↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/462

裏切り者

裏切り者


前書き


裏切りとは、


信じていた者が敵になることです。


ですが。


最初から敵だった者よりも、


守りたいものを奪われ、


敵になることを強いられた者の方が、


ずっと苦しいのかもしれません。


誰かを裏切るか。


大切な誰かを失うか。


その二つしか選べない時、


人は正しい選択などできるのでしょうか。


⸻


《主人公・相良ユウキ視点》


「徴税官バルトンの秘書だそうです」


見張りの青年が告げた言葉に、部屋の空気が硬直した。


カシオンの指は閉じた帳簿の上に置かれたまま動かない。


ルガーは壁に立て掛けていた槍を引き寄せ、アーサーは身を起こしただけで狭い部屋をさらに狭くした。


ガレスだけは椅子から立たなかった。


けれど、その目は先ほどまでとは違う。


静かだった。


静か過ぎるほどに。


「一人か」


「はい」


見張りの青年は頷いた。


「護衛らしき男を二人連れています。ただ、門の外で待たせております」


「武器は」


「全員持っています」


「当然だろうな」


ガレスは短く息を吐き、机の上に置かれていた短剣を引き寄せた。


ヴァルターが森へ残した、第三辺境軍団の紋章入りの短剣だった。


刃にはまだ乾き切っていない泥が付着している。


ガレスはそれをしばらく見つめていたが、やがて鞘へ戻した。


「通せ」


ルガーが振り向く。


「頭領」


「ここまで来て追い返しても意味はない」


「罠です」


「だろうな」


ガレスはあっさりと答えた。


「だから会う」


その声には、迷いがなかった。


◇


使者を通す場所として選ばれたのは、砦中央にある食堂だった。


昼間は子どもたちの声や食器の音で賑わう場所だが、今は長机と椅子が端へ寄せられ、広い空間の中央だけが空けられている。


窓はすべて閉められていた。


出入口には黒狼団の男たちが立ち、二階の足場には弓を持った者も配置されている。


そこまでしても、不安は消えなかった。


俺たちはガレスの後ろに立った。


右側にルガーとアーサー。


左側にカシオンとクリフさん。


少し離れたところに、よっしーとあーさん。


レオンは柱の陰に身体を預け、あくびでもしそうな顔で入口を見ていた。


だが、その右手はいつでも短剣を抜ける位置に置かれている。


やがて、扉が開いた。


最初に入ってきたのは、黒い外套を着た二人の男だった。


腰に剣。


胸元にはモンテーヌの衛兵章。


その間を歩いてきた人物を見て、俺は少し意外に思った。


徴税官の秘書。


そう聞いて、俺が勝手に想像していたのは、腹の出た中年男か、威張り散らす役人だった。


だが。


現れたのは女だった。


年齢は二十代後半。


長い灰銀色の髪を首の後ろでまとめ、紺色の上着に細身の黒いズボンを合わせている。


派手さはない。


装飾品も、小さな銀の耳飾りが一つだけ。


ただし、歩き方に隙がなかった。


姿勢が良いというより、いつ襲われても対応できる歩き方だった。


その目は冷静で、食堂へ入った瞬間から出口、窓、階段、梁の上までを短時間で確認している。


役人というより。


軍人。


いや。


もっと別の何かだ。


女はガレスから数歩離れたところで立ち止まり、軽く頭を下げた。


「徴税官バルトン様の秘書、セレナ・ハルトマンと申します」


声は落ち着いていた。


「黒狼団頭領、ガレス殿とお見受けします」


「そうだ」


ガレスは腕を組んだまま答える。


「山賊に殿を付ける役人は初めて見た」


「肩書と礼儀は別のものです」


「随分と口が回るな」


「秘書ですので」


二人の会話には、笑いがなかった。


言葉だけを聞けば穏やかだ。


しかし互いに、相手の喉元へ刃を突き付けているような緊張感があった。


セレナは懐へ手を入れた。


その瞬間、二階の弓兵たちが一斉に弦を引く。


護衛二人も剣の柄へ触れた。


食堂の空気が爆発寸前まで張り詰める。


「待て」


