106. 依頼提供
緑が生い茂るとある森の奥深く。
地面からは凸凹と岩が飛び出ていたり、乱雑に雑草が生えていたりと、自然に委ねたような環境だ。
人が立ち入りできない程の森の奥では、ほんの数十分前は自然の動物の鳴き声や、植物の緩やかな揺らめきの音だけが優しく響いていた。
しかし今では、耳を塞ぎたくなるような叫び声が響き渡っている。
地面が揺れるほどの轟音が聞こえたと思えば、近くで身を潜めていた鳥達は一斉に飛び立ち、小動物達も逃げるように駆け回る。
大きな二本の角が特徴的な魔物が一体、地面に落下した衝撃に耐えながら呻き声を上げている。
魔物のすぐ側には崖があり、崖の上から魔物を見下ろしている存在が一人。
黒いローブをまとい、口元から首元にかけてはストールがぐるりと巻かれ、目元は狐面で隠れて素顔は分からない。
狐面の目の部分から伺える黒い瞳は、魔物の姿を捉えている。
ローブ、ストール、狐面といった一見怪しげな姿でいるシルクは、任務の真っ最中であった。
「なるべく苦しまないようにする為にも、そのまま大人しくしていてください」
右手の中指にはめている銀色の指輪がきらりと光る。
それと同時に、右手に一本の刀が握られた。
その瞬間、魔物の瞳に怯えの感情が含まれる。
それでも反撃しようと、崩れた体勢を立て直す為に重い身体を動かそうとした。
刹那、魔物の瞳にシルクの姿がはっきりと映しだされる。
先程まで崖の上にいたはずの姿が、今では目と鼻の先の距離だ。
直後、凄まじい轟音が森に響き渡った。
――
――
「今回も討伐と採取お疲れ様」
爽やかな笑顔を浮かべながら、ティピックは依頼完了の印が描かれた依頼書を手にしていた。
対してシルクは無表情のまま会釈する。
本日も裏魔法教会では普段通りの流れで業務が進められていく。
そう、進められていくとシルクはこの時点では思っていた。
「絶好調なシルク君に、早速だけど今後の依頼の予定を伝えておこうと思っていてね。こちらに一通りまとめてあるから目を通しておくれ」
シルクの目の前にはふわりと浮かんだ封筒。
素直に受け取ると同時に事務所奥の扉が開き、そこからトレイを持ったウィンが姿を表した。
トレイの上には珈琲カップが三つと、ミルク入りの小さいピッチャー、角砂糖の入った容器が一つずつ。
ウィンは笑顔でシルクにソファに座るよう促し、シルクは促されるままソファに座ると目の前のテーブルに静かに珈琲カップが置かれた。
ティピックの前にも珈琲カップが置かれ、ウィンはシルクのいるソファへと向かいそのままシルクの隣に座っては自身の珈琲にミルクと砂糖を遠慮なく注いでいく。
珈琲の香りを堪能してから、シルクは手渡された封筒を開いては中身を確認する。
中に入っているのは数枚の依頼書だ。
内容を一枚一枚確認すると、シルクは無表情のまま首を傾げた。
依頼の内容は魔法植物の採取、潜入捜査、遺失物の捜索といったものばかりだ。
魔物討伐やそれに関連した素材集めの依頼が含まれていないな、と静かに考えながら淹れたての珈琲を一口含む。
「魔物討伐に関する依頼は、今のところシルク君に頼らなければならない程の難易度のものは来ていないんだよ。暫くは採取系の依頼を頼む事になりそうだね」
「成程…」
シルクの考えを見抜くかのように、ティピックは微笑みながらそう語っては珈琲を静かに飲む。
シルクは成程とは口にするも、いくつもまとめられた依頼の中で魔物討伐が一つも無い事に違和感を抱いていた。
これまでにも依頼書をまとめた状態で受け取り、一つずつこなしていくことは多々あった。
その中には必ずと言って良い程、魔物討伐の依頼が紛れ込んでいたのだ。
それなのに今回は一枚もその依頼書が含まれていない。
偶々なのかもしれないが、これまでの流れで来ているシルクにとってはやはり違和感でしかなかった。
しかし、だからと言って他の依頼内容では満足いかないという考えにはならない。
どのような依頼に対しても真剣に取り組み遂行する、それがシルクの仕事スタイルである。
「ここ暫くシルク様は魔物討伐ばかり引き受けていましたからね。討伐する際のシルク様の軽やかな身のこなしは、それはもう美しいもので…あぁ、シルク様の討伐姿をまたこの目で見てみたい気持ちもあります」
ウィンは頬に片手を添えながら恍惚とした笑みを浮かべてそう語る。
実際にシルクの討伐姿を見たのはだいぶ昔の事になるのだが、その時の光景はウィンにとって特別なものであった。
