第二十七話 あーんしろや
ジュテーム――織江のいる喫茶店――に到着した周平は、カウンターにいる織江を見つけて、こんちわ、と挨拶をした。
「おう、いらっしゃい。隣にいるのは、彼女さんか?」
「ちゃうよ。前に話したやん、その時の子や」
すると織江は突然、台拭きを置いたまま周平とゆいの方に駆けてきた。そして、じっと見つめたのはゆい。ゆいは少し顔を引いて、顔をひきつらせている。
「な、何ですか……?」
「…………へぇー、そうかそうか」
織江は一人にやにやしている。顎に手を当てて、うんうんと頷く。「適当に座って。今日は空いてるから、声を気にすることもしなくて良いし」
何事も無かったかのように客の相手をする織江を見て、少し疑問を感じたが、今は気にしないでおこう。また同じ話で盛り上がって、今度はゆいを置き去りにしそうだ。
店の一番奥の四人席のテーブルに向かい合って腰を下ろす。すぐに織江が来て、注文を聞きに来た。手には二つおしぼりを握っている。
「周平くんは、コーラ?」
「あ、うん。それと、チョコケーキ」
座ってすぐ手に取ったメニューの端にあるチョコケーキを指して言う。織江からおしぼりを受け取り、掌と甲を滞りなく拭く。そんな周平を見て、喫茶店慣れをしていると感心するのは、向かいに座るゆいである。
「ゆいちゃんは? 同じコーラ?」
名前を知らないはずの織江に呼ばれて肩を震わせた。だがすぐに、ここへ入ってきたときの周平と織江の会話を思いだし、会話のなかで知ったのかと考える。ゆいは事情を知られれば、十分話題にできる。周平が彼女に話していても、ゆいからすれば何の違和感もない。
「いえ、私はオレンジジュースをお願いします」
「了解。食べ物はいらない?」
はい、と頷く。
織江が去ったあと、机に置かれたおしぼりを手を取り、ゆっくりと隅まで汚れを取るように拭く。汚れを取るだけでなく、これまでの疲れを全て取り除き、潤いを与えてくれる。
現在の時刻は一時半を少し回ったところ。確かに腹は空いているが、何かを食べたい気分ではないので、何も頼まない。すると周平が、眉をひそめてこちらを見て来たので、視線があった途端にすぐ逸らした。何で頼まへんのや、と言われることは一目瞭然だ。と言うか、腹が減ってチョコケーキを食べるのはどうかしていると思う。喫茶店なのだから、せめてフレンチトーストやサラダだろう。
頼んだものが来るまで、周平はメニューを隅から隅まで見るように釘付けになっている。今回で二回目の来店。前回は見ていなかったメニューを見て、マリッジブルーと比べているのだ。ホットケーキにつけるジャムが違うだの、メニュー表の書き方に工夫があるだの、口には出さないが、口が動いている。そんな周平を少し見て、外の景色に目を向ける。
人と車が行き交う街。何日も捜しても見つからないことに、ゆいはそろそろ諦めかけている。
「そや、ゆい」
メニュー表に目を向けたまま周平が言った。「昨日までどこにおったん? ホテルに行ってもおらんかったし、電話にも出ぇへんかったからさ。何回電話したと思っとんや」
あ、とゆいは思い出したように言う。
「……すみません。実は、家に戻っていたんです。スマホの充電が無くなってきていたし、あまり顔を見せないのは良くないと思ったので」
「何や、良かったわ」周平は安堵する。「勝手におらんようになるし電話にも出ぇへんから、今度こそ誘拐されたんかと思ったわ。まあ、ゆいはそういう奴やから、勝手におらんようなっても可笑しくはないと思ってたけど」
にい、と笑う周平を見て、ゆいは苦笑いする。
「そういう奴って、誘拐されやすい質ってことですか?」
「それ以外何がある?」
何か言い返したいところだが、周平には誘拐されそうだった所を助けてもらっている。その恩人にそのことに関して口答えするのは止しておこうと思い、口をつぐむ。
「ほい、お待ちど。オレンジジュースとコーラとチョコケーキ」
お盆にその三つを乗せて、織江が持ってきてくれた。ジュースも零れることなく且つ素早く机に置く。
「手際良いなぁ。織江さんは、ここで働いて長いん?」
「まあ、五年くらいかな。学生の時手伝いで入っとったから、それも入れたらもうちょっと長いかな」
「へえ、よぉ続くなあ。俺なんか、高校の時にバイトしてたけど、三か月で辞めたで」
織江は大笑いした。その後、店長らしき人に呼ばれ、厨房へ入って行った。
戻っていったのを見たあと、目の前では周平がチョコケーキを頬張っていた。スポンジとチョコムースが順に積まれ、五層になっている。上にはチョコ板が刺さり、何かよく分からない英語が綴られている。シンプルだが、逆にそれが食欲をそそる。
「他のに比べてチョコに苦味が入ってんな……。ムースにチョコチップが入っとって、それが良いアクセントやわ……」
一人ぶつぶつと喋る周平を見つめながら、オレンジジュースを二口飲む。その姿はまるでパティシエのようだ。家でお菓子を作っているようには見えないので、お菓子が好きな、所謂甘党男子と言う奴なのだろうか。
「……家で、ケーキとか作られたりするんですか?」
放っておいたら一人で延々と喋り続けるだろうと思ったゆいは、周平に声をかけた。
「いや、作らへん」周平は一口頬張ると、顔をあげる。「でも、食べるんは好きやで。嫌なこと忘れられるし、ほどよい量ならむしろ体にも心にも良いからな。俺のおすすめは、やっぱまるまよ屋のショートケーキやなぁ」
うんうんと頷く周平は、あ、と何か閃いた。今度一緒に食べようや、と誘われたが、もちろん断った。
「何やねん、つれへんなぁ」
周平はチョコケーキの四人を一欠片フォークですくうと、ゆいに差し出した。突然のことで、ゆいはフォークに乗ったケーキを見つめ呆然とする。
「食べてみ。旨いで」
「……甘いものは、苦手なので」
断っても折れないだろうということは容易に想像できた。周平は、いいからいいから、はよあーんしろや、と無理矢理押し込む形で食べさせた。
確かに、少し苦味の入っている。もう少し苦い方が、ゆいの好みに合う。




