145. 治る早さ
依頼の報告を終えた後、ティピックから「今日はもうゆっくり休みな」と労いの言葉を貰い、シルクはその言葉の通りに寄り道せず帰宅することにした。
カネル達とは裏魔法協会を出るまでは存在感を消しながら同行し、人通りが少なくなった場所辺りで姿を現してから解散となった。
カネル達は時間の余裕があるならもう少し話をしたいという本音を秘めていたが、普段よりも多く魔力を使わせたことや体調のことを考慮し、これからもよろしくなどの簡単な言葉を交わしてからその場を後にしたのだ。
その時アベルが妙に気まずそうに視線を逸らしていたのが気になったが、シルクは沢山驚かせてしまったからなと振り返りつつ、次からは気をつけようと気を引き締めさせ、深く考えることはしなかった。
そしてその日の夜、シルクは自室で分厚い本を手にして静かに読書をしていた。
グレイ達と夕食を済ませて自室に戻ってから、椅子に座った状態でゆっくりと内容を確認しながら頁を捲っていく。
治癒系の魔法についての内容が書かれている頁で手を止め、ふと今日の出来事を振り返った。
毒が効かず、傷は直ぐに治ってしまう体質であることを告白したのにも関わらず、誰も引いたり疑ったりしなかった。
寧ろ心配されていたことに驚きつつ、申し訳ないなと一瞬考えてからはっとして首を横に振った。
テーブルの方に視線を向けると、半ば押し付けるように差し出された解毒薬入りの小瓶が置かれている。
結局飲まなかったものの、返すタイミングを失ってしまっていた。
例え返そうにも、また鋭い目付きで睨まれそうだと思っては軽く溜息を零す。
『迷惑だなって思っちゃいないわよ』
ふとあの時脳内に響いてきた優しい声のことを思い出し、一体誰の声なのだろうかと疑問になる。
懐かしいという感覚があり、その声を聞いた後に涙が出てきたのだ。
流石にタイミングが悪かっただろうか、と当時の状況を思い出しながら軽く肩を落とす。
(……ちゃんと眠れば、分かることなのかな)
顔をゆっくりと下げ、表情に影ができる。
分厚い本を支えていた左手の力が弱くなっていく。
その拍子で膝の上に本が横たわるように載るも、バランスを崩してそのまま床へと落下しそうになる。
直後、シルクの視界が真っ暗に染まった。
――
――
「…成程ねぇ、カネルがそこまで言うなんてね。僕もこの目で見てみたかったな」
研究室にて、グレイは椅子の上で胡坐をかくような態勢のままスマートフォンを耳に当てて通話していた。
通話相手はカネルであり、今日の出来事についての話題を振られていた。
シルクの体質に関する内容でもある為、念の為に伝えておこうというカネルの配慮である。
『測定の時よりも上回っていた筈だ。もしグレイが実際にその魔力を肌で感じたら…また興奮しながら追い掛け回すんだろうな』
「そんな追い掛け回すだなんて、興奮はするだろうけどさ」
『興奮する時点でなんだよ。…シルクさんが帰って来てから、何か変化は無かったか?』
「特に変わった様子は無かったけど…どうかした?」
そこでカネルはシルクの怪我や毒の効果についてを正直に説明する。
話を聞いたグレイは驚いた表情を浮かべ、胡坐をかく状態からきちんと椅子に座り直した。
「ちょっと待って…シルクが怪我をしたのって一昨日のことだよね?何処を怪我してたの?」
『その様子だとグレイにも隠していたのか…左腕の前腕だ。包帯を巻いていたんだが、長袖だから見えなかったよな』
「左腕…え、本当に左腕なの?」
グレイはその日の夕食時の光景を思い出させ、眉を顰めながら続きの言葉を口にする。
「その日の夕食の時点では包帯なんて巻かれてなかったよ」
『…それは本当か?』
「そうだよ、シルクは食事の時は腕を捲るからね。包帯を巻く必要があるくらいの怪我なら気付く筈だけど、そんな傷まったく見当たらなかったよ」
