29 さようなら、第一村人
お正月が明けて一カ月ほど経った。まだまだ寒くて、今日も雪が降っている。いつもなら朝食を手伝いに来てくれるおばあちゃんが、来ない。寒さが厳しいし、体調が悪いのかもしれない。スープを多めにつくって持って行こうとしたら、ノックの音がしてちょうどおじいちゃんがやって来た。私はスープを適当なカップに注ぎながら言う。
「あ、おじいちゃん。おばあちゃんは体調が悪いの?スープを作ったから、持って行こうとしてたところだよ」
返事がない。私はおじいちゃんを見た。表情がこわばっている。
「おじいちゃん…?」
「ばあさんは死んだ」
「え…」
身体が硬くなる。口を動かしたいのに、動かない。何て言ったらいいのかもわからない。
「起きたら冷たくなってた」
おばあちゃんは布団の中で、穏やかな顔のまま、まるで眠っているみたいだった。「おはよう、朝だよ」って言えば起きてくれそうなくらい。だけど身体に触れたら思わず手を引っ込めしまうくらいに冷たくて、もうここにおばあちゃんはいないのだと理解せざるを得ない。
クリスタちゃんが聞く。
「なんで?昨日見たとき、おばあちゃんの中には悪いものなんていなかったのに…」
私はそっとクリスタちゃんの肩に手を置いた。
「…悪いものがいなくても、亡くなることはあるんだよ」
「どうして?」
「おばあちゃんがこれまでいっぱい頑張って生きてきて、もう身体が…疲れたって…休み…たいって…」
説明しようにも、涙があとからあとから溢れてきて、言葉が喉の奥で詰まってしまう。
そうだ。おばあちゃんは人生を生ききって、安らかに眠ってる。いつかくる別れなんだ。
でも、どうしようもなく寂しい。
第一村人。ここに来て何もわからなかった私に声をかけてくれて、私を「サティ」にしてくれた人。私をこの世界に留まらせてくれた人。いつもあったかいスープとパイを御馳走してくれて、私にとっても子どもたちにとっても、本当のおばあちゃんみたいだった人。
おじいちゃんが私の肩にそっと手をおく。
「ありがとな。こんなに泣いてもらって、ばあさんも幸せだろう。人生の最後にサティや子どもたちと一緒に過ごせて、どれだけ楽しかったか」
「うん…」
今はその言葉にすがって、何とかこの悲しみをやり過ごすしかない。お葬式の準備をするというおじいちゃんを手伝って、手と足をひたすら動かす。何も考えなくていいように。雪の中、たくさんの村人がおばあちゃんとの別れを惜しみに来てくれた。
お葬式が終わると、急に現実が襲ってくる。私は子どもたちを寝かせたあと、床に座り込んでテオくんがつけてくれた暖炉の前でずっと火を見ていた。
コトリと音がして、隣にクリスタちゃんが座る。私は肩にかけていたブランケットをクリスタちゃんにもかける。
「いっぱい頑張ってたくさん生きて、身体が疲れたら、いつかサティも死んじゃうの?」
嘘は言えない。
「いつかね。でもまだまだ死なないよ。クリスタちゃんが大人になるまでは生きるから」
「クリスタが大人になってからも、ずっと生きててほしい」
クリスタちゃんは私に抱きついた。私は彼女を抱きしめ返して、雪うさぎみたいな銀髪をそっと撫でながら、彼女が落ち着くまで「そばにいるよ」と繰り返す。
レオくんも泣きながら部屋から出てきた。「おいで」というと、ためらいがちにブランケットの中に潜り込む。
「サティ、おばあちゃんが亡くなったのは僕のせい?」
「どうしてそう思うの?」
「僕、おばあちゃんがつくってくれたスープのにんじんを残したの。僕が悪い子だから、おばあちゃんが死んじゃったんだ…」
レオくんは涙で顔をぐしゃぐしゃにしていて、私は彼を抱きしめて頭に唇をあてた。
「違うよ、レオくん。レオくんがにんじんを残したことと、おばあちゃんが亡くなったことは関係がないの。寿命っていってね。絵の具やえんぴつを使い切ったら、なくなってしまうようなものなの」
二人と一緒にベッドに入り、両腕にそれぞれの頭を乗せて眠る。二人が私にすがっているようでいて、二人の体温が私の心を慰めて埋めてくれるようでもあった。
ーーー
翌朝、テオ君は薪割り場の雪を火で溶かし、何も言わずにただ一心に薪を割っていた。冬が来る前にたくさん準備したから、まだ倉庫に薪はいくらでも残っているのに。
これが彼なりの悲しみ方なのだろうと思う。
「テオくん、ご飯だよ」と声をかけると、私の目も見ずに言う。
「じいちゃんが悪いんだ。ちゃんとばあちゃんを見てなかったから。ばあちゃんの具合が悪かったなら、薬を買って、医者に見せるかクリスタに治療してもらうかしなきゃいけなかったんだ」
私は何も言えない。彼が間違ってると指摘するのは簡単だけど、それは今じゃない。今は彼なりのプロセスを最後まで見守ってあげるのが先だ。
「…なんで」
「ん?」
「なんで違うって言わないっ…?なんでじいちゃんが悪くないって言わないんだ?」
「テオくんも、自分でわかってるからだよ」
おばあちゃんの死に顔を見たときも、お葬式でも、一切泣かなかったテオくんの目から、涙がこぼれる。
「寂しいね」
「ああ」
「会いたいね」
「…うん」
何もする気になれなくても、時間は過ぎて世界は進む。悲しくてもお腹は空くし、掃除も洗濯もしなきゃいけない。お葬式の日はさすがに休みにしたけど、一時保育の子どもたちだってやってくる。
そうやって、少しずつ、喪失に自分の身体を慣らしていくんだ。
「今日はおばあちゃんのスープを真似して作ってみようかな」
「クリスタ、野菜切る!おばあちゃんに習ったからできるもん」
「僕もお手伝いする。まず手を洗うんでしょ。おばあちゃんが言ってたよ」
空気が少しずつ温かくなるのを感じる。おばあちゃんが残してくれたものは、私や子どもたちの中で生き続けている。




