行って見よか」

才狐がそう言うと、綱江も小さく頷き、二人で境内から歩いてくる大鬼の元へと向う。


二人が並んで歩み寄り、「お早う御座います」と声を揃えて頭を下げると、羅生門の鬼は二人を視界に捉え、牙を少しだけ覗かせて親しげな笑顔で挨拶を返した。


「おう、お早うさん!二人とも朝から元気があって実にええな。ほんまなら、せっかくの休日にこんな厳ついおっちゃんがしゃしゃり出んと、若い二人っきりの方が良かったんやろうけどな。今朝早くに、妖古さんから直々に『暇やったら、才狐と綱江を鞍馬の辺りまで連れて行ってやってくれんかの』って連絡が来たらから、こうして迎えに来たんや。一応みんなで行ってみて、もし俺との同行に飽きたら、いつでも途中で二人っきりでデートに切り替えたらええぞ、ガハハ!」

大鬼は持っていた頑丈な布袋を少しだけ揺らしながら、腹の底から響くような声で豪快に笑う。


「「有難う御座います、お世話になります」」

才狐と綱江は顔を見合わせ、並んで丁寧にお辞儀をして大鬼の厚意に感謝を示した。


頭を上げた綱江は、作務衣の袖を少しだけ引っ張りながら、苦笑いと共に小さな声でぽつりと呟いた。

「……はあ、やっぱり怪異の皆さんも、お父さんもお母さんも、周りの人はみんな揃いも揃って、私と才狐君をデートさせたがるんですねえ」


「がっははは!そんだけ、現世も幽世も関係なく、周りの連中が君らのことを見守って祝福しとるっちゅうこっちゃ、誇りに思いや。ほんで、今日は鞍馬の山へ向かう前に、まずは手始めに貴船神社に行くぞ。才狐はこれで確か2回目になるよな。綱江はこれまでに貴船神社へ行った事はあるけ?」

羅生門の鬼が太い腕を組み、二人の顔を交互に見つめながら尋ねる。


「はい、何度か行った事はありますよ。ただ、巫女の仕事としてではなく、純粋に観光と言いますか、普通の御参りと言いますか、そういう私的な理由で行ったきりなんですけれど」

綱江が記憶を遡るように答えた。


「そうか、それなら話は早くて有難いのう。ほな、お前は渡辺綱の直系やないっちゅう話やったけど、今日の貴船では、その渡辺に少なからずまつわる歴史的な人物……今は現世を離れて立派な怪異になっとるんやがな、そういう凄まじい御方に直に会えるで。楽しみにしときや」

大鬼は何か深い因縁を思い起こすように、意味深な笑みを浮かべて優しく微笑む。


「え……?渡辺にまつわる、怪異の御方……ですか?」

綱江はその予想だにしない大鬼の言葉に、思わず大きな眼を限界まで見開いて、驚きに身を硬くした。


「現地に着いてからのお楽しみや。ほな、お喋りはこれくらいにして、そろそろ行こか。ここから先はバスで行くからな、お財布携帯か、交通系ICカードをしっかり手元に用意しとくんやで」


羅生門の鬼はそう言うと、自身の大きな身体には少し不釣り合いな、可愛らしい定期入れを取り出し、中にしっかりとセットされた交通系ICカードを指先でピッと示して見せた。

そのあまりにも現世のルールを遵守する大鬼の微笑ましい姿に、綱江は思わず顔を見合わせて小さく笑みをこぼし、準備を整えた三人は、新たな縁の待つバス停へ向けて、朝の爽やかな空気の中を並んで歩き始めた。


---


##一条戻橋の残り香と、腕を失くした者たちの同盟


道中、賑やかな街の路地裏にある老舗の和菓子屋の暖簾を潜った一行は、羅生門の鬼が「美味そうなもん見つけると、つい手が伸びてまうな」と、出来立ての瑞々しい蓬餅を4人分購入し、大事そうに頑丈な布袋へと一緒に収めた。

それから、新緑の木々を窓外に望む路線バスへと勢いよく乗り込み、涼やかな風が吹き抜ける貴船神社を目指す少年少女呪術師と、一体の大鬼。


美しい観光地の土曜日という事もあり、停留所を経るごとに車内は観光客や熱心な参拝客で徐々に混雑し始め、貴船神社に近づくにつれて、どんどん人が乗って来て車内は身動きが取れないほどの熱気に包まれていく。

やがて、エンジン音をブォォォンと重厚に響かせた満員バスが、貴船神社の最寄り駅の停留所に到着すると、待ち兼ねたようにどっとみんなが降りていき、才狐達も人の波に押されるようにして一緒にステップを降りた。


澄み切った山の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、厳かな神社の鳥居の前で三人はそれぞれ静かに一礼を捧げ、神の通り道である正中を踏まないように端を通り抜け、境内のさらに奥へと足を進めた。

清らかな川のせせらぎがサラサラ、チョロチョロと心地よく周囲に響く中、一般の参拝客の賑わいから外れるようにして、どんどん奥まった静謐な場所へ行き、やがて完全に人気のない木々の生い茂る所までやって来る。


すると、木漏れ日が優しく降り注ぐ緑の奥底に、まるで絵巻物からそのまま抜け出してきたかのような、絶世の美女と言うべき美しい巫女が静かに佇んでいて、一行の姿を認めると、たおやかな動作で丁寧にお辞儀をした。

綱江は、目の前の洗練された巫女の姿をした相手から、肌がビリビリとする程にただならぬ気配を敏感に感じ取るが、才狐と羅生門の鬼が何食わぬ顔で迷いなく近づいていくので、とりあえず内心で強く警戒しつつも、一緒に近づいて行く。


そうして、その神聖にして禍々しい霊圧の中心である目の前までやって来ると、静かな対面が始まった。


「お早うさん、橋姫。今日もその巫女装束がよう似合っとるやんけ。相変わらず別嬪さんやな」

羅生門の鬼が、手にしたおつかいの袋を少しだけ掲げながら、親しげな笑顔で気さくに挨拶する。


「お早う御座います、橋姫さん。今日もこちらの奥地は、とても空気が澄んでいる気がします」

才狐も全く感情の読めない端正な無表情のまま、大怪異を前にしても物怖じせずに淡々と挨拶を交わした。


その二人の言葉を聞いた瞬間、生真面目な綱江の脳裏に、実家の神社や古い文献で幾度となく伝え聞いた、あまりにも有名で恐ろしい橋姫の伝説が鮮烈に蘇る。

目の前の巫女装束に身を包む、この世のものとは思えない絶世の美女こそは、かつては「鉄輪かなわ」の伝説に語られ、狂気的な丑の刻参りと縁深き恐ろしき鬼女、あまりの凄惨さから人々に恐れられた、本物の大怪異・橋姫であった。


「お早う御座います、羅生門殿、才狐さん。わざわざ遠出をしての御訪問、誠に痛み入ります。……ふふふ、そちらの可愛い御嬢さんは、やっぱり我の纏う気配を敏感に察知して、もの凄く警戒しとるようじゃのう」

橋姫は綱江の強張った様子に気づくと、白い袖で口元を優しく隠しながら、鈴を転がすように上品に笑う。


「あ……っ、大変失礼致しました!お早う御座います。私は渡辺綱江です。こちらの才狐君のクラスメイトをしております。あまりの気配に勝手に取り乱してしまって、本当に申し訳ありません」

伝説の鬼女のあまりの美しさと優雅さに圧倒されながらも、綱江は神職の娘として慌てて背筋を伸ばし、深く頭を下げて生真面目に挨拶をする。


「はい、初めまして、渡辺の御嬢さん。綱江さんって言うんじゃな。もうお気づきやと思うけど、我は宇治の橋姫です。現世ではこんな姿をしておるがね、長い年月を経て、人々が恐れる鬼女の属性も、いつの間にかついてしもうてな。それから、そちらの羅生門殿とはな、歴史の裏側で、ある種の同盟関係を結んどるんじゃよ」

橋姫はそう言って、悪戯っぽく瞳を輝かせながら優しく笑う。


「え?同盟、ですか……?あの、現世の歴史に名を残す大鬼であるお二人が、一体どのような同盟を……?」


綱江が思わず大きく眼を見開き、不思議そうに尋ねると、橋姫の美しい唇が滑らかに弧を描いた。

「ふふふ、簡単な話じゃ。我らは大昔に、あの『渡辺綱』に、自慢の腕を持っていかれたもん同士じゃからな」


橋姫が過去の凄惨な敗北を何でもないことのように言ってのけると、すかさず隣の大鬼が腹を抱えて笑い出す。


「そやそや!俺ら二人ともな、あの綱の野郎に思いっきり腕を切られて、それを後から策略で取り返すまで、何から何まで綺麗に御揃いやもんなあ!がっははは!」

羅生門の鬼は太い腕をポンと叩きながら、まるで学生時代の笑い話でもするかのように豪快に笑う。


かつて都の歴史を血で染めたはずの壮絶な過去の因縁を、目の前で実に面白おかしく笑い飛ばし合っている大怪異である鬼達の規格外な器量に、綱江はただただ開いた口が塞がらず、猛烈に面食らうしかなかった。


---


##蓬餅の茶話会、と二大巨頭を叱る超絶美少女


壮絶な歴史の因縁を笑い飛ばす大鬼たちの器に圧倒されつつも、少年少女の二人と二体の伝説の鬼は、境内のさらに奥にある、一般の参拝客が絶対に立ち入らない人気の無い所まで揃って移動した。


木漏れ日が優しく揺れる静寂の中、苔むした平らな岩をそれぞれ椅子代わりに腰かけると、羅生門の鬼が布袋から丁寧に蓬餅を取り出し、全員に行き渡らせて穏やかなお茶の時間が始まった。

包装を開けると、目の前に新緑の爽やかな蓬の香りがふわりと広がる。


才狐と綱江は、手の中の瑞々しい和菓子を見つめながら、声を揃えて頭を下げた。

「「有難う御座います、頂きます」」


二人はお礼を言ってから、行儀よく蓬餅を大きく一口食べ始めた。

もぐもぐと口を動かすと、柔らかな餅の質感と上品な小豆の甘みが、道中の疲れを一瞬で癒やしていく。


「羅生門殿、蓬餅、有難う御座います。いつもながら気が利かはって、本当に嬉しい御土産じゃわ」

橋姫も巫女服の袖をそっと押さえながら、その絶世の美女にふさわしい可愛らしい笑顔を浮かべ、小さな口で上品に食べ始めた。


それを見た羅生門の鬼は、自分の大きな手のひらで蓬餅を器用に転がしながら、満足げに鼻を鳴らした。

「やっぱ現世の蓬餅も格別に美味いよなあ。これな、もし食いしん坊の雲外鏡がここに居合わせとったら、一気に何個くらい口に放り込んでペロリといけるやろか。想像しただけでも、あいつの胃袋は底無しやから恐ろしいわ」

大鬼は蓬餅を一口で豪快に放り込みながら、愉快そうに笑い声を響かせる。


そんな和気あいあいとした怪異達のやり取りを特等席で見つめながら、綱江はどうしても胸の奥に引っかかっていた疑問を抑えきれなくなり、蓬餅を手に持ったまま少しだけ身を乗り出した。


「あの、橋姫さん。橋姫さんにとったら、私の実家みたいな渡辺の一族や、私みたいな鬼を退治することにまつわる神社の娘の存在って……その、なんというか、過去の因縁もありますし、やっぱり……」

綱江は歴史的な背景を思い出し、目の前の大妖怪に対して失礼になっていないかと、段々と口ごもって視線を泳がせる。


その綱江の生真面目すぎる心配を察したのか、橋姫はくすくすと喉を鳴らして、少しも気を悪くした風もなく優雅に笑った。

「ふふ、渡辺の御嬢さん、そんな何百年、あるいはもう千年もの膨大な時間が経った大昔の事、我らは今更これっぽっちも引きずってはおらんよ。我ら怪異かてな、時代に合わせてちゃんと中身をアップデートしとるからねえ」


橋姫が実にあっけらかんと答えたことで、綱江はホッと胸を撫で下ろすと同時に、彼らのあまりにも現代的な思考に正直な感想を漏らす。

「あ、前に羅生門さんからも、今の時代を生きるために、アップデートしてはると言うお話を聞きました。でも、皆さんがほんまにこれほど現代社会に深く溶け込んではって、昔から本や神社で伝え聞いた恐ろしい伝説とはかけ離れた、ほっこりとした生活をされてるのを目の当たりにすると、本当に驚きの連続です」


綱江が目を丸くして語るのを聞き、橋姫はお茶を一口すすんでから、しみじみと頷いた。

「まあ、長い時間を、時には幽世で過ごしてみたり、現世の片隅で生きておれば、それも自然な流れじゃろうね。それにぶっちゃけて言うてしまえば、平安の頃の暴れ回っておった話については、明らかに我ら鬼側が一方的にあちこちでやらかしとったという話じゃろうからねえ」


美しい顔を少しだけ苦笑いに染めて笑う橋姫の言葉に、隣の羅生門の鬼が激しく同意するように太い膝を叩いた。


「ほんまそれやで!その話をな、こないだ御狐神社で綱江と才狐と怪異達で集まった時に、俺も綱江に全く同じ話をしたんやよ。いやあ、ほんま、あん時は歴史上、初めて女鬼ちゃんの事を心の底から怖いって思うたでな。あ、そんでな、御狐神社で妖古殿が自分で言うてたんやけど、俺らが女鬼ちゃんに恐れをなしとった時、妖古殿って、俺らの情けない姿を見て裏で大爆笑して楽しんでたんやて。まあ、あの大天狐にとっちゃ、そりゃあええ笑い話やろな」

羅生門の鬼は頭を掻きむしりながら、当時の恐ろしいお説教の記憶を思い出して豪快に笑う。


すると、橋姫もその時のことを思い出したのか、綺麗な眉をハの字に曲げて大笑いし始めた。

「あはは!実は我もな、あの時、女鬼ちゃんにめちゃくちゃに詰められた一人なんじゃよ。あの頃、綱から必死に腕を取り返してから、一旦は大人しく幽世の奥へと戻った時のことじゃ。そこに女鬼ちゃんが突如として現れてな。あの完璧に可愛らしい顔のまま、額に青筋をビキビキと立てて迫って来るんじゃよ。『ねえ、2回戦おっぱじめる準備とか、まさか裏でコソコソしてないよね?そんでさー、だれかさん達の派手な暴走の御蔭で、あーしの仕事がめっちゃ増えたんだけど。その落とし前として、暫くあーしの仕事を手伝ってもろていいかな?いいよね?』って、有無を言わさぬ圧で凄んでくるんじゃ。そんな恐ろしい真似されたら、我かて『ごめん、もう絶対にあんなんせえへんから!』って、両手を挙げて大人しく従わざるをえんじゃろ」

橋姫が身振付手振りで当時の恐怖を大笑いしながら語るのを聞いて、綱江は手の中の餅を落としそうになるほど驚き、身を震わせた。


「……女鬼さん、お話を聞けば聞くほど、本当に恐るべしな存在やん」

あの可憐な少女の姿をした存在が、歴史に名を残す大怪異なる鬼達を完璧に恐怖で支配している事実に、綱江の驚きは留まることを知らなかった。


すると、橋姫は蓬餅の最後の一片を口に放り込み、どこか遠い目をしながら首をかしげる。

「ほんまに、今にして思えば、なんであの頃の我らって、女鬼ちゃんが青筋立てるレベルまで、あんなに四六時中、都で暴れ回っとったんじゃろねえ?」


「なんでやろな?俺も今となっては、当時の自分が、なんであんなに血気盛んやったのか、サッパリ分からんわ!」

羅生門の鬼も一緒になって首を傾げて笑い声をあげる。


そのあまりにも他人事のような大鬼たちのやり取りに対し、綱江は思わず鋭いツッコミを入れざるを得なかった。

「ちょっと、二人とも何を他人事みたいに言うてはるんですか!御自分の仕出かさはった事やないですか!」


「ふふ、そうなんじゃけどね。あまりにも長い時間が立ち過ぎてしもて、その後に色んな楽しい時代を現世で体験してきたからねえ。今となっては、女鬼ちゃんを怒らせたら絶対にアカン事以外、あんまし拘らんようになったからのう」

