77 救われたあとのこと
「待ちなさいっ」
男が振り返り、女の子が叫び、鈍い音がして頭に痛みが走り、目の前が暗くなった。ああそうか、人攫いには仲間がいて、私はその仲間に殴られたんだな。
床に転がりながら、そう述懐する。
ごとごと音がして床が揺れているから、馬車に乗せられているらしい。
「痛…っ」
頭の痛みをこらえながら首を回して見回すと、馬車の中には一、二、三、四…十二人の子どもたち。みんな不安そうにこっちをみている。闘技場で見かけたあの女の子もいる。
「大丈夫だからね。助けが来るから」と私はぎこちない笑顔を浮かべた。
「俺らは親なしで家なしなんだ。誰も助けになんて来ない」と小さな声が答えて、私は小さく首を振る。
「そんなことない!私が助けに来たじゃない」
「でもおばちゃんも捕まったじゃん」
「お、おばちゃん…」
「私はまだ二十五歳です。そもそも、何歳に見えても女性のことは”お姉様”と呼びなさい」と指導したあとで、状況を整理しようとする。
「私が馬車に乗せられてから、どれくらい時間が経ったかわかる?」
「わかんないけど、けっこう長いよ」
「そか、ありがとう」
漠然とした情報だからなんとも言えないけど、攫われてから時間が経ってるのはまずい。遠くまで来ちゃったってことだから。それに揺れ方と車輪の音からして、馬車は土の上を走ってる。王都の道は石畳で整備されているから、王都の外に出てしまってるってことだ。
「一体どこに向かって走ってるんだろう…」
「たぶん海のほうだと思う。人攫いは、攫った人間を港から船に乗せて運ぶんだって聞いた」
「いや、俺は山側の国境を越えて隣の国に連れていかれるって聞いたぞ」
「海だ」「山だ」と子どもたちは言い争いを始める。
「待って待って、喧嘩しないの。きっとどっちのルートもあるんだよ。お姉ちゃんは何も知らなかったから、教えてくれてありがとうね」
子どもたちでも知ってるくらいなんだから、きっと先生やイヴォンさんにもわかるはず。ただ今回がどっちなのかはわからない。でもこの馬車には窓もなくて、外の景色なんて見えない。人攫い用なら当然か。
「何か…何かないかな…」
床に細い隙間ができていて、暗いけど確かに土らしき地面が見えた。
「…!」
私はイヴォンさんが見立ててくれた上品な黄色のドレスを裂き、隙間を通る最大の大きさにして床の隙間から外に捨てた。間隔を開けて、それを繰り返す。
「お姉ちゃん、何してるの?」
「目印を残してるの。お姉ちゃんの友達は、きっとお姉ちゃんを探してくれてる。だからこれを見て気づいてくれて、助けに来てくれるはず」
「本当?」
「本当だよ。だからそれまで頑張ろう」
イヴォンさん、先生、どうか気づいて。私たちはここだよ。
「でもさ、助けてもらったところでさ…」とまた小さな声がした。
「また路地の生活に戻るだけだ。パン屋に朝飯を盗みに行って殴られて、闘技場に夕飯を盗みに行って殴られて、小銭を拾ったら大人に殴られて盗まれて」
私は手を止めた。
人攫いたちは知っていた。お腹を空かせた子どもたちが人でごった返す闘技場にご飯を盗みに来ることを。盗みに集中している子どもたちは、自分が狙われていることに気付かないから、簡単に捕まる。屋台の人達にしたら人攫いは「万引き犯を排除してくれる存在」だから、咎められることもない。
この子たちだけじゃない。きっと今までに何人も攫われてきたんだ。
「だったら売られて外国に行ったほうがマシかも」
「そんなことない」とは言い切れない。路地の生活が実際どんなものかも、売られて外国に行った先の生活がどんなものかも、私は知らない。どちらも苦しいってことだけは想像できるけど。
「どうして路地で生活することになったか、聞いていい?」
顔を見合わせてから、ぽつりぽつりと順番に子どもたちは話してくれる。親が二人とも亡くなってしまった子もいれば、親の生活が苦しくて捨てられた子も、親の顔すら知らずに劣悪な孤児院から逃げてきた子もいた。みんな痩せていて、髪はばさばさで、こんな小さな子どもたちがそんな生活をしてきたと知るだけで泣きそうになる。
「お姉ちゃん、なんで泣いてるの?」
「だってさ…みんな辛いのにここまで生きてきたんだなって思って…抱きしめていい?」
「え?今?」
私は戸惑っている子どもたちをぎゅっと抱きしめる。「ママが死んでから、誰かに抱きしめてもらったのは初めて」なんていう子もいて、また涙が溢れてくる。
異世界モノを読んでたときには、人攫いパートなんて正直「ヒロインと攻略対象の愛が燃え上がるためのイベント」でしかなくて、助け出された子どもたちがどんな生活に戻っていくかなんて考えたこともなかった。
だけどもし、もしこの子たちを人攫いから助け出すことができたら、私は彼らの「救われたあとの生活」も考えないといけない。
いや、「もし」じゃない。絶対ここから助け出す。そしてあったかいごはんと清潔なベッドのある場所で、健康的かつ安心安全に暮らしてもらう。そのためなら、国王でも王太子でも伯爵でも魔法師団長でも、私が使えるコネなら何でもなりふり構わず使ってやるんだから。
瞳に決意を宿して最後の一人を抱きしめようとしたら、その女の子は「だめ」とぶるぶると震え出した。
あ、瞳に決意が宿りすぎて顔が怖かったか。
「ごめん、嫌だったね。しなくなかったらしないよ」
「手をつなぐのはどう?」と手を差しだすと、「だめっ」と振り払われた。一瞬触れた手が、火傷しそうなくらい熱い。
この熱を、私は知ってる。
「あなた、火魔法使いなの?」
女の子が恐怖に満ちた目ではっと私を見つめた瞬間、彼女の手から炎が噴き出した。
「お姉ちゃん、私から離れて!」




