197. 安くない交渉
その日の夜、アパートの広間ではシルクとグレイが対面するようにソファに座っていた。
グレイの目の前には購入した魔法植物の植木鉢が、シルクの前には魔法植物の一部や液体の入った小瓶が置かれている。
シルクは一つずつ小瓶を手に取り、無表情のまま淡々と解説を始めてはグレイが真剣な面持ちで耳を傾けさせた。
「こちらは夜桜草、日中は花弁を閉じ、月が出ている夜にのみ開花する魔法植物ですね。その中でも突然変異したものがこちらの朔桜草、新月の日のみ開花する魔法植物になります」
「夜桜草は花弁を閉じている状態だと発見しづらいから、主に夜間に採取されるものだねぇ。朔桜草はその突然変異で新月のみにしか採取できない。雨が降ってしまえばそもそも開花しない特殊な魔法植物だし、それは本当にレア中のレアってことだ」
「そうなりますね。そしてこちらは一般的な植物である月下美人の花弁から抽出されたエキスです。このエキスとこれらを定められた分量で調合し、満月の光を浴びさせながら煮詰めることで魔法薬が完成します」
「あぁ…しかもちゃんとした快晴であることが条件で、少しでも雲がかかっている満月では効果が薄まってしまう、高難易度な調合だ」
「はい。もしその魔法薬が完成したとして、そちらの植木鉢に植えられている魔法植物に毎日一滴ずつ振りかければ蕾は開花するでしょう」
「……流石だね、的確な魔法植物の知識だよ」
グレイは真剣な表情のままゆっくり息を吐くと、ソファから立ち上がっては真横に移動し床に両膝をついた。
そのまま姿勢を真っ直ぐにさせた正座の状態となり、シルクに向かって深々と土下座を披露する。
「お願いします、まけてください」
「…すみません。博士と言えどこれは簡単にはまけられません」
「そんなああぁぁッ!!!」
グレイは土下座ポーズのまま絶叫する。
まさか再びグレイの土下座を見ることになるとは、とシルクは無表情のまま呆れたように小さく溜息をついた。
「うわ…何やってるんだよ先生」
そこにシャロンが顔を出し、グレイの土下座を引いた目で見ながら声をかける。
グレイがゆっくりと顔を上げて振り返れば、瞳を潤ませた涙目状態となっておりそれに対してもまた引いた様子でシャロンは表情を引き攣らせた。
「シルクと交渉中なんだけどさぁ…必要な魔法植物と薬液をまけてくれないんだよぉ」
「そう簡単にまけてはいけないとティピックさんから言われていますので」
「先手を打たれてたぁ!酷いよティピック君ッ!!」
「いや、これは博士達と出会う前から言われていることですので…」
シルクは申し訳なさそうに軽く眉を下げ、テーブルに並べられている小瓶に視線を移す。
魔法植物はメインの任務で調達したものではなく、まったく関係無い別の任務で調達したものだ。
月下美人のエキスについては任務の一環で作成したもので、余った量だけを保管している状態である。
「シルクの持ってる素材って貴重なものが多いよな。先生が欲しがってるのって金額で言えばどれくらいなんだ?」
「そうですね…この夜桜草は一本三万程でしょうか」
「うわ…やっぱそれなりにするよな。でもそれくらい先生なら払えるだろ」
「そしてこちらの朔桜草は一本五十万程になります」
「成程五十……は?」
「月下美人のエキスはどうでしょう…抽出する工程を踏まえればそれなりに値は上がりそうですが、具体的な値段は何とも言えません」
シルクは流れるように説明を終えてしまったが、シャロンは聞き間違えただろうかと眉間に指を押し当ててからもう一度シルクに尋ねる。
「なぁ…五十万ってマジで?」
「はい、五十万します。とても希少だとティピックさんから言われました」
シルクは朔桜草を入手した当時のことを思い出す。
満月でもないのに開花しているとは珍しい、といった軽いノリで調達したのだが、具体的な価値を知らずにティピックに見せると大笑いされたのである。
それは大切に保管しておいた方が良い、そう簡単に交渉材料として扱ってはいけないよ、と言われてはいたのだが、今回の場合は相手はグレイで信用できる者である為例外だと判断している。
「エキスについては液体の質と色合いを見た感じ最上級の出来だ。一般的なエキスよりも効能は倍以上だと判断しても良い…となれば界隈で言えば二十万は妥当だろう」
「ひぇ…」
グレイの涙声による解説を聞き、シャロンは小さく悲鳴のような声を上げてしまう。
対してシルクは成程と納得するように頷くだけであった。
「朔桜草は魔法植物だからどうしようもないとして、月下美人のエキスなら先生が自ら抽出すれば良いんじゃないか?植物からのエキス抽出なんて教科書に載ってるレベルのものだし」
「ふふふ、甘いねぇシャロン。確かに一般的な教科書に載っている方法でも抽出は可能だ。だが上には上があるように、教科書では留まらない抽出方法がいくつも研究で明かされている。特にこのエキスの質と色合いから察するに、相当な時間と労力をかけて抽出されたものと見た!ねぇシルク、実際にどうやって抽出したか覚えているかい!?」
グレイは解説を始めると活き活きとしだし、好奇心を含ませた瞳でシルクに問い掛ける。
シルクは当時のことを思い出すように首を傾げさせながら視線を斜め上へと向け、数秒考えてから口を動かした。