橋姫が上品に笑うと、羅生門の鬼も腕を組んで深く頷く。

「ほんまそれや。俺らの長い時の中で、一番強烈に脳裏に焼き付くレベルで印象に残ってんのが、あの女鬼ちゃんに初めて叱りつけられた事やもんなあ。そんな情けない事実、人間サイドの歴史書の類には乗ってへんし、誰も知らへんやろな、がっははは!」


二人の大怪異の昔話を隣で静かに聞いていた才狐は淡々とした口調で、自身の率直な感想を述べた。

「女鬼さんって、本当に凄い方なんですね。今の二人の御話を聞いて、現世と幽世のバランスを保つ存在として、改めてその偉大さがよく分かりました」


才狐が真顔で淡々と述べる横で、綱江だけは、あの脳天気に観える陽気な超絶美少女の可憐な顔が、目の前にいる二人の伝説の巨鬼たちを直立不動にして激しく叱りつけている壮絶な場面を、どうしても頭の中で上手く想像出来ないでいた。


---


##僧正ヶ谷の険しき道、と山を揺らす巨躯の影


心地よい新緑の木陰の元、4人分の瑞々しい蓬餅を綺麗に堪能し終えた後、穏やかなお茶の時間はゆっくりと終わりの時を迎えていた。

宇治の橋姫は、巫女服の白い袖を上品に整えると、絶世の美女にふさわしい美しい笑顔を一行へと向けた。


「羅生門さん、才狐さん、綱江さん、美味しい差し入れを本当に有難う御座います。我はこの後もな、あちらの境内で可愛い巫女達に紛れて、遠方からやって来る観光客の相手をして楽しんどるよ。ふふふ、流石は世界に名だたる京都の観光地じゃねえ、一日に本当に色んな国の言語に触れられて、現世の流行りも知れて実に面白いもんじゃわ」

大妖怪としての凄まじい霊圧を綺麗に隠し、現世の暮らしを心から満喫している様子で橋姫は楽しげに笑う。


一息ついた橋姫は、羅生門の鬼がずっしりと手元に持っている、1リットルの瓶が数本入った上等で頑丈な布袋へと視線を走らせた。

「それで、こちらの賑やかな御三方は、これから一体どこへ行くんじゃろうか?羅生門殿の持っておる、その重そうなもんから察するに、もしや鞍馬の山奥におる、あの山男のとこかえ?」


その鋭い察しに対し、羅生門の鬼は待ってましたと言わんばかりに、牙を覗かせてニカッと笑った。

「流石は橋姫、どんぴしゃ大正解やで。そや、今日はこの二人の若い術師に、鞍馬の山男と本物の天狗に直に会わせたろう思てな、妖古さんからの頼みもあって、これから山を登るんや」


「おや、鞍馬天狗殿か。では、向かう先はやはり、あの鬱蒼とした僧正ヶ谷じゃろか?」

橋姫がさらに問いかけると、羅生門の鬼は太い腕を組んで頷く。

「そやな、僧正ヶ谷の御堂よりもさらに奥まった、一般の人間が絶対に立ち入れん深いとこにおるやろ。あ、そう言えば、鬼一もおるかな?」


「はて、鬼一殿の気配か。我がここへ来る前に鬼一法眼社の辺りを探ってみたけれど気配が全く無かったから、今日は一条堀川辺りを人間に紛れておるか、あるいは姿を見えんようにして現世をほっつき歩いとるんじゃなかろうか」

橋姫がくすくすと笑いながら、別の有名怪異の動向を教えてくれた。


「一条か。それなら、あいつのことやから一条妖怪ストリート辺りのイベントにでも、冷やかしに行っとるかもな。情報有難う、とりあえず俺らは山のもんらに会ってくるわ」

羅生門の鬼はそう言って、どっしりとした巨体を揺らして岩から立ち上がった。


出発の合図を受け、才狐と綱江の二人は並んで橋姫に向き直る。

「「お世話になりました」」

二人は息をぴったりと合わせて仲良く丁寧にお辞儀をし、美しい大怪異へと別れの言葉を告げた。


橋姫は白い袖を優雅に揺らしながら、その美貌に悪戯っぽくも温かい笑みを浮かべて二人を見送った。

「ふふ、こちらこそ、美味しい差し入れを本当に有難う御座います。二人とも、今日のデートを存分に楽しんでおいでね」


その別れ際の徹底されたからかいの言葉を受け、綱江はポニーテールをがっくりと揺らして肩を落とした。

「そやから……もう、いちいちデートちゃうって否定すんのも、段々と疲れてきたわ……」


綱江は半ば諦めたように小さく呟きながら、隣で相変わらず無表情を貫いている才狐と並んで、のしのしと先頭を歩く羅生門の鬼の後ろに付いて行った。


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橋姫と笑顔で別れた後、一行は貴船の賑やかな本殿のエリアを完全に離れ、どんどん険しく奥まった山道へと足を踏み入れていった。

途中で古びた神秘的な御堂らしきものを幾つも通り過ぎ、周囲を囲む木々はさらに太く、幽世の濃い霊気がじっとりと漂い始めた錯覚を覚える。

羅生門の鬼は、手にした重い布袋を揺らしながら、後ろを歩く二人の様子を伺うように振り返った。


「ここから先はな、現世の人間用には舗装されてへん、本物の険しい獣道を行くさかい、足元に気ぃつけてな」

大鬼はそう言って、まだ若い二人の歩幅や体力を細かく見守りながら、絶妙なペース配分で先導して山奥へと進んでいく。


山の斜面は徐々に急勾配になり、ゴツゴツとした岩場や木の根が複雑に絡み合う足場の悪い難所がいくつも現れ始めた。

そんな不安定な場所へ差し掛かるところどころで、才狐はさりげなく自身の右手をスッと綱江の前へと差し出す。


「あ、有難う……」

綱江はその不意に差し出される少年の手のひらに、顔を微かに赤らめながらも、差し出されたその温かくて少し大きな手をしっかりと握り締めて付いて行く。

才狐の確かな握力に支えられながら難所を一つずつ乗り越えるたびに、綱江の胸の奥はトクトクと甘酸っぱく揺れ動き、作務衣の袖をぎゅっと握りしめて歩みを急ぐ。


こうして、鬱蒼とした巨木が立ち並ぶ、完全に現世から隔絶された山の中の開けた場所までやって来た一行。

すると羅生門の鬼は、周囲の木々を激しく震わせるほどの、腹の底から響く大き目の声を張り上げて呼びかけた。


「おーい!山男ー、天狗ー!上等な酒を持って来たぞー!」


大鬼の呼び声が山霊に木霊した次の瞬間、はるか上方の木々の奥から、地鳴りのような太い声が降ってきた。

『おー、羅生門の兄貴じゃねえか。美味い酒の差し入れ、ありがとさんー』


直後、ずん、ずん、ずん……!!と、地面を激しく踏み鳴らす巨大な地響きの音が辺り一帯に轟き渡った。


才狐と綱江が咄嗟に身構えて視線を向けたその先、鬱蒼とした茂みを割るようにして、やがて一行の前に驚くべき巨影が姿を現す。

それは、2メートルを余裕で超える羅生門の鬼の、さらに倍程もある凄まじい背丈を誇る本物の山男であった。

山男はその圧倒的な巨躯を誇らしげに揺らしながら、大型の怪異ならではの豪快な笑顔を作って、親しげに羅生門の鬼の元へと歩み寄って来た。


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##山男のデリカシーと外堀埋まる許嫁


鬱蒼とした茂みを割るようにして姿を現した山男の身長は実に2丈、現代の尺度で換算すれば約6メートルにも達する、凄まじい圧倒的な質量であった。


日本各地の山中に伝わる『山男』は、その恐ろしい巨躯の見た目に反して、基本的には人間に対して非常に友好的な怪異として知られている。

本来ならば人間の言葉は理解できても自ら話すことはできないと言われている怪異なのだが、目の前に現れた山男は違った。


「こんな山奥の中まで、よくわざわざ来てくれましたなあ、羅生門の兄貴。あ、ちょっと待っててや。今のままの大きさやと目線が全然合わんくて、話しづらいやろうからね」

山男は豪快に笑いながらそう言うと、次の瞬間、その巨大な身体がギュゥゥンと不思議な音を立ててみるみるうちに縮んでいく。

そして、隣に立つ羅生門の鬼とぴったり同じ2メートル超の身長になるよう、実に見事に身体の大きさを調整してみせた。


そこへ、上空の木々の隙間から風を鋭く切る音がフワッと響き渡った。

「おう、羅生門殿、上等な酒やって?わざわざこんな山奥まで持ってきてくれてすまんのう」


衣服を綺麗になびかせながら、にこやかな声と共に上空から軽やかに舞い降りてきたのは、顔の真ん中に立派な長い鼻を携えた、仙人のような老人の姿をした者だった。

京都の鞍馬山を古くから統べる、伝説の大怪異・鞍馬天狗である。


山男は大きな体格に合わせた特注のシャツに大きめのズボンを着用しており、鞍馬天狗の方は昔ながらの伝統的な天狗の意匠が施された衣服を粋に身にまとっていた。


山男は自分のシャツの襟元を少し照れくさそうに触りながら、白い歯を見せてにこやかに笑う。

「女の子を一緒に連れて来るってな、事前に妖古様から伝令符で聞いておったからね。流石に俺がいつも山の中で過ごしとる、上半身裸の野性味溢れる格好のままやと、現世の若い女の子に対してデリカシーに欠けるやろうからね。現世の服を引っ張り出して着てみたんよ」


それを聞いた羅生門の鬼は、持ってきた1リットルの瓶が入った布袋を揺らしながら、面白そうに目を細めて大笑いした。

「がはは!なんや鞍馬天狗殿、最近は山男にそんな気の利いた現世の気遣いやら、横文字の本やらを色々と勉強させてんのけ?」


鞍馬天狗は長い白髭を愛おしそうに優しく撫でながら、カラカラと喉を鳴らして楽しげに答る。

「これはな、先日、宇治の橋姫殿から直々にもらったアドヴァイスじゃよ。なんや、今の時代はこんな山奥にも、諸外国からやって来る観光客が滅茶苦茶多いさかいな。せっかく木陰に隠れて現世の人間達の会話に聞き耳を立てて楽しもうとしても、こっちが英語を知らんかったら何を喋っとるのかサッパリ意味わからんやろ?だから皆で勉強しとるんじゃ」


「アドヴァイスって、天狗殿、何気に発音が滅茶苦茶ええやんけ!しかしまあ、昔は言葉すら喋れんかった山男が、今やこれほど流暢に現世の言葉を操るようになるとはなあ、時代は変わるもんやわ」

羅生門の鬼は感心したようにガハハと豪快に笑い声を響かせた。


山男は大きな頭をポリポリと掻きながら、謙虚に微笑んだ。

「いや、ほんまに、鞍馬の皆と、橋姫様や羅生門の兄貴達が親切丁寧に言葉を教えてくれたおかげですがな。本当に感謝してます、羅生門の兄貴にも鞍馬天狗様にも、橋姫様にも頭が上がりません」


ひとしきり挨拶を終えると、山男は興味津々といった様子で、大人の後ろに控えていた二人の少年少女へと視線を向けた。

「ほんで、君が妖古様の自慢の弟子と、その可愛い許嫁やね。初めまして、俺は山男と言う怪異です。今日はよろしくね」


山男が大きな手を差し伸べて笑顔で挨拶すると、鞍馬天狗も長い鼻の横に深い笑みを刻んで続いて挨拶する。

「儂は鞍馬の天狗じゃ。妖古殿から話は聞いとる。宜しゅうな」


大怪異達の温かい歓迎を受け、まずは才狐が一歩前に出て山男と握手しながら、綺麗にお辞儀をした。

「妖古さんの弟子で、狐宮才狐です。宜しくお願いします」


その才狐の隣で、綱江はあまりにも自然に飛び出してきた不穏な単語に、頭がクラクラとするのを覚えながらも、必死に愛想笑いを作る。

「は、初めまして!、渡辺綱江です。現在は、こちらの才狐君のクラスメイトをさせてもらっています。……って、ちょっと待って。さっきから聞いてたら、最初はただの一緒の移動やったはずなのに、いつの間にかデートって言われて、ついに彼女を通り越して許嫁って……周りの噂がどんどん勝手にグレードアップしてるし!このままの勢いやと、そのうち初対面の怪異の皆さんから『結婚記念日はいつ?子供は何人おるん?』とか普通に真顔で言われそうやわ。まだまともなデートかて一度もしてへんのに……」

綱江は必死に笑顔を作ろうとするものの、外堀の埋まり方の凄まじさに顔の筋肉が完全に引きつってしまっていた。


その若者たちの微笑ましい掛け合いを特等席で見ていた羅生門の鬼は、お腹を抱えて再び山を揺らすような声をあげた。

「がっははは!綱江、幽世の連中に完全に外堀を埋められまくっとるやんけ!諦めて早う才狐の嫁になりよし、ガハハハハ!」


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##鞍馬の昼餐、そして嵐のあとの人形師


ひとしきり笑い合った後、羅生門の鬼は、大切そうに抱えていた頑丈な布袋を山男へと手渡した。

「ほんで、これはほんの手土産や。伏見の有名な酒造会社を知っとるやろ、そこの特別に仕込まれた上等な酒やで。今夜にでも、みんなで一緒に飲んでや」


縮んだ状態の山男は、受け取った布袋の中を覗き込んで、その極上の銘柄に目を輝かせる。

「有難う御座います!お、これはまた、滅多に手に入らんええ酒ですやん。流石は羅生門の兄貴、俺らの好みをようわかってくれてはりますわ」

高級な地酒を前にして、山男は実にご満悦な様子で白い歯を見せた。


その隣で、鞍馬天狗も長い鼻の横に深い笑みを刻み、にこやかにお礼を述べた。

「わざわざこんな山の中まで持ってきてくれて有難うなあ。ほな、現世の親切な参拝客から御供えのつまみを色々ともろてるから、今夜はそれを肴に、こっちの皆でじっくりと楽しませて貰うでな」


「おう、気に入ってくれて良かったで。ほな、俺らは長居して邪魔したらいかんし、そろそろ次の目的地に行くとするか。貴船から山を降りて街に戻ったら、時間的にも丁度昼頃になるやろからな」


羅生門の鬼がそう言って二人の若い術師を促すと、鞍馬天狗は白い髭を撫でながら、温かい眼差しを向けて送り出してくれた。

「あいよ、気ぃつけて帰りよし。ほな若人よ、本物の怪異の在り方をしっかり学び、現世でしっかり生きるようにな」


「今後とも宜しくな、才狐君、綱江ちゃん。またいつでも山に遊びに来てな」

山男も二人の背中を見つめながら、優しく微笑んで手を振る。


大怪異達のエールを受け、少年と少女は綺麗に並んで頭を下げた。

「「はい、有難う御座います、今後とも宜しくお願いします」」


二人は息を合わせて丁寧な挨拶を済ませると、再び先頭を歩き出した羅生門の鬼の後ろにぴたりと付いて、新緑の木々がザワザワと揺れる山道を軽快に降りていった。


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山を降りていくうちに、空に浮かぶお天道様は、丁度真上の南へと差し掛かり、丁度、腹の虫が鳴る昼時を迎えていた。

