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第三章 函館の刑事は、行きつけを教えない

函館警察署、講義室。


神崎の犯罪心理学の講習会が、終わったばかりだった。


受講した、署員たちが三々五々退室していく中、


一人の刑事が神崎のもとに歩み寄ってきた。


恰幅の良い、渋い、面構えの、中年の男だった。




「先生、講義、お疲れさまでした」


「ありがとうございます」


「榎本といいます。函館署の刑事です」


「本日はどうも」


榎本は少し間を置いてから続けた。


「今日の講義、尋問における非言語的な兆候の読み取り方、


あれ、実に勉強になりました」


「光栄です」


「特に、視線の動きと記憶の再構築の関係ですか。


あれ、現場でも、すぐ使えそうです」


神崎は僅かに興味を引かれた様子だった。




「実務での活用を考えていただけるとは、ありがたい限りです。」


「ですからね、先生の話、聞きに来たんです」


榎本の口調は、飾り気のない率直なものだった。


「わたしね、経験だけでやってきた部分、正直多いんですわ。


理論的な裏付けあると、また違うなぁーと…」


「経験と理論、両方があってこそ精度は上がりますから」


「確かに」


榎本は少し笑った。


その笑顔には、どこか渋い貫禄があった。




そこへ、神崎がふと思い出したように尋ねた。


「そういえば、榎本さん」


「はい」


「先ほど、耳にしたのですが」


「何をです?」


「道内で、食に関する妙な噂があると」


榎本の表情が僅かに変わった。


「……あぁ、その話ですか」


「詳しいことを、ご存知ですか」


「詳しくは、まだうちらも把握しとらんのです。けどねぇ…」


榎本は少し声を落とした。


「函館でも似たような話、ちらほら聞くようになってましてねぇ」


「似たような話とは」


「人気店が突然休業したり、予約が通ってなかったり。まぁ正式な被害届が出てるわけでも、ないし。まあまだ、噂の域ですわ」


神崎は静かに頷いた。


「興味深い、話です」


「先生、そういうの、お好きで?」


「実際、函館に来て二度ほどすでに食べ損なっています。」


榎本は少し笑った。


「そうですか…。それは災難だぁ。まあ、何か分かったら、教えてくださいな」




会話が一段落した頃、神崎がふと尋ねた。


「榎本さん、函館で、お薦めの店はありますか」


「お薦めの…店?」


「せっかく函館に来ています。地元の方の、行きつけの店に興味があります」


榎本はしばらく神崎を見つめていた。


「……ありますけど」


「教えていただけますか」


「いや」


榎本は、あっさりと首を振った。


「教えません」


「なぜです」


「先生、明日には旭川に向かうんでしょう?」


「はい」


「なら、今晩行けないでしょうがぁ。」


神崎は、僅かに面食らった。


「時間がなければ、教えていただく意味がない、ということですか」


「わたしの行きつけを教えたところで、先生が行けないなら意味ないでしょう」


「後日、改めて訪れることも」


「その時に、また、聞いてくださいや」


榎本は少し笑いながら続けた。


「それに」


「それに?」


「わたしの行きつけ、あんまり知られたくないんですわ」


「なぜです」


「混むと、困るんで」


神崎は、しばらく、その答えを咀嚼していた。




「……つまりあなたは、自分自身の食の楽しみを優先している、ということですか」


「なにか問題でも?」


榎本は悪びれる様子もなく、そう答えた。


神崎は珍しく少し感心した様子を見せた。


「……嫌いではない考え方です。自分の行きつけは他人にも知られたくない。そのお気持ちは理解できます。」


「でしょ?静かにこう、しれーっと飲んでいたいんですよ。」


「わたしも同様の価値観を持っています。もっとも、わたしは下戸ですが。」


「先生もそうなんですか」


「一部の行きつけの店については、あまり他者に公開しない方針です」


榎本は思わず笑った。




「先生、案外わたしと案外気が合うかもしれませんな」


「そのようです」


二人は、しばらく顔を見合わせ笑った。


「まあ、次に函館に来る時は案内しますわ。講義のお礼として」


「楽しみにしています」


「けど、混む時期は避けてくださいよ」


「それは、店の名前を教えていただいてから判断します」


「屁理屈こねますね、先生」


「事実を述べただけです」


榎本は大きく笑った。


「……面白い先生だ…」



その後、神崎は荷物をまとめながら、


この榎本という刑事の印象を静かに反芻していた。


――経験に裏打ちされた鋭い視点。


――そして、頑固なまでの自分の流儀へのこだわり。


神崎はその両方に、確かな好感を抱いていた。


――また、いずれ会うことになりそうだ。


その予感は現実のものとなる。

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