186. 女性慣れしない経緯
クイチェのとある洋菓子店では、2時間制限の食べ放題が実施されている。
午後にはほぼ満席となるが、開店時間の午前10時から昼過ぎ頃までは比較的入りやすい。
しかし、既に埋まっている席にいるのは女性ばかり。
その様子を外側から見ていたレザンは冷や汗を流しながら、ぎこちなく身体を強張らせていた。
そんなレザンの腕をペーシェが引っ張り、後ろからシルクも一緒に店内へと入っていく。
ペーシェが既に予約を入れていたようで、店員に話しかけるとシルク達はスムーズに席に案内された。
店員が男性であったこと、近くの席がまだ空席であることがレザンにとって唯一の救いであった。
「それじゃあ早速取りに行こうよ!今月の新作も美味しそうなんだよねぇ~」
「ペーシェ…依頼よりもこれが目的だっただろ」
「ちゃんと依頼のことも考えてるから安心しなよ。先に腹ごしらえしてからね」
調子の良い奴め、とレザンは小さく溜息をつく。
ちらと申し訳なさそうにシルクの方へと視線を移してみると、シルクはきょろきょろと店内を珍しそうに見回していた。
「シルクさんってもしかして、こういったところに来るの初めてだったり…?」
「はい…どのように並べば良いんでしょうか」
「じゃあ僕について来てよ。あそこに取り皿があるから、それに食べたいものをのせていくんだよ。あっちにドリンクバーがあって、あっちにはサラダとかおかず系のものがあるよ」
ペーシェは慣れた手付きで二つの取り皿を手に取って数種類の洋菓子を選び、シルクとレザンも各自気になるものを少しずつ選んでいく。
好きな飲み物も選んだところで席に着くのだが、ここでもペーシェはジト目になってから隣に座ったレザンに視線を送った。
「レザンったら僕じゃなくてシルクさんの隣に座りなよ。広めのソファ席だし大丈夫でしょ」
「そこまで拘るのか!?い、今はまだ緊張が解れてないというか…」
「じゃあ一時間経ったら席移動ね、シルクさんも覚えててね」
「承知しました」
「強制かよ…」
レザンは軽く頬を赤くさせながら、斜め前に座るシルクの様子を伺う。
頂きますと小さく呟いてから皿に盛りつけられた少量の洋菓子の中から苺のショートケーキを選び、綺麗な所作で一口ぱくりと食べるとほんのりと嬉しそうな表情を浮かべた。
その様子に気付いたペーシェも嬉しそうに笑い、食べていたロールケーキを飲み込んでから語り掛ける。
「此処の美味しいでしょ、僕のお気に入りの一つなんだよね。ほらレザンも食べなって」
促されるままにレザンも自身の皿からスフレチーズケーキを一口分掬って口に運ぶ。
優しく程良い甘さが口に広がるが、緊張感が無ければもっと味を堪能できていたのかもしれない。
目の前の取り皿に集中しようとするも、どうしても視界の端にシルクの姿が映っては気になってしまう。
近くを歩いて行く他の女性客の姿も偶に視界に入り込み、その度に緊張感が増していく。
せめて奥側の席にすればよかったかと後悔しているところで、シルクがアイスティーの入ったグラスを静かに置いてから口を開いた。
「依頼を進めていく前に、フュジルさんのことを詳しく聞いても良いでしょうか」
「え…お、俺のこと?」
「はい。女性慣れしていないということですが、それは具体的に何かキッカケがあったんですか?」
「…いや、別にキッカケがあったという訳では…その…」
「これまで本ッッ当に女性と関わる機会が無かったんだよねぇ」
気恥ずかしそうに話すレザンを横目に、ペーシェが代わりに説明しだした。
レザンは三人兄弟の末っ子で、親は父親のみという男性だけの家庭環境で育った。
物心ついた頃から母親の記憶は無く、レザンが産まれてから間もなくこの世を去ったと聞かされている。
学校は専門の男子校に通い、家庭だけでなく学びの場でも男社会を歩んでいた。
近所に住む同年代の友人も勿論男ばかりで、友人の家でその友人の母親の姿を見た時は衝撃を覚えた程である。
まだその頃は今のように大きく緊張することは無かったのだが、第二次成長期、つまり思春期の頃から違和感を覚えるようになった。
魔法学校から家に帰る途中、一人の女性とすれ違う。