腹を空かせた三人は、近くの山道沿いにある鞍馬山の温泉宿泊施設の食事処へと立ち寄ることに決めた。


落ち着いた和室の席へと通されると、三人は出された料理とお茶を前にして姿勢を正し、神職としての食前の祝詞を厳かに唱え上げる。

静寂の中に響く唱和を終え、綺麗に手を合わせてから、地元京都の新鮮な山菜や湯葉が美しく盛り付けられた京食材膳を、心ゆくまで堪能した。

モグモグ、パクパクと箸を進め、山の恵みを贅沢に使った料理を全て綺麗に平らげると、お腹も心もこれ以上ない満足感で満たされていく。


食後、お盆を片付けにきた店員を前にして、羅生門の鬼は懐から財布を取り出し、ニカッと牙を覗かせた。

「こういう時の支払いはな、若いもんは年上に格好付させとくもんや。気にせんと、しっかり甘えときよし」

大鬼は豪快に笑って素早くスマートに会計を済ませ、二人へ見事に昼食を御馳走してくれた。


「「有難う御座います、御馳走様です」」

才狐と綱江は、大鬼の太っ腹な心意気に深く感謝し、有難く胸の前で合掌してお辞儀をした。


食膳を大いに楽しんだ後、三人は再び電車を使って京都の街へと戻ることに決め、新緑の木々に囲まれた風情ある鞍馬の駅まで歩いてやって来た。

すると、ちょうどカタゴトと音を立てて到着した電車の扉が開き、そこから見覚えのありすぎる黒いコートを纏った人物が、悠然とホームへと降りて来た。


「お、あっちから歩いてくるんは……おお、呪術師殿やんけ。鞍馬まで何か急な用事でもあったんかいな?」

羅生門の鬼が驚いたように声をかけると、才狐と綱江もその姿を視認し、並んで頭を下げた。

「「こんにちは」」


呼びかけられた呪術師は、こちらの姿に気づくと、スッと右手を軽く挙げて挨拶を返す。

「これはこれは、皆さん御揃いで。こんにちは、こちらの駅でお会いするとは、奇遇ですなあ」


呪術師が淡々と語りかけてきたその瞬間、羅生門の鬼のズボンのポケットから、ピリリリリ、ピリリリリ!と現世のスマートフォンの着信音がけたたましく鳴り響いた。


「おっと、なんやろな。ちょい失礼すんで」

大鬼はそう言って端末を取り出すと、すぐに画面をタップして耳へと当てる。

「はいよ、えらいこっちゃん、なんか俺に用事かいな?――おう、なるほどな、ほな、すぐそっち行くわ。待っとき」


手短に要件を聞き終えた羅生門の鬼は、すぐに通話を切ると、スマートフォンをポケットへと仕舞い込んだ。

「すまんのう、えらいこっちゃんがな、小豆洗いと一緒に、揚げ物市をやってるショッピングモールの会場の豆コーナーに行ってるらしいんよ。そこで思いの外、上等でええ小豆と黒豆が大量に見つかったらしくてな、俺の怪力を見込んで荷物持ちをして欲しいんやとさ。ほんで、あっちで妖古殿とも無事に合流したらしいんよ。ほな、可愛いお嬢さんの頼みやし、ちょっと手伝いに行ってくるわ。呪術師殿、申し訳ないんやが、この後はこの子らの引率を宜しゅう頼むで。そっちの用事に付いて行く方が、この子らにとってもおもろいし、何よりええ勉強になるやろからな」


羅生門の鬼はそう言ってガハハと笑いながら、丁度ホームにやってきて扉が開いた街行きの電車へと、大きな身体を滑り込ませるようにして乗り込んでいく。

そして電車の扉がプシューと閉まり、大鬼を乗せた車両は、あっという間に線路の向こうへと走り去っていった。


取り残された形となった一同。


呪術師は去り行く電車の方向を見つめ、呆れたように、しかしどこか楽しげな雰囲気で小さく溜息を吐き出した。

「相変わらず、嵐のような御仁ですなあ。まあ、確かに勉強にはなりますやろな。僕はこれから、この近くにいらっしゃる、一風変わった人形師のとこへ仕事の用事で立ち寄りますさかい、お二人とも、もし良かったらついて来はりますか?」


呪術師のその突然の提案に対し、才狐は感情の読めない瞳を微かに輝かせ、生真面目なトーンで答えた。

「人形師、ですか。怪異を宿す器を作る術理には、とても興味があります。是非、連れて行ってください」


少年の前向きな返答を聞き、隣の綱江もまた、作務衣の襟を正しながらしっかりと頷く。

「私も、そんな専門的な職人さんの場所には行ったことがないので、是非御一緒させて貰います。宜しくお願いします」


こうして、大鬼から黒衣の達人へと臨機応変にメンバーを入れ替えた二人の若い術師は、呪術師の先導の元、鞍馬の深い山影にひっそりと佇む、未知の人形店へ向かって静かに歩き始めるのであった。


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##岸尾人形店の菓子山と、伝説の大鬼の術理


新緑の木々が美しく街並みを彩る鞍馬の、閑静な住宅街が立ち並ぶ一角。

周囲の静寂に溶け込むようにして佇む、古風ながらもどこか厳かな雰囲気を纏った建物の前に、三人の術師達がやって来た。

軒先には、歴史を感じさせる達筆な文字で「岸尾人形店」と書かれた木製の看板が掲げられており、独特の神秘的な霊気が建物の奥からうっすらと漂っている。


カランコロン。

静かに扉を開けて店内に一歩足を踏み入れると、かすかに心地よい木の香りと、人形の塗料とおぼしき独特な匂いが鼻腔をくすぐった。

棚には精巧に作られた美しい人形の数々が並んでおり、そのどれもが今にも動き出しそうなほどの強い生命力を宿している。


三人が入ってきたことに気づき、カウンターの奥から一人の男が静かに姿を現した。

その男――右腕を失った人形師で呪術師、岸尾優理は、空いた右袖を綺麗に結び、残された左手で器用に作業道具を置きながらカウンターの前へと出て来た。


「こんにちは。わざわざこんな山奥の店までお呼び建てしてしもて、すみませんね」


優理は人当たりの良い、どこか世俗を達観したような穏やかな声音で三人を迎える。

そして、呪術師の後ろに並んで立っている二人の少年少女の姿に目を留めると、不思議そうに片眉を上げた。

「ん?呪術師さん、そちらの若くて可愛らしい御二人は、もしやあなたのお弟子さんですか?」


その問いに対し、呪術師はコートのポケットから右手を挙げて挨拶をしながら、淡々としたトーンで告げる。

「こんにちは、優理さん。いやいや、こちらの御二方は、これからの現世の未来を立派に担うて下さる期待の若き術者ですわ。僕の弟子やおへん」


呪術師の紹介を受け、まずは才狐が一歩前に出て綺麗にお辞儀をする。

「狐宮才狐と申します。現在は、京都の御狐神社の宮司をさせてもろてます。本日は宜しくお願いします」


続いて、その隣で綱江もまた、作務衣の襟を正して生真面目な所作で深くお辞儀をする。

「渡辺綱江と申します。私は、鬼切神社の巫女をさせて貰っています。お邪魔いたします」


「これはこれは、ご丁寧にどうも。儂は岸尾人形店の店主をしております、岸尾優理と申します。なるほど、狐の神社に、鬼の神社ですか。これはまた、若くして随分と業の深い、そして実に頼もしいお家柄の御二人さんやねえ」

優理は二人の丁寧な挨拶に感心したように目を細め、優しく微笑んだ。


そして、カウンターの上にどっしりと積み上げられている、綺麗に包装された巨大な箱の山を左手でスッと指差す。

「ほんで、呪術師さん。これが連絡してた、店に大量に届いた菓子セットですわ。ほら、例の付喪神の民子さんと性懲りもなくまた派手な喧嘩……と言うより、一方的に怒られて縮み上がっとった敦彦さんからでね。あの時、また見事に間に入って仲裁してくれはった呪術師さんと御住職にも、ぜひお礼として渡してくれって、わざわざ儂の店を中継点にして送ってくれはりましたんよ」


カウンターの上には、洋菓子から和菓子まで、ありとあらゆる種類の菓子の箱がまるで小さな山のように積み上がっていた。


それを見た呪術師は、敦彦の極端な性格を思い出したのか、ふっと口元を緩めて胸の前で軽く合掌する。

「やれやれ、彼は本当に物事の加減っちゅうもんを知らんのですな。まあ、せっかくの好意ですし、頂けるものは何でも有難い事です。有難く頂戴しますえ」


呪術師が丁寧にお辞儀をすると、優理はクスクスと楽しげに笑いながら、才狐と綱江の方へと視線を向けた。

「バウムクーヘンにクッキー、饅頭に最中に羊羹、諸々たくさんの種類がありますさかいにね、好きなんを選んで持ってってください。そちらの若い二人も、遠慮せんと好きなだけ持ってってや」


「「有難う御座います」」

才狐と綱江は、声を揃えてお礼を言うと、目の前を歩く呪術師の綺麗な所作をそのまま真似るようにして、胸の前で綺麗に合掌して深く丁寧にお辞儀をした。


その二人のシンクロした健気な様子を見て、優理は声を立てて愉快そうに笑う。

「ははは!呪術師さん、めちゃくちゃ若者に慕われてますやん。一挙手一投足まで真似されてますよ」


その言葉に、才狐は真顔で、至極当然のことのように淡々と言葉を返した。

「はい。僕は呪術師さんと御住職さんの在り方を、心から尊敬しています」


少年が一切の躊躇なく「尊敬」と口にしたことに、優理は感銘を受けたように大きく頷いた。

「そうか、そうやねえ。確かに裏方の術者としては、これ以上なく尊敬すべき御人やからねえ。それにしても呪術師さん、そんなに慕われてるなら、いっそのこと弟子にはしてあげへんのですか?」


優理が悪戯っぽく尋ねると、呪術師はやはり表情を変えないまま、静かに首を振る。

「僕は最初から弟子をとる気はおへん。それに、そんな必要も全くありませんわ。既に最高の師匠が最初からいてはりますからな、才狐さんにも、綱江さんにも」


呪術師のその言葉を耳にした瞬間、綱江の胸の奥に、じわっと温かい嬉しさが広がっていく。

自分を日々厳しく、けれど誰よりも温かく育ててくれている大好きな祖父母の存在を、一線級の達人から直々に「最高の師匠」と褒めて貰っているような気がして、誇らしくてたまらなくなったのだ。


優理は、少し嬉しそうに綱江の顔を見つめ、優しく問いかける。

「綱江ちゃんやったっけ?綱江ちゃんの師匠と言うのは、やっぱりその名前から察するに、あの有名な渡辺の一族の偉い方か、それとも古い文献にあるように、本物の鬼から直々に術を教わっとるんかね?」


綱江は我に返ると、自身の出自について正直に、生真面目なトーンで答えた。

「いえ、私は実家の神社で、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんから教わっています。うちは同じ渡辺とは言うても、あの歴史に名を残す渡辺綱、偉大なる先達の直系のお家柄じゃありませんから」


「そうなんやねえ。なんにせよ、お家を継ぐ期待の御孫さんには違いあらへん。素晴らしいことや」

優理は残された左手で優しく自身の顎を撫でながら、温かい眼差しで微笑んだ。


すると、それまで黙って聞いていた呪術師が、ボソッと実戦的な、それでいて少し意地悪なアドバイスを付け加えた。

「……本物の鬼直々に、ですか。それなら、さっきまで一緒に歩いとったあの羅生門さんに、今度直接『術を教えてくれ』って言うてみたらどうです?あの方は若い術者の成長を見るのが大好物ですさかい。案外乗り気になって、喜んで色んな秘伝の技を教えて貰えそうですがな。今度、会った時にでも直談判したらどうでっしゃろ?」

呪術師が、淡々と恐ろしい提案を告げる。


そのあまりにも規模の大きすぎる直談判の提案に、綱江はビクッと身体を震わせ、驚きのあまり大きく眼を見開いた。

「ええ!?お、恐れ多いですよ、そんな!いくら優しくて現代に溶け込んではる言うても、相手はあの歴史に名を残す伝説の大鬼なんですから……!私みたいな未熟者が直談判なんて、絶対に無理ですって!」


綱江が顔を真っ赤にして全力で首を横に振る。

人形店の店内には、術師達の静かで温かい笑い声が優しく響き渡るのであった。


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##市松人形の茶目っ気、と不穏なる人形の呪符


そんな賑やかな談笑が店内に響いていると、不意に床のあたりからコトコト、コトコトと、小さく小気味よい木製の物音が近づいてきた。

三人が視線を落とした先、棚の影から姿を現したのは、鮮やかな友禅染の着物をまとった、おかっぱ頭の可憐な市松人形であった。


生きているかのように滑らかに首を傾げるその姿を見つめ、呪術師は驚く風もなく口元を和らげた。

「これはこれは、市松さん。こんにちは、今日も相変わらずお美しゅう御座いますなあ。ちょっと仕事の用事で、お邪魔してますえ」


呪術師が親しげに声をかけると、市松人形は小さな白塗りの手を合わせて上品に一礼する。

「いらっしゃいまし、呪術師さん。ふふふ、今日はまた、随分と可愛らしい後輩さん達をお連れなんどすねえ。わざわざ鞍馬まで来てくれはって喉も渇いたでしょうし、ほな、すぐに奥でお茶の用意をしてきますね」

たおやかな京言葉を紡いだ市松人形は、そのままカタカタ、カタカタ……と小さな足音を響かせながら、台所とおぼしき奥の部屋へ向かって進んでいった。


その驚くべき光景に対し、才狐と綱江の二人は臆することなく、去り行く背中に向けて綺麗に声を揃えた。

「「こんにちは、お邪魔しています」」


二人が実に自然に挨拶を交わした様子を見て、店主の優理は感心したように細い目をさらに細めて微笑んだ。

「おや、二人とも全く驚かへんのやね。怪異の人形が目の前で喋って動いたというのに、既にそれだけ『こっち側』の世界に慣れてるっちゅうことか。大したもんやわ」


その言葉を受け、綱江は市松人形が消えていった奥の暗がりを見つめながら、率直な感想を口にした。

「実家の神社でも古い道具の付喪神の話を教わったり、最近は唐笠お化けに出会ったりと、多少は見慣れてると言ってもいいかもしれません。市松さんは髪の毛も着物も手入れが行き届いていて、とても綺麗だと思います。えっと、優理さん、あの方の固有の名前って、そのまま市松さんで宜しいんですか?」


「ああ、うちに来た当初は、ただの市松人形やさかいに、儂が便宜上『市松さん』って呼んでたんやけどね。それがいつの間にか周囲にも定着した感じや。彼女自身も、その響きを結構気に入ってくれたみたいやから、今では我が家でも普通に名前として呼んでるで」


優理が優しく笑って答えたその瞬間。

彼の作務衣のポケットの中でスマートフォンがピリリリ、ピリリリ!と騒がしく鳴り響いた。


「おっと、ちょいとすみませんな」


優理は左手で手早く端末を取り出すと、隣にいた呪術師と同時に深く大きいため息をつく。

まだ通話ボタンを押す前の段階で、二人の達人にはこれから起こる面倒事がすべて筒抜けになっているようであった。


画面をタップして耳に当て、繋がった瞬間に優理は頭をガリガリと掻きむしった。

「……はい、優理です。敦彦さん、あなたという人は、人形がらみの怪奇現象やトラブルが起きたら、何でもかんでも儂のところに言ってきはるおつもりやろか。まあ、うちに仕事を下さる上客と言えなくもないんやけどなあ……。――え?ああ、なるほど、今度は民子さんから、うちにリダイヤルしたらええと言われて、ですか」


