149. 心配
時は数十分ほど前に遡る。
「やぁ。今日も来ちゃった」
営業スマイルを浮かべたティピックを前に、グレイはまた目をぱちくりとさせて出迎えていた。
昨日に続いて今日も来るとはと驚くと同時に、それだけシルクのことを気にかけているんだなと心の中で頷きながらアパート内へと案内する。
広間に案内すると、魔法学校から帰ってきていたシャロンとミュスカも驚いた表情を浮かべていた。
「そんなに驚かなくても良いじゃないか、何だか傷付いちゃうねぇ」
「いやだって…昨日も此方に伺って来てたんですよね。仕事の方は大丈夫なんですか?」
「今日は早めに切り上げたんだよ。昨日は元々休みにしていたし…私達にもちゃんと休みという概念はあるからね?」
「…今日は一人なのか?シルクの見舞いなら彼奴も来そうなのに」
「あぁ、ウィン君には別件の用事で別行動をとって貰ってるんだ。もう暫くしたらこっちに来るよ」
「来るのかよ!」
悪戯っぽく笑うティピックに対し、ミュスカとシャロンは苦笑いを浮かべてから互いに顔を見合わせる。
そうしてティピックはシルクの部屋へと向かって行ったのだが、暫く広間で待機していたミュスカは落ち着かない様子でソファから立ち上がったり座ったりを繰り返していた。
そんな様子をシャロンは呆れるように見ては溜息をつく。
「まーた見てて煩いんだよ。シルクはちゃんと目を覚ますって彼奴も言ってただろ。ならもう大人しく待つしかないだろ」
「それは分かっていますよ!…ただ、別の心配があると言いますか」
ミュスカはジト目になりながら扉の先を見つめる。
ティピックがシルクのことを気にかけているのは承知しているが、それは心配だけで済まされるものでは無い気がしていた。
シルクの強さに興味を示していたカネル達に対して、敢えて近付かせないように仕事を振り分けたりするくらいなのだ。ティピックの独占欲の片鱗を垣間見たことで、ミュスカの中で警戒心が芽生えていた。
その警戒心はシャロンも多少持っており、ミュスカの後に続くように複雑そうに扉の方を見つめる。
「…俺達も一緒に見守ってても良いだろ」
「そうですよね。僕達もシルクさんが心配ですし」
そうして二人は三階へ上り、シルクの部屋の前で立ち止まる。
扉をノックしようとするも、中から話し声だけでなく嗚咽混じりのような声も聞こえてはピタリと手を止めた。
互いに顔を見合わせ、つい声を潜めさせては身を屈めてゆっくりとドアノブに手をかける。
少しだけ開いた扉の隙間から中の様子を確認し、二人はピシリと固まった。
ティピックがシルクを抱き寄せている状況に驚いてから、シルクが泣いていることに更に驚いてしまう。
シルクが目を覚ましていることに対しては安堵するも、何がどうなってこのような状況となっているのかが分からない。
「おい、まさか彼奴シルクを泣かせたんじゃないだろうな」
「待ってください、あのティピックさんの様子…」
シルクを落ち着かせるように背中を優しく叩いたり撫でたりしながら、優しい表情を浮かべている。
確かに優しい表情なのだが、愛しい者を見るような目付きな上に頬はほんのりと赤く染まっている。
明らかに好意を寄せている者の反応で、傍から見れば恋人関係のような距離感である。
ミュスカは雷に打たれたかのような衝撃を覚え、シャロンは口をキュッと閉じたまま視線を逸らした。
「な…な、なな…何が、どうなって…」
「何か…見ててこっちが恥ずかしくなるっつーか」
話の内容は具体的には分からないのだが、ティピックの声色が明らかに甘いように聞こえる。
話すのを止めたと思えば更にぎゅっと抱き締めるように腕に力を込め、ティピック自らもシルクの方へと頭を傾けて目を閉じていた。
「シルクは分かんねぇけど、ティピックの方はどう見てもシルクのことが…おい、ミュスカしっかりしろって!」
ミュスカは湯気が出る勢いで顔を真っ赤にさせ、何なら眼鏡が曇ってしまっている。
