139. 解放
同時刻。
裏魔法協会の事務所では、ティピックが休憩がてらに珈琲を飲みながら窓から見える景色を眺めていた。
そこに追加の書類を運んできたウィンが、仕事机の上に静かに書類の束を置く。
「社長、本日シルク様に依頼した魔物討伐について伺ってもよろしいでしょうか」
「あぁ良いよ、どうかしたのかい」
ティピックは窓の景色を見つめたままウィンに返事する。
そんな様子にウィンは気にも留めず、素直に思っていることを口にした。
「チタンスコーピオンの討伐時期をわざと遅らせたのには理由があるのでしょうか」
ティピックは黙ったまま動かない。
しかし口角は僅かに上がっており、微笑むような笑みを浮かべていた。
チタンスコーピオンの討伐依頼については数週間前から裏魔法協会に声が掛かっていたものであった。
脱皮しクロムスコーピオンへと進化してしまう前に討伐指示を出せば良かったところを、ウィンの言う通りティピックはわざと時期をずらしたのだ。
「彼等に対する警告だよ」
ティピックは仕事机の方に向き直り、珈琲カップを置いた。
「やたらとシルク君の戦闘技術に興味を示しているが、あまりにもしつこく付き纏うようにされるとねぇ。シルク君も当初は困っていたし、私も必要以上の接触は避けたかった。…だがシルク君に心境の変化が起きてしまった。人との関わりに強い抵抗感を抱かなくなりつつあるんだ。喜ばしい反面、とても嫉妬してしまうよ」
ロッキングチェアに深く腰掛け直し、ぎしりと身体が緩やかに揺れる。
何処か遠くを見つめているような瞳の奥は黒く、深い闇に染まっているようにも伺えられる。
「そもそもシルク君が人との関わりを避けるようになったのは、体質についてだけじゃない…シルク君の桁違いな実力だ。今では器用に魔力を調節しているが、昔は凄まじいものだった…ウィン君も知っているだろう?」
「はい。あの光景は今でも…これから先も忘れることはありません」
ウィンは目を閉じ、過去の記憶を脳裏の蘇らせる。
再び目を開けた時には恍惚とした笑みを浮かべ、自分の世界に入り込んでしまった。
「だから、今回は敢えてシルク君の実力を解放してもらうことにしたんだよ。そんなシルク君の姿を見て、彼等はどう思うだろうね…反応次第では笑いながら軽蔑してやるさ」
仕事机に肘をつき、窓から見える景色に再び視線を向ける。
ぼんやりと景色を眺めるふりをして、これまでシルクと関わってきた記憶を部分的に蘇らせる。
多くの者から避けられ続け、誰に対しても無表情を貫いていたシルクの姿。
周りを頼ろうとせず、何もかも自分だけで成し遂げようと奮闘するシルクの姿。
それでも思いやりの気持ちは捨てきれず、優しく手を差し伸べてくるシルクの姿。
…ふわりと綺麗な笑みを浮かべたシルクの姿。
ティピックは視線を伏せ、そのまま目を閉じる。
自分の中に醜い感情が渦巻いていることを自覚しながら、軽く溜息をついた。
「シルク君には申し訳ないことをしているが…もし再び絶望してしまったとしても、私はずっとシルク君の味方だ」
そう呟いた言葉は、自分の世界に入り込んでしまっているウィンの耳には届いていない。
そんな様子にティピックは苦笑いを浮かべ、残りの珈琲を飲み干した。
―――
―――
「おい!ここから出せ!」
透明な薄い膜に手を添えながら、アベルはシルクの方を睨みながら叫ぶ。
しかしアベルの声は外に漏れ出ることは無い。
カネル達も同様であり、貼られた薄い膜に触れながらシルクに注目する。
シルクは風魔法で辺りに漂っていた猛毒の煙を吹き飛ばしながら、視覚魔法でカネル達に照準を定めていた。
皆の位置を特定したところで、シルクオリジナルの魔法障壁を発動させる。
今回発動されている魔法障壁は一般的なものとは異なり、内部からの音が遮断されるようになっている。
あくまでも内部からのみであり、外からの音は内部に聞こえるという特殊な遮断魔法だ。
「こんな魔法の混ぜ方もあるのか…」
カネルはつい感心するように呟きながら魔法障壁に触れる。
しかし何故このようなことをしたのか疑問を浮かべた。
シルクの依頼だからと言えど、こちらから半ば強引に同行を願ったのもあり、自分の身は自分で守るという約束を宣言している。シルクもそれには納得しているはずだった。
それにも関わらず、カネル達を守るように魔法障壁を貼り、標的がシルクだけになるよう誘導している。
そのことを特に気に食わないと感じているアベルは未だに何か叫んでおり、しまいには魔法障壁に拳を向けていた。
それでも魔法障壁はビクともせず、殴るのを止めるもシルクへの睨みは続く。
クロムスコーピオンは尾の先をシルクの方へと向け、猛毒攻撃を繰り出そうと蠢きだす。
そんな様子に対し、シルクは地面の硬さを確認するように右足をトントンと軽く鳴らした。
その直後、シルクは閉じていた目を見開かせる。
クロムスコーピオンの脚元から尖った氷が勢いよく突き出し、クロムスコーピオンはひっくり返るように宙を舞った。
突如地面から細長く尖った氷が生えだし、カネル達は驚愕する。
シルクが立っていた場所から足を離すと、丁度右足をつけていた部分に氷の膜が張っていた。
氷魔法を足元に集中させ、植物の根のように地面の中に潜り込ませたのである。
シルクは1体のクロムスコーピオンに向かって既に距離を縮めており、そのままぽつりと呟いた。
「見つけた」
さり気なく視覚魔法を発動させ、クロムスコーピオンの弱点を特定する。
ひっくり返ったことで見えた腹部の殻の節と節の境目。そこが弱点だ。
至近距離となればクロムスコーピオンにとっても攻撃のチャンスであり、宙を舞いながらも尾の先をシルクの目の前に向ける。
あまりにも近い状態で、暴発寸前のような尾の状態にぺーシェは顔を青ざめさせる。
危ない、今すぐ避けてと叫んでいるが、声が届くことは無い。
しかし猛毒攻撃が発射されることは無かった。
シルクの手に瞬時に召喚されたナイフが尾の先に突き刺さっている。
ナイフは発射口となる小さな穴に見事に命中していた。
直後にシルクは蹴り上げるように脚を勢いよく上げ、クロムスコーピオンを上へと蹴飛ばす。
頑丈な殻ではあるものの、腹側が弱点であることからクロムスコーピオンは脚を腹側にギュッと寄せてしまう。
上へと飛ばされる途中で、膨れ上がっていた尾の先が更に膨れ上がった。
突き刺さったナイフに込められていた魔力が刃先から流れ出し、尾の中へと侵入していく。
そのまま限界まで達した辺りで、魔力が暴発するように解放される。
螺旋状の尾は爆発で悲惨な状態となり、辺りに猛毒の液体が飛び散った。