電話の向こうから聞こえる慌てふためいた敦彦の声を一通り聞き終えると、呪術師がコートの懐へとスッと右手を滑り込ませた。

「優理さん。これ、才狐さんと綱江さんにとっては、現場の空気を肌で感じる丁度ええ実戦の学習になりますし、とりあえず『捕縛』しときましょか?」


呪術師が淡々と告げながら懐から取り出したのは、禍々しい術式がびっしりと書き込まれた、怪異を縛るための人形ひとがたの呪符であった。

その呪符から放たれるピリッとした霊圧を感じ取り、才狐と綱江は無言で身構える。


優理は呪術師の差し出した呪符を見つめ、不敵な笑みを浮かべた。

「そやねえ、折角の機会やさかい、場所を移動して、そこで垂直になるように一発、貼り付けたってください。二人共、おもろいもんが観られるで?相手にとっては、えらいこっちゃな事やけどな」


「え……?」

優理と呪術師の二人の間で、何やら恐ろしい作戦が瞬時に決まったのを目撃し、才狐と綱江は思わず驚きに大きく眼を見開く。


優理はスマートフォンをポケットに仕舞い込むと、二人の若い術師を見つめて悪戯っぽくニヤリと笑った。

「今から、呪術の裏方ならではの、非常に興味深い現場が観られるで。これも『こっち側』の生きた勉強や思うたらええよ。あ、市松さんも、お茶の準備は後にして、一緒に付いて来てんか」


主人の呼びかけに応じるように「はい」と答えて、奥の部屋からカタカタと市松人形が再び姿を現した。

緊迫感と好奇心が入り混じる中、一同は一旦人形店の古い建物を外へと出て、敷地の裏手に佇む、さらに濃密な霊気が立ち上る工房らしき建物へと向かって足早に歩き始めるのであった。


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##都市伝説の逆さ吊り、と一枚の呪符の罠


一行が優理の工房へとやって来ると、そこは木の温もりを残しつつも、無数の削りかけの人形や呪術的な道具が整然と並ぶ、独特の張り詰めた霊気が満ちる空間であった。


室内の中央にどっしりと佇む大き目の柱を鋭い眼差しで見つめていた呪術師は、コートのポケットから手を抜くと、隣の主へと声をかける。

「優理さん、この立派な柱、ちょいとお借りしても宜しゅうおすか?」


呪術師がいつもの調子で淡々と尋ねると、優理は残された左手で自身の顎を撫でながら、快く首を縦に振った。

「ええ、構いませんよ。そこが位置的にも丁度ええ舞台になるでしょうからね、好きに使ってください」


それを聞いた呪術師は、指の隙間に挟んでいた人形の呪符を、狙いを定めて前方の空間へとスッと軽く投げ放った。

放たれた呪符は、まるで意思を持っているかのように真っ直ぐに飛び、柱の表面へとピタッと吸い寄せられるようにして綺麗に張り付く。


その一切の無駄がない洗練された手首のスナップと術力の流れを目撃し、才狐は無表情でありながらも、珍しく興味を惹かれたように身を乗り出す。

「え?呪術師さん、今の御札の技は、一体どういう仕組みなんですか?」


身を乗り出す少年の純粋な知的好奇心に応じるように、呪術師は柱の呪符を指差し、淡々とその術理を解説し始める。

「これは人形ひとかたの呪符と言うもんでしてな。遠くにいる対象の相手と、こちらの空間を同期させる時に使ったり、あるいは形のある人形の怪異相手やと、一番術式が通り易くて効きやすい形の呪符なんですわ。人形怪異相手やったら、あらかじめ罠として配置しておくには最適の術なんです」


その専門的な裏方の解説を聞き、綱江も負けじと目を輝かせながら、同じく身を乗り出した。

「人形の、呪符……。それに、人形の怪異相手やと一番効果があるって、一体これから何が来るんですか?」


二人の若い術師が興味津々で柱を見つめていると、不意に優理のポケットの中で携帯電話がプルルルッ、プルルルッ!と大きな音を立てて鳴り響いた。

優理は苦笑いを浮かべながら手早くそれを採ると、相手が喋り出すよりも早く、凄まじい速度で口を開く。


「ええから、四の五の言わんと早よおいない」

それだけを冷淡に言い放つと、優理は繋がった瞬間にスマートフォンの通話をブツリとすぐに切ってしまった。


そのあまりにも容赦のない対応を横目で見ていた呪術師は、口元を小さく歪めて無表情のまま呟いた。

「やれやれ、やっこさんは、随分と律義に怪談の手順を一つずつ守って動いてますなあ」


その大人の会話の意味が分からず、才狐と綱江の二人は同時に「「手順?」」と不思議そうに首を傾げたが、その横に佇んでいた市松人形だけは、すべてを察して袂で口元を隠しながらくすくすと不敵に笑っていた。


すると、またしても間髪入れずに優理の携帯電話が騒がしく鳴り響く。

優理は再び画面をタップして耳に当てると、今度は呆れたような声で呼びかけた。

「わざわざ段階を踏まんと、ショートカットしてこっちに来てもええんよ?」


そう告げて再び一方的に通話を切ると、優理は柱の前に立つ一同を振り返って楽しげに笑う。

「やれやれ、やっと今のアドバイスのおかげで、玄関まで一気に来ましたで」


人形呪術の達人と市松人形が悪戯っぽい笑みを交わした、まさにその直後であった。


柱に綺麗に貼り付けられていた人形の呪符の周囲において、空間が目に見えて歪むような激しい衝撃の揺らぎが突如として生じる。

空気がブワッと不気味に波打ち、次の瞬間、そこには市松人形と同じくらいの大きさの、異様な存在が忽然と姿を現していた。

それは、美しい金髪のロングヘアを華やかに波立たせ、頭にはお洒落な女性用の帽子をかぶった、足元まである細立ての可愛らしいエプロンドレスと、小さな可愛い靴を履いた、実に精巧で愛らしいデザインの洋人形の姿であった。


しかし、その出現した体勢は、あまりにも常軌を逸していた。


その洋人形は、呪術師の放った人形の呪符の足部分に対して、自らの両足の裏を磁石のようにピタッとくっつけたまま、重力を完全に無視して背中が天井を向き、顔は地面を向くという、完全に地面と水平の状態という、無残な形で空間に固定されてしまっていたのである。

洋人形は、片手に現世のスマートフォンを握りしめたまま、最初は獲物を追い詰めたと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべており、同時に優理のスマートフォンが再びけたたましく鳴り響いた。


受話器のスピーカー越しと、この静かな工房内に響く生のハイトーンな声が綺麗に重なり合い、大音量で神域に響き渡る。

「もしもし、あたしメリーさん。今、あなたの後ろに……って、え?――あれ?」


ターゲットの背後から恐怖を突きつけるはずだった『メリーさん』と名乗った洋人形は、言いかけた途端に己の置かれたあまりにも奇妙で情けない体勢に気づき、きょとんッとした表情を浮かべて言葉を詰まらせた。

目の前には、自分を見下ろしている四人の術師達と、一体の市松人形の楽し気な視線がある。


「ちょっと、何よこれぇぇっ!?なんであたし、こんな古臭い柱に引っ繰り返って張り付いてるのよ!体がビクとも動かないじゃないのよ、離しなさいよ!」


メリーさんは、その綺麗な眼をかっと大きく見開いて、手をバタつかせながら大慌てで喚き散らし始めた。

電話という便利な文明の利器が世に出た現代だからこそ出現出来た、都市伝説という名の新時代の怪異・メリーさんは、達人が事前に仕掛けておいた一枚の呪符の見事な術理の罠によって、現れた瞬間に無惨にも絡めとられていたのであった。


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##逆さ吊りのメリーさんと、少年の無表情な賛辞


重力を完全に無視して、柱の人形の呪符へと逆さに張り付けられたメリーさんは、手をバタつかせながらギャーギャーと甲高い声で喚き散らしていた。


その滑稽で哀れな姿を見つめながら、店主の優理は残された左手でぽりぽりと頬を掻き、呆れたように笑う。

「やれやれ、人形師の儂をわざわざ呪うて襲いに来る人形の怪異とか、怪談にしちゃあ随分と洒落が効いとるな。さて、このお転婆な迷子について、ちょいと失礼しますで」


優理はそう言うと、ポケットからスマートフォンを取り出し、画面をタップして特定の連絡先へと電話をかけた。


プルルル、プルルル、ガチャリ。

コール音が数回響いた後に通話が繋がると、優理はスピーカーモードに切り替え、苦笑いを浮かべながら受話器の向こうの相手へと語りかける。

「もしもし、こちら岸尾人形店です。敦彦さんですか?今しがた、例のメリーさんとやらをこちらの工房で無事に御迎えしましたけどね。民子さんも敦彦さんも、なんでもかんでも面倒な怪奇現象をうちに回してくれはるおつもりですか?」


すると、スマートフォンのスピーカーからは、『かわりなさい』と言う声が聞こえて、ハキハキとした人形の付喪神の民子さんの賑やかな声が響き渡った。

『あはは、優理さんなら何とかしてくれるでしょ?さっき、そのメリーとかいう生意気な洋人形から敦彦に直接電話がかかって来て、あいつ完全に腰抜かして私に泣きついて来ちゃって。だから、業を煮やした私が、そのメリーと一戦交えてバキバキに叩き割ってやるって言ってやったのよ。そうしたら敦彦のやつが、それじゃあ大事になるからやめてくれって半泣きで止めるのよ?だから、優理さんに任せておけば一番穏便に済むと思って、そっちに丸ごと振ったのよ。そういうわけだから、今回の依頼料は全額きっちり敦彦のやつに請求して頂戴ね』


民子さんの豪快な言い分を聞き、優理は合点がいったように深く頷いた。


「なるほど、裏でそんな騒動があったんですな。こっちとしては、いつも通り仕事を頂けて大変助かりますがね。ほな、また後で敦彦さんの方へきっちりと高めの請求書を送っときますわ。あ、それと、今回はうちの柱に現れた瞬間に、隣にいてはる呪術師さんが手際よく対処してくれはりましたからね、呪術師さん分の依頼料も上乗せして、きっちり請求させて貰いますさかいに。ほな、失礼します」

優理は事務的なやり取りを終えると、すぐに通話を切ってスマートフォンをポケットへと戻した。


そして優理は、隣で腕を組んでいる黒衣の男へ振り返り、親しげに告げる。

「呪術師さん、そういうわけですので、また近いうちに敦彦さんから、まとまった額の振り込みがあると思いますわ」


「おや、それは有難う御座います。毎度ありって言うとこでっしゃろか?」

呪術師は淡々と答え、柱に逆さに張り付いたまま怒りに顔を真っ赤に染めているメリーさんを冷ややかな瞳で眺めた。


「ちょっと!さっきから聞いてれば、あたしのことを勝手に不審者みたいに捕まえて、ニヤニヤ観てないで早くここから放しなさいよ!これ以上無視するなら、メリーさんキックで本気で思いっきり蹴るわよ!?」

メリーさんは宙で短い手をパタパタと必死に動かしながら、ギャーギャーと激しく喚き散らす。


その様子を見た呪術師は、全く動じる風もなく、むしろ楽しそうに淡々と言い放った。

「ほう、足技が得意なんですな。ほな、メリーさんキックと傘キック、あの唐笠さんとどちらの蹴りが鋭いか、一回その場でお互いに全力で蹴り合ったら、さぞ見ごたえがありそうですなあ」


「怪異同士の純粋な足技の闘い、確かに術理の構築としても非常に興味深いですね」

才狐が呪術師の言葉に同意するように、静かに呟く。


「ええー……そんな怪異同士のプライドをかけた泥仕合、絶対に収集がつかんようになって泥沼になりそうやと思うよ……?」

そのあまりにもシュールな光景を想像し、隣の綱江は頬を引きつらせてツッコミを入れた。


すると、その横で様子を伺っていた市松人形が、着物の袂で口元をそっと隠しながら、京言葉で上品に笑い声をあげた。

「ふふふ、メリーはんって、本当に随分と元気が宜しゅうおすなあ。若いお人形さんは、エネルギーが満ち溢れていて羨ましい限りどす」


「あんた、古臭い人形の分際で、さっきからすました顔して、なに生意気なこと言ってんのよ!あたしをそこらの普通の安物人形だと一緒だとか思ってんなら大間違いよ!現代社会における携帯電話の爆発的な普及のおかげで、あたしの怪異としての行動範囲は世界最強なのよ!」

メリーさんは足が呪符で完全に固定されて動かない分、その小さな両腕をぶんぶん、ぶんぶんと猛烈な速度で振り回して虚勢を張った。


その必死に短い腕を振り回して威嚇するコミカルな姿を見て、綱江は既視感を覚え、くすくすと楽しそうに笑う。

「あはは、その両腕を勢いよくぶんぶん振る仕草って、なんか、えらいこっちゃんを見ているみたいで可愛いね」


自分の必死の威嚇を笑われたメリーさんは、さらに激昂し、宙を睨みつけながらギャーギャーと汚い言葉で悪口を言い始め、静寂を破るように騒ぎ立てる。

「何がえらいこっちゃよ!笑ってんじゃないわよ、このブス!」


その瞬間、それまで静かに見守っていた才狐が、一歩前に出てメリーさんの顔を正面から見据えた。

「綱江さんは、顔の作りや造形は全体的にとてもと調ってると思うよ。前に妖古さんも、綱江さんのことを『実に可愛らしくて美人な娘じゃて』って、嬉しそうに褒めて言うてはった。そやから、メリーさんの言っているその悪口は、客観的な事実やないと思う」

才狐は、至極当然の事実を並べるように、淡々と澄んだ声で告げた。


「――っ!ちょ、ちょっと、才狐君……!」

まさかそんな、底の知れない気になる男の子から、直球で「可愛い」「美人」という言葉を、大真面目なトーンで連続で叩き込まれるとは思っておらず、綱江の顔は一瞬にして沸騰したかのようにパッと赤く染まり、動揺のあまり作務衣の袖をぎゅっと握りしめて俯いてしまう。


「あー!ちょっと!何よそれ!あたしが一生懸命呪おうとしてる前で、勝手に甘酸っぱい青春してんじゃないわよ!見てるこっちが恥ずかしいから早くここから放しなさいよ!」

目の前で突如として始まった若い二人の純愛な空気に当てられ、メリーさんはさらに顔を真っ赤にして地団駄を踏むように喚き散らした。


優理は、顔を真っ赤にして下を向く綱江と、逆さ吊りでジタバタと騒ぐ人形を見比べながら、満足げに微笑む。

「ははは、なんか色々と賑やかで収拾がつかんようになってきたな。ま、見取り稽古としては、こんくらいで丁度ええか」


工房の中には、職人と術者達の温かい笑い声が響き、メリーさんのもたらした新時代の怪異騒動は、賑やかな和みの時間へと変わっていくのであった。


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##調律の術理と、人形師の針仕事


これ以上の暴走を阻むため、店主の優理は手際よく作業台から特殊な糸を取り出した。

それは怪異の動きを制限する術式が幾重にも施された太めの糸であり、優理は左手でメリーさんに向かって投げると、ジタバタと抵抗するメリーさんへとシュルシュルと流れるような動作で、糸がひとりでに動いて括り付けていく。

動きが完全に封じられたのを見届けると、呪術師が柱に手を伸ばし、人形の呪符をペリッと軽やかな音を立てて回収し、そのまま上質なコートの懐へと静かに仕舞い込んだ。


不名誉な呪縛から解放されたものの、術式の糸で手出しができない状態にされたメリーさんは、観念したように大人しく工房の机の上に、ちょこんっと腰掛けた。


「……信じられない。あたしとしたことが、まさかこんな奴等に一瞬で捕まるなんて思ってもみなかったわよ」

プライドを深く傷つけられた現代の都市伝説は、これ以上ないほど不満げに両頬を膨らませてぷいっと横を向き、盛大にむくれてみせる。


すると、その様子を傍らでじっと観察していた市松人形が、着物の裾を揺らしながらメリーさんへトコトコと近づき、メリーさんのエプロンドレスの端をやさしくつまみ上げた。

「優理はん、ちょっとこちらを御覧になっておくれやす。この子、あちこちを随分と飛び回っておられたせいか、だいぶお洋服の裾とか、いたるところの生地が擦り切れてはりますえ」