ガレスが片手を上げた。


セレナは動きを止めなかった。


懐から取り出したのは、折り畳まれた一枚の羊皮紙だった。


「徴税官バルトン様からの通達です」


「読め」


セレナは紙を開いた。


「黒狼団は近隣の街道において、複数の商隊を襲撃し、町の住民を誘拐、殺害した疑いがある」


淡々とした声が響く。


「よって三日以内に武器を捨て、全員投降すること。応じない場合、モンテーヌ衛兵隊および領主直属部隊による討伐を開始する」


食堂のあちこちから、低い唸り声が上がった。


「ふざけるな!」


「人を殺したのは俺たちじゃねぇ!」


「どの口で言いやがる!」


アーサーが一歩前へ出るだけで、床板が鈍く鳴った。


護衛二人が剣を抜き掛ける。


だがセレナは振り返りもしなかった。


「静かにしてください」


その言葉は大きくなかった。


それでも、不思議と食堂全体へ届いた。


「これはバルトン様の言葉です。私の言葉ではありません」


「なら、お前はどう思っている」


クリフさんが聞いた。


セレナの視線が動く。


俺たちを一人ずつ見ていく。


クリフさん。


ルガー。


カシオン。


レオン。


そして俺。


僅かな間だった。


だが、彼女が俺たちを観察していることは分かった。


「秘書の意見に意味はありません」


「便利な言葉だな」


ルガーが吐き捨てる。


「自分は命令を伝えただけ。後で何人死んでも、自分には関係がないとでも言うつもりか」


セレナはルガーを見る。


目の色は変わらない。


だが。


ほんの一瞬だけ。


何かが揺れた。


「三日です」


彼女は通達書を机へ置いた。


「それまでに投降してください」


踵を返す。


早い。


あまりにも早過ぎる。


これだけを伝えるために、危険を冒して山賊の砦へ入ったのか。


違和感があった。


ガレスも同じだったらしい。


「待て」


セレナが足を止める。


「ヴァルター・グライスを知っているか」


女の肩が、ごく僅かに動いた。


振り返りはしない。


「存じません」


「嘘だな」


レオンが柱の陰から言った。


セレナの護衛が剣を抜いた。


「貴様!」


「落ち着けよ」


レオンは両手を上げながら笑う。


「俺は嘘を見抜くのが仕事でね」


「情報屋風情が」


「お互い、まともな仕事じゃないだろ」


護衛が前へ出ようとした。


その時。


セレナが片手を上げた。


「下がりなさい」


「しかし」


「命令です」


二人は不満そうに剣を鞘へ戻した。


セレナはようやくこちらを振り向いた。


「三日後」


彼女はガレスを真っ直ぐに見た。


「この砦は包囲されます」


「通達に書いてある」


「いいえ」


僅かに声を落とす。


「衛兵隊だけではありません」


誰も動かなかった。


「何が来る」


ガレスが尋ねる。


セレナは答えない。


代わりに、机の上の通達書を指先で軽く叩いた。


一度。


二度。


三度。


そして、そのまま食堂を出ていった。


護衛二人も後へ続く。


扉が閉まってからも、しばらく誰も口を開かなかった。


やがて、よっしーが首を傾げた。


「なんや、最後のあれ」


「三回」


あーさんが呟く。


「三日後という意味でしょうか」


「それなら口で言ったばかりだ」


カシオンは机へ近づいた。


通達書を持ち上げる。


表を確認し、裏返す。


何もない。


透かす。


火へ翳す。


すると。


羊皮紙の端に、薄い線が浮かび上がった。


「何かあります」


全員が集まる。


火の熱によって現れたのは、小さな文字だった。


【北門を使うな】


その下に。


【鐘が二度鳴る前に、子供を地下へ】


さらに。


【灰色の外套を信じるな】


食堂の空気が変わった。


セレナは、警告を残していった。


「やはり」


レオンが口元を歪める。


「あの女、バルトンの犬じゃない」


「何者なんだ」


俺が尋ねる。


レオンは肩を竦めた。


「さあな。ただ、役人の秘書にしちゃ動きが良過ぎる」


クリフさんも頷く。


