第三十一話 今日の晩御飯は
家の方向を歩きながら、周平は何度も戻りたかった。その衝動が出る度に、顔を歪めて、再び帰路に足を置く。
わざわざ家に戻る必要など、無かったように感じる。マンションの前で待っているのでも良かった。太陽が沈んで代わりに月が顔を出しても、そこは駅前なので真っ暗にはならない。待っていても、特に問題はない。
だが、帰った方がよい気がした。
ゆいが、そう思っていそうだったから。
確信できることではない。本当は待っていてほしいと思っているのかもしれない。だから、この判断が合っているかなんて、周平には分からないことだった。
始め、協力を拒否していたゆいのことだから、一緒にサユリに会いに行くことを拒むのは何となく分かっていた。だから、この結果は特に周平を驚かすことはない。その代わり、周平の決断は後悔を生んだ。体はそうすべきだと言っているのだが、脳がそれを止める。
もしここで周平がマンションの下に戻り、しばらくして出てきたゆいが、帰ったはずの彼を見つけたとき、何を思うだろうか。何も思ってくれないのなら、それに越したことはない。ただ、それでゆいが顔を歪ませたり曇らせたりした時は、困ったものだ。そうなると、戻ってきたことを後悔してしまう。
既に後悔しているので、もう一つ後悔を重ねても心の負担は変わらないのではないだろうか。そんなことを思うが、選択を間違えて、ゆいの困った表情は見たくない。
「――あれ、世木くん?」
ぐるぐると廻る思考に割り込んできたのは、聞き馴染みのある、口に食べ物を詰め込んだまま話しかけてきたような声だった。
声のした方を見ると、そこにはでっぷりとした腹を持つ熊本がいた。口に食べ物を詰めてはいないが、りすのような頬をしている。
「……あらクマさん、いつもより腹出とんちゃう?」
腹を見つめながら言うと、熊本はそれを揺らして笑った。
「いきなり失礼だなあ、世木くんは。僕じゃなかったら、今頃世木くんは人を泣かせた最低人になっていたよ」
「そら助かったわ」
熊本は買い物袋を二つぶら下げ、店で買ったのかタピオカジュースを飲んでいる。熊本が好むようなものとは思えないが、人を見た目で判断するのはよろしくないので、周平は言わないでおいた。
左手に持っていた一つの買い物袋を持つと、同じ帰路につく。熊本はありがとう、と言って、ふくよかな頬を上げた。
「……今日の晩御飯はすき焼きか」
買い物袋を見つめながら、周平が言った。
「うん。実は、世木くんちでやろうかなと思っているんだ」
「え? 俺んち?」
「一人すき焼きって寂しいから、みんなで食べた方が良いかなって思ってね」
最近、晩御飯を何にしようか悩んでいたところなので、その誘いは嬉しい。周平はすぐに了承の返事をした。夏実も食べたいだろうし、伝えておかなくても損はないだろう。むしろ、驚かせるというのも悪くない。
「あの子も連れてきたらどう?」
熊本は妙に嬉しそうに言った。あの子というのは、おそらくゆいの事だ。この量であれば、予定より一人増えても支障はでなさそうだ。むしろ、ゆいが来ることも期待して買ったかの量だ。
「うーん、どやろ。今日な、知り合いの子を見つけて、その子ん所に行ってしもてん。やから、誘って来るかなぁってところやな」
「そうなんだ。だったら、しょうがないね。メールしておくとかは? 電話は邪魔になっちゃ困るし」
「俺、電話番号しか知らんねん」
そう言うと、そっか、とまるで自分のことのようにため息をついた。人数は多い方が楽しいが、相手の都合を壊してまで楽しむ必要はない。
仕方なく、周平と夏実と熊本の三人で机を囲むことに決定する。ゆいとはまた、機会があればすればよいと思った。