おかっぱ頭を小さく傾げながら、市松人形は洋人形の衣服のあちこちにある、細かなほつれや痛みの部分を主へと差し示してみせる。


優理はメリーさんの姿を上から下までじっくりと眺め、納得したようにふっと表情を緩める。

「ほんまやねえ。店に入ってきた時から薄々感じてはいたけれど、だいぶ衣類全体が痛んどる印象やったからな。これじゃあ最強の行動範囲が泣いてまうわ。ほな、これも何かの縁やし、いっちょ綺麗に修繕したるか。もちろん、この分の修繕費も、後で敦彦さんにきっちり上乗せして請求したらええんやろ」

優理はそう言って引き出しを開けると、職人としての顔つきになり、年季の入った金属製のメジャーをシャカッと小気味よく引き出してきた。


そして、戸惑うメリーさんの前に膝をつき、目線を合わせて優しく微笑みかけた。

「今から細かく採寸するけれど、絶対に暴れんときや、危ないからね」


メリーさんは差し出されたメジャーと、目の前にいる職人の穏やかながらも底の知れないオーラに気圧され、完全に毒気を抜かれたように小さく身を縮こまらせる。

「……ふん、そっちの後ろにいる若い二人組はともかくとして。片腕しかなくても術の通りが良いあんたも、今のあたしじゃ敵わないし、特にそっちの何考えてるか分からない得体のしれない黒服の男は、あたしが何か余計な事をしようとしたら、それこそ一瞬で容赦なく反撃して叩き潰してくるでしょうよ。……仕方ないから、今は大人しく測られてあげるわよ」

メリーさんは再び悔しそうに頬を膨らませ、大人しくその場にじっと座り込んだ。


その言葉を聞いた優理は、メジャーの端を市松に持ってもらい、左手で器用にメジャーを扱いながら、楽しげに声を立てて笑う。

「そりゃあ素直で有難いこっちゃ。でもな、こちらの呪術師さんは、君が思うとるような、そんな酷い事はしはらへんよ。あちこちで暴走して歪んでしまった場を、一番痛みのない方法で綺麗に調律して下さる優しい御方なんやからね」


優理はそう言って安心させるように微笑み、手際よく針仕事の準備を始め、同時に後ろで見守っていた才狐と綱江の二人へと視線を投げかけた。

「才狐君に、綱江ちゃん。一連のメリーさんとのやり取りを特等席で観ていて、何か大切なことが、ようわかったんとちゃう?呪術師さんは最初の罠から今の今まで、攻撃の術や相手を傷つけるような危ない技は一切使わず、あくまで相手の動きを確実に止める最小限の事しかしてはらへんかったって事、凄いと思わん?」


尋ねられた才狐は、これまでの流れるような大人たちの無駄のない術理を頭の中で反芻し、静かに答えた。

「はい。本当に無駄が何一つなくて、見事としか言えませんでした。もし僕が同じように人形の怪異の襲撃を受けていたら、きっと術式の相性を考える前に、ある程度こちらから攻撃を仕掛けて相手の動きを物理的に止めてから、それから捕縛するという荒いやり方になっていたと思います」


続いて、隣の綱江も自身の未熟さを痛感したように、苦笑いを浮かべる。

「私なんて絶対に最初から余裕がなくなって、呪符をこれでもかってくらいに連発して、大ドンパチの派手な戦闘になってたと思います。反省することばかりです」


二人の若い術師の率直で生真面目な感想を耳にし、優理はとても満足そうに目を細めて優しく微笑んだ。

「そっか、二人とも自分の未熟さと現在地、今の実力を正確に自覚できてる、本当にええ感想やねえ。今見たような、相手を傷つけずに一発で無効化する術ができるのはな、目の前の相手に対して、何をどうするかの最適解を瞬時に選び取る事が出来る深い観察眼に洞察力、そして選び取った方法を寸分の狂いなく実践できる圧倒的な実力、そういったものがすべて完璧に揃って初めて成せる業なんや。言うても、儂かてまだまだその境地を目指して日々修行中の身やけどな」


優理からの最大級の賛辞を受け、呪術師は照れる風でもなく、いつも通りの淡々としたトーンで謙虚に言葉を返した。

「いやはや、優理さんからそこまでお褒め頂き、誠に恐縮です。僕からしたら、かなり買い被り気味な評価ですがね。優理さんこそ、こういった人形関連の呪術や怪異の器の扱いについては、この現世において右に出る者のいないエキスパートやし、僕こそ、いつもここで多くのことを勉強させてもろてますわ」


呪術師はそう語ると、綺麗に腕を組んだまま、作業台の上の道具へと視線を落とした。

「ほな、優理さんはこれから、メリーさんの本格的な洋服の修繕作業をされるでしょうから、長居して邪魔をしたら悪いですし、僕らはこのあたりで御暇しましょか」


呪術師が促すと、才狐と綱江の二人は綺麗に並んで一歩前に出す。


「「有難う御座います、今日も本当に貴重な体験をさせて頂きました。お世話になりました」」

二人は息をぴったりと合わせて、呪術師の後ろ姿に続くようにして、胸の前で深く合掌しながら丁寧にお辞儀をした。


「ほな、またね、期待の御二人さん。呪術師さんも、今回も色々と素晴らしい手腕を見せて下さいまして、有難う御座います」

優理は作業台から顔を上げ、残された左手を優しく振って三人を見送った。


その足元で、市松人形も着物の袂を綺麗に整えながら、満面の美しい笑顔を浮かべて頭を下げた。

「またいつでも、この鞍馬の店まで遊びに来ておくれやす。今度お越しいただいた時には、今日お出しできなかった、とびきり美味しい御茶をしっかりと御用意させてもらいますさかいに」


人形達の温かい見送りの声と、ドアの音を背中で聞きながら、メンバーの絆をさらに深めた三人の術師達は、鞍馬の静かな住宅街へと、再び並んで歩みを進めていくのであった。


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##麩饅頭のおやつ時、達人たちの美食の系譜


鞍馬の地を後にした三人の術者達は、叡山電鉄の鞍馬駅から緑のトンネルを潜り抜けるようにして南へ向かう電車に揺られていた。

カタゴトと心地よい駆動音に身を任せ、やがて八幡駅で降りてから、柔らかな風が吹き抜ける道を歩いて地下鉄の国際会館駅へと向かう。


そこから再び地下鉄の電車に乗り込み、京都の街をさらに南を目指して進んでいった。

車内の窓から差し込む光が少しずつ傾き、時計の針が丁度、世間ではおやつの時間と呼ばれる時間帯を指し示す頃、呪術師の提案で途中下車をすることとなった。


呪術師は、岸尾人形で頂いたお土産を持って「足休めに丁度ええですな」と、笹の葉の瑞々しい香りが漂う出来立ての麩饅頭が入った箱を観る。

お土産を手に携え、三人は再び歩みを進めて、お馴染みの女性住職の寺院へと足を運んだ。


静寂が心地よく満ちる山門の前で、三人は並んで深く一礼を捧げてから、歴史を感じさせる厳かな境内の中に入っていく。

ザッ、ザッと玉砂利を踏みしめる音が響く中、母屋の玄関へと近づくと、既に三人が来ることを察知していた女性住職が、引き戸を開けて待っていてくれた。

女性住職は玄関の上がり框の前に立ち、暖かく清らかな菩薩笑顔を浮かべ、胸の前で綺麗に合掌して出迎えてくれる。


この日は、午前中は懇意にしている別の寺院へ法要の手伝いに行っており、午後に自身の寺へと帰って来ていたばかりの女性住職は、法衣の袖を美しく整えて丁寧にお辞儀をして挨拶を口にした。


「ようこそお参り下さいました、呪術師さん、才狐さん、綱江さん。道中、本当にお疲れ様で御座いましたね」

女性住職はどこまでも深く澄んだ菩薩笑顔で合掌してお辞儀をする。


「こんにちは、お世話になります。優理さんのところで和菓子を頂いて来ましたんで、皆で頂きましょか」

呪術師は手にした包みを少し掲げながら、丁寧に合掌してお辞儀をする。


才狐と綱江、二人の若い術師も「「こんにちは、お邪魔します」」と声を揃え、大人の所作を見習って綺麗に合掌してお辞儀をして挨拶をした。


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一同はまず本堂へと向かい、静けさの漂う御前で静かに手を合わせ、今日一日の無事の御参りを済ませた。

その後、落ち着いた和室へと移動し、女性住職が手際よく鉄瓶でお湯を沸かし、トクトクと急須から湯呑みへと芳醇な香りの緑茶を注ぎ、お茶の準備を整えていく。


座卓の上に、笹の葉に包まれた冷たい麩饅頭と深い緑色の緑茶を前にして、一同は胸の前で綺麗に手を合わせた。

浄土宗の食前の言葉を声を揃えて厳かに称え、十回の念仏を静かに唱え終えてから、全員で「頂きます」をして、待ちに待った和やかなおやつの時間が始まった。


女性住職は、笹の葉を器用に開いてツルンとした麩饅頭を口へと運び、その上品な生麩の食感と餡の甘みに目を細めた。

「まぁ、本当に美味しい麩饅頭を、有難う御座います。この少し渋めに淹れた温かいお茶に、とてもよく合いますね」


女性住職が幸せそうに微笑むと、呪術師は自身の湯呑みを持ち上げた。

「お気に召して何よりです、敦彦さんと民子さん、優理さんに感謝ですなあ。これからの季節には、このツルッとした喉越しが一番のご馳走になりますさかい」


呪術師はお茶を一口ズズッと飲むと、いつもの張り詰めた気配を和らげた。

才狐と綱江の二人も「「有難う御座います、頂きます」」とお礼を言って、口いっぱいに広がる和菓子とお茶の絶妙な調和を心から楽しんだ。


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一息ついたところで、呪術師は道中で羅生門の鬼から若い二人の引率を引き継いでからの出来事、岸尾人形店でのあの新時代の怪異・メリーさんを巡るコミカルな一件を順序立てて女性住職へと話し始める。

才狐と綱江の二人も、それに言葉を重ねるようにして、午前中に貴船神社の奥地で大怪異・橋姫に遭遇したことや、鞍馬の深い山奥で身長が自在に変わる山男、そして威厳に満ちた鞍馬天狗に直々に挨拶をした事を熱っぽく話した。


二人の若い術師の貴重な体験談を静かに聞き届けた女性住職は、深く感銘を受けたように優しく微笑む。

「それは、本当によう御座いましたね。幽世を統べる名だたる皆様とも、こうして若いうちから良き御縁が結ばれた御様子で、何よりの経験で御座います」


女性住職の温かい肯定の言葉を受け、綱江は湯呑みを両手で包み込みながら、今日一日の目まぐるしい出来事を振り返って楽しげに笑った。

「それにしても私、昨日と今日は本当に圧倒されてばかりの一日でした。凄い実力のある人達の規格外な技を間近で見せてもろたり、その大怪異の皆さんが普通に人間の暮らしに馴染んではったり……。後、怪異の皆さんって和菓子とか洋菓子とか。人間の世界のお菓子が本当に好き過ぎですよね」


綱江が正直な感想を漏らすと、女性住職は袖で口元を隠してふふっと微笑む。

「ふふ、確かに、言われてみればそうですね。あの方々に現世の美味しい御土産をお持ちすると、とても喜んで下さいますものね」


才狐は、お麩のモチモチとした食感を味わいながら静かに呟いた。

「長い時間を生きている分、それだけ現世の食文化の進化に触れて、自然と舌が肥えていらっしゃるんですね」


少年の極めて冷静な分析を聞き、呪術師は、その瞳の奥にどこか楽し気な雰囲気を滲ませながら、再び温かいお茶を静かに口へと運んだ。

「長い年月を飽きずに生きるための、ちょっとした食通、グルメっちゅうやつですかなあ。まぁ、美味いもんを前にすれば、怪異も人間も等しく笑顔になるっちゅう事ですわ」


夕暮れの和室に達人たちの穏やかな笑い声が響き渡り、今日一日の濃密な見取り稽古の記憶は、麩饅頭の優しい甘みと共に、二人の若い術師の心へと深く溶け込んでいくのであった。


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##南鳥居の人避けと、開かれた結界の奥


山肌を包む新緑が夕暮れの茜色に染まり始め、遠くの空でカラスがカー、カーと寂しげに鳴く頃、おやつの時間を終えた三人の術者達は、女性住職の寺院からいよいよ御暇しようとしていた。


そして、法衣の袖を綺麗に整えた女性住職が、道中の無事を祈るように温かい眼差しで見送ってくれる形で、共に玉砂利を踏みしめながら静かな山門のところまでやって来た時のことである。


門の外の通りを見据えた呪術師は、何か面倒なものでも感知したかのように深く重いため息をついた。

「なんとまあ……」


その隣で、常に穏やかな空気を纏っていた女性住職もまた、門の外から漂ってくる微かな霊気の乱れを敏感に察知した。

彼女はいつもの美しい菩薩笑顔を一切崩さぬまま、けれど少しだけ困ったような声を小さく上げる。

「あらまあ」


二人の達人が同時に足を止め、ただならぬ雰囲気を醸し出したのを見て、才狐は生真面目なトーンで尋ねる。

「あの、何かあったんですか?」


才狐の問いに対し、呪術師は上質なコートのポケットに両手を深く突っ込んだまま、いつも通りの淡々とした抑揚のない声で告げる。

「えらいこっちゃな事があるようですなあ」


その呪術師の言葉を受けて、女性住職は目を細めると、法衣の裾を翻して一歩を引き戸の外へと踏み出した。

「とりあえず、様子を見に行ってみましょうか」


女性住職はどこまでも穏やかな菩薩笑顔のまま、迷いのない足取りで歩き出す。

呪術師も無表情のまま黙ってその後に付いて行き、状況が掴めない才狐と綱江の二人も顔を見合わせながら、その背中を追いかけて後ろを付いて行った。


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夕闇が少しずつ濃くなり始める住宅街の路地を暫く歩いて行くと、大きな木々の緑に囲まれた、こんじんまりとした古い神社が前方に静かに見えてくる。

その神域へと近づくにつれて、まだ未熟なはずの才狐と綱江の二人にも、何かが普通ではない異常な事態が奥で起こっている事は、肌を刺すような独特のピリピリとした気配で十分に感じ取ることができた。


それは、まるで本能が危険を察知して拒絶しているかのように、何やら足が自然と前へ向かなくなってしまう不思議な忌避感の気配でもあったが、術理の全貌や詳細までは、まだ二人の実力では正確にわからない。

神社の入り口に到着すると、鳥居の前で一度立ち止まり、深く丁寧な一礼を捧げる呪術師と女性住職の美しい所作に習い、才狐と綱江の二人も背筋を伸ばして綺麗に一礼を捧げて神域へと敬意を示した。


頭を上げた呪術師は、静まり返った鳥居の奥の暗がりをじっと見つめながら、どこか投げやりな調子で淡々と言い出す。

「放っておいても良さそうやと思いますがね」


「大事には至らないとは思いますが、如何致しましょうか?」

女性住職はそう言いながら、鳥居の奥の様子を見るように、若い二人へと視線を投げかけた。


その大人たちの不可解なやり取りに対し、綱江は作務衣の袖をぎゅっと握りしめ、率直な疑問を口にする。

「奥で何か起こってるんですか?」


綱江の純粋な問いかけに対し、呪術師は神社の構造を指し示すように、感情の起伏を一切見せなず、淡々と丁寧な解説を始めた。

「こっちは南鳥居と言いましてな、向こうの北側には会館がありまして、利用する人もいてはります。そんで、そこには駐車スペースがありまして、時々、ここでやらかす輩がおりましてなあ」


呪術師が呆れたようにそう言って再び大きなため息をつくと、女性住職が優しく微笑みかけながら言葉を重ねる。

「外に漏れないように、人避けをして下さっていますね。才狐さんと綱江さんも、何となく入る気にならない、そんな気配を感じ取っていらっしゃいませんか?」


女性住職のその優しい問いかけに、才狐は自身の感覚を確かめるように小さく頷き、静かに答えた。

「確かに、何となく入る事に躊躇しました。」


「あの、一体何がどうなってるんですか?」

綱江はまだ見ぬ境内の奥の状況に対し、作務衣の胸元を押さえながら不思議そうに首をかしげた。


すると、呪術師はコートのポケットから手を抜くと、表情を変えることなく、淡々とした声音のまま言葉を紡ぐ。

「これも『御近所付き合い』やと思えば、素通りするんは勿体ないかもしれませんな」


呪術師はそう言うと、自身の左手を、境界線である鳥居の空間の中へとスッと迷いなく滑り込ませた。

すると……。


パリンッ!