「歩き方が軍人だ」


「軍人ではありません」


カシオンが羊皮紙の文字を指でなぞる。


「もっと細かく、周囲を見ていました。護衛される側ではなく、護衛する側の見方です」


「王都の監察官か」


ガレスが言った。


レオンが目を細める。


「可能性はある」


「王都が動いているなら、なぜバルトンを捕らえない」


ルガーの問いに、レオンは答えなかった。


答えられないのだろう。


王都の監察官。


そう聞けば、国が正してくれるように思える。


だが、そんなに簡単なら。


この町は三年も苦しんでいない。


◇


その夜。


砦では、いつもの夕食が始まっていた。


けれど、笑い声は少なかった。


子どもたちは大人たちの表情を敏感に感じ取り、騒ぐこともなくスープを飲んでいる。


入口には見張りが増えた。


北門は封鎖され、地下倉庫には毛布や食料、水が運び込まれていた。


警告をどこまで信じるか。


疑えば何もできない。


信じ過ぎれば罠に掛かる。


結局、できることは両方に備えることだけだった。


俺は食堂の隅で黒パンを千切りながら、周囲を見渡した。


ガレス。


ルガー。


カシオン。


アーサー。


黒狼団の幹部たちは、それぞれ別の場所に座っている。


意図的だった。


誰か一人が襲われても、全員が巻き込まれないためだ。


こんな食事は嫌だった。


同じ場所で飯を食っているのに、互いを疑わなければならない。


悪いのは敵だ。


それなのに、疑いは味方同士を削っていく。


「ユウキさん」


あーさんが小声で呼んだ。


「どうしました」


「あの方」


視線だけを動かす。


食堂の出口近く。


一人の若い男が立っていた。


昼間、使者の到着を知らせに来た見張りの青年だった。


名前は確か。


「ネッドです」


あーさんが囁いた。


「先ほどから、何度も外を気にしています」


言われてみればそうだった。


食事を運ぶふりをして入口へ近づき、外を確認している。


戻ってきても、落ち着かない。


手が震えている。


俺はよっしーを見る。


よっしーも気付いたらしく、僅かに顎を引いた。


クリフさんはすでに立ち上がっていた。


何も言わず、食堂の外へ出る。


その直後。


ネッドも空になった木皿を重ね、裏口へ向かった。


俺とよっしーは目を合わせる。


そのまま少し間を置いて、後を追った。


◇


裏口の外は暗かった。


雲が月を隠し、砦の柵沿いに置かれた松明だけが地面を照らしている。


ネッドは薪置き場の陰へ入っていく。


俺たちは距離を取り、建物の壁に沿って進んだ。


そこには、すでにクリフさんがいた。


指を唇へ当てる。


声が聞こえた。


「……約束が違う」


ネッドの声だった。


震えている。


「今日、返すと言ったじゃないか」


返事は聞こえない。


いや。


誰かがいる。


柵の外。


小さな穴から紙を渡している。


「もう無理だ」


ネッドは必死に声を抑えていた。


「北門のことも、見張りの交代も教えた」


「これ以上はできない」


短い沈黙。


そして。


低い男の声が聞こえた。


「妹がどうなってもいいのか」


ネッドの身体が固まった。


「……やめろ」


「次は、地下倉庫の場所だ」


「子どもを隠す場所を教えろ」


「嫌だ」


初めて。


ネッドがはっきり拒絶した。


「子どもは関係ない」


「お前の妹も子どもだろう」


「……!」


「明日の夜までだ」


「待て!」


柵の外で気配が動く。


ネッドが穴へ手を伸ばした瞬間。


クリフさんの矢が放たれた。


闇の中で男の悲鳴が上がる。


「逃がすな!」


俺たちは走った。


柵の脇にある通用口から外へ回る。


しかし。


森へ飛び込んだ男の姿は、すでに闇に紛れていた。


クリフさんは追わなかった。


足元には、矢が突き刺さった灰色の外套の切れ端が落ちている。


【灰色の外套を信じるな】


セレナの警告。


本当だった。


◇


砦へ戻ると、ネッドは食堂中央に座らされていた。


