86 マリウス・ラファエル・フォン・アイゼンハルト
「夢、なのか…?」
そう口にしたマリウスさんのオレンジの髪は少し伸びて、カウベルフェルトにいるときはなかった髭も生えている。ここじゃなくて今じゃなかったらワイルドマリウスは眼福だけど、優しいままの緑の目には、重い疲れがはっきり見て取れて胸が痛い。
すぐにでもマリウスさんを連れて帰らないと。
テオくんが「危ない」と止めるのも聞かずに、私はクロから飛び降りてマリウスさんに向かって走る。
「マリウスさん、一緒に帰りましょう!」
だけど私の前を兵士さんたちが槍で遮る。
「曲者!」
「違います、私は…」
「サティ、なんのために俺がいるんだよ」
テオくんが左手の小指を見せる。旗と同じ楓のモチーフが彫られた指輪が光る。
「私はテオドール・イグニス・フォン・アイゼンハルト。そして彼女は王太子殿下の養育係です」
「うちの若様?魔法師団の団長になったっていう、養子の?」「信じていいのか?」「でもあの指輪は確かに…」と顔を見合わせる兵士さんたちの背中を、「彼が言っていることは本当だ。槍をしまえ」と押して開けて、マリウスさんが進み出た。
「来るなと言っただろう、息子よ。しかもサティさんまで一緒とは」
私からもテオくんからも、「へ?」という間抜けな声が漏れる。
「息子…って言ったのか?」
「ああ。俺が君の養父、マリウス・ラファエル・フォン・アイゼンハルトだよ」
「嘘でしょ!?」
「嘘だろ!?」
マリウス・ラファエル・フォン・アイゼンハルト。確かにマリウス。
でもさすがにマリウス違いだと思うじゃん。伯爵が山間の田舎町で果物売ってるだなんて、誰が思うの。
「説明します。立ち話もなんなので、どうぞテントの中へ」
マリウスさんはテントの中で重いマグカップに水を注いで「どうぞ」と差し出してくれてから、話し出した。
マリウスさんのお父さんである先々代アイゼンハルト伯爵は、先代国王が王位に執着し始めたときに「約束が違う」と諫めた人だった。何度退けられても忠告をやめなかったため国王に疎まれ、マリウスさんのお兄さんや主だった家臣ともども、殺されてしまう。
アイゼンハルト伯爵領は先代国王派の貴族が治めることになり、マリウスさんは命からがら、剣の師匠だったベルント伯爵の領地に向かった。けれど直接ベルント伯爵に助けてもらうと迷惑がかかる。
悩みつつ通りかかったカウベルフェルトで「跡取り不在で困ってる果物屋さん」と知り合ったマリウスさんは、果物屋を継ぐことにした。元々四男で爵位を継ぐ見込みもなかったため、家に対する執着もあまりなかったらしい。
「そのあとは知っての通り、果物屋として暮らしていました」
しかし私の小屋で、うっかりアロイスさんに再会。無事生き伸びていたことが、知り合いにバレてしまう。
王位に就いたアロイスさんはアイゼンハルト伯爵領を治めていた貴族を粛清し、マリウスさんには「伯爵位を継ぎ、領内に残る前国王派を掃討せよ」と命じたのだった。
「断る選択肢もあったのですが、前領主のせいで領内が荒れ、家臣や領民が苦しんでいることを考えると、自分だけ平穏な暮らしを続けることはできませんでした。それに…」
マリウスさんは私をじっと見つめた。
「アイゼンハルト伯爵として無事に領内を平定すれば、堂々と王城までサティさんを迎えに行けると思いました。”待つな”とは言われましたけど、”迎えに来るな”とは言われませんでしたから」
傷つきかさついた手が、私の頬をなぞる。
「私を迎えに来る前に、死んじゃうかもしれないのに?」
「あなたに会わずに死ぬ気はありませんでした」
「その気があるかないかでどうにかなる問題じゃないです!マリウスさんが生きてるか死んでるかもわからなくて、どれだけ怖かったか…」
私はマリウスさんの手に自分の手を重ねた。温かい。生きてる。
「それで、迎えに来てくれたんですか?」
「はい」
生きててよかった。会えて嬉しい。それから…
「今からでも間に合うなら、あなたと一緒に生きたいって…私にはあなたが必要だって言いたくて」
「ああ、サティさん…!」
マリウスさんが抱きしめてくれる。私も彼の背中に腕を回した。鎧の上からじゃ背中まで回らないし、体温も感じられないけど。
「しばらくは王都にいなきゃですけど、離れててもクロに頼んで会いに行きますから」
「俺が王都のタウンハウスに引っ越すのもいいでしょう」
「あ、その手もありますね」
「おい」と黙って聞いていたテオくんが腕を組んだ。
「その前に前国王派を根絶やしにする必要があるだろ。”親父”がちんたらやってるから、サティを迎えに行くどころかサティが迎えに来ることになったんだろうが。やることやってからいちゃつけよ」
マリウスさんは怒るどころか、「手厳しいな。何も反論できないよ」と頭をかく。伯爵になっても、全然変わらない。
「相手はゲリラ戦術なんだろ。だったら森を焼いて隠れる場所をなくせばいい」
「贈った本をちゃんと読んだようだね。勝つことだけを考えれば、それは正しい」
「俺の火でちゃちゃっと丸焦げにしてやるよ」
テオくんの右手から火が出て、テントの中にいた兵士さんたちが「おお」と声をあげるけど、マリウスさんは首を振った。
「したくないんだ」
「なんでだよ。したいしたくないの問題じゃねえだろ。勝つために必要なんだよ」
「前国王派は領内の村から子どもを攫って、兵士にしてるんだ。森を焼けば少年兵たちも焼け死ぬ」
そんなのひどい。ひどすぎる。怒りで身体が震えてくる。
「子どもを殺したくはないだろ?」
テオくんがちらっと私を見て、頷いた。
「それに、アイゼンハルトには森に生きる民も多い。森を焼いたら再生するまでに何十年もかかってしまう。領内を平定しても、民が困窮してしまうなら本末転倒だ」
「だから時間をかけてるのか」
「そう。今は相手を切り崩しているところだよ」
「でも、森を焼かずに敵を見つけて攻撃する方法があれば…」
テオくんが考えはじめ、「あれば、ね」とマリウスさんも腕を組む。
一瞬ののち、「クロ」と”親子”がハモった。