次の瞬間、まるで目に見えない薄いガラスの壁が一瞬で粉々に砕け散ったかのような、張り詰めていた空間の結界が綺麗に開かれた感覚が、若い二人の肌へと鮮烈に伝わってくるのであった。


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##南鳥居の不届き者、と怒れるぶらり火の灯火


呪術師の細長い左手が、スッと南鳥居の先へと差し入れられると、空間の歪みが綺麗に開かれて、才狐と綱江が先程まで肌で感じ取っていた、どうしても足が前へ向かなくなってしまう摩訶不思議な忌避感の感覚が、嘘のように霧散して綺麗になくなった。


「ちょいと失礼しまっせ」


呪術師は躊躇なく鳥居をくぐり、女性住職も静かな足取りでその後に続く。

才狐と綱江の二人の若い術師も、その背中を見失わないように遅れて続いて行く。


鳥居をくぐり、薄暗い境内の北側へと繋がる開けた駐車スペースへと差し掛かると、そこには異様な光景が広がっていた。


敷地内に停められた2台のバイクのすぐ傍で、地面に尻餅をついて完全に腰を抜かしている、派手な革ジャン姿の若い男性二人が、恐怖にガタガタと身を震わせている。

そして、その腰を抜かした二人の目の前には、全身が真っ赤な炎でメラメラと燃える鶏くらいの大きさの鳥が浮遊しており、怒っていると思えるような険しい表情を浮かべながら、鋭い眼光で男二人を激しく睨みつけていた。


「こんばんは、ぶらり火さん。今夕もお変わりないようで何よりです」

女性住職は、どのような異変を前にしてもその美しい菩薩笑顔を崩さず、胸の前で綺麗に合掌してお辞儀をした。


「こんばんは、ぶらり火さん。足元にこれだけの吸い殻が落ちとるっちゅうことは、大体の事情はそう言う事でっしゃろ」

呪術師は散らばるゴミを見つめ、一切の表情を変えることなく、淡々とした声のまま呆れたような溜息をついた。


「結界を破って誰かが入って来たかと思えば、呪術師さんに御住職さん、これは随分と御無沙汰してますのよ。それに、今日は何やら後ろに可愛らしいお弟子さん達をお連れですのよ?」

ぶらり火と呼ばれた、全身を激しく燃え盛らせる鳥は、達人達の姿を認めると、その場できちんと羽を畳んで丁寧な挨拶をしてきた。


「いやいや、僕らの弟子やありません。こちらにいる少年の方は、あの御狐神社の妖古さんの御弟子さんで、そちらの御嬢さんは鬼切神社の巫女さんですわ」

呪術師は、二人の身元を淡々とぶらり火へと紹介する。


「妖古さんの弟子の、狐宮才狐です。宜しくお願いします」

才狐が一歩前に出て、生真面目にお辞儀をして挨拶をした。


「鬼切神社の巫女をしております、渡辺綱江です。お邪魔しております」

綱江も作務衣の襟を正し、丁寧な挨拶を重ねた。


「はいこんばんは。ワタシは、古い灯火の怪異である『ぶらり火』ですのよ。こちらこそ、以後お見知り置きを、宜しくお願いしますのよ」

ぶらり火は火の粉を散らしながら、若者たちに向けて律義に挨拶を返した。


しかし、挨拶を終えて再び地面の男たちへと向き直ると、ぶらり火の全身の炎がゴォッという激しい音を立てて一層激しく燃え出す。

「そして、ここに転がっているこやつらは、本当に度し難い不届きものですのよ!」


その炎の熱気と威圧感に気圧され、革ジャンのバイク男二人は「ひえ!?助けてぇっ!」と情けない悲鳴を上げながら、咄嗟に顔を手で覆って縮こまう。


「ワタシがね、昼の間は目立たぬように、境内の片隅でひっそりと小さくなって大人しく休んでたらね、この罰当たりどもはワタシのことを神社の古い蝋燭の火とか何かと思い込んで、手に持った煙草に火をつけてプカプカと美味そうに吸ってましたのよ!霊力を着火に使われること自体、そこまでは百歩譲って大目に見てあげてもよかったのですのよ!ですがね、吸い終わった後にあろうことか、神聖な神社の中でそのままポイ捨てして、平然とバイクで出て行こうとしたんで、絶対に許すまじですのよ!この由緒ある神社を、一体誰の神社と心得るかって話ですのよー!」

ぶらり火は怒り心頭といった様子で、嘴を大きく開けて激しい火をプシューッと噴き散らした。


「なるほど、それは何とも救いようのない罰当たりですな。では、流石にこの現世の法律もありますから、そのバイク乗り御二人をそのまま丸焦げに燃やすのは色々とまずいとしても、神域を汚した『こっち側』の罪として、それ相応の厳しい罰を与えたら宜しゅうおす」

呪術師は終始完全に無表情のまま、男たちの悪行に対して淡々と冷徹極まりない提案を言い出す。


その呪術師の冷たい言葉を耳にし、バイク男二人は顔を真っ青にして慌て出した。

「え!?ちょっと待ってや、そこのおっちゃんら、助けてくれへんの!?俺らが悪かったから、その化け物鳥をなんとかしてぇな!」


助けを求める男たちの懇願に対し、才狐は眉一つ動かさず、冷静な瞳のまま淡々と言い放つ。

「煙草の不始末で、もしこの神社の歴史ある本殿を火に包んで燃やしたら、それこそ取り返しのつかない恐ろしい天罰が下りますし、法的にも責任を取らなければならないはずです。自業自得やと思います」


「私かて、実家の神社でこんな風に煙草のポイ捨てなんてされたら、絶対に絶対に許さへんし、めちゃくちゃ怒ります!二人とも、自分がどれだけ危険極まりなくて罰当たりなことをしたか、ここで徹底的に反省せなあかんと思います!」

綱江は作務衣の袖を強く捲り上げ、全身を真っ赤に燃え上がらせるぶらり火とぴったり並んで、男たちに向けて激しく怒り出した。


その少女の心強い怒りの声を聞き、ぶらり火は我が意を得たりとばかりに、パタパタと翼を羽ばたかせる。

「御嬢さん、よくぞ言うてくれたのですのよ!」


ぶらり火は嬉しそうに胸を大きく張るような動作をしてみせ、綱江の生真面目な怒りに大いに共感し、男たちへの追及の手をさらに強めていくのであった。


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##姫カットの真っ白な顔、とのっぺらぼうの関東遠征譚


チカッチカッ、パッ。

境内の周囲を囲む古い街灯が静かに点灯し、頭上の夜空が深い藍色へと染まって、京都の街が本格的に夜を迎えようとしている時間。


ぶらり火の激しい熱気と綱江の正義感溢れる怒声が響く中、ふと、何かの滑らかな人影が南鳥居の境界を音もなくくぐって、こちらへと歩いてやってくる微かな気配がした。

周囲の空気がゾクッと奇妙に冷え込み、静まり返った参道の奥から、衣擦れの音と共に信じられないほど艶っぽい女性の笑い声が聞こえてくる。


「ふふふ、何や遠くからでも分かるくらいに、脅かしがいがありそうな、おいたが過ぎる御仁がいてはりますやん」


その妖艶な声に弾かれたように、地面に転がっていた革ジャン姿の男達がそちらへ視線を向けた、まさにその瞬間。


「「――ギ、ギャァァァァァァァァァァーーーッッッ!!!」」

喉が張り裂けんばかりの、この世のものとは思えない大絶叫が夜の境内に木霊した。


そこに立っていたのは、上質な着物を実に見事に着こなし、美しく長い黒髪ロングヘアを綺麗な姫カットに切り揃えた、一見すれば息を呑むような大人の女性の輪郭であった。

しかし、その体の上に据えられた顔が、街灯の光に照らされて完全に露わになった瞬間、誰もが言葉を失った。

彼女の顔は陶器のように真っ白でありながら、目も、鼻も、口も、眉も、顔のパーツというものが何一つとして存在しない、完全なのっぺらぼうだったからである。


あまりにも強烈な本物の怪異の出現を前にして、才狐と綱江の二人の若い術師も、思わずその大きな目を見開いて身を硬くした。


そんな周囲の凄まじい動揺を余所に、呪術師は、片手をコートのポケットに入れた状態で、少しも動じる事なく淡々と言葉をかける。

「のっぺらさん、こんばんは。お元気そうで何よりですな」

呪術師はまるで、近所で日頃からばったり会った近親者に挨拶でもするかのように、至極自然に言葉を紡いだ。


その隣で、女性住職もまた、美しい菩薩笑顔を一切崩すことなく、法衣の袖を合わせて丁寧にお辞儀を返す。

「のっぺらさん、こんばんは。確か、しばらくの間は用事で、関東の方へ行っていらっしゃったと風の噂で伺っておりましたが、無事に戻って来られたのですね」


「あら、のっぺらさん、これは随分と御無沙汰してますのよ!それにしても、こやつら、綺麗な女性の顔を見ておきながら、挨拶もせんと一目見た瞬間に絶叫するとは、怪異の容姿に対して何たる無礼極まりない態度ですのよ!」

ぶらり火は自身の身体の炎をメラメラと揺らしながら、男たちの失礼な態度に対してまたプンスカと翼を震わせて怒り出した。


のっぺらさん、と呼ばれたその着物姿の女性こそは、現世の怪談や古い伝承において知らぬ者のいない有名な怪異、のっぺらぼうであった。

のっぺらぼうは、真っ白な顔を小気味よく左右に揺らしながら、楽しげに声を立てて笑う。


「はい、皆さまこんばんはー。ふふふ、御住職の仰る通り、少し前まで関東へ遊びに行ってたんやけどねえ、向こうの暗がりでは本当にええリアクションしてくれはる人もいてはりましたんよ。ほんで、就職活動に紛れ込んだら、思いの外おもろい学生さんがおりましてなあ。おかげさまで、ワテとしても実に見ごたえのある、おもろい体験をたくさんさせて貰いましたえ」



大妖怪たちの世間話が一段落したところで、才狐は一歩前に出て生真面目なトーンで自己紹介を始めた。

「えっと、のっぺらぼうさんで宜しいでしょうか?僕は御狐神社の妖古さんの弟子で、狐宮才狐と言います。初めまして」


少年の丁寧な物言いに続くようにして、綱江もまた姿勢を正し頭を下げる。

「私は才狐君のクラスメイトで、鬼切神社の巫女をしております、渡辺綱江です。突然の不躾な視線、大変失礼致しました」


「はい、初めまして、若い術者の御二人さん。そうですか、あの気まぐれな大天狐の妖古さんの御弟子さんでしたか。立ち姿の凛とした、ほんに吸い込まれそうなくらいのイケメンやわあ。ほんで、そっちの元気な娘さんは綱江ちゃんやね。ふふふ、鬼の属性持ってる怪異相手やったら、それだけで何やら凄まじい攻撃のバフかかってそうな、実に恐ろしくも素敵なお名前です事♪」

のっぺらぼうは目鼻のない顔をクスクスと震わせながら、二人の出自を大層気に入った様子で愉快そうに笑った。


そして、そのまま真っ白な顔をゆっくりと地面へと落とし、未だに腰を抜かしてガタガタと震えているバイクの男二人を上から見下ろす。

「それにしても、神域でちょっとおいたしたと思しき、そこのバイクの殿方達、今のは本当に最高にええ反応どしたえ。ワテら怪異っちゅうのはねえ、娑婆の人間様にそうやって全力で驚かれて、芯から怖がられてなんぼですからねえ♪」


のっぺらぼうが顔のパーツのない頭をすぅっと至近距離まで近づけてくると、バイク男二人は完全に精神の限界を迎えたように涙目を浮かべた。

「え!?ひ、ひえぇぇっ!もしかして俺ら、ここでこいつらに取り憑かれて、そのまま呪い殺されてやられるんか!?」

「助けてくれ、悪気があったわけやないんや!」


現代の都市伝説や大妖怪に完全に包囲された不届き者たちは、己の仕出かしたポイ捨ての代償のあまりの大きさに、ただただ恐怖に震え上がるばかりであった。


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##引き裂かれた大きな口、二口のカラカラ笑う声


神域である境内でのタバコのポイ捨てという不届き極まる行いに、全身を真っ赤に燃え上がらせるぶらり火は、地面に腰を抜かしている革ジャンのバイク男二人に対し、一層激しい炎をゴォォッと勢いよく噴き上げながら、嘴を大きく開けて怒りをぶつけた。


「この罰当たりどもめが、ですのよ!悪気が無いで済んだら、ワタシら怪異はいりませんのよ!幽世の法を舐めるのも大概にするのですのよー!」

ぶらり火の怒りの火の粉が、男たちの目の前でメラメラと激しく舞い踊り、夜の境内の闇を赤々と照らし出す。


その時である。


ふと、神社の奥深く、街灯の光も届かないような深い暗闇の中から、鈴を転がすような若い女性の声が響いてきた。

「ふふふ、脅かしがいがありそうな、おいたが過ぎる人間がいるじゃない。のっぺらちゃんと待ち合わせしてたから来てみりゃ、楽しそうな事やってるじゃないの。私も混ぜて貰うわよ」


続けて、クスクスと不敵に笑いながら、もう一人の女性の声が重なる。

「のっぺらちゃん、こんばんはー。私も関東に出向いてたけど、向こうでは会わんかったねー。ふふ、ほな、私もこっちの口、見せてあげなねー」


その声と共に、二人の女性の人影が、夜の帳を切り裂くようにしてゆっくりと近づいて来た。


街灯の光に照らされて姿を現したのは、一人は、黒髪ロングヘアを美しくなびかせ、顔には白いマスクを着用し、トレンチコートを粋に着こなした背の高い女性。

もう一人は、艶やかな黒髪を後頭部で端正な団子状に結い上げ、上品な着物を実に見事に身にまとった女性。


二人は静かな足取りで、ぶらり火と男たちの目の前まで歩いて近づいて来ると、着物の女性が自身の髪留めをスッと静かに解いた。

ふぁさっ……。

次の瞬間、結われていた艶やかな黒髪が、柔らかな夜風を受けて豊かに揺れ、そのまま彼女の背中に向かって美しく垂れ下がる。


そして、トレンチコートを纏った長身の女性が瞳に鋭い光を宿し、地面の二人の男をじっと見据えた。

「これはやっておかないとね、私のお約束だから」


彼女はそう言うと、冷え切った夜気の中で二人の男を見つめ、至極真面目なトーンで尋ねた。

「私、綺麗?」


それと同時に、隣にいた着物姿の女性が、優雅な動作でくるりと後ろを向いた。


突然の絶世の美女たちの出現と、マスクの女性からのあまりにも直球な問いかけに対し、バイク男二人は、恐怖を忘れて咄嗟に叫ぶ。

「め、めっちゃ綺麗です!」


男たちが必死に答えた、まさにその瞬間。

前を向いた長身の女性と、後ろを向いた着物の女性が、息をぴったりと合わせて同時に声を揃えた。


「「これでも~?」」


「「――ひ、ギャァァァァァァァァァァーーーッッッ!!!」」

夜の境内に、先ほどを遥かに上回る、喉が張り裂けんばかりの絶叫が木霊した。


長身の女性が、自身のマスクをスッと取り去ると、そこには両耳の下まで引き裂かれた大きな口がにやりと笑っていて、後ろを向いた着物女性の後頭部から、黒髪の隙間を割ってカラカラ、カラカラと笑い声を鳴らす大きな口が姿を現したのである。


