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16/16

その16

 春の終わりの青空は、白いルサリスの花を、よりいっそう引き立てていた。

 奥の宮の礼拝堂は、取り囲むようにして植えられたルサリスに囲まれ、花の盛りの今、その香りを室内にまで漂わせていた。

 窓の外をぼんやり見ていたサーレスに、兄はため息を隠そうともせずにぼやいていた。


「なんで、花嫁役まであっちがやるんだ?」

「騎士礼装でベールをつけて花嫁役して、ドレス姿のクラウスにエスコートされるよりも、この方が楽だから」


 はじめ、父王と兄は、たとえサーレスが騎士服を着ていても、ベールをつけて花嫁役をやるべきだと言い張っていた。

 それを、母の一言で、役割を入れ替る事が決定した。

 サーレスとしては、母の言葉に安堵したのだが、その母は現在、クラウスの部屋に行っている。

 女性の付き添いは、その近親の女性が行うことが通例だが、ここにクラウスの近親に当たる女性はいない。そのため、王妃が代わりを名乗り出て、あちらに行っているのだ。

 父王は、先程から、部屋の隅の方で、がっくりと肩を落としたまま、後ろを向いていた。


「……父上。まだ嫁に行くわけではないんですから、そこまで肩を落とさなくても」

「婚約式が終わったら、実質行ったようなものだろう……」


 父王の落ち込みは尋常ではなく、それはドミゼアから帰ってきた時に、王妃の部屋で、まるで母娘のように姫のための刺繍をしていたクラウスを見た瞬間から、まったく様子を変えていない。

 クラウスは結局、あれからたった一週間で、ドレスを刺繍まで全て仕上げて、王妃に提出していた。

 生憎、サーレスはまだ見せてもらっていなかったが、その仕上がりを王妃は絶賛し、結婚衣装もクラウスに任せる事を了承したのだ。

 そしてその後、クラウスは、毎日王宮に通い、王妃と共にせっせと刺繍をしていたのだ。

 母は長年の願いが満たされ、大変機嫌がよかったが、その代わり、父はこれまで見た事がないほどに落ち込んでいた。


「父上。嫁に行く先は、ほんの一山越えた場所なんですから、いいじゃないですか」


 トレスが言うと、父王は再び、深々とため息を吐いた。


「……特殊な技量と、命を掛ける勇気が必要な場所を越えないと行けない場所は、ほんの一山とは言わない」

「それはそうですけど……」


 クラウスは、ノルドで一番高い場所に登れば、カセルアが見えると言っていた。

 いつも、そこから、カセルアを見ていたらしい。

 外から見るカセルアが、いったいどんな風なのか、サーレスは思い描いていた。


 時間が来て、クラウスよりも先に礼拝堂に入る。

 カセルア王宮の礼拝堂には、ファーライズ主神と並んで、小さなルサリスの女神像が、大地の神の眷属として祭られている。

 白い布で飾られた女神像は、花を一つ手に、笑顔を浮かべている。

 小さな頃から祈ってきた女神像に、手順を経て、礼拝した。

 小さな頃は、どうかこのまま、ルサリスの役目をせずに終わりますようにと願い続けた。

 そして今は、ルサリスの祝福が、この国にずっと降り注ぎますようにと、祈っていた。


 扉から、クラウスの入場が告げられ、振り返る。

 その視界に、目が醒めるほどの青が飛び込んできた。


 それは確かに、クラウスの瞳と同じ、青だった。

 あの、晴れた海の色だった。

 カセルアの最高級の絹で作られたその青は、銀糸でスカート部分全面に、刺繍が入れられていた。

 その銀の輝きは、波の煌めきを思い起こさせる。

 たった一週間で作られたはずのドレスは、そう思えないほど、完成された品だった。


「……あなたのお望みの、青です」


 晴れやかな笑みを浮かべたそこに、どんな輝きにも勝る青があった。


 二人並んで、主神の祝福を司祭から授かる。

 祝福を授ける司祭の手が、サーレスの頭に恐る恐るといった感じで出てくるのを見て、そういえば十才の頃に、この司祭様にも足を出したなと思いながら、サーレスはぐっと体を緊張させた。