電話越しのカネルも眉を顰めさせ、シルクの言っていた傷の治りが早いという言葉を思い出す。
治りが早いにしても、あまりにも早過ぎるのではないだろうか。
実際に傷を見て手当てしたのはアベルであり、カネルは傷の状態を直接見てはいない。
しかしグレイの言う通り、包帯を使用するということはそれだけ傷が深く出血が多かったことになる。
それなのに、その日の夜の時点では何も無かったかのように傷が無くなっていたのだ。
「…わざわざ教えてくれてありがとう。タイミングを見計らってさり気なく確認してみるよ」
『あぁ…それじゃあ、遅くに悪かったな』
通話が終了し、グレイはスマートフォンを作業台に置いてからふと考える。
そのまま苦い表情を浮かべながらぽつりと呟いた。
「…病院がトラウマなのと関係がありそうだよね」
以前シルクの体質についての話題に触れていた時、病院という言葉を出しただけでシルクは動揺を見せていた。
本人はよく分からないと言っていたが、動揺の仕方から明らかに何かしらのトラウマを抱えているようだった。覚えていないのも、本能的に記憶を忘れさせている為なのかもしれない。
難しい表情で腕を組み、ぐぬぬと唸るような声を上げてからグレイは立ち上がる。
深く話を聞きすぎると再び動揺させかねないが、流石に怪我については心配であり、その確認の為にもシルクの部屋へ向かうことにした。
覚えていないと言われればそれで良し、何か思い出したとしてもそれで良し…だが気分を悪くさせるのはなるべく避けたい。
複雑な気持ちになりながらも、グレイは三階へ上ってシルクの部屋の前まで辿り着いた。
そのまま扉を軽く叩こうとした時だった。
中からドサッと何かが落ちるような音が聞こえたのだ。
グレイにとっては聞き馴染みのある音でもあり、何やら書物が落ちたのだろうかと考えては素直に扉を軽く叩いた。
「ねぇシルク、入っても良いかい?」
しかし中からシルクの返事は聞こえず、静かな音だけが続く。
部屋にはいないのだろうかと考えるも、シルクは基本的に何も用が無ければ部屋に籠っている。
それに部屋の中はグレイの自室や研究室とは違って整頓されており、勝手に物が落ちるような状況は考えられにくい。
妙な胸騒ぎがしてドアノブを捻ると、鍵はかかっていなかった為扉は開いた。
扉を開けて直ぐ視界に入ったのは、シルクが顔を軽く伏せた状態で椅子に座っている光景。
足元には分厚い本が落ちており、先程の音はこれだったのかとグレイは予想が当たったことに頷きながらシルクの方へと近付いた。
シルクは黙ったまま動こうとせず、もしかして寝ているのだろうかと首を傾げさせる。
「シルクったら、椅子に座ったまま寝ちゃうなん――」
直後、シルクの身体がグレイの方へと傾く。
咄嗟にのばされたグレイの手によって肩から支えられるも、力無く傾いていることもあり、グレイは片膝を床につくような状態でシルクを真正面から受け止めた。
「ちょ、シルク!大丈夫!?」
軽く身体をゆするも、シルクは目を閉じたまま起きる気配が無い。
浮遊魔法を使いながら抱きかかえ、そのままベッドに寝かせてからシルクの状態を観察する。
眠るようにゆっくりと呼吸しているのを確認してから、グレイは安堵の息を漏らした。
「…沢山魔力を消費したんだから、そりゃそうか」
再び気絶してしまったことを心配しつつ、グレイはふと床に落ちている分厚い本へと視線を移した。
一体何の本を読んでいたのだろうかと興味を示し、そのまま本を拾い上げる。
相当使い込まれているからか、題名が書かれているであろう表紙は擦りきれて読めない。
ぺらりと頁を捲って内容を確認すると、グレイは目を見開いて固まった。
その後他の頁も無造作に開いていき、眉を顰めて手の動きを止める。
難しい表情を浮かべたまま、頬に一筋の汗が流れ落ちた。