あまりの恐怖の連続に、バイク男二人は再び白目を剥いて激しく絶叫するしかなかった。


トレンチコートの長身の女性は、昭和の時代に日本全国を恐怖のどん底に陥れた都市伝説、口裂け女その人であり、着物姿の女性は、のっぺらぼうと同じく、古来から日本に広く伝わる有名な怪異、二口女であった。


のっぺらぼうは、真っ白な顔を小気味よく左右に揺らしながら、顔のパーツがあったら笑顔であろうと思われる楽しげな声で挨拶する。

「ふふふ、ええ反応しはりますやん。そんで、こんばんは、口裂けちゃん、二口ちゃん」


「ざまあみろですのよ!神域を汚した罰当たりどもの末路なのですのよ!こんばんはですのよ、口裂けさん、二口さん!」

ぶらり火は我が意を得たりとばかりにパタパタと翼を羽ばたかせ、二人の大妖怪に向けて律義に挨拶を返す。


「「こんばんはー♪」」

凄まじい正体を現した口裂け女と二口女は、それぞれの巨大な口を落ち着かせると、並んで声を揃えて挨拶を交わした。


新旧の伝説の怪異達が揃い踏みした夜のこじんまりとした神社で、不届きな男達への恐怖の洗礼は、さらに濃密さを増していくのであった。


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##約束の土下座、摩訶不思議食堂へと向かう怪異


新旧の伝説の怪異たちが牙を剥き、夜の帳の中でその凄まじい正体を現した瞬間、革ジャン姿のバイク男二人の精神は完全に崩壊した。

これ以上ない恐怖のどん底に叩き落とされた二人は、震える手足を必死に動かしながら、冷たいアスファルトの地面へと同時に崩れ落ちる。

ゴシゴシと音を立てて何度も何度も泥塗れの額を激しく擦り付け、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、必死の思いで許しを請うた。


「申し訳ありませんでしたー!もう神社で煙草のポイ捨てしません!てか、神社で煙草吸いません!約束します!だからお願いです、その恐ろしいお口を早く閉じてください、もう二度と神域を汚すような真似は絶対にしませんから!」


男たちが必死の思いで決死の土下座を繰り返す様子を見下ろし、ぶらり火は自身の身体の炎をパチパチと激しく爆ぜさせながら、なおも鋭い嘴をカチカチと威嚇するように鳴らして強く叱りつけた。

「絶対ですのよ!次は無いと心得る事ですのよ!もし今度同じような罰当たりな真似をして神聖な境内を汚したら、その時はワタシの怒りの炎でバイクごと跡形もなく綺麗に焼き尽くしてあげますのよ!」


ぶらり火の最後の大喝に男たちは心底身震いし、怪異達の恐るべき活躍によって完全に悔い改めたバイク男達は、これ以上ないほど強烈な御説教をされた後、しっかりと掃除をした。

そうして、腰を抜かしたまま這うようにしてバイクに跨がると、すごすごと情けない足取りで神社から逃げるように出て行った。


不届き者たちが去り、再び静寂を取り戻した境内の駐車スペースを見つめながら、呪術師はコートのポケットに両手をおさめながら淡々と言葉を漏らす。

「僕らが来んでも、解決してましたな。流石は京都の夜を守る怪異の皆様の連携です、実にお見事なものですわ。僕らの出る幕など最初からどこにもありませんでしたがな」


その呪術師の言葉に、隣に立つ女性住職も穏やかで清らかな菩薩笑顔を優しく浮かべ、静かに頷いて困ったように声を重ねた。

「本当に私達は、ただここで観ているだけでしたね。皆様、京の街の静けさを守るために、いつも本当に頼もしい限りで御座います」


二人の達人の言葉を聞いた口裂け女は、両耳まで裂けた大きな口を元の可憐な唇へと手際よく戻すと、トレンチコートの襟を少し直しながら、呪術師たちに向けて悪戯っぽくウインクをする。

「そんな事無いわよ。いざという時に、後ろでしっかりと止めてくれる腕の立つ人達がいてくれると、私たち怪異だって、安心して現世で遊ぶことができるからね。特に、経験豊富で術理に長けた二人がいてくれると、本当に心強いんだから」

口裂け女は大人の余裕を見せるように美しく微笑み、それから視線を後ろに控える若い二人組へと優しく移した。


続いて、後ろの後頭部の口を長い黒髪の奥へと綺麗に仕舞い込んだ二口女も、艶やかな着物の袖を揺らしながら、上品な京言葉で言葉を紡ぎ、ちらりと綱江の様子を観る。

「そうどす。それに、こういう機会でもおへんと、中々こうして楽しい御近所付き合いも出来まへんさかい。それと、私と口裂けちゃんは、才狐君とは前に一度挨拶した事があるけれど、そちらの可愛い彼女さんとは、今日が全くの初めましてやね」


「えっと、初めまして。私は鬼切神社の巫女をしています、渡辺綱江です。その、才狐君のクラスメイトで、まだ、彼女とか、そういうのは……本当にそういう深い関係では全くなくて、ただの学校の友達と言いますか……」

気になる男の子の前で、初対面の大妖怪から当然のように彼女と決めつけられた綱江は、心臓が破裂しそうになり必死に弁明する。

しかし、大妖怪たちのからかいの視線に晒されるうちに、自身の言い訳が余計に恥ずかしくなってきたのか、恥ずかしさのあまり段々声が細くなりながらも、何とか生真面目に頭を下げて挨拶した。


そんな少女の初々しい過剰な反応を見つめ、二口女は着物の袂で上品に口元を隠して優しく微笑んだ。

「初めまして、私は見ての通り、後頭部にもう一つの大きな口を持つ二口女です。これからは気軽に二口ちゃんって呼んでおくれやす、どうぞ宜しゅうに」


続いて、隣の口裂け女もマスクを片手に持ち直しながら、綱江の真っ赤になった顔を覗き込んで楽しげに笑う。

「初めまして、綱江ちゃん。私は巷の噂でお馴染みの口裂け女よ。ふふふ、それにしても『まだ』彼女じゃないって、その関係を完全否定しようとしていないあたりが、なんとも初々しくて甘酸っぱいわねえ。見ているこっちが照れてきちゃうわ」


「わ、私はそういうつもりじゃ……。ただ、言葉の綾と言いますか、その……」

綱江は完全に外堀を埋められ、顔を赤くしながら作務衣の袖をぎゅっと握りしめて俯いてしまう。

その横で、才狐は恋愛の機微というものが全く分かっておらず真顔のまま、ただクラスメイトの少女が初めましての挨拶を交わす光景を、他人事のようにじっと静かに見つめているだけであった。


場が十分に和んだところで、姫カットの長い黒髪をなびかせたのっぺらぼうが、目鼻のない真っ白な顔を一同に向けて、楽しげな気配を滲ませながら微笑んだ。

「ほな、おいたした殿方達も改心したようですし、ワテらはこれから摩訶不思議食堂へ向かいます。今夜は輪入道さんに送って貰いますさかい、皆さんも京都の素敵な夜をゆっくりと楽しんでおくれやす」


のっぺらぼうがそう言って別れを告げると、その足元でぶらり火もパタパタと楽しげに羽ばたいた。

「あ、ワタシも美味しいご飯を食べに御一緒させてもらいますのよ。ではでは、人間の皆さん、ポイ捨ては厳禁で、良い夜を過ごすのですのよー♪」


ぶらり火は火の粉を優しく夜空に散らしながら、上機嫌に鼻歌を歌うような声を響かせ、着物の美女達の後を追うようにして、怪異達は夜の静寂が満ちる神社を賑やかにお後にした。


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##伝令符の美しい飛翔、方輪車でやって来た超絶美少女


ぶらり火と三人の美しい女性怪異達を見送り、夜の静寂が完全に戻った神社を、四人の術師達は静かに後にした。


灯の薄明かりに照らされた呪術師は、少年へと声をかけた。

「才狐さん、妖古さんに夕飯はどうされるか、ちょいと伝令符を飛ばしてもろても、宜しゅうおすか?」

呪術師は一切の起伏のない声音でありながらも、確かな信頼を込めて淡々と願い出る。


その要請に対し、才狐は小さく頭を下げて実直に応じた。

「はい、畏まりました。今すぐに記述します」


才狐は作務衣の懐から真っ白な伝令符を1枚取り出すと、記述用に常に肌身離さず持ち歩いていた、術力を通しやすい特別な筆を筆記用具入れから手際よく取り出した。

そして灯の光の下、迷いのない指先で特別な筆を滑らせ、伝令符の表面へとさらさらと流れるような美しい文字で用件を正確に書き綴っていく。


その流麗な一連の動作を隣で興味深く見つめていた綱江は、ポンと手を叩いて自身の記憶を呼び起こした。

「あ、その伝令符って、確か昨日、呪術師さんがお菊さんに向けて使わはった、あの便利な御札ですよね?」


綱江が昨日の出来事を思い出すと、呪術師は短く答える。

「ええ、それです。術者の意思を遠方へ正確に届けるには、これが一番手っ取り早いですからな」


才狐は全ての用件を書き終えると、墨の乾いた御札を二指の間に挟み、精神を集中させて静かに呟いた。

「――行け」


少年の放った術力に応じるように、伝令符はパサパサッと小気味よい音を立てて立体的に折り畳まれ、またたく間に一羽の白い鳥の形へと姿を変えた。

白い鳥は夜の闇を白く切り裂きながら、一直線に南の方角へ向かって勢いよく飛んで行く。


四人がその光景を静かに見守っていると、3分もたたないうちに、夜空の向こうから先ほどと全く同じ白い鳥がスーッと旋回しながら戻って来た。

才狐が何も言わずに自身の右手をスッと前方へ伸ばすと、白い鳥はその手のひらの上へと音もなく正確にとまり、次の瞬間にはハラリと元の平たい御札の形へと綺麗に戻った。


才狐は御札に浮かび上がった返信の文字に視線を落とし、淡々としたトーンで内容を読み上げる。

「妖古さんは『先に摩訶不思議食堂へ行っとるさかい、そっちで迎えを待ちよし』、とのことです。妖古さんと羅生門さんは、小豆洗いさんと一緒に、先ほど揚げ物市の豆コーナーで購入した上等な小豆を、一度小豆洗いさんの店まで全部持って行って、それを置いてから摩訶不思議食堂へ向かわれるそうです」


「さいですか、それは都合がええ。それにしても才狐さん、この短時間で伝令符の術式を完全にマスターしはりましたな。ほんで、僕が普段使っているところを隣で観て、しっかりと自分のものとして学習してくれてはるのが、実に見事な術のキレを見ていてようわかります。術者冥利に尽きると言いますか、本当に嬉しゅうおす」

少年の的確な報告を聞き、呪術師は腕を組んだまま、感情の起伏を一切見せない無表情な状態を崩さなかったが、その声色にはどこか父親のような優しい温かさがほんのりと滲んでいた。


別格の大先輩から直々にその腕前を褒められた才狐は、相変わらずピクリとも感情の読めない無表情ではあったが、その纏う霊気のトーンがほんのりと和らぎ、どこか嬉しそうな雰囲気を全身に醸し出していた。


それを見た綱江は、クラスメイトの微笑ましい変化に気づいて優しく微笑む。

「あ、才狐君、言葉には出してへんけど、なんか今、凄く嬉しそうな気がする。分かりやすくて可愛いね」


「そうかな?」

才狐は自身の顔に手を当てながら、いつも通りの淡々とした声音で答えたが、その耳朶は微かに赤みを帯びている感じがした。


女性住職はその若者たちの微笑ましい掛け合いを見つめながら、周囲を包み込むような美しい菩薩笑顔を浮かべ、静かに手を合わせた。

「ふふ、確かに、才狐さんの雰囲気がとても優しく和らいだような気が致しますね。それでは、私達もここで、御迎えを待ちましょうか」


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四人が鳥居の脇で待機し始めてから間もなく、夜の向こうからゴォォォーッ!!という、激しく燃え盛る凄まじい何かが、凄まじい速度でこちらの神社の方に向かって突進してきた。

そして、周囲の空気を一瞬で熱気で満たしながら、神社の広々とした駐車場へと滑り込むようにして実に見事に停車する。

それは、才狐と綱江の二人にとっては、もうすっかりとお馴染みとなった、方輪だけが赤々と燃え盛り、運転席と豪華な客席が外付けされた、幽世が誇るあの超魔改造牛車・方輪車であった。


運転席の分厚い窓がスライドするようにして開くと、そこから一人の美女が顔を覗かせた。

黒いシックな着物姿を粋に着こなし、綺麗な長い黒髪を後ろで端正に束ね、頭にはお洒落なベレー帽をかぶっている着物美人が、ハンドルから手を離してこちらへ向けてにこやかに手を振って挨拶する。


「毎度ー、夜道のお迎えに上がりましたよー。ほな、皆さん狭いお席ですけど、奥まで乗って下さいねー」

方輪車はいつもの明るい笑顔で優しく手を振り返してくれた。


そして、牛車の頑丈な後部扉がガラガラッと大きな音を立てて開くと、その直後。


「えらいこっちゃな御疲れちゃん!」


中からひょっこりと小さな顔を突き出し、両腕をぶんぶん、ぶんぶんと猛烈な速度で振り回しながら、元気いっぱいに挨拶をしてくる小柄な女の子の姿が目に飛び込んできた。

それは、光り輝くような美しい銀髪の長い髪をなびかせ、まん丸とした大きな瞳に、口元は常に独特な台形の形をした開き方をしたままの、唯一無二の摩訶不思議な女の子、えらいこっちゃ嬢であった。


彼女は今日も自身のトレードマークである黒いベレー帽を頭にちょこんと乗せ、ズボンタイプの黒いセーラー服を完璧に着こなして、表情はそのまん丸目の台形口の固有の形のまま一切変えることなく、体全体を使って元気よく挨拶してきた。


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##御札ボードの滑空、陽炎に揺らぐ摩訶不思議食堂への道


夜の帳が静かに下りた神社の駐車場において、えらいこっちゃ嬢のあまりにも元気一杯な姿を前に、四人の呪術師は声を揃えて丁寧に言葉を返した。

「「「「こんばんは」」」」

お互いに夜の挨拶をしっかりと交わし終えると、促されるままに才狐と綱江の二人の若い術師が、魔改造牛車の客室へと滑り込むようにして乗り込んでいく。


その様子を見届けた呪術師と女性住職の二人は、おむかえの牛車には乗り込まず、それぞれの懐から術式がびっしりと書き込まれた大きめの御札を静かに取り出した。

二人が息を合わせてその御札を前方の空中に向かって同時に投げると、放たれた御札は夜風を吸うようにして瞬時に巨大化し、地面から数センチ浮いて平らなボードの形に変形する。

