153. 自覚
シルクは無表情のまま困惑していた。
視線を下げれば、目の前には彩り鮮やかなフルーツタルトが皿に盛られており、隣には淹れたての琥珀色の紅茶がほんのりと優しい香りを漂わせている。
しかし視線を上げれば、目の前には気まずそうに複雑な表情を浮かべて視線を逸らしているアベルの姿。
その隣に座っているカネルは苦笑いを浮かべながらアベルの様子を伺っており、シルクの隣にいるグレイも珍しそうにきょとんとしている。
「どうしちゃったのアベル君、いつもと様子が違うみたいだけど」
「…気のせいじゃないですかね」
アベルはそう答えるが、シルクの方に視線を向けようとするとやはり気まずそうに視線をすぐ逸らしてしまう。
そこでカネルが軽く溜息をついてからシルクに語りかけた。
「あーその…前回の仕事のことも含めて、これまでシルクさんには色々と迷惑をかけてしまったから、お詫びとお礼を兼ねてな。グレイから聞いたんだが甘いものが好きなんだろ?」
「はい、好きです」
なるほどそれで、とシルクは再びフルーツタルトに視線を移す。
自分の分だけでなくグレイ達の前にも一つずつ置かれているのもあり、シルクは強い申し訳なさを感じることなく素直に気持ちを受け取ることにした。
「お気遣いありがとうございます…いただきます」
添えられているナイフとフォークを手に取り、丁寧にタルトに切れ込みを入れてから一口サイズに切り分ける。
無駄のない所作につい注目してしまっているカネルとアベルだが、そんな中でもシルクは食べることに意識を向けて口に運ぶ。
果物の酸味やカスタードクリームとタルト生地の甘味が混ざり合い、口の中でじんわりと美味しさが広がっていく。
「シルクが食べてるのを見てたら僕もお腹すいてきた…」
「確かに、本当幸せそうに食べるんだな」
シルクは目をぱちくりとさせ、そんな表情をしていたのだろうかと考えながら口元に手を添えて軽く視線を逸らす。
一般的にいえば無表情に近いのかもしれないが、普段の無表情と比べれば口角は上がっていて、緊張感を一切感じない穏やかな雰囲気を漂わせていた。
シルクにとって無意識ではあるものの、グレイ達にとっては変化を見られて嬉しいものであった。
そんな中、真正面にいるアベルはシルクの穏やかな表情を見ては数秒間固まって凝視していた。
シルクがその視線に気づき、瞬きして無表情に戻ってからアベルに視線を移す。ばちりと目が合ったと思えばアベルは直ぐに分かりやすく視線を逸らしてしまった。
いつも鋭い目付きで睨んできていたのに…!とシルクは無表情のまま心の中で衝撃を覚える。
隣でタルトを頬張っているグレイと紅茶を飲んでいるカネルは互いに顔を見合せてから、各自静かに立ち上がった。
「そうだ、僕追加の紅茶持ってくるよ」
「じゃあその間に手洗いを借りるな、少し席を外すぞ」
突然その場から離れていく二人の様子にアベルはつい目を丸くさせる。
シルクは「分かりました」と呟いてから再びタルトを静かに切り分けてぱくりと一口食べていた。完全にマイペースである。
「…あの」
ふとシルクがぽつりと小さく声を出し、アベルは軽く肩を動かした。
視線を合わせると逸らされると思い、シルクは軽く視線を伏せた状態のまま、声だけをアベルに向かわせる。
「この前は色々と困らせてしまって、すみませんでした」
「…何でそっちが謝るんだよ」
アベルは一瞬眉間に皺を寄せるも、シルクの方を向いてから同様に視線を落とす。
そのまま申し訳なさそうな複雑な表情を浮かべ、普段よりも小さめの声で語った。
「あの時はその…俺がキツく言い過ぎた。……ごめん」
最後の謝罪の言葉は蚊のような小さい声ではあったが、シルクの耳にはしっかりと聞こえていた。
シルクは目をぱちくりとさせて視線を上げる。
「オネストさんは何も間違ったことを言ってません。あれは私が勝手に泣いてただけです」
「泣いてたって…自分のことなのに他人事みたいに言うんだな」
アベルはシルクの言葉を聞いてから、拍子抜けしたように溜息をついてしまう。
しかしシルクの僅かながらも肩を落として眉を下げている表情を見ては、逸らさずつい凝視してしまう。
「あの時は本当に、私も驚いたんです…あまりにも久しぶりのことでしたから」
どこか懐かしんでいるような、悲しそうな。
そんな不思議な表情を浮かべているシルクに視線を向けたまま、アベルはつい気になっていた言葉を口にしてしまう。
「…シルクさんって、いつから今の体質になったんだ」
「……ずっと遠い昔からです。…年月を数えるのを諦めてしまう程、ずっと前から」
その遠い昔を振り返るように、シルクは目を閉じる。
閉じたところで実際に脳裏に浮かぶ記憶はほんの僅かなものであり、遠い昔のことはよく覚えていない。
