30 ファンタジーでしかない
おばあちゃんが亡くなってから、家事は目に見えて大変になった。どれだけおばあちゃんに助けられていたのか、実感せざるを得ない。
子どもたちは大変そうにしている私を見て、お手伝いをしようとしてくれる。
朝食の準備をしていると、レオくんが卵を落として床にべちょりと卵が広がった。もう何回目だろう。私はため息をつきたくなるのをぐっとこらえる。
「お手伝いしたい」という子どもの気持ちは嬉しい。すごく嬉しい。成長だもん。それに子どもたちが「サティが大変だから」という優しい気持ちでお手伝いをしてくれてるのも知ってる。
だけど。
自分に余裕がないときのお手伝いが、逆に手間を増やすことになってしまって、しんどいのも事実。戦力になって本当の手伝いになるまでの期間がね。だって失敗の片付けをしたり、作業スペースをとられたり、ナイフを握ってるところをずっと見守っていなきゃいけなかったりするから。「逆に時間かかる」「手伝いのはずが、大人の仕事増える」ってなりがち。
「レオ、気をつけろよ。手伝うのはいいけど、何回目だよ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、兄上…ごめんなさい…」
私が飲み込んだ言葉をテオくんが口に出してしまい、気まずいようなほっとしたような気分になってしまう。
「僕が悪い子だから…」
レオくんは床に落ちた卵を見て、自分を責めるようにつぶやく。私は卵を拾う手をとめる。深呼吸して、できるだけ顎の力を抜いて、レオくんと目を合わせる。穏やかに、静かに。
「レオくん、違うよ。悪い子だから卵が落ちたんじゃない。レオくんはお手伝いしようとしてくれるいい子でしょ。最初から全部上手にできる子なんていないの」
レオくんはしばらく黙って目を伏せた後、小さくうなずく。
「焦らなくて大丈夫だからね。いつかできるようになるから」
私はテオくんに「見ててくれてありがとね」と小さな声で言って、彼にレオくんを叱らせてしまった罪悪感をやり過ごす。
「クリスタはホットケーキ作るね」と、勢いよくクリスタちゃんが小麦粉をボウルに入れようとする。「あ」と思った瞬間に、ボウルがぐらりと揺れて小麦粉が派手にこぼれた。クリスタちゃんが「わ、真っ白!」と声を上げ、クロが小麦粉を被って真っ白になって飛び回る。
また拭かなきゃいけない。拭いて拭いて拭いて。それから洗濯も掃除もやらなきゃいけない。一時保育の子たちももう来るのに、自分たちのご飯の支度すらできてない。
何もできていない。何もできない。
おばあちゃん…
「先生でいなきゃ」と思っていた私の気持ちをつなぎ止めていた何かが、切れた。
「もういいっ!!もうやらないでっ!早くご飯食べたいのに失敗ばっかりで全然進まないじゃんっ!」
いきなり大きな声を出した私に、子どもたちとクロがビクッとなる。
「レオくんもクリスタちゃんも、テーブルに座って待っててっ!クロも飛び回るのはやめなさいっ!」
「サティ、ごめんなさい…」
「謝らなくていいのっ!座って待っててっ!」
「…はい」
子どもたちに怒りながら、わざとガチャガチャ大きな音を立てて料理しながら、泣きたくなる。
子どもたちは悪くない。ただ頑張って手伝いしてくれただけ。できないことがあるのは仕方ないし、最初から上手にできる子なんていないし、失敗は成功のもとだし、お手伝いしたいっていう気持ちは喜ばなきゃいけない。
うどんを作ったときみたいに、「真っ白になっちゃったね」って一緒に笑いたい。なのにイライラしてしまう自分は悪い大人だ。でも止められない。
子どもたちの分だけ朝ご飯をつくってガチャンと乱暴にテーブルに出して、私は自分の部屋に駆け込んで、ドアにもたれて顔を膝の間に埋めた。涙が止まらない。わかってるのに、なんでいい大人でいられないんだろう。
「サティ、サティごめんね…」
ドアの向こうから子どもたちの涙混じりの声が聞こえる。その声が「彼らは悪くない。悪いのは私だ」って教えてくる。そんなのわかってるって。
出ていって「ごめんね」って謝らなきゃいけないってこともわかってる。だけどもう少しだけお願い、ひとりでいさせて。
怒らないで、いつも笑顔で子どもたちに接したい。
でもそれってファンタジーでしかないんじゃない?
二十四時間一緒にいて、できないよ、そんなの。
だって私はそんな立派な大人じゃないんだもん。
「余裕のないときほど人間性が出る」って誰かが言ってた。その通りだ。最低だ、私。
「サティも疲れてるから、あとで謝ろう」というテオくんの声がする。十四歳の子に助けられて、私は何をやっているんだろう。でもありがとう、テオくん本当にありがとう。もう少ししたら戻るから。
私は何とか涙と呼吸と頭の中を落ち着けて、リビングに戻る。レオくんとクリスタちゃんがバッと私に抱き着いた。こんな悪い大人を抱きしめてくれる優しい二人。私はしゃがんで、二人を抱きしめ返す。
「怖い声で怒ってごめんね、不安にさせてごめん」
「ううん…僕たちが失敗したから悪かったの」
「違うよ」
私は説明する。感情的に怒ってしまった私が悪いこと。レオくんにもクリスタちゃんにも、もちろん私にも、できることとできないことがあること。
子どもは大人より力が弱くて背も低くて物理的な視野も狭いから、失敗は仕方ないこと。だけど「失敗してほしくないとき」もあるから、理解してほしいと。
子どもたちはこくんと頷く。なんていい子たち。こんないい子たちに怒鳴ってしまった自分が恥ずかしくてたまらない。私はまた二人をぎゅっと抱きしめて「本当にごめんね。大好きだよ」と何度も伝えた。
「朝じゃなくて夜お手伝いするとか…それから、できなさそうなことは助け合いながらやろう。お手伝いって言っても、全部自分でやらなきゃいけないわけじゃない。小麦粉をボウルに入れるときは、他の人がボウルがぐらぐらしないように支えるとか、助け合いながらやるの」
少し離れたところでクロを抱っこしながら見守っているテオくんには、口の形だけで「ありがとう」と伝える。テオくんは頼もしい表情で頷いてくれた。
「今日の夕ご飯、お手伝いしてくれる?」
「うん!」