 サーレスに触れるか触れないかで祝福を終わらせた司祭は、クラウスにも同じように祝福を授け、書類を読み上げた。

 ファーライズ主神への誓約は、たとえ国家を跨いでも有効とされる、世界共通の物である。一応、国同士の繋がりを示す、今回の婚約も、この誓約をもってなされることになる。

 カセルア側の立会人として父王と王太子が、ノルド側の立会人として黒騎士の二人が、それに本人達がそれぞれ署名し、誓約はなされた。



 本来なら、このあとにお披露目の催しがあったりするのだが、それはサーラの病の都合として、この場にいた人だけで、お茶を飲んだ。


「そういえば、サーレス」


 王妃に急に名を呼ばれ、顔を上げたサーレスは、機嫌のいい母の笑顔を目にして、思わず笑顔を返した。


「なんですか?」

「カセルアからノルドに、一人庭師を派遣することになりました」


 告げられた内容に、その場にいた、王妃とノルドの面々を除く全員が驚いた。


「サーラが正式に嫁いだあとは、あなたに管理を任せますから、しっかり守りなさい」

「は、母上? それは、あの……」

「それと、ルサリスの苗木も、その庭師に五本、預けます」


 王妃は、クスクスと楽しそうに笑いながら、クラウスを見つめていた。


「私のわがままに、ずっと付き合ってくださった、クラウス殿下へのご褒美ですわ」

「……そのご褒美にそれは、ちょっと多すぎないかい?」


 王の恐る恐るの抗議に、王妃は艶やかに笑ってみせた。


「……厳しいノルドの気候で、薬効が変わるかどうか、調べるためです。それと、昔から、気になっていたことがありましたので」

「気になっていたこと?」

「私の予想では、ノルドでも、白いルサリスは咲くのです」


 母の言葉に、サーレスは目を見張った。


「ですから、私の予想が正しいのか、調べたいのです。もちろん、ノルドの方々には、ルサリスの育成には関わらない旨の誓約もしていただきますけれど」

「それを調べて、どうするんだね?」

「……その秘密が解明できれば、赤のルサリスは、このカセルアで咲かなくなりますわ。代々の王妃も、きっとそれを願っておりました。自分の代で咲かぬよう、細心の注意を払っていたに違いありませんもの。……民の、花が赤くなった時の絶望は、私も見たくはありません」

「……母上」

「もし、そうなれば、もっとルサリスの名を持つ王女は増えますわ。赤い花の時をわざわざ待たなくても、つけられるようになるはずですもの。この王国の大切な花の名を、数十年に一度しか使わないのは、もったいないですわ。民の幸せを願うための王女。盾になるのではなく、共に祈るための王女。そうやって、ルサリスの名をつけられる王女が増えれば、国の民も、きっと喜ぶことでしょう」


 にっこりと微笑み、再びサーレスに視線を戻した王妃は、強い言葉でサーレスに言い聞かせた。


「サーラ、カセルアの庭師を、ちゃんと守るのですよ。私への報告書は、ふた月に一度はちゃんと送るように。それから、数年に一度は、担当の庭師を入れ替えるつもりですから、その旨、忘れないように」

「……はい、母上」


 瞳に涙の滲んだ娘の顔を見て、苦笑した母は、自分のハンカチで、その涙を拭った。



 いよいよ、クラウスが帰国する時が迫っていた。

 途中、ホーセルに立ち寄って帰るとは聞いているが、具体的になにをするかは、あまり聞いていなかった。

 最後の日だからと、再び離宮で、二人で過ごす中、尋ねてみた。


「その、安全なのか?」

「大丈夫です。途中まで、黒騎士の部隊が、迎えに来る手はずになっています。来るのはグレイの部隊で、精鋭揃いの騎兵達ですから、問題ないですよ。そういえば、私が王宮にいる間に、グレイと試合したとお聞きしましたが、大丈夫でしたか?」

「ああ、とても参考になったよ。こちらこそ、兄上の修行に付き合わせたらしくて、申し訳ない」


 クラウスが、奥の宮で、母に頼まれて、兄の剣術の相手をしていたと聞いて、母の大胆さに驚愕した。

 父が知っている情報は、当然母も知っている。

 情報を知った上で、この、ある意味人ならざるほどの腕前を誇る人を、剣術の相手にするなど、信じられなかったのだ。


「……まあ、殿下は、体ではなく頭を使う方ですから、肉体労働はガレウスさんにおまかせすればいいですし。それまでの時間を稼ぐという意味では、お上手でした」

「そういえば、ガレウスともやったのか」

「ええ。さすが、お強かったですよ。将軍を若くして、技巧を少し控えめにして、その分を力で補っている感じでした。ただ、速さが一緒でしたから、かなりやりにくい相手でした」

