203. こっそり観察
使役魔法、それは自然の生き物や魔物などの意思を持つ者達を対象に指示を出し従わせる魔法。
高魔力且つ繊細に操る者にのみ扱うことができる、これもまた難易度の高い魔法だ。
実際に使役魔法を扱えたとしても、対象の意思疎通を図ることは非常に難しい。
人々の考えが十人十色であるように、生き物達の考えも同様である。
その為、対象の意思に反する指示は基本的に通らないのだ。
不利な環境下に飛び込ませる、命の危険に晒されやすい命令をされるといった”明らかに自滅に追い込むような指示”が分かりやすい一例と言えるだろう。
より高い魔力を使って無理矢理従わせるということも可能ではあるのだが、シルクにそのような考えは持ち合わされていない。
(近付きすぎるとバレるから、慎重に近付くんだよ)
『へへ、こっそり動くのは得意分野だ。任せとけよ』
(…気をつけてね)
更に、シルクの場合は異言語魔法を同時に駆使している。
一方的に指示を出すのでなく、対象とコミュニケーションをとって意思を理解しながらの指示出しとなり、時には対象の安全面を優先し指示を変更することもできるのだ。
これはシルクの潜入捜査時に重宝している魔法の使い方で、桁違いな魔力の高さにより対象となる規模は広範囲にも及ぶ。
現時点では蜘蛛や蝶を対象としているが、その気になれば数十体以上を同時に対象として指示を出すことができるだろう。
「私はまだ魔法の実践はしたことがありませんので、得意な魔法が何なのか分かりません…私も早く魔法を使ってみたいですわ!それなのに、おじい様もお母様もお父様も…皆がまだ早いって揃って言われますのよ!」
「気持ちは分かるのだが、基礎を十分に理解してからでないといけないんだ。魔法は時によっては脅威となるからね」
「むぅ…、お勉強は飽きる程やっておりますのよ!沢山魔法の本を読んでいますし、この前のテストでも先生からお褒めの言葉を頂いてますわ!」
「…フレイスさんは勉強熱心ですね」
「はい!私、お勉強も大好きですわよ!」
シルクは意識を目の前に戻し、フレイスの得意げな表情とクロテッド社長の参ったような困り顔を交互に見つめる。
薔薇の形を催したクッキーを一つ手に取ってはフレイスも同様に手に取り、同時にさくりと小さく音が鳴る。
ふわりと優しい風が辺りを漂い、シルクは軽く目を閉じては再び意識を別の方へと向かわせた。
『まーた広い部屋を上から丁寧に掃除してるなぁ、ご苦労なこった。今は棚の隅で様子見だなぁ…』
(…もう少し視界を広げたいから左側に寄ってほしいな。できるところまでお願い)
『はいよ~…っと、流石にこれが限界だな。これ以上出ると見つかっちまう。箒で追い払われるのは御免だぜ』
シルクの脳内には蜘蛛の見ている光景がそのまま共有されている状態。
これはまた別の魔法、感覚共有魔法によるものである。
視覚、聴覚、触覚といった感覚を共有できる魔法であり、相当な集中力を必要とする魔法だ。
使役魔法はあくまでも指示を出し従わせるだけの魔法であり、指示を受けた対象がその場を離れてから戻るまでの視覚情報は基本的に共有されない。
その為、使役魔法を扱う魔法使いは同時に感覚共有魔法を得て同時進行で扱う者が多い。
集中力が必要となる分、使役対象が少数になってしまうのはそのせいなのだ。
(執事の方はどう?)
『こっちは書類整理に集中しているわ。物凄い手さばきねぇ、そろそろ終わり時かもよ』
(そのまま観察をお願いね)
『やべ、メイドが一人こっちに近付いて来た。少し隠れるぜ』
(了解…そのまま耳を澄まして。音で動きを予測する)
シルクの脳内には二つの映像が別々で映り込んでいるような状態となっている。
一つはメイド長達が掃除している光景、もう一つは執事が事務仕事をしている光景。
使役魔法、異言語魔法、感覚共有魔法を同時進行で駆使するという荒業であり、集中力が高いという説明では済まされないような魔法の使い方だ。
しかしシルクはそれを実際に使いこなしている。
何年も長い間、何でも屋として活動していく中で工夫を凝らしながら行き届いた、シルクオリジナルの魔法の使い方なのである。
そのような魔法をシルクが現在進行形で扱っているとは、フレイス達は知る由もない。
実際目の前にいるシルクは、優雅にお茶会に参加している者の一人としか見えないのだから。
「社長が言うように、魔法は基礎が大切になります。実践魔法は基礎をしっかり固めた上で行うものですね。誤った知識や足りない知識のままだと事故にも繋がってしまいますから」
「シルク様までぇ…!」
「…先生からお褒めの言葉を頂いているんです。そのまま知識を十分固めていけば、実践できる日も近いのではないでしょうか。勿論、見守りの元で行うこと前提ですね」
フレイスはむっと頬を膨らませるも、みるみるうちに嬉しそうに口角を上げて嬉しそうな笑顔になる。
「その時は是非私も一緒に見守りたいね。フレイスの初めての実践魔法となれば、しっかりこの目で見ておきたいよ」
「ふふ、おじい様が驚くくらい凄い魔法を見せたいですわ!」
見守りたいという理由の中には、いざという時にフレイスの身を守りたいという理由も含まれているのだろう。
孫娘を溺愛しているだけのことはあるが、何事も制限しようとせず意志を尊重する姿勢に、シルクは安堵するように軽く肩を下げてから紅茶を飲み干した。
近くにいたメイドがシルクのティーカップに新しく紅茶を注ぎ、再びふわりと紅茶の良い香りが漂う。
苺のフィナンシェを手に取ったところで、シルクは一瞬動きを止めた。
『ひえぇっ!!』
脳内に響きわたる蜘蛛の小さな悲鳴。
同時に、鋭利なものが刺さったような音も耳に届いた。
シルクは無表情のまま動きを再開させ、フィナンシェを咀嚼しては紅茶に口をつける。
(……このメイド長、只者じゃない)
脳内に映し出されている蜘蛛の光景。
それは視界に広がる銀色の細い針が壁に突き刺さっている光景。
裁縫用の待針が蜘蛛にめがけて一直線に飛んできたのである。
「この棚の後ろに隠れているわ、用心するように」
メイド長の声が近付き、蜘蛛はすかさず棚の奥へと身を潜めさせる。
小さな蜘蛛であるのがまだ不幸中の幸いだが、油断できない状況だ。
蜘蛛は素早く滑るように床へと移動し、別の棚の側面へ辿り着いては直ぐに身を潜めてメイド長と距離をとった。
その際に視界に入った光景を見ては、シルクはつい冷や汗を流す。
メイド長は穏やかな笑顔のまま、裁縫用の針を数本手にしていた。
(…そっちは大丈夫?)
