33. 曖昧な記憶
追加で持ってきた珈琲も少なくなり、皿にのっていたクッキーは空になった。
その合間ではシルクの体質についてをより詳しく知ろうとグレイが遠慮なく質問していき、シャロンとミュスカは気になりつつもはらはらしながらシルクの様子を伺っていた。
しかしシルクは感情を乱さず事実を淡々と述べ続けたことで、グレイは最後にふむと何かを考えながら残りの珈琲を飲み干した。
「食欲と睡眠欲が無い、身体の成長が止まっている、魔力が凄く高い…てことはわかったけど、記憶についてはどうも難しいね。生まれた場所や時期が不明だし、これまでの記憶も所々抜けてしまっている。だけど仕事に関する知識はしっかり覚えていると…」
いくつかの質問の中で何でも屋をする際の知識や経験についてを確認したところ、魔法植物や魔物に関する知識は勿論の事、戦闘や武器の知識についても把握していた。魔法の扱い方についても言わずもがな。
記憶が抜けているのは、人間関係や自分自身の正体に関わる事がほとんどである。
「記憶に関しては、これまではほとんど諦めていたと言いますか…思い出そうとする事自体をしなかったんです。だけど此処に来てから、少しだけ思い出したというか、不思議な感覚を覚えたりしました」
「どんなことですか?」
「…私はもしかしたら、整理整頓されていない環境が非常に嫌いなんだと思います」
その瞬間、シャロンとミュスカはグレイに視線を移す。
グレイは分かりやすく視線を逸らし、シルクからゴミを見るような目を向けられたことを再び思い出した。
「ちゃんと片付けるようにするから嫌わないでほしいな…」
「あ、いえ…博士が嫌いとかそういうのでは無いんです。なんと言えば良いのか…そういう環境自体が嫌い?と言いますか。大掃除をする時は無性にイライラしてしまってて…」
「通りであの時は急かされてると思ったよ」
実際に一日で大掃除を終わらせたため、相当あの環境が嫌だったのだろうなとグレイは冷や汗を流す。
確かに整理整頓されていない環境を嫌う者はいるが、シルク程徹底的に片付けてしまおうと考え行動する者はグレイの記憶の中ではいなかった。大半は諦め状態で投げ出していたのが現実だが。
「それと…食欲は無いのに、食事に関しては妙に気持ちが高まるような感覚がありました。もしかしたら私は、食べることが好きだったんじゃないかって思ったりして…何だか不思議な感覚です」
「実際表情が和らいでたんだし、間違いは無いだろ」
「このまま食欲が復活すれば良いんですけどね…いや、食欲は記憶と言うより、身体が成長しない事が原因になるんでしょうか」
「うーむ…これは専門の人に相談してみるべきかねぇ。ちなみに病院で検査してもらったりとかは――」
グレイは途中で発言を止めた。シルクの瞳が動揺するように揺らいだのに気が付いたのだ。
これまでの質問に対しては淡々としていたにも関わらず、明らかに動揺したことについ違和感を覚える。
「…病院が嫌いなのかい?」
「…いえ、よくわかりません。…ごめんなさい」
シルクの額から冷や汗が流れ、顔色が若干悪くなりつつある。
ミュスカは急いで水の入ったコップを準備し、シルクに飲むよう促した。素直にコップを手に取って一口含み、深く息を吐く。
「大丈夫ですか?」
「はい…大丈夫です」
「今は無理に思い出す必要な無いですよ…色々質問して疲れさせてしまいましたね、すみません」
「…流石に一旦休憩を挟んだ方が良いね、部屋で休んでくるかい?」
「…はい、そうします」
時刻は夕方を回ろうとしていた。
夕食の準備をしなければとミュスカも立ち上がり、先にシルクを部屋に送ってくると言ってから広間を出た。そうして広間にはグレイとシャロンが残る。
「あれは明らかに何かあった様子だね。完全には思い出せていなさそうだったけど、体質の事を考えると…病院で何かされた経験があるのかもしれない」
「先生、流石に踏み込み過ぎた質問は控えた方がいいだろ」
「…気にはなるけど、あんな様子だと流石にそうするしかないかねぇ。流石に僕も鬼じゃないし」
グレイはソファにもたれて唸る様に考え込む。
シルクの身に起こっている現象について考えようにも、グレイは魔法薬学研究者。魔法植物やそれらに関わる研究については詳しいが、人体に関する医学的知識や特殊な魔術については専門外である。
これまでの魔法植物の研究について振り返るも、記憶を一時的に消すような物があってもシルクのように部分的に、何なら生まれてから長期間の記憶を消すような物には触れたことが無い。
何ならシルクは家族についての記憶もほとんど忘れているような状態である。
「…一度アイツに相談してみようかね」
ぽつりと呟いた後、ミュスカが広間に戻ってきた。
とても複雑な表情をしている。
「…シャロン、先生。真っ先に解決すべきことが見つかりましたよ」
「お、おう…どうしたんだよ」
「シルクさん、ベッドが無いじゃないですか」
グレイとシャロンはシルクの部屋にベッドの存在が無かったことを思い出した。
睡眠欲が無いとしても疲労は自覚する時点で、休息は必要になる。その為のベッドが存在していないのは流石に問題ではないか。
「疲れが溜まるなら欲が無くても睡眠はとるべきです、何とか説得して睡眠はとるようにしてもらいましょう」
「これは明日買いに行くべきかな…ちなみにシルクは何か言ってた?」
「椅子で十分ですって言われました」
「疲れ取れねぇだろそれ」
絶対にベッドを買いに行こう、そしてちゃんとした睡眠をとらせよう。
3人の気持ちが一つになった瞬間であった。




