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第七章 旭川よ、お前もか

旭川、その日の夜。


神崎とみおは旭川の飲み屋街にいた。


みおがガイドブックで見つけていた、地元で評判の焼き鳥店。


みおが前もって予約を入れていた。




「零さん、今夜、ここ予約取れたんです」


店へ向かう途中、みおは珍しく少し浮かれていた。


「すごく楽しみにしてて。旭川に来る途中で予約したんですよ」




「大森さんからも良い店だと聞いている」


神崎は、すでに店の情報を調べ終えていた。




「旭川名物の新子焼きが看板メニューだそうだ」


「楽しみですね」


「ああ」




神崎も、珍しく素直にうなずいた。


「鶏の半身を素焼きにし、甘辛いタレで仕上げる。旭川では長く親しまれてきた料理らしい」


「まだ食べてないのに、もう説明が始まってますけど」


「予習だ」


「食事に予習って必要ですか?」


「必要だ」


「即答なんですね」


二人は笑いながら、飲み屋街を歩いた。




北海道に来てから、神崎は何度か食べ損ねを経験していた。


函館で一軒。


札幌で一軒。


そして、旭川に来てからも、最初に目にしたラーメン店が臨時休業していた。




しかし、今回は違った。


今回は、みおが楽しみにしていた店だった。


しかも、わざわざ予約まで取っていた。


だからこそ、神崎も少し楽しみにしていた。




みおが楽しみにしているものを、自分も一緒に食べる。


それは神崎にとって、単なる食事以上の意味を持つようになっていた。


もっとも、本人はまだ、それを正確には理解していなかった。




「さぁ、そろそろ行きましょう」


みおが少し嬉しそうに言った。




しかし、店の入口に立っていた店員の表情を見た瞬間、神崎は嫌な予感を覚えた。


「あの……、横田様でしょうか」


「はい」


「大変申し訳ございませんが…」




その言葉を聞いた瞬間、神崎はすべてを理解した。


――またか。




「本日、急遽、貸し切りとなりまして……」


「……」


みおの表情が固まった。


「え?予約していたはずですが……」




「本当に申し訳ございません。こちらも予約を把握していたのですが、急な団体様の貸し切りが入りまして……」


店員は、何度も頭を下げた。


みおは、しばらく何も言えなかった。


神崎の目つきが変わった。




「みお」


「はい」


「これは」


「……また、あれですかね」




神崎は静かに店の周囲を見渡した。


函館。


札幌。


旭川。


偶然にしては、あまりにも出来すぎている。




しかも今回は、自分が食べ損ねたわけではない。


「みおの食事の機会まで奪うとは……」


その声には、これまでにない強い怒りが滲んでいた。




みおが、少し驚いた顔で神崎を見る。


「零さん」


「何だ?」


「そんなに怒るんですね」


「当然だ」




神崎は、真顔で答えた。


「わたし自身の食べ損ねなら、まだ耐えられる」


「耐えられてました?」


「……耐えていた。ギリギリで」


「まぁ、そういうことにしておきます」




「だが、君が楽しみにしていたものを、無遠慮に奪う。そのやり口は看過できない」


神崎は、店の入口を見た。




みおは、少しだけ黙った。


それから、小さく笑った。


「……ありがとうございます」




神崎は首をかしげた。


「なぜ礼を言う?」


「なんでもありません」


「そうか」




その時だった。


神崎のスマートフォンが鳴った。


大森からの電話だった。




神崎はすぐに通話を押した。


「もしもし」


『先生、大森です。旭川にいますか?』


「はい。」


『実は、ちょっと妙な話がありまして』


「その前に、こちらでも妙なことが起きましてね。」


『え?』


「たった今、もう一件、食べ損ねが発生しました。」


電話の向こうで、大森が黙った。




「同行者が予約していた店です。ところが急遽、団体予約が入ったという理由で、こちらの予約が取り消された」


『……それ、どこの店ですか?』


神崎が店の名前を告げる。


すると、大森はしばらく黙った。


『先生、その店、今日、急な団体予約なんて入ってないはずです』




神崎の眉がわずかに動いた。


「どういうことですか?」


『僕も、その店の店主とは知り合いなんです。さっき別のことで連絡を取ったんですが、そんな話はちっとも……』




大森は、そこで言葉を止めた。


『いや、待ってください』


電話の向こうで、何かを確認している気配がした。


そして、話を続けた


『先生。旭川中央警察署に、昔から親しくしている刑事がいます』


「警察?」


『片桐という刑事です。一度、話をしてみてください』




神崎は少し考えた。


「食べ損ねの話で?」


『僕も最初はそう思いました。でも最近、旭川でも似たような話がいくつかあるんです』


みおと神崎が顔を見合わせた。




『予約していた店が突然閉まる。料理が提供できなくなる。食材が届かない』


大森は、低い声で続けた。


『それも、なぜか「その店の名物を食べるために来た人」がいる日に限って』




神崎の表情が変わった。


「……」


『先生?』


神崎は、ゆっくりと口を開いた。


「つまり犯人は」


みおが神崎を見る。


「北海道全域の飲食店を……」


神崎は、そこで言葉を止めた。


函館。


札幌。


旭川。


頭の中で、点と点が線になろうとしていた。