まったく面識のない知らない女性で、その女性にとってもレザンは他人である。
しかし、すれ違った直後にレザンはつい足を止め振り返り、それに気付かず去って行く女性の後ろ姿を数秒見つめた。
この頃のレザンは大きく背が伸び、筋肉質な男性らしい体格になっていた。
兄弟や父親もしっかりとした体格で、周りの友人も皆それぞれのペースでありながらも男性らしく成長していた。
だからこそ感じてしまった違和感。
すれ違った女性の小ささに驚いたのである。
自分と違って背が低いだけでなく骨格や筋肉のつき方が異なっている。
家族や友人は多少差はあっても同じような成長を遂げていたというのに。
そんな違和感を覚えてから暫く経った間にも何人かの女性とすれ違い、レザンの中で違和感は大きく膨れ上がった。
流石に困惑し、ある日レザンは長男にその違和感のことを相談する。
思春期特有の親との距離感もあり、父親にではなく兄弟という比較的身近な存在に相談したのだが、この選択肢がレザンの思考を大きく混乱させることとなった。
長男は成程なと頷くと、少し待っててくれとレザンに伝えてから自室からとあるものを持って来る。
男はいずれ通る道だ。俺はこれにお世話になった。そう言いながら長男は真剣な面持ちでとあるもの…一冊の雑誌をレザンに手渡した。
「待て待て待て待ってくれ!それ以上は言わないでいいから!」
「何だよぉ、この先の決定的瞬間を説明しないと駄目でしょ。元々はレザンがそう説明してくれた内容じゃん」
「それは男同士だから説明できたことであって…!シルクさんにはもう少し表現を変えた説明の方が…」
途中で説明を遮られ、シルクは無表情のまま軽く首を傾げさせる。
レザンは顔を真っ赤にさせながら狼狽え、ペーシェは呆れながら二皿目に盛られているチョコレートケーキにフォークを刺し、小さく溜息をついてから控えめの声で説明の続きを口にした。
「つまり、大人向けの恥ずかしい雑誌を見せられたんだよ。それを機に女性を直視することができなくなっちゃったんだとさ」
レザンは茹でダコのように耳まで真っ赤にさせ、当時のことを思い出しては眩暈に襲われそうになる。
当時は素直に雑誌を見た直後に倒れてしまい、慌てた長男と騒ぎを聞きつけた次男に介抱された。
直ぐに目を覚ましたのは良かったのだが、勿論長男と次男からは揶揄われてしまう。
あんなに分かりやすい反応をするとは思っていなかった、鼻血の勢いが凄かったぞ、と揶揄い混じりの笑顔を向けられたのは今でも忘れられない。
「…成程」
対してシルクは片手を自身の顎に添えながら真剣な表情でそう呟く。
引きもせず真剣に考えている様子で、レザンは引かれなかった安心感を覚えながらも、直ぐに恥ずかしさと複雑さが脳内を支配してしまう。
気を紛らわせようとケーキを口に運ぶが、緊張のせいで味がほとんど感じられない。
更に気を紛らわせようとアイスコーヒーを飲み、乾いた口内を潤したいが為に勢いよく飲み干してしまった。
「と、兎に角…そんなこともあって、女性との関わり方がよく分からなくなってしまって…当時は話すこともできなかったと言いますか…まぁ、女性と関わること自体がほぼなかったんですけど…」
「関わる機会が増えたのは社会人になってからだねぇ。新人の時は女性の事務員に声をかけられただけで固まって動けなくなったんだよ。今では簡単な会話くらいはできるようになってるけど、目は合わせられないし挙動不審っぽくなるし、今みたいに敬語になっちゃうし。流石にこのままじゃ先が心配だよ~?」
ペーシェはアイスカフェラテを飲み干すと、空になった二枚の皿を重ねて追加の洋菓子を取りに行こうと立ち上がる。
通路側に座っていたレザンも立ち上がるも、レザンの皿にはまだ洋菓子が残っており、ペーシェが出てから直ぐにソファに座り直した。
「追加のケーキと限定商品貰ってくるから、レザンはちゃんとシルクさんとお話しててよね!」
そう言ってペーシェは席を離れていき、シルクとレザンがその場に残された。
レザンは気まずそうに視線を泳がせるも、こっそりとシルクの方へ視線を向ける。
直後にばちりと目が合ってしまい、直ぐに分かりやすく視線を逸らしてから「またやってしまった」と心の中で焦り出す。