両手を縄で縛られている。


周囲には黒狼団の者たちが集まり、怒りと戸惑いの入り混じった目を向けていた。


「裏切り者!」


誰かが叫んだ。


「こいつのせいで仲間が死んだんだ!」


「吊るせ!」


「待ってくれ!」


ネッドが顔を上げる。


まだ若い。


二十歳を過ぎたばかりに見える。


その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。


「妹を……」


声が裏返る。


「妹を捕まえられたんだ」


ざわめきが止まる。


ネッドには、町に妹がいた。


病気の母親を看ながら、仕立屋で働いている十六歳の妹。


数日前。


灰色の外套を着た男たちに連れ去られた。


返してほしければ、砦の情報を流せ。


そう命じられた。


見張りの配置。


出入りする者。


ガレスの動き。


ライラの両親を保護したこと。


そして。


ヴァルターと接触したことまで。


「全部お前が流したのか」


ルガーの声は冷たかった。


ネッドは俯いた。


「……はい」


「木札を置いたのも」


「違います」


「なら荷車を燃やした場所を教えたのは」


「……はい」


周囲から怒号が上がる。


アーサーが壁へ拳を叩き付けた。


大きな音に、子どもたちが別室で怯える声がした。


あーさんがすぐにそちらへ向かう。


ガレスは黙っていた。


ネッドも何も言わなくなった。


言い訳をする気力すら残っていないように見えた。


「頭領」


ルガーが振り向く。


「規律通りに」


その言葉の意味は、俺にも分かった。


裏切り者は処刑。


共同体を守るためには、そうするしかない。


一人を許せば、次が出る。


そう考えるのが普通だ。


けれど。


ガレスはすぐに答えなかった。


ゆっくりネッドの前へ歩み寄る。


そして。


膝を折り、同じ高さまで腰を下ろした。


「いつからだ」


「……三日前です」


「妹が捕まったのは」


「五日前」


「なぜ言わなかった」


ネッドの顔が歪む。


「言ったら……殺すって」


「誰を」


「妹も」


「砦の子どもも」


涙が床へ落ちる。


「怖かった」


「死ぬのも怖かった」


「でも、それより妹が」


声が続かなくなった。


ガレスはしばらく彼を見ていた。


その横顔からは、何を考えているのか分からない。


やがて。


腰の短剣を抜いた。


周囲が息を呑む。


ネッドは目を閉じた。


「すみません」


小さな声だった。


「頭領」


「みんな」


「すみません」


ガレスの短剣が振り下ろされる。


切れたのは。


ネッドの首ではなかった。


両手を縛っていた縄だった。


「立て」


ネッドが目を開く。


理解できないという顔でガレスを見る。


「でも」


「立てと言った」


ネッドは震えながら立ち上がった。


「お前は裏切った」


ガレスの声が食堂へ響く。


「仲間を危険に晒した」


「死んだ者もいる」


「それは消えない」


ネッドの肩が震える。


「だから許しはしない」


周囲の者たちも黙って聞いている。


「だが」


ガレスは続けた。


「妹を守りたかった気持ちまで、俺は罪とは言わん」


ルガーが眉を寄せる。


「頭領」


「こいつを殺せば、妹は戻るのか」


「戻りません」


「死んだ仲間は」


「戻りません」


「なら、使える命を捨てるな」


ルガーは唇を噛んだ。


「甘過ぎます」


「かもしれん」


「また裏切ったらどうするんです」


ガレスはネッドを見たまま答えた。


「その時は俺が殺す」


静かな声だった。


「それまでは、こいつに自分のしたことを背負わせる」


ガレスはネッドの肩を掴む。


「妹を助けたいか」


「……はい」


「仲間へ償いたいか」


「はい!」


ネッドは叫ぶように答えた。


ガレスは立ち上がった。


「なら敵のところへ戻れ」


誰もが驚いた。


「情報を流せ」


「嘘の情報をな」


カシオンが目を見開く。


すぐに意図を理解したらしい。


