愛の波動と、沈黙のいらじ
夕日を背に、岩場の先端で美しい横笛の音色を響かせていた変態――もとい天狗が、ふと演奏を止めた。
「愛を恐れているもの達の波動が……」
天狗のお面の奥から、低く渋い声が呟かれた。
その瞬間だった。
ヒュンッ!
はじめ達の視界から、天狗の姿が完全にブレて消失した。
「えっ!?」
はじめが声を上げる間もなく、突風と共に目の前の空間が歪み、一瞬にしてはじめの鼻先にあの『天狗のお面』が迫っていた。
完全な瞬間移動だった。
「チッ……!」
背後にいたクレアが瞬時の出来事に反応し、反射的に腰の剣を抜こうと身構える。
しかし――抜けない。
クレアの全身から滝のような冷や汗が吹き出し、指先一つ動かすことができなかった。
目の前の白ビキニパンツの男から放たれる、あまりにも濃密で強大な『気』に完全に圧され、歴戦の戦士であるクレアでさえ金縛りに遭ったように硬直してしまったのだ。
「ひぃぃぃぃぃっ!!」
一方、天狗を心底嫌悪していた妖精のフェイリは、その姿が目の前に現れた瞬間に悲鳴を上げ、脱兎のごとく森の奥へと全速力で逃げ出してしまった。
「あーっ! ちょっとフェイリ! 案内役が逃げないでよ!」
マナが慌てて呼び止めるが、パニック状態のフェイリは振り返ることなく視界から消え去っていく。
波打ち際は、一瞬にして大混乱に陥った。
「安心したまえ。私には攻撃の意思はない」
天狗は剣の柄に手をかけたまま硬直しているクレアに向けてスッと片手をかざし、オーラを収めた。
ふわりと威圧感が消え、クレアが荒い息を吐きながら膝をつく。
あの格好からは想像もつかない、底知れない圧倒的な実力者だった。
天狗は改めてはじめに向き直り、天狗のお面越しに真っ直ぐ見据えた。
「お前達は、何を求めてここにやってきた?」
はじめは緊張でゴクリと唾を飲み込みながらも、真っ直ぐに答えた。
「俺たちは、ここにある『ポータル』を使ってキシアに渡り、拉致された親父を救い出したいんだ」
その目的を聞いた瞬間、天狗の動きがピタリと止まった。
そして、ワナワナと筋骨隆々の肉体を震わせたかと思うと、天狗のお面の目の穴から、滝のような大粒の涙をボロボロと流し始めたのだ。
「愛……!! 愛のために、君たちはここに導かれたものというのか……っ!!」
「え……?」
「なんと美しき家族愛! 血の繋がりを超えた魂の波動! 素晴らしい、実に素晴らしいッ!!」
天狗が両腕を天に掲げ、胸の白いポンポンを揺らしながら、よく分からない理屈で勝手に大感激し始めた。
その時である。
『ブウウウウウウン……ッ!!』
背後で、巨大な茄子のゴーレム『いらじ』が突然、奇怪な悲鳴のような駆動音を上げた。
ガガガッ、と痙攣したように巨体を揺らした後、完全に動力を失い、その場にズドンと機能停止してしまったのだ。
あまりにも強烈な天狗のビジュアルと波動に、ゴーレムの魔力回路がショートしてしまったらしい。
「おや……。こいつは困ったね」
コックピットのハッチを自力でこじ開け、中から這い出してきたアリスが、やれやれと頭を掻いた。
それを見た天狗は、涙を拭いながら歩み寄った。
「君の愛の乗り物が動かなくなってしまったのか。ならば、私がそれを担いでいこうじゃないか」
天狗はそう言うや否や、いらじの巨体の底に手を入れ、いとも軽々と――片手で巨大な茄子を頭上に担ぎ上げてしまった。
ピンヒールを履いているにも関わらず、その足元は微塵もブレていない。
「ポータルは今、我々が住む場所に隠匿されている。……愛の無いものによる悪用を、防ぐためにな」
天狗はいらじを片手で担いだまま、ビキニパンツの尻をプリッと突き出し、振り返った。
「こっちだ。付いてきてくれたまえ」
そう言い残し、天狗は優雅な足取りで岩場を歩き出した。
残された一行は、完全に困惑しきっていた。
「ふぅ……」
クレアが深くため息をつき、自力で歩くのが困難なアリスをヒョイと背中におぶった。
白ビキニの天狗が巨大な茄子を担いで歩くという、あまりにもシュールで狂気じみた光景を前に、クレアは疲れた声で呟くしかなかった。
「……とりあえず、付いていくしかないか……」