シャロンは小声で話しかけながらミュスカの肩に手を置いて揺さぶった。
そのまま数分経っても二人は扉の前で屈んだまま中の様子を伺い続け、その頃にはシルクは泣き止んで顔を上げていた。
完全に入るタイミングを失ってしまい、せめてティピックとシルクの距離感が程良くなってからとタイミングを見計らおうとするも、そのようなタイミングはなかなか来ない。
ふと、シルクがティピックに向かって柔らかな笑顔を向けたのに気付く。
横顔であっても綺麗な笑顔だと分かり、二人はつい驚いた表情を浮かべてシルクの方へと視線を集中させる。
しかしシルクの頬にはティピックの手が添えられており、その手は頬から顎へと撫でるように移動する。
そのままくいっと顎を少し上げさせたところで、二人は「え…」と声を漏らしてしまう。
しかもゆっくりと顔の距離が近付いていくではないか。
「おい、おいおいおいまさかするのか?やっちゃうのか?」
「待ってください僕そんな心の準備がまったくできていませんって本当に」
「落ち着け。いいから落ち着け。ミュスカは何も準備する必要ねぇって」
「ちょっとシャロン、僕にもたれかかり過ぎですって!」
「見えにくいんだよ、もうちょっと横に寄れ」
小声で言い合いをする二人だが、長身の白衣の者が後ろにいるのに気付いていない。
長身の白衣、もといグレイはしゃがんでいる二人に合わせるようにしゃがんだ。
「これ以上寄ると僕が見えにくくなって……」
「…二人とも部屋の前で何してるの?」
「「うわあぁっ!!?」」
グレイの存在に気付かなかった二人は大きく声を上げて驚き、そのまま扉の方へと身体が傾いてしまう。
扉は更に開いてしまい、雪崩れるように部屋の中に倒れ込んだ。
「…覗き見とは良い趣味してるねぇ」
ティピックから見下ろされるように視線を向けられ、ミュスカは引き攣るように固まり、シャロンは誤魔化すように苦笑いを浮かべながら視線を逸らした。
直後、扉の外側にいるグレイがしゃがんだ状態からそのまま膝をつき、項垂れるように両肘もついた。
「そんな…僕には魔法障壁で拒否するのに!ティピック君は別だっていうのかい!これが信頼の差か!!?」
つっこむところそこかよ。二人は同時に脳内でそう叫んだ。
――
――
「ねぇねぇ、どうして僕もこの体勢なの?僕よく分かってないんだけど?」
「これはグレイ君も連帯責任ということでね。詳しいことが知りたいなら、後でミュスカ君とシャロン君から話を聞くと良いさ」
ティピックの前ではグレイ、シャロン、ミュスカが正座している。
シルクは椅子に座ったままその光景を目をぱちくりとさせながら見ており、ティピックがまた珍しく怒っているなと滲み出ている魔力の圧からそう読み取っていた。
「あの…覗き見するつもりは無かったんですけど、入るタイミングが難しかったと言いますか…」
「素直にノックして入れば良かっただろう?」
もしそうしていたとしても、扉を開ければティピックがシルクを抱き寄せている光景を見るのは不可避である。
その時点ではまだシルクは泣いていたのもあり、シャロンは複雑そうな表情を浮かべて口をへの字にさせた。
「…あの、皆さんにはまた、ご心配をおかけしました」
そこでシルクが申し訳なさそうに眉を下げつつ謝罪する。
グレイははぁと溜息をついてからジト目になった。
「本当、すんごく心配したんだからね!これが本来の気絶だって聞いた時は耳を疑ったよ。シルクが気絶している間は研究に思うように集中できなかったし、眠気覚ましの魔法薬がどんどん出来上がっていくし!…ティピック君からちらっと聞いたんだけど、ここ暫く寝てなかったのは本当なの?」
シルクはしゅんと肩を落としつつ、睡眠については縦に頷いて肯定する。
寝ていなかった事実にミュスカは目を丸くさせた。
「え…じゃあ最後に睡眠をとったのはいつになるんですか?」