ゆっくり目を開けると、先程まで視線を逸らし続けていたアベルが真っ直ぐ視線を向けているのに気付く。
シルクと完全に目が合った状態でも、視線を逸らされることは無かった。
「何か魔法をかけられたとか、心当たりも無いのか」
「はい。何も覚えていません…やっぱり――」
「気味悪いなんて思っちゃいねぇよ」
やっぱり気味悪いですよね、と口を滑らせそうになったところでアベルに先手を打たれてしまう。
心を読まれたような感覚を覚え、シルクは目を丸くさせて固まった。
アベルは鋭い目付きでありながらも、呆れたように肩を落としてから言葉を続ける。
「今まで散々なことを言われ続けてきたんだろうけど、それを真に受ける必要はないだろ。体質については確かに驚いたけど、だから気味が悪いっていう発想になるのは理解できないな。そういうことを言う奴は全員大した実力もない奴だろ。…それに」
鋭いながらも真剣な目に、シルクは逸らそうとすら思わずに視線をぶつけ合っては続きの言葉を静かに待つ。
「シルクさんは何の悪巧みも考えない、純粋な人だよ。自分を犠牲にしてまで行動するのはやりすぎな気もするけど、それだけ他人想いで優しいってことだ。…シルクさんの強さに助けられた人だって、これまでにもいただろ。もう卑屈な評価にばっかり耳を傾けようとしないで堂々と胸張って生きろよ」
アベルの真剣な表情から、嘘偽りの無い言葉であることを確信する。
力強くも心に寄り添うような、そして何よりも素直な言葉にシルクの心は温かくなっていく。
「……オネストさんって、優しいですね」
「は?…俺が優しい?」
アベルは言われ慣れていない言葉に対してぽかんとした表情を浮かべてしまう。
その表情を見てから、シルクはクスッと笑みを浮かべた。
控えめながらも楽しそうな笑みであり、アベルは心臓が跳ね上がるような感覚を覚える。
「はい、オネストさんも純粋で優しくて…素敵な人です」
シルクの言葉も嘘偽り無いものであった。
まさかそのような言葉を、しかも見入ってしまうような優しい笑顔で言われるとはまったく想定しておらず、アベルは数秒固まってから顔を赤く染め上げてしまう。
昨日から気のせいだと心の中で言い聞かせていた言葉は、この瞬間から脆く崩れてしまった。
倒れたと聞いた時はとても心配してしまい、普段通りの様子であるのをこの目で見た時は正直安心していた。
涙を流した姿を見ては罪悪感を覚え、心臓をぎゅっと掴まれたような苦しい感覚に襲われた。
淡々としていると思えばふとした時に見せる笑顔が勝手に脳裏に浮かんでいく。
目の前で純粋な笑顔を向けられながら嘘偽りの無い言葉を口にされてしまい、とうとう自覚してしまった。
守ってやりたいと心の底から思ってしまう程、シルクのことが好きだと。
それは友情や尊敬の意味では片付けられないものだった。
「どうかされました?」
アベルが顔を真っ赤にさせたまま固まってしまう様子に、シルクは目をぱちくりとさせて首を傾げさせる。アベルははっとしてから視線を逸らすも、再び視線を合わせては小さめの声で返事をする。
「何でもない。その…ありがとな」
素直に褒められたことに関してはお礼の言葉を告げる。
するとシルクは安心したように目を細め、先程のクスッとした笑みとは違った優しい笑みをほんのりと浮かべた。
その笑顔がまた綺麗で可愛いなと考えてしまい、アベルはテーブルに片肘をついてから顔を隠すように片手を頬に当て、そっぽを向いて視線を逸らしてしまう。
これまでなら直ぐ無表情に戻っていたというのに、今日は笑顔でいる時間が長いなと思えばそれが嬉しく思い、そのように考えている自分に驚いては引きかけていた顔の熱が再発した。
そこで、ふと別の方向から視線を感じる。
シルクにとっては背中側にある扉の隙間から、じーっとこちらを見つめている目が二人分。
アベルは目をぱちくりとさせるも、身体を小刻みに震わせては扉に向かって鋭い睨みを向けた。
扉の隙間から様子を伺っているグレイとカネルは肩をぴくりと跳ね上げさせ、互いに顔を見合せてから再びアベルに視線を向ける。
そのまま二人は真剣な表情のままグッと親指を立てた。
アベルが扉の方へと視線を向けているのに気付いたシルクは振り返り、二人の様子を見てはきょとんとした表情で首を傾げさせる。
「どうしたんでしょうか…」
「……さぁな」
この時にはシルクは笑顔から無表情に戻っていた。
その後二人が広間に戻ってきては、アベルに対して温かい目を向けた。
アベルは深く溜息を吐き、グレイには勿論のこと、上司であるカネルに対してもつい苛立ちを覚えてしまう。
シルクの普段通りな様子を見ては複雑な気持ちに襲われるも、灯ってしまった熱が消えることは無い。
熱が更に膨れ上がり、想いを告げる時が来るのは、まだ先の話である。




