37. 移動手段
朝食が終わり、各自支度を済ませて広間に集まる。
その際にシルクは狐面は付けていなかったが、身にまとっていた黒いローブまでも却下された事に納得できずジト目を向けていた。
いつでもフードで顔を隠そうとするのもグレイは笑顔で却下し、容赦ないなと思いながらもシャロンとミュスカも同様に賛成する。
クイチェにそれなりに向かうことのある2人は、街で素顔を隠しながら行動するような者は滅多に存在しないのを知っている。つまりその様な人物がいれば逆に目立ちやすくなってしまう。
商売人にとっても怪しい人物がいれば不審に思ってしまうものだ。下手すれば商売されずに追い返される、なんて事があればたまったものではない。
せめてスカーフだけは許されたが、口元は完全に覆わず緩めに巻くようにと提案され、更にシルクは不機嫌そうな表情を浮かべる。
普段から無表情が多いため、寧ろ感情を露わにしていることがグレイにとっては嬉しいことであった。
勿論笑顔を浮かべて欲しいところだが、それはこれから浮かべてもらうつもりである。
「それじゃあ出発しよう!これは楽しい買い物であって、仕事では無いからね?」
「……はい」
渋々シルクは頷くが、心の中では仕事という概念が完全には追い払われていない。
こうしてシルクにとって緊張感が高まる1日が幕を開けた。
住居を出てしばらく歩いた場所に馬車乗り場が存在する。約10分程で到着するも、馬車が来るまで時間があった。
その待ち時間でさえもシルクは緊張して若干表情が引きつっているようにも見える。
「緊張しすぎだよ、リラックスしなって」
「…難しいです。それに乗り物に乗るのも、久しぶりで…」
「馬車に乗るだけでもこれとはねぇ…あれ、仕事に向かう時に馬車に乗らなかったのかい?」
セイボリーへ向かうためにも、まずはこの馬車乗り場を使用する必要がある。馬車を使用せず別の交通機関を使用するのであれば、軽く1時間は徒歩が必要となってしまう。
「いつも箒で移動していました」
「え、もしかしてあの箒かい?」
グレイは大掃除の際にシルクが跨っていた箒を思い出す。
箒を乗り物として移動手段に使う魔法使いは多い。
その場合、どの箒も魔力が込められているのだが、魔力に耐えられるよう専用の素材で出来ている。
高級な素材である程性能が高いが、蓄える魔力量も上がる為、相当魔力量が多い者でないと扱いが難しい。
一般的な箒で二時間程、高級な箒で十時間程で魔力が切れて飛べなくなる。
しかし、シルクが使っている箒は何処にでもあるような掃除用の藁の箒。高級なものではなく、だからと言って一般的な飛行用の箒にしては質素な物であった。
グレイは改めて大掃除の時の様子を思い出す。
箒に魔力が込められていれば、飛行していなくても箒から魔力を感じられる。
それなのにシルクの持つ箒からは使用時以外はそういった魔力を感じられなったような、と思い出しては目をぱちくりとさせた。
つまり、シルクが飛行している時だけは魔力を強く感じられていたのだ。
「もしかしてだけど、あれってただの箒?」
「はい、そうですが」
シルクは当たり前のように答える。
グレイは笑顔で固まり、シャロンとミュスカはぽかんとした様子で会話を聞いていた。2人はシルクの使用している箒がどのような物か把握していないのだか、もし実物を見れば驚愕するだろう。
飛行専用でなく、本当にただの掃除用の箒なのだから。
本来そのような専用外の箒に魔力を込めれば、多少は扱えてもいずれ魔力に耐えられず破損してしまう。そのため飛行用の箒は専用の物でないと長く使えないのだ。
しかしシルクの使用している箒は長く使われているように見え、グレイはどうしても新品の箒とは思えなかった。
実際大掃除中のほとんど箒に乗っていたのにも関わらず、箒は破損することなく形を保っていた。
相当器用に魔力を扱わなければ成せない技である。
「…本当に、シルクは面白いね」
グレイの言葉の意味が分からず、シルクは首を傾げる。
そうしているうちに馬車が近付き、シルクは改めて緊張した様子で待ち構える。
2匹の馬に指示を出して馬車を操作する御者の男は、馬車乗り場で立ち止まっているグレイ達を見つけると一瞬嫌そうな表情を浮かべ、鼻周りを抑えるように手で覆う。
しかし違和感を感じたのか、手を離して眉をひそめた。
「おいおい、いつもと違ってあの嫌な匂いを漂わせてねぇじゃねぇか珍しい。何かあったのか?」
「相変わらず嫌そうな顔をするなぁ君、そんなにきつい匂いだった?」
「きついどころじゃねぇよ馬鹿野郎。今日は学生さんも一緒に…ん?そっちは見ない顔だな?」
御者の男はグレイの背後に隠れるように身を潜めているシルクの存在に気付く。
流石に挨拶をしないのは失礼だと思い、シルクは顔を出して軽くお辞儀をする。男はシルクをじっと見て、数秒の沈黙にシルクは冷や汗を流した。
まさか妙な言い掛かりを付けられるのではないか。
そんな不安は直ぐに消し飛ばされることになる。
「別嬪さんじゃないかアンタ!もしかしてアンタも学生さんかい?」
「いいえ…只の魔法使いです」
機嫌良く笑いながら訪ねる男に驚きつつ、シルクは安定の自己紹介をする。
つい再びグレイの背後に回ってしまい、男はグレイに怪しむような視線を送った。