「逆に利用するのですか」


「そうだ」


ガレスは周囲を見渡した。


「奴らはネッドを通じて、こちらの動きを知っていると思っている」


「なら、そう思わせておけばいい」


レオンが笑った。


「なるほど」


「包囲する側に、罠を踏ませるわけか」


クリフさんも頷く。


「北門から逃げると伝える」


「実際は東の森へ誘導する」


カシオンはすでに机へ地図を広げていた。


「東には古い採掘坑があります」


「崩落している場所も多い」


「少人数なら通れますが、部隊では動けません」


「そこへ偽情報で誘い込む」


ルガーが地図を見る。


まだ納得していない顔だった。


だが、反対もしなかった。


「妹はどうする」


俺が聞いた。


ガレスは答える。


「助ける」


「どうやって」


「町へ入る」


食堂の空気が再び張り詰めた。


「バルトンの屋敷か」


よっしーが尋ねる。


「おそらくな」


「罠かもしれへんで」


「分かってる」


ガレスは地図の上へ手を置いた。


「だから二手に分かれる」


「一方は砦を守る」


「もう一方は町へ入り、捕らわれている者と証拠を奪う」


レオンが柱から離れる。


「その役目、俺向きだな」


「俺も行く」


俺は言った。


よっしーがすぐ横へ並ぶ。


「ほなワイもや」


「あーさんは砦へ残ってください」


俺が振り向くと、あーさんは一瞬だけ不満そうな顔をした。


けれど、地下へ避難する子どもたちを見て、静かに頷いた。


「分かりました」


「皆さんが戻る場所を守ります」


その言葉は優しかった。


けれど、とても強かった。


◇


作戦会議は夜更けまで続いた。


砦を守るのはガレス、ルガー、アーサー、クリフさん。


避難誘導と物資管理はカシオンとあーさん。


町へ潜入するのは俺、よっしー、レオン。


そして。


ネッド。


妹が囚われている場所へ案内できるのは、彼だけだった。


明日の夕方。


ネッドは敵側へ、偽の情報を渡す。


黒狼団は夜明け前、北門から子どもたちを逃がす。


そう伝える。


敵が北側へ兵を集めた隙に、俺たちは町へ入る。


ただし。


セレナの警告では北門を使うな、とあった。


つまり、敵は北門に何かを仕掛けている。


偽情報が罠として機能するか。


それとも、こちらの意図まで読まれているのか。


誰にも分からない。


◇


会議が終わった頃には、月は真上を過ぎていた。


俺は外へ出た。


砦の中では、まだ誰も眠っていない。


武器を研ぐ音。


荷物を運ぶ足音。


子どもを安心させるための、わざと明るい笑い声。


その全部が混ざり合っていた。


ネッドは柵の近くに立ち、暗い森を見つめている。


俺が隣へ立つと、彼は深く頭を下げた。


「すみません」


「俺に謝っても仕方ない」


「分かっています」


声が震える。


「でも、言わないと立っていられなくて」


俺は何も答えなかった。


正直。


腹は立っていた。


こいつが情報を流したことで、誰かが死んだ。


子どもたちも危険に晒された。


事情があったから仕方ない。


そんな簡単な話ではない。


けれど。


もし自分の家族が人質に取られたら。


俺は絶対に仲間を裏切らないと言い切れるだろうか。


無理だった。


そんな格好良いことは言えない。


「妹さん」


俺は尋ねる。


「名前は」


「ミーナです」


「助けよう」


ネッドが顔を上げる。


「助けて」


言葉が詰まった。


「助けてください」


「そのために行く」


ネッドは何度も頷いた。


◇


その時だった。


砦の見張り台から、鐘の音が響いた。


一度。


全員が動きを止める。


続いて。


二度目。


【鐘が二度鳴る前に、子供を地下へ】


セレナの警告。


だが。


まだ夜明け前ではない。


予定より早い。


見張り台から声が上がった。


「森に火だ!」


俺は柵へ駆け寄った。


暗い木々の向こう。


赤い光が幾つも浮かんでいる。


松明。


十や二十ではない。


