35. 不思議な夢
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1人の少女がいた。
少女は物陰から少しだけ顔を覗かせ、何かを盗み見ていた。
そんな少女の後ろ姿を見つめる存在が1人。
黒いローブを身に纏い、口元をスカーフで覆っている存在…シルクは目を丸くして固まっていた。
少女は確かに物陰に身を潜めている。
その物陰を辿り、シルクは視線だけをゆっくり上へと移動させた。
それは様々な物が沢山積み上げられた荷物の山だった。長期間同じ状態なのだろう、埃が被られており、もし息を吹きかければふわりと白く薄汚い空気が舞ってしまうに違いない。
少女の視線の先には2人の人物。男性と女性が言い合いをしている。
言い合いと言うよりは、女性の方が一方的に話していると言う方が正しいかもしれない。
シルクは耳の奥が痛くなるような感覚に襲われ、つい耳を塞いでしまいたくなる。
しかし耳を塞ごうにも身体がうまく動かず、会話の内容が鮮明に聞こえてくる。
そして女性の話し方は段々甲高い叫び声のように変化していった。
「本当に嫌になるわ、頭おかしいんじゃないの」
「よくこんな状態で平気でいられるわね」
「何か言ったらどうなのよ。まともに話し合いもしてくれない、いつも逃げて終わらせようとする。いい加減にして」
男性は俯いたまま何も話さない。女性は怒りの形相をしているのだろう。
しかしシルクは2人の顔がぼやけるように見えてしまっており、はっきりとした表情が分からない。
少女は2人の様子を見ていた。
身体は僅かに震えており、恐怖を抱いているのだろうとシルクは推測する。
「”――”、こっちにいらっしゃい」
シルクの背後から声が聞こえ、すかさず後ろに振り向いた。
穏やかでありながらも焦りを入り混ぜたような声。
そこには白髪の女性が立っていた。腰は曲がっており、だいぶ高齢な女性なのだろう。
肝心の顔はやはりぼやけてしまっており、どのような表情をしているのか分からない。
次の瞬間、少女がシルクの姿をすり抜けるように白髪の女性に向かって行った。
まるでシルクの存在がそこに無いかのように。
シルクは驚きつつも少女と白髪の女性の後ろ姿を見つめる事しかできなかった。
ふと少女がシルクの方へとちらと振り向く。少女の顔もぼやけてしまっており、認識することができない。
少女にとっては言い合いをしている男女の方を向いたのだろうが、丁度その間で呆然と立っているシルクにとっては、まるで自身に視線を向けられているように感じられた。
少女は直ぐに視線を前に戻し、白髪の女性に手を引かれて何処かへと向かって行く。
その先には扉があった。ドアノブが付いた前後に開く扉ではなく、黒く丸い部分を手にかけて横にスライドし開く扉だ。
2人が扉の先へと入っていくと、静かに扉はしっかりと閉められる。
閉められた瞬間、扉周りの景色が急に鮮明に表れだした。
積み上げられた書物。骨董品のような置物。大量のカセットテープ。古い段ボール。
他にも様々な物が無造作に積み上げられていた。
いずれにも埃が積もっており、所々汚れていて丁寧に扱われているようには感じられない。
一気に狭苦しく感じられる空間にシルクは不快感に襲われる。
汚い。狭い。息苦しい。スカーフを巻き込んで口元を手で覆う。
「うるさい!!」
突如背後から怒鳴り声が響き渡る。男性の声だ。
先程まで黙っていた男性が女性に向かって手をあげるような行動に移しだす。
それでも女性は変わらず甲高い声を上げながら、負けじと詰め寄ろうとしていた。
相変わらず顔はぼやけてよく分からない。
シルクはふと、自身の身体が震えていることに気が付いた。
不快感から恐怖感に切り替わる。
そこから視界全体が段々ぼやけていき、眩暈に襲われる。
甲高い声、怒鳴り声は少しずつ遠ざかっていった。
――
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シルクは窓から差し込む朝の日差しを浴びながら目を覚ます。
ゆっくりと起き上がり、ぼんやりとした思考が少しずつ明るんでいく。
周りを見渡すと、シルクは広間で寝ていたことを思い出した。寝ていたというよりは、無理矢理寝かされたというほうが正しいのだが。
身体にかけられていたブランケットを丁寧にたたみ、寝具として使用していたソファに置く。
両腕を上にぐっと伸ばした後、肩の力を抜くと同時に息を吐いた。
久しぶりのしっかりとした睡眠。
しかし妙な胸騒ぎがするのは不思議な夢を見たせいだろうか。
(夢…そう、変な夢だ)
先日の短い睡眠の際にも不思議な夢を見たような、とシルクはぼんやりと考える。
平気で睡眠をとらずに過ごし続け、疲れが限界まで達した時にだけ気絶するように眠るという流れがシルクのルーティンであった。気絶するように眠る時はほとんど夢を見ることが無かったため、夢を見るのは本当に久しぶりのことだった。
壁に掛けられている時計に目をやると、時刻は6時を回っている。
昨日は眠りにつくまで苦戦があったものの、時刻でいえば22時頃には目を閉じていた。そうなると約8時間は睡眠に時間を費やしたのかとシルクは考えるも、つい複雑な気持ちになってしまう。
8時間もあれば依頼をこなせただろうな、と仕事に支配されたような考えが簡単に出てきたためだ。
「おはようございます」
「…おはようございます」
広間の扉が開き、ミュスカが姿を現す。
先程起きたばかりであるシルクのぼんやりとした様子に、ミュスカは僅かに安心したような表情を見せた。
「どうやら眠れたようで安心しました。ベッドほど寝心地が良いとは言えませんが、流石に椅子や床で寝るよりはマシかと」
「…はい、ありがとうございます」
ミュスカは朝食の準備に取り掛かるために食卓の部屋へと向かい、シルクは身支度を整えるために一度自室に戻ることにした。
不思議な夢の事は一旦考えるのを止め、今日の目的について複雑な思いを浮かべながら自室に向かって行った。




