第三十二話 真実と虚偽
アパートに戻った二人は、夏実が帰ってくるまでに全ての準備を整えるため、早めに準備を行い始める。後から聞いたのだが、今日は夏実の誕生日だった。何故一緒に暮らしている周平が気付かなくて熊本が気付いたのか。熊本は、
「何年か前に、世木くんが言ってくれたんだよ。覚えてない? それから、夏実さんにはおめでとうって言っているんだ。え、もしかして知らない?」
夏実と熊本が会話したことがあることすら今知ったのに、そんな話をしていることを想像すらするわけがない。夏実から熊本の話が出てこないので、そうだと決めつけていた周平も周平だが。
「あ、卵が五つしかない」
冷蔵庫を覗く周平がぽつりと呟いた。透明パックの中に、半分しかない白い卵。数日前にオムライスを作るために使ったのを思い出す。
「クマさん、卵が無いわ」
「僕、買ってきたよ」
「え? 無かったけど」
すると熊本はスーパーの袋に覗き込む。白菜やら糸こんにゃくやらを掻き分けて卵を探す。
「あれ、本当だ。買ってきたと思ったんだけど」
「代わりにさ、何でか温泉卵が入っとったんやけど」
「……それだね」
卵と温泉卵は似ているが、表記を見ればそれが目当てのものでないことは一目瞭然だ。よく行く店であったのにも関わらず、卵の位置も覚えていない訳がないので、単純なミスであるのは分かるが、本人も、
「どうして間違えたんだろう」
と、頭を悩ますばかりである。
「どうする? 五つじゃ足りないかな?」
「絶対足りひん。ねぇちゃんと俺でも五つ使うから」
「本当に? すっごく食べるんだね」
「そんなに食べとるつもりはないんやけど、いつの間にか卵が無くなってるんだよな」
「あ、それ分かるよ。僕も一人で三つ使うから」
そんな話をしながら、ゆっくりと準備を進める。いつもの食欲から鑑みるに、夏実は腹を空かせているに違いない。余りが出るだろうと思うほどの量を用意したが、夏実なら食べてしまうのでは、と少し思う。
大方準備を終え、絶対に足りなくなるであろう卵を買いに、家を出た。
あれから、一時間ほどが経過した。
ゆいはまだ、サユリと話しているのだろうか。あのマンションの一室がサユリの部屋だという可能性は無きにしもあらずだが、その可能性はぐっと低い。引っ越してきて、家族と一緒に住んでいるとも考えられるが、サユリが一人立ちしているとも考えられる。サユリが専門学校に通っているという事自体が誤点かもしれない。
分からない。
どれが真実で、どれが虚偽なのか。
それなのに、何故目を離すことができないのだろう。
気になって、今夜はぐっすり眠れそうにない。
熊本と一緒に準備をしていた時間が、とても長く感じた。一時間どころではない。もっと、時間が経っているはずだ。だけどそれは、周平だけだった。
七時過ぎに帰宅した夏実が風呂から上がってきた頃に、よい具合に暖かくなったすき焼きを用意しておく。風呂場からは相変わらず、鼻唄が聞こえてくる。
「夏実さんが歌っているのって、今やっているドラマの主題歌だよね?」
「おん。なんか、はまっとるらしいわ」
「あれ、結構人気らしいよ。僕も見ているんだけど、感情の表しかたが繊細で、こっちまで揺さぶられるんだ」
「そういうのって、自分も経験したことのあることやったら、誰でもそう思うやろ。そういうのを多く入れとんちゃうん?」
「まあ、そうなんだけど……」
熊本は口ごもってしまった。少しきつめに言い過ぎてしまったかと、少し後悔する。
「でも」熊本は周平を見た。「一度そんな感情を持ってしまうと、目が離せなくなるんだよ。感情って、不思議だねぇ」
そう言って、熊本は微笑んだ。
――何だって?
そう、口走ってしまいそうだった。
じゃあ俺が、気になっているのは――あのときの感情と、同じだから?
「――……そんなわけ――!」
「うはー! 良い風呂だった!」
言葉を遮るように、夏実が風呂から上がってきた。周平は振り返り、タンクトップにジャージ姿の姉を見る。体が温まり、湯気が薄く出ている。
「やっぱね、すき焼きが待っているって思ったら、風呂はいつも以上に気持ちいいわー。周平も入ってきたら?」
「俺は食った後に入るわ。腹一杯で入る風呂も気持ちいいと思うからな」
「あ、それも良いね」
夏実も上がってきて、鍋も良い加減にふつふつと音を立てている。肉が踊っている様子は、食欲を掻き立てる。
それぞれ卵を割り、軽く潰す。白身と黄身を良い具合に混ぜ合わせた後、肉を手を伸ばす。
「おっさき!」
「ちょ、ねぇちゃん取りすぎやで!」
「こういうのはな、早いもん勝ちなんやでぇ」
口角を上げながら、鍋にある肉の半分を一気に取る夏実。周平も負けじと、肉に手を伸ばす。
「ほら、クマさんも取らな無くなるで」
「僕はあんまりいらないよ。ほら、ダイエット中だし」
ならどうして夕飯にすき焼きを選択したのだ、と突っ込みたくなる。
しばらくすき焼きを食べていなかったからか、鍋はすぐに三分の一にまで減った。熊本はやはり、あまり食べなかった。
それから、日付が変わってもその次の日になっても、ゆいからの連絡はなかった。