森全体を囲むように、数え切れない火が動いていた。


「敵襲!!」


鐘が激しく打ち鳴らされる。


砦の空気が一瞬で変わった。


子どもたちの泣き声。


走る大人たち。


剣を抜く音。


弓へ矢をつがえる音。


ガレスが斧を担ぎ、中央広場へ出る。


その表情に驚きはなかった。


まるで。


こうなることを最初から知っていたようだった。


森の中から、低い角笛が響く。


一度。


二度。


三度。


松明の群れが止まる。


そして。


闇の向こうから、大きな声が響いた。


「黒狼団へ告ぐ!」


「武器を捨て、門を開け!」


「従わぬ場合!」


「砦にいる者を一人残らず反逆者として処刑する!」


泣いていた子どもたちが、さらに強く母親へしがみつく。


ライラはエレナの手を握りながら、青ざめていた。


ガレスは門の上へ登る。


柵の向こうを見下ろす。


松明の海。


衛兵。


傭兵。


灰色の外套を着た男たち。


そして後方には。


黒い馬に乗ったヴァルターの姿があった。


その隣。


豪華な馬車の窓から、太った男が顔を覗かせる。


徴税官バルトン。


ついに。


本人が現れた。


ガレスは斧を肩へ担いだ。


「三日じゃなかったのか」


門の下から、バルトンの笑い声が上がる。


「山賊との約束など、守る必要があるのかね?」


その声を聞いた瞬間。


ネッドが絶望したように呟いた。


「違う」


「何が」


俺が聞く。


ネッドは松明の向こうを指差した。


灰色の外套を着た男たちの間。


縄で繋がれた十人ほどの人影がいる。


女。


老人。


商人。


そして。


一番端に。


小柄な少女がいた。


「ミーナ……」


ネッドが柵へ縋り付く。


「妹です」


ヴァルターが剣を抜いた。


切っ先を、捕らえた人々へ向ける。


「門を開けろ」


その声は、砦の中まで冷たく届いた。


「さもなくば」


「一人ずつ殺す」


ガレスの手が、斧の柄を強く握り締める。


門を開けば。


砦の全員が殺される。


開かなければ。


捕らえられた人々が殺される。


選択の時間はない。


ヴァルターの剣が上がる。


その先にいるのは。


ネッドの妹、ミーナだった。


「始めろ」


剣が振り下ろされた。


その瞬間。


森の反対側から、一筋の矢が飛んだ。


金属音。


ヴァルターの剣が弾かれる。


誰もが振り向いた。


木々の間。


灰銀色の髪が風に揺れる。


徴税官の秘書。


セレナ・ハルトマンが弓を構えて立っていた。


ただし。


その胸にあるのは、バルトンの紋章ではない。


銀色の秤と剣。


王都監査局の紋章だった。


「王国監査局、特別監察官セレナ・ハルトマン」


彼女は二本目の矢をつがえる。


「徴税官バルトン」


「横領、違法徴税、誘拐、殺人および反逆容疑により」


その瞳が鋭く細められる。


「貴殿を拘束します」


森の空気が震えた。


そして。


モンテーヌ最後の戦いが始まった。


⸻


(続く)


後書き


ここまで読んでいただきありがとうございます。


今回は、砦内部から情報を流していたネッドの正体が明らかになりました。


彼は黒狼団を憎んでいたわけでも、金で仲間を売ったわけでもありません。


妹ミーナを人質に取られ、選択を強いられていました。


もちろん、事情があれば裏切りが消えるわけではありません。


被害も、死んだ者も戻りません。


それでもガレスは、ネッドを処刑するのではなく、責任を背負わせる道を選びました。


そして終盤。


バルトンとヴァルターによる砦への総攻撃。


人質にされた町の人々。


さらに、徴税官の秘書として現れたセレナの本当の身分も判明しました。



次回はモンテーヌ編最大の総力戦です。


ガレスとヴァルター。


ルガーと灰色の傭兵団。


クリフの狙撃。


アーサーの門防衛。


レオン、ユウキ、よっしーによる人質救出。


それぞれの戦いが同時に動き始めます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。