「確かにそうだろうな」

「あの方は、将来が恐ろしいような楽しみなような気がします」

「……私がそちらに行けば、あれが、次の将軍候補だ」

「……それはさすがに、貴族の方じゃないと無理では?」

「あれは、母親は使用人だが、父親は一応貴族だから。最も、認知はされてないから、別の家を与えることにはなると思う」

「……それなら、もうちょっと剣を合わせておけばよかったですね」


 真剣に考えはじめたクラウスに、サーレスは吹き出した。


「今まで、しょっちゅうここに来てたんだろう? 今度からは、堂々と王宮に入って、試合でもなんでも、申し込んだらいいんじゃないか?」

「あなたがここにいないなら、中に入る理由がありません」

「理由なんか無くても、試合したい時に来ればいいよ。そして、ノルドにいる私に話を聞かせてくれれば良いんだよ」


 そういうと、クラウスは納得したのか、頷いていた。


「……式は九月の、収穫祭の直後になります。その前月に、ノルドに来ていただくことになります」

「うん、聞いてる」

「お酒は、その時期に移動させると品質も落ちますし、別に移動させることになりますが……なんでしたら、すぐに送ってくださってもかまいません。今のうちなら、ノルドはまだ雪解けが始まったばかりなので、そのまま保管庫に入れられますから」

「うん、ありがとう」


 お互いに笑顔で見つめ合い、そして沈黙した。


「……思えば、あなたがここに来て、まだ三週間経ってないんだな。それなのに、ずいぶんいろんな事が変わった気がする」

「私としては、これでも遅いくらいです。十五になったらすぐにと思っていたのですが、戦後処理のおかげで一年延びてしまったんですよ。あなたが、貴族の席を得る前にと思って、慌てていたんです」