「……一週間前くらい前、ですかね」
それほど睡眠をとっていないにも関わらず、シルクは顔に出さずに普段通りの様子であった。
ティピック曰く僅かな兆しがあるらしいのだが、まったく分からない程の微細な変化にグレイ達は気付けなかった。
「シルク君が眠らなかったのは、今回はちゃんと理由があったんだよ。私の方から話はしておいたから今日は説教しないでやってくれ。それでもまた眠らずに過ごしていたら、その時にしっかり注意してくれたまえよ」
「…ちゃんと寝ます」
ミュスカとシャロンは互いに顔を見合わせ、シルクが泣いていた様子を思い出す。
感情をあまり表に出さないシルクが泣く程のことがあったのかと考えては、複雑そうに眉を下げる。
しかしティピックには相談しても自分達には相談されなかったという事実には不満を抱かせた。
「…確かにティピックさんの方が付き合いが長いですし、相談しやすいのかもしれません。シルクさんについて知ってることの多さも敵わないです。でも僕達だってシルクさんのことが心配なんです」
「体調崩したり怪我したりすりゃ心配するよ。俺達は一緒に暮らしてる中なんだ、隠し事を一切するなとまでは言わないけど、もっと俺達のことも頼ってくれよ。それに迷惑なんて考える必要は無いぜ、先生を見れば分かるだろ」
「え、僕?」
ミュスカとシャロンが真剣な様子でシルクに語り、その中で不意に指名されたグレイは目を点にさせる。
グレイの反応にティピックが笑いそうになるのを静かに堪え、シルクはきょとんとした表情でグレイを見た。
「僕のことは置いといて…兎に角、シルクはもう少し周りを頼ってほしいかな。困ったことがあれば大船に乗ったつもりで僕達に相談してくれたまえ」
グレイは正座のままえっへんと得意げな表情を浮かべる。
シルクは数秒固まってから軽く顔を俯かせ、目の奥にじんわりと熱が灯るような感覚を覚える。
目を閉じたことで外側へ溢れ出ることは無く、ゆっくり深呼吸してから顔を上げた。
「…はい、その時はよろしくお願いします」
この時、シルクは安心したような優しい笑顔を向けていた。
ミュスカとシャロンはつい見惚れるようにその表情を凝視するが、直ぐはっと表情を切り替えてグレイの方へと振り向く。
グレイはしっかりシルクの表情を見つめているが、正座のまま立ち上がろうとしない。
「シルクが笑顔になることが増えてきて、僕はとても喜ばしいよ。もっと近くで見たいし、この喜びを直ぐにでも表現したいさ…だけど」
グレイは俯き、膝の上にのせている拳にぐっと力が入る。
真剣な表情で続きの言葉を口にした。
「足が痺れてそれどころじゃない、助けて」
「もうそのまま座ってて大丈夫ですよ」
「良かったな、足が痺れて」
「二人とも辛辣だなぁ!!」
ミュスカとシャロンの返答にグレイは涙目になる。
グレイ達のやり取りにティピックはとうとう吹き出してしまった。
その直後、玄関の呼び鈴が鳴り響いた。
このタイミングでの来客となれば一人しか想像がつかない。
「どうやら来たようだね、じゃあ行ってく…ったぁ!!」
グレイが立ち上がった瞬間両膝を小刻みに震わせ、一歩踏み出したところで脚の力が抜けてそのままドタンと音を立てて転んでしまった。
「あああぁぁっ!誰か、痺れ直しの魔法薬持ってない!?」
「正座の痺れくらいで魔法薬を使おうとすんなよ」
「…あの、回復魔法しましょうか?」
「シルクさん、この程度で回復魔法を施す必要はありません。それに寝起きなんですから今はゆっくりしててください」
「あ、ウィン君?もうそのまま入ってきて大丈夫だよ。…そうそう、シルク君の部屋」
「勝手に案内してやがる…!」
ティピックがスマートフォンを手にしてウィンを呼び入れたことで、ウィンは直ぐにシルクの部屋の前までやって来る。
最初は笑顔で現れたのだが、床に寝転がっているグレイの姿を見ては冷たい視線をぶつけていた。




