病床の再会と女医の眼差し〜後編〜
夕暮れの残光が廊下の端に細長く伸び、女医クレアの眼鏡に冷たく反射していた。
彼女はくわえ煙草を指で挟み、立ち上る紫煙を指で払うと、意を決したように声を潜めた。
「驚かずに聞きなさい。……私はね、あいつ――ERageが作り出した、生体兵器『3号』なのさ」
「なっ……!?」
はじめの喉から漏れかけた驚愕の叫びを、クレアの白く細い手が瞬時に塞いだ。
「しっ、声を出すんじゃない。家族に聞かせるつもりかい?」
彼女の手からは、薬品の匂いと微かな煙草の香りがした。はじめは目を見開き、目の前の端正な顔立ちをした女性を見つめた。
あの北ウォー沼で襲ってきた、言葉も通じない醜悪な怪人『4号』。
そして、自分を救ってくれたアンナが倒そうとしていた存在。
その「同類」が、今、目の前で冷静に話をしている。
「……手が震えているね。無理もない。だが、信じてもらわなきゃならないんだ。
私は元々、ERageの目的を果たすために、この村……あんたの家の近くに潜伏していた。
医者という肩書きは、周囲の情報を集め、怪しまれずに『素体』を観察するのに好都合だったからね」
クレアははじめの口から手を離すと、自嘲気味に笑った。
その瞳には、今まで見せたことのない深い後悔と、疲労の色が滲んでいた。
「ずっと、あいつの精神的な呪縛に縛られていた。
思考の隅々までERageの意思が入り込み、私は私の体でありながら、あいつの操り人形でしかなかった。
だがね……ようやく、その支配から逃れることができたんだ。今、私は数年ぶりに、私自身の意志で言葉を発している」
はじめは喉を鳴らし、ようやく声を絞り出した。
「どうして……。急にそんな、支配から逃れられたなんて。何か理由があるのか?」
「ああ、心当たりならあるよ。……あんたたちが月光蓮の花畑で、ERageを退けたからだろうね」
クレアは窓の外、遠く北の空を眺めた。
「あいつが手痛い傷を負い、精神的な供給が一時的に途絶えた。
その隙を突いて、私は自分の精神の主導権を奪い返したのさ。
自白するよ。私はあんたたちを、そしてリフリッジを監視していた。
すまなかったね、はじめ」
彼女は深々と頭を下げた。はじめは戸惑い、かける言葉が見つからない。
医者としてリフリッジを診てくれていた彼女に感謝していた反面、その裏に恐ろしい意図があったという事実に、背筋が凍る思いだった。
「謝罪は後だ。今は一分一秒が惜しい。受け取りな」
クレアが白衣のポケットに手を入れ、何かを取り出した。
彼女の手から差し出されたのは、古びた、それでいて重厚な輝きを放つ『鍵』だった。
アンナが持っていたものとよく似ているが、細部の意匠が異なっている。
はじめは戸惑いながらも、左手を伸ばしてその冷たい金属を受け取った。
鍵は不思議な重みを持ち、はじめの指先に微かな脈動を伝えてきた。
「これは……アンナが言っていた『7本の鍵』の一つか?」
「察しがいいね。……だが、安心するのは早い。私が自由でいられるのは、あくまで一時的なものに過ぎないんだ」
クレアの表情が、再び険しいものに変わる。
彼女は自分のこめかみを指で叩いた。
「ERageの玉座……その周りに浮かぶ7つの水晶玉を知っているかい? そのうちの一つが、私の精神と深く繋がっている。
アンナの策であいつが消滅しかけたとはいえ、あの水晶玉が健在である限り、私の脳にはあいつとの繋がりが残されたままなんだ。
完全に破壊しない限り、私はいつか再び、あいつの支配下に堕ちる……」
クレアの言葉には、死よりも恐ろしい運命への恐怖が混じっていた。
「そうなれば、私はまたあんたたちの敵になるだろうね。……だから、そうなる前に伝えなきゃならない。手短に話そう」
クレアは最後の一服を床で踏み消すと、はじめの目を真っ直ぐに見据えた。
その視線は、もはや迷える患者を診る医者のものではなく、運命を共にする戦友のものだった。
「……ERageの真の狙い、そして、あいつが執拗に追っている『アンナ』の目的についてだ。……準備はいいかい?」