ふと執事の観察をしている方の蜘蛛が心配になり、そちらに意識を傾けさせる。
すると嫌な予感が的中してしまい、シルクは静かに息を呑んだ。
『正直、大丈夫ではないかもしれない…一旦退避が良さそうかしら?』
先程まで書類整理をしていた執事は、手を止めてとある方向へ視線を向けていた。
視線の先は書類棚の上から二段目…丁度蜘蛛が身を潜めさせている場所である。
これまでの潜入捜査でも蜘蛛や鼠といった小さな生き物達の協力を経てきており、気配を察知されることはほとんど無かった。
気付かれたとしても障害物が少ない場所や小さな音でも響きやすい場所に限定されていた。
しかし、今回は比較的障害物が多く小さな音も響き渡りにくい屋敷の中。
相当な気配察知能力が無ければ気付かれることは無い筈だ。
(此処の人達は気配を察知する能力に長けているのか)
口に含んだ紅茶をごくりと飲み干し、静かにティーカップを置く。
一見無表情ではあるが、脳内では蜘蛛達の警報と対策で慌ただしいことになっている。
「…社長、一つお聞きしても宜しいでしょうか」
「何だい?」
「此処の薔薇園はいつ見ても素晴らしいものです。…街で広がっている薔薇の被害についても手紙で触れましたが、此処ではそういった被害は受けられませんでしたか?」
「あぁ…無断で薔薇を盗まれるという事件については私も耳にしているよ。だがこちらには一切被害が及んでいない。此処で育てている薔薇は信頼できる業者と取引して送って貰っているものでね、事件が公に広まる前からその業者から情報を得ていたんだよ。”やけに薔薇を買い占める者が増えてきていて、下手すれば最悪な事態に発展するかもしれない”とね…」
クロテッド社長は困ったように眉を下げては小さく溜息をつく。
フレイスも話を知っているようで、心配するようにクロテッド社長の様子を伺ってから「でも!」と声を上げた。
「皆様のお陰で此処の薔薇園は守られていますわ!ミュールとロゼットの使う魔法もとっても凄いんですわよ!メラーシェの魔法も私大好きですわ!」
「あはは、皆が聞いたらとても喜ぶだろうね。私も皆の魔法は素晴らしいと思っているよ」
「…その方達が此処の薔薇園を?」
「そう言えばシルクさんにはまだ具体的に紹介していなかったね。メラーシェ君は直ぐ近くにいるんじゃないかな…あぁ、いたいた!」
クロテッド社長が右腕を上げて大きく振ると、それに気づいた者が立ち上がってやってくる。
麦藁帽を被り、肩にタオルをかけ、作業着を身にまとった中年の男だ。
「フラム様、どうされましたか」
「丁度シルクさんに紹介しようと思っていてね。こちらがメラーシェ君、此処の庭師だよ。薔薇の管理は主に彼がやっている」
メラーシェは作業の途中である為か額から汗を何粒も流しており、麦藁帽を外して肩にかけているタオルで拭き取っては、シルクに深々とお辞儀をする。
続いてシルクもお辞儀をしてから、無表情のまま淡々とした様子でメラーシェを数秒観察する。
(この人も多分…いや、絶対手練れだ)
長年何でも屋として活動している本能がそう訴えかけているような気がしては、再びクロテッド社長に視線を移す。
そのままクロテッド社長が続けて口にした言葉にも、シルクは分かっていたかのように納得してしまった。
「メイド長のミュール君、執事のロゼット君とは会ったことがあるね。二人は今仕事中だが、ロゼット君についてはそろそろ仕事が落ち着く頃じゃないかな。二人も魔法使いとしてなかなか良い腕を持っているんだよ。もしかしたら、フレイス以上にシルクさんの魔法にとても興味を持っているんじゃないかな」
「…成程」
これはとんでもないことになりそうだな。
そう思いながら再び紅茶を一口飲み、静かにティーカップを置いた。