「間に合って、よかった」

「はい」


 微笑むクラウスを、サーレスはそっと抱きしめた。


「どうか無事で」

「あなたも、あまり無茶はしないでください。殿下の影武者のお仕事をするのはかまいませんが、もう、あなたの身は、あなたお一人のものではありませんからね?」

「うん、わかってる」

「……ノルドで、お迎えの用意を調えて、お待ちしています」

「うん」


 そのまましばらく抱き合い、二人はそっと離れた。

 腕にあった熱が急になくなり、妙に不安に思う。これもまたきっと、変化のひとつだろう。

 クラウスは、そんなサーレスの顔を引き寄せ、頬に口付けた。


「……そういえば」

「ん?」

「先日の、求婚の時の口付けは、兄君には内緒にお願いします」

「……なぜ?」

「つい、感激のあまり我を忘れたのですけど、あれは違反になりますので」

「……違反したらなにがどうなるんだ?」

「兄君が結婚の邪魔を積極的にするようになりますので、出来るなら遠慮したく」

「婚約したものを邪魔することは出来ないだろう。そのためのファーライズの誓約だぞ」

「ファーライズの誓約では、婚約は一年以内に男女が正式に婚姻することを約束するためのものです。あなたの兄君は、きっちり一年、邪魔しかねません」

「……」


 まさかなという思いと、あの人ならやりかねないという思いが複雑に絡み合う。

 思わず押えた額に、クラウスは、ここなら大丈夫だからと再び口付けた。



 翌朝、夜明けと共に、クラウスは旅立っていった。

 最低限の見送りだけでいいからと言っていたが、気が付いたら奥の宮の警護や、厩番は全員整列していたのに驚く。

 どうやらクラウスは、少しいる間に、そのほぼ全員と顔なじみになっていたらしい。

 最後、ディモンが、厩舎から出てこないという問題はあったが、サーレスが、自分がノルドに行く時に、必ず連れていって、嫁にやるからと言うと、あっさりと外に出てきた。


「……書面でもいるか? ディモン」


 サーレスが告げると、ディモンはいらないとばかりに首を振る。


「ほんとに言葉がわかるんだな。私が行くまでの間、お前も無茶するんじゃないぞ。行って、お前が怪我でもしてたら、フューリーはびっくりするからな」


 わかったとばかりに鳴いたディモンを、そっと撫でてやった。


「それでは、そろそろ失礼します。ノルドで、用意を調えて、お待ちしています」

「先日の試合の再戦を、あちらでお願いします。鍛え直しておきますので」

「酒をたくさん用意して、お待ちしてますよ。結婚祝いに、みんなに大量に仕込ませておきますから」


 三人三様の挨拶を告げ、颯爽と走り去っていった。

 見送りの整列は、三人の影が完全に消えるまで、並んだままだった。


「……なんだか、寂しくなったな」


 サーレスがふとこぼすと、横でティナがくすくす笑った。


「寂しがっている暇など、ございませんよ。嫁入り道具を揃えることもございますし、王妃陛下は、姫に花嫁教育をすると張り切っておいでのようですから」

「えっ!?」


 驚いて振り返ったら、ティナは満面の笑みで、サーレスを見つめていた。


「今度は、期間もございますので、厳しく躾すると仰っておられました。さっそく今日昼までに、王宮に戻ってくるようにとのことですよ」

「えええ……」


 それを告げる母の様子がありありと思い起こせて、サーレスはがっくりと肩を落とした。



 王宮の奥の宮に入り、許しを得て母の部屋に入ると、そこにはあの青いドレスが飾ってあった。

 あの日、クラウスが着ていたそれが、どうしてここに残ったままなのか、驚いて見つめていると、母が楽しそうにその袖を手に取った。


「これは、あちらの国では着られないからと、私にプレゼントしてくださったのよ」

「……」


 それは想像していたことだ。国で、あの人がこの青を着れば、たとえ本人はそう思っていなかろうが、この色は呪いのサファイアになる。

 それをわかっているからこそ、あの人は今まで、この色を着なかったのだ。

 サーレスは呆然と、ドレスに触れながら母の言葉を聞いていた。


「あなたの前以外で、青は着ないそうですよ。ですから、これは、あなたが持って行きなさい」

「……え?」

「あなたの前でなら、着るのでしょう? だから、あなたが持っていればいいのですよ」


 母は、袖を捲ったり、内側を見たりと、しきりにドレスの作りを確認していた。


「私は、このドレスがどのように縫われているのかだけ、確認できればかまいません。あの方は、このドレスと同じなら、お前に着られると言っていましたもの。それがどのようなものなのか、私は知りたかっただけです」


 嬉しそうな母を見て、サーレスは、苦笑した。

 今まで、母に、何度も何度もドレスを着せられ、その都度それらを台無しにしてきた。

 母が苦心していたことを、サーレスは十分わかっていた。

 だから、もう一度、覚悟を決めた。


「……では母上。お願いがあるのですが」

「あら、なんですか?」

「ドレスを、作っていただけますか」


 母が、息を詰めたのが、サーレスにもわかった。


「あちらに行く時、カセルアの姫として、立派にご挨拶したいと思いますので、そのためのドレスを、お願いしてもよろしいですか?」

「……サーレス」

「そのドレスと同じなら、私にも着られるのでしょう? だから、それと同じ型のものを、私の寸法で作ってください、母上」


 母の表情は、歓喜で輝いていた。


「ええ、ええ! きっと立派にご挨拶できるものを作ります。あなたが着られる、あなたのためのドレスを、作らせますよ」


 サーレスは、今まで見られなかった母の喜びように、心が満たされていくのを感じていた。




 ブレストア王国において、絶対の強さを誇る黒騎士団は、その時代のみ、二人の団長を迎えていた。


 誇り高い黒騎士は、己の命を預ける主人を、剣に賭けて、ただ一人選ぶ。

 だが、彼らは、その時だけ、その信念を曲げ、もう一人を選んだ。

 名を伝えられぬその人は、ノルドの女将軍と呼ばれ、幾度となく他勢力に脅かされたノルドを、鉄壁の防御で守り通したと伝えられている。

 


―――ルサリス

 花の季節は初夏 花の色は赤 希に白

 地の大陸グラセールにある、カセルア王国にて白色花の栽培法が確立される

 後年、白色花は、ブレストア王国ノルド領にも確認される






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