148. 至近距離
真っ暗な視界から、薄くぼんやりとした景色が徐々に広がっていく。
暫くぼんやりとした景色を無感情で見つめ、ゆっくりと瞬きを繰り返すことで少しずつ視界が良好になってから、目の前の景色が自室の天井であることに気付く。
シルクは目をぱちくりとさせ、思考が定まっていない状態にも関わらず身体を起き上がらせようと肘に力を入れた。
「お目覚めのようだね。だが今は無理に身体を起こさなくても良いんじゃないかな」
聞き慣れた声が聞こえ、シルクは真横に振り向く。
脚を組んだ状態で椅子に座り、いつものようにふわりと笑顔を向けているティピックがそこにいた。
「…おはようございます?」
「ふふ、おはよう。時間帯で言えば夕方なんだけどね」
シルクは再び目をぱちくりとさせ、改めて周りの景色を確認する。
どう見ても自分の部屋なのだが、目の前に何故ティピックがいるのか。
そもそも自分はいつの間にベッドで眠っていたのか。
無表情ながらも頭の中は混乱状態である。
「シルク君は気絶してたんだよ。日数で言えば三日くらいかな?」
「…そうだったんですね」
気絶という言葉を聞き、シルクは驚くどころか納得するように冷静な状態で返答する。
寧ろ三日で済んだのかと考えたところで、シルクは一瞬はっとした表情を浮かべた。
「あの…博士は。ミュスカさんやシャロンさんは今どこに?」
「皆広間にいるんじゃないかな。…皆凄く心配そうにしてたね」
その直後、シルクは身体を無理矢理起こしてベッドの端に座った。
しかし急に身体を動かした為か、一瞬目眩のような感覚に襲われる。
「こらこら、急に動かせばそうなるだろう。立ち上がるのはまだ止めておくんだね」
「…私、またご迷惑を」
迷惑をかけた、と最後まで言おうとしたが途中で止まる。そのまま肩を落としながら視線を伏せさせてしまった。
ティピックは椅子から立ち上がり、シルクと同様にベッドに腰掛けて隣に並んだ。
「何かあったようだねぇ。先に分かってることを言わせてもらうけど…シルク君、ここ暫く睡眠をとっていなかっただろう」
シルクは図星をつかれたように一瞬肩を軽く上げる。
ティピックの方にちらりと視線を向けると、普段の笑顔ではなく真剣な表情だった。
見透かされているような瞳をぶつけられ、やはり敵わないなとシルクは軽く目を伏せながらそう考える。
「…はい。眠りたくなくなって…と言うより、眠るのが怖くなりました」
シルクは眠ることで偶に夢を見るようになり、その夢は自分の記憶に関する内容であることを説明していく。
ティピックは真剣な表情のまま、静かにシルクの言葉に耳を傾けていた。
「昔の、私の身体の成長が止まるよりも前の記憶なんだって、何度も夢を見ていくことで分かったんです。一部の記憶ではあるんですけど…私はもしかしたら、親にとっては邪魔な存在だったのかもしれません」
母親らしき人物から怒鳴られる光景を脳裏に浮かばせる。
とある夢では涙ぐむ様子も見られていたのだが、表情が分からない上に周りには多くの人がいた場所。もしかしたら世間体を踏まえての態度だった可能性もある。
そんな捻くれた考えになってしまう自分に対しても嫌気が差し、膝の上にのせている手に力を込める。
「最初は記憶の手がかりにもなると思っていたんです。どんな内容であっても、手がかりになるなら受け入れようと思っていました。…でも、実際に記憶に触れてみて……正直、忘れたままでいたかったなって、思ってしまって」
僅かに声が震えだしたところで、シルクは喋るのを止めた。意図的にではなく驚いたことによるもの。
シルクの肩にティピックの手がまわり、引き寄せられるように距離が近くなっていた。
「シルク君が弱気になってしまう程とはねぇ。しかも生まれの親から邪魔者扱いだなんて、酷いという言葉では済まされないものだよ」
普段から聞き慣れている声だが、距離が近くなっていることでいつもより耳に入りやすい。
突然の距離感にシルクは静かに驚きつつ、顔を少し上げてティピックと視線を合わせる。
困惑している様子に気付いたティピックは軽く眉を下げながら笑みを零した。
「豆鉄砲を喰らったような顔をしてるね。…目の前で大切な人が泣いているんだ、慰めない訳にはいかないだろう」
「…泣い、て?」
左手で頬に触れると、確かに濡れた跡があった。
更に流れ出てくる一粒が指先に当たると、粒が崩れてじんわりと指先を包むように薄く広がる。
以前も涙を流して驚いていたが、その時とは何かが違うと違和感を覚える。
心の中が温かくなるどころか、氷のように冷たくズキズキと痛むような、息苦しいような。以前とは真逆の感覚に襲われていた。
涙を止めなければと考えるも、その意思に反するように次々と涙が零れて止まらなくなる。
気が付けば肩が震えており、我慢するように息を止め、身体に力を入れては顔を俯かせた。
そんなシルクの様子を見かねて、ティピックは右手でシルクの左手首を掴んで自分の方へとぐいと引っ張る。肩に添えていた左手は背中へとまわり、そちらも自分の方へ引き込むように腕に力を込める。
シルクは座っていた体勢から大きく崩れてティピックにもたれかかるような状態になってしまい、更に密着したことで目を丸くさせてしまう。
