45 問題児
グリムフェルト伯爵夫人は子どもたちが遊び始めてから、緊張感を纏って遊び場を伺っている。
彼女の息子・ルカスくんは、紫の髪をもつ男の子。遊び場に出てから今まで、憑かれたように、ぎこちない姿勢でブランコに揺られ続けている。
ブランコを気に入ってくれたのは嬉しいけど、リオネルくんがブランコに乗りたそうにちらちら見ているので、私は「ルカスくん、そろそろリオネルくんと交代しようか」と声をかけた。
返事はない。レオくんが横から「ルカス、リオネルに譲ってあげて。順番だよ」と声をかけても、変わらない。すでにレオくんの側近みたいな顔したアドリアンくんが「王太子殿下のお声がけを無視するなんて」と叱っても、変化なし。
「ご子息は耳が悪いのだったかしら?」とリヒターフェルト侯爵夫人。「い、いえ…!」とグリムフェルト伯爵夫人が立ち上がる。
「サティ様や王太子殿下のお声が聞こえているのに従わないのは、少し…」
「ええ、問題ですわね」
「も、申し訳ありません、すぐに…っ」
グリムフェルト伯爵夫人はルカスくんのもとに走り、「リオネル様にお譲りなさい」とルカスくんに声をかけた。ルカスくんはそれも無視する。
「我が儘に育てすぎではないかしら」
そっか。
グリムフェルト伯爵夫人の泣きそうな表情が、前の世界のイツキくんママに似ているんだと思い出す。
自分の興味があることに執着し、お部屋からは叫んで逃げ出し、悪気はないのに集団行動を乱してしまうイツキくん。発表会で「ちゃんとさせろよ」みたいな周りの親御さんたちの視線にさらされて、イツキくんママはいつも逃げるように発表会から帰っていった。
きっとこの世界でも、子どもが何か問題や困り事を抱えているときには、母親のせいにされるんだろう。
《母親のしつけが悪いせい》
《こんな子を産んで》
《お母さん、もう少しちゃんとお子さんを見てあげてください》
「自分は子どもを心配してる」みたいな顔して、周りは勝手なことを言う。お母さんが必死に涙をこらえているのは無視して。
「大丈夫です、グリムフェルト伯爵夫人」
私はメイドさんに紙とペンを借りた。
「ここでのルールは、遊具はみんなで順番に使うことです。ブランコはニ十回交代にしましょう。だからニ十回ゆらゆらしたら、リオネルくんと交代してください」と書き、ルカスくんの前に回り込んで、彼の視線に合わせて、少し上から紙を見せる。
彼は素直に頷き、二十回数えてリオネルくんにブランコを譲った。そして二十数えながらリオネルくんのブランコが終わるのを待つ。
ルカスくんは視覚優位のようだ。視覚優位とは、耳で聞く情報よりも目で見る情報の処理が得意な特性のこと。少数派かもしれないけど、珍しいわけじゃない。口頭で伝わらないわけじゃないけど、集中してるときはかなり伝わりにくいというのが、前世の木村サチ調べ。
私は目を丸くしているグリムフェルト伯爵夫人を振り返る。
「目に見える形で伝えてあげたり、ルカスくんの目を見ながら話しかけたりすると、伝わりやすくなると思いますよ」
「そう、なのですね…」
ローゼンタール伯爵夫人が「あの問題児のルカス様に、あっさりと言うことを聞かせるなんて」とつぶやいた。
私は首を振る。
「ルカスくんは問題児じゃありません。耳から入ってくる情報が伝わりにくいっていう特徴があるだけです。ルカスくんが得意な方法で伝えてあげれば、ちゃんと伝わって理解もできます。むしろ、とてもよく理解したり覚えたりできるかもしれません」
視覚優位の子は、暗記が得意なことも多いからね。
グリムフェルト伯爵夫人の目から、涙が溢れ出した。
「グリムフェルト伯爵夫人、だ、大丈夫ですか?」
「申し訳ありません…そんな風に言っていただいたのは初めてで…ルカスは言うことを聞かない悪い子で、そんな風に育てた私が悪いのだと、白い目で見られてきたので…」
「中傷に耐えてこられたのですね」
私が夫人にハンカチを差し出すより早く、ルカスくんがグリムフェルト伯爵夫人のそばに寄った。
「母上、どうして泣いているのですか?サティ様にいじめられたのですか?」
「いや、違っ…!」
ルカスくん、誤解だよ!確かに夫人は私の言葉で泣いているけど、断じていじめたわけじゃない。しかもなんかこれってデジャヴ。ルカスくんから紫の触手が出てきて私を襲ったりしないよね?
「違うわ、ルカス。あなたに申し訳ないから泣いているのよ」
グリムフェルト伯爵夫人は姿勢を低くして、ルカスくんの目を見つめる。
「母上は、あなたにどう接したらいいのかわからなかったの。至らない母上でごめんなさい。もっと早く気づいていたら、知っていたら…」
ルカスくんは「違います、母上」と言い切った。
「母上はいつも僕を見てくださり、守ってくださり、誰よりも僕のことを考えてくださっていると、理解しています。だから僕は母上の息子で幸せなのです」
あかん。これはあかん。
私の中で何かが決壊してしまった。
「おお…グリムフェルト伯爵夫人…!!気持ちは…ううう…んんっ…ルカスくんに伝わってましたね…おおお…」
「サティ様、お顔が大変なことに…!」とマグダレーナ先生が駆け寄ってくれる。夫人に差し出そうとしたハンカチで、自分の涙を拭くはめになってしまった。
「ルカスくんが得意な方法で伝えてあげれば伝わるよ」なんて、そんなシンプルで簡単な言葉だけじゃオールオッケーにはならない。「暗記とか得意だと思うから、いいところを伸ばそう」なんてのも、きれいごとかもしれない。
どうにもならないと思えるような困難も、これからもきっとたくさんある。だけど同時に、困難を乗り越えるために一番大切なものが、きっとこの親子にはある。
「これからのグリムフェルト親子に幸あれ…っ」
涙を止められない私の横で、すうっとシルヴァーナ公爵夫人が立ち上がった。