浮遊する不思議なボードを前にして、二人の達人は何でもないことのようにスッと軽やかにその上へと飛び乗り、実に見事なバランス感覚で直立してみせた。


客室の四角い窓からその見事な職人技を目撃した綱江は、目を丸くして驚きの声を上げた。

「凄い、御札がボードになった!」


綱江がポニーテールを揺らして興奮する横で、才狐はその術理について淡々と説明する。

「意外と難しいらしくて、中級者以上の腕前が必要なんやって。」


二人がそんな会話を交わしていると、牛車の客室の頑丈な扉が重々しい音を立てて静かに閉まった。

完全な密室となった空間の壁から、突如として「御勘定」と墨文字で書かれた不思議な白い腕がニューっと長く伸びてきて、二人の目の前に差し出された。

才狐は慣れた手付きでお財布携帯を取り出し、その白い腕の裏側にあるQRコードにお財布携帯を翳すと、間髪入れずに「毎度ありー」と言う電子音と共に、用を済ませた白い腕は満足したように壁の奥へと引っ込んで行く。


支払いが無事に完了したことを確認した方輪車は、運転席から威勢の良い声を響かせた。

「毎度ー。ほな、出発しまっせー♪」


弾むような掛け声と共に、方輪車は車輪の炎を激しく燃え上がらせて牛車を発進させる。

そのすぐ後ろを、呪術師と女性住職の二人が、先ほど展開した御札ボードで滑らかに滑空しながらぴったりと付いて行く。


客室の特等席に座るえらいこっちゃ嬢が、まん丸目の台形口の表情のまま、小さな指先をパチンと小気味よく鳴らした。

その乾いた音を合図に、一行の目の前の空間がまるで真夏の陽炎のように激しく揺らぎ始め、現世と幽世の境界線が瞬時に曖昧になっていく。


発進した牛車と御札ボードの術者達は、その陽炎のように揺らぐ空間の中へ入っていく一行。

境界のトンネルの中で一行はグングンと加速していき、周囲の景色が光の帯となって流れる中を暫く走り続けてから、やがて目的地の気配を察知したかのように心地よい制動を伴って減速し始めていく。


やがて空間の揺らぎを完全に抜けた先、夜の街の片隅に佇む、美しく整えられた綺麗な木造の建物の前に一行は静かに到着した。


牛車とボードが完全に停止すると、後ろについていた呪術師と女性住職が御札ボードから流れるようにして地面へと降り立った。

二人が着地と同時にスッと手を出すと、巨大化していたボードは瞬時に元の大きさに縮みながら、それぞれの掌に御札の形に戻り、二人はそれを手際よく懐にしまう。


同時に牛車の客室扉が大きな音を立てて開き、えらいこっちゃ嬢が小さな身体で客室からぴょんっと勢いよく飛び降りて、そのまま一目散に店に入って行き、続いて才狐が先に足元に降り立った。

才狐はそのまま振り返ると、中に残っていた綱江に向けて、無表情のままスッと優しく右手を差し出してあげる。


「有難う。」

綱江は不意に差し出された少年の温かい手のひらに、ちょっと頬を染めて照れくさそうに微笑みながら、その手をしっかりと握って牛車から降りる。


全員が外に出たところで牛車の扉が静かに閉まって、運転席の窓から方輪車が明るい笑顔で声を張り上げた。

「毎度ありー。先に入っておいておくれやすー」

そう言って、方輪車は駐車スペースに牛車を安全に止めに行く。


残された四人の前に立ち、呪術師は店の立派な暖簾を見つめて淡々と告げる。

「ほな、入りましょか。」


呪術師の静かな言葉を合図に、四人揃って綺麗な木造の建物の重厚な扉を開け、美味しいご飯の香りが漂う店の中に入っていくのであった。


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##現代のギャル風の女鬼、地蔵店長が執り行う厳かなる合図


四人が綺麗な木造の建物の重厚な扉を開けて中に入ると、そこには多種多様な怪異達が集合していて、すでに賑やかな晩餐会の熱気が渦巻いていた。

現世の静寂が嘘のように、広々とした店内には楽しげな笑い声や話し声が響き渡り、いくつも並べられた卓からは出汁の芳醇な香りが白い湯気と共に立ち上っている。


店内を見渡すと、一番奥の特等席には、妖古と羅生門の鬼、そして誰もが思わず目を見張るほどの超絶美少女が並んで座っていた。

百戦錬磨の大妖怪である妖古と羅生門の鬼に挟まれるようにして堂々と座っているのは、現代のギャルという華やかな風貌をした、女子高生くらいの年頃の若い金髪の鬼の超絶美少女である。


彼女の頭には黒い二本の鎌状の角が左右にバランスよく生えており、光を弾く金色の長い髪は、お洒落なシュシュを使って左側にサイトテール上に束ねられている。

神秘的な金色の瞳を爛々と輝かせ、黒地に金色の花の刺繍があつらえられた特注の美しい着物を完璧に着こなす姿は、まさに絶世の美貌であった。


鬼の超絶美少女である女鬼は、新しくやって来た四人の姿を認めると、愛嬌たっぷりのウインク笑顔で挨拶した。

「おつー♪みんな御揃いだねー♪今日のメニューは牛しゃぶだよ♪あーしもいっぱい食べる気満々だし!」


その明るい声に合わせるように大天狐の妖古は、微笑んで隣の席をポンポンと叩く。

「よう来たよう来た。ほな、座りよし。」


さらにその隣にそびえ立つ、山のように巨大な体躯を持った羅生門の鬼も、無事に若者たちを連れてきた大人二人に向けて豪快に笑う。

「呪術師殿、御住職、引率お疲れさん、有難うなあ。」


その大怪異たちの盛大な出迎えに対して、呪術師はスッと手を挙げる。

「こんばんは。僕も面白い体験が出来ましたし、宜しゅうおす。」


その隣で、常に清らかな空気を纏う女性住職も、法衣を美しく整えながら一歩前へと出て、菩薩笑顔で合掌してお辞儀をする。

「こんばんは。お世話になります。素晴らしいお席にお招き頂きまして、感謝申し上げます。」


大人たちの洗練された所作に続くようにして、才狐と綱江の二人の若い術師も、綺麗に並んで元気よく挨拶してお辞儀をする。

「「こんばんは、お世話になります。」」


挨拶を終えて改めて店内を見渡すと、そこには先程一緒に不届き者を懲らしめた女性怪異三人組に、パチパチと身体を燃やすぶらり火や、満足げに鼻を鳴らす小豆洗いもいて、さらには唐笠お化けや人面犬に河童等々、様々な怪異達が満面の笑顔で挨拶で迎えてくれる。


「「「こんばんはー♪」」」


室内が和やかな一体感に包まれる中、厨房から全ての準備を終えた凄腕料理人達が、連れ立って客席へと姿を現した。

見事な手際で腕を振るった兎料理人のラビ、身軽な猫料理人の猫子、繊細な包丁捌きを見せるゴブリン料理人の凜華、力強く厨房を支える犬料理人のわんぞう、深い智慧を持つ蛙料理人の蛙仙人、そして普段は美味しいパン屋を営む絶世の美貌を持つ女性であるダークエルフもやって来て、それぞれの席へ座る。


最後に、奥から静かな足音を立ててお地蔵さんがやって来て、その慈愛に満ちたお地蔵さん笑顔で合掌してお辞儀をする。

このお地蔵さんこそが、この摩訶不思議食堂で優しく客を迎える店の主、地蔵店長であった。


地蔵店長は、集まった全員の顔を愛おしそうに見渡すと、笑顔で恭しく挨拶をする。


「皆さん、揃われたようですね。それでは、こうして出会えました御縁と、数多の労、数多の食に感謝申し上げて、頂くと致しましょう。」


地蔵店長の言葉を合図に、店内にいた怪異、料理人、人間の術者達の全員が、一斉に背筋を正して胸の前で合掌し、食前の言葉を、一文字ずつ心の奥底で噛み締めるように称える。


「われここに食をうく、つつしみて、天地の恵みと人々の労を謝し奉る」


これほど多くの者が集まっているとは思えないほどの静寂の中、全員で心を一つにして十回の念仏を唱え終えると、全員が言いながら深くお辞儀をし、食事開始の合図を厳かに執り行った。


「頂きます」


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##賑やかなる牛しゃぶの夕食会、若い二人を見守る怪異達の視線


全員で声を揃えて厳かに頂きますをしてから、大きな卓を囲んで至高の牛しゃぶをみんなでつつき、これ以上ないほど和やかなムードで夕食会を楽しむ一同。

湯気が温かく立ち込める広間の中、幽世の特選極上肉を箸で踊らせながら、誰もが満面の笑みを浮かべて現世と幽世の最高の恵みを心ゆくまで堪能していた。


えらいこっちゃ嬢は、大きなお皿に山盛りにされた見事な霜降り肉を箸で器用に1枚を掴み、しゃぶしゃぶと鍋で煮ると、ハフハフと牛肉を楽しむ。

「えらいこっちゃな美味牛肉!羅生門あんちゃん、えらいこっちゃな豪華御土産、ありがとちゃん!こんなに柔らかくて美味しいお肉をたくさん食べられるなんて、えらいこっちゃな幸せ者!」


その小さな大御所からのこの上なく素直な絶賛を受け、隣に座る巨躯の大鬼は、自身の大きな顔をさらに崩して満足そうに頷きながら牛肉を食べる。

「楽しんでくれて何よりやで!えらいこっちゃんと妖古殿と小豆洗いと、一緒に出掛けた先で一旦単独行動しとったやろ?そんときに最高の状態のものを観つけてな、仰山仕入れて持ってきた甲斐があったというもんや。さあ遠慮せんと、どんどん食べよし!」


金色の長い髪をシュシュで左側にサイトテール上に束ねた鬼の超絶美少女も、お鍋の中に箸を滑らせて、肉の旨味をたっぷりと吸い込んだ長葱の味を楽しむ。

「牛肉も最高だし、蛙仙人さんの野菜も相性抜群じゃん♪この長葱なんて本当にとろけるように甘くて、お肉の美味しさを何倍にも引き立ててくれる最高の組み合わせだよ♪」


その言葉を聞き、優雅に煙管の煙をくゆらせていた妖古も、細い目をさらに細めてコロコロと笑って野菜を楽しむ。

「出汁も効いとるでの。ほんま、猫子ちゃんと凜華ちゃんの丁寧にとる出汁は、ほっこりするでな。これだけ深いコクがありながらも、素材の味を全く邪魔せえへんのは、実に見事な職人技じゃなぁ。」


その絶賛の声に、法衣の袖を優しく押さえながら上品に箸を運んでいた女性住職も、深く同意するように微笑んで水菜をサッとお湯に通して食べる。

「本当に、美味しい御出汁ですね、身も心も温まります。こうして皆様と一つの鍋を囲みながら、お野菜の本来の甘みを引き出す極上の味をいただけるのは、まさに至福の時間で御座います。」


その大人たちの過分な褒め言葉を受け、厨房から席に加わっていた猫料理人とゴブリン料理人の二人は、笑顔で揃って春菊を食べる。

「「おおきに、嬉ゅうおす♪そう言って頂けると、時間をかけてじっくりと仕込んだ甲斐が本当にありましたえ♪」」


料理人達の誇らしげな笑顔を見つめながら、羅生門の鬼はさらに鍋の中から大きな肉をすくい上げ、楽しげに笑う。

「こないだ鞍馬天狗も褒めてたで、最高の出汁や言うて。そういや、鞍馬天狗と山男は、今頃は一杯やっとるやろな。あいつらもこの牛しゃぶの噂を聞きつけたら、きっと羨ましがって地団駄を何度も踏むに違いないわ!なんか土産持って行ったろか!」


そんな風に誰もが最高の夕食会を満喫し、和気藹々とした会話を弾ませている中、集まった大勢の怪異達の視線は、いつしか一点へと集中し始めていた。

広間に座る様々な妖怪達の中には、ニヤニヤと才狐と綱江を観る者もいる。


綱江は、自身の肌に突き刺さるような独特の視線の数々を、敏感に察知していた。

「なんか、注目されてる気がする。気のせいちゃうよね……さっきから皆さんの視線が、めっちゃ私らの方に向いてるような気がするんやけど……」


その横で、やはり恋愛の機微や周囲のからかいの意図が全く理解できていない少年は、ピクリとも感情の動かない真顔のまま、不思議そうに首をかしげて煮えた肉を食べている。

「えっと、しっかり食べてるんやけど、遠慮してると思われてるんかな?僕はこれでもかなり肉をお箸でつついているつもりなんだけど、怪異の皆さんの基準からしたら、まだ食べる量が少なくて心配されているのかもしれないね。」


そんな少年のあまりにも的外れで生真面目な反応を見て、大天狐の妖古は堪えきれないといった様子で、細い目をさらに細めてコロコロと笑う。

「カカカ!注目されるに決まっとるやろ、そりゃ。これだけお似合いの若い二人が並んどるんじゃ。綱江は才狐に、あ~んしてやらんのかえ?そうやって口まで肉を運んでやれば、才狐の食べる量も一気に増えるというものよ♪」


そのあまりにも直球で恥ずかしい提案を大妖怪から突きつけられ、少女の心臓は完全に跳ね上がった。


「!?し、しませんよそんな事!なんで私が才狐君にそんな恥ずかしいことをせなあかんのですか!」

綱江は、顔を一瞬にして真っ赤に変えながら、照れ隠しするように、箸で掴んだ牛肉をもそもそ食べる。


そんな二人の初々しいやり取りを、特等席から眺めていた美しいダークエルフは微笑ましく見つめる。

「あはは、可愛いじゃないか、初々しいねえ♪若い子がそうやって顔を真っ赤にして照れてる姿を見てるだけで、アタイらの心まで洗われるような気分になるさね♪」


さらにその言葉に続くようにして、二人を見守ってきた橋姫も、優しい笑みを浮かべて鍋から牛肉を口へと運び、微笑んで牛肉を食べる。

「昨日と今日で、しっかりデートしたみたいじゃから、将来は安泰じゃ。仲睦まじく京都の街を一緒に歩いたんじゃと、羅生門殿からも聞いとるよ。これからの二人の行く末が、本当に楽しみで仕方がないのう。」


そのデートという言葉にさらに反応したのが、着物の袖を揺らしながらお皿を構えていた刑部姫だ。


「やはり、結婚式は神前式かえ?綱江は確か、鬼切神社の末裔じゃったか。その鬼切神社の本殿の前で、白無垢姿の綱江と、紋付き袴の才狐が並んだら、それはもう最高の絵になると思うんじゃよね。式の計画を練らねばならんの。あ、椎茸もらい♪」

刑部姫は、早くも二人の将来の儀式について具体的な妄想を膨らませながら、椎茸をハフハフと食べる。


当事者たちの意思を完全に置き去りにしたまま、周囲の怪異たちが次々と結婚式の話にまで飛躍させて盛り上がっていく様子を見て、綱江の羞恥心は完全に限界を迎えた。

綱江は、耳の裏まで真っ赤になって困惑する。

「なんでみんな、当人そっちのけで乗り気なん!?まだ付き合ってもへんし、結婚なんて気の遠くなるような先の話、というかそもそも、まだそんな関係やないって言ってるでしょうが!デートかてしてへんのに、もう!」


その隣で、周囲がどれほど大騒ぎしていようとも、やはり一切の感情を顔に出さない呪術師は、淡々と表情を変えず、静かに大根を食べる。

「賑やかですな。僕の若い頃には、こんな風に怪異の皆さんと一緒になって、恋愛の相談や将来の話をするなんて機会は到底あらへんかったし、時代も変わったものですわ。それにしても、この大根は実によく味が染みていて美味しおすなあ。」


大広間のあちこちで笑顔が弾け、若い二人を中心にこれ以上ないほどの賑やかさと温かさに満ち溢れていく。


そんな様子を、客席の最も奥の方から、ただ静かに微笑ましく見守る地蔵会長の姿があった。

地蔵会長は、集まったすべての命が紡ぎ出すこの素晴らしい御縁の温もりを、慈愛に満ちた笑顔の奥で深く深く噛み締めているのであった。


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