そんなウィンの言葉にシルクは一瞬目を伏せ、少し考えるように数秒固まってから珈琲カップから口を離した。
「討伐ではいつも凶暴な魔物を相手にしていますので、ウィンさんを危険な目に合わせる訳には…」
素直に思った事を口にするシルクに対し、ウィンは目をぱちくりとさせてから感動するかのように瞳を潤ませた。
「シルク様の御心遣い…感動のあまりに気持ちが昂ってしまいそうです」
「おやおや、ウィン君でも魔物くらい吹き飛ばせるじゃないか」
「社長は黙っていただけます?」
悪戯っぽい笑みで告げるティピックにウィンはジト目を向け、少し不貞腐れながら珈琲カップに追加の砂糖を注いでは口に含み、ほっと息をついた。
「まぁ兎に角、シルク君には暫くの間、討伐系以外の依頼をこなしてもらう事になる。よろしく頼んだよ」
「承知しました」
確認した依頼書を封筒の中にしまうと、封筒は再び宙を浮いてティピックの手元に渡った。
その後、珈琲を飲み終えたシルクはお礼の言葉を告げてから裏魔法協会を後にする。
ウィンが珈琲カップを片付けようとしたところで、扉を叩く音が事務所内に響いた。
訪問者について把握している為か、ティピックは薄っすらと笑みを浮かべた。
集めた珈琲カップをのせたトレイをテーブルの隅に置き、ウィンはいつものように訪問者を案内するべく扉へと向かう。
シルクが来る時の柔らかな笑みとは違い、つんと冷たい印象を与えるような無表情のまま扉を開いた。
「…失礼します」
入ってきたのは黒い軍服を身に纏った、目付きの鋭い長身の男。
「やぁ、今日はアベル君だけなんだね」
「はい。報告書を提出します」
アベルは淡々と業務をこなすように、ティピックに報告書を手渡す。
そして一歩下がったところで視線を斜め上に向けた。
視線の先はティピックの背後であり、そこには軽く2mは超える巨大な角が二本佇んでいる。
そのまま視線を下に移動させ、切り口辺りで留まる。
全くがたつきが無く床と密着しており、真っ直ぐ綺麗な切り口であるのが伺えられる。
もっと近くで状態を観察したいのを我慢すると同時に、この角を採取したであろう人物を脳内に浮かばせた。
「先程まで、何でも屋がいたんですか」
「…さぁ、どうだろうね?」
何を考えているのか分からないような怪しい笑みを浮かべるティピックに、カネルは不満気に眉間に皺を寄せる。
「あはは、そう怖い顔をしないで。報告書はしっかりと受け取った、代わりにこれを君達…魔物討伐特攻隊に託すよ」
アベルの手元にとある依頼書が手渡される。
依頼書に書かれている内容は魔物討伐であり、魔法協会で手に負えないと判断された高難易度のものだ。
「君達も優秀だからねぇ、思う存分暴れてきてくれ給え」
「…承知しました」
アベルは一礼してから振り返り、そのまま扉の方へと向かった。
ただ、振り返る最中にテーブルの端に置かれているトレイが視界に入り込んだ。
観察眼が鋭いが故に、一瞬の光景でも見極めようとする癖がつい働く。
トレイに置かれている珈琲カップは三つ。
事務所にいるのはティピックとウィンだけにも関わらず、三つもあるという事は別の人物がいたと考えるのが自然だろう。
そして事務所内に置かれている巨大な魔物の角。
ティピックにははぐらかされてしまったが、角の状態の良さと言い、切り口の真っ直ぐさと言い、例の何でも屋…シルクによるもので大方間違いはないと考えられる。
大方という表現であるのは、実際にアベル自身が討伐光景を目にしたわけでは無いからだ。
実際にこの目で見た物事を信用する傾向にあるアベルにとって、複雑でもどかしい気持ちが渦巻いていく。
「…では、失礼しました」
扉は閉まり、再び事務所内はティピックとウィンだけが残される。
ウィンは呆れたように溜息をつき、ティピックにジト目を向けながらテーブルに置かれたトレイを持った。
「社長、先程の誤魔化しはわざとらし過ぎかと」
「はは、別に良いじゃないか」
ティピックは悪戯っぽい笑みを浮かべてから、アベルが去っていった扉の方へと視線を向ける。
「シルク君にとっても余計な詮索をされるのは困るからねぇ…それなのに、魔物討伐特攻隊もしつこいところがある」
頬杖をつきながら報告書を流し読みし終えると、ぱさりと作業机に積まれた書類の上に積み上げた。
「ほんの少しでも気を許してもらえたからって、調子に乗られては困るんだよ」
何かを企んでいるような怪しい笑みに加え、瞳には嫉妬心を渦巻かせたような暗がりが広がっていた。