「…女性と関わることに対して、恐怖はありますか?」
「え…いや、恐怖とまではいかない…かと」
視線を逸らしながらも小さく返答すると、シルクは安心したように控えめの溜息を吐き、視線をアイスティーの入ったグラスに向けながら言葉を続けた。
「恐怖を感じる程でないのなら良かったです。…恐怖はそう簡単に克服できるものではありませんから」
落ち着いた声がレザンの耳に入っていき、緊張しながらもゆっくりと視線をシルクの方へ向ける。
シルクがグラスに視線を留めた状態である為、互いの視線は合わない。
レザンはシルクのこれまでの人間関係について聞いていたことを思い出す。
桁違いな魔力や体質のせいで様々な人から白い目で見られ、一人で過ごすようになったという出来事。
割り切るようにしていたと宣言していたが、内心では恐怖を感じることも沢山あったに違いない。
多くの修羅場を潜り抜けてきたシルクに対して、自分の悩みはちっぽけなものじゃないか。
ふとそう考えてしまった時に、再びシルクの声が耳に届いた。
「以前は目を合わせられずまともに会話できない程であったのが、今では会話ができるようになってきているんです。少しずつでも改善しているんですから、不安になり過ぎないで大丈夫だと思います」
「…そうだとしても、俺は今でも目を合わせることができていないよ。変に緊張してしまって、身体が思うように動かなくなるんだ」
「では、緊張しないように…意識を変えてみるのはどうでしょう」
シルクはグラスを手に持ち、視線を伏せた状態で静かにアイスティーを飲み干す。
静かにグラスを置くと同時に中の氷がカランと冷たく鳴った。
「興味のある話題、好きな話題には積極的に会話に入り込んでいる印象があります。以前魔法について色々話した時のことを思い出してみてください」
――
―
数分後、ぺーシェは一回目とは違った種類の洋菓子をのせた皿と、二名以上来店による限定の洋菓子がのった皿を手にして席に戻ろうとしていた。
洋菓子を選んでいる最中にさり気なく周りの客の様子を伺っていたが、確かに女性客が多いが偶に男性客の姿も見られていた。
店員にも勿論男性がいる訳だし、レザンは気にしすぎなんだよなぁと考えながら足を進めていく。
そして席が見えてきたところで、ぺーシェはつい立ち止まって目をぱちくりとさせた。
シルクとレザンが何やら話し合っているのである。
視線は逸らしていることが多いが、偶にちらとシルクの方を見ては数秒固まるような様子も見られる。
てっきり互いに黙り込むかレザンが挙動不審に狼狽えているかを予想していた為、ぺーシェはつい感動する。
この数分の間にシルクがどのような対策をとったのだろうか、と興味を持ちながら近付いた。
近付くにつれて会話の内容が聞き取りやすくなり、その内容を聞いてはぺーシェの嬉しそうな顔はジト目の表情に変化した。
「込められた魔力を発射時からではなく、対象物に直撃するタイミングに放出できるよう調整するんです」
「それって確か隊長の得意分野なんだよな。ナイフだと刺さればそこに留まるけど、弾丸となれば貫通することが多いから…タイミングが難しいな」
「まずは弾丸に込める魔力量から調整してみてください。込める量を間違えると暴発する可能性もあるので」
「込められたとしても、直撃する前にも暴発する可能性だってあるんだよな。今使ってる銃でそれが耐えられるか…?」
「武器のメンテナンスも大切ですからね」
「ちょっとちょっと!僕がいない間に何盛り上がっちゃってるの!?」
シルクとレザンは一瞬驚いたように目を丸くさせ、不機嫌そうに頬を膨らませるぺーシェの方を向く。
シルクはおかえりなさいと無表情で呟き、レザンは気恥しそうにしながらも誤魔化すように視線を泳がせた。
「フュジルさんにとって話しやすい話題であれば緊張が和らぐかと思いまして…それなりに話せていたと思いますよ」
「そうだねぇ確かにちゃんと話してて吃驚したよ。でもその話は僕も気になるから!はい、レザンは奥の方に座って!」
「おい押すなよ…!」
そのままぺーシェも話題に加わり、華やかなテーブルを囲んで物騒な話題を繰り広げる空間が出来上がったのであった。