「…服、汚してしまいます」
「そこを心配するのかい?そんなの気にしないでいいんだよ。…シルク君は普段から辛いことがあっても、その感情をなかなか表に出そうとしないからね。我慢強いところもシルク君の魅力の一つではあるんだけど、我慢のし過ぎは良くない」
背中に添えられた左手は腰元に移動し、右手は後頭部に添えてから優しく撫でる。
ティピック自らもシルクの方へと身体を寄せ、シルクをしっかりと抱き締めたまま言葉を続けた。
「記憶を思い出すのが負担になってしまうのなら、無理に思い出す必要は無いのかもしれないけど…これまで思い出してきた記憶は、すべて悪いものだったのかい?」
シルクは一瞬目を見開かせ、花束を受け取った時の光景を脳裏に浮かばせる。
あれは嬉しい記憶であることには間違いないのだ。
「…すべてそうでは、無いです」
「なら良かった。となれば悪い記憶を続けて思い出してしまったのは偶然なんだよ。偶々そうなってしまっただけだ。…次は必ず良い記憶を思い出すという確証が無いのも事実だけど、私は悪い記憶のままで終わらせたくないよ」
シルクは目元が再び熱くなるような感覚に襲われる。
しかし先程まで冷たく感じていた心の奥底は、氷が溶けていくようにじんわりと温かくなっていく。
強張っていた身体の力は少しずつ抜けていき、小刻みな震えは気が付いたら落ち着いていた。
「もしまた悪い夢を見てしまったら、私のところに来れば良いさ。…私はシルク君の味方だよ」
『迷惑だなんて思っちゃいないわよ。私は、……の味方よ』
シルクの脳内に、再びあの安心する優しい声が響いた。
その直後にシルクは目を大きく見開かせ、再び涙が溢れては次々と零れていく。
ティピックの肩辺りに涙が零れ落ち、スーツを汚してしまうと躊躇っていたにも関わらず容赦なく涙が流れ続ける。
それでも縋るようにスーツを軽く握り、泣き顔を隠すようにティピックの肩に顔をうずめさせた。
「ごめ、なさ…っ、もう少し、このままで…いさせてくだ、さい」
嗚咽混じりでそう話してから、シルクは肩を震わせながら泣き続ける。
顔は隠れて見えないが、無表情ではなく泣き顔相応の表情をしているのだろう。
ティピックは腕の中で震えながら泣くシルクをしっかりと抱き締め続け、時には落ち着かせるように背中辺りを優しく叩いたり撫でたりを繰り返した。
この時のティピックは、愛しい者を見つめるような優しい表情を静かに浮かべていた。
そうして数分程経ち、シルクは涙が止まり震えも落ち着いた。
落ち着いたことを伝えると、ティピックが抱き締めていた力を緩めたことでシルクもそのまま顔を上げる。
シルクは改めて涙が染み込んだ肩辺りに視線を移し、申し訳なさそうに眉を下げた。
「…すみません。弁償します」
「くっ…シルク君らしいっちゃらしいけど、私がしたくてやったことなんだ。本当に気にしなくて良いんだよ」
相変わらずのシルクの真面目さにティピックはつい笑ってしまう。
シルクは普段の無表情に戻っているが、目元や頬には涙の跡が残っており、ティピックはその跡をなぞるように指を優しく添える。
「シルク君が感情を露わにするようになって私は嬉しいんだ。…もっと色んな表情を見たいという気持ちもあるけど、それでもやっぱり一番似合うのは笑顔だね」
シルクは頬に添えられている指がくすぐったく感じつつ、優しい表情で語るティピックの目を見つめる。
そんな優しい表情に安心感を覚え、心の中が温かくなっていく。
「私も、ティピックさんの笑顔が好きです」
この時、シルクはふわりと綺麗な笑顔を浮かべた。
ティピックは目を丸くさせ、シルクの笑顔に釘付けになる。
以前花束を携えていた時のように、とても綺麗で引き込まれてしまうような笑顔。
ティピックは頬に添えていた指を滑らせるように動かし、顎で留める。
そのままくいとシルクの顔を軽く持ち上げ、互いの視線が真正面でぶつかり合う。
シルクは目をぱちくりとさせ、笑顔からきょとんとした表情へと切り替わっている。
それでもティピックは視線を逸らさず、シルクの目を見続ける。
少しずつ顔の距離が近付いていき、互いの鼻がぶつかりそうなギリギリのところまで近付いた時だった。
扉の向こうからガタンッと物音が響く。
ティピックはシルクとの距離間はそのままで、視線を扉の方へと向けた。
扉は僅かに開いており、外側から声が聞こえてくる。
「ちょっとシャロン、僕にもたれかかり過ぎですって!」
「見えにくいんだよ、もうちょっと横に寄れ」
「これ以上寄ると僕が見えにくくなって……」
「…二人とも部屋の前で何してるの?」
「「うわあぁっ!!?」」
直後、扉が開いてはシャロンとミュスカが雪崩れ込むように倒れ、その後ろではしゃがんだグレイが目を丸くさせながらそんな二人を見つめていた。
しかし視線をシルクとティピックの方へと向けると、ピシリと身体を固めた。
「…覗き見とは良い趣味してるねぇ」
ティピックはグレイ達の方を見ながら笑みを浮かべている。
しかしどう見ても目が笑っておらず、寝転がったままのシャロンとミュスカはびくりと分かりやすく身体を強張らせてから視線を逸らした。
シルクは突然の状況に驚き、目をぱちくりとさせていた。




