お兄様と、終わらない修羅場
「で、結局どうなったんだ? さっきの話は」
沼の魔物をあらかた片付け、剣を降ろしたはじめが後ろを振り返って尋ねた。
すると、カエデが空間収納スペースからヒョイッと追加の煎餅を取り出し、バリボリと豪快な音を立てながら口を開いた。
「私は『お兄ちゃん』でいいと思うよー」
(こいつ……どんだけ煎餅持ってきてるんだよ……)
はじめは、無限に湧き出るカエデのおやつに心の中でそっと突っ込んだ。
「ダメダメ。この子、『お兄ちゃん』っていう単語に対して、ものすごく変な解釈を持ってるのよ」
マナが呆れた顔でイオリを指差す。
「あ、あのっ、それはぼくが勝手に勘違いしていただけなので……!」
イオリは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにモジモジしたが、その潤んだ瞳ははじめの顔から一切逸らそうとしなかった。
そして、何か名案を思いついたようにパァッと顔を輝かせる。
「あ、そうだ! リフリッジさんは『お兄ちゃん』って呼びますよね。なら……『お兄様』でどうでしょうか!?」
イオリは(どうかな? どうかな?)と、スカートから覗くしっぽをパタパタと振りながら、期待に満ちた上目遣いではじめを見つめてきた。
はじめは少し困惑したものの、命の恩人にこんなキラキラした目を向けられて、無下に突き放す事もできない。
「……まぁ、イオリが呼びたいように呼んでいいよ」
はじめは苦笑しながら、優しくイオリの頭をポンポンと撫でてやった。
「えへへ……お兄様っ」
イオリがとろけるような笑顔を見せる横で、マナがやれやれと腕を組んだ。
「出た出た。無自覚タラシの本領発揮ときたわね……」
そんな、問題とも言えるのか分からない問題を解決(?)しつつ沼を抜けると、ようやく見慣れたはじめの家が見えてきた。
「あっ!」
家の前で首を長くして帰りを待っていたリフリッジが、はじめの姿を見つけてパッと顔を輝かせた。
「お兄ちゃん!」
しかし、不運にもほぼ同じタイミングだった。
少し後ろで疲れて休んでいたイオリが、前を歩くはじめの背中を見つけて、嬉しそうに小走りで駆け寄ってきたのだ。
イオリは、前方にいるリフリッジの存在にまだ全く気がついていない。
「お兄様っ!」
リフリッジの弾むような「お兄ちゃん」という声と、イオリの嬉しそうな「お兄様」という甘ったるい声が、見事に重なり合って朝の空気に響き渡った。
ピタリ、と。
リフリッジの動きが止まった。
満面の笑みを浮かべていた彼女の目からスッと光が消え去り、底知れぬドス黒い雲が覆いかぶさる。
そして、殺気とも呼べるような絶対零度の眼光が、はじめに向かって走ってきていたイオリを真っ直ぐに貫いた。
「ひっ……!?」
その異常な視線に気がついたイオリの全身の毛が、ゾワッと逆立った。
かつて対峙したどんな凶悪な魔物とも、あの最強の敵エアリアルと比べても、まったく比べ物にならないほどの圧倒的で理不尽なプレッシャー。
「あわわわわっ……!」
完全に命の危機を感じたイオリは悲鳴を上げ、パニックを起こして足をもつれさせた。
時折ズベッと派手に転びながらも、猛ダッシュでカエデの背後へと転がり込み、ガタガタと震えながら身を隠したのだった。