そして神崎は、ゆっくりと旭川の夜空を見上げた。


「旭川よ」


「……?」


「お前もか…」




「零さん、誰に言ってるんですか?」


「旭川だ」


「見れば分かります」


「この街まで…」


神崎は、真剣な顔で続けた。


「食べ損ねの連鎖に巻き込まれているとは」




「零さん」


「何だ?」


「まだ焼き鳥一軒です」


「……」


神崎が黙った。


「……そうだった」


「話を大きくしすぎです」


「研究者として、可能性を広く考える必要がある」


「犯罪心理学者ですよね?」


「食文化にも、犯罪は起こる」


「何の話ですか」




電話の向こうで、大森が小さく咳払いをした。


『……先生』


「すまない、大森さん。こちらの話だ」


『まだ、電話つながってます』


「失礼した」


『いえ、それは別にいいんですが』




大森は、少し間を置いた。


『片桐刑事には、僕から話を通しておきます』


「分かりました。ありがとうございます。」




『ただ先生、やっぱり本当に、何かがおかしいと思います。


全道各地でこんなことになっているなんて』




神崎は、店の前に立ったまま、周囲を見渡した。


さっきまで、みおと笑いながら歩いていた旭川の夜。


だが今は、少しだけ違って見えた。




偶然なのか。


誰かの悪意なのか。




そして。


なぜ、自分たちがいる場所でばかり、食べ損ねが起きるのか。




「みお」


「はい」


「仕方がない。今夜は、別の店に行こう」


みおが笑った。


「はい」


「そして」


神崎は、少し真剣な顔をした。


「今度こそ、食べる」


「そこは事件の調査じゃないんですね」


「腹が減っては、正確な分析ができない」


「それ、便利な言葉ですね」




神崎は周囲を見渡した。


旭川の夜の飲み屋街、さっきまで楽しそうに見えていた店の明かりが、


今は少しだけ警戒すべきものに見える。


――この中に、また食べ損ねが待っている可能性がある。


神崎は、真剣な表情になった。




二人は、歩き出した。


一軒目。


本日定休日の看板がぶら下がっている


「……」


「零さん」


「何だ?」


「これは、さすがに偶然ですよ」


「まだ何も言っていないだろう」


「でも、顔に書いてあります」




二軒目。


満席だった。


「……」


「零さん」


「何だ?」


「これは仕方ありません」




三軒目。


店の前まで来たところで、みおが立ち止まった。


「零さん」


「何だ?」


「ここ」


「?」


「入れますよ」




店の入口には、小さく、


『営業中』と書かれていた。


神崎は、その文字をしばらく見つめた。


「……本当だ」


「営業してますね」


「食べられそうだな」


「そうですね」


「そして予約もない」


「飛び込みですから」


「貸し切りでもない」


「今のところは」


「臨時休業でもない」


「もういいから入りましょう。


 お腹空きました。」


みおは神崎の背中を軽く押した。




店内に入る。


「いらっしゃいませー」


その一言を聞いた瞬間、


神崎の表情が、少しだけ明るくなった。




「二人です」


「どうぞこちらへ」


案内された席に座る。




みおが笑った。


「よかったですね」


神崎は、メニューを開きながら答えた。


「ああ」


「そんなに嬉しいですか?」


「嬉しいさ」


「即答ですね」


「君と食べられるからな」




みおの動きが止まった。


「またそういうことサラッと言うんだから……」


神崎は、メニューから顔を上げる。


「どうかしたか?」


「なんでもありません」


「そうか」




神崎は再びメニューを見る。


「この店、豚串も評判らしい。もしや品切れでは…」


「零さん」


「何だ?」


「今日は、もう少し普通に食べましょう」


「普通とは?」


「食べ損ねの事件について考えないで」


「……善処する」


「またそれ」


二人は笑った。




しばらくして、料理が運ばれてきた。


熱い湯気と香ばしい匂い。


目の前には、確かに食べられる料理がある。


神崎は、箸を持った。


「みお」


「はい」


「食べよう」


「はい」


「「いただきます」」


二人は、同時に料理に手を伸ばした。




その夜。


神崎零と横田みおは、


何とか旭川で夕食にありつくことができた。


それが後に、事件を振り返る関係者たちの間で、


「旭川で最初に解決された事件」と冗談交じりで呼ばれることになる。




もっとも、神崎は、その言い方を最後まで認めなかった。


「事件ではない」


彼は後に、そう主張している。


「食事だ」




そして翌日。


旭川中央警察署で。


神崎とみおは、片桐という刑事に会うことになる。




片桐刑事は、後にこの日のことをこう振り返っている。


「大森から最初に聞いた時はな…」




そう言って、彼は苦笑した。


「また、変な先生が食べ損ねたんかと思ったんだよ」


それだけだった。




少なくとも、その時は片桐はまだ知らなかった。




その「変な先生」が、なぜか北海道各地で発生している


奇妙な食べ損ねに巻き込まれその渦の中心に立つことになるとは。




そして何より自分自身が、その「変な先生」と、


これから長い付き合いになることも。


この時の片桐は、まだ知らなかった。

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