8. 研究内容
「ところで、博士が今進めている研究というのは一体どのようなものでしょうか」
見えない壁に勢いよくぶつけた額に手を添えながら目元に涙を浮かべるグレイに対し、シルクはグレイにとってのメインであろう研究について問いかける。
するとグレイはカッと目を見開き、よくぞ聞いてくれたとでも言うように笑顔を浮かべる。
「そうそう、丁度行き詰まっている研究に手を焼いていてね。同じ魔法植物ではあるんだけど、これがまた特殊で面白い植物なんだよねぇ…」
改めて向かい合って着席し、現在研究にて扱っている魔法植物について説明される。
一般的な植物の中に、ポトスという植物がある。
インテリアとして扱われやすい観葉植物であるが、そのポトスが魔力を帯びて突然変異し、ピュアポトスという魔法植物が誕生した。
ピュアポトスは薬草としても用いられるが、主な特性として強い清浄効果が挙げられる。
日光を浴びることで光合成を起こし、二酸化炭素だけでなく有害物質を吸収する代わりに新鮮な酸素を放出するのだが、ピュアポトスの場合は通常のポトスよりも何倍もの酸素を放出する。
何倍も、と数値が確定されていないのには理由がある。
個体差によって酸素の放出量が変化するのだ。
元々ポトスは種類によって葉の色や模様、蔓の伸び方が異なることで名称も変わってくる。
その中でも今回グレイが使用している種類は、緑一色で模様が全く入っていないパーフェクトグリーンと呼ばれるピュアポトスを活用していた。
緑一色ということもあり、より効率良く光合成しやすい為であろう。
「ピュアポトスの新鮮な空気の最大放出量と放出時間の研究をしてるんだ。色んな条件下で光合成させてるんだけど、データに波がありすぎてまとまらなくてね。ピュアポトス自体はこのパーフェクトグリーンしか扱ってないし、葉の枚数や容量も差が出ないように毎回揃えてあるんだけど…今日は高濃度の酸素が出たぞと思ったら次の日には大幅に濃度が低下していたり、同様に放出時間も長かったり短かったりでさぁ」
研究の最終目標は、新鮮な一定の酸素を長時間放出できる状況を確立することらしい。
長時間とは具体的に何時間だと突っ込めば、それはもう長ければ長い程良いとのこと。しかし同じ条件下でも放出時間が異なり、酸素濃度も大きく差がつくという結果が出てしまい、行き詰まっているとのことだ。
シルクは一通り説明を聞き終え、空になったティーカップを静かにテーブルに置く。
「どうだい、何か気になる事はあるかい?」
「…流石に言葉だけの説明では何とも言えません」
ピュアポトスについてはシルクも知識としては認識している。しかしグレイのように専門的に取り扱ったことは無い為具体的なアドバイスを伝えるのは難しい。
「それじゃあ、実際に実験するところを見てみるかい?実物を見ることで何かわかったりするかもしれない」
「実際に、ですか」
シルクは思い出す。
扉を開放していないにも関わらず研究室から放たれている独特な薬品の匂い。
現在は大炭草のお陰で各階、廊下の匂いは薄まっている。しかし肝心の発生源となる研究室はそのままだ。
入る時はガスマスクを付けよう。静かにそう決心した。
「それじゃあ早速研究室で実験の様子を見せよう!新しいピュアポトスは別の部屋に移動させてあるから、まずはそれを研究室に…」
「博士」
グレイは直ぐに立ち上がって広間を出ようとするが、シルクの言葉にピタリと動きを止める。
博士と呼ばれるとつい反応してしまうというのもあるが、今のシルクの言い方は単なる呼びかけではなく、確実に呼び止める為の、力強くも落ち着いた言い方であった。
「今日はもう遅い時間ですし、実験は明日にしましょう」
「えぇー!」
再開する気満々であったグレイは如何にも残念がるように肩を落とす。
不貞腐れた表情を向けるが、シルクが真剣な表情をしていることからつい驚くような表情へと切り替わる。
「実験をするなら万全な状態で挑んだ方が効率が良いです。見たところ、博士はここ暫くまともに睡眠を摂っていないのではないでしょうか」
グレイはふいと視線を逸らした。図星である。
先程まで眠っていたと言いたいところだったが、机に突っ伏した状態での浅い睡眠であった為疲れは取れていない。目元には隈がちゃんと残っている。
さて最後にベッドで横になったのはいつだっただろうか。そう考えると急にドッと疲れが押し寄せて来る。
「…分かったよ、今日はもう休んで明日に備えよう」
「そうしてください」
こうして各自部屋に戻って休むことになった。
グレイの自室は研究室とは別の部屋であることを知り、シルクは静かに安堵する。
シルクが3階へ向かおうとする前に、グレイは子どもっぽい笑顔を向けながら言った。
「それじゃあお休みなさい、良い夢を」
「…お休みなさい」
満足そうな表情をしてグレイは自室へと向かって行った。
シルクはそんな後ろ姿を少し眺め、そのまま階段を上って自室へと向かう。
(良い夢…か)
簡素な自室に入り、視線を足元に落とす。
そして複雑な表情を浮かべては自虐的な笑みを零す。
「…人のことを言えた義理なんて無いのに」
椅子に腰かけ、窓から見える景色を眺める。
綺麗に浮かんでいるであろう三日月は雲に覆われており、物寂しく感じられた。