「月下美人の良質な花弁二百枚に五時間以上月光を浴びせさせてから、まずは不純物が一切含まれていない蒸留水に浸して抽出させましたね。そちらは三時間程でしたが、その抽出した液体を使用した月下美人に戻してからまたエタノールを用いて抽出するのを五日程…また同じように戻しては別の液体を使用した抽出で更に一週間は時間をかけたかと」
「その別の液体ってのは恐らくブチレングリコールが含まれたものだろうねぇ。相当時間をかけた抽出だけど、もしかしてシルクが一人でやった…?」
「はい。無事に出来上がって依頼主に必要量を提供できたのですが、その後の記憶があやふやで…もしかしたら気絶していたのかもしれません」
シルクとグレイの解説を聞いてシャロンは絶句し言葉を発せなくなる。
グレイは気絶に対して眉間に皺を寄せるが、改めてエキスの入った小瓶に視線を移してはうっとりと恍惚な表情を浮かべてしまう。
そのまま直ぐにシルクに向き直り、潤ませた瞳をぶつけて静かに懇願した。
それでもシルクは無表情から変わらず、視線を伏せさせるように目を閉じてから首を横に振る。
グレイは再び絶叫するように声を上げながら額を床につけさせてしまった。
「うあああぁぁぁ…ッ、分割払いでも駄目かなぁ!?」
「一括しか受け付けておりません」
「のおぉぉぉぉッッ!!」
「先生、いい大人がみっともねぇぞ」
シャロンは気の毒とも思っていないようなジト目でグレイを見下ろしており、シルクはテーブルに出していた小瓶を全てポシェット内に仕舞い込んだ。
そんな中でも悲しそうに喚くグレイの様子をシルクは数秒見つめ、その後何かを考えるように視線を斜め上に向けてから口を動かした。
「…明日は魔物討伐の依頼が入っていますが、それ以降の依頼内容はまだ決まっていません。恐らく討伐が終わってからティピックさんと打ち合わせすることになるでしょう」
シルクの発言にグレイは喚き声を止め、涙で溢れた瞳のまま顔をゆっくりと上げる。
「今後の依頼予定の中に、確か魔法薬に関するものがあった筈です。元々は魔法協会で扱われていた依頼だったようですが、なかなか複雑な工程を必要とするものらしく、いろんな方が挑戦してきましたが誰もが失敗に終わり、裏魔法協会へと流されてきたと聞いています。…もしその依頼が私にまわってきた場合、内容によっては博士を頼るかもしれません」
グレイはゆっくりと立ち上がっては目元の涙を白衣の袖で雑に拭う。
シルクは最後に一呼吸置いてから、真剣な表情でグレイに続きを語った。
「その際に博士が助言などして下さり、その上で依頼が成功したら…まけることを考慮します。…それでは、私は部屋に戻りますね」
「シルク…!!」
確定した訳でもないにも関わらず、グレイはぱぁと周りに花が咲くかのような希望に満ちた表情を浮かべる。
そのままシルクは広間を後にし、残されたシャロンは小さく溜息をつき、うきうきと嬉しそうにさせているグレイの気の変わりように静かに呆れていた。
「まだ決まったわけじゃねぇのに、気が早いだろ」
「シルクが言ったんだから、絶対その依頼はまわってくるよ。あぁ~…待ち遠しいなぁ~」
グレイは嬉しそうに口元を緩ませてはドカッとソファに座り、テーブルに置かれている植木鉢を見てはまた怪しい笑みになって見つめだす。
シャロンも植木鉢に視線を向けるが、とある違和感を感じていた。
魔法薬学を専攻している身である為、グレイ程では無いが知識を得ているからこその違和感である。
「…なぁ先生、この魔法植物ってもしかしてクレセントフューシャか?」
「お、シャロンもようやく分ったかい?あんなところで売られてるなんて拍子抜けしちゃうよねぇ、実際安く売られてたし僕も驚いたよ」
「そんな珍しい魔法植物が何で売られてるんだよ…!」
「何が起こるか分からないよねぇ。あのお店も見た感じ移動式っぽかったし、明日には別の移動式の店が並んでいるだろうし…手に入れられたのは運が良かったなぁ」
偶然且つ安値で手に入れられた珍しい魔法植物の植木鉢を大切そうに抱え、グレイは緩んだ表情のままそのクレセントフューシャについて語り出す。
一度語り出せば長くなる為、シャロンはまた始まったと諦めた表情を浮かべてからソファに座り、仕方が無く耳を傾けさせる。
説明を聞いていく中、シャロンはクレセントフューシャの知識を踏まえた上で改めてシルクの持っていた魔法植物を脳内に思い浮かばせる。
クレセントフューシャは開花方法が二種類あり、一つは勿論自然開花だが滅多に見られない代物。
そして二つ目が魔法薬による強制開花なのだが、その開花に必要な魔法薬を作る為の素材をシルクは持っているのだ。
どれも厳しい自然環境や決まった条件下でしか手に入れられない素材である為、それらを入手しているシルクには本当に頭が上がらなくなりそうである。
シルクは高難易度な依頼を引き受けては高額な報酬を取り扱う凄腕の何でも屋。
関わっていく中で様々な事実を知れば知る程、只の魔法使いですと宣言するには無理があるだろうと言いたくなってしまう。
改めてシルクの凄さを思い知るが、思考がグレイの声に呼び戻されたことで再び長い解説に耳を傾けさせたのであった